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イリコと『もみじ』

赤かった戦場が、少しずつ、少しずつオレンジ色へと塗り返されていく。
状況は、未だ不利。
だがイリコの動きは、先ほどから明らかに変わっていた。
「あと1分……」
館内のBGMが変わり、セイゴが緊張した声で呟いた。
「今から巻き返せるか……?」
「……イリコちゃん……」
マサバは強く、強く両手の拳を握っていた。
クロトガの鋭く貫くような殺意と、
イリコの熱く燃えたぎるような闘志が、
確かに今、互いの色のインクに姿を変えて、戦場でぶつかり合っている。
マサバはイリコに、勝って欲しかった。
いつかの自分のように、心を折られないで欲しいと。
あの時アオに敵わなかった、自分のようにならないで欲しいと―――強く、強くそう思っていた。
「……頑張れ……!!!」
頼むから勝ってくれ。
君はどうか負けないでくれ。
いつかアオに向かって行った自分を、イリコの背中に重ね合わせながら、マサバは必死に願っていた。



(射程は覚えた、まずは塗るっ!!!)
デボン海洋博物館はステージの構造上、いわゆるリスポーン直後のリスキルは出来ない。
イリコはスーパージャンプでリスポーン地点に戻り、マップで状況を確かめた。
クロトガはイリコをキルし続けることで有利を取り、場を塗り広げている……だが、塗りが荒い。
イリコが勝つには、もみじシューターの塗り性能を存分にイカして塗って、塗って塗って塗りまくるしかない。可能な限り、キルを取られずに!
大きめの塗り残しをしっかりと塗りながら、イリコはスペシャルゲージを溜め、すぐにアメフラシを投げた。
赤いインクの海に、オレンジの雨がぽたぽたと落ちていく。
(残り時間的に、投げられるのはあと一回……)
その一回の使いどころは決めている。
イカ化して自分の色のインクに飛び込みながら、イリコはアオから初めてキルを取ったときのことを、思い出していた。
『あなたの射線が、上を向くクセの話なんだけれど』
『あっ……』
『いいえ、叱るつもりはないの。一度、わたしにもみじシューターを向けてみて。インクは撃たないでね』
言われた通り、イリコはアオへともみじシューターを向けた。それを見て、アオは感心したように言ったのだ。
『……そう。やっぱり、あなたは……相手の顔に向かって、ブキを向けるのね……』
ナワバリバトルで相手を倒すためには、体に向かって撃つのが一番当たりやすく、効率がいい。
だが、イリコはいつも頭―――いわゆる、ヘッドショットを狙ってしまう。
だって―――『ブキを顔面に向けられたら、誰だってびっくりする』から―――
「!!!!!」
クロトガがまたもやこちらに向かってくる。イリコはロボットボムを一つだけ投げたあと、すぐにイカ化して、自分色のインクの中へと逃げた。
「クソっ!!!」
クロトガは今度は後退せず、ロボットボムの追尾をかわしながら、イリコを追いかけてくる。
(このままじゃ撃たれる―――)
そう思った瞬間、クイックボムが飛んできた。
イリコは一瞬赤いインクに染まりながらも、オレンジ色のインクに潜って逃げ続ける。
逃げていても、彼には勝てない。わかっている。
彼を倒せるチャンスは、一度だけ。
(もうすぐ……もう少しで……)
大きく迂回するように回り込み、今度は自分からクロトガへ距離を縮めていく。
クイックボムがまた投げられる。横にかわす。ロボットボムが爆発した瞬間を見計らって、イリコはインクの海から姿を現した。
イリコの髪が、燃えるように光る―――スペシャルゲージが溜まった!!!
(今だ!!!!!)
イリコはもみじシューターを構え、勢いよくクロトガに向かって行った。



