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イリコとガチマッチ

バトル終了の合図が、軽やかに鳴り響く。
ガチマッチはナワバリバトルと違い、バトルの制限時間は5分……いや、場合によっては延長戦にもなる。
たった2分ちょっと違うだけなのに、5分間走りきった後の疲労は、ナワバリバトルの比ではなかった。
ロビーから出たイリコは、大きく息を吐く。
(……楽しかったぁ……)
楽しかった。楽しかったけど、ミスも多かった。
特にエリアの上でデスするのが、一番まずかった。ボムもかなり踏んでしまったし。
なんとかBまで上がれたとはいえ、やはり悪いところはしっかり見直して、次に繋げないと。
ガチエリアのルールでは、一瞬も気が抜けない。
エリアを塗るだけでなく、塗り返されないように相手を牽制する立ち回りも必要になる。
どんなにリードを取っていても、残り時間さえあれば、簡単に逆転されかねない。これはどのルールでも言えることだが……。
「…………」
……思い返せば思い返すほど、今日の自分の良くなかったところばかりが頭に浮かぶ。
強くなりたい、という思いとは裏腹に、実力と経験不足が身に染みて、イリコは何だかとても気分が落ち込んでしまった。
(……こんなんで、アオさんたちに追いつけるのかな……)
自分の尊敬すべき先輩たちは、焦らなくていいと言ってくれる。
でも、イリコはもっともっと強い相手と戦いたかった。
そのためには、自分も相手に見合うくらい、強くならなくては―――
「イリコサン」
「わひゃあ!?」
突然声をかけられて、イリコは思わず飛び上がる。
慌てて後ろを振り返ると、そこにいたのは。
「は、……ハチくん!」
「ス、スミマセン……」
申し訳なさそうな顔をしたハチが、おずおずとイリコに会釈した。
「わーびっくりした……ハチくんもバトルに来たの?」
「あ、イエ、エエト……」
よく見ると、ハチはブキケースなどは持っていなかった。
イリコが不思議に思っていると、ハチは何故か視線を泳がせながら、
「チョーシはイカガカナと思いマシテ……」
「チョーシ?」
それを聞いて、イリコは思わずぱっと顔を輝かせた。
「もしかして、心配して様子見に来てくれたの?」
「心配トイウカ……」
「ありがと!さっきエリアでBに上がってきたとこだよ!」
イリコの報告を聞いて、ハチはほっとしたように笑う。
「そうデシタカ……お疲れサマデス」
良かったデスネ、と笑うハチの笑顔は、相変わらず可愛い。
……ボーイに対してこういう表現はあまり使わない方がいいのかなと思いつつ、一瞬、セイゴのウィンクが頭の中を過っていき、イリコは軽く頭を振った。
「ランクアップ祝いに、何か飲み物奢りマス」
ハチはにこにこしながらそう言った。
「休憩も大事デス。また、マサバサンに怒られちゃイマスヨ」
「ふふっ!そうだね。じゃあ、お言葉に甘えようかな?」
イリコはハチの厚意に甘えることにして、二人で缶ジュースを片手に、ロビー前のベンチで休憩することにした。
「エリア、ドウデシタカ?」
「すっごい楽しかった!」
イリコはついついはしゃぎながら話し始める。
「塗りを意識するってナワバリバトルでも同じことだけど、エリアはナワバリとは全然違う立ち回りが要求されるし、全然気が抜けなくって……ステージごとに塗る場所が違うし、空いてるスペースはスペシャル溜めるのに使うんだなーとか、普段と考えることが違うのがほんとに新鮮だったよ!」
「イリコサンには合っているルールかもしれマセンね」
ハチはイリコの話を聞きながら、にこやかにうなずく。
「……でも、やっぱりキルも取れなきゃだめだなって思って……」
