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イリコとバトル<後編>

ラキアの執務室を出た途端、アオの肩が震え出す。
どうしたのかとイリコが声を掛ける前に、「アオちゃん、大丈夫か?」と、マサバが心配そうに言った。
「……なんなの……」
アオは突然、溜まりかねたように床を踏み鳴らす。
「なんなのラキアは、相変わらず好き勝手に言いたいことだけ言って……!!」
アオは泣き出しそうな顔で頭を大きく振る。
見たことのないアオの様子に、イリコもクロトガも呆気にとられているなかで、マサバはやれやれと言う風に小さく肩をすくめていた。
「こっちはそれどころじゃないっていうのに!!いつもいつも、あえて空気を読まずにペースを持っていくんだから……!!」
「まあまあまあまあ……」
マサバはアオを宥めるように、彼女の肩を軽く叩く。
「アオちゃん、前からラキアちゃんのこと苦手やもんなぁ……わからんでもないけど……」
「だからここには来たくないのよ……疲れてしょうがないわ……」
アオは大きく溜め息を吐いて、肩を落としている。
イリコは少し迷ってから、あえて声をかけてみることにした。
「あ、あの……アオさん」
「!」
イリコに声をかけられた途端、アオははっとしたように顔を上げた。
その表情に、イリコは喉の奥が詰まるような感覚を覚えながら、何とか言葉を続ける。
「……大丈夫、ですか……?」
「……ごめんなさい」
アオはうつむいて、小さな声で言った。
「……さっきは……ごめんなさい」
「あ、いえあの、えっと、な、なんていうか……」
アオのいつになく落ち込んだ様子に、イリコもそれ以上何を言えばいいかわからなくなってしまう。
言いたいことは、いっぱいあったはずなのに……。
「立ち話もなんやし、近くのラウンジ行かん?」
アオとイリコの様子を見かねたらしいマサバが、廊下の先を指さした。
「ここらの施設なら使ていいってラキアちゃんも言うてたし?ほらほら、いこ」
「…………」
アオとイリコはちらりとお互いの顔を見合わせてから、こくりとうなずいた。



***



「おれら飲み物買ってくるね」
廊下の角に用意された休憩スペースに着くなり、マサバはそう言って、クロトガを連れてどこかに行ってしまった。
その背中を見送ってから、アオはぽつりと、
「……気を遣わせてしまったわね」
と、呟いた。
「……あの、アオさん」
せっかくマサバが作ってくれた機会だ。
イリコは勇気を出して、もう一度アオに話しかける。
アオは遠慮がちな視線ながらも、イリコの方を振り返ってくれた。
「……ごめんなさい」
「……え?」
「黙ってて、ごめんなさい」
イリコはそう繰り返して、アオに向かって頭を下げる。
「いっぱい心配かけたのに、そこに関しては、ちゃんと謝ってなかったなって思って……」
まずは、ちゃんと自分が謝るべきだったと、イリコは内心で反省していた。
アオの言動に関して許せないことはあったが(今でも許してはいないが)、それとこれとは話が別だったはずだ。
「結局、今日はセイゴさんやラキアさんたちに助けられないとどうしようもなかったし……あの時アオさんやマサバさんが駆けつけてくれなかったら、どうなってたかわからないし……心配かけて、本当にごめんなさい」
「……いいのよ」
アオは静かにそう言ってくれた。
イリコが顔を上げると、アオは小さくうつむいて、
「わたしも……わたしも、ごめんなさい」
アオは呟くような声で、申し訳なさそうに言った。
「イリコが……あんな風に怒るとは、思ってもみなくて……」
「だって……」
「わかってるわ」
アオはそっとイリコを遮ってから、青い瞳で―――いつものアオの表情で、イリコと向き合った。
「これは、わたしが『悪い』のよ……たぶん、あなたが怒ったのとは違う……正しい意味で」
「…………」
イリコは、黙ってアオを見つめ返した。
アオが、真正面から自分と向き合ってくれている。
それなら、自分もそうするべきだと思った。
「イリコ、わたしはね……」
アオは少し言葉を探すように視線をさまよわせてから、再びイリコの方を見た。
「……怖いのよ」
「……怖い?」
繰り返すイリコに、アオはうなずいてみせる。
「わたし……わたしはね、イリコ……」
