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かつてハイカラスクエアで一世を風靡した、伝説のウルトラハンコ使いがいた。
愛用のホクサイベッチューを縦横無尽に振り回し、キューバンボムを相手の顔面にぶちかまし、ウルトラハンで―――あらゆる『敵』を、薙ぎ倒していった。
ついたあだ名は『ウルトラハンコの女王』、『ミズ・スペシャル』、『ウルトラベッチュー』、『伝説のホクベ使い』などなど……。
それが、『ウルコ』。
かつて最強と名高かったチーム、『ウルトラマリネ』を率いていた―――伝説の、ナワバリプレイヤーである。
『……その話、イリコにした？』
「いや、まだしてない」
インクの雨が降る窓を眺めながら、サジータは煙草の煙を揺らす。
「でも、遅かれ早かれ誰かからは聞くんじゃないか？イリコちゃん以外は、お前のこと知ってるみたいだったし」
『…………』
電話の相手はしばらく黙り込んでから、『それで、』と、苦々しげな口調で言った。
『その『依頼主』とやらは、『ウルコ』の元チームメイト二人と自称ライバル、それから後輩を集めたうえで、私の妹に何をさせようとしてるの？』
「さあな」
サジータはあっさりとそう言いながら、煙草の煙を吐き出す。
「上の考えてることは俺にもよくわからん……ってことにしといてくれ」
『…………』
「これはあくまで世間話だよ。俺が久しぶりに、ウルメの声を聞きたくなっただけだ」
『……はぁ』
ウルメは何度目になるかわからない溜め息を吐いてから、
『ところであなた、煙草やめたんじゃなかったの』
「え。なんでわかったんだ吸ってるの」
『別にいいけどね……ミカドが嫌がるわよ』
煙草嫌いの彼の表情を思い出し、サジータはふっと笑ってから、
「あいつは今武者修行中でいないから大丈夫だ。クラーヴがちょっと睨んでくるけどな」
『武者修行、ねえ……』
ウルメは何かを言いたげにしていたが、サジータはそれ以上何も言わなかった。
少しの間、ふたりの間に沈黙が流れる。
サジータがもう一本、煙草に火をつけようか考え始めていると、
『ねえ、サジータ』
と、ウルメが心細げな声で言った。
「どうした？ウルメ……」
『……私がいない間に、スクエアはどんな街になってる？』
「……？」
サジータがウルメの問いかけの意図を測りかねている間に、彼女は続ける。
『なんだか、あなたから聞く話は、私の……私の、知らない"街"の話みたい。ハイカラスクエアは……今も色あせない、賑やかで、鮮やかで、眩しいくらいの……私たちがはしゃぎ回った、"あの"街なのかしら？』
「…………」
サジータは揺れる煙草の煙を見ながら、
「……大丈夫だよ、ウルメ」
と、静かに答えた。
「ハイカラスクエアは、何も変わってない」
『…………』
「ただ……」
―――あの。
あの、輝かしい日々は、二度と戻らない。
何もかもが色鮮やかで、光に溢れて見えた、あの日々は―――。
「バトルは、ちょっとつまらなくなったかもな」
『……あなたらしいわ』
ウルメの声に、少しだけ笑みが含まれたようだった。恐らくは、苦笑いだが。
『ねえ、サジータ』
「ん？」
『イリコのこと、よろしくね』
ウルメは寂しそうにそう言った。
『私、あの子に……何もしてあげられないから』
「……大丈夫だよ、ウルメ」
サジータは、彼女を安心させるように言う。
「あの子には、もう立派な仲間がいるさ」



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四人はセイゴに連れられて、『アメフラシ・アーチェリー』本部のカフェテラスへとやってきていた。
隊員らしきイカたちで賑わうそこの一角に席を取り、注文したお昼ご飯とともにテーブルを囲む。
「え？イリコちゃんてばちゃんとマサバに謝ったの？偉いな～」
茶化しているのか感心しているのかよくわからない口調で言うセイゴを、マサバがじろりと睨む。
「お前もおれに何か言うことないんか？」
「お前も俺になんか言うことないわけ？」
「まあまあまあ……」
