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Good boy Good bye

雨が降っている。
『……レオーネ……』
雨が降っている。
『……レオーネ……なんで……』
自分と彼女に、冷たい雨が降っている。
一緒に帰ろう、レオーネ。ラキアが待ってる。迎えにきたんだ、早く帰ろう。今日は弁当を拾ったんだ。だから三人で食べれるよ。一緒に帰ろう、レオーネ。ラキアが待ってる。迎えにきたんだ、早く帰ろう。今日は弁当を拾ったんだ。だから三人で食べれるよ。一緒に帰ろう、レオーネ。ラキアが待ってる。迎えにきたんだ、早く帰ろう。今日は弁当を拾ったんだ。一緒に帰ろう、レオーネ。ラキアが待ってる。迎えにきたんだ、早く帰ろう。今日は弁当を拾ったんだ。だから……。



どうして彼女は返事をしないのだろう。
サジータが答えを確かめる前に、脇腹に、強い痛みが走った。



***



雨が降っている。
「…………」
外からの雨音に目を覚まして、りんごは眠い目をこすりながら寝返りを打った。
まだ見慣れない天井と、薄暗い部屋。
昨日までの経緯をぼんやりと思い出しながら、今日はやけに部屋が静かなことに気が付く。
よく見ると―――あのサジータが、テーブルの上に突っ伏していた。
りんごはちょっと驚きつつも、ベッドから起き上がり、恐る恐る様子を窺ってみる。
どうやら眠っているらしい……が。
気になったのはそれよりも、彼が突っ伏しているテーブルの上にあるものだった。
よく分からない機械のパーツや工具、それから―――りんごのイカフォン。
りんごはサジータを起こさないよう、そっとそれを取り上げてみた。
電源は入るし、動作もする。変なアプリなどを入れられている様子もない。
ちゃんと、直っている。
恐らくはきっと、彼が夜通し修理してくれたのだ。
「…………」
―――どうして。
どうしてこの男は、自分に対して、こんなに親切にするのだろう。
りんごはただ、ゴミ捨て場で死にかけていただけだ。知人でもなんでもない。恩を売った記憶もない。かといって下心があるようにも見えない。りんごが疑っていた、裏の目的があるようにも思えない。
目の前の青年が、自分のイカフォンを夜通し直す理由なんて、何一つ見当たらない。
それなのに。
「……う、」
サジータが小さく身じろぎし、りんごは思わずどきりとしてしまう。
だが、サジータは目を覚ましたわけではないようだった。
彼は苦しそうに呻くと、小さく、だがはっきりと寝言らしきものをこぼした。
「……どうして……」
「…………」

―――そんなの、俺が聞きたい。

自分の中に湧き上がってきた感情の正体が何なのかもわからないまま、りんごは思いっきり、サジータの脇腹を蹴飛ばした。



***



「りんご、知ってるか?インクリングの脇腹って急所なんだぞ」
「サジータくん知ってる~?インクリングの脇腹って急所なんだよ♡」
本日の朝食は、トーストにベーコンエッグ、コーンスープ、それからちょっとしたサラダ付き。
嫌味とも言えないような皮肉に、可愛い子ぶって返答するりんごに、サジータは諦めたように溜め息を吐いた。
「まあいいけどな……昨夜はよく眠れたか?」
「そっちこそ随分安らかそ~に寝てましたけど~?」
りんごにそう言われ、サジータは目をしばたたかせた。
「……なんか怒ってないか?」
「は?気のせいじゃない?」
不機嫌を押し隠そうともせずに、りんごはバターを塗ったトーストをかじる。
いったい何が不満なのか。まさか本当に添い寝してほしかったわけでもないだろうに。
サジータが彼の考えを推し量りかねていると、りんごは「ねえ」とサジータの足を蹴ってきた。
「ん、なんだ?」
「今日はオシゴト行かなくていいわけ~?随分のんびりだけど」
「あー……休みだよ」
そう答えつつ、サジータは昨日の社長とのやりとりを思い出す。
『しばらく有給扱いにしておくね』
『え、いや仕事……』
『君無しでも回るようにはしてあるんだろう?』
『それはそうですが』
『客人を放っておいてはいけないよ』
「…………」
社長にそう言われてはどうしようもない。別に荒らされてもいい部屋なので、サジータとしては昨日言った通り、りんごの好きにしていていいと思っているのだが。
……というか、正直。
彼と長く一緒に居すぎるのは、自分にとって、あまり良くないような気がする。
あんな夢を、見るくらいなのだから。
「ねえ」
「……ん?」
二度目の呼びかけに、サジータは再び顔をあげる。
りんごは軽く首をかしげながら、
「暇ならどっか連れてってよ」
思いがけない言葉に、サジータは少し戸惑った。
「どっかって……」
「どこでもいーけど~……つまんないとこはヤダ」
テーブルに頬杖をついて、りんごはにっと笑ってみせる。
「俺の好きにさせてくれるんでしょ~?じゃあ言うこと聞いてよ」
「…………」
随分都合のいいように言葉尻を取られている気がするが、サジータも今日は特に予定がない。もとい、ないわけではないのだが……大した用事でもない。
「……わかった。どこでもいいんだな?」
確かめるようにそう言うサジータに、りんごは挑戦的な微笑を浮かべるだけだった。



