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イリコと『もみじ』

「いただきまーす!」
嬉しそうにハンバーガーにかぶりつくイリコを、先輩イカたちは温かい目で見守っていた。
今日のメニューは、イリコが焼きそばエッグバーガーセット、アオは照り焼きサラダバーガーセット、マサバはベイクドナゲットとポテトのセット、セイゴがホットチキンドッグセット。
それぞれ好きなものを好きなように頼めるのが、ファストフード店のいいところだ。四人はしばらく存分にバーガーやら何やらを味わってから、サイドメニューをつまみ始めた。
「あ、そうだマサバ」
マサバのナゲットを勝手に貰いながら、セイゴが肩をつつく。
「こないだ渡したやつ、まだイリコちゃんたちに見せていないんだろ」
「あ、そうやった」
セイゴから自分のトレーを離しつつ、マサバはアオとイリコに向かって言った。
「こないだの、ほら。クロトガくんやったっけ?」
マサバは大きめのカバンのなかから、ごそごそと紙束を取り出す。
「あの子について色々調べたんやけどね」
差し出された紙束は、あの少年の名前からウデマエから、ご丁寧に写真までついていた。イリコは思わず怪訝そうな顔をして、
「コジンジョーホーノシンガイ……」
「そういうのとはちゃうから!!」
「相変わらず、こういうことが得意ね」
アオも複雑そうな表情をしながら、マサバから紙束を受け取る。
「苦労したんだぜ~?あのリーゼントくん、マジで誰とも関わり持たねえんだもんな」
セイゴは頬杖をつきながら言う。
「ソロで動いてるやつほど調べにくいってね。どこぞのお嬢さんと一緒だな」
「……あなたたち、まさかわたしのことも調べたの?」
アオの表情が険しくなり、マサバが慌てて、
「やべっ、おいセイゴ!!」
「……いやお前が露骨な反応しなきゃいい話じゃん。なんでそんなクソ素直なんだよお前はよ」
アオはしばらく物言いたげな表情でマサバとセイゴを交互に見つめていたが、「……まあいいわ」と資料に目を通し始めた。
「マサバには後でゆっくり話を聞くわ……イリコ、見える?」
「はい!大丈夫です!」
渡された資料にはかなり詳細な情報が載っていた。アオの話いわく、セイゴはこういう『調査』がかなり得意らしい。「探偵さんみたいですね」というイリコのコメントに、セイゴはちょっと笑っただけだった。
「持ちブキはスプラチャージャー、ウデマエは……」
イリコはひえっと悲鳴をあげた。
「えっ、S+!?」
「……エリアとヤグラでは、もうXになっているわね」
アオは呟くように言ってから、怪訝そうな表情でセイゴに訊ねる。
「彼、見ない顔だと思うけど。最近来たのよね?」
「うん」
セイゴはマサバのポテトをもりもり食べながらうなずいた。
「なんとこいつ、スクエアでバトル始めたのイリコちゃんとほぼ同時期」
「ええっ……!?!」
イリコはまたもや驚いた。つまり、彼は一ヶ月足らずでウデマエXまで上り詰めたということだ。そんなことができるのだろうか?
