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Good boy Good bye

どうしておれだけおいていったの。
どうしておれをつれていってくれなかったの。
いっしょに。いっしょに。いっしょにいようって。
やくそく。やくそくしたんだ。
なのに、どうして。



『おいていかないで』の一言が、声にならない。



「………………」
目を覚ますと、何だかとても温かかった。
見慣れない柔らかな壁を、寝ぼけた頭が判別しようとする。
なんだっけこれ。誰だっけ?
そう考えて、ようやく気付く―――隣でサジータが眠っていた。しかも、りんご自身が抱きつく形で。
一瞬頭が混乱してから、昨夜のことをぼんやりとだが思い出す。
夕飯を食べたあと、妙に高そうなワインを一本空けてやったあとの記憶がない。
あのまま寝てしまったのだとしても、どうしてこの男と、しかも同じベッドで。
……一応身体を探ってみたが、フクは着たままだったし、脱がされた形跡もなかった。
(……紳士かよ……)
腹が立つ。無性に、腹が立つ。
どうしても、こいつに一泡吹かせてやりたい。泣かせてやりたい。めちゃくちゃにしてやりたい。
この善人面をひっぺはがして本性を引きずり出して、ぐちゃぐちゃに踏み潰してから嘲笑ってやれば、ようやく自分の胸にうずまく感情に、答えが出そうな気がする。
「…………」
りんごはサジータを起こさないように、そっとベッドから出ることにした。



***



まだ朝になりたての時間帯。
寝坊しがちなインクリングの姿は、街ではほとんど見られない。
たまに奇特なやつがクマさん商会のバイトに向かっていたりはするが、それ以外はほとんどがぷよぷよと揺れるクラゲたちか、それ以外の種族だ。
りんごは欠伸を噛み殺しながら、薄汚い路地裏へと向かう。
ただでさえごみごみとした街並みのなかにあるその場所は、形ばかりの収集場に黒いゴミ袋が重なっている。
(……ここだ)
ここで、自分は確かに死にかけていた。
そして、恐らくあのまま死ぬはずだった。
それなのに。
……背後から、誰かの気配がした。
「……こんなところでデートのお誘いなんて、随分熱心だね~?」
後ろを振り返らないまま、りんごは軽い口調でうそぶいた。
「やぁだも~、生憎カレピがいるんだにゃあ」
それ以上に軽い、つかみ所の無い口調。
「浮気だと誤解されると困るんよ~、全然そういうんじゃないってばよさ」
りんごはゆっくりと後ろに視線を向け、そのイカガールの姿を視界に捉えた。
「何の用?」
真っ赤なゲソが目を引くそのガールは、油断ならない笑顔でにっこりと笑う。
「君の知りたいことを教えに」
イカガールが一歩前に出る。りんごは一歩後ろに下がる。
「君のお友達だかなんだか知らないけど、うちの情報網舐めないで欲しいにゃ~。どんなに慎重にやったって、ちっちゃいちっちゃい網目ってのは通れないもんでしょ?いずれは引っかかっちゃうのよん」
りんごはうっすらと浮かべていた笑みを消し、目の前のガールを睨んだ。
「……やつでに何した?」
「な~んにもしてないよん」
イカガールはぺろりと舌を出す。けれど、りんごの警戒は解けない。
彼女は肩をすくめると、
「ほんとだってばさ……後で連絡取ってごらん。多分、何もわからなかった的な返事があると思うよ」
「…………」
「誰かに気付かれて誰かに何かされる前に、誤魔化して誤魔化して煙に巻いといてあげたの、わたしが。だから、君周りのお友達に何か害がいくことはないよ」
こっちにも特に害はなかったしね、と彼女は言う。
りんごはしばらくイカガールを見つめてから、小さく溜め息を吐いた。
「……ま、この場で嘘つくメリットがないもんね」
「そゆことそゆこと」
「で……」
りんごは落書きされた壁に寄りかかり、ポケットに手を突っ込む。
「急に俺のこと呼び出しといて、何が狙いなわけ?ラキアちゃん」
「別に~。正直に言ったっていいけどさぁ」
ラキアは唇を尖らせて、肩をすくめてみせる。
「信頼がない以上信用しないでしょう、君みたいなタイプのインクリングは。まあ、信用したところで信頼するかはまた別の話だけどさ」
「……随分かったるいしゃべり方するけどさぁ、それって『社長』とかいう奴のパクリ?」
「んあ?ああ、会っちゃったの、あのひとに。気にしないで、こういう喋り方が好きなだけだよ」
ラキアはそう言ってから、小脇に抱えていた封筒をりんごに見せた。
りんごが怪訝そうな顔をするのも構わずに、ラキアはへらりと笑ってみせる。
「わたしはただ、君がお友達に調べさせてまで欲しがってた情報を渡しに来ただけ。それを得た君がどうするかについては、まあ、後で確かめることにするよ」
「………………」
「ここに置くね」
ラキアは薄汚れたコンクリートの地面に封筒を置くと、何歩か後ろに下がった―――りんごがポケットに仕込んでいるナイフの間合いから、ちょうど離れたぐらいの距離だ。
りんごは一つ舌打ちをしてから、置かれた封筒を拾い上げた。
注意深く中身を確かめる。
その内容は―――正しく、自分が探そうとしていた情報だった。
「……あんた、サジータの妹じゃないのかよ」
封筒を脇に抱えたまま、りんごはラキアに向かって眉をしかめた。
「こんなもん、俺なんかに渡していいわけ?」
「だってそれを見てどうするかは君が決めることだし、君が決めたことにどうするかはサジータが決めることでしょう?」
ラキアはそう言ってまた肩をすくめてみせる。
「そのこと自体に首を突っ込むつもりはないけれど、赤の他人に大事な兄貴の情報を根掘り葉掘りされるのが嫌だっただけだよ。だから、こうして直接君に渡しに来たの」
「……俺も赤の他人なんですけど?」
「は、じゃあ君は例外ってことにしておこうか」
ラキアはそう言って軽く笑うと、おもむろにイカの姿になり、
「んじゃ、この後お仕事あるから、私はここらでばいばいするね。あ、それとその封筒と情報、どっかに捨てても売ってもいいけど、全部もみ消すからそこんとこヨロシコ」
「怖……」
「ああ、それと」
スーパージャンプの体勢を取りながら、ラキアはにっと笑った。
「おサジはチーズダメだよ。ていうか匂いのきついの食べれないからキムチとかもオススメ」
「……そりゃどーもぉ」
りんごの呆れたような返事にまた笑ってから、ラキアは勢いよくどこかへと飛んでいった。
りんごはそれを見送ってから、渡された封筒をもう一度開き、中身を確かめる。
そこには、サジータ・リウスの個人情報が、嫌というほど詳しく書かれていた。