突然自分に向かってきたイリコに、クロトガは一瞬目を疑った。
(あの女……!!)
夕陽のように燃えるイリコの髪と瞳に、一瞬目が眩んだ、ような気がした。
そんな自分が腹立たしくて、クロトガは苛立ちのままにブキの銃口をイリコに向けようとする―――インクがない!
「ちっ……!」
先ほどのクイックボムの連投のせいだ。だがすぐに回復して、真正面から撃ち抜いてやればいい。
「なめやがって……!」
悪態をつきながらタコ化し、インクに潜る。その瞬間、連続でロボットボムが二個飛んできた。
(またその戦法かよ!!)
かわすこと自体は難しくはないものの、ロボットボムが追いかけてくるのは、とにかくうっとうしい。
引きつけて爆発させようとした瞬間、今度はアメフラシが投げられた――いや。
さらにロボットボムが、二連続で投げられる!
「はぁっ!?」
スペシャルウェポンを使用した直後は、インクタンクが満タンになる。その仕様を利用して、巨大なインクの雨雲と、4つのロボットボムを、イリコはほぼ同時にクロトガへと差し向けたのだ。
(これ、は、)
―――逃げ切れない。とっさにそう判断したクロトガは、ジェットスイーパーカスタムを振り上げ、イリコに向かって突進した。
一方的にキルを取られるわけにはいかない……せめて、相打ちに持ち込まなければ!!!
(やられてたまるか、こんなイカ女なんかに……!!!)
撃ち抜いてやれと、クロトガは銃口をイリコに向ける!
イリコはクロトガの顔めがけて、インクをぶちかます!
「ガァアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
「あああああああああああああ!!!!!!!!!!」

―――パァンッ!!!

……ブキとギアが、インクの海に沈み込む。
ジェットスイーパーカスタムが沈んでいくのを見届けもせずに、イリコは赤いインクを振り払いながら、引き続き周囲を塗り始めた。



まだバトルは、終わっていない。
勝ってなんか、いない。



「……あと10秒……」
9。
アオが呟く。
8。
「状況は!?」
7。
マサバが焦る。
6。
「多分互角……!」
5。
セイゴが確かめる。
4。
「イリコサン……」
3。
ハチが見守る。
2。
「負けて……」
「たまるか!」
1。
イリコとクロトガが、最後の最後まで塗り切り―――



―――FINISH!!!




試合終了の合図と同時に、イリコは勢い余って転んでしまった。手をつき損ね、顔からべしゃっとインクに突っ込んでしまう。
「イリコッ!!!」
アオがとっさに叫ぶ。だが、まだジャッジくんたちによる審判が終わっていない。
ジャッジくんとコジャッジ君はマップの状況を確かめると、審判を下し始めた。
「……に゛っ!!!!!(結果は……これだ!)」

勝敗の結果は……『42.9対42.8』。
わずか2ptの差で―――イリコの勝利だ!

