Good boy Good bye
『良い子』にサヨナラしたのなんて、もういつだったか覚えてない。
***
「あー…………」
どこでしくじったのだろう。
ゴミ袋の上に投げ捨てられた身体は、もう指一本すら動かせない。
身体中が痛くて、痛み過ぎて、少しずつ麻痺してきているようだ。
肌を這うように流れ続ける血も、もはや皮膚の感覚が無くなってきて、どこがどうなっているかもわからない。
(……やべ、目が霞んできた)
今日の仕事は簡単だったはずだ。
ただ『上』の言う通りに『物』を運ぶだけの、簡単なオシゴト。
なのに、何故か待ち合わせ場所で待っていたのは、取引先ではなく―――敵対組織の集団だった。
散々玩具にされた挙句、燃えるゴミとしてゴミ捨て場に投げ捨てられ、唾を吐きかけられたのが、多分、十数分前の話。いや、数十分前?数時間前だったかも。
まあご丁寧なことにイカフォンまで壊されて、助けを呼びたくても、呼べやしない。
「あー……はは……」
誰も通りそうにない裏路地。
こんなところでインクリングが一人落ちていたって、見つけてくれるのは、手遅れのゴミ収集車くらいだろう。
燃えるゴミとして捨てられたのなら、落ちる先は、燃え盛る地獄とやらなのか。
「……はぁ……」
もはや息をすることすら身体に響く。
死ぬ時ってこんな感じなんだ、と、ぼんやりする頭の片隅で思った。
意識が、遠のく。
(……走馬灯、とか)
聞いたこと、あるけど。
見えない。空しか見えない。建物と建物の間の、切れ目から覗く、空しか見えない。
(どうせ、見たって……)
思い出せることなんて、
くだらない
こと
しか
な
闇。
(……光?)
眩しい、と、思った。
瞼の裏に光を感じて、うっすら目を開ける。
見慣れない、天井。
見た事のない窓。カーテン。
そこから覗く空は、青い。
「……?」
起き上がろうとするが、全身に激痛が走り、呻き声が漏れた。
自分がベッドに寝かされているのは、すぐに理解出来た……が、妙に身体が動かし辛いと思ったら、あちこちに包帯が巻かれ、ガーゼまで宛てがわれている。
―――どうやら助かったらしい。
が、奇妙なことに、その包帯は―――酷く丁寧に、しっかりと巻かれている。
まるで医者が治療してくれた後のようだ。
誰かが治療してくれたのは、間違いないけれど。
(……誰が?)
自分の知り合いに、こんな丁寧な―――器用な包帯の巻き方をしてくれるようなイカは、いない。
何とか首だけ動かして、周囲の様子を確かめる。
1LDKの、マンションの一部屋……の、ように見える。
ソファーに、ローテーブル。テレビ……横に置かれているのは、写真立てだろうか。
シンプルな家具でまとめられ、一見片付いているようだが、隅の方にはごちゃごちゃと機械や工具めいたものが乱雑に置かれている。
……少なくとも、病院ではない。
首を反対方向へと動かして、窓の外から風景を確かめようとした、その時だった。
「お。起きたみたいだな」
「―――!」
知らない声に、思わずびくりとした。身体中に痛みが走るが、無視して頭を動かす。
「話せるか?」
……人の良さそうな笑顔を浮かべる、青年がいた。
薄い青色をしたゲソを後頭部でまとめており、さっきまで被っていたらしいサファリハットを手にしている。
歳は、そう自分と変わらなさそうだ。背が高く、体格も悪くはない。
恐らくは、ここの家主なのだろう。
「……えーと」
声は掠れていたが、喉は潰されていなかったらしい。
「……ここ、どこ?」
聞きたいことは多かったが、まずは居場所を把握しておきたい。
何とか声を出して訊ねると、相手はちょっと驚いたような顔をしてから、
「俺の自宅」
と、あっさり教えてくれた。
「デカタワーの裏手にあるヤキフグマンション、わかるか?」
高級マンションじゃねえか。
「……の、隣にある、フィレオマンションてとこ」
