イリコと『もみじ』
「急に話しかけちゃってごめんね」
「あ、いえいえ……」
もみじシューターの妖精と名乗った青年は、イリコの顔を覗き込むと、
「……泣いていたのかい?」
「あ、えと、」
イリコは慌てて顔を袖でこすった。急にびっくりしたせいか、涙はいつの間にか止まっていた。
「あ、あはは!気にしないでください、大丈夫です……」
「……あいにく、女性の涙には弱くてね」
青年はそう言いながら、イリコにハンカチを差し出す。
「良かったらどうぞ。遠慮無く使って」
「……すみません……」
イリコはハンカチを受け取って、ありがたく顔を拭かせてもらうことにした。
……それにしても。
「あ、あの……」
「ん?」
青年は穏やかな表情で目を細めてみせる。イカにも優しそうな青年だが、何となく警戒してしまう。
「も、もみじシューターの、妖精さん……なんですか?」
まさかそんなわけはないと思いながらも聞いてみると、青年は楽しそうに笑った。
「そうだね。そういうことにしておいてくれた方が、色々と助かるかな」
「……?」
どういう意味なのだろう。
イリコが不思議そうな顔をしていると、彼は笑みを曖昧なものにして、
「とはいえ、その呼び方じゃあ、ちょっと長すぎるね。そうだな……僕のことは、モミジとでも呼んでほしい」
「も、モミジさん……」
イリコが繰り返すと、彼は嬉しそうにうなずいた。
「そうそう、君は素直だね。大体こういう名乗りをすると、本名を教えろっていう子がいたりするんだけど」
あ、やっぱり本名じゃないのか。
イリコはそう思ったが、深く聞く気はなかった。誰にだって、触れられたくないものはあるのだ。
「それで、君はどうして泣いていたのかな?」
モミジはちょっとおどけたように笑ってみせた。
「良かったら、僕に話してみないかい。全然知らないひとにこそ話せることって、意外とあったりするだろう?」
「…………」
イリコは答えずに、じっとモミジのことを見つめた。
彼の口調はとても柔らかだったが、その柔らかさには何かを包み込んでいるような感じがあった。
その『何か』が本音なのか、裏表なのか、イリコにはわからない。
けれど―――少なくとも、悪いイカではなさそうだ。
イリコが一人でそう結論づけると、モミジは悪戯っぽく笑った。
「……観察は終わった?」
「えっ」
「ふふふ」
はっとしたイリコに対して、モミジはくすくすと笑う。
「君は、随分と真っ直ぐひとの目を見るんだね」
彼はそう言ってから、少し窘めるように目を細めた。
「悪いことだとは言わないが、少し気をつけた方がいい」
モミジの言葉に、イリコは何故かどきっとする。
「君のその真っ直ぐな視線は、」
彼はイリコの眉間を指さしてから、自分の胸にその指先を当ててみせた。
「届くひとには、奥まで届く」
指さしてごめんね、と笑ってから、モミジは続けた。
「相手によっては、君に見透かされているような気がして、怯えさせてしまうかもしれないよ」
「…………」
「僕みたいな年長者ならいいけれど、君と同じぐらいの……そうだな。男の子なんかは特に、そういうのに敏感だからね」
「!」
思わず驚くイリコに、モミジは穏やかに微笑んだ。
「君みたいなお嬢さんに見つめられたら、照れ隠しで何をするかわからないよ。だから観察するなら、もう少し上手いやり方を考えた方がいい」
「は、はい……」
イリコは思わず素直にうなずいてしまった。
このひと―――ひょっとして、あの時のことを見ていたんじゃないだろうか?
