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イリコと『もみじ』

バトルの練習は、あくまでも実戦で。
それがアオの信条だ。
バトルは『ナマモノ』である。
その相手によって、ブキによって、ステージによって、自分によって……そのときの状況判断は、いくらでも変わってくる。
だから、プライベートマッチで決まった相手とだけ戦っても、実力は付かない……と、いうのが、アオの持論だ。
その話を聞いて、イリコはおおいに納得していたし、マサバも概ね同意していた。
だからアオとイリコは、いつもレギュラーマッチに参加して、1バトルを終えることに反省会をし、またバトルに参加する、という手法をとっていた。
けれど今―――アオとイリコは、プライベートマッチにいる。
ステージはランダム。ルールはレギュラーマッチ。
マサバやハチも一緒に参加してはいる。だが、今日は練習そのものには参加しない予定だ。
なぜならば。
「……わたしは、あなたをキルすることに専念していいのね」
確かめるように言ったアオに、イリコはうなずいた。
「はい!よろしくお願いします!」
「……わかったわ」
アオは少し考えるように目を伏せてから、すぐにマサバとハチの方を向いた。
「……マサバ、ハチ。悪いけれど、サポートをお願いね」
「任せといて~」
マサバはひらひらと手を振ってから、お茶目っぽくウィンクしてみせる。
「今日のおれはマネージャーさんやからね。安心して練習してき」
「応援シテイマス」
ハチもそう言って、にっこりと笑う。
「……ありがとう」
アオはほっとしたような表情を浮かべてから、今度は、真っ直ぐに前を見据えた。
「なら……今日は本気で行くわよ、イリコ」
「はい!!」
もみじシューターをしっかりと抱え、イリコは真剣な表情で返事をした。



***



―――アオから、キルを取らせてほしい。
イリコの願いは、シンプルかつ大胆だった。
もちろん、ただ一方的に有利を取らせてほしいという意味ではない。
『全力で戦うアオからキルを取れるようになりたい』
そして、
『そうなれるまで手伝ってほしい』
……と、いう意味だった。
「あなたは、どう思う?」
イリコの願いを聞いた翌日、マサバはアオにカフェへと呼び出され、相談を受けていた。
「……正直に言うていい?」
「お願い」
「反対するかめっちゃ悩んでる」
マサバからの答えに、アオは複雑そうな顔をした。
「……賛同すべきかどうか、ではないのね」
「正直、賛成できん……」
マサバは眼鏡を外して、両手で顔を覆う。
イリコが本気なのは、わかっている。
だからこそ、こちらでも本気で望まなければいけない。
反対するにしても、賛成するにしても。
「……ちょっと今から真面目に話すね」
マサバの口調が、普段のものから変わる。
アオは何も言わなかった。
「ナワバリバトルは、スポーツだ」
マサバは言った。
「プロとか、それこそ大会で上位目指してるとかじゃなかったら……ぶっちゃけ、ウデマエなんて磨かなくていいんだよ」
「……なんですって?」
「怒るのは後にして。今はあくまでも一般論の話してる」
アオを遮って、マサバは続ける。
「『ナワバリバトルしたい』だけなら、最低限、味方に迷惑かけるようなことしなければいい。『イカしたイカになって注目を浴びたい』なんてふわっふわした理由だけで生き残れるほど、『ガチ』の世界は甘くない」
「…………」
「イリコちゃんがそれをわかってるかどうかってのもある。それに……」
マサバは真剣な瞳で、アオを見据える。
「アオちゃんは、そもそもどっちでもないだろ」
「……そうね」
アオはうつむいて、うなずいた。
「わたしは……わたしには、バトルしかなかったから」
呟くように、アオは言う。
「バトルしかできることがなくて、本当に……バトルしか、してきてこなかったから……」
「……俺が怖いのは、」
マサバは一つ、息を吐いた。
「イリコちゃんが目指してる先が『アオちゃん』なら、それは絶対に止めてほしい。アオちゃんの持ってるものは、唯一無二だと思う……君は努力でそれを勝ち取ったと思ってるかもしれないけど、俺は君を天才だと思ってる」
「……前にも、そう言ってくれたことがあったわね」
マサバの言葉に、アオは軽く目を伏せた。
「……あの子が強くなりたいなら手伝うし、バトルを教えるのも全然やる、けど……なんていうか、今はまだ、色々……早すぎる気がする」
マサバはうつむきながら、手元のコーヒーカップを弄った。
「俺は……イリコちゃんが挫折するのも、君がそれで傷つくのも、見たくない……」
「…………」
アオは黙っていた。
黙って、湯気の立つ紅茶を見つめていた。
「……ただ……」
「……?」
「……イリコちゃんの気持ちも、わからんでもないっていうか……」
マサバは言いづらそうに、もごもごと口の中で言葉を揺らす。
「……イリコの気持ち?強くなりたいということ?」
「そっちじゃなくてぇ……」
怪訝そうに訊ねるアオに、マサバは唇を尖らせた。
「……見返してやりたいって気持ちのほう……」
「…………」
アオはしばらく不思議そうな顔をしてから、やがて気がついたように、目を丸くした。
「……あなたも、わたしにそう思ってたの?」
「昔の話ですぅ……」
「……そう」
アオはティーカップを持って、紅茶を口に運んだ。
「結局、わたしの前では、あれからもヒッセンを持ってくれないものね」
「もうちょっと待ってほしい……色々と……」
「それは構わないのだけど」
紅茶を一口飲んでから、アオはマサバを見つめた。
「……はっきり反対できないのは、それが理由?」
「あと、イリコちゃんがどうしてアオちゃんにそれ言うたかわからんのもあるかな……」
そう言って、マサバは眼鏡をかけ直した。素の口調モードは終わりらしい。
「あの子は初心者やけど、実力差がわからんほどとちゃうやろ。一日二日でアオちゃんからキルが取れるわけないやろし……越えるハードルに設定するには、ちょっと高すぎるんとちゃう?」
「……言っていなかったわね」
「んえ?」
アオはイリコと初めて一対一で戦ったときの話を、マサバに説明した。
ホッケふ頭での、最後の撃ち合い。
あと一歩で、イリコはアオと相打ちに持ち込むことができたという事実を。
「アオちゃんからぁ!?」
「残念ながら、時間が足りなかったけれどね」
「ざ、残念て……」
自分からキルを取ってほしかったと言いたげなアオの口調に、マサバは思わず脱力してしまう。
アオは―――戦士だ。
それも、強い相手を求めて戦う方の。
彼女に敵う者はいない……わけではない。
アオだって、デスしてしまうことはある。相手の方が一歩上手だったり、条件が悪かったり、色々。
でも、一対一の対面なら、ほぼ無敵に近い。
正確無比なエイムと、素早く的確な立ち回りで、彼女は相手からキルを取っていく。例えそれが、どんなブキを相手にしたとしても。
「……イリコちゃんと話してみてからやな」
マサバはいったん結論を保留にした。アオも小さくうなずいて、同意する。
「そういやイリコちゃんは?」
「ハチとレギュラーに行ったわ。あの二人、すっかり仲良くなったみたいね」
「……そっかぁ」
何故か複雑そうな表情をするマサバに、アオはきょとんとした。
「どうかした?」
「いや、こっちの話……」
マサバは誤魔化すようにコーヒーを飲んでから、
「バトル一段落したら会えないか、連絡入れとくわ。話聞きたいしな」
「ええ。お願い」
アオは小さくうなずいて、また紅茶に視線を落とした。



