🏹🍎SSまとめ
「ねえ、」
あちこち乱れた姿のまま、りんごはサジータに覆い被さるようにして言った。
「海行きたい」
「……海?」
時刻は早朝の4時。
昨日の夜はいつものように絡み合って、キスをして、身体を繋げ合っていた。ので、この時間は、お互いまだ寝ていてもおかしくないのだが。
「今から?」
「今から……」
りんごはまるで拗ねた子供のように唇を尖らせながら言った。
こういう時の顔をする彼は、大体通っても通らなくてもいい我儘を言いたがる。
サジータがそれを許容しなかったことは、ほとんど無いけれど。
「シャワー浴びてから服着て」
最中にりんごが脱ぎ散らかした服を畳んで渡してやりながら、サジータは言った。
「あ、あったかい格好しろよ。こないだ買ってやったマフラー持ってきてただろ?」
「…………」
りんごは何も言わずに、もそもそとシャワーを浴びに向かう。
サジータはちょっと考えてから、
「朝飯は?」
とその背中に問い掛ける。
「……要らない……」
りんごの答えに、サジータは「分かった」とだけ返した。
身嗜みを整えて、防寒着を着込む。
りんごは素直にサジータの言うことを聞いて、耳当てとマフラーをしっかり身につけていた。
「じゃあ、行こうか」
当たり前みたいに車を出そうとするサジータに、りんごはふと気になって訊ねる。
「……仕事は?」
「休むって連絡入れといた」
そう言ってから、サジータはふと気がついたように、
「お前は大丈夫なのか?」
「知らない……」
りんごの返答に、サジータはそれ以上何も聞かなかった。
朝4時の道路は、ほとんど誰もいなかった。
お互い何も言わずに車に乗り込み、お互い何も言わずにサジータは車を走らせ、りんごは窓の外を見ていた。
(そういえば、こいつ海嫌いなんじゃなかったっけ)
車のウィンドウに額を押し当てながら、りんごはぼんやりそう思った。
何でかは知らない。聞いた覚えがない。
聞いたなら多分覚えているはずだ。サジータの話は、いつも大体覚えている。
(……くだらね)
海に着くまで、りんごは少しだけ眠ることにした。
目を伏せて暫くすると、車が止まる気配がした。
「着いたぞ」
サジータの声に薄ら目を開き、軽く身動ぎする。
窓の外から港が見えた。浜辺も。
「……このままアクセル踏んで海に車突っ込んだりしない?」
「しーなーい」
サジータは子供をあやすような口調でそう言ってから、「降りるか?」とりんごに確かめた。
りんごは黙ってシートベルトを外す。
サジータもそれを見て、車のキーを外した。
ドアを開けて外に出ると、潮風の匂いがした。
浜辺の方にふらふら行こうとすると、慌てたようにサジータが追いかけてくる。
「りんご、待て待て」
りんごはちらっとサジータを振り返ってから、そのまま浜辺へと歩いて行った。
サジータが急いで追いかけてくる姿は、ちょっとだけ好きと思ってもいい気がした。
「ねえ」
追い付いてきたサジータと並んで歩きながら、りんごは言った。
「海に溶ける時って苦しいのかな」
「さあな」
サジータの答えはあっさりしたものだった。
「試したことないからな」
「ふぅん……」
堤防の階段を降りて、浜辺に着く。
冬の海はどことなく暗い、ような気がする。
日の出はまだ見えない。空には星が瞬いている。
空はこれから、白み始めるのだろう。
死ぬには良い景色な気がした。
「……待て待て待て!!!りんご!!!!!」
突然強い力で引き戻されて、りんごは不服そうな顔で振り返った。
「なに……」
「何じゃない!!何してる!?」
焦ったような表情のサジータは珍しい。
りんごはちょっとだけ気分が良くなったが、強く掴まれた腕が痛かったので、面白くなさそうな顔をしてみせる。
「足ちょっと浸けるだけ……」
「ダメだって!!海水だぞ!?」
「いいじゃん、別に」
りんごはサジータの手を無理やり振り払った。
「俺が死んだって、お前の生活なんか何にも変わんないじゃん」
「…………」
サジータは一瞬ぽかんとしてから、強く眉を顰めて言った。
「本当にそう思うか?」
「…………」
思わない。
思っているわけがない。
ただ、それが何だか、無性に腹立たしいのだ。
この男の人生に、自分という存在が食い込んでいる自信はある。
でも、きっと
死んだ彼の幼馴染や、病に冒された彼女のように。
「……ねえ」
りんごは―――逃げることにした。
いつものように。これまでのように。
何から逃げたかったのかも忘れて、全部全部、放り出すことにした。
「お腹空いた」
いつものように我儘を言えば、サジータはちょっと驚いたような顔をしてから、仕方なさそうに溜め息を吐いて、
「……何食べたい?」
「焼肉……」
適当に高そうなものを言う。
本当はそんなものが食べたいわけじゃない。でも、彼の手作りの料理が食べたいと、認める訳にはいかなかった。
「外食してくか?」
「なんか高いやつ買って焼いて。いっぱい」
「分かった分かった」
じゃあ帰りに買い物してこう、と言うサジータに、りんごはとりあえず頷く。
何でも良かった。今はとりあえず、何でも良かった。
「帰ろう。りんご」
「……ん」
サジータから差し出される手を繋ぐ。
手を引かれる感覚が心地良いとは認めたくなかったけれど、今だけはその我儘を自分に許していい気がしていた。
(……ねえ、サジータ)
俺と一緒に死んでって言ったら、
お前は頷いてくれるの。
……なんて。
(……馬鹿なこと、聞かなくて良かった)
目の前の男が、そんなことするはずないだろと、笑ってくれる奴なら良かったのに。
「ねえ〜サジータ」
「ん?」
どうした、と優しい声で聞くサジータの腕に、りんごは少し強くしがみついた。
「……俺みたいなセフレに構ってないでさあ、早くマトモな彼氏とかなんか見つけなよ……」
「……なんだそれ」
そう言って笑う彼の笑顔に、りんごは何故か、無性に安心したのだった。