イリコは慌ててセイゴとマサバの間に入り、二人を取りなした。
「そ、それよりセイゴさん。作戦会議に付き合ってくれるって言ってたじゃないですか。ねっ！」
「マジでやるとは思わなかったかんね～」
メロンクリームソーダにストローを突き刺しながら、セイゴはイリコに向かってにやりと笑った。
「ていうか、イリコちゃんが『ウルコ』さんと関係あるあのひとらとバトルするっていうのがさ。まあ、見逃せないとは思うじゃん？」
「……そうだわ」
セイゴの言葉に、アオが思い出したような顔をしてイリコを見る。
「あなた、あの『ウルコ』の妹だったのね。あなたも知らないと言っていたけど……」
イリコは口いっぱいにサンドイッチを頬張ったまま、こくこくとうなずいてから、慌ててそれを飲み込んだ。
「は、はい。お姉ちゃんがバトルしてたっていうのは、まあ知ってはいたんですけど、まさかそんなに有名人だとは思ってもみなくて……」
「……その『ウルコ』ってやつは、そんなに強かったのか？」
クロトガの問いかけに、アオがうなずいた。
「ええ。聞く話によるとね」
「あ？戦ったことねえのかよ、アオ」
「ええ。わたしはないわ」
眉をしかめるクロトガに、アオはもう一度うなずいた。
「彼女が活躍していた頃、わたしは一時的にスクエアを離れていたの。だから、わたしは『ウルコ』と直接戦ったことはないわ」
それを聞いて、イリコは思わずセイゴの方へと視線を向けた。
セイゴはイリコの視線に気付きはしたものの、おどけるように首をすくめただけだった。
アオはそのアイコンタクトには気付かないまま、軽く目を伏せる。
「一度でいいから、会ってみたかったわね……どんなウデマエだったのか、直に体験してみたかったわ」
「……あの」
イリコは食べかけのサンドイッチを置いて、アオに向かって話しかける。
「うちのお姉ちゃんって、そんなに強かったんですか……？」
「……そうね」
アオは少し考えるような素振りを見せてから、
「……イリコには、Ｘパワーについて話したことはあったかしら？」
「え？」
唐突な前振りは、いつもの『授業』の開始の合図だ。
イリコは今まで教わったことを必死で思い出しながら、
「え、えーと……なかった……と、思います」
「そう……」
アオは一つうなずいてから、
「ガチマッチで、一番高い腕前がＸなのは知っているわね」
「は、はい」
「Ｘになったイカたちは、それ以上ランクが上がらない代わりに、『Ｘパワー』を貯めていくことができるの」
アオはいつもと同じように、淡々と説明を続ける。
「Ｘパワーは勝てば上昇し、負ければ下がるわ。つまり、強いイカほど高いＸパワーを維持しているというわけね」
「な、なるほど……」
「ちなみにアオってどんくらい？」
セイゴが口を挟むと、アオはさらりと「最高で2900程度よ」と答えた。
「3000には、流石に届いたことはないわね」
「さらっと恐ろしいこと言わんといてやアオちゃん……」
マサバは怯えたような口調で言う。
「ＸＰ3000なんて、それこそおれなんかが到底追いつけない域やん」
「あれ、お前まだアオに追いつけるつもりでいたんだ」
「うっさいわアホ！」
セイゴとマサバのやりとりが、少しずつ前のようなものに戻っている。
イリコは内心ほっとしつつ、先ほどから黙りがちなクロトガに、話題を振ってみることにした。
「えっと、クロトガくんはどのくらいなの？Ｘパワー……」
「……2500だ」
クロトガは一瞬眉をしかめたものの、そう教えてくれた。
「ウデマエとしては十分ね」
クロトガの答えをうけて、アオがそう言った。
「この世界でプロを名乗るウデマエの持ち主は、大抵がＸパワー2500以降の実力の持ち主よ。それイカでは、バトルのウデマエひとつではまず生き残っていくことはできないとされているわ」
―――と、いうことは、だ。
「つまり、アオさんは……」
「プロか、それ以上の実力ってことやね……」
アイスコーヒーを飲みつつ、マサバが遠い目をしながら言った。
「わたしなんてまだまだよ」
アオは謙遜する様子もなく、真面目な顔で言う
