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Good boy Good bye

目が覚めたら、昼過ぎだった。
頭は少しぼうっとするものの、体が動かせるくらいには回復しているらしい。
全身にまだ痛みはあるが、この程度なら気にならなかった。
家主が言っていたことを何となく思い出して、りんごは重い足を引きずるようにしながら、レンジの中を覗き込む。
朝ご飯はフレンチトーストと焼いたベーコン。それから昼ご飯には目玉焼き、ウィンナー、そして茶碗がひとつ伏せてある。
見れば炊飯器でご飯が炊けていた。行く前にわざわざセットしていったのか。
「……」
……せっかくだし、ちょっといいホテルだと思うことにしよう。
りんごはそう考えることにした。
適当に食事を温めつつ、あらためて部屋の様子を確かめる。
1LDKの、そう広くはない部屋。
一人暮らしらしく、物は少ない。
家具は、りんごが寝かされていたベッドと、恐らく家主が寝ていたであろうソファ-。
高性能そうな薄型テレビの横に、写真立てが一つ置いてある。
りんごは何気なしに、それを手に取って眺めた。
四人の若いインクリングが楽しそうに笑い合っている、いかにも『青春の一幕』とでも言うような写真。
中央にいるイカガールがトロフィーを持っているのを見ると、何かの大会で優勝でもしたのだろう。
そのなかには、あのサジータと思われる若いイカボーイの姿も映っている。
(結構可愛い顔してんじゃん……)
昨夜は大したちょっかいもかけられなかったが、思えば結構イカした容姿だった気がする。
帰ってきたら確かめようと思いながら写真立てを置き直すと、テレビの下にDVDデッキと、何かを録画してあるらしい手書きのDVDディスクがあることに気が付いた。
(……好きにしていいって言われたし?)
家主のセリフを自分の都合の良いように解釈しながら、りんごはおもむろにそれを取り出した。



***



『アメフラシ・アーチェリー』社長室。
ここに部屋の主がいることは滅多にない。
普段からあちこちに顔を出し、積極的に社員やそれ以外の若者たちの相談に乗っているからだ。
では、かの『社長』がこの部屋にいるのは、どんな時か。
それは大抵―――何かしらの『内緒話』が、したいときだ。
「……ふう」
社長室から出たサジータは、扉を閉めるなり一つ、溜め息を吐いた。
「お疲れちゃ~ん」
「ん。……ラキアか」
部屋の前で待っていたらしい。ラキアはにへにへと笑いながら、廊下を歩き出したサジータの横に並ぶ。
「『社長』、なんだって?」
「んー……」
サジータは少し考えるようにしてから、先ほど聞いてきた話を要約する。
「自分自身のことは案外見えてないもんだから気をつけるように、あと困ったことがあったらちゃんと言え」
「ふんふん」
「いつでも気にかけてるから、何かあったら連絡するように……だって」
「う~ん、なるほどね」
ラキアは軽く肩をすくめる。
「いつものやつかあ」
「いつものやつだった」
そう言って、サジータは苦笑いしてみせる。
「『社長』に心配されるのなんてチーム解散して以来かもな。そんなに危なっかしく見えたのかなぁ、俺」「まあね~」
ラキアの返答に、サジータは思わず驚いてしまう。あくまでも冗談のつもりで、ラキアには否定してもらえると思っていたのだ。
だが―――ラキアの表情は、いつもサジータが見ている、明るい笑顔ではなかった。
「今回の件はね……内容が内容っていうか、うーん……」
普段の彼女らしくもなく、ラキアは歯切れの悪い口調で言う。
「ゴミ捨て場ってとこがあかんかったかなって……『社長』じゃなくても、心配になるっていうか……」
「……アイナだってよく転がってるだろ」
サジータは出来るだけ自然に聞こえるように心がけながら、冗談めかしてそう言った。
「別に大丈夫だって。あいつだって、良い頃合いで勝手に出てくだろうし……」
「そういうことを心配してるんじゃないんよ」
ラキアはそう言って、心配そうにサジータを見上げた。
「あのねサジータ……バトル休んでることも、ミカドとのことも、そのことに関しては何も文句言わないし、言う筋合いもないと思ってるんだけどさ……」
ラキアはいったん言葉を区切ってから、小さくうつむく。
「……レオ姉ちゃんのことは、サジータだけの話じゃないでしょ……今回の件だって……」
「…………」
サジータは、黙って何も言わなかった。
「……ごめんね」
サジータの沈黙に対し、ラキアは更にうつむいてしまう。
サジータは、ずれてもいないサファリハットの位置を直してから、ラキアに向かって小さく微笑んでみせた。
「……大丈夫だよ、ラキ」
小さい子に言い聞かせるようにして、穏やかな優しい声で、サジータは言った。
「俺なら大丈夫だ。ラキアが心配してるようなことはしない。約束する」
サジータの言葉に、ラキアは顔を上げた。
「ほんとに?もう、あんな風にならない?」
「ならないよ」
サジータはそう言って、ラキアの頭を優しく撫でてやる。
ラキアはしばらく大人しく撫でられてから、やがて小さく一つ、うなずいた。
「……わかった。余計なこと言って、ごめんね」
「いや、俺も心配かけてごめん」
だからもう謝らなくていいとサジータが言うと、ラキアはようやく微笑んだ。
「うんっ、じゃあお互い様ってことにしよ。あ、でも一個お願いしてもいい?」
「なんだ?」
「そのイケメンセンシティブイカボーイ、今度紹介してよ」
ラキアはそう言って、にへっと笑う。
「あたしも会ってみたい。っていうか、お話してみたい。どんなボーイなのかな~って」
「……考えとく」
サジータは兄らしく微笑んで、ラキアの頭をもう一度だけ撫でてやった。



