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イリコとアオ


『イリコ、これだけは覚えておいてね』
イリコにわかばTとわかばシューターを渡しながら、姉は言った。
『ナワバリバトルは……』
「……塗らなきゃ勝てない」
姉の教えを、口の中で繰り返す。
生まれて初めて立つ、バトルのステージ。
隣で知らないブキを構える、知らないイカたち。
デボン海洋博物館―――
ここが、イリコにとって初めてのバトルの場、そして……



初めての、勝利を得る場となった。





……これは、とあるイカたちと、イカではない者たちのお話。
イカした『日常』と、見タコのとない『非日常』の―――戦いの物語である。





***



勝っては負けて、負けては勝って。負けて負けて負けて、時々勝って……。
蓋を開けてみれば、20勝30敗。
「う、うう~ん……」
今日始めたばっかりの初心者にしては、なかなかいい成績なんじゃなイカ?などと思ってみたりする。
ハイカラスクエアの中心から少し外れたところにある、ファストフード店。夜の8時頃ともなれば、訪れる客は少ない。そんなわけで、そのイカガールは、人目をはばかることなく大きな口を開け、ハンバーガーにかぶりついた。
イカガールの名前はイリコ。
ナワバリバトルに今日デビューしたばかりの、正真正銘の初心者である。
デビューしたばかりといっても、昼にこの街に訪れてから、いったい何度バトルをしたのか……イリコはもう、とっくに数えてはいなかった。バトルに夢中になるうちに、次の試合、次の試合と、ひたすら参加し続けていたからだ。
戦績を記録してくれるアプリ『イカリング2』が表示してくれるのも、あくまで最新50戦のバトル結果なので、総バトル数はわからない。
何はともあれ、今日は一日よく頑張ったなぁと、イリコは内心、自分で自分を褒めていた。
ランクもいくらか上がったことだし、明日は新しいブキやフクを見に行くのもいいかもしれない。ギアパワーとかはまだよくわからないけど、ファッションにはこだわりたいし、何よりダサい格好のままは恥ずかしい。おカネもそこそこあることだし、アタマからクツまで、一式揃えようかな―――と。
イリコがそんなことを、考えていたときだった。
「美味しそうね」
不意に、近くに誰かがやってきて、イリコにそう声をかけた。
えっ、と驚きながら、イリコは思わず顔をあげる。
そこにいたのは―――青い瞳をした、美少女だった。
目の上でぱっつりとカットされた前髪に、ストレートのセミロングヘア。イカした黒いフクのギアが、透き通るように白い肌の色を引き立たせている。
彼女は深い海のような色をした瞳で、じっとイリコを見つめると、
「相席、いいかしら」
と、涼やかな声音で訊ねてきた。
「え。あ、は、はい……どうぞ……」
イリコは一瞬戸惑ったが、断る理由もない。
自分の正面にある空席を勧めると、「ありがとう」と彼女は言って、イリコと向かい合うようにして座った。
「え、えっと……」
イリコは引き続き戸惑いながら、なんと言うべきか迷った。
……そもそも、誰だろうこのイカ。
ひょっとして、有名人とか何かなのだろうか。自慢じゃないが、芸能人とかアイドルには、全然詳しくない。義務教育終わってから、ずっとバイトしてたし。
イリコがそんなことを考えながら、食べかけのポテトをつまんだまま悩んでいると、目の前の美少女は、
「……食べないの?」
と、不思議そうに問いかけてきた。
「あ、え、えーと」
「……わたしも、何か注文してくるべきだったかしら」
「え?」
言われてみれば、彼女は手ぶらだった。それに、店の中は空いている。座ろうと思えば、どこにだって座れるはずだ。
けれど彼女は、イリコに相席を申し出てきたのである。
(……てことは、私に用事があるんだろうけど)
そもそもこのイカのことを、自分は知らない。いや、知らないはずだが、どうだろう。もしかして今日のバトルで、一緒にバトルしてたとか?
「……ごめんなさい」
と、不意に謎の美少女イカが立ち上がった。
「わたしも何か頼んでくるわ。あなたはまだ、この店にいる?」
「えっ。あ、はい……そのつもりではいますが……」
イリコがそう言ってうなずくと、美少女イカは少し安心したような表情で、「そう」と言った。
「それじゃあ、ちょっと買ってくるから……」
「あ、あの」
カウンターに行こうとした美少女イカを、イリコは思わず引き止める。
「……何かしら」
彼女も、引き止められるとは思っていなかったらしい。驚いたような顔をして振り返る美少女イカに、イリコは真面目な顔をして言った。
「……今売ってる期間限定バーガー、良かったら食べてみてください」
「……え?」
「絶対美味しいので。保証します」
ぐっと握りこぶしを作ってみせるイリコに、美少女イカはしばらくきょとんとしていたが―――。
やがて彼女は、ふっと柔らかく微笑んだ。
「……試してみるわ」
そう言って彼女は踵を返し、カウンターに向かっていった。
イリコは彼女の背中を眺めながら、冷めたポテトをつつく。
そして、あらためて考えた。
あのイカは、いったい誰なんだろう、と。



