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イリコとバトル<前編>

シオカラ亭を出てから、二人はタコツボキャニオンの外れに向かった。
スクエアに戻っても良かったが、内緒話をするなら、ここら辺が一番都合がいい。アオリとホタルも帰り支度をしていたし、彼女たちは聞き耳を立てるようなことはしないだろう。
深い渓谷が覗く谷間を眺めていると、不意にマサバが真剣な表情で言った。
「アオちゃん、俺らに何か黙っとることあるやろ」
マサバに言い当てられて、アオは思わず目を見開いた。
マサバが気付くとは思ってもみなかった―――確かに今日、アオはひとつだけ嘘を吐いた。
『クロトガの目的は、3号を探し出すこと』。
彼らにはそう伝えたのだ。
クロトガが3号を倒そうとしている、という話をすれば、彼らはきっとあのタコボーイを警戒するに違いないと思ってのことだった。
けれど―――アオには、クロトガが他人に害を成そうとするような少年には、どうも思えなかった。
だからあえて伏せた、のだけれど。
アオは少し迷って、何かを言いたげに唇を動かしてから、きゅっと口を引き締めた。
「……言う必要がないと思っただけよ」
その言葉に、マサバはちょっとだけショックを受けたらしい。
彼は唇を尖らせつつ、言いづらそうにしながら、
「別に言いたないならいいけど……アオちゃん、俺とか1号2号になんか隠してるとき、必ず目ぇ逸らすやん。クロくんのことで何か隠してることあるんやろなーって」
「……あなたって……」
そこまで言い当てられるとは。
感心していいのか、困惑していいのか戸惑いながらも、アオは結局、降参することにした。
「あなたって、本当に……わたしのことを、よく見てるのね」
「伊達に数年追いかけてませんとも。あ、いや変な意味でなくな?」
一瞬きりっとした表情を、慌てた様子で崩すマサバに、アオは思わず微笑んでしまう。
それを見たマサバが、ぎょっとしたような表情をしたのに気が付かないまま、
「……心配いらないわ」
と、アオは落ち着いた声音で伝えた。
「少しだけ話さなかったのは、あなたやアオリとホタル……1号と2号を、信用していないからじゃないの。余計な心配をかけたくないだけ」
でも、と言いたそうなマサバを押し留めて、アオは続ける。
「マサバは、わたし以上に隠し事が下手でしょうしね」
「んっんー!それは正直、否定できひんのやけども……」
マサバの傍にはセイゴがいる。幸い、彼はまだNew!カラストンビ部隊のことは気付いていないようだが……本気で調べようと思っていたら、恐らくあっさりバレてしまうだろう。
アオが3号であることも、マサバが4号であることも―――彼らが、タコとの戦いにおいて、危険に身をさらしていることも。
友人に余計な心配をかけたくないのは、マサバも同じらしい。
マサバは困ったように眉を下げながら、アオに念を押すようにして、
「ほんまに大丈夫なんだな?アオちゃん」
「大丈夫よ」
アオは言い切った。きっぱりとそう言ってから、慌てて、
「心配してくれてありがとう」
「……そんならええんやけど」
そう付け足すと、マサバはへにゃりと表情を緩めた。彼が安心してくれたらしいことがわかって、アオもちょっとだけ微笑み返す。
「安心してくれたなら良かったわ。でも……そうね、ごめんなさい。あなたに心配をかけてしまったわね」
「いやいや、それはええねん。アオちゃんに何事もないのが一番やし……あっ」
不意にマサバが何かを思い出したように声を上げ、こめかみを押さえ始める。
「どうかしたの?」
「ああ、いや、うーん……実は……」
マサバはごにょごにょと声色を濁してから、言いづらそうに言う。
「……ピーニアのことなんやけど」
その名前を聞いて、アオは眉をしかめた。
不快感からではない。どちらかというと、アオから彼女に対する感情は、複雑なものが多すぎた。
けれどマサバは、アオが不愉快になったと受け取ったようで、「あいつの話してごめんね」と、アオに謝った。
「構わないわ。それで……ピーニアがどうしたの?」
