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イリコと『もみじ』

マサバが連絡してから、数十分後。
待ち合わせ場所に指定したバーガーショップに、アオがようやくやってきた。
今日の彼女の予定はあらかじめ聞いていたので、別に待たされたとは思わない。あんなことの後でなければ、マサバはきっとうきうきしながら彼女が来るのを待っていただろう。
アオはマサバの顔を見るなり、ただごとではない気配を感じ取ったらしい。彼女は険しい顔をして、
「待ってて」
と踵を返した。
「飲み物だけ買ってくるわ」
宣言通り、アオはさっさと注文を済ませ、ホットドリンクを片手に戻ってきた。
マサバは何だか申し訳なくなりながら、
「ごめんな、アオちゃん。パトロール帰りなのに……」
「構わないわ」
アオはクールに言いながら、マサバと向かい合うようにして席に着く。
「それで、何があったの?」
アオは怪訝そうに、マサバの顔を覗き込んだ。
「イリコがトラブルにあったとしか、聞いていないのだけれど……あなたも随分、落ち込んでいるように見えるわ」
「ん……実はね」
マサバは先ほどのボーイとのいざこざを、かいつまんでアオに説明した。アオはしばらく静かにマサバの話を聞いていたが、やがて顔をしかめた。
「……そんなことがあったの?」
「うん……」
マサバは肩を落として、うなずく。
アオは少し遠慮がちな表情で、
「……イリコは?姿が見えないけれど……」
「大分落ち込んでたから、ハチコーが気分転換に連れ出してくれとるよ」
マサバはアオを安心させるように言った。
「セイゴは、そのボーイの情報集めに行ってくれとる。ちょっと気になることあったから……」
セイゴの不機嫌そうな背中を思い出し、マサバは大きく溜め息を吐いた。
あとで絶対怒られるに違いない。あの幼なじみは、結構過保護なのだ。
「……そう」
アオは心配そうに呟いた。
マサバは表情を曇らせて、
「……ごめんね」
と、アオに謝った。
「おれがもうちょっと、しっかりイリコちゃん見とけば良かったんやけど……」
「あなたに責任はないでしょう」
アオは少し驚いた様子で言った。
「そもそも、そのボーイに声をかけたのは、イリコからだったんでしょう。すぐに立ち去らなかったのも、イリコの判断だわ」
「せやねんけど……」
マサバはテーブルに突っ伏すようにしながら、もごもごと言う。
「もうちょっとこう、強引に止めるとかすべきだったなって……」
「多分、あの子は引かなかったでしょうね」
アオは小さく肩をすくめてみせる。
「ああ見えて、結構頑固というか……何かに向かい合う時、引くことをしない子だから」
「それは、なんとなく……わかるけども」
クロトガに話しかけたイリコの様子は、いかにも真剣だった。あのとき彼の前から立ち去ることを、イリコはきっと良しとはしなかっただろう。
だからマサバも、強引に彼女を止めることができなかった。それが何だか、とても悪いことのような気がして、事の成り行きを見守ってしまったのだ。
「……でも……」
その結果を思い返し、マサバは後悔の色を滲ませながら、言った。
「やっぱりあのとき、俺が止めるべきだったなって……」
「……あなたって、」
アオが、小さく溜め息を吐いた。
「案外、わたしと似たところがあるのね……知らなかったわ」
「へ?」
アオの言葉に、マサバは思わず顔をあげる。
「ど、どゆこと?」
「責任の所在が自分にあると考えて、一人で抱え込むのはたやすいわ」
買ってきた紅茶を一口飲んでから、アオは続ける。
「でも、今回の件はどう考えても、あなただけに責任があるわけじゃないでしょう」
そう言って、アオは目を細めてみせる。