ワンルームだから狭くて悪いな、と、彼は笑った。
……笑うと少し幼く見える。意外と年下かもしれない。
少し身動ぎして―――思わず呻いてしまった―――相手と視線を合わせる。
「おい、無理するなよ……」
気遣うような声を無視して、息を吐くようにしながら、何とか声を絞り出す。
「……なんで、俺はそこにいるわけ……」
「怪我してたから」
あっけらかんと彼は言った。
「あんなとこで倒れてたんなら、救急車は呼ばない方がいいかと思ってな。知り合いの医者と俺とで手当てさせてもらった」
「…………」
思わず怪訝な顔になってしまう。そこまで考えて妙な気の利かせ方をする奴が、ただのお人好しとは思えない。
何か目的があって連れ込まれたのかと一瞬考えたが、青年は相変わらずの朗らかさで、
「フクとかめちゃくちゃ破れてたし汚れてたから、俺のフクに勝手に着替えさせてたんだけど、サイズちょっとデカいかもなー。気になったら悪い。あと、身体あんまり痛むようなら声かけてくれ。鎮痛剤貰ってるからさ」
「…………」
……いや。ただのめちゃくちゃ気がつくお人好しの気もしてきた。
自分を知っていて、何かするために拾ってきた……と、いうわけではなさそうだ。尋問したいなら、もっと厳重に縛り上げるとかするだろうし。
「……なんで、」
でも、やっぱり気になって、訊ねる。
「俺のこと……助けたの」
「なんで?」
彼は意外なことを聞かれたように、目を丸くしてみせた。
「えーと……帰り道に見つけちゃったから、放っておくのも後味悪いなって思ったんだ」
そう言って、彼は朗らかに微笑む。
「情けはヒトの為ならずって言うだろ?別に恩売るつもりはないけどな」
「…………」
お人好しなんだか、なんなんだか。
考えるのが面倒臭くなってくると同時に、瞼が重くなってきた。
「……もう少し寝てるといい」
低い声が、やけに優しく聞こえた。
「傷が痛む時は、呼んでくれ」
「…………」
微睡む。
眠りに、落ちる。
*****
「……ああ、うん。いや、大丈夫だ。うん、今はよく寝てる」
『……、…………』
「うん。うん。いや、明日は一応出るよ。好き勝手させてもらってる身だしな……」
声が聞こえる。
りんごは重い瞼を開けて、声の方向を見やった。
「あ、起きた。悪い、後で掛け直す」
青年はそう言って電話を切ると、「おはようさん」と、穏やかに微笑んだ。
カーテンは閉められている。壁の時計は、8時を指していた。
「よく寝てたな。身体は?」
「あー……」
相変わらず、まだあちこちが痛む。
それでも、あの死にそうな感覚よりは、ずっとずっとマシに思えた。
「大分マシ、かな……?」
声も出るようになってきた。でも、喉がひりつくように痛い。
「……あのさ、悪いんだけど」
頬にガーゼが貼られていて、上手く愛想笑いが出来ない。
「水とか貰えたり……」
「持ってくる」
彼はすぐに立ち上がり、ダイニングキッチンでコップに水を汲んでくれた。
それを見ながら、何とか身体を起こそうとする……が。
「んぐっ……」
激痛。
呻くりんごを見て、青年は慌てたように「大丈夫か?」と声を掛けてきた。
「無理するなよ……少し待ってくれ」
男はいったん水をテーブルに置くと、ソファからいくつかクッションを取ってくる。それから、身体を起こすりんごを支えるようにして、背中の後ろへとクッションを差し込んでくれた。
「これで多少楽だろ」
「……もしかして、介護とか慣れてる?」
からかい半分、本気半分の軽口が、つい口から出る。
けれど、青年は笑うだけだった。
「いや……でも、似たような経験はあるかな」
「……?」
詳しく聞く前に、目の前に透明なコップが差し出される。
「ほら、水」
「あ〜、悪いね……」
包帯だらけの手でも、コップを受け取ることは出来た。受け取った水を喉へと流し込むと、ひりついていたそこが洗い流されて、潤っていくのが分かる。