「ああうん、実はさ……」
―――と、その時だった。
マサバの話を遮るようにして、誰かのイカフォンが鳴った―――アオのものだ。
「……ごめんなさい」
「いや、ええよ」
出ていいよ、とジェスチャーしてくれるマサバに礼を言ってから、アオは急いでイカフォンを取り出す。
電話はイリコからだった。
アオは少し悩んでから、マサバの厚意に甘えることにした。
「……もしもし?イリコ?」
『あっアオさん!』
電話の向こうのイリコはどうもはしゃいでいる様子で、声がとにかく弾んでいた。
楽しそうな彼女の様子に驚きながらも、アオは「どうしたの?」と聞き返す。
『えっと、あの……えっとですね、』
「ちゃんと聞いているわ。落ち着いて話して……」
『私、ランク30に上がったんです!』
「!」
イリコの興奮気味の報告に、アオは思わず顔をほころばせた。
「そう、おめでとう……やっと一人前ね」
『はい!ありがとうございます!』
「でも……これからが本番よ」
アオは表情を引き締めてから、言った。
「ブキを全て扱えるようになったということは、自分に合ったブキとバトルスタイルを、本当の意味で確立させていけるということだわ。これからは、もっと色んなブキを練習していかないといけないわね」
『はい!頑張ります!』
元気いっぱいのイリコの返事に、アオがまた口元を緩めていると、
『それで、あの……明日、良かったら一緒にブキチさんのお店に行きたいなって。あと、色々ガチマッチとかのお話も聞きたいですし……』
「そうね。わたしもイリコとバトルがしたいし……」
ここ数日、イリコとほとんど一緒にバトルができていない。
明日のスケジュールを考えながら、アオはイリコに言った。
「それじゃあ、午前中にあの店で落ち合うことにしましょう。マサバたちも誘っていいかしら?」
『やったぁ!もちろんです!』
イリコの声が、ますますはしゃいだものになる。
『明日楽しみにしてますね!アオさんと久しぶりにバトルできるの、嬉しいです!』
「ええ、わたしも楽しみにしているわ……それじゃあね」
『はい!ありがとうございました!』
電話が切れて、アオはほっと一息吐いた。
……それから、ふと口角が上がってしまっていることに気が付く。
イリコの嬉しさが自分にも伝わってきているようで、なんだか胸がくすぐったい。
でも、それ以上に―――アオ自身も、とても嬉しかった。
イリコが「一人前」になったことも、真っ先にそれを自分に報告してきてくれたことも。
「イリコちゃん、なんやって?」
マサバに聞かれて、アオはゆっくりと振り返った。
「ランク30に上がったんですって」
「おお!やったやん!」
マサバもまた、自分のことのように嬉しそうだった。
アオは微笑んでうなずいてから、また一息ついた。
「あの子の成長はめざましいものがあるわね……まだまだスタートラインに立ったばかりとはいえ、いつか追い越されてしまうかもしれないわ」
「アオちゃんのウデマエに追いつくのはもうちょいかかると思うけど……そうやね、イリコちゃんならわからんな」
マサバはからりと笑ってから、ふと目を細めてみせる。
「なんか……長かったような短かったような、あっという間やったね」
「そうね……あの子が来てから、色々あったわ」
ずっと意地を張っていたマサバとのことも、戦う意味が見い出せずにいたバトルのことも。
イリコが来てから、大きな風が吹いている、ような気がする。
少なくとも、アオにとっては。
そう考えてから、アオはふと、ひとつのアイデアを思いついた。
けれど、それを実行するべきかどうか少し迷って、彼女はマサバに声をかけてみることにした。
「……ねえ、マサバ」
「ん?」
どしたの、と、マサバは首を傾げて話を聞いてくれた。
「その……こういうとき、何か贈り物……を、したりするのは、友人として適切なのかしら……?」
アオはおずおずと、困ったようにうつむく。
「その、お祝いをしてあげたいと思ったの、イリコに……。これまでたくさん頑張ってきたことだし、何かひとつ区切りをと思って……」