イリコはそう言って、膝に置いたブキケースを見下ろした。
「もみじは塗りブキだって言われてはいるけど、ちゃんとエイムを合わせれば、キルが取れないわけじゃないんだよね……」
「フム……」
イリコの言葉を聞いて、ハチは何かを考えこむように口元に手を当てる。
なんだかやけにサマになっているポーズに、イリコはちょっとどきっとしてしまった。
「……イリコサン、これからも、ずっともみじを使うンデスカ?」
「えっ?」
ハチにそう聞かれて、イリコは胸の前で腕組みする。
「……うーん……アオさんには、ランクが低いうちに色んなブキを使った方がいいって言われてて……だから最近は、ちょこちょこ色んなブキを使ってはいたんだけど……」
「合うブキ、ナイデス?」
「うん……」
イリコは大きくうなずいた。
「やっぱり塗れないブキはしっくりこなくって……特にブラスターとかは、ほんとに敵をキルすることに特化したブキなんだなって思った。もみじと同じシューターでも、塗れないブキだと立ち回りがわかんなくって……」
「スロッシャーや、スピナーはドウデショウ?」
「スロッシャーはね!楽しかったよ。上手く扱えてるかはわかんないけど……あと、スピナーは私、性格的に向いてないなって……どんどん前に行っちゃうから……」
「フム……」
ハチは引き続き考えこみながら、ぽつりと言う。
「銀モデ、は……ヤグラには向かナイカ……」
「あ、でもエリアになら銀モデいいかもね!」
イリコはぱっと顔を輝かせる。
「カーリングボムラッシュでエリアいっぱい塗れるし、敵も牽制できるよね!今度持って行ってみようかな?」
「はい、良いと思いマスヨ」
ハチは考えるポーズを止めて、イリコに微笑む。
「金モデや、銅モデというタイプ違いもありマスが、やはり塗りは銀モデが天下一品デスネ」
「金モデと銅モデって、えーと……」
「金モデのスペシャルはイカスフィア、銅モデはナイスダマ、デスネ。イカスフィアでコロコロ、なかなか楽しいデスヨ」
「ふふっ。ハチくん、もしかしてイカスフィア好きなの?」
「好き、トイウカて……」
イリコの質問に、ハチは何故か遠い目をした。
「……マア、楽な方ダッタノデ……」
「楽……?」
「ア、イエ……スミマセン、何でもナイデス」
話が逸れマシタネ、と、ハチはにこやかに誤魔化した。
「ヤグラの時にもお伝えシマシタが、ルールやステージごとにブキを変えるのは戦法の一つデス。ルールやステージによっては、ブキにも向き不向きがありマスから……」
「うーん、そうだよね……」
メインだけではなく、サブやスペシャルも、ルールやステージによってはイカし切れない。
ならば、それらに合わせてブキを変えた方が、イカした戦いができるというものだ。
ハチの言う通りだと思いながら、イリコが話を聞いていると、
「デスガ」
と、ハチは不意に真剣な表情をして言った。
「好きなブキがあるのなら、それを極めるのも、一つの手段ではアリマス」
「えっ」
イリコは思わずぱちぱちと目を瞬かせた。
「で、でも、ヤグラにもみじは向いてないって話をしたじゃない?」
「ロボットボムやアメフラシは、ヤグラに乗った相手の牽制に使えマスヨ」
驚くイリコに向かって、ハチは穏やかに微笑んでみせた。
「もちろん、投げ方は考えないといけマセンガ……メインも、イリコサンが言ってイタヨウニ、しっかりと対面を考えレバ、十分にキルが狙えマス。……とはいえデスガ、『わざわざもみじを使うクライナラ、他のブキを使う』……と言った意見は、多いヨウニ感じマスネ」
「ブキも考えようってことだね……」
膝に載せたブキケースに肘をつき、自分のほっぺたを両手で揉み込みながら、イリコはうーんと唸ってしまう。