***



「あ、おかえり~」
「…………」
帰宅して早々、テレビがついているとは思っていなかった。
昨夜泊めたイカボーイことりんごは、すっかりくつろいだ様子でソファーに居座っており、リモコン片手にクッションを抱えている。
驚くサジータをよそに、りんごは我が物顔でソファーを占領しながら、
「結構早かったじゃ~ん、やっぱ物盗り心配だったわけ~?」
「いや、それは別にいいんだが……」
サジータは何気なくりんごが見ているテレビの画面に視線を移し、思わず目を丸くする。
りんごが見ていたのは―――自分がその昔、チームに所属していた時のバトル映像だった。
「……随分と懐かしいもの見てるな……」
なんでこんなものを、とサジータが聞く前に、りんごが画面を指さす。
「あのリッター使いって君~?」
「……そうだな」
今より少し若いサジータを見て、りんごはきゃらきゃらと笑う。
「わか~い、かわい~い。まあ、でも今の方がイケメンかもね~」
「ありがとさん……」
―――この、りんごという青年。
どこまでが素で、どこまでが計算なのだろう。
昨日はひたすらこちらを警戒しているようだったのに、今はするりと懐に入り込むようにして、厚かましくもなつっこい態度をこちらに明かしている。
人柄というよりも、それを当たり前のようにできる気性というか、なんというか。
こちらが警戒しなければいけないのは、確かなのだが……。
「ね~」
サジータがりんごのことを測りかねているときだった。
彼はそんなサジータの様子を気にも止めないかのように、包帯を巻いた手をぷらぷらと揺らして、
「今日ってシャワー借りてもいい感じ~?流石に汗かいちゃったんだけど~」
「ん?ああ……先に傷の具合見てもいいか?」
サジータは、持ったままだった荷物を床に下ろしながら答えた。
「傷口乾いてるなら、シャワーぐらいは大丈夫だと思うけど……一応な」
「はーい」
りんごは素直に従った。
包帯をほどき、傷の具合を確かめる。ある程度は塞がり始めており、治り具合に問題もなさそうだ。
これなら明日には問題なくなりそうだな、と考えながら、サジータはりんごに訊ねる。
「痛みは?」
「このぐらいなら我慢できるけどぉ……」
……ふと。
りんごが、じっとこちらを見つめていることに、サジータは気が付いた。
探るような、見透かすような、濃い桃色の瞳。
―――毒の色のようだと、思ってしまった。
「……なんだ?」
何か言われる前に先手を打つ。
と、りんごがにっこりと笑って、
「サジータくんってさ、カノジョとかいないの~?」
無邪気―――を、装った声。
昨夜ひねくれた返事を返していたイカと同じインクリングだとは思えない、見た目だけは素直な表情に、サジータの警戒心が顔を出す。
「よく見たらめっちゃイケメンじゃ~ん、モテるでしょ~」
「……あいにく、そういうのとは無縁でな」
防御を取るか、反撃を選ぶか。
一瞬だけ考えてから、サジータは言葉を選びつつ、餌を撒くことにする。
「今は、寂しい独り身だよ」
「もしかして、男にしかキョーミないとか?」
―――食いついた。
どうもこのイカボーイは、自分にちょっかいを出させたくて仕方ないらしい。
となると、彼の言動は素とか計算とかいうよりも、多分……そういう『性質』なのだろう。
それなら、こちらとしてもやりようはある。
「彼女は、いたことあるよ」
サジータはあえて正直に答えた。
「彼氏もいたことあるけどな。経験人数って意味でなら、ガールの方が多いけど……」
「ふーん……」
りんごからは、興味がなさそうな返答。というよりも、次に何を言うべきか考えているのだろう。
……正直、ちょっとだけこのやりとりが楽しくなってきている自分がいる。
サジータが何も言わずに待っていると、さして間を置かずにりんごは言った。
「ちなみに、俺みたいな見た目のボーイってタイプだったり?」
「……俺のことは好みじゃないって、昨日言ってなかったか?」
やり返すつもりだったが、つい素直に聞き返してしまった。
りんごはしたり顔で得意げに笑うと、
「勘違いしないでよね~、別に俺が君のこと好みだから気にしてたわけじゃないし~?夜中に寝込み襲われないか心配しただけで~す」
「……怪我人襲うほど、非常識なつもりはないけどな」
サジータはあえてそう言ってやる。それを聞いて、りんごがちょっと眉を寄せた。
「……それって、俺の質問にはYesって答えてるってこと~?」
「そう聞こえたか?」
やっぱり、あえて明確には答えない。そもそも、サジータは見た目だけで誰かに性欲を抱くようなことはしないのだが、もちろんそのことも、はっきりとは言わない。
まあ確かに、彼の容姿は整っているとは思うが……綺麗な実には、毒があるものだ。
りんごは気に入らなそうな表情でサジータを見やってから、やがてあからさまな溜め息をついた。
「あんたってほんとやりにく~い」
彼はそう言って、ちろりとサジータを睨む。
「一応命の恩人だし、一回くらいだったらヤらせてあげようと思ったのに~」
「お誘いしてくれてたんなら悪かったな。シャワーなら浴びてきていいぞ」
攻防を切り上げるようにして、サジータはりんごにそう伝えた。
「タオルとかは好きに使っていいし、着替えは置いとく。あと風呂場の場所……」
「さすがに覚えてます~。バカにしてんの?」
「悪かった悪かった」
噛み付くりんごを軽くいなして、サジータは汚れた包帯を片付けようとする。
「あ、そうだ。新しいほうた―――」