「おっと、どうにも説教臭くなっていけないな」
モミジは肩をすくめて苦笑いしてみせる。
「君の話を聞きたかっただけなんだけどね。で、どうかな?お眼鏡にかなったようなら、話してくれたら嬉しいな」
「え、えと……」
イリコは少し迷ったが、話すことに決めた。
少し変わったひとではあるが、きっと悪いイカではないはずだ。
「な、長くなっちゃいますけど、いいですか……?」
「構わないよ。そこら辺に座ろうか」
二人は試し撃ち場の端に腰を下ろし、イリコはもみじシューターを抱えたまま、今日あったことを、モミジに話すことにした。
今日一日、バトルでチョーシが悪かったこと。
赤い瞳の少年に出会ったこと。
彼に―――撃ち抜かれたこと。
彼とフレンドになってほしいと頼んだこと。
それから、彼と喧嘩のようになってしまったこと。
イリコの話を、モミジは黙って時々うなずきながら、穏やかな表情で聞いてくれた。
「……凄く、綺麗な目をした男の子だったんです」
イリコはぽつりと言った。
「赤くて……レーザーサイトみたいな」
「レーザーサイト、ね」
モミジはくすっと笑みをこぼした。
「これまた凄い表現だね」
「ほ、ほんとに!すごく綺麗な赤だったんです!」
イリコは慌てて言った。
「透き通ってるっていうか……でも、その、ちゃんと芯が通ってそうな……こう……い、意志の強そうな瞳というか!」
「実際、強かったわけだね」
「そ、そう……なんです……」
イリコは膝を抱えるようにして、溜め息を吐いた。
「……仲良くなってみたいな、って思ったんですけど……」
彼に言われたことを思い出して、胸が苦しくなった。
「そういう下心があったから、嫌がられちゃったのかな……」
「別にいいと思うけどな」
ふむ、とモミジは顎をつまんでみせた。
「かっこいい男の子だったんだろう?」
「…………」
イリコはちょっと複雑な顔をしながらも、うなずいた。
「正直ちょっと……好みでした。声もかっこよかったし……」
「あはは!君は素直だなぁ」
モミジは楽しそうに笑ってから、壁に背を預けた。
「うーん。バトルが終わった後で気が立っていたのかもしれないね。彼も案外、後悔しているかもしれないよ?次に会った時、声をかけてみるのもいいんじゃないかな」
「で、でも……」
イリコはもどかしそうに言った。
「私、二度と話しかけるなって言われてて……」
「でも、見返してやりたいんだろう?」
モミジはそう言って、練習用の的を指す。
「だから、練習していたんじゃないのかい?」
「それは……」
イリコは言葉に詰まって、もみじシューターを見下ろした。
「そう、なんですけど……」
彼を見返してやりたいのは本当だ。
でも、もみじシューターでそれが出来るのだろうか。
もみじシューターが悪いわけではない―――自分の、ウデマエの問題だ。
それは、わかっている。
わかっているけれど。
「……私……」
イリコは、フクの裾を、ぎゅっと掴んだ。
「他の子たちより、ずっとデビューが遅いんです」
「……それで?」
「だから、同い年のイカした子たちよりも、ずっとずっとヘタで……」
イリコの口から、ぽろぽろと弱音が溢れ始めた。
モミジは、黙って聞いてくれていた。
「すごく上手いひとが、私のことを、見出してくれて……今、そのひとに教わってるんですけど……なかなか、追いつけなくて、」
アオは凄い。マサバだって凄い。
セイゴも凄く上手かった。年下であろうハチだって。
「どうしたら、もっと上手くなれるんだろう、強くなれるんだろうって、ずっと思ってて、」
初めて一ヶ月足らずの自分が、まだまだ追いつけないのはわかっている。
でも、もどかしくてもどかしくて仕方がない。
「勝てないのが、悔しくて……負けたら自分のせいだって、思っちゃって、」
もっと強くなりたい。
もっと上手くなりたい。
もっと強くなって、上手くなって、それから。
「頑張ってるのに……全然、強くなれてる気がしなくて……」
強くなりたい。
上手くなりたい。