***



夕暮れどきになっても、りんごは帰ってこなかった。
昼のうちまでは晴れていた空模様が突然曇り出し、ぽつぽつと雨が窓を叩き始める。
つい二人分作ってしまった料理のうち、一人分にラップをかけながら、サジータは小さく溜め息を吐く。
(……あいつ、傘持っていったかな……)
りんごはもう、帰ってこないかもしれない―――いや。
多分、もう戻ってはこないのだろう。
そもそも、ここは彼の家でもなんでもない。
自分はただ、はぐれイカを保護しただけで、彼はいつだってここから立ち去って良かったのだ。
そこに、サジータの思考と感情は関係ない。
彼にとっては、どこまでも関係がない。
……関係がないのなんて、当たり前だ。

がちゃ

と。玄関から聞こえた音が、不意に思考を遮った。
「びっくりした~、急に雨降ってくんだもん」
そう言って現れた彼の姿は、わずかにだが濡れている。
「ね~お腹すいた、なんかない?」
「り、りんご……」
動揺しているサジータに向かって、りんごは「何?」とどうでも良さそうな視線を向けてきた。
「あ、ああ。いや……」
戻ってこないと思った。
そう言いかけた言葉を飲み込んで、サジータは台所を示す。
「お前の分も作っておいたけど……」
「唐揚げ?へえ~いいじゃん、後でもらおっかなー」
りんごの軽い口調に、何故だか何となく違和感を覚える。
サジータがその違和感の正体を確かめようとする前に、りんごは不意にサジータの腕を引っ張った。
「ねえ~、サジータくん」
「……?」
りんごは意地悪い笑みを浮かべて、強引にサジータをベッドの方へと連れて行く。
「?りんご、一体何……っわ!」
りんごはサジータをベッドに突き飛ばすと、バランスを崩した隙を狙って、強引に押し倒してきた。
「お、おい、待て待て待て……」
急なことにサジータが慌てていると、りんごがおもむろに、光る何かをポケットから取り出した。
それは―――
「聞きたいことがあるんだけどさ~」
乱暴に、ナイフがサジータの顔の横に突き立てられる。
「レオーネって名前に、心当たりある?」
「 」
「その子さぁ」




「あそこのゴミ捨て場で死んでたんだって?」
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