***



朝食を終えて、りんごの傷の具合を確かめてから、二人は出掛けることにした。
「先に言っておくけど」
玄関を出てから、サジータはりんごに対して真面目な顔をしてみせた。
「今日は車で行くけど、運転中に変なちょっかいかけてくるなよ?事故りたくはないだろ」
「え~変なちょっかいって何~?ウケるんだけど」
りんごはけらけらと笑いながら、サジータの顔をのぞきこむ。
「あ、もしかして、むしろ期待しちゃってるとか~?サジータくんのえっち~」
「俺は真面目に言ってるんだ」
サジータは軽く溜め息を吐きながら言う。
「少なくとも視界を覆うような真似はやめてくれ」
「やっぱりちゅーされたいんじゃん」
サジータは黙ってりんごの額を軽く小突いてやろうとする。が、彼はふざけて笑いながら、するりと身を躱して逃げた。
「わかったってば~。俺だってお前の隣で死にたくはないし、ちゃんと大人しくしてま~す」
「言質とったからな?」
一応確かめるようにそうは言ったものの、果たして効力があるのかどうなのか。
サジータは半分諦めながらも、りんごを連れて、マンションの駐車場へと向かう。
多くの車のなかにある、クリーム色をしたイカしたデザインの車にサジータが向かっていくのに気が付いて、りんごはとてつもなく嫌そうな顔をした。
「うわ、左ハンドル……っつーかビンテージモデルじゃん、高いんじゃないのこれ……」
「お、わかるのか」
りんごの反応を見て、サジータはちょっとだけ機嫌を良くした。
「中身はもう生産中止になっててな、ガワだけ貰ってチューニングしたんだ。ちゃんと車検も通ってるから、そこは安心していいぞ」
「ちょっと前半何言ってたかわかんないんだけど~?車までいじれんのかよ……」
呆れ半分、感心半分といったりんごの様子に軽く笑いながら、サジータは助手席のドアを開ける。
「どうぞ、お客さま」
「お、気が利くじゃん」
りんごが乗り込み、ドアが閉まったのを確かめてから、サジータは運転席へと乗り込む。
シートベルトを締め終え、エンジンをかけようとした、そのときだった。
「あ、そうだ」
「何だ?」
りんごはごそごそと懐を探って、取り出したイカフォンを黙って見せてくる。
それが昨夜サジータが修理した彼のイカフォンだということに気が付いて、サジータは軽く肩をすくめてみせた。
「……どういたしまして?」
「お礼なんて言ってませ~ん」
生意気な口調でそう言ってから、りんごはイカフォンを仕舞いなおした。
―――素直じゃない。
そうは思ったが、あえて指摘もしない。素直じゃないのはお互い様だ。
「……ねえ、どこ行くの」
車をゆっくりと走らせ始めると、りんごがおもむろに訊ねた。
「聞いておかないと怖いか?」
ほんの少し意地悪を混ぜて聞き返すと、「別に……」と、彼はそっぽを向いてしまう。
それ以降、りんごは車のウィンドウから外を眺めたまま、喋らなかった。