***



「……美味しいわ」
「美味しいですよね!」
よかった、とイリコは謎の美少女イカに向かって微笑みかけた。彼女はイリコがおすすめした通り、期間限定バーガーのセットを購入し、今まさにイリコの目の前でかぶりついていた。
美人は何を食べていても絵になるから、ちょっと羨ましい。
彼女がバーガーを食べ終えるまで、イリコはとりあえず待つことにした。
「……そういえば」
と。
ハンバーガーを胃に収め終えたらしい美少女イカが、紙ナプキンで口元を拭ってから言った。
「名乗り損ねていたわね。急に相席を申し込んで、ごめんなさい」
「あ、いえいえ……」
イリコが聞く前に話し出してくれたので、正直ちょっとほっとする。もし、実は顔見知りだったなんて言われたら、物凄く気まずいし。
「わたしの名前はアオ」
美少女イカは、イリコに向かってそう名乗った。
「今日のレギュラーマッチで、あなたと何度かマッチングしているのだけれど……」
「…………」
イリコは何とか思い出そうとした。
……が。
「……その様子だと、覚えていなさそうね」
「す、すみません……!」
「構わないわ」
アオは淡々と言う。
「味方になれたのは一度だけだったし……その後はすぐに、スケジュール変更で解散してしまったしね」
「え、ええと……」
アオのように印象的な美人であれば、覚えていても良さそうなものだが、イリコはどうしてもぴんとこなかった。正直バトル中は色々必死過ぎて、いちいち味方や敵の容姿を気にしていられない。
けれどアオは本当に気にしていないようで、相変わらず淡々とした口調で話を続ける。
「あなたとバトルしたのは、ホッケふ頭だったかしら。シャープマーカーネオを使っていたのだけれど……」
「……すみません、どんなブキですか?」
ブキ名を言われてすぐに分かるほど、イリコにはまだまだ知識がなかった。
アオはちょっと目を瞬かせてから、すぐに傍に置いていたブキケースを引き寄せ、中から均整の取れたかたちのブキを取り出してみせる。
「これよ」
鋭い先端に、メーターのような機械がついた、シューター種のブキ。
それを見て、イリコの脳裏に、ふっと一枚絵のような記憶がよぎる。
―――夕日に照らされたホッケふ頭。コンテナのうえを軽快に飛び回りながら、インクを撒き散らす一人のイカガール。とにかく弾速の早いブキで、あっという間にイリコは倒されてしまった―――。
「……あっ」
イリコはそこで、その時のスコアを思い出した。
「……あの、15キルとか取ってたうえで、1000ptくらい塗ってた方ですか?」
「よく見ているわね」
アオがちょっと感心したように言った。
「そうよ。わたし、16キルとった試合で、あなたに塗られて負けたわ」
そう言われて、イリコは反応に困ってしまう。嫌味や恨み言の類いとして言われていれば、やり返しようもあるのだが、アオの言葉はどこまでも淡々としていて、さっぱりしている。要は事実を述べているだけであって、恐らくはイリコのウデマエに感心している―――のかもしれない。
そもそも彼女は、そんなことをいちいち根に持つようなタイプには見えないし。
「勘違いしないで」
涼やかな声で、アオは言った。
「負けたことへの恨み言を言いに来たわけじゃないわ。初心者なのに、随分塗りへの意識が高いから、感心しただけ」
アオの口調は、相変わらず淡々としていたが、少しだけ柔らかさが加わった―――ような気がした。
きっと、元々こういう話し方をするひとなんだろうな、と、イリコはひとりで勝手に納得する。
「たまに上級者が初心者の振りをして混じっていることがあるけれど、あなたはそうではないみたいだし……誰かにバトルを教わってきたの?」
「あ、いえ、あの、」
急に話を振られ、イリコは戸惑いながらも、首を左右に振った。
「いえ、教わったっていうほどじゃないっていうか……お姉ちゃんの話を聞いたり、好きな選手の動画を見るばっかりで……」
「そう……」
アオは軽く目を伏せると、「なるほどね」と、小さく呟いた。
イリコはなんとなく、首を傾げてしまう。