アオは息を吸い込むと、吐き出すようにして、言った。
「あなたに、嫌われたくないの」
「…………」
「マサバにも、セイゴにも、ハチにも、クロトガにも……誰にも、嫌われたくないの」
でも、と、アオは苦しそうに顔をゆがめる。
「でも……いつも上手くできないの。昔から……昔から、ずっと、そうなの」
イリコは黙ってアオを見つめていた。アオの言葉から、もう目を逸らさないと決めていた。
アオは必死で、イリコに向かって言葉を紡いでいた。
「いつも、いつも言いたいことを上手く言えないし、正しいことを、選べないから……だから、だからいつも周りを怒らせて、時には傷つけて……。それは、それはわたしの責任で、わたしが悪いんだと思ってた。だから、わたしが、わたしがうまくやれないなら、わたしがいない方が……わたしがいない方が、みんな、楽しく過ごせると思ってた。わたしなんて、いない方がいいんだって……」
「…………」
「……でも、でも……」
アオは大きく首を振ると、大きく溜め息を吐いた。
「……そうね、いい加減、認めるべきだわ……」
彼女は再びイリコと向き合う。
「わたしは、ただそうやって言い訳をして、ずっと逃げようとしてきただけだったんだわ……そして、今日……あなたからも、逃げようとしたのね」
アオはそう言って、悔しそうにうつむいた。
「わたしは……ただの、臆病者だわ」
「……アオさんが臆病者かは、わからないけど」
イリコはアオを気遣いながら、静かな声で言った。
「あなたが誰より優しいひとだっていうことは、私知ってます」
「…………」
「優しいから、誰も傷つけたくなくて、だから、離れようとしてくれたんですよね」
でも、と、イリコはアオを真剣な表情で見つめる。
「それは、間違った優しさだと思います。わたしやマサバさんたちが、アオさんがいなくなって、本当に喜ぶと思いますか?」
イリコの問いかけに、アオはしばらく黙ってから、ゆっくりと首を横に振った。
「……思わないわ……」
「そうでしょ?マサバさんなんか、きっとすぐに否定してきますよ」
イリコは言いながら、ふふっと笑った。
「それも、めちゃくちゃおっきい声で。私が、今日ラキアさんに言ったみたいに」
イリコの表情に釣られて、アオも微笑んだ。
アオの笑顔に、イリコはちょっとほっとしてから、またあえて真面目な顔をする。
「……ねえ、アオさん」
「……なに?イリコ」
「私、アオさんといるのは楽しいです」
イリコが断言すると、アオはちょっと驚いたようだった。
「アオさんは違いますか?私といても、楽しくないですか?」
「……そんなことないわ……」
アオはまた、首を横に振った。
「わたし……わたしは、イリコといるのが楽しいし、あなたの成長を間近で見たいと思ってる。それに、何より……あなたと、バトルがしたかった」
そうだ。
自分たちはバトルをきっかけに出会い、バトルを通じて仲良くなった。
だから。
だから、これからも。
「わたし……これからも、あなたとバトルがしたいわ」
アオはそう言って、イリコの方に向き直る。
「あなたと、これからも同じ場所で戦いたい。あなたと……これからも、友達でいたいわ」
「私だってそうですよ」
イリコはにっこり笑って、うなずいてみせた。
「私はアオさんがいて嫌だったことなんて、一度もありません。だからこれからも仲良くできたら嬉しいです。ずっと!」
そう言うイリコの表情を、青い瞳でじっと見つめてから、アオは柔らかく笑う。
「……ありがとう、イリコ」
どういたしましてとは、イリコはあえて言わなかった。
アオに向かってひとつだけうなずくと、アオもそれに応えるようにうなずいてくれた。
「……いつかあなたには、わたしの話を全部聞いてもらわなくちゃね。でも……」
アオはそう言いながら、おもむろに後ろを振り返る。
「後ろで待っている彼らもいることだし……また今度ね」
「え?」
イリコもとっさに後ろを振り返った。
物陰で何かが動く気配がする。
アオは小さく肩をすくめてから、
「二人とも、もう出てきていいわよ……気を遣わせて悪かったわね」
「……アオちゃんには敵わんなぁ……」
バツが悪そうな顔をしてひょっこり出てきたのは、マサバだった。ついで、クロトガが不機嫌そうな表情で顔を出す。
「ふ、二人ともいたんですか!?」