「ふぅ……」
ほとんど一気に飲み干すと、空いたコップがひょいと取り上げられる。
「お代わりは?」
「いや、それはいいんだけど……」
りんごはようやく、青年と真正面から向き合った。
「ええ〜っと……」
「?」
青年は何故か悪戯っぽい笑みを浮かべて、りんごが何か言うのを待っている。
りんごは怪訝そうにしながらも、ようやく訊ねた。
「お兄さん、どちらさま……?」
「ん?ああ、こういう者です」
青年はおもむろにポケットからカードケースを取り出すと、中から出した名刺らしきものをりんごに差し出してきた。
受け取って、眺める。
【バトル傭兵集団・アメフラシアーチェリー🌈
■チャージャー部門リーダー
サジータ・リウス
所属チーム/アメアリ最前線】
「…………」
バトル傭兵集団。
これはまた何とまぁ、随分と随分な。
「いわゆる、バトル専門の人材貸出屋……」
と、言いながら、青年は自分を指差す。
「で、貸し出されてるのが、俺ことサジータです」
「サジータくん、ねえ」
「呼び捨てでいいぞ?」
聞かなかった振り。
「ふ〜ん……」
名刺を眺めてから、返却する。サジータは何も言わずに受け取った。
「……で、貸し出されて何するわけ?」
「チーム組みたいけど人が足りない〜とか、プラベやりたいけど人足りない〜とか、まあ、そういう時に穴埋めする役だな」
「…………」
随分と平和な傭兵もいたものだ。
雇われて戦うのだから、あながち間違ってはいないのだろうが。
「ところで」
サジータは床にあぐらをかいて、にこっと笑う。
「お兄さんはどちら様だ?カタギじゃないのはわかるんだが」
「……やっぱ名乗んなきゃだめ〜?」
りんごはちょっと嫌そうな顔をしてみせた。
何となくだがこの男、深く関わると厄介そうな気がする。いかにもお人好しといった雰囲気だが、どうにも食えない感じが否めない。
こういう相手と馴れ合うのは、嫌いではないが―――それはあくまでも、自分が有利を取れる時だけ、だ。
今は圧倒的に不利すぎる。立場も、状況も。
「別にいいけど……」
不意に、サジータが何かを持ち上げた。
黒い革張りの財布。見覚えのあるそれに、りんごははっとする。
「名前と住所だけ確かめさせて貰った」
そう言って、サジータはりんごに財布を返す。
「中身は大丈夫そうだったけど、一応見てくれ。あ、減ってても俺じゃないからな」
唇を尖らせながらも、言われた通り中身を確かめる。なるほど、確かに無事なようだ。
「あとの荷物はここに取り纏めておいたけど、えーと……」
サジータが、ちょっと言いづらそうに口ごもる。
「イカフォンが、真っ二つになっててだな……」
「あ〜……」
それはもう綺麗にぶち割られたイカフォンを思い出しながら、りんごもなんとも言えない声を出した。
「まあいいよ〜、買い換え時だと思ってたし……えっ、ていうかあんなゴミまで拾ってきてくれたの?わざわざ?」
「直せそうだったし……」
「は?」
思わず素で声が出た。
サジータは大真面目な顔で、
「流石に外側とバッテリーは取っかえなきゃだが、メモリとアンテナは無事だったし、あとの基盤は色々換えが利くからな。自損の時点でイカホショップの保証は効かなくなるし、買い換えるくらいならこっちのが安くつくと思うけど……」
「いや、ちょ、待っ、待って、」
何を言い出すんだ、この男。
りんごが制止しようと口を挟むと、サジータは「ん?ああごめん」と、全く悪いと思ってなさそうな顔で言った。
「でもこれまだ型は新しいし、買い換えるの勿体無い……」
「そ、そうじゃなくて」
りんごは思わず咳き込んだ。口の中に血の味がする。どこか切れているのだろう。
背中をさすってくれようとするサジータの手を払い除けて、りんごは彼を睨んだ。
「何が目的なわけ」
「え?」