「わたしの実力は、あくまでもガチマッチの話。これがリーグマッチだと、また別の話になるわ。ガチマッチはその場で組んだメンバーとの連携、そしてフォローが必要になるけれど……チームを組んで戦う前提に、わたしは慣れていないもの……ガチマッチだけじゃ、バトルの実力は図れないわ」
そう話すアオの表情が、少しだけ曇る。
イリコが何と声をかけようか考えていると、
「……テメーがまだまだなら、オレはゴミカスってことになるじゃねえか」
「え？」
「ちげえのか？」
クロトガが不機嫌そうに投げかけた言葉に、アオは目を白黒させながら、
「え……えっと、ご、ごめんなさいクロトガ。わたし、そういうつもりじゃ、なかったのだけれど……」
「ったく……」
クロトガは慌てるアオを無視するようにして、バゲットの残りをかじった。
不器用ながらもわかりやすいフォローに、イリコとマサバの口元が思わず緩む。が、クロトガにきつめに睨まれたので、すぐに表情を取り繕った。
「……いえ、今の発言は不用意だったわね。ごめんなさい」
どうやらアオ本人にその気遣いは伝わっていないようだったが、クロトガはそれ以上何も言わなかった。
「ええと……話を戻すわね。何故、Ｘパワーの話をしたかというと……あなたのお姉さんの強さを伝えるには、これが一番わかりやすいと思ったの」
「お姉ちゃんはどのくらいだったんですか？」
そんなにすごいすごいと言われているのだから、もしかしてアオよりも上なのだろうか。
イリコがどきどきしながら訊ねると、
「3485」
「……はい？」
「3485よ」
アオは淡々と繰り返した。
「現レギュレーションの中でこれまでに叩き出された、Ｘパワーの最高値。前人未踏の領域にして、恐らくもう二度と誰も越えることができないだろうと言われているその数値を叩き出したのが―――『ウルコ』。あなたのお姉さんよ、イリコ」
「………………」
さんぜんよんひゃくはちじゅうご。
……さんぜんよんひゃくはちじゅうご？
「……さ、さんぜんよんひゃくはちじゅうご！？！？！？」
「しかもそれ今残ってる記録っていうだけで、ほんとはもっと上だったかもしんないんやろ？」
「あー、チート疑われてＸＰ没収されたって都市伝説あるよな。ほんとかどうかしんないけど」
マサバとセイゴがすっかりいつも通りに会話していることにも気付かないまま、イリコは思わず身を乗り出して、
「そ、それほんとにうちのお姉ちゃんの話ですか！？」
「……『ウルコ』があなたの姉だというのなら、間違いないと思うけれど……」
「間違いねーよ」
セイゴがそう言ってウィンクしてみせる。
「『ウルコ』さんはイリコちゃんのおねーさん、ウルメ・イワシで間違いない。俺が言うんだから、信用できるだろ？」
……確かに。セイゴの情報なら、まず間違いないのだろう。
「……そんな……お、お姉ちゃんが……」
イリコは呆然としながら、椅子に座り直す。
「―――アオさんより強かったなんて……」
「……え？」
「私……私……」
思わず、イリコの口から本音が溢れ出る。
「―――アオさんとお姉ちゃんのバトル見たかったですぅ！！！！！生で！！！！！」
「……真っ先に出る感想がそれか～」
セイゴが何とも言えない半笑いでそうこぼした。
「だ、だって……ほんとに知らなかったんですよう！お姉ちゃんが活躍してたとか、全然……！！」
「……きょうだいなら何かは話してるもんじゃねえのか？」
クロトガにそう言われ、イリコはちょっと肩を落として、
「そ、そうかもしれないけど……お姉ちゃんがスクエアにいた頃はほとんど会えなかったし、引退して帰ってきてからは、できるだけバトルの話、しないようにしてたから……」
「……そうか」
クロトガは軽く眉をしかめて、会話を切り上げる。
イリコがちょっと申し訳なく思っていると、「そろそろ本題に戻りましょうか」とアオが言った。
「わたしがイリコのお姉さん……『ウルコ』さんの話をしたのは、今日戦う相手たちと関係があるからなのよ」
アオの言葉に、イリコも姿勢を正す。
姉の情報の衝撃で忘れかけていたが、今の本来の目的は作戦会議なのだ。
アオも真剣な表情で、
「今日戦う四人は、その全員が『ウルコ』の実力を知る猛者たちよ」