やっぱり自分には、知識が足りない。スキルが足りない。経験も足りない。
もっと早くバトルに参加できていたら、今頃みんなと、もっと対等に戦えていたのだろうか。
そんなことを考えても、仕方ないのだけれど。
「……そういえば」
ふと、イリコはハチに訊ねてみることにした。
「アオさんって、シャプマネオで全ルールXになったのかな?」
「そう聞いてマス」
「……すごいなぁ……」
イリコの口から、思わず小さな溜め息が漏れた。
「アオさんのバトルスキル、ほんとに凄いよね……やっぱり別格だなぁ……」
颯爽と敵陣に切り込み、どんな対面でも相手より先にキルを取り、決してデスをせず、インクを塗り広げながら、味方のフォローもこなす―――。
彼女に嫉妬したイカたちが、『青い悪魔』と呼ぶのも、不本意ながら納得してしまう。
一度バトルステージに立ったアオは、バトルにおいてはまさしく、恐るべき強さを誇る存在だった。
「……アノ」
と。
ハチが恐る恐ると言った様子で、イリコの顔を覗き込んできた。
「ん……なぁに?ハチくん」
「イリコサンは……」
ハチは一瞬、言葉に迷ったようにしてから、おずおず言った。
「……アオサンみたいに、ナリタインデスカ?」
「……え?」
唐突な問いかけに、イリコは驚いてハチの顔を見つめ返してしまう。
「私が……アオさんみたいに?」
そんなこと、思ったことがない―――とは、正直言い切れない。
アオのウデマエとバトルスタイルは、イリコにとっては憧れだった。
あんな風に戦えたら、どんなに良いだろう。
イカしたバトルスタイルに、イカしたウデマエ。
強いだけでなく、かっこいいアオの姿を、イリコは間近で、何度も何度も見ている。
……でも。
「私は……アオさんみたいには、なれないよ」
イリコの口から、弱音が溢れ始める。
「エイムなんか全然ダメだし、立ち回りもほんとまだまだだし……こないだアオさんからキル取れたのだって、作戦勝ちっていうかなんていうか……」
「……イリコさん」
「私……バトルが好きだけど、」
ブキケースの持ち手をいじりながら、イリコはうつむく。
「好きなだけじゃ、ダメなんだよね……もっと上手く、強くなりたいのに……」
「…………」
「あ!ご、ごめんね、弱音吐いちゃって……」
「……イエ。いいんデス」
ハチはゆるりと首を振ってから、ふと微笑んだ。
「……アオサンは、太陽ミタイナひとデス」
「え?」
唐突なハチの言葉に、イリコは目を丸くする。
ハチは微笑んだまま、穏やかな声で続けた。
「強い光と、温度を放つひとダカラ……みんな目が眩んでシマウ。眩しクテ、熱クテ、近づケナイ」
あのひとは、強いひとだから。
誰もがみんな、真っ直ぐには見られない。
―――でも。
「アオサンだって、インクリングデス。インクを当てレバ倒セマス」
ハチはそう言って、にっこり笑った。
「ボクらとオンナジ、デス」
「……そ、そうだけど……」
そうかもしれない。
だけど、イリコには―――他のイカには、そのインクが当てられないのだ。
戸惑った様子のイリコを、ハチは真っ直ぐに見た。
「イリコサンは、どんなバトルがシタイデスカ?」
「どんなバトルが……したイカ?」
ハチの問いかけを、イリコは繰り返す。
どんなバトルがしたイカ、なんて……考えたことがなかった。
「アオサンは、眩しくて、強くて、かっこよくて、イカしてて……だから憧れチャウの、とっても分かリマス」
ボクもそうだったから、と、ハチは言った。
「デモ……ボクは、イリコサンがイリコサンらしいバトルをスルところ、とても見てミタイデス」
「……私らしい、バトル……」
ハチの言葉に、イリコは思わず考えこんでしまった。