「ゴミ捨て場に捨てられた男拾ってきて、怪我の手当てして、イカフォンまで直そうとするとか……」
至れり尽くせり過ぎる。
ただのお人好しで済ませていいのか、疑念も湧くというものだ。
「何ていうか……純粋に、怖いんだけど」
サジータはびっくりしたような顔で、りんごをまじまじと見つめてから、
「……言われてみればそうだな」
と、呟くように言った。
「……はぁ……??」
「いやごめん、イカフォンは俺の趣味も兼ねて直そうかって言っただけで、深い意味はないんだけど……」
趣味でひとのイカフォンを直そうとするな。
「そもそも、助けたことにも深い意味はないんだけどな」
サジータはバツが悪そうな顔で、ぽりぽりと頭をかいた。
「死にかけてるみたいだったから、医者呼んで、助けただけ。病院連れてかない方がいいかなと思ったから、家に連れてきただけ」
そう言ってから、彼は悪戯っぽく笑った。
「俺がやりたいから、そうしただけ。それ以上に理由はないかな」
「……あ〜……」
反吐出そう。
こういう、恥ずかしげもなく爽やかなこと言える奴のメンタルって、どういう構造してるんだろうか。
いっそのこと、ぐちゃぐちゃにしてやりたくなる……ところだが。
「……妙〜にメンタル強そうなんだよね、君さぁ〜……」
「あっはっは!声に出てるぞ」
サジータはけらけらと笑ってから、軽く肩を竦めてみせる。
「まあ、変なやつに拾われたと思って、諦めてくれ。運が無かったな」
「全くだよ……」
妙に疲れて、ベッドに潜り込む。恐らく家主のものだという察しはついていたが、忘れることにする。潜り込んだ弾みで背中に敷いていたクッションが転がり落ちたが、それも気にしない。
「食欲は?」
サジータは立ち上がって、落ちたクッションをソファに戻しながら聞いてきた。
りんごはちょっと考えてから、唇を尖らせる。
「ある……」
「ん、良かった」
サジータはちょっと微笑んでから、あっと気付いたように声を上げた。
「っと……その前に、包帯やらガーゼやら取り替えないとな。風呂はもうしばらく我慢してくれるか?多分入ったら傷口開くし」
「わかったわかった……」
りんごは溜め息をつきながら、寝返りを打つ。
「命の恩人さまの言う通りにしたげるよ……好きにして」
りんごの憎まれ口に、サジータは小さく笑うだけだった。
***
<続く>
***
「あー…………」
どこでしくじったのだろう。
ゴミ袋の上に投げ捨てられた身体は、もう指一本すら動かせない。
身体中が痛くて、痛み過ぎて、少しずつ麻痺してきているようだ。
肌を這うように流れ続ける血も、もはや皮膚の感覚が無くなってきて、どこがどうなっているかもわからない。
(……やべ、目が霞んできた)
今日の仕事は簡単だったはずだ。
ただ『上』の言う通りに『物』を運ぶだけの、簡単なオシゴト。
なのに、何故か待ち合わせ場所で待っていたのは、取引先ではなく―――敵対組織の集団だった。
散々玩具にされた挙句、燃えるゴミとしてゴミ捨て場に投げ捨てられ、唾を吐きかけられたのが、多分、十数分前の話。いや、数十分前?数時間前だったかも。
まあご丁寧なことにイカフォンまで壊されて、助けを呼びたくても、呼べやしない。
「あー……はは……」
誰も通りそうにない裏路地。
こんなところでインクリングが一人落ちていたって、見つけてくれるのは、手遅れのゴミ収集車くらいだろう。
燃えるゴミとして捨てられたのなら、落ちる先は、燃え盛る地獄とやらなのか。
「……はぁ……」
もはや息をすることすら身体に響く。
死ぬ時ってこんな感じなんだ、と、ぼんやりする頭の片隅で思った。
意識が、遠のく。
(……走馬灯、とか)
聞いたこと、あるけど。
見えない。空しか見えない。建物と建物の間の、切れ目から覗く、空しか見えない。
(どうせ、見たって……)
思い出せることなんて、
くだらない
こと
しか
な
闇。
(……光?)