***



連れてこられた奇妙な建物に、りんごは訝しげな顔をする。
「……何ここ~。変わった刑務所?」
「そう言われたのは初めてだな……」
そうは言ったものの、りんごはその建物が何かは知っていた。
アメフラシ・アーチェリー本部。
大きなドーム状のなかで十色にカラーチェンジするアメフラシ・インクが降り注ぐ建物の様子は、既にネット上の写真で見ている……が。
実際に目の当たりにすると、どうもあのインクの雨が『檻』に見えて仕方ない。
「あ、雨止んでるな」
サジータにそう言われ、りんごは確かに車のウィンドウを打っていた雨が降り止んでいたことに気がつく。
車を止めたあと、こっちだと件の建物を示されて、やっぱりあそこに行くのか、と少しげんなりした気分になった。
「面白いとこ連れてってくれるって言ってなかった~?」
「バトルに興味があるならちょっとは面白いと思うぞ」
「俺エンジョイ勢だも~ん」
そうは言いつつも、りんごとしても興味はあった―――サジータの弱味を握れるかもしれないという意味で。
彼から離れる前に、一度くらいは痛い目を見せてやりたかった。こんなやつに親切にしたって意味はないと、思い知らせてやりたい。
そうすれば、今りんごの胸に渦巻く訳が分からない感情も、消え失せる気がした。
「りんご?」
不意に声をかけられて、りんごははっとする。
「どうした?」
サジータは不思議そうにきょとんとしている。今朝から抱いている何とも言えない感情を誤魔化すように、りんごはぷいと顔をそらす。
「……別に~?なんでもない」
「そうか?」
サジータはそう言いながらも、それ以上は何も聞かなかった。
彼に先導されるようにして、正面入り口から大きな建物へと入っていく。
大きなアーチ状の玄関から自動ドアを抜けると、そこらのオフィスビルに勝るとも劣らないような、立派なロビーが現れた。
りんごが思わず口笛を吹くと、サジータは何やら、入り口に取り付けてある来客用の電話機からどこかへと連絡していた。
「何してんの~?」
りんごが近づいていくと、ちょうど電話を終えたサジータが受話器を置くところだった。
「お前用の入館証持ってきて貰おうと思って。ちょっと待っててくれるか?」
「ふーん……結構セキュリティしっかりしてるんだ~?」
「一応客商売なんでな」
それなら外部からほいほい招き入れない方がいいんじゃないかと言いたくなるが、あえて言わない。
どうせこの男なら、そんなことはわかっているのだろう。多分分かったうえで、りんごを連れてきているのだ。
……ある意味舐められているのかもしれない。
一回くらいは睨み利かせといた方が良かったかなぁ、と、今更ながらりんごは思った。
「サジータさん、お疲れさまです!」
少しして、一人の青年がぱたぱたとサジータの方に走ってきた。
格好を見るに、どうやら受付を担当している事務員らしい。
「よう、お疲れさん。忙しいのに悪いな」
「いえいえ。えっと、入館証の発行ということだったんですが……」
事務員の青年はりんごの方を見て軽く会釈してから、サジータに向き直る。
「こちらの方は……?」
「俺のお客さんなんだ」
と、サジータはにこやかに言った。
「身元は俺が保証するからさ、入館証、借りてっていいか?」
―――こいつ。
ぬけぬけと言いやがった、と言わんばかりのりんごの視線をまるっきり無視して、サジータはにこにこと笑っている。
「あ、そうなんですね。かしこまりました」
事務員の青年も全く疑っていない様子で、「それじゃあサインだけいただけますか?」と、サジータから書類にサインを貰い、あっさりと入館証を渡してきた。
「ほい、りんご」
渡されたストラップ付きのカードパスは、よくある首にかけるタイプのものだった。
仕方なく受け取りつつ、ストラップをつまみ上げながら、りんごは不満そうな顔をしてみせる。
「……これ、もしかして首にかけてかなきゃだめ~?」
それを聞いて、サジータは軽く眉をあげてみせた。
「貸して」
そう言って手を差し出すサジータに、りんごは黙って入館証を渡す。
彼は器用にストラップを外すと、裏についているクリップで、入館証をりんごの胸に留めた。
「これでいいか?」
「……イイデスケド」
無駄に良い手際で、いちゃもんを帳消しにされてしまった。
本当に隙が無いというか、嫌味な男というか。
不満そうな顔で睨むりんごに対し、サジータは黙って笑っている。
そんな二人に戸惑った様子で、事務員の青年はおずおずと、
「……ええと……ご友人、ですか?」
訊ねられたサジータは、
「まあそんなとこだ」
と、これまたあっさり答えた。
りんごはこっそり、サジータのふくらはぎを蹴飛ばした。
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