「イリコ!!!」
ばしゃばしゃとインクを乗り越えながら、アオはイリコに駆け寄った。
「勝ったわ!!!勝ったのよ!!!」
「……か、勝てました……?」
イリコは何とか起き上がるも、インクに視界を塞がれ、慌てて顔を拭った。
ようやく自分の目で確かめた結果に、思わず引きつった声が出る。
「ひえっ……れ、0.1%差……」
「……お願いだから、あんな賭けはもう二度としないでね」
アオは溜め息をつきながら、イリコに手を貸し、立ち上がらせた。
「見ている方も、心臓に悪いもの」
「は、はい……」
【くそったれ!!!!!】
床を蹴り飛ばすようにしながら、クロトガが何かを叫ぶ。
【ちくしょう!!!!!兄上に顔向けできるかよ、こんな負け方!!!!!】
「え、えと……」
イリコには、彼が何と言っているか分からない。
ただ、ひたすら何かに怒っているのはわかる……多分自分が負けてしまったことにだろうと、イリコは思った。
「……こんな負け方、兄に顔向けがデキナイ」
いつの間にか近くまで来ていたハチが、ぽつりと言った。
「テ、言っテマスネ、彼」
「は、ハチくんわかるの!?」
「……出身が、同じようナノデ……」
そう言って、ハチは曖昧に笑う。
……出身というと、彼らはどこか外国から来たのだろうか。
イリコがそんなことを考えていると、
「イリコちゃーん!!!」
マサバとセイゴも、走ってイリコのもとへと駆けつけてきた。
「すっ転んでたけど大丈夫か!?怪我してない!?」
「だ、大丈夫です!」
「そっか、良かったぁ……」
イリコが慌ててそう言うと、マサバはほっとしたように笑った。
「女の子が顔に怪我なんかしたら良くないからな。イリコちゃんが無事で良かった」
「……心配してくれてありがとうございます」
染み入るようなマサバの優しさに、イリコは思わず微笑んだ。
「ええってええって」
マサバはにっかり笑うと、イリコの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「よく頑張ったなぁ。ほんとよく頑張った」
「ほんと、やるじゃんイリコちゃん」
セイゴもそう言って、イリコにウィンクしてみせる。
「かっこよかったぜ。……最後以外」
「うぐぅ」
セイゴの意地悪に、イリコが言葉を詰まらせている時だった。乾き始めたインクの上を、クロトガが足を踏み鳴らしながら近づいてくる。
「おい、もみじ女ァ!!」
「はっ、はい!!」
呼び方を訂正するのも忘れて、イリコは思わず背筋を正す。
クロトガは自分のことを親指で指しながら、
「テメェが勝ったら何でも言うこと聞くって言ったよな!?」
「え」
「言ったよな?!!!」
「あっ、は、はい。うん。言いました……」
「ならさっさと命令しろ!!!」
床にどっかりと座って胡座をかき、クロトガはブキを脇に置く。
それから彼は自棄っぱちと言った顔で、
「負けたんなら潔く何でもしてやらぁ!!テメェみたいなのに負けたのは納得いかねえがな!!」
と、イリコに向かって言い切ったのだった。
「……え、えと……」
言葉通りの潔さに、イリコはつい困惑してしまう。
何となく気が付いてはいたけれど、クロトガは恐らく、根は真面目な少年なのだ。言葉遣いを荒くしてはいるけれど、元々こういったことには筋を通さなければ気が済まないたちなのだろう。
イリコは戸惑ったまま、助けを求めるようにアオの方を見た。
アオはイリコの視線に気が付くと、黙って小さく頷いてくれた。
その視線に励まされ、イリコは心を決めて、おもむろにフクのポケットから、一枚の紙を取り出した。
「あの……これ、受け取ってもらえる?」
イリコが差し出したのは―――ばらばらになった紙の破片を、テープでつなぎ合わせたものだった。
クロトガはそれを見て、ぎろりとイリコを睨む。
「……おい。どういうつもりだ」
イリコは一瞬ひるみそうになりながらも、ぎゅっと唇を引き締め、あらためて『それ』を突き出す。
「正式に……私のフレンドになってほしいの」
イリコが差し出したのは……あの日、クロトガが破り捨てたフレコカードだった。
あの後、全ての破片を繋ぎ合わせ、今日これを突きつけるために、今まで大事に持っていたのだ。
クロトガはカードを一瞥してから、今度はイリコを睨むように見つめた。イリコは負けじと見つめ返しながら、
「それから、この間のこと、マサバさんたちに謝って。……もみじシューターのことも」
「……他には?」
「え?」
「他にはねえのか」
クロトガに聞き返され、イリコはきょとんとしてしまう。
他に、と言われても、何も思いつくことなんてない。ブキもオカネも、イリコには要らない。
何故かこのタイミングで、セイゴが言っていた「恋人はいないらしい」という情報を思い出すが、今はそんな場合ではない。
余計な考えを振り払うように、イリコは左右に首を振った。
「ないよ。今お願いしたことさえ聞いてくれれば、あとはもう……」
「…………にしてんのか」
「えっ?」
「バカにしてんのか、テメェはよぉ!!!」
勢い良く立ち上がり怒鳴るクロトガに、イリコは思わず身をすくめてしまう。