「……寝る時間と飯食う時間と……あと諸々さっ引いても、それこそ起きて寝るまでずーっとバトルやってなきゃ、そうはいかへんのとちゃう?」
「しかも、連勝しなきゃウデマエは上がんないからね」
マサバからポテトを遠ざけられ、セイゴは仕方なく自分のポテトを食べ始めた。
「マサバは知ってると思うけど、ガチマッチってさ、結構味方のウデマエに勝率が左右されたりもするんだよ。自分のウデマエひとつでのし上がれるようなやつは、それこそアオみたいに自分のバトルスタイルを確立してて、なおかつウデマエがぶっちぎってるようなやつな」
セイゴは指についた塩をぺろりと舐める。
「つまりこいつはそんだけウデマエがぶっちぎってるってことだな」
「……もしかして私、とんでもないひとに喧嘩売りました?」
表情に不安そうな色を浮かべるイリコに、セイゴは苦笑いしてみせる。
「正確には向こうが喧嘩売ってきたんだけどな。イリコちゃんがそれを買っちゃったというか……」
そう言って、セイゴはからかうような目線を投げた。
「あれ、もしかして、ビビっちゃった?」
「……大丈夫です!」
強がるイリコに、セイゴはくつくつと笑った。
アオは少し険しい顔をしながら、淡々と資料をめくる。
「……どこか別の街で、バトルの経験があったとかではないのね?」
「そういう情報があったんなら、誰かから聞けてよさそうなもんだけどなぁ。マジでないんだよ……どっから来たんだか」
アオとマサバは、一瞬だけ視線をかわす。それに気付かずに、イリコが首をかしげた。
「こないだハチくんのこと、裏切り者って言ってたのも気になりますよね……?」
「ハチは知らないって言ってたんだけどな」
「……あの子も色々あったからなぁ」
マサバが濁すように言った。
セイゴはちょっと目を細めてから、思い出したようにイリコを見た。
「あ、そういえば今彼女とかはいないっぽいよ」
「……誰がですか?」
「クロトガ」
イリコはジャッジくんのような顔をしながら、セイゴを睨んだ。
「……どうして今私にそれを?」
「いやぁ。大事な情報かと思って?」
「…………」
イリコはその顔のまま、資料に目を戻した。
「……たまにスプラチャージャー以外も使ってるんですね」
「……どうしたの?イリコ……」
「なんでもないです」
ジャッジくんフェイスのままのイリコに、セイゴはくつくつと肩を揺らして笑った。「やめたれや……」と、マサバが呆れながらセイゴの背中を叩く。
「後衛ブキのくせに、前線まで出てキルとりまくってるって話だぜ」
セイゴは全く気にせずに、話を戻した。
「んで、ついたあだ名が『イカ殺し』。酒じゃねーんだから……」
「アオさんのバトルスタイルと、ちょっと似てますね?」
「前線でキルをとる辺りしか共通点がないわよ……?」
アオはちょっと戸惑うような表情を浮かべながらも、
「……いずれにせよ、優れた実力の持ち主であることに間違いは無いようね」
と、また資料をめくった。
「そこは俺のお墨付きってことで。知り合い215人に聞きました!の、街頭調査アンケートの結果だからな」
「……セイゴさんって何者なんですか?」
「わたしにもよくわからないのよ……」
「おれもたまにようわからん……」
「おいおい、俺にこの調査頼んできたのマサバだからな?」
セイゴは頭の後ろで両手を組みながら、椅子を斜めにして揺らす。
「俺はただの人付き合いが好きな、可愛いボーイですよ。無害無害」
「可愛いは認めざるを得ないんですよね……」
「ありがとーイリコちゃん♡お礼にマサバのポテトをやろう」
「やめーや!!」
アオはイリコと一緒に資料を読み終え、それをマサバに返した。それからおもむろに、
「……イリコ」
「はい!」
「彼に、バトルを申し込むつもりなのね?」
イリコはアオに向かって、大きくうなずいてみせる。
「はい。もみじシューターのこと謝らせるって、ブキチさんにも約束しちゃいましたし……何より、私が彼に、もう一度会ってみたいので」
「……そう」
アオは一瞬目を伏せてから、うなずき返した。
