そのビルは、大きな透明のドームに囲われていた。
ドームの天井には、ブキのスペシャルウェポンとして使われている『アメフラシ』が常時発生する装置が取り付けられており、赤から橙、橙から黄、黄から緑……と、虹の色を含めた10色へと勝手にカラーチェンジする特殊なインクが、いつも降り注いでいる。
だから、『アメフラシ・アーチェリー』で働く社員やアルバイターたちが窓から外を見ると、いつもインクの雨模様になっている。それに対して文句を言うイカは、ほとんどいないけれど。

＝『アメフラシ・アーチェリー本部』＝

「ピーニアたその様子は？」
真っ赤なゲソを高く結い上げたイカガールは、机の上に胡座をかいたまま、そんな窓の様子を眺めていた。
サファリハットを被った背の高いイカボーイが、おもむろにポケットからイカフォンを取り出す。
セイゴは、イカガールの傍に黙って控えながら、話の行く末を見守っていた。
「そろそろ動くらしい」
イカボーイが手元のイカフォンを眺めながら、そう報告した。
「次の日曜だそうだ」
「ほぉーん……」
イカガールが、ゆらゆらと身体を左右に動かし始める。のんびりとした口調や動作とは裏腹に、その視線と表情は真剣だ。
「わざわざ忙しい時にやらかそうとしてくれるねえ～……日曜は稼ぎどきだってぇのに」
「どうせ俺は予定ないからいいけどな」
サファリハットのイカボーイ―――チャージャー隊隊長、サジータはそう言って笑った。
「仕事ならエルとクラーヴに任せられるし。ラキアも一日ぐらいなら支障ないだろ」
「んまぁね～」
ラキアと呼ばれたイカガールは、おもむろにセイゴの方に視線を向け、にんまりと笑う。
「何てったって可愛いセイゴちんのお願いですし～？こりゃ～聞かないわけにはいかんでしょってからに」
「いえ、俺は……」
急に話を振られ、セイゴが思わず戸惑っていると、ラキアは「にゃはは！」と笑った。
「ごめんごめん、今のは半分本音で建前だみょん。君が報告してくれなかったら、私らが事前に察知することは難しかったろうからね」
「いえ……」
セイゴは小さく首を振った。
「俺も……油断していたところでした。もう、ピーニアは……」
少し言い淀んでから、セイゴはややくぐもった声で、言った。
「……諦めたものだと、思っていたので」
「あのお嬢さんがそう簡単に諦めるような性格だったら、苦労してないんだけどな」
サジータは片手でサファリハットを押さえつつ、やれやれと仕方なさそうに笑う。
「とはいえ、セイゴが真っ先にラキアに報告してくれたのは本当に助かった。こういう手合いは初動の対処が遅れると、取り返しがつかなくなりやすい」
「そーそー！そんなことになっちゃったら、もう……ね！」
ラキアは一瞬だけ眉をしかめて、
「……ウルメちゃんに、合わせる顔がなかった」
「…………」
「本当に……それだけは、避けたいからね」
「……そうだな」
サジータが、小さくうなずく。
セイゴは何も言えずに、二人の様子を見つめていた。
「……まま！それはさておきーのペペロンチーノってことで！」
ぱっといきなり表情を切り替えるなり、ラキアは机の上で向きを変え、サジータと向かい合うようにして座り直す。
「これからのことを考えましょ－！現時点での『オシゴト』は大分順調なヨカンなのでね、具体的な計画を立てるのだのだ」
「どうするつもりなんだ？」
「ん、ん、んー……」
ラキアは少し考えるようなポーズを取ってから、
「―――日曜に『彼女』を迎えに上がりましょう」
一瞬、先ほどののんびりとした口調が嘘かのように、ラキアは冷静な口調で言った。
セイゴは思わず背筋を伸ばし、サジータもすっと目を細める。
ラキアはにんまりと笑ってみせてから、すぐに口調を戻した。
「ウベンもカザくんも来たがってたからね～、メンツはこの４人で良いでしょう！ライコちゃんには私がいない間の穴埋めをお任せしなきゃだし～、ロッカきゅんやルミーたそにも別途お願いしたいことあるし～。ウベンもカザくんも、私とおサジがセットなら文句はないでしょ～ウデマエ的な意味で」
「ウベンさんとカザグルマさん……ですか」
パブロ隊隊長、ウベンと、ホクサイ隊、カザグルマの二人のことを思い浮かべ、セイゴはちょっと複雑そうな表情を浮かべた。
「あの……本当に大丈夫でしょうか。色んな意味で……」
「だーいじょうぶだいじょうぶ！オシゴトの方は問題ないから！オシゴトの方は！」
「いやあの、ぶっちゃけ心配してるのはそっちのコトじゃないんですけど……」
彼らが『仕事』をやり遂げるであろうことなんて、セイゴにはわかりきっていることだ。
むしろ、心配なのは―――
「大丈夫だ、セイゴ」
サジータが、セイゴに向かって、安心させるように言った。