とっさにハチが庇おうとしてくれたが、大丈夫だと押し留めた。
「昨日オレがテメェになんて言ったか覚えてるよな!?」
「お、オカネとブキ全部渡せって話?」
「そうだよ!!!!!」
ダンッ!と強く足を踏み鳴らし、クロトガは人差し指をイリコに突きつける。
「オレがクソ理不尽な条件叩きつけてやったのに、テメェの出す条件が『これ』ってどういうことだ!!?」
「だ、だって……」
「テメェは算数もできねえのか!!理不尽には理不尽で返すとこだろうが!!!!!」
「そ、それこそ理不尽だよぉ!!」
イリコは思わず言い返した。
「なんで条件出しただけでクロトガくんにそんなこと言われなきゃいけないの!?あんなに嫌がってたんだからフレンド申請だけでも十分理不尽なぐらいでしょ!!??」
「お人好しが過ぎるっつってんだよこのアホもみじ!!」
「私の名前はイリコだってば!!」
「テメェなんかもみじで十分だろが!!!」
「それどういう意味ぃ!?」
怒鳴るクロトガに、言い返すイリコ。
突如として始まった言い争いに、二人の会話を見守っていた四人は、ひたすらぽかんとしていた。
「……俺ら何見せられてんの?」
戸惑うセイゴに、マサバは首を傾げる。
「……痴話げんか?」
アオは小さく溜め息を吐いて、ハチの方を振り返る。
「……ハチ、帰る準備をしておいてくれる?」
「アッ、ハ、ハイ」
ハチは慌てて帰る手続きをしに行った。アオはそれを確かめてから、仕方なさそうな視線をクロトガとイリコに向ける。
「私の言うこと聞くって言ったのクロトガくんじゃん!!!」
「だから他にもっと何かあんだろーがって言ってんだよ!!!」
「何かって何!?!?私オカネもブキもいらないんだけど!!!」
「オレはテメェが負けたらバトル辞めさせるつもりだったんだぞ!!!」
「えっ」
クロトガの一言に、イリコは面食らったような顔をして、
「……そ、そうなの?」
「……お前、まさかオレがブキとカネ取り上げるだけで済ますと思ってたのか?」
クロトガは信じられないものを見るかのような目でイリコを見た。
「ありゃお前に二度とバトルすんなって言う意味で叩きつけた条件だぞ」
「そ、そうだったの!!??」
素直に驚くイリコに、クロトガは言葉を失う。
彼は呆れたと言いたげに片手で顔を覆ってから、睨むようにしてアオたちへと視線を向けた。
「……おい、このお人好しバカ、どうにかなんねぇのか」
「イリコの悪口を言わないで」
アオは厳しい表情でそう言ってから、
「……でも、そうね。イリコの考え方は、あなたからしたら、甘すぎるのでしょう」
アオにまでそう言われてしまうとは。イリコがちょっとだけしょんぼりしていると、アオは一瞬イリコに優しい目を向けてから、すぐにクロトガへと顔を戻し、淡々とした口調で言った。
「だけど、このバトルにおいて勝ったのはイリコだわ。その結果に基づいて言うのなら、どちらの道理を通すべきか、それはあなたにもわかっているんじゃないの?」
「……チッ」
アオの冷静な言葉に、クロトガは露骨に舌打ちする。
それから彼は、「おい、もみじ」と、イリコに向かって顎をしゃくった。
「だ、だから私はイリコだってば……」
「うるせえ。早くよこせ」
「え?」
イリコが聞き返す前に、クロトガは乱暴な手つきで、継ぎ接ぎだらけのカードをもぎ取った。それから彼は、今日イリコが渡したばかりの真新しいフレコカードを、押しつけるように返してくる。
「えっ、えっ……」
「二枚も要らねえ」
クロトガは吐き捨てるようにそう言ってから、
「おい、バケツメガネとそこの二人!」
マサバとセイゴ、それから戻ってきたばかりのハチが、揃って驚いたような顔をする。
「……こないだは悪かったな」
「!」
クロトガの素直な謝罪に、ボーイ三人は顔を見合わせた。
「……いや待って、バケツメガネっておれ?」
「他にメガネっ子いないもんな」
「絶妙な呼び方デスネ……」
のんきな会話をしている三人に、クロトガは呆れたような表情で、
「……どいつもこいつも……テメェら見てると、気が抜けてしょうがねえ」
彼はそう呟いてから、あらためてイリコと向き直った。
「おい、もみじ」
「……もうそれで呼ぶの?今後も?」
イリコが怪訝そうな顔をしてるのを気にもしない様子で、クロトガは言った。
「もみじシューターについて、オレは謝らねえ」
思いがけない言葉に、イリコは驚いた。
「えっ!な、なんで……」
「オレを謝らせてぇなら、ウデマエXまで上がってくるんだな」
クロトガはジェットスイーパーカスタムを担ぎながら、にやりと笑った―――彼の笑顔を、イリコは初めて見た。
赤い、レーザーサイトのような瞳が……綺麗だった。
「そしたら、考えてやらなくもねえよ」
「……わ、わかった!」
イリコは素直にうなずいた。約束と違うとは思わなかった。
きっと、これが彼なりのけじめの付け方で、イリコとの仲直りの仕方なのだ。
イリコはそう思って、なんだかとても、嬉しくなってしまった。
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