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イリコとガチマッチ


ハチは悩んでいた。
今晩の夕食のおかずについてではない。
夕方見かけた、アオとクロトガのことである。
「……ウーン……」
あの二人が行動を共にしていた理由が、今ひとつわからない。
わざわざアオに連絡して確かめることでもないだろうし、クロトガの連絡先は知らないし。
イリコも多分、知らないだろう。そもそもアオに口止めされていたら、きっとハチには教えてくれないに違いない。
それよりも何よりも、今ハチが悩んでいるのは、マサバのことである。
(……最近イリコさんが来てから、ちょっと不安定だったものな……)
「アオに仲の良い子ができた」という話があって以来、マサバはどこか落ち着きがなかった。
アオとイリコの仲の良さは傍から見てもわかるほどで、ハチとしては微笑ましくもあり喜ばしいことでもあると思っていたのだが。
……以前からアオの知り合いで、なおかつ『New!カラストンビ部隊』という秘密を共有していたマサバからしてみれば、複雑な気持ち―――というか、若干焼きもちを妬いてしまうのも、しょうがないようには思える。
とはいえ、尊敬する3号に素晴らしい友人ができたことは、ハチからしてみれば、喜ばしい事実でしかなく、それがイリコという素晴らしいイカガールである件についても、とても良いことだとしか思えなかった。
マサバも複雑な思いは抱いているものの、イリコに目をかけてもいるらしく、あくまでも一人でもやもやとしているようだったので、ハチもどう声を掛けたらいいかわからなかったのだが……ようやく最近、踏ん切りがついたらしい。
きっかけはたぶん、例のイリコの奮闘によるものだ。
最近になってバトルを始めたばかりの彼女が、アオからキルを取り、クロトガに勝利もした。
その事実に影響されたのか、最近ではタコツボキャニオン周りのパトロールも前より積極的に行うようになったし、ガチマへの挑戦も、近々再開するつもりらしい。
ようやく前向きになってくれたマサバの様子に、ハチは後輩としても同居人としても、内心ほっとしていたのだが……。
(……顔見知りとはいえ、同い年くらいのボーイと一緒に歩いてたって聞いたら……4号、どんな顔するかなぁ……)
多分、きっと、動揺する。デートとかじゃないと思いますよ等と伝えるのは簡単だが(実際、あの二人がそんな理由で歩いているわけがないだろうし)、マサバがどう受け止めるかはわからない。
話さない方がいいとは思うものの、クロトガとは、先日の一件のこともある。