そんなに感心されるようなウデマエのつもりはなかったが、上手いひとから見たら何か光るようなものでもあったのだろうか。
ボムの投げ方もスペシャルの使いどころもよくわからずに、とにかく塗ることばかりしていたのだけれど。
「……いつまでも話をしていると長くなりそうだから、単刀直入に言うわ」
そう言って、アオはあらためてイリコに視線を向けた。
「わたし―――あなたともう一度、戦ってみたいの」
突然アオの言葉に、視線に、イリコの心臓が、どきりと高鳴った。ぎゅっと締め付けられるような感覚に、思わず身が竦む。
……生まれて初めて味わう、感覚だった。
「勘違いしないで」
彼女はまた、淡々とした口調で言った。
「負けたことへの報復とか、腹いせとか、そういうのではないわ……そんな、どうでもいいことじゃない」
アオの声と視線には、真剣なものがあった。
自分を真っ直ぐ見つめるアオを、イリコは、どきどきしながら見つめ返していた。
「わたし、あなたの可能性を……あなたに感じた直感を、確かめてみたいの。もう一度戦えたら、それがわかる気がして……」
「…………」
「……ごめんなさい」
アオは突然話を区切ると、呟くようにそう言って、そっと目を伏せた。
「抽象的な、とりとめの無い話だということは、わかっているつもりなの。わたし、あまり話が上手くなくて……だから、今話していることも、上手く言えていないと思うけれど……」
アオの青い瞳が、ゆらゆらと揺れる。深い色をした海の、波のはざまみたいだと、イリコは思った。
「あなたと戦ったとき、わたし、自分のなかで、何かを感じて……それを確かめてみたくて仕方なくて……でも……」
アオはまた言葉を途切れさせると、いったん口をつぐむ。
「……ごめんなさい」
少しして、アオはうつむきながら、小さな声でまた言った。
「急にこんなことを言われても、困るわよね……」
「……ええと」
イリコはひとつ、呼吸を整える。
アオの話は、なんとなくわかった、ような気がする。彼女の感じた何かについては、全くわからないけれど。
でも、少なくとも彼女は、とても真剣にイリコに話をしてくれているように見えた。
それなら―――自分も、真剣に応えよう。
イリコはそう思って、少しだけ背筋を伸ばした。
「……私も、うまく言えないかもしれませんが」
ひとつ前置きをして、イリコは言った。
「私……私も、アオ―――さんと、もう一度戦ってみたいです」
イリコの返答に、アオは驚いたように顔をあげる。
「私、ナワバリバトルは今日始めたばっかりの、本当に初心者なんです」
イリコは大真面目に言った。
「私、もっともっと強くなりたい。だから、アオさんみたいな強い方と戦えたら、きっと、すごく勉強になると思うんです」
「…………」
アオは呆気にとられたような表情で、イリコを見つめている。
イリコは真剣な眼差しで、アオを見つめ返した。
「だから、私からもお願いします。ぜひ、私と戦ってください。アオさんさえ良ければ」
そう言って、イリコはアオに向かって、頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「…………」
アオはしばらく黙ってから、やがて「……顔を上げてくれる?」と、控えめな声で言った。
イリコが顔を上げると―――アオは、小さく微笑んでいた。
「……ありがとう」
アオはイリコに向かって、穏やかに礼を言った。
「逆にお願いされるなんて、思ってもみなかったわ……でも、そうね。きっとあなたが言う通り、あなたにとっても、悪い話じゃないのでしょう」
一人で納得したように頷いてから、アオはふと思い出したように、真面目な顔をする。
「それじゃあ……先にひとつ、聞いていいかしら」
「あっ、はい!」
イリコは慌てて頷いた。
「なんでしょうか、アオさん」
「……あなたの名前を、教えてほしいの」
そう言われて、イリコは自分がまだ名乗っていないことに、ようやく気がついた。
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