―――ちゅ。

軽いリップ音。柔らかい感触。
一瞬の不意打ちに、サジータは思わず固まってしまう。
「ん……」
りんごは押し付けただけの唇をすぐに離して、にやりと笑った。
「あれ~?恋愛経験ある割には慣れてない感じ~?」
「……いや、ていうか……」
サジータはとっさに手の甲を口に当てる。
まさか―――いきなりキスされるとは、思っていなかった。
「なんで今キスした?!」
「んー……ホテル代?」
明らかに適当な返事。というか、ホテル代ってなんだ。
動揺が隠せないサジータの様子に、りんごはきゃたきゃたと嬉しそうに笑って、
「案外顔に出るとこあんじゃ~ん、か~わい~♡」
「悪かったな……」
流石に反撃のしようがなく、サジータは被ったままのサファリハットを少し深めに被り直した。
りんごは調子に乗ってしまったようで、サジータの方に身を乗り出しながら、
「ねえ~もう一回してあげようか?今度は本気のヤツね♡」
「いいからシャワー浴びてこいよ……」
すっかり相手のペースに巻き込まれている。
その流れを断ち切る意図も込めて、風呂場へ誘導しようとしてから、サジータにも、ふと悪戯心が沸いた。

―――今、ここでサジータからキスをしたら。
りんごは、どんな顔をするのだろう。

「……何?」
りんごに不思議そうな顔をされて、サジータは彼の顔を見つめてしまっていたことに気が付く。
悪戯心を理性で押さえ込んでから、冷静さを取り戻すようにして、サジータは言った。
「……包帯。新しいの、あとで巻き直すから……シャワーの後で、声かけてくれ」
「はーい」
りんごはにこにこと笑いながら、やたらと素直に返事をした。
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