―――裏切り者。

クロトガは、確かにハチをそう呼んだ。
「…………」
地下にいるタコたちは、地上に憧れて抜け出てきたタコのことを、そう呼ぶことがあるらしい。
そう呼ぶに至る感情は、裏切られたと感じた憎しみからか、それとも陽光への嫉妬か……はたまた、イカとともに暮らすことへの羨望か。
ただ一つだけ、わかっているとすれば―――クロトガが自分と同じように地上に憧れてやってきたのなら、ハチをそう呼ぶことはないはずだ。
つまり、彼は……。
「ただいま~」
気の抜けた声が玄関から聞こえ、ハチははっとする。
ふと気が付くと、フライパンの上の卵焼きが、すっかり良い色に焼けていた。
ハチは大慌てでそれをひっくり返す。端の方が、ちょっとだけ焦げてしまった。
切り落とせば大丈夫だろうが、ちょっと勿体ない。
「ハチコ~、ただいま~」
「ア!お、お帰りナサイッ!」
台所にひょっこり顔を出したマサバに向かって、ハチは慌てて返事をする。
漂う夕飯の匂いに、マサバはへらりと笑った。
「今日も夕飯ありがとなぁ。疲れてたから助かるわ~」
「ア、エト、お風呂沸いテルノデ、先にそっちカラドウゾ……」
「ええのん?じゃあ、お言葉に甘えて~」
そう言って、マサバはふらふらとお風呂場の方へと向かっていく。
言葉通り、相当疲れているようだ。
―――せめて綺麗なところをあげよう。
ハチはそう決めて、卵焼きの焦げた方を、自分のお皿へとよそった。
いったん考え事はやめにして、夕飯の支度をさっさと済ませてしまう。
ハチが二人分の食事を並べ終わる頃、風呂上がりのマサバが、さっぱりした表情で現れた。
「いいお湯でした~。いつもありがとなハチコー」
「どういたしマシテ」
ハチがマサバの家に住まわせて貰うようになってから、家事は出来るだけハチがやるようにしていた。
住まわせて貰っている礼というのもあるが、マサバには『4号』としての役割がある。
ハチには『8号』というナンバリングは与えられているものの、アオやマサバの気遣いもあって、New!カラストンビ部隊の活動に、表だった参加はしていない。
それならせめて裏方として支えようと、ハチは率先して家事や雑用をこなすようにしていた。
「今日もお疲れ様デシタ、4号」
マサバのお茶碗にご飯を盛って渡しながら、ハチは彼を労った。
「タコツボキャニオンの様子はどうデシタカ?」
「相変わらずやったよ~。ちょっと気になる話も聞いたけど」
「気にナル話?」
夕方に見た光景が頭を過ぎったが、マサバの表情から動揺は見られない。
むしろ彼はお茶碗を受け取りながら、真面目な表情をしてハチを見た。
「ハチコーはさ、ジンベイって名前のタコのこと、聞いたことある?」
「ジンベイ……?」
―――何となく、胸に引っかかるものが、あるような気がする。
けれど……思い出せない。
ハチは、何故だかそれが無性に申し訳なくなって、思わずうつむいた。
「……すみマセン、地下にイタ頃の記憶は、まだ思い出せナクテ……」
「ああ~ごめん!ちゃうねんちゃうねん、思い出して欲しいとかやなくて……」
マサバは慌ててハチをフォローしようとする。
「ええと……そう、あれ!深海メトロ、やったっけ?そこでなんか聞いたりとか……」
「深海メトロ、デスカ」
ハチはちょっと考えてから、首を横に振った。
「すみマセン、あそこデモ、特に何も……」
「そっかあ……」
「そのタコが、どうかシタんですか?」
ハチが訊ねると、マサバはタコツボキャニオンで聞いた話を、かいつまんで説明してくれた。
有能な、タコの軍人。
何だか胸にざわつくものを覚えながらも、ハチにはその正体がわからずにいた。
「なんか……なんかね。妙~に引っかかっるんよなあ、その軍人さんとやら……」
話の合間に夕飯を食べ進めつつ、マサバは眉をしかめる。
「アオちゃんにも話さへんとやろなぁ……」
「…………」
ハチは黙ってうなずく。
胸のざわめきについては、何となくマサバに話せなかった。
「そういえば、イリコちゃんどないやった?」
不意にマサバが声の調子を明るくして、話題を切り替える。
「あの後、様子見に行ってくれたんやろ?ガチマはナワとも勝手違うやろし、楽しめてたやろか」
マサバの気遣いに、ハチはちょっと微笑む。
なんだかんだありながらも、結局彼にはこういう優しさがある。だからこそ、ハチもつい気にかけてしまうのだ。
「大丈夫デス。楽しめテタみたいデスヨ」
「そっかそっか!それなら良かった」
「B帯には上がったそうナノデ、今度リグマとかお誘いシタイデスネ」
ハチが何気なくそう言うと、マサバが意味ありげににっと笑う。
「ええやん、二人で行ってき」
「エ?」
ハチは思わずきょとんとしてしまった。
「4号や3号は、行かないンデスカ?」
「おれいるぅ?」
そう言って、マサバはにやにやと笑った。
「二人でいってきたらええやん、ペアリグマデート」
「でっ……」
マサバのにやにやの意味を理解して、ハチは怒ったような表情をしてみせる―――そういうことか。
「か、からかわナイでクダサイ……!」
「からかってへんよ~。純粋に応援してんの、おれは」
そう言って、マサバは味噌汁を飲み干す。
応援していると言う割に、随分にやけていたようだが。
ハチはちょっと唇を尖らせてから、反撃してやることにした。
「……3号も誘えば、4人でリグマ行けマスケド……」
「!」
マサバが噎せた。
いい気味だと思いながら、ハチも夕飯を食べ進める。
「……いやいやいや……アオちゃんをね、そんな下心を持ってリグマに誘うわけには……」
「下心ッテ……」
ハチは呆れたように目を細める。
「……4号って、変なところでヘタレデスヨネ……」
「へへへヘタレちゃうわ!!!」
焦るマサバを、ハチは知らんぷりしてやることにした。
「だ、だってアオちゃんオールXやぞ!?上位ランカーやぞ!?S帯でふらふらしてるおれがリグマいこ~♡なんておこがましいやん!?」
「S帯も十分凄いと思いマスガ……」
「ハチコーはS+やろ?クロトガくんかて一応おれの後輩のはずなんに、とっくにXやし……」
はぁーあ、と、マサバは大きく溜め息を吐く。
「イリコちゃんにもあっちゅーまにウデマエ抜かされたらどないしよ……ていうか実力はもうほぼ抜かれてるんちゃうか……あかん凹んできた……」
……こうなると相手にするのが面倒だ。
ハチが放置しようと決め、食べ終えた食器を片付けようとすると、どこからかイカフォンの音が鳴った。
「あ、おれのや」
マサバがそう言って、傍に置いていたイカフォンを手に取る。
ハチは特に気にせずに、台所で洗い物を始める。
と。
「ごめんハチコー、ちょっと出掛けてくる」
少しして、マサバが台所に顔を出すなりそう言った。
「エ?」
こんな時間に、今からどこに。
ハチがそう訊ねる前に、マサバは言った。
「セイゴと会ってくる」



