イリコとバトル<前編>
***
ようやく帰宅し、イリコは大きく息を吐きながら床に荷物を下ろした。
せっかくだからと奮発して、ブキを二つも買ってしまった。
おちばシューターと、ボールドマーカー。
どちらもシューターに類するブキだ。まずはやっぱり塗りを意識してみたいと言うイリコに、チョコが勧めてくれたものだ。
次に使う機会を楽しみにしながら、何気なくイカフォンを見やる。
いつの間にかチョコからメッセージが着信していた。今日はありがとう、といった旨の連絡だ。
それを見て、イリコはふとミントのことを思い出した。
(……ミンちゃん、大丈夫だったのかなぁ)
ミントとはぐれてから少しして、彼女から『急な用事が出来たから帰る。二人で行ってきて』と言う連絡がきたのだった。
そのメッセージに「わかった、またね」と返事はしたのだが、ミントからの返信はなかった。
……ミントは、急な用事ができたからといって、イリコたちに何も言わずに帰るような子ではない。
一応既読はついたので、チョコが後で電話してくれるという話にはなったのだが。
「…………」
やっぱりちょっと心配だ。寝る前にさりげなくメッセージを送っておこうと思いながら、イリコは買ってきたブキを片付けることにした。
明日のアオとの待ち合わせには、もみじシューターとおちばシューターを持って行ってみよう。
ミントのことは少しだけ気にかかるけれど、今日はとっても楽しかったし、明日アオたちに会うのも、ものすごく楽しみだ。
明日は何をしようか考えながら、イリコはいそいそと夕ご飯の支度を始めることにした。
***
日曜日。
待ち合わせの時間になっても、イリコは姿を現さなかった。
マサバとクロトガ、ハチがやってきてしばらくしても、何の連絡もこない。
何度か電話をかけてみたが、繋がらない。メッセージに既読もつかない。
何コールしても繋がらない電話の画面を、アオは不安そうに眺めた。
「……どうしたのかしら、イリコ……」
「どっかでバトルでもしてんじゃねえのか?」
クロトガが怪訝そうに言った。
「イリコはそんな子じゃないわ……」
アオはそう言って首を横に振ってみせる。
「それにこの時間なら、スケジュール変更で一度部屋が解散になっているはずだわ。それで気付かないほど、あの子は鈍くないもの……」
「探しに行ってみマショウか」
ハチが気遣わしげに言うと、マサバが黙って立ち上がった。
「マサバ?」
「俺が探しに行ってくるよ、アオちゃんはここで待ってて」
マサバはイカフォンと財布だけをポケットに押し込み、ハチに「アオちゃんのこと頼むな」と言った。
「待って、それなら私も……」
「何かあって行き違ってるだけかもしれんし、すれ違いなったら困るやん?だからアオちゃんはここで待って―――」
マサバがアオに言い聞かせようとした、そのときだった。
「マサバッ!!!!!」
息を切らしながら店に飛び込んできたのは、セイゴだった。
店内の客や店員が不思議そうな視線を投げかけるのも無視して、セイゴは慌てた様子でマサバたちの方へと駆け寄る。
「セイゴ。どないしたん……」
「ピーニアが!!」
その名前を聞いた瞬間、マサバの眉がつり上がり、アオは目を見開いた。
そして、
「ピーニアがロビー前で、イリコちゃんを―――」
セイゴが言い切るよりも早く、アオは立ち上がる。
「アオッ!!」「アオサン!!」
マサバとハチの制止も聞かずに、アオは急いでセイゴの脇を駆け抜け、店を飛び出していった。
ただ真っ直ぐ走った。ひたすらに。必死に。
***
―――少し時間を遡り、その日の朝。
思ったより早く起きてしまったイリコは、ロビー前のベンチで何となくぼんやりしていた。
空はほんの少し曇っているようだった。けれど、雨でもなければ屋外でのバトルに支障はないだろう。
待ち合わせ場所に早く着きすぎてしまうと、アオが気を遣ってしまう。
自分より年上で実力も上なのに、アオは何かとイリコに気を遣いがちだ。
彼女が誰にでもそうなのだということは何となく気が付いてはいるけれど、そうだとしても、ちょっと寂しい……。
と。
「……イリちゃん」