眩しい、と、思った。
瞼の裏に光を感じて、うっすら目を開ける。
見慣れない、天井。
見た事のない窓。カーテン。
そこから覗く空は、青い。
「……?」
起き上がろうとするが、全身に激痛が走り、呻き声が漏れた。
自分がベッドに寝かされているのは、すぐに理解出来た……が、妙に身体が動かし辛いと思ったら、あちこちに包帯が巻かれ、ガーゼまで宛てがわれている。
―――どうやら助かったらしい。
が、奇妙なことに、その包帯は―――酷く丁寧に、しっかりと巻かれている。
まるで医者が治療してくれた後のようだ。
誰かが治療してくれたのは、間違いないけれど。
(……誰が?)
自分の知り合いに、こんな丁寧な―――器用な包帯の巻き方をしてくれるようなイカは、いない。
何とか首だけ動かして、周囲の様子を確かめる。
1LDKの、マンションの一部屋……の、ように見える。
ソファーに、ローテーブル。テレビ……横に置かれているのは、写真立てだろうか。
シンプルな家具でまとめられ、一見片付いているようだが、隅の方にはごちゃごちゃと機械や工具めいたものが乱雑に置かれている。
……少なくとも、病院ではない。
首を反対方向へと動かして、窓の外から風景を確かめようとした、その時だった。
「お。起きたみたいだな」
「―――!」
知らない声に、思わずびくりとした。身体中に痛みが走るが、無視して頭を動かす。
「話せるか?」
……人の良さそうな笑顔を浮かべる、青年がいた。
薄い青色をしたゲソを後頭部でまとめており、さっきまで被っていたらしいサファリハットを手にしている。
歳は、そう自分と変わらなさそうだ。背が高く、体格も悪くはない。
恐らくは、ここの家主なのだろう。
「……えーと」
声は掠れていたが、喉は潰されていなかったらしい。
「……ここ、どこ?」
聞きたいことは多かったが、まずは居場所を把握しておきたい。
何とか声を出して訊ねると、相手はちょっと驚いたような顔をしてから、
「俺の自宅」
と、あっさり教えてくれた。
「デカタワーの裏手にあるヤキフグマンション、わかるか?」
高級マンションじゃねえか。
「……の、隣にある、フィレオマンションてとこ」
ワンルームだから狭くて悪いな、と、彼は笑った。
……笑うと少し幼く見える。意外と年下かもしれない。
少し身動ぎして―――思わず呻いてしまった―――相手と視線を合わせる。
「おい、無理するなよ……」
気遣うような声を無視して、息を吐くようにしながら、何とか声を絞り出す。
「……なんで、俺はそこにいるわけ……」
「怪我してたから」
あっけらかんと彼は言った。
「あんなとこで倒れてたんなら、救急車は呼ばない方がいいかと思ってな。知り合いの医者と俺とで手当てさせてもらった」
「…………」
思わず怪訝な顔になってしまう。そこまで考えて妙な気の利かせ方をする奴が、ただのお人好しとは思えない。
何か目的があって連れ込まれたのかと一瞬考えたが、青年は相変わらずの朗らかさで、
「フクとかめちゃくちゃ破れてたし汚れてたから、俺のフクに勝手に着替えさせてたんだけど、サイズちょっとデカいかもなー。気になったら悪い。あと、身体あんまり痛むようなら声かけてくれ。鎮痛剤貰ってるからさ」
「…………」
……いや。ただのめちゃくちゃ気がつくお人好しの気もしてきた。
自分を知っていて、何かするために拾ってきた……と、いうわけではなさそうだ。尋問したいなら、もっと厳重に縛り上げるとかするだろうし。
「……なんで、」
でも、やっぱり気になって、訊ねる。
「俺のこと……助けたの」
「なんで?」
彼は意外なことを聞かれたように、目を丸くしてみせた。
「えーと……帰り道に見つけちゃったから、放っておくのも後味悪いなって思ったんだ」
そう言って、彼は朗らかに微笑む。
「情けはヒトの為ならずって言うだろ?別に恩売るつもりはないけどな」
「…………」
お人好しなんだか、なんなんだか。
考えるのが面倒臭くなってくると同時に、瞼が重くなってきた。
「……もう少し寝てるといい」
低い声が、やけに優しく聞こえた。
