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イリコと『もみじ』

モミジに付いて行った先は、カンブリアームズだった。店先では店主のブキチが、品物のブキを丁寧に磨いている。
モミジはドアを開けるなり、
「やあ、ブキチくん」
と、気さくに声をかけた。
「はいはい、いらっしゃいでし~……あ~っ!!!」
ブキチはイリコの顔を見るなり、カウンターから身を乗り出した。
「キミィ!店の前で騒ぎは止めてほしいでし!」
「えっ……あっ、ご、ごめんなさい!!」
そういえば、クロトガと揉めていたのは、カンブリアームズの目の前だった。イリコが大きく頭を下げて謝ると、ブキチは「まあいいでし」と、すぐに許してくれた。
「さっきの話は聞こえてたでしよ。キミからはブキへのふか~い愛情を感じたでしからね……次から気をつけてくれたらいいでし」
「あ、ありがとうございます……?」
「しっかし、なんでしかあのボーイは!!」
ブキチは磨き布をふりふり、またもや怒り始める。
「ボクの店の前でブキを馬鹿にするなんて!!もう出禁でしよ出禁!!」
「あ、あの、ブキチさん」
イリコは慌ててブキチをなだめようとした。
「今度私が絶対に謝らせるので、出禁は勘弁してあげてくれませんか……?」
「ムム……そう言われてもでしね」
「お願いします!!もみじシューターに誓って謝らせますから!!」
ブキチはしばらく腕組みをして考えこんでいたが、イリコの必死な様子に、心動かされたらしい。
「仕方ないでしね……」
と、彼は許してくれるようだった。
「もみじシューターに誓って絶対でしよ?」
「ありがとうございます!」
イリコはほっとした。カンブリアームズは、ナワバリで戦うイカたちの、生命線とも言える場所だ。確かにクロトガの態度は悪かったが、出禁にされてしまうのは困るだろう。
彼がバトルできなくなってしまうのは、嫌だった。
「さて、話が済んだところで」
モミジがカウンターに寄りかかりながら、とんとんと指で叩いてみせる。
「頼んでいたものはできてるかい?」
「ああ、あれでしね。ちょっと待つでしよ」
ブキチはいったん奥に引っ込んでから、黒い箱を抱えて、カウンターまで運んできた。
「色々と苦労したでしよ……準備できたことに感謝でしてほしいでしね」
「もちろん。いつもすまないね」
モミジはにこにこと言いながら、
「中を確かめてもいいかな?」
と、ブキチに訊ねた。
「構わないでしが……」
ブキチのまんまるな瞳が、物言いたげにイリコを見る。
イリコがどきっとしていると、
「彼女はいいんだ」
モミジは笑顔のまま言った。
「僕が見せてあげるって、約束したんだよ」
「……なら、好きにするといいでし」
モミジはイリコにちょっと微笑みかけてから、いそいそと箱の蓋を開ける。
中に入っていたのは―――イリコの見たことのない、シューター系のブキだった。
ちょっとスプラシューターに似ているような気がするが、見比べてみると全然違う。少なくとも、今ブキチの店に並んでいるブキとは、どれも違うものに思えた。
「懐かしいな」
モミジはほくほくとした表情で、ブキを持ち上げる。
「昔のスシを思い出すね」
「……あの、」
邪魔したら悪いかな、と思いながらも、好奇心には勝てなかった。ブキに問題がないか確かめているモミジに、イリコはおずおずと声をかける。
「これ、なんていうブキですか……?」
「オクタシューターレプリカ、だよ」
モミジはすぐに教えてくれた。
「僕の初恋のひとが使ってたブキ……の、レプリカなんだ」
「!」
―――初恋に会いに来た。
イリコはモミジの言葉の意味を、ようやく理解した。
「ブキチくんに取り扱ってもらえないか、ずっと打診していてね。ようやく特別に仕入れてもらったんだよ」
そう言って、モミジはブキを箱に仕舞いなおすと、大切そうに箱を抱えた。
「ありがとう、ブキチくん。代金はいつも通り、振り込んでおくからね」
「毎度ありでし~」
イリコはもう一度だけブキチに頭を下げてから、箱を抱えたモミジと、一緒にカンブリアームズから出た。
「思い入れのあるブキは、特別だよね」
しっかりと箱を抱えながら、モミジはイリコに微笑みかけた。
「僕もきっと、このブキが馬鹿にされたら許せないだろう。だから、君がもみじシューターを馬鹿にされて怒ったと聞いたとき、とても共感したんだ」
「そうだったんですね……」
「頑張って見返してね、例の彼」
そう言って、モミジは悪戯っぽく笑う。
「そのうえで、彼と仲良くなれたらいいね」
「……はい!」
イリコは元気良くうなずいた。