聞き覚えのある声がして、イリコはそちらに視線を向ける。
「あ!ミンちゃん!」
イリコは思わずベンチから立ち上がった。ミントはブキケースの取っ手をぎゅっと握りしめて、うつむいている。
「き、昨日はごめんね……」
「気にしなくていいよ~!あ、メッセージ見てくれた?チョコちゃんも心配してて……」
「あっ、あのねっ!」
唐突に、ミントがイリコの話を遮る。
イリコが思わずぽかんとしていると、ミントは俯いたまま言った。
「きょ、今日、友達とプラベするっ、約束してて……それでにんっ、人数、足りないから……イリちゃんにも、来てもらえないかなぁって……」
「えっと……」
うつむいているせいで、ミントの表情が前髪で隠れて見えない。
でも。
でも、何かがおかしい。
妙な胸騒ぎを覚えながら、イリコはひとまず、
「あの……ごめん、ミンちゃん。私、今日アオさんと約束があるから……」
「お願いっ!!」
勢い良く顔を上げたミントの顔は―――濡れていた。
泣き腫らしたのであろう真っ赤な目から、涙がぼろぼろと零れている。
イリコは言葉を失った。
そして―――昔のことを、思い出した。
「ごっ、ごめんなさい!でもっ、でも私っ……イリちゃんのこと、連れて……一緒にっ……!!」
「……ミンちゃん」
イリコは、自分でも驚くほどに冷えた声で言った。
「ミンちゃん。それ、誰に言われてきたの?」
「う……」
ミントはただ、首を左右に振るだけだった。言えない、というジェスチャーだと理解して、イリコはただうなずく。
「……わかった」
「ごっ、ごめんなさいイリちゃん、わたしっ、わたし……!」
「いいよ、もう」
イリコは立ち上がると、ポケットからハンカチを出して、ミントに差し出す。
ミントは首を振って遠慮するが、イリコはハンカチを無理矢理握らせて、ブキケースを大切そうに抱え直した。
「行く前に、アオさんに連絡とっていい?」
ミントは慌てて首を振る。
イリコは大きくうなずいた。
「わかった。なら、このまま一緒に行くよ……でも、ミンちゃん。一個だけ聞いて」
「……?」
人差し指を立ててみせるイリコに、ミントは不思議そうな顔をする。
イリコは出来るだけお茶目に見えるように、笑顔を作って言った。
「私が怒ってたとしても、それはミンちゃんにじゃないからね。そこは、気にしないで大丈夫!」
「……い、イリちゃん……」
「さ、行こう」
ミントを安心させるように笑いかけてから、イリコは言った。
「大丈夫、一緒に行くから」
ミントはイリコから渡されたハンカチをぎゅっと握ったまま、申し訳なさそうにうなずいた。
***
ミントがイリコを連れて行ったのは、プライベートマッチ用に予約されたBバスパークだった。
ステージは貸し切りになっているようで、時間制限なく使えるとのことだったが……イリコとミント以外、誰もいない。
「……他のひとは、まだみたいだね」
「…………」
ミントは一つだけうなずいた。
「み、みんな……後で来るって……」
(てことは、相手は複数か……)
イリコは内心、舌打ちしたい気持ちでいっぱいだった。ミントがいなかったら、多分そうしている。
―――昔も、こういうことがあった。
あれは確か、中学生の時。
ミントがクラスの生意気な集団にいじめられていた時、イリコが怒って助けに入ったのがきっかけだった。
泣きながらイリコを呼びにきたミントは、今日のようにごめんなさい、ごめんなさいと何度も謝りながら、ミントはどうしても一緒に来て欲しいと頼み込んできた。
あの時の行き先は確か、学校の生物室だったか。
向かった先には、ミントをいじめていた生徒のなかでも、一番意地悪なやつ待ち構えていて―――
「い、イリちゃん……」
ミントがイリコのフクの裾を握る。
イリコは昔を思い出すのをやめて、もみじシューターを握りしめ直した。。
ミントの手の震えが、フクの端から伝わってくる。
「やばっ、マジで来てるんだけど~」
「金魚のフンに金魚のフンがくっついてる、ウケる~!」
「ていうかハミガキ粉泣いてんじゃ~ん」
「汚い顔してお似合いだよね~」