「ウベンもカザグルマも、アメアリの隊長として、分別は弁えてる。例え『依頼主』がどんな存在であれ―――組織外のイカに、迷惑をかけるようなことはしない」
そう言って、彼はイカしたウィンクをセイゴに投げかける。
「何かあっても、俺がちゃんと止めてみせるよ。特に、ウベンのことはな」
「……すみません」
セイゴはほっと息を吐いた。サジータはその様子を見て、小さく微笑んでみせる。
「少なくともカザくんに関しちゃ、その点は100パー大丈夫だと思うがね」
ラキアは背中をぽりぽりかきながら言った。
「とはいえ、セイゴちんはカザくんとはあんま話したことなかったろうし、心配しちゃうのも無理なかったわねん。そこは、茶化しちゃってごめんよ」
「あ、いえ、そんな……」
「ただ、ウベンはお察しの通りなんだけど……」
ラキアは申し訳なさそうに眉をしかめて、
「嫌味の一つや二つ、ぽんぽこ飛び出ちゃうのは多分無理もないのよね～ん。仕方ないですませちゃいけないとこではあるんだけど……『依頼主』ちゃんって、そういうのめっちゃ気にするタイプ？」
「あ、絶対大丈夫です」
セイゴは力強く断言した。
あまりにもはっきりとした断言に、ラキアもサジータも、ちょっと目を丸くしたほどだった。
「メンタルの強さだけで言えば、多分俺並かそれ以上かと。なので、そこの心配はいらないです」
「ほぉ～ん……」
ラキアはちょっと唇を尖らせてから、にっと笑った。
「それは、会うのがますます楽しみになってきた。果たして『依頼主』ちゃんは、このラキアちゃんのウルトラハイパーベリーマックススーパーハイテンションスペシャルバージョン～海の香りを添えて今貴方に会いに行きます～を、受け止めることができるかな……？」
「あの、出来ればもうちょっと控えめにお願いします……」
別の意味でやっぱり心配になってきた。セイゴが恐る恐るサジータに視線を投げかけると、困ったように苦笑いされた。
サジータも一緒なら、多分大丈夫だろう。……多分。
自分にそう言い聞かせつつ、セイゴは改めて姿勢を正す。
「それで、ラキア隊長」
「リーダーでいいってば」
ラキアは不満そうに唇を尖らせた。
「おサジがいるからって呼び分けなくていいよん。みんなニュアンスで反応するじゃろうからね～、というわけで、もういっかい！」
「……リーダー」
ラキアの要求に応えるようにして、セイゴはあらためて呼びかけ直す。
「俺は日曜、どこで待機していれば……」
「はん？君シフト休でしょ？」
ラキアは驚いたように言う。
「お休みだよお休み。ちゃんと休みとりんしゃい。うちはブラック企業じゃないんよ～、そういうのはしっかりせんと」
「え、でも……」
「お前が関わっていると気付くと、あのお嬢も色々思うところがあるだろう」
セイゴの反論の前に、サジータが口を挟んだ。
「そう察されないためにも、お前はその場にいない方がいい」
「……わかりました」
サジータの言葉に、セイゴは渋々うなずいた。
元は自分の報告がきっかけで発生した『仕事』だ。本来であれば最後まで関わるのが筋だと思っていたが、彼らにそう言われたのなら仕方ない。
「そうそう。それにあくまでもあたしらは、『オシゴトの一環』ってていでレッツゴーするかんねっ！」
そう言いながら、何故か天井に向かって拳を突き上げるラキア。
そのテンションにどう反応するべきか、セイゴが一瞬悩んでいると、彼女は何事もなかったかのように腕を下ろして、
「てなわけで！我らが『アメフラシ・アーチェリー』のモットーに則りまして～、『バトルに関することなら何だって引き受けてやり遂げる』！迅速丁寧勇猛果敢に、ちゃちゃっとなんとかしてきますよん」
「リーダー……」
「だから、君はあくまでもいつも通り、『彼女』と接しておやんなさいな」
ラキアは声色を穏やかなものに変えて、言い聞かせるようにセイゴに言った。
「大切な友人なんだろう。君の顔、『あの時』とおんなじ表情してるよ」
「！」
セイゴは思わず自分の顔に触れた。
ラキアは小さく笑ってから、
「……心配かもしれないが、私もサジータも、今回の件に関しては黙っちゃいられないことが多すぎるんでね。君が気にかけていることについても、最大限配慮する。そうでなきゃ、ほんとのほんとにウルメちゃんに顔向けできんのでね……」
「そういうことだ」
サジータもそう言って、セイゴに向かってうなずいてみせた。
「俺たちは全力でこの仕事をやり遂げよう……だからこそ、お前も俺たちを頼ってくれたんだろ？」
「……はい！」
セイゴは大きくうなずく。
―――この二人なら、信頼できる。
「ありがとうございます……リーダー、サジータさん」
深々とお辞儀するセイゴに向かって、ラキアとサジータは、黙ってうなずき返したのだった。