「なら、止めないわ……バトルの練習も、もう少しするつもりでしょうからね」
「ありがとうございます!」
イリコは嬉しそうににっこり笑った。もとより、きっとアオが止めても、イリコは止まらないだろう。それはこの場にいる全員が、わかっていることだった。
「……でも、イリコ。彼と戦うときは、私たちも呼んで」
「アオさんたちを、ですか?」
聞き返すイリコに、アオはうなずいてみせる。
「あなたたちのバトルに、立ち会わせて欲しいの」
「さすがにイリコちゃんとあのボーイを二人きりにするわけにはいかんわな」
マサバが苦笑いしながら言う。
「またあんな危ない目に合わせられんしね」
「わ、わかりました!」
「そん時はもちろん俺とハチも呼んでね」
セイゴが可愛こぶって、両手で頬杖をつきながら笑う。
「殴り合いになったら、人数多い方が有利だし♡」
「しませんよ!?」
「いや喧嘩すんなや……」
「ま、それは冗談としてもさ」
セイゴはマサバの持っている資料から、一枚の紙を抜き取ると、イリコに差し出した。
「あいつ、ほぼ決まった時間に同じ場所で見かけるって。話しかけるなら、そこがチャンスなんじゃね?」
「……わかりました」
イリコは紙を受け取って、じっと見つめる。
レーザーサイトのような、赤い瞳。
あの目と再び対峙する時が、少しずつ近づいていた。



***



夕方の17時。スケジュール変更の時間だ。
バトルを終えてロビーから出てきたクロトガは、いつものように路地裏の自販機の方へと歩いて行った。
この時間には、必ずコーラを買うと決めている。一日中、ほぼ食事もとらずにバトルしてきた自分に許している、ささやかな楽しみだ。
缶のプルタブを開けて、乾いた喉にコーラを流し込む。独特の甘味としゅわしゅわした刺激が、口の中に広がっていく。
イカもイカの世界も嫌いだが、食事だけは認めてもいい。クロトガはそう思っていた。
好きな時に好きなだけ、好きなものが食べられる。自分が生きてきた世界とは、大違いだ。だからといってそんな甘えを、自分だけに許すつもりはないが。
(……兄さんたちやカグラは、今頃何をしてるんだろう)
この時間になると、いつも家族のことを思い出す。
カグラは寂しがっていないだろうか。キトラ兄さんはちゃんと病院に行っているのだろうか。ジンベイ兄さんは、またご無理をされていないだろうか。
兄に託されて地上に出てきた自分は、まだ何の成果も上げられていない。早く目的のイカを見つけて、地下に連れ帰らなければ。
兄の話によれば、相当の手練れであるという、例のイカ。
ランクを上げ、ウデマエを上げていけば会えるかと思ったが、地上では噂すら耳に入らない。
(……やはりイカどもから直接情報を集めなければ駄目か……)
だがクロトガは、あんな脳天気な種族どもと馴れ合いたくはなかった。
オクタリアンを地下に追いやったにも関わらず、そんな歴史を綺麗さっぱり忘れて、へらへらと笑うインクリングたち。それに追従するかのように、地下を抜けだしタコであることを捨てた、裏切り者のオクタリアンたち。
どいつもこいつも、話していると気分が悪くなる。
何も知らない無知なやつらも、何も知らない振りをしている笑っているやつらも、全部全部疎ましくて嫌いだった。
無意識のうちに握りつぶしていた空き缶を、ゴミ箱に放り込み、クロトガはロビーに戻ろうとする。
その瞬間、

ふと目に入ったのは、夕陽だった。

昼間の白い光とは違う、焼けるようなオレンジ色の光。明るいはずの色は、なぜか夜の訪れを感じさせて、妙に胸を締め付ける。
クロトガの、嫌いな色だった。
―――クロトガ。地上には、美しいものが沢山ある。
兄の声が、不意に耳に蘇る。
―――地下では見られないような、美しいものが多くあるんだ。朝焼けや夕暮れ、海、それから……。
普段は厳しく冷徹だった兄が、地上のことを語る時だけは、やけに嬉しそうだった。
クロトガは兄のことを、心の底から尊敬していた。けれど地上の話を聞かされている時だけ、ほんの少し、兄が嫌いだった。
(……兄上は、本当にこんな世界が美しいと感じたのか?)