Bバスパーク特有の波打つ床を縫うようにして、4人のガールたちが、甲高い耳障りな笑い声を立てながら現れた。
イリコはリスポーン地点の下に視線を下ろしす。
派手なメイクに派手な服装、ちゃらちゃらとしたアクセサリー。
いかにもバトルに邪魔そうだな、と思った。
そしてやっぱり、バトルにしにきたんじゃないだろうとも。
「ちょっと~、リスポーン地点から出てきなさいよブス~!」
「バトルになんないじゃ~ん!」
中心にいるガールを取り巻くようにしながら、派手なガールたちがはやし立てる。
イリコは呆れたように溜め息をついてから、ちらっとミントの方を見た。
「ミンちゃん。リスポーン地点から絶対に出ないでね」
「えっ」
イリコの思いがけない言葉に、ミントは怯えたような表情をする。
「い、イリちゃん……?」
「私なら大丈夫」
イリコはそう言ってにっこり笑った。
「だから、絶対ここにいてね」
「……」
おずおずとミントがうなずいたのを確かめてから、イリコは前に向き直り、表情を引き締める。
油断していないことを相手に見せつけるように、背筋を伸ばして、リスポーン地点から歩み出ていった。
「ちんたらしてんじゃないわよ」
中心にいた一人のイカガールが、黄色いマニューバー種のブキを手にしたまま、偉そうに顎をあげてみせる。
こいつがボスか、と、イリコはそう当たりをつけた。
「呼んだらさっさと来なさいよ。あんた、自分の立場わかってんの?」
「あんたこそ、自分の立場わかってんの?」
イリコに言い返され、相手のガールはぽかんとした。
「……は?」
「あんたがピーニア?」
イリコにそう言われるなり、ガールは一瞬うろたえたような表情で、
「は?な、なんであたしのこと……」
「ミントに何したの?」
「……え?」
「私の友達に何したって聞いてんのよ、このちぢれゲソ」
イリコの暴言に、ピーニアの表情が固まった。
イリコは燃えるような視線でピーニアを睨みながら、
「私の友達泣かした挙げ句に偉そうな顔で偉そうに口聞いて、何様のつもり?」
「なっ……」
「返答次第じゃぶちのめすけど、いいよね?」
イリコの持っているもみじシューターを見て、周囲の取り巻きたちが慌てたようにピーニアを庇おうとする。
ピーニアは困惑の表情を顔いっぱいに浮かべながら、震える声で
「な、なんなのよあんた……あ、頭おかしいんじゃないの?!人の話も聞かずに……」
「あんたがあたしの友達泣かせたからだろうが!!!!!!!!!!!!!!!!!」
―――イリコの怒声が、曇り空にびりびりと響き渡った。
ピーニアたちが身をすくめるのも構わずに、イリコは更に怒鳴った。
「いい加減にして!!!!!!!!顔出して第一声で暴言吐くようなやつに、頭おかしいとか言われたくないんですけど!?!!私はねえ―――――」
イリコは激昂するままに、ピーニアに向かって叫んだ。
「友達泣かされてハイハイ話聞けるほどお人好しじゃないの!!!!!わかったら、さっさとミントに謝って!!!!!!!!!!」
「……あ、あんた、」
イリコの勢いに気圧されながらも、ピーニアはなんとか虚勢を張って、イリコを睨み付ける。
「や、やっぱり自分の立場がわかってないんじゃないの……こっちは4人、そっちはあの役立たずのミントを入れて2人でしょ?バトルに持ち込んだら、どっちがぶちのめされるかぐらいはわかるんじゃないの?」
「はぁ……」
イリコは怒鳴るのをやめて、呆れたように目を細める。
「2対4に持ち込まなきゃ勝てないの?あんたって、やることも考えることも雑魚丸出しなんだね」
「こっ……の……!!!」
ピーニアが噛み付くように、イリコに食ってかかる。
「生意気なのよ、あんた!!!!!ただの、アオの金魚のフンのくせに!!!!!」
「そのフンに、4人がかりじゃないと勝てないんでしょ」
イリコは冷え切った目でピーニアを蔑んだ。
「だから雑魚だって言ってるのに、わかんない?そんなんだから、」
一瞬言葉を溜めてから、イリコは静かに言い放つ。
「……卑怯な手を使わないと、アオさんに勝てない。違う?」
「…………っっ!!!」
ピーニアは言葉を失って、丸い目を大きく見開いた。
