このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

短編

 その年はいわゆる『冷夏』というやつで、冷房が要らないどころか、薄い上着がないと肌寒いくらいには酷く涼しい夏だった。
 毎年のうだるような暑さが嘘かのように七月、八月が過ぎていく。
 テレビでは異常気象だなんだと騒がれているようだったが、農家でも気象予報士でもない自分には関係がない。
 それどころか、涼しいから過ごしやすくていいな、と思っているくらいだった。
 自炊しないから野菜も買わないし、特段生活に影響はない。
 強いて言うなら、クーラーを使わないので、去年より電気代がちょっと安かった。
 変わったことといえばそれくらいだった。

 けれど、ある日。

 九月になってから、ようやくというべきかなんなのか、やけに暑い日があった。
 カンカン照りという言葉がぴったりの太陽が、晴れ晴れしく青空に居座り煌々と地上を照らしている。
 暑いなぁ、と思った。
 そのときはそれだけだった。クーラーも付けた。
 そうして何も変わらないはずだった。

 翌日、太陽がまた大人しさを取り戻した日のこと。

 どこからか、蝉の鳴き声が聞こえてきた。
 もう九月にもなるというのに、涼しい風のなか、どこからかあの耳障りで特徴的な声がするのだ。
 いったいどこからその声がするのだろうと不思議に思っていると、通りすがりの親子がこんな会話をしているのが聞こえた。

「蝉鳴いてる、もう九月なのにね」
「昨日あったかかったからなぁ、勘違いして出てきちゃったんだろ」

 ―――そうだ。
 あの蝉は、きっと昨日の温かさのせいで、今日が夏だと勘違いして出てきてしまったのだ。
 もう他に鳴いている蝉はいないのに。
 周りのどこにも、仲間なんていないのに。
「…………」
 あの蝉は、8日を過ぎたら死ぬのだろう。
 きっとどこかにぽとりと落ちて、ひと知れず死んでいくのだろう。
 ひとりとはそういうものだ。
 孤独とはそういうものだ。
「…………」
 わたしも、同じなのかもしれないなと思った。
2/2ページ