セイゴが、おもむろに四枚の紙を取り出す。
その紙には、あの四人の顔写真と、プロフィールがそれぞれ載っていた。
「サジータとラキアはあの『ウルコ』のチームメイトとして活躍していたし、ウベンは『ウルコ』のライバルとして名を馳せていた。カザグルマは『ウルコ』の弟子とも言われる存在ね。全員が、ウデマエＸに相応しい実力の持ち主よ」
アオは一息ついて、セイゴが広げた紙を見やる。
「彼らは―――強いわ。それこそ、生半可な実力じゃ……絶対に勝てない」
「じゃ、じゃあ……」
イリコはごくりと唾を飲み込み、
「―――勝つには、すっごく頑張るしかないですね！」
「……え？」
「頑張って塗ります！塗って塗って塗りまくります！！」
両手で握りこぶしを作り、気合い十分にイリコは言った。
「出来るだけ死なずに最後まで塗り切ります！！私、それが役目だと思うので！！」
「「「「………………」」」」
……何故か、周囲はぽかんとした表情でイリコを見ていた。アオも含めてだ。
何か言い間違えただろうかとイリコが内心焦り始めていると、
「……おいもみじ」
頭痛がするとでも言いたげにこめかみを押さえながら、クロトガが言った。
「お前、話聞いてたか？アオも強さを認めるような連中が、揃いも揃って四人で向かってくんだぞ」
「えっと……塗るだけじゃ勝てないってことだよね？」
イリコはおずおずと言葉を選びながら、
「それはわかってるけど、でも、アオさんもクロトガくんもマサバさんもいるし……ええと、私もちゃんとキルとれるように頑張るから……」
「いや、いや、待って、イリコちゃん……」
マサバが割って入るようにして、口を挟む。
「……勝つつもりで行くのか？あの四人に？」
「だ、だって、バトルするんでしょ？」
マサバが何を言っているのかわからず、イリコは戸惑いながら言った。
「勝つつもりじゃないバトルに、何の意味があるんですか？……ていうか、勝つための作戦会議でしょ？」
「…………」
「え、え、え……あ、アオさん……」
なぜマサバやクロトガが驚いているのかがわからず、イリコはアオに向かって助けを求めようとする。
アオもしばらく同じようにぽかんとしていたが、やがて彼女は表情を厳しくして、
「……あなたの言う通りだわ。イリコ」
青い瞳が、きらりと光る。
「バトルは―――実力だけで、決まるものじゃないわ。ええ、そうね……ごめんなさい。わたしが、弱気になっちゃ、ダメね」
アオはそう言ってから、真剣な眼差しでマサバの方を見た。
「マサバ。ヒッセンは持ってきている？」
「……え？」
マサバは一瞬きょとんとしてから、表情を引きつらせて、
「……え。あの、まさか……持て、ってこと……？」
「インクアーマーが要るわ。かといって、わたしが黒ザップに持ち返るのは悪手よ」
アオはマサバからの答えを待たずに、今度はクロトガの方を向く。
「クロトガ。あなたはスプラチャージャーをお願い」
「……お前に言われなくても持ってやるよ」
クロトガはアオの表情を見て、覚悟を決めたようだった。
「あお、アオちゃん本気か！？本気であの四人に勝つつもりで―――」
「本気よ」
アオはきっぱりと言い切った。その瞳は、いつになく強い光を宿している。
「イリコの言う通りだわ。負けるつもりのバトルなんて、何の意味も持たない……負けていいバトルなんて、きっとこの世のどこにもないわ」
―――そうだ。その通りだ。
自分の言いたいことが伝わっていたのが嬉しくて、アオの言葉に、イリコは何度もうなずく。
マサバはアオの瞳に気圧されたように、しばらく黙り込んでいたが、
「……わかった。アオちゃんの言うとおりやな」
と、やがて溜め息と共に言った。
「いや、イリコちゃんの言うとおり、か……確かに、勝つつもりじゃないバトルに意味はない、な」
「……俺たちには、耳が痛くなる話だな」
マサバの呟きに、セイゴが独り言のようにこぼす。
「ええ。そんなバトルに意味はないわ。だから、全力で立ち向かいましょう―――」
アオは青く輝く眼差しで四人を見渡し、きっぱりと言った。
「わたしたち全員で、あの四人に勝つのよ」