ようやく帰宅し、イリコは大きく息を吐きながら床に荷物を下ろした。
せっかくだからと奮発して、ブキを二つも買ってしまった。
おちばシューターと、ボールドマーカー。
どちらもシューターに類するブキだ。まずはやっぱり塗りを意識してみたいと言うイリコに、チョコが勧めてくれたものだ。
次に使う機会を楽しみにしながら、何気なくイカフォンを見やる。
いつの間にかチョコからメッセージが着信していた。今日はありがとう、といった旨の連絡だ。
それを見て、イリコはふとミントのことを思い出した。
(……ミンちゃん、大丈夫だったのかなぁ)
ミントとはぐれてから少しして、彼女から『急な用事が出来たから帰る。二人で行ってきて』と言う連絡がきたのだった。
そのメッセージに「わかった、またね」と返事はしたのだが、ミントからの返信はなかった。
……ミントは、急な用事ができたからといって、イリコたちに何も言わずに帰るような子ではない。
一応既読はついたので、チョコが後で電話してくれるという話にはなったのだが。
「…………」
やっぱりちょっと心配だ。寝る前にさりげなくメッセージを送っておこうと思いながら、イリコは買ってきたブキを片付けることにした。
明日のアオとの待ち合わせには、もみじシューターとおちばシューターを持って行ってみよう。
ミントのことは少しだけ気にかかるけれど、今日はとっても楽しかったし、明日アオたちに会うのも、ものすごく楽しみだ。
明日は何をしようか考えながら、イリコはいそいそと夕ご飯の支度を始めることにした。
***
日曜日。
待ち合わせの時間になっても、イリコは姿を現さなかった。
マサバとクロトガ、ハチがやってきてしばらくしても、何の連絡もこない。
何度か電話をかけてみたが、繋がらない。メッセージに既読もつかない。
何コールしても繋がらない電話の画面を、アオは不安そうに眺めた。
「……どうしたのかしら、イリコ……」
「どっかでバトルでもしてんじゃねえのか?」
クロトガが怪訝そうに言った。
「イリコはそんな子じゃないわ……」
アオはそう言って首を横に振ってみせる。
「それにこの時間なら、スケジュール変更で一度部屋が解散になっているはずだわ。それで気付かないほど、あの子は鈍くないもの……」
「探しに行ってみマショウか」
ハチが気遣わしげに言うと、マサバが黙って立ち上がった。
「マサバ?」
「俺が探しに行ってくるよ、アオちゃんはここで待ってて」
マサバはイカフォンと財布だけをポケットに押し込み、ハチに「アオちゃんのこと頼むな」と言った。
「待って、それなら私も……」
「何かあって行き違ってるだけかもしれんし、すれ違いなったら困るやん?だからアオちゃんはここで待って―――」
マサバがアオに言い聞かせようとした、そのときだった。
「マサバッ!!!!!」
息を切らしながら店に飛び込んできたのは、セイゴだった。
店内の客や店員が不思議そうな視線を投げかけるのも無視して、セイゴは慌てた様子でマサバたちの方へと駆け寄る。
「セイゴ。どないしたん……」
「ピーニアが!!」
その名前を聞いた瞬間、マサバの眉がつり上がり、アオは目を見開いた。
そして、
「ピーニアがロビー前で、イリコちゃんを―――」
セイゴが言い切るよりも早く、アオは立ち上がる。
「アオッ!!」「アオサン!!」
マサバとハチの制止も聞かずに、アオは急いでセイゴの脇を駆け抜け、店を飛び出していった。
ただ真っ直ぐ走った。ひたすらに。必死に。
***
―――少し時間を遡り、その日の朝。
思ったより早く起きてしまったイリコは、ロビー前のベンチで何となくぼんやりしていた。
空はほんの少し曇っているようだった。けれど、雨でもなければ屋外でのバトルに支障はないだろう。
待ち合わせ場所に早く着きすぎてしまうと、アオが気を遣ってしまう。
自分より年上で実力も上なのに、アオは何かとイリコに気を遣いがちだ。
彼女が誰にでもそうなのだということは何となく気が付いてはいるけれど、そうだとしても、ちょっと寂しい……。
と。
「……イリちゃん」