「あまり自分を責め過ぎると、自分で自分の首を絞めるだけよ」
「うぐ」
マサバは小さく唸った。ぐうの音も出ない。
アオは少しだけ微笑むと、また紅茶を一口飲んだ。
「……わたしも、イリコにそう言われたのよ」
「イリコちゃんに?」
「ええ」
アオは小さくうなずく。
「だから、私とあなたが似ていると言ったの。……自分を責めるところだけね」
「…………」
マサバは体を起こして、テーブルに頬杖をついた。
イリコは、他人をよく見ている。
間合いの取り方が上手いとでも言えばいいのだろうか。踏み込んではいけなさそうなことは深く聞かないし、ちゃんと空気を読んでくれる。マサバを弄るのだって、過度にやり過ぎたりはしなかった。
アオのこともそうだ。あまり表情が動かないうえに、何かと言葉足らずで、誤解されやすい彼女のことを、イリコはちゃんと見ている。時々マサバの気付いていないことですら、イリコは気が付いているようだった(悔しいけれど)。
三人でいるときも、アオとマサバの微妙な距離感を繋ぐかのように、いつも間に立ってくれている。イリコがそういう気遣いが出来る子だということは、マサバは短い付き合いながら気付いていた。
だからこそ、今日のイリコの、あのクロトガに対しての態度が、気がかりでしょうがない。
あそこで踏み込めば―――あの時引かなければ、クロトガが怒り出すに違いないということは、きっとイリコなら気が付いていたはずなのだ。
それなのに、どうしてあんな風に―――よりにもよって地雷っぽいところを踏んでまで―――話しかけにいったのか、マサバにはどうしてもわからない。
……いや。
実は薄々、気がついてはいる。
気がついてはいるのだが、それを結論とするにはまだ、色々と早すぎるような気もする。そもそも、何の確証もない話なのだ。
……確証はないのだが、マサバにはその『結論』に、妙な自信があった。
なんせ自分は―――『経験者』なのだから。
「……何をそんなに落ち込んでいるのか、わからないけれど」
マサバが黙り込んでいるのを、アオは引き続き、彼が落ち込んでいるものだと思ったらしい。
アオの気遣わしげな視線に、マサバは慌てて顔をあげた。
「喧嘩の仲裁ができなかったくらいで、あなたが凹むとは思えないのだけれど……」
アオはそう言って、心配そうに訊ねた。
「何かあったの?さっき話してくれたこと以外に」
「……えっと」
マサバはまたもや黙り込むしかなくなった。
アオは結構勘が良い。たまに物凄く鈍感だったりもするが(主に恋愛面で)、基本的に彼女は鋭いのだ。
下手な嘘や誤魔化しは通用しない。それどころか、見抜かれて信頼を失う可能性だってある。
そもそもマサバはアオに嘘をつきたくなかったし、誤魔化すのも嫌だった。
「……勘違いしないで」
マサバが困っているのに気が付いたのか、アオはいつもの口癖を言った。
「無理に話させたいわけじゃないわ。言いたくないなら、そう言って」
「……ごめん……」
アオに気を遣わせてしまったと、内心申し訳なくなる。彼女の前では出来るだけかっこつけていたいのだが、なかなかそうもいかないのが、マサバというボーイの性だった。
二人の会話が途切れたところで、不意にイカフォンが鳴った。マサバのものだ。
着信を確かめると、ハチからのメッセージだった。
「ハチコー、今からこっち来るって」
「イリコは?」
「ちょっと待ってね」
マサバは『イリコちゃんは?』とメッセージを送ってみる。わずかな間を置いて、ハチから
『一人になりたいそうです』
と返ってきた。
『どこいったかわかる?』
『カンブリアームズの試しうち場に行くと』
マサバはちょっと考えてから、
『わかった。ありがとう』
と返事をした。
「……一人になりたいって」
「そう……」
アオは軽く目を伏せた。彼女はしばらく黙ってから、