「傷が痛む時は、呼んでくれ」
「…………」
微睡む。
眠りに、落ちる。
*****
「……ああ、うん。いや、大丈夫だ。うん、今はよく寝てる」
『……、…………』
「うん。うん。いや、明日は一応出るよ。好き勝手させてもらってる身だしな……」
声が聞こえる。
りんごは重い瞼を開けて、声の方向を見やった。
「あ、起きた。悪い、後で掛け直す」
青年はそう言って電話を切ると、「おはようさん」と、穏やかに微笑んだ。
カーテンは閉められている。壁の時計は、8時を指していた。
「よく寝てたな。身体は?」
「あー……」
相変わらず、まだあちこちが痛む。
それでも、あの死にそうな感覚よりは、ずっとずっとマシに思えた。
「大分マシ、かな……?」
声も出るようになってきた。でも、喉がひりつくように痛い。
「……あのさ、悪いんだけど」
頬にガーゼが貼られていて、上手く愛想笑いが出来ない。
「水とか貰えたり……」
「持ってくる」
彼はすぐに立ち上がり、ダイニングキッチンでコップに水を汲んでくれた。
それを見ながら、何とか身体を起こそうとする……が。
「んぐっ……」
激痛。
呻くりんごを見て、青年は慌てたように「大丈夫か?」と声を掛けてきた。
「無理するなよ……少し待ってくれ」
男はいったん水をテーブルに置くと、ソファからいくつかクッションを取ってくる。それから、身体を起こすりんごを支えるようにして、背中の後ろへとクッションを差し込んでくれた。
「これで多少楽だろ」
「……もしかして、介護とか慣れてる?」
からかい半分、本気半分の軽口が、つい口から出る。
けれど、青年は笑うだけだった。
「いや……でも、似たような経験はあるかな」
「……?」
詳しく聞く前に、目の前に透明なコップが差し出される。
「ほら、水」
「あ〜、悪いね……」
包帯だらけの手でも、コップを受け取ることは出来た。受け取った水を喉へと流し込むと、ひりついていたそこが洗い流されて、潤っていくのが分かる。
「ふぅ……」
ほとんど一気に飲み干すと、空いたコップがひょいと取り上げられる。
「お代わりは?」
「いや、それはいいんだけど……」
りんごはようやく、青年と真正面から向き合った。
「ええ〜っと……」
「?」
青年は何故か悪戯っぽい笑みを浮かべて、りんごが何か言うのを待っている。
りんごは怪訝そうにしながらも、ようやく訊ねた。
「お兄さん、どちらさま……?」
「ん?ああ、こういう者です」
青年はおもむろにポケットからカードケースを取り出すと、中から出した名刺らしきものをりんごに差し出してきた。
受け取って、眺める。
【バトル傭兵集団・アメフラシアーチェリー🌈
■チャージャー部門リーダー
サジータ・リウス
所属チーム/アメアリ最前線】
「…………」
バトル傭兵集団。
これはまた何とまぁ、随分と随分な。
「いわゆる、バトル専門の人材貸出屋……」
と、言いながら、青年は自分を指差す。
「で、貸し出されてるのが、俺ことサジータです」
「サジータくん、ねえ」
「呼び捨てでいいぞ?」
聞かなかった振り。
「ふ〜ん……」
名刺を眺めてから、返却する。サジータは何も言わずに受け取った。
「……で、貸し出されて何するわけ?」
「チーム組みたいけど人が足りない〜とか、プラベやりたいけど人足りない〜とか、まあ、そういう時に穴埋めする役だな」
「…………」
随分と平和な傭兵もいたものだ。
雇われて戦うのだから、あながち間違ってはいないのだろうが。
「ところで」
サジータは床にあぐらをかいて、にこっと笑う。
「お兄さんはどちら様だ?カタギじゃないのはわかるんだが」
「……やっぱ名乗んなきゃだめ〜?」
りんごはちょっと嫌そうな顔をしてみせた。
何となくだがこの男、深く関わると厄介そうな気がする。いかにもお人好しといった雰囲気だが、どうにも食えない感じが否めない。
こういう相手と馴れ合うのは、嫌いではないが―――それはあくまでも、自分が有利を取れる時だけ、だ。
今は圧倒的に不利すぎる。立場も、状況も。
「別にいいけど……」