聞き覚えのある声がして、イリコはそちらに視線を向ける。
「あ!ミンちゃん!」
イリコは思わずベンチから立ち上がった。ミントはブキケースの取っ手をぎゅっと握りしめて、うつむいている。
「き、昨日はごめんね……」
「気にしなくていいよ~!あ、メッセージ見てくれた?チョコちゃんも心配してて……」
「あっ、あのねっ!」
唐突に、ミントがイリコの話を遮る。
イリコが思わずぽかんとしていると、ミントは俯いたまま言った。
「きょ、今日、友達とプラベするっ、約束してて……それでにんっ、人数、足りないから……イリちゃんにも、来てもらえないかなぁって……」
「えっと……」
うつむいているせいで、ミントの表情が前髪で隠れて見えない。
でも。
でも、何かがおかしい。
妙な胸騒ぎを覚えながら、イリコはひとまず、
「あの……ごめん、ミンちゃん。私、今日アオさんと約束があるから……」
「お願いっ!!」
勢い良く顔を上げたミントの顔は―――濡れていた。
泣き腫らしたのであろう真っ赤な目から、涙がぼろぼろと零れている。
イリコは言葉を失った。
そして―――昔のことを、思い出した。
「ごっ、ごめんなさい!でもっ、でも私っ……イリちゃんのこと、連れて……一緒にっ……!!」
「……ミンちゃん」
イリコは、自分でも驚くほどに冷えた声で言った。
「ミンちゃん。それ、誰に言われてきたの?」
「う……」
ミントはただ、首を左右に振るだけだった。言えない、というジェスチャーだと理解して、イリコはただうなずく。
「……わかった」
「ごっ、ごめんなさいイリちゃん、わたしっ、わたし……!」
「いいよ、もう」
イリコは立ち上がると、ポケットからハンカチを出して、ミントに差し出す。
ミントは首を振って遠慮するが、イリコはハンカチを無理矢理握らせて、ブキケースを大切そうに抱え直した。
「行く前に、アオさんに連絡とっていい?」
ミントは慌てて首を振る。
イリコは大きくうなずいた。
「わかった。なら、このまま一緒に行くよ……でも、ミンちゃん。一個だけ聞いて」
「……?」
人差し指を立ててみせるイリコに、ミントは不思議そうな顔をする。
イリコは出来るだけお茶目に見えるように、笑顔を作って言った。
「私が怒ってたとしても、それはミンちゃんにじゃないからね。そこは、気にしないで大丈夫!」
「……い、イリちゃん……」
「さ、行こう」
ミントを安心させるように笑いかけてから、イリコは言った。
「大丈夫、一緒に行くから」
ミントはイリコから渡されたハンカチをぎゅっと握ったまま、申し訳なさそうにうなずいた。
***
ミントがイリコを連れて行ったのは、プライベートマッチ用に予約されたBバスパークだった。
ステージは貸し切りになっているようで、時間制限なく使えるとのことだったが……イリコとミント以外、誰もいない。
「……他のひとは、まだみたいだね」
「…………」
ミントは一つだけうなずいた。
「み、みんな……後で来るって……」
(てことは、相手は複数か……)
イリコは内心、舌打ちしたい気持ちでいっぱいだった。ミントがいなかったら、多分そうしている。
―――昔も、こういうことがあった。
あれは確か、中学生の時。
ミントがクラスの生意気な集団にいじめられていた時、イリコが怒って助けに入ったのがきっかけだった。
泣きながらイリコを呼びにきたミントは、今日のようにごめんなさい、ごめんなさいと何度も謝りながら、ミントはどうしても一緒に来て欲しいと頼み込んできた。
あの時の行き先は確か、学校の生物室だったか。
向かった先には、ミントをいじめていた生徒のなかでも、一番意地悪なやつ待ち構えていて―――
「い、イリちゃん……」
ミントがイリコのフクの裾を握る。
イリコは昔を思い出すのをやめて、もみじシューターを握りしめ直した。。
ミントの手の震えが、フクの端から伝わってくる。
「やばっ、マジで来てるんだけど~」
「金魚のフンに金魚のフンがくっついてる、ウケる~!」
「ていうかハミガキ粉泣いてんじゃ~ん」
「汚い顔してお似合いだよね~」