「……後で様子を見に行くわ」
マサバはうなずいてみせた。
「そうしたげて。今は試し撃ちんとこいるって」
「わかったわ。ありがとう」
ほどなくして、ハチが店の入り口に現れた。
彼はすぐにアオとマサバの姿を見つけて、嬉しそうに顔を輝かせた。けれど、すぐに何かを思い出したように慌ててカウンターへと向かい、注文を済ませる。
やがて彼もドリンクだけを持って、二人のいる席へとやってきた。
「お疲れサマデス、3号」
いそいそと労うハチに、アオは小さく微笑んだ。
「ありがとう。あなたも……お疲れさま。話は聞いたわ」
「イエ、ボクは……」
ハチはマサバの隣に座りながら、しょんぼりとうつむく。
「……何も出来マセンデシタ」
「イリコちゃん、相変わらず?」
マサバの問いかけに、ハチはこくんとうなずく。
「泣き止んデカラハ、何かをずっと考えテイルみたいデシタ……邪魔シナイようにシヨウと、思っテイタんデスガ」
ハチは、はふ、と小さく息をついてから、続ける。
「『一人にナリタイから試し撃ち場に行っテキテイイカナ』、と、言われマシテ……」
「……そっか。ありがとな、ハチコー」
マサバはハチの頭をわしゃわしゃと撫でる。ハチはくすぐったそうに首をすくめて、少しだけ笑った。
「試しうち場ならブキっちゃんもおるしな。イリコちゃんも危ないことはせぇへんやろ。……多分」
「……後で釘を刺しておくわ」
「うん……アオちゃんに言われた方が聞くと思う……」
「そうイエバ、4号」
ハチはマサバの手を自分の頭から離させながら訊ねた。
「どこまで話シタンデスカ?」
「経緯っちゅーか、とりあえずあったことだけ」
そう言って、マサバは姿勢を正す。
「ハチコーきたことだし、続き話そか」
「……まだ続きがあるの?」
不思議そうな表情を浮かべるアオに、マサバは大きくうなずいてみせる。
「イリコちゃんと話してたボーイ……『タコ』やった」
「……?」
アオは一瞬きょとんとして、
「それの何が……待って」
彼女の表情は、すぐに警戒の色に変わった。
「『タコ』の少年が、こちらに敵意をむき出しにしていたということ?」
マサバもハチもうなずいた。
アオは考えこむように胸の前で腕を組んでから、鋭い目つきでマサバを睨む。
「……どうしてそんな大事な情報を先に話さないの」
「ご、ごめん……」
マサバは思わず首をすくめてしまう。
「ハチコーおらん間に話してまうのも、タコの悪口みたいで嫌やってん……」
「4号は、ずっとイリコサンの心配シテマシタから」
ハチが慌ててフォローに入った。
「イリコサンのこと、先に話しタカッタんじゃナイデショウカ」
「……もう」
仕方ないわね、と言いたげに、アオは小さく溜め息を吐く。
「……他に、まだ話していないことはある?」
「彼、イカ嫌いを公言シテイルそうデス」
ハチはそう補足してから、重苦しい表情で、
「……ボクのことモ、『裏切リモノ』と」
「…………」
アオはきつく顔をしかめてから、
「……警戒が必要だわ」
と、マサバとハチにだけ聞こえるよう、小さな声で言った。
「アタリメ司令たちにも連絡しておきましょう。地上にわざわざ出てきたタコが、イカに『敵対』するような態度をとるなんて……何かの前触れとしか思えないわ」
「……彼は、『敵』ナンデショウカ?」
「そうとは限らんけど」
悲しそうに呟くハチに、マサバはちょっと困ったように笑ってみせる。
「おれたちは、『New!カラストンビ部隊』やからね」
マサバの言葉に、アオが真剣な表情でうなずく。
「ええ。わたしたちが、『ヒーロー』である以上……護るべきものを、護らないとね」
アオの言葉に、マサバは深くうなずき返す。
ハチはアオとマサバの顔を交互に見てから、同じようにうなずいてみせた。