「ええんとちゃうかな?」
マサバの声は明るく、アオの背中を押してくれるものだった。彼はにっこり笑って、
「アオちゃんからのお祝いなら、きっとイリコちゃんも喜ぶよ。せっかくやし、これから何か選びにいく?」
「ほんとう?」
アオは、ぱっと明るくなった顔を急いで上げた。
「助かるわ……わたし一人じゃ、きっと決めかねてしまうから。あなたがいてくれるなら安心ね」
「そう言っていただけると何よりです」
ちょっとおどけたように言ってから、マサバはにこにことしながら、
「ほんじゃ、今からバッテラでも行きますか。今からならゆっくり見れるやろ」
「そうね。それじゃあ……いえ、待って」
アオははっとして、先に行こうとするマサバを引き留める。
「あなた、さっきピーニアのことを何か言いかけていたでしょう。話の途中だったわ」
「あっ……」
マサバはしまったと言いたげに視線を泳がせてから、悩むように眉間に皺を寄せる。
「……うーん。行きながら話すことにするわ。アオちゃんがいいなら」
「ええ、構わないわ」
アオはうなずくと、あらためてマサバと共に、バッテラストリートへ向かうことにした。



***



電話を終えたイリコは、一つ、満足げに息を吐いた。
ロビー前の画面を見ながらあれこれ話し合っていたミントとチョコは、イリコの電話が終わったのを見計らって、傍へとやってくる。
「アオさん、なんて?」
「やっと一人前ねって!」
はしゃいだ様子でそう報告するイリコに、ミントは「そっか」と優しく微笑んだ。
「うちらとバトルしてるときにランク30なっちゃうとかちょー運命感じない!?今日イリコっちとバトルできて良かったんだけど~!」
「私も私も!チョコちゃん強いし、ミンちゃんの塗りも凄かったし!」
「私はただ塗ってただけだよ……」
ミントは遠慮しがちにそう謙遜してから、ちらっとチョコの方を見た。
「チョコちゃんの方が、ずっとずっと凄いよ。ウデマエはS帯だし、さっきのバトルでもキルレトップだったし……」
「んもー、ミントが塗ってくれるからあたしが頑張れるんだってば!」
チョコはそう言って、勢いよくミントの腕に抱きついた。
「あたし、竹がちょー好きなんだけどさ!やっぱナワバリはさ~塗りぢからもいるじゃん?だからミントとかイリコっちみたくめっちゃ塗ってくれるひといるとちょー助かるっていうか!」
「……うーん」
「……イリちゃん、どうしたの?」
イリコは胸の前で腕を組むと、何とも言えない表情で眉を下げた。
「……なんか、私って中途半端だなーって」
「ちゅーとはんぱ?」
「チョコちゃんみたくキルいっぱい取れるわけでもないし、ミンちゃんみたく塗りに特化してるわけでもないし……立ち回り?が、中途半端だなーって」
―――状況に応じた立ち回りを。
アオにはそう教わっているが、イリコにはまだまだバトルの状況を把握できるほどの経験値がない。
塗りで味方をサポートするといっても、塗ってばかりで勝てるほど、バトルは甘くない。
かといって、キルを取りに行こうとすれば、塗りがおろそかになってしまうこともある。
塗りをしたいのか、キルを取りたいのか。
先日から悩み続けている、『自分に合ったバトルスタイル』というものが、イリコは未だにわからずにいた。
「塗りとキルって、どっち出来た方がいいんだろう……」
イリコがぽつりとこぼした、そのときだった。
「そりゃ両方できるのが一番なんじゃん?」
「お、おう……」
チョコから投げかけられた正論に、イリコは思わず言葉に詰まってしまう。
正論中の正論、超ド正論だ。言い返しようがない。
イリコが何と言うべきか迷っていると、チョコは大真面目な顔で
「そもそもさー、ナワバリやガチマでキルをとる目的って、相手に塗らせないためだったり、相手にカウントを進ませないためだったりするじゃん?キル取れた方が当然バトルは有利に進むけど、でもどのルールでも、結局塗りってちょー大事になるわけだよね」
「え、えと……そうなの?」
「塗りぢからはどのバトルでも必須だよ~」
チョコはあっけらかんと笑った。