モミジには、随分元気づけて貰ってしまった。何かお礼をしたいな、と考えていると、不意にイリコのイカフォンが鳴った―――アオからの電話だ。
「ちょっとすみません」
モミジに断りを入れてから、イリコは電話に出る。
「はい、もしもし!」
『イリコ?』
電話の向こうから、アオの驚いたような声が聞こえる。
「アオさん!」
今日一日聞いていなかったアオの声に、イリコは思わず声を弾ませた。
「用事、終わったんですか?夜までかかるって聞いてましたけど……」
『え、ええ……もう大丈夫よ』
アオは戸惑い気味にそう言ってから、
『これから会えないかしら。今どこにいるの?』
「カンブリアームズの前です!」
『ちょうど良かった。わたしもロビー前にいたの』
「えっ、どこですか?」
イリコが電話を繋いだまま、きょろきょろと辺りを見回すと、アオが走ってくるのが見えた。
イリコは顔を輝かせて、大きく手を振る。
「アオさん!!」
「イリコ」
イリコを見つけて、アオはほっとしたような表情を浮かべる。
けれど、イリコの隣でにこにこと微笑む男性の姿を見つけるなり、驚いたように声をあげた。
「あなた……!!」
アオは大慌てでイリコの傍に駆け寄ると、すぐにイリコを庇うようにして、自分の後ろに立たせた。
「あ、アオさん?」
戸惑うイリコをよそに、モミジはまったく動揺していない様子で、
「やあ、アオ。久しぶり」
と、にこやかに片手をあげた。
「何しに来たの、ネオ」
アオは警戒心丸出しで、モミジを睨みつける。
「イリコなら勧誘させないわ」
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないか……」
モミジは困ったように苦笑いを浮かべた。
「今日は別に、勧誘目的で話をしていたわけじゃないよ。たまたま会っただけで……」
「イリコ、この男に何もされなかった?」
「え、えーと……」
イリコはアオとモミジの顔を、交互に見る。少し迷ってから、モミジに話しかけることにした。
「……あの、アオさんとお知り合いなんですか?」
「言ってなかったっけ」
モミジはそう言って、とぼけたように笑う。
あ、このひと、確信犯だな。
「……大丈夫ですよ、アオさん」
イリコは、今度はアオを安心させるように言った。
「すごく親切にしていただいただけで、特に何もされてはいないです」
「……そう。なら、いいけど……」
アオは一瞬ほっとしたような表情を見せたが、すぐにまたモミジを睨んだ。
「誤解したようで悪かったわね。でも、次にイリコに話しかけたのがそういう目的であったなら、ただじゃおかないわ」
「それこそ誤解されるような言い方をしないで欲しいな……」
モミジはほとほと困ったと言いたげに肩をすくめてから、仕方なさそうに微笑んだ。
「ま、イイカ。本当はもうちょっと話したかったんだけれどね……ウルメのこととか」
「え」
突然姉の名前を出されて、イリコは一瞬フリーズした。
「え、あ、も、え……え!?お、お姉ちゃんとも知り合いなんですか!?」
「これは言い損ねてたんだよ、ごめんごめん」
全く悪いと思っていない顔で、モミジは爽やかに笑った。
「ま、そこら辺はまた今度会えたら、ゆっくり話そうか」
「二人きりで会わないで」
アオが言葉にとげとげしさを迸らせながら言った。
「イリコに会いたいなら、わたしを倒してからにすることね」
「……せっかくだから、今度はアオも一緒にね」
「あ、は、はい……」
「それじゃあ……またね、イリコ」
モミジはにっこりと笑ってから、軽く手を振った。
「あっ……ありがとうございました!モミジさん!」
イリコは急いで頭を下げた。
モミジは楽しそうに微笑んでから、どこかへと歩き去って行った。
「……あの男、」
モミジの背中が見えなくなったのを確かめてから、アオが呟く。
「あなたには、モミジと名乗ったのね」
「えっ。あ、はい……」
マサバさんの時とは全然違う警戒の仕方だなぁと思いながら、イリコはうなずいた。
「えっと……もしかして、アオさんのときは違う名前だったんですか……?」
「ネオよ」
アオはすぐに答えた。
「そのとき、わたしがノヴァブラスターネオを持っていたから……」
シャープマーカーネオではないのか、とイリコは思った。そういえば、ネオという名前がつくブキは、いくつか種類があるのだった。
「あんまりにも怪しいから、本名を教えるように言ったのだけれど」
アオは気に入らなさそうに顔をしかめる。
「結局、誤魔化されてしまったわ」
「ああ……」
あれはアオのことだったのか、と、イリコは納得する。
「……それより、イリコ」
アオは表情を心配そうなものに切り替えて、イリコに訊ねた。