Bバスパーク特有の波打つ床を縫うようにして、4人のガールたちが、甲高い耳障りな笑い声を立てながら現れた。
イリコはリスポーン地点の下に視線を下ろしす。
派手なメイクに派手な服装、ちゃらちゃらとしたアクセサリー。
いかにもバトルに邪魔そうだな、と思った。
そしてやっぱり、バトルにしにきたんじゃないだろうとも。
「ちょっと~、リスポーン地点から出てきなさいよブス~!」
「バトルになんないじゃ~ん!」
中心にいるガールを取り巻くようにしながら、派手なガールたちがはやし立てる。
イリコは呆れたように溜め息をついてから、ちらっとミントの方を見た。
「ミンちゃん。リスポーン地点から絶対に出ないでね」
「えっ」
イリコの思いがけない言葉に、ミントは怯えたような表情をする。
「い、イリちゃん……?」
「私なら大丈夫」
イリコはそう言ってにっこり笑った。
「だから、絶対ここにいてね」
「……」
おずおずとミントがうなずいたのを確かめてから、イリコは前に向き直り、表情を引き締める。
油断していないことを相手に見せつけるように、背筋を伸ばして、リスポーン地点から歩み出ていった。
「ちんたらしてんじゃないわよ」
中心にいた一人のイカガールが、黄色いマニューバー種のブキを手にしたまま、偉そうに顎をあげてみせる。
こいつがボスか、と、イリコはそう当たりをつけた。
「呼んだらさっさと来なさいよ。あんた、自分の立場わかってんの?」
「あんたこそ、自分の立場わかってんの?」
イリコに言い返され、相手のガールはぽかんとした。
「……は?」
「あんたがピーニア?」
イリコにそう言われるなり、ガールは一瞬うろたえたような表情で、
「は?な、なんであたしのこと……」
「ミントに何したの?」
「……え?」
「私の友達に何したって聞いてんのよ、このちぢれゲソ」
イリコの暴言に、ピーニアの表情が固まった。
イリコは燃えるような視線でピーニアを睨みながら、
「私の友達泣かした挙げ句に偉そうな顔で偉そうに口聞いて、何様のつもり?」
「なっ……」
「返答次第じゃぶちのめすけど、いいよね?」
イリコの持っているもみじシューターを見て、周囲の取り巻きたちが慌てたようにピーニアを庇おうとする。
ピーニアは困惑の表情を顔いっぱいに浮かべながら、震える声で
「な、なんなのよあんた……あ、頭おかしいんじゃないの?!人の話も聞かずに……」
「あんたがあたしの友達泣かせたからだろうが!!!!!!!!!!!!!!!!!」
―――イリコの怒声が、曇り空にびりびりと響き渡った。
ピーニアたちが身をすくめるのも構わずに、イリコは更に怒鳴った。
「いい加減にして!!!!!!!!顔出して第一声で暴言吐くようなやつに、頭おかしいとか言われたくないんですけど!?!!私はねえ―――――」
イリコは激昂するままに、ピーニアに向かって叫んだ。
「友達泣かされてハイハイ話聞けるほどお人好しじゃないの!!!!!わかったら、さっさとミントに謝って!!!!!!!!!!」
「……あ、あんた、」
イリコの勢いに気圧されながらも、ピーニアはなんとか虚勢を張って、イリコを睨み付ける。
「や、やっぱり自分の立場がわかってないんじゃないの……こっちは4人、そっちはあの役立たずのミントを入れて2人でしょ?バトルに持ち込んだら、どっちがぶちのめされるかぐらいはわかるんじゃないの?」
「はぁ……」
イリコは怒鳴るのをやめて、呆れたように目を細める。
「2対4に持ち込まなきゃ勝てないの?あんたって、やることも考えることも雑魚丸出しなんだね」
「こっ……の……!!!」
ピーニアが噛み付くように、イリコに食ってかかる。
「生意気なのよ、あんた!!!!!ただの、アオの金魚のフンのくせに!!!!!」
「そのフンに、4人がかりじゃないと勝てないんでしょ」
イリコは冷え切った目でピーニアを蔑んだ。
「だから雑魚だって言ってるのに、わかんない?そんなんだから、」
一瞬言葉を溜めてから、イリコは静かに言い放つ。
「……卑怯な手を使わないと、アオさんに勝てない。違う?」
「…………っっ!!!」
ピーニアは言葉を失って、丸い目を大きく見開いた。