多くのイカにタコが混じる、雑踏と喧噪。がちゃがちゃと乱雑に立てられた建造物。それらの隙間から覗く、オレンジ色の光が。
クロトガは理解したくなかった。理解しようとも思わなかった。
「クロトガくん!!」
突然イカ語で自分の名前を呼ばれ、クロトガは咄嗟に視線だけ向ける。
そこにいたのは―――先日自分にフレンド申請を申し込もうとしてきた、イカの少女だった。
確か名前は、イリコとかいうはずだ。
「……テメェ」
あれだけ脅してやったのに、また懲りずに話しかけてきたのか。
呆れた気持ちでいっぱいになりながら、クロトガは少女を睨み付ける。
(これだからイカは嫌なんだよ……)
自分がどんなに拒絶しても、分かり合えると信じて疑わない。自分たちのことを、わかろうともしないくせに。脳天気で傲慢で、我が儘で図々しい。
だからクロトガは、イカが嫌いだった。
「あ、あの……」
「こないだのもみじ女だろ」
クロトガがどうでも良さそうに言うと、少女はかみつくように反応した。
「イリコです!!」
「ザコの名前なんか覚えてられっか」
本当は覚えていたが、あえてそう吐き捨てる。それからできるだけ威圧感を込めて、睨み付けてやった。
「もう二度と話しかけんなって言ったよな。何しに来やがった?」
イリコは負けじと睨み返してきた―――気の強い少女だ。
彼女は何かをクロトガに突き出すようにしながら、言った。
「わたしと、プライベートマッチでバトルして!!」
差し出されたのは、少女のフレンドコードが書かれているカード。あの時クロトガが破り捨ててみせたものと
同じだと、すぐにわかった。
クロトガは苛立ちを抑えずに、わかりやすく舌打ちした。
「……何がしてえんだ、テメェはよ」
「私が勝ったら、こないだのこと謝って」
イリコはカードを差し出したまま、真っ直ぐに―――クロトガの嫌いな色の瞳で、彼を見据えた。
「君が勝ったら、もう二度と近づかない」
「…………」
クロトガは大げさに溜め息を吐いた。彼女のウデマエは知っている。ろくな立ち回りもできないくせに、何故こうも自分につきまとうのか。
結果は火を見るより明らかだが、こんなやつに付き合う時間が勿体ない。クロトガは「それじゃ足りねえな」と、脅しをかけることにした。
「オレが勝ったら、」
イリコから乱暴に、フレコカードを奪い取る。
「有りガネと持ってるブキ、全部置いてけ」
「なっ……」
「聞けねえなら、この話は無しだ」
―――これでビビって逃げるようなら、またこのカードは破り捨ててやればいい。
先日の仲間を集めてくる可能性はあったが、クロトガにとっては、どいつもこいつも格下でしかない。一人気になる存在はいたが、どうとでもな……
「わかった。いいよ」
「……は?」
「いいよって言ったの」
イリコの返事に耳を疑い、思わず聞き返すと、彼女ははっきりとそう言った。
「私が負けたら君が言うとおり、オカネもブキも、君に全部あげる」
真っ直ぐな目。真っ直ぐな表情。
脳天気なはずのイカとは思えないほどに、彼女は真剣な表情をしていた。
(……なんだこいつ)
頭がおかしいのか。本気で言っているのか。それとも、自分が舐められているだけか。
その可能性に思い至るも、すぐに思い直す。
そうだとしたら、彼女はきっと―――こんな顔はしない。
「その代わり、私が勝ったら……」
彼女は一瞬、ちょっと困ったような顔をしてから、
「……私の言うこと、聞いてもらうから」
「……はっ」
クロトガは口の端を持ち上げるようにして、無理矢理笑ってみせた。
「上等だ。受けてやる」

バトルの時間は、明日の午前10時。
二人の決着の時が、少しずつ近づき始めていた。
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