不意に、サジータが何かを持ち上げた。
黒い革張りの財布。見覚えのあるそれに、りんごははっとする。
「名前と住所だけ確かめさせて貰った」
そう言って、サジータはりんごに財布を返す。
「中身は大丈夫そうだったけど、一応見てくれ。あ、減ってても俺じゃないからな」
唇を尖らせながらも、言われた通り中身を確かめる。なるほど、確かに無事なようだ。
「あとの荷物はここに取り纏めておいたけど、えーと……」
サジータが、ちょっと言いづらそうに口ごもる。
「イカフォンが、真っ二つになっててだな……」
「あ〜……」
それはもう綺麗にぶち割られたイカフォンを思い出しながら、りんごもなんとも言えない声を出した。
「まあいいよ〜、買い換え時だと思ってたし……えっ、ていうかあんなゴミまで拾ってきてくれたの?わざわざ?」
「直せそうだったし……」
「は?」
思わず素で声が出た。
サジータは大真面目な顔で、
「流石に外側とバッテリーは取っかえなきゃだが、メモリとアンテナは無事だったし、あとの基盤は色々換えが利くからな。自損の時点でイカホショップの保証は効かなくなるし、買い換えるくらいならこっちのが安くつくと思うけど……」
「いや、ちょ、待っ、待って、」
何を言い出すんだ、この男。
りんごが制止しようと口を挟むと、サジータは「ん?ああごめん」と、全く悪いと思ってなさそうな顔で言った。
「でもこれまだ型は新しいし、買い換えるの勿体無い……」
「そ、そうじゃなくて」
りんごは思わず咳き込んだ。口の中に血の味がする。どこか切れているのだろう。
背中をさすってくれようとするサジータの手を払い除けて、りんごは彼を睨んだ。
「何が目的なわけ」
「え?」
「ゴミ捨て場に捨てられた男拾ってきて、怪我の手当てして、イカフォンまで直そうとするとか……」
至れり尽くせり過ぎる。
ただのお人好しで済ませていいのか、疑念も湧くというものだ。
「何ていうか……純粋に、怖いんだけど」
サジータはびっくりしたような顔で、りんごをまじまじと見つめてから、
「……言われてみればそうだな」
と、呟くように言った。
「……はぁ……??」
「いやごめん、イカフォンは俺の趣味も兼ねて直そうかって言っただけで、深い意味はないんだけど……」
趣味でひとのイカフォンを直そうとするな。
「そもそも、助けたことにも深い意味はないんだけどな」
サジータはバツが悪そうな顔で、ぽりぽりと頭をかいた。
「死にかけてるみたいだったから、医者呼んで、助けただけ。病院連れてかない方がいいかなと思ったから、家に連れてきただけ」
そう言ってから、彼は悪戯っぽく笑った。
「俺がやりたいから、そうしただけ。それ以上に理由はないかな」
「……あ〜……」
反吐出そう。
こういう、恥ずかしげもなく爽やかなこと言える奴のメンタルって、どういう構造してるんだろうか。
いっそのこと、ぐちゃぐちゃにしてやりたくなる……ところだが。
「……妙〜にメンタル強そうなんだよね、君さぁ〜……」
「あっはっは!声に出てるぞ」
サジータはけらけらと笑ってから、軽く肩を竦めてみせる。
「まあ、変なやつに拾われたと思って、諦めてくれ。運が無かったな」
「全くだよ……」
妙に疲れて、ベッドに潜り込む。恐らく家主のものだという察しはついていたが、忘れることにする。潜り込んだ弾みで背中に敷いていたクッションが転がり落ちたが、それも気にしない。
「食欲は?」
サジータは立ち上がって、落ちたクッションをソファに戻しながら聞いてきた。
りんごはちょっと考えてから、唇を尖らせる。
「ある……」
「ん、良かった」
サジータはちょっと微笑んでから、あっと気付いたように声を上げた。
「っと……その前に、包帯やらガーゼやら取り替えないとな。風呂はもうしばらく我慢してくれるか?多分入ったら傷口開くし」
「わかったわかった……」
りんごは溜め息をつきながら、寝返りを打つ。
「命の恩人さまの言う通りにしたげるよ……好きにして」
りんごの憎まれ口に、サジータは小さく笑うだけだった。
***
<続く>