強くなって、上手くなって、それから―――。
「好きなブキまでバカにされて!私が……っ弱いから……!!」
もっと強くなれば。もっと上手くなれば。
きっともっと楽しいバトルができるのに。
「私が強かったらっ、絶対あんなこと言わせなかったのにって、思うしっ、」
自分が強ければ。もっと上手ければ。
きっとこんな悔しい思いはしなかったのに。
「先輩たちとも、一緒に、戦いたいのに、足、引っ張って、ばっかりでぇ……っ」
涙が後から後から止まらない。
「今日も、私が弱いせいで、いっぱい……いっぱい、迷惑かけちゃった……」
泣き出してしまったイリコに、モミジが黙って手を伸ばす。
「……たくさん頑張ってきたんだね」
頭を優しく撫でられて、イリコはしゃくりあげた。
「いいよ。今はいっぱい泣いていい」
どこまでも優しい声で、モミジは言った。
「今ここには、君ともみじシューターしかいないからね」
「う、……う、ううっ、」
堪えていたものが、一気に吹き出す。
イリコは突っ伏すようにして、泣き始めた。
「うわぁああぁああん!!!!!くやしい……っ、くやしいよぉっ……」
泣き叫ぶイリコの背を、モミジは黙って撫でる。
「つよくなりたいのにっ、ぜんぜんアオさんたちに追いつける気がしないしっ……!!クロトガくんはひどいし、私だって悪かったけどぉ……っ!!」
涙と思いを床に叩きつけながら、イリコは叫んだ。
「なんであんなこと言われなくちゃいけないの!!わたしだって、わたしだってがんばってるのにぃ……ううっ……」
「……よしよし」
イリコが声を上げて泣き続けている間、モミジはずっと背を撫でてくれていた。
たくさんたくさん泣いて、涙が止まり、声も枯れてきた頃……モミジはぽんぽんとあやすようにイリコの背を叩いて、
「……落ち着いたかい?」
と、相変わらずの落ち着いた声で聞いてきてくれた。
「す、すびばせ、」
「よしよし。今度はティッシュをあげよう」
ポケットティッシュを受け取り、イリコは鼻をかんだ。
「……何から何まですみません……」
「すっきりした?」
「か、かなり……」
目も喉も鼻も痛かったけれど、胸の奥底は随分軽くなったような気がする。
自分でも気付いていなかった、溜め込んだ感情を吐き出したせいかもしれない。
モミジは「良かった」と言いながら笑って、いつの間にかイリコの膝から落ちていたもみじシューターを拾い上げてくれた。
「君は本当に頑張り屋さんだね。強くなりたくて、ずっと頑張ってきたんだろう?」
「あ、あの、でも、まだ一ヶ月も経ってなくて……その……」
「経験はブキになるけれど、短いからといって責められるべきことじゃないさ」
モミジはそう言って微笑んだ。
「強くなりたいという思いに、早いも遅いもないだろう?」
そう言われて、イリコの心がまた少し軽くなった。まだまだ始めたばかりなのに「強くなりたい」なんて、おこがましい気がしていたのだ。
「……でも」
と。
モミジの表情から、初めて笑みが消えた。
「……少しだけ、説教臭いことを言わせてほしい」
「……?」
イリコはもみじシューターを抱えながら、モミジの顔を見つめる。
「強くなりたいと思うことは、辛くて苦しい、茨の道だ」
柔らかだった彼の声色が、少し低くなる。
イリコは思わず背筋を伸ばして、聞く姿勢に入った。
「どこまで行っても先は見えない。上にはいくらでも上がいる。頂点が見えたとしても、それを越えられるかわからない。頂点に上り詰めたとしても、下からいつ引きずり下ろされるかわからない」
淡々とそう言いながら、モミジは自分の手のひらを見つめた。
「自分に才能があるかもわからない。その才能がいつ目覚めるかもわからない。どんなに練習したって、その才能は目覚めないかもしれない。そもそも才能なんて、ないかもしれない」
開かれていた手のひらが、ぎゅっと握られる。
「そもそも、強さってなんだろう。相手からキルを取れることなのか、相手からキルを取られないことなのか。一試合で沢山塗ることなのか、ガチマッチでウデマエの頂点に立つことなのか……」