「いやごめん、出てくるタイミング逃しててん……」
「嘘つけ、テメェずっとここにいただろうが」
「クロくんそういうことは言わんの!!!!!」
イリコが思わず脱力していると、マサバは「邪魔するつもりはなかってん」と申し訳なさそうに言いながら、近くの自販機で買ってきた飲み物を配ってくれた。
それを受け取り、お礼を言おうとしてから、イリコは言わなければいけないことを思い出す。
「あ、あの、マサバさん」
「ん?どないしたの?」
ぱちくりとまばたきするマサバに対し、イリコは深々と頭を下げる。
「心配かけて、ごめんなさい」
マサバは一瞬きょとんとしてから、
「……んも~、しゃあない子やなぁ」
そう言って、マサバは軽くイリコの頭を撫でた。
優しい兄のような手つきに、イリコが思わず顔を上げると、マサバは穏やかに笑っていた。
「よしよし、もうええて。きみが無事で、本当に良かった」
「マサバさん……」
「今日のことは、とりあえず置いとこ。今は他に話さなあかんこともあるやろし」
「やっと本題かよ……」
疲れ切ったようにクロトガがぼやいた。
何だかんだずっと付き合ってくれている辺り、やっぱり悪いひとじゃないよなぁと、イリコは内心で思った。
「ラキアからの申し出の件ね……」
アオの視線がイリコへと向けられる。
なんだか緊張しながら、イリコは恐る恐る、
「え、えっと……あの、アオさん、私……」
「……言わなくてもわかってるわ」
アオはそう言って、イリコに向かって微笑んでみせた。
「バトル、してみたいんでしょう?彼等と」
「い、いいんですか!?」
「正直、あんな目にあわせた後でバトルさせるのは、心配なのだけれど……」
アオはそう言いつつも、うなずいてくれた。
「高ランカーとのバトルのチャンスを逃すのは、あなたにとっても不本意でしょう。だから、マサバもクロトガも協力してくれるなら、私は構わないわ」
「……やっぱやるん?」
マサバは今ひとつ気乗りしないと言った顔だが、クロトガは何も言わずにコーラを飲んでいる。
「嫌なの?」
「嫌っていうか……」
「マサバが参加しないなら、今の話はなしよ」
言葉を濁すマサバに対し、アオはきっぱりとそう言った。
「イリコには悪いけれど……」
「え?!え!!?なんで!?!」
マサバは驚きのあまり半分立ち上がりながら、アオに向かって身を乗り出す。
「お、おれやなくてもハチコーとか代わり呼ぼうと思えば呼べるやん!?実力だってハチコーのほうが……」
「わたしのバトルのクセを一番よくわかっているのはあなただもの」
動揺するマサバに向かって、アオは当たり前のような顔で言う。
「あなたが今回戦わないなら、わたしも戦わないわ。わたしにとって、あなたの代わりはいないもの」
「…………」
アオの発言に、マサバは呆然とした表情で言葉を失っている。
大丈夫かなぁと、イリコは内心心配になってしまった。
フリーズしてしまったマサバに構いもせず、アオはクロトガの方を見て、
「クロトガは参加で構わないわね?」
「いちいち聞くな」
コーラの空き缶をゴミ箱に放り込みながら、クロトガは言った。
アオは無愛想な返事を気にすることなく、「わかったわ」とうなずいただけだった。
「……あ、あ、あっ……」
「……ま、マサバさん?」
マサバはやがてぶるぶると震え出し、絞り出したような声で、
「アオちゃんのっ、おれタラシ……!!!」
「……え?」
「アオちゃんのおれタラシ!!!!!いけず!!!!!そんなん言われたら断れんやん!!!!!」
マサバは何故か泣き出しそうな顔で(イリコには何となく理由がわかったけれど)、アオに向かって宣言する。
「やりますやります俺も参加すりゃええねんな!?ちくしょーいいとこ見せたらぁ!!!!!頑張るからな!!!!!」
「あ、ありがとう……?」
マサバのやけっぱち気味な様子にアオは戸惑いつつも、「あなたが一緒なら心強いわ」と、一人で納得したようだった。
「それならまずは……」
「腹ごしらえじゃね?」
アオの言葉を遮るようにして、呑気な声が割って入る。
四人が一斉に振り返ると、そこには
「よっ」
……女装スタイルのセイゴが、ひらひらと片手を揺らしていた。



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