「本当に、何もされなかったの?怪しいバイトに誘われたりとか……大きな組織の一員に誘われたりとか……」
「し、してないですしてないです!」
イリコは大慌てで否定する。
「そんな、全然大丈夫ですってば……ていうか、何者なんですか、モミジさん」
アオのことはともかく……姉のことを知っていて、しかもイリコが妹だと気付いたイカには、この街で初めて会った。
短い時間とはいえ、物凄くお世話になってしまったので、あんまり疑うようなことはしたくない。
とはいえアオの様子を見る限り、少し注意した方がいいのかもしれないなー、と、思ったりはした。
「古株のナワバリプレイヤーよ」
イリコの求めている答えと微妙にずれている回答を、アオはくれた。
「といっても、もう引退しているけれど。ちょうど私が生まれた頃くらいに、活躍していたらしいわね」
「……へ?」
イリコたちの種族こと『インクリング』は、一定の年齢を迎えると、インクの出が悪くなる……というか、回復が追いつかなくなる。
ナワバリバトルの選手としてのピークは、10代後半から、20代前半頃だ。それから更に年を重ねると、インクが出なくなったことを理由に、徐々に引退者が出始める―――と言うことは、イリコももちろん知っている。
つまり、モミジの年齢は。
「……あのひと、結構若く見えたんですが……?」
「若作りなだけよ」
アオはばっさり切り捨てた。そういうレベルの話じゃない気がするけどなぁ、とイリコは思ったが、突っ込むのは止めておいた。
「……いえ、あんな男の話はどうでもいいの」
ついにモミジを『どうでもいい』扱いして、アオはイリコに向き合った。
「マサバから聞いたわ」
「えっ」
「今日一日、大変だったそうね」
アオにそう言われ、イリコは「あっ」と小さく声をあげる。
「えっと……聞いたって、クロトガくんのことですか?」
「ええ……」
アオは気遣うようにイリコを見つめてから、うつむいた。
「……大変なときに傍にいられなくて、ごめんなさい」
「そ、そんな!」
イリコは大慌てでアオの顔をのぞきこんだ。
「アオさんは何も悪くないじゃないですか、今回のは私が頭からトラブルに突っ込んでいったわけで……」
「勘違いしないで」
アオはそう言って、首を横に振ってみせる。
「わたしは責任を感じているわけじゃないの。ただ……」
そう言って、彼女はぎゅっと自分のフクの裾を掴む。
「あなたに何かあったら、わたし……どうしたらいいか、わからないわ」
「……アオさん……」
イリコは途端に申し訳なくなった。
マサバたちを巻き込んでしまっただけでなく、こうしてアオに心配までかけてしまうとは、思ってもみなかった。
自分の行動を反省しながら、イリコは小さな声で、
「心配かけちゃって、すみません……」
「……いいのよ」
謝るイリコに対して、アオは仕方なさそうに微笑んだ。
「マサバから聞いた話じゃ、あなたが怒るのも無理はないわ。でも、後であなたからも事情は聞かせてね。無用なトラブルは、できるだけ避けた方がいいでしょう」
「はい……」
「……それにしても」
アオはイリコの顔を見て、ほっとしたように言う。
「ずっと落ち込んでいると聞いたから、心配して顔を見にきたのだけど……もう立ち直っていたのね。安心したわ」
「あ、それは、モミジさんが……」
言いかけて―――イリコの脳裏に、何かが走った。

【……君は、どんな強さがほしい?いや……どうして、強くなりたいんだい?】

「……!!」
唐突にモミジに言われたことを思い出して、イリコは息を呑む。
(……私が強くなりたいのは、バトルが楽しいから)
でも。
強くなりたいと思える、そのきっかけをくれたのは。
(……私が欲しい、【強さ】は……)
「……イリコ?」
突然言葉を途切れさせたイリコの表情を、アオは心配そうに見つめた。
「あの男が、どうしたの?」
「……あの、アオさん」
イリコはとっさにアオの手を握り、真剣な表情で言った。
「私、アオさんにお願いしたいことがあるんです」
「……わたしに?」
突然表情が切り替わったイリコに、アオは驚いたような顔をしながらも、
「……いいわ」
と、すぐにうなずいた。
「あなたが無理を言わないのはわかってる。わたしに出来ることなら、協力するわ……言ってみて」
「ありがとうございます」
アオからの信頼が嬉しくて、イリコはまず先に礼を伝えた。
そして、自分もまた同じように、アオを信頼しているからこそ―――
「……私に、」
―――イリコは覚悟を決めて、言った。



「アオさんから、キルを取らせてください」
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