***



そして、数日後。
イリコたちは、こうしてプライベートマッチへとやってきていた。
今のステージはBバスパーク。起伏や遮蔽物の多い、広めのステージだ。
「イリコッ!!」
アオの鋭い叱咤が飛ぶ。
「周囲の確認が甘い!!インクがあるところには敵がいると思いなさい!!」
「はっ、はい!!」
「インク管理も徹底する!!接敵した時にインク不足じゃ一方的にやられるだけよ!!」
「はい!!!」
イリコは返事をしながら足場を塗り、自陣を固める。
素早く近づいてきたアオと距離を取り、ボムを投げ……懐に潜り込んで撃ち合おうとしても、すぐにシャープマーカーネオの銃口がイリコの姿を捉える。
アオは容赦なくイリコにインクを撃ち込んだ。
「……わたしに姿を見せた状態で、キルを取れると思わないことね」
アオは冷徹な口調で、きっぱりと言った。
「やるなら不意打ちできなさい。ただ、そう簡単に不意打ちもさせないわ。あとはわかるわね」
『わかりますぅ……』
インカムからイリコの情けない声が聞こえてきた。
マサバとハチは顔を見合わせて、互いに肩をすくめる。
「二人とも!少し休憩しぃや」
イリコがリスポーン地点に戻ってきたところで、マサバが声をかけた。
「そろそろ休まんと怪我するで!」
「ええ~……あとちょっと……」
「そうね、あと5分……」
「だーめっ!!!」
マサバは厳しい声で言った。
「休憩せんならもう練習させへんぞ!!怪我したらバトルどころじゃなくなるやろ!!」
マサバに怒られ、ガール二人は不満そうな顔をしながらも、しぶしぶ戻ってくる。
「アオちゃんまで夢中にならんといてや」
マサバはそう言ってアオを叱りつけた。
「イリコちゃん、おれより君の言うことのほうが聞くんやから……いざという時にイリコちゃん止めて引っ張ってこれるの、君なんやで」
「ごめんなさい……」
スポーツドリンクを受け取りながら、アオは申し訳なさそうに謝る。
「これ美味しいね!」
「スポーツドリンク、混ぜテ薄めマシタ」
一気に飲み干されたイリコのコップにおかわりを注ぎながら、ハチはにこにこ笑う。
「沢山ありマス。沢山飲んでクダサイ」
「うん!ありがとう」
イリコもにこにこと笑いながら、またおかわりを貰った。
「イリコ」
アオに声をかけられ、イリコはすぐに振り向いた。
「ギアパワーを見直した方がいいかもしれないわ」
「はい!えっと、今のギアは……」
「イカ速とヒト速が欲しいわね」
「今持ってるギア、確かめてみます!」
イリコがイカフォンを取り出し、アオも一緒に画面を覗き込む。
その様子に、マサバはやれやれと溜め息を吐いた。
「休憩や言うてるのに……」
「体休めテマス。休憩デス」
「ハチコーまで、二人みたいなこと言わんといてや」
呆れるマサバに対し、ハチはくすくすと笑った。
……と、唐突に、誰かのイカフォンが鳴る。
「んあ、おれのや」
荷物の上に置いておいたイカフォンを取り上げて、マサバは電話に出る。
「もしもし?」
『よっすー、マイダーリン。今どこ?セイコさみし~』
「素の声でその口調マジでやめろ」
『ごーめんって。忙しい?』
「今アオちゃんたちとプラベ来てる」
マサバはそう言って、アオたちを振り返り、「セイゴから」と伝えた。
アオは納得したように頷き、またイリコとの相談に戻る。
「なんや、急用か?」
『頼まれた資料まとめたから、見てほしーなーって』
「ん、ちょい待ち」
マサバは再びアオたちを振り返った。
「セイゴ呼んでいい?おれに用事あるみたい」
「ええ。構わないわ」
「もちろんです!」
アオもイリコもすぐに返事をした。