***



「遅くまで付き合わせちゃってごめんね」
「いえいえ」
セイゴはイリコが住むマンションの前まで送ってくれた。
普段のからかうような笑みとは違う、優しい兄のような表情をしているセイゴは、何だかとても新鮮だった。
「セイゴさん、あの……」
「ん?」
「色々、ありがとうございます」
イリコは深々と頭を下げる。
「……お礼言われるようなことかなぁ」
照れくさそうに頬をかくセイゴに、イリコはひとつうなずく。
「少なくとも、私にはありがたいので……」
「君も案外食えない子だよね」
セイゴはそう言って肩をすくめてみせる。彼にそう言われるのはちょっと納得がいかなかったが、イリコはあえて反論しなかった。
「セイゴさんって、ほんとにマサバさんのこと好きなんですね」
反論しない代わりに、素直な感想を述べると、セイゴはちょっと困ったように笑いながら、
「……好きっていうか、なんていうか……」
彼はふっと、いつものようなからかいを、少しだけ表情に浮かべる。
「君がアオを大切に思うのと同じくらい、俺もマサバを大切に思ってるだけだよ」
「ふふ」
―――いつものセイゴだ。
イリコはそう思って、ほっとした。
『あんなこと』を言われた時には、どうしようかと思ったが……話を聞いて、納得がいった。
セイゴは、どこまでもセイゴらしいだけだった。
「セイゴさん、良いひとなんだから、悪ぶらない方がいいですよ。絶対」
「はは……努力します」
かなわねえなぁとセイゴは苦笑いで呟いてから、ふと思い出したように、
「……悪ぶってたで思い出したけど」
と、真面目な表情をしてみせた。
「君に嘘をついていたことがある」
「……なんですか?」
思わず身構えるが、セイゴの口から飛び出したのは、思ってもみない内容だった。
「イリコちゃんの、お姉さんのことなんだけど」
「!」
唐突な話題に、イリコはびっくりして目を丸くしてしまう。
「お姉ちゃんが、どうかしたんですか?」
「いや、ごめん。単純に、知らないってのが嘘なだけだったんだけど……」
「えっ」
そうだな、と、セイゴは少し考えるようにしてから、言った。
「……お姉さんについて知りたいなら、『ウルトラハンコ』と『ウルコ』で検索してごらん」
「う、うるこ?」
「多分、イリコちゃんの知りたいことが見られるよ」
話すと、多分長くなるから。
セイゴはそう言って、それ以上は教えてくれなかった。
……セイゴが教えてくれないのなら、自分で調べるしかないのだろう。
なんだかちょっと納得いかない気持ちになりつつも、イリコは小さくうつむく。
「……なんか」
「ん?」
「……私の知らないところで……私の知らない時間で、本当に、色々なことがあったんですね」
アオのことも、マサバのことも、セイゴのことも、姉のことも……イリコは全然知らない。まだまだ何も知らない。
彼らがハイカラスクエアで過ごしてきた時間を、イリコは、何にも知らないのだ。
「もっと……もっと、早くここに来たかったな」
思わず漏らした呟きに、セイゴは、ふと目を細める。
「……イリコちゃんが、今このタイミングでここに来たこと自体にも、俺には意味があると思うけどね」
「え?」
「ただの勘だけどさ……なんとなく」
セイゴは淡い藤色の瞳に、優しい表情を浮かべた。
「君がこの街に来てくれたこと自体には、ちゃんと意味があるんじゃないかなって、俺は思ってるよ」
「……セイゴさん」
イリコが何か言おうとする前に、セイゴはにっこり笑って、
「ね、イリコちゃん」
「は、はい?」
「バトル好き?」
またもや、唐突な問いかけだった。
それでもイリコは―――この問いには、すぐに答えられた。
「―――はい!大好きです!」
「……そっか」
セイゴは安心したように、にっこり笑う。
「それなら、良かった」
「……?」
「俺はさ……」
セイゴはふと、イリコと共に歩いてきた道を振り返る。
「君やアオみたいに、マジで戦うことは、もう、ないだろうからさ……」
視線の先にあるのは、多分、ハイカラスクエア。
セイゴはイリコに向き直ると、また微笑んだ。
「応援してるよ。一応、先輩として」
「…………」
そう言うセイゴが、何となく寂しそうに見えて。
ありがとうと、言うべきなのか―――イリコには、わからなかった。
「それじゃ、またね」
話はこれで終わりと言わんばかりに、セイゴは軽く片手をあげる。
「今日は疲れただろ。早く寝るんだよ~」
「あ……」
何か。
何か言わなきゃ。
「せ、セイゴさん、」
「ん……」
「あの、」
イリコは思い切って、頭を下げた。
「ありがとうございました!!!」
結局、口から出たのはそれだった。
イリコのお礼に、セイゴは面食らったような顔をしてから、ぷっと吹き出す。
「……君は真面目だなぁ」
昔の俺を思い出すよ。
そんな風に、いつものからかうような口調で笑ってから、セイゴは帰って行った。
その背中に、イリコはまた、深々と頭を下げた。
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