私らしいバトルって、なんだろう。
いつもがむしゃらで、必死で、塗ることだけを考えて、インクだらけで走り回っている。
そんな自分は、弱くて、かっこ悪くて、イカしてない―――と、イリコは思っていた。
アオみたいに、強く、かっこよく、イカした立ち回りができたら……どんなにいいだろう。
でも―――でも、だ。
イリコがしたいのは、『かっこよくてイカしたバトル』―――じゃ、ない。

強い相手と戦いたい。
びりびりするような刺激のなかで、ひりつくような、真剣なバトルがしたい。
そんなバトルをするために、自分は―――

どんなバトルをしたら、いいんだろう。

「……ありがと、ハチくん!」
イリコは突然そう言うと、持っていた缶ジュースをぐっとあおり、一気に飲み干す。
「……っぷはぁ!!ごちそうさま!」
「い、イリコサン?」
驚くハチに向かって、イリコはにぱっと笑った。
「バトル、行ってくる!」
「バトルに?」
「うん!」
イリコはハチに向かって、元気良くうなずいた。
「私らしいバトルってなんなのか、まだよくわかんないけど……それを見つけるために、ガチマッチに行ってみようって思って」
ブキケースを抱えて立ち上がりながら、イリコは言った。
「私、やっぱりたくさんの強いひとと戦いたい。アオさんやクロトガくん、それからハチくんみたいに強いひとと、もっともっと、たくさん……」
「ボク……?」
名前を出されて驚くハチに、イリコはうなずく。
「うん!でもそのためには、アオさんみたいに強くならなきゃなあって、ずっとずっと思ってたのかも」
一番近くにいる、憧れのひとだからこそ―――目標になる。ああなりたいと、思ってしまう。
でも、イリコはイリコで、アオはアオだ。
ハチはそう言いたいのだと、イリコは思った。
「いいアドバイスありがとね、ハチくん!私らしいバトル、見せられるように頑張るね!」
「……はい。応援してマス」
イリコの笑顔に、ハチも微笑んでうなずいた。
「頑張ってクダサイ」
「うん!それじゃあ、行ってきます!」
イリコはうなずいてから、勢い良くロビーに駆け出した。
今のルールは、ガチアサリだ。
どんなバトルができるのか、イリコは、今から楽しみで仕方なかった。



***



「行ってラッシャイ」
ロビーに駆け出していくイリコの背中に、ハチは呟くように言った。
彼女にはきっと、この声は届かなかっただろう。
それでも、少なくともハチの想いが届いたなら、それでいいと思った。
(……でも、結局、謝れなかったな……)
……以前、イリコがまるでアオのおまけであるかのような扱いをしてしまったことを、ハチはずっと後悔していた。
そんなつもりはなかったし、ハチがイリコに興味があったのは本当だった。
あのクールなアオと親しくなり、フレンドにまでイカが、どんなガールなのか気になっていたのだ。
イリコの魅力には、ハチもすぐに気がついた。素直で明るく、イカにしては珍しく真面目な頑張り屋だ。
もっと仲良くなりたいとも思っていたけれど、だからこそ、最初の交流の失敗を、ハチはずっと引きずっていたのだった。
(……イリコさんにとって良いアドバイスができたなら、良かったと思おう)
心の中の幻影と戦うのは、辛くて苦しくて、先が見えない。
なかなか結果が見えない戦いなら―――尚更だ。
ハチの戦った幻影と、イリコがこれから戦う幻影は、似て非なるものだけれど……だからこそ、ハチはイリコに、自分を見失っては欲しくなかった。

ハチにとっての『3号』に憧れる、多くのイカや、タコのように。

……ふと、目の端を青いものがよぎったような気がして、ハチはとっさに振り返る。
視界に入った存在に、ハチは思わず驚いた。
(……3号と、クロトガくん……?!)
間違いない。
ストレートのゲソをなびかせたアオが、クロトガを伴うようにして歩いて行く。
二人は何かを話しながら、ハチには気付かないまま、どこかへと去って行ってしまった。
……あの方向なら、恐らく試し撃ち場に向かったのだろうが……それにしても。
(なんで、あの二人が一緒に……?)
気になりはしたが、追いかけていくわけにもいかない。
それに、クロトガならアオに害を成したりはしないだろう……多分。
「…………」
―――少なくとも、4号には言わないでおいた方がいいな。
何とも言えない気持ちになりながら、ハチは何となく、そう思った。
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