「アサリとかもうほぼナワバリだと思って塗らないと勝てないしね!まああれはめっちゃやること多いけど~、あとはホコもそうだしヤグラも……」
「ちょ、チョコちゃん」
「へっ?」
イリコはがっしりとチョコの両肩を掴み、真剣な表情で彼女に迫った。
「ちょっとその話、詳しく聞いてもいいかな?私、ガチマってこないだ始めたばっかりで色々知りたくて」
「い、いいけど~……」
チョコはちょっと引き気味になりながらも、こくこくとうなずいた。
「あ、でもその前にさ、ブキっちゃんの店にちょっと寄ってかない?」
「カンブリアームズ?」
どうして?と言いたげなイリコとミントに対し、チョコはにぱっと笑った。
「イリコっち、さっきランク30になってたじゃん!ブキ全部買えるよ!」
「……あー!!そっか!!」
言われてみればそれもそうだ。
アオからも「どんなブキが合うか見つけなければいけない」と言われていたし、これを機に他のブキをもっと積極的に使っていってもいいかもしれない。
もみじシューターの入ったブキケースをちらっと見やってから、イリコはうなずいた。
「うん!ちょっと見に行ってみたい!」
「よーしいこいこ!ガチマで強いブキとかも教えたげるよ!」
そう言って、チョコはイリコの手を引っ張る。
「あ、待ってチョコちゃん!ミンちゃんも一緒に―――」
イリコが言いかけながら振り返った、その時だった。
「……あれ?ミンちゃん……?」
さっきまで一緒だったはずのミントの姿は、どこにも見当たらなかった。



***



「痛いっ、離して……!」
「騒ぐんじゃないよ!」
暗がりへと乱暴に連れ込まれながら、ミントはなんとか相手の手を振り払おうとする。
だが―――敵わない。
そのガールはやけに力が強かった。ミントは半泣きになりながら路地裏に連れ込まれ、そこでたむろしていた何人かのイカガールたちの前に放り出される。
「ハァ~イ♡」
聞き覚えのある声に、ミントの身体が一瞬で竦んだ。
この声は、知っている。聞きたくない、聞きたくもないこの声は……。
「ちょっとぉ、あたしが声かけてあげてんのに無視するとかひどくな~い?」
「ひ……っ」
ミントは思わずうずくまりそうになってから、はっと気がついた。
(……もうこの女の言うことなんて聞かなくていいんだ。私は……私はちゃんと、強くなったんだから……)
自分で自分を励ましながら、歯を食いしばり、相手を見上げる。
そこにいたのは―――ピーニアだった。
「ぴ、ピーニア……」
「あんたに呼び捨てにされるとかむかつくんだけど」
金色の瞳に睨まれて、ミントの身体がまたびくりと竦む。
ピーニアはそれを見て、鮫のようににやりと笑った。
「ていうかさぁ~何?アメアリ入ったからってイキがっちゃったわけ~?」
「銀モデしか使えないB帯のくせにね~」
「得意の絵でも描いてお情けで入らせてもらったとか?ウケる~」
ガールたちからの心ない言葉と嘲笑が、ミントの頭上へ、雨のように降り注ぐ。
何か言い返そうと必死に勇気をかき集め、ミントが口を開こうとした、そのときだった。
「ていうかさぁ……これ、あんたの叔父さんだっけ?」
ピーニアから見せられたイカフォンの画面に、ミントはまた、小さく声を上げてしまう。
「は、ハルマ兄さん……!?なんで……!?」
「あ、やっぱりそうなんだ~」
くすくすとピーニアは笑いながら、気怠げにイカフォンを操作する。
「うちってさぁ~色んなとこにツナガリがあるからぁ~、こういうジョーホー?とか、めっちゃ流れてくるんだよね~」
「な、何が言いたいの……!」
なけなしの勇気は、ピーニアの一睨みであっさりと打ち砕かれてしまう。
ピーニアはミントがひるんだのを見て、満足そうに頷いてから、言った。
「ねえ、コレ消してあげる代わりにさぁ、あたしのオネガイ聞いてほしいんだけど~」
「お、おねがいって……」
「できるよね?ミ~ンちゃん♡」
「……っ!」
……ミントはただ、その場で動けずにいることしかできなかった。



***
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