日曜日まで、あと二日。



＊＊＊



勝っては負けて、負けては勝って。負けて負けて負けて、時々勝って……。
蓋を開けてみれば、２０勝３０敗。
「う、うう～ん……」
ちょっとこの勝率は、まずいんじゃなイカと思い始めた。
イカリング２とにらめっこしながら、イリコはハンバーガーをかじりつつ、一人で唸る。
（明日アオさんに会ったら、反省会してもらおう……）
今日も今日とてアオは不在だ。マサバやハチ、セイゴも見かけなかったし、クロトガは今頃ガチマッチに行っている時間だろう。来慣れたハンバーガーショップとはいえ、一人で遅い昼ご飯をとるのは、ちょっとだけ寂しい、気がする。
先日増えたフレンドも、今はナワバリバトルにはいないみたいだし。
（……明日は、一緒にバトルできるかなぁ）
アオには、話したいことがたくさんある。ナワバリバトルのこと、ガチマッチのこと、ブキのこと、増えたフレンドのこと、それから、ウルメのこと。
数日一緒にいないだけなのに、なんだかずっと離れているような気がする。
お喋りもしたいし、バトルもしたいし。何にせよアオに会いたい。
でも―――そう思ってるのが、自分だけだったらどうしよう。
「……んん～っ！」
不意に沸いた不安を振り払うようにしてから、イリコは溜め息を吐いた。
相手がどう考えてるかなんて、考えたって仕方ない。
それにアオだって楽しみにしてくれてると言っていた。
いちいち相手を疑って自信を無くすのは、全然イカしてない……。
イリコがそう思いながら、ポテトを食べ進めようとした時だった。
「―――イリちゃん？」
聞き覚えのある声と呼び名に、イリコはふと顔をあげる。
そこにいたのは―――ストレートヘアーをしたセミロングヘアーのイカガール。
「やっぱりイリちゃんだ……！私のことわかる？中学でクラス一緒だった……」
そう言いながら話しかけてくるイカガールの顔を見て、イリコは思わず席から立ち上がった。
「―――ミンちゃん！？」
相手はこくこくと必死にうなずく。
「そう、ミントだよ……！良かった、イリちゃん、私のこと覚えててくれたんだ……！」
「忘れてなんかないよ～！久しぶりだね！」
安心したように言う彼女に向かって、イリコは嬉しそうに笑いかける。
ミントはイリコの中学の同級生のなかでも、特に仲の良いイカガールだった―――というか。
当時は、お互いしか仲の良い友人が、いなかったのだが。
「ミンちゃんもスクエア来てたんだね！会えて嬉しいよ～！」
イリコがはしゃぎながらそう言うと、ミントは少し寂しそうな表情をして、
「うん……私も、イリちゃんがスクエア来てたなんて知らなかった。教えてくれたら、すぐに会いに行ったのに……」
「ごめんごめん。ミンちゃんの連絡先知らなかったからさ、おうちに連絡するのも悪いし……」
「あれ、そうだっけ……ごめん、すぐ教えるね」
そう言って、ミントは慌ててイカフォンを取り出そうとする。
―――と。
「ミント～！何してんの～？」
不意に明るい声がして、イリコとミントは同時にそちらへと視線を向けた。
「だれだれ？ミントのフレンド～？」
現れたのは、チョコレート色の肌に派手なメイクが似合う、イカしたガール。
目の辺りが、何となくイリコたちとは違う雰囲気がする。流行のメイクかな、とイリコは思った。
「あっ、チョコちゃん」
どうやら、ミントの知り合いらしい。ミントがイリコを紹介しようとする前に、チョコと呼ばれたガールはぐいぐい前に進み出て、
「えっかわいいじゃん～！カレシいる？ウデマエは？あたしチョコ！ウデマエはSで～、カレシ募集中！」
「チョコちゃん、ちょっと待ってね……待ってね」
ミントがそっとチョコを押し留めるようにすると、チョコは大人しく引き下がりはしたものの、興味津々と言った視線をイリコに向け続けている。
ミントは「えっと……」と申し訳なさそうにしながら、
「イリちゃん、あの、この子チョコちゃんっていうんだけど、私の友達で……一緒にご飯食べようって、ここに来てたんだけど、」
「じゃあ一緒に食べよ！」
イリコはぱっと顔を輝かせて、急いで近くのテーブルを引き寄せた。
「あっ、私イリコ！ミンちゃんとは中学で友達だったの！」
「あっイリちゃんってもしかしてイリちゃんのこと～？！」
チョコはイリコがテーブルを引き寄せるのを手伝いながら、同じように顔を輝かせる。
「マジパない～！！会えてチョーテンアゲなんだけど！！よろしく～！！」
「うん！よろしくね、チョコちゃん！」
「…………」
あっという間に打ち解けてしまった友人たちを交互に見て、ミントはほっと息を吐いたのだった。