『女王と姫のお許し出た~?』
「出た出た。あとは勝手に来い」
マサバはそう言って電話を切る。
「……じゃあ、もう少し練習したあと、次はこのギア構成で行きましょうか」
「はい!よろしくお願いします!」
二人の相談もまとまったらしい。アオとイリコはそれぞれのブキを抱え、またバトルに戻っていく。
「行ってくるわ」
「いってきまーす!」
「怪我だけすんなよー!」
ステージに降りていく二人を、マサバとハチは見送った。
しばらくして、入れ違いでセイゴが現れる。
彼はマサバの姿を見つけると、さっさと見学場所までやってきた。
「よっすよっすー」
紙束を抱えたまま、彼はブルーとオレンジのインクが広がるステージを見下ろした。
「マジでやってんのな、例の練習」
「やっとるよぉー、今日で三日目」
ベンチに座って足をぶらぶらさせながら、マサバは言った。
「ふーん。成果は?」
紙束を渡しながら、セイゴは興味なさそうに訊ねる。
「ゼロ」
セイゴから紙束を受け取り、マサバは目を通し始める。
「イリコちゃんがアオちゃんからキル取れた回数、ゼロ回」
「……ま、だろうな」
「が、頑張ってはいるンデスヨ、イリコサン」
ハチが慌ててフォローする。
「少なくトモ先日ヨリハ、ずっと動きが良くナッテ……」
「でも、目標には辿り着いてないんだろ?」
セイゴはあっさりと言った。
「挫折するのが目に見えてるような目標持たせんの、俺はどうかと思うけどな」
「デ、デモ……」
「イリコちゃんなら大丈夫やろ」
マサバがさらりと言ってのける。
その軽い口調に、セイゴはちょっと眉をしかめた。
「……根拠は?」
「あの子は、おれともアオちゃんとも違うもん」
眼鏡が邪魔になったのか、外して頭に乗せながら、マサバは言う。
「最初はただがむしゃらになってるだけかなーと思ったけど、話してみたらそうでもなかった」
「……ていうと?」
「自分に何が足りないか分かってるうえで、自分に必要なものを身につけようとして、だから戦おうとしてる」
マサバはそう言って顔をあげ、にっと笑った。
「あの子はバトルが好きだから、強くなりたいんやって」
セイゴは、ちょっと目を丸くした。
「真っ直ぐ突っ走ってる子を、おれらがどうこう言って邪魔したらあかんやろ。手助けならしてやってもいいけどさ」
「……年下の面倒、見んのやめんじゃなかったの」
セイゴは不機嫌そうな声で言った。
「あいつみたいになりたくないからって」
「セイゴ」
マサバは若葉色の瞳を、優しくセイゴに向けた。
「おれらはあいつみたいにはならない。わかるだろ」
「……そうだけど……」
「……?」
二人の会話の意味がわからずに、ハチはきょとんとする。だが、口を挟むことはしない。
「それにさ、」
と、マサバはイリコの方を指す。
「あんな頑張ってるんだから、応援したくもなるやろ」
ステージのうえでは、必死になってアオに立ち向かうイリコがいた。
何度倒されても、何度リスポーン地点に戻っても。
彼女のオレンジ色の瞳から、光が消えることはない。
セイゴはそれを見て、少しだけ表情を緩めた。
「なぁ〜、セイゴ」
「……なんだよ」
眼鏡をかけなおしながら、マサバは懐かしそうに言った。
「……おれらがあんな風に必死になって練習したの、いつが最後やったやろな」
セイゴは少し黙ってから、呟くように答える。
「……そんな昔のこと、覚えてねえよ……」
「…………」
ハチは何も言わずに、アオとイリコの攻防を見つめていた。
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