***



床に振りまかれたインクが、少しずつ消えていく。
イカたちのインクは、ずっと残るものではない。
数分すれば、微生物とやらに分解されて、消えてしまうのだ。
「…………」
今日の出来事も、時間が経ったら、少しずつおぼろげになっていくんだろう。
今抱えている感情も、時間が経てば平気になってしまうのだろうか。
イリコは何となくそう思いながら、あれから何度目になるかわからない溜め息をついた。
「……はぁ……」
もみじシューターを抱え、ひたすら試し撃ち場の的を撃っていたけれど、こんなことで気分が晴れるわけがないのは、わかっていた。
ただ、何かをしていないと落ち着かなかったのだ。
今抱えている気持ちを整理したくても、クロトガからぶつけられた言葉や感情が、繰り返し繰り返し波のように押し寄せてきて、思考も気持ちも何もかもが、ひたすらにぐちゃぐちゃになってしまう。
(……私、どうしてあんなことしたんだろう)
マサバたちが来る直前。
クロトガに突き放されても、なおイリコは食い下がった。
カードだけでも受け取ってもらえないかな。
そう言ったイリコに対して、クロトガは目の前で、カードをびりびりに破ってみせたのだ。
話しかけんなっつったよな、ザコイカ女。
彼は苛立ちを隠さずに、イリコに向かってそう言った。
あそこまで拒絶されて。あそこまでバカにされて。あそこまで罵倒されて。
大事な先輩にも、仲良くなったばかりのひとたちにも、あんなに迷惑をかけたのに。
どうして、あんな目にあっても―――彼と友達になってみたいなんて。
どうして、そう思っている自分がいるんだろう。
涙で前がにじんで、イリコは乱暴に手の甲で目をこすった。
理由はわかっている。
わかっているからこそ、認めたくない。
認めたら、心がバラバラになってしまいそうだった。
(……アオさんは、)
また涙で視界が滲むのを感じながら、イリコは尊敬すべき師匠であり、大切な友人でもある、彼女のことを思った。
(……アオさんなら、こういうとき、どうするのかな)
彼女はきっと、優しいから。
自分が悪かったと、反省するのだろう。
イリコも反省はしていた。特に今日、マサバたちを巻き込んだことに関しては、大いに反省すべきだと思っているし、実際、あれから何度も謝っていた。
マサバとハチは気にしていないと言ってくれたし、実際彼らは本当に気にしていないようだった。けれど、どうもセイゴには呆れられてしまったような気がする。
彼は『イリコには』怒っていないと言っていた。あれは多分、嘘ではない。嘘ではないだけで、本心ではないのだろう。
でも、少なくともセイゴは、イリコのことを―――大切にしようとしてくれていた。
「…………」
ぽた、と、もみじシューターに涙が落ちて、イリコはまた慌てて目をこする。
どうにも涙もろくなっていけない。さっきまでずっと、泣きっぱなしだったせいもあるのだろう。
フクの裾でブキを拭いていると、また彼の声が、耳の奥で蘇ってきた。
『よりによってもみじシューターとかいうクソダセェブキで向かってきやがって……』
「……ごめんね」
じんわりと目の奥が熱くなるのを感じながら、イリコはもみじシューターに向かって、小さな声で呟いた。
「あんな風に言わせちゃって、ごめんね。私のウデマエが、イカしてないから……」
ぽたぽたと、また目から涙が溢れてくる。
今度は、止めようとしても止まらない。
ぐず、と鼻を鳴らしながら、イリコはぎゅっともみじシューターを抱きしめた。
「私が、もっともっと上手かったら……もっともっと、バトルが強かったら……」

自分は、間違ったことは言っていない。
でも。
自分は、間違ったことをしたんだろうか。

あのとき、彼に声をかけなければ。
あのとき、彼にカードを渡そうとしなければ。
あのとき、マサバの言うとおりにしていれば。

こんな気持ちには、ならなかったんだろうか。

自分が、もっと強かったら。
自分が、もっと優秀だったら。
自分に、もっと才能があれば―――。

「絶対、絶対、あんなこと、言わせなかったのに……」
「じゃあ、強くなるしかないね」
「?!」
―――もみじシューターが、喋った。
一瞬そう錯覚しそうになったが、もちろんそんなわけはない。
聞き慣れない声に、イリコが慌てて振り向くと、いつの間にか……背後に、知らない青年が立っていた。
「急に話しかけちゃってごめんね」
淡いピンクの瞳に、見慣れないヘアスタイルのゲソ。
柔らかい声色で話しかけてきながら、穏やかに微笑む青年に、イリコは思わずぱちぱちとまばたきしてしまう。
「え、と……?」
絶対知り合いではないはずだ。
聞いたことのない声だし、見たことのない顔だし。
まさかまたバトルで一緒になったとかだろうかと思いつつ、イリコは恐る恐る訊ねた。
「すみません、どちらさまでしょうか……?」
「僕かい?」
彼はちょっと考えるように首を傾げてから、
「……もみじシューターの妖精?」
「……へ?」
「なんちゃって」
見知らぬ青年は、そう言って、お茶目っぽく微笑んだ。
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