モミジは淡い色の瞳で、イリコを見た。
「……君は、どんな強さがほしい?いや……」
彼は小さく首を振ってから、言い直す。
「どうして、強くなりたいんだい?」
「……?」
イリコは、思わず首を傾げてしまう。
「強くなりたいことに、理由なんてあるんですか?」
イリコは心の底から不思議に思って、訊ね返した。
「みんなそう思って、バトルしてるんじゃないんですか……?」
「……ナワバリバトルは、僕らにとっては『スポーツ』だ」
なぜか少し面白そうな顔をしながら、モミジは言った。
「楽しめるひとは、楽しむだけでいいんだよ。はっきり言ってしまえば、『強くならなくたっていい』んだ」
「えっ……」
「だって、そうだろう?」
驚くイリコに、モミジは当たり前のように言った。
「スポーツってそういうものさ。『楽しいからやっている』って言ったって、誰も責めやしない」
「…………」
「それなら……強くならなくっても、いいじゃないか」
「……そう。かも、しれないけど、」
でも。
でも、そんなの―――
「……そんなの、楽しくなくないですか?」
真っ直ぐに自分を見据えてくるイリコを、モミジは興味深げに見つめ返した。
「……どうして?」
「だって……」
言葉を探し、気持ちを整えながら、イリコは言った。
「バトルは……勝ちたいって思うから真剣で、真剣にやるから楽しくて……スポーツだからって手を抜いたら、それは、バトルやってる意味が、ないと思うんです」
モミジは微笑んだまま、イリコの言葉の先を促す。
「それで楽しいって思えるひとは、それでいいのかもしれないけど……やっぱり私、バトルには真剣に向き合いたい」
そこまで言って、イリコははっと気が付いた。
自分が強くなりたい理由。
自分がバトルをしている理由。
今モミジに問いかけられた理由は、これだと思った。
「私……ナワバリバトルが好きだから。楽しいって思えるから」
イリコは真っ直ぐにモミジを見つめて、言った。
「強くなったら、きっともっと楽しいバトルができるから……だから私、もっと強くなりたいです!」
モミジはすっと目を細めてみせる。
「……そのために、辛くて苦しい思いをしても?」
「ずっと楽しいことばっかりじゃないのはわかってます!」
ぱっとイリコは顔を輝かせた。
「でも、出来ないことが出来るようになったら楽しいし、バトルに勝てたら嬉しいです!その嬉しいとか楽しいのために、私はやっぱり強くなりたい」
そう言って、イリコはにっこり笑った。
「ナワバリバトルが好きだから。私が強くなりたい理由は、そこにあるんだと思います!」
「……そっか」
モミジは何かを納得したようにうなずいて、微笑んだ。
「それなら……僕がこれ以上、心配する必要はなさそうだね」
そう言って、モミジはまたイリコの頭をぽふぽふと撫でる。イリコは思わず頭をかがめて、されるがままになった。
「君は本当に真っ直ぐだね。きっと、良い選手になるよ」
「……えへへ」
イリコは照れくさそうに笑って、「ありがとうございます」と、モミジに向かってお礼を言った。
***
しばらくして、イリコの目の腫れがすっかり引いてから、二人は試しうち場を後にした。
「あ、そういえば」
もみじシューターをブキケースに仕舞いながら、イリコはふと思い出す。
「モミジさん、練習しにきたんじゃないですか?私のせいで出来なかったんじゃ……」
「僕?ああ、ううん。そういうわけじゃないんだ」
モミジはひらひらっと手を振ってみせる。
「初恋に会いに来たついでの、時間つぶしってところだね」
「は、はつこい?」
突然現れた単語に、イリコはぱちぱちとまばたきした。
「ふふふ。見に来るかい?」
悪戯っぽく笑うモミジに対して、イリコはちょっと迷ってから、うなずいた。
「あ、いえいえ……」
もみじシューターの妖精と名乗った青年は、イリコの顔を覗き込むと、
「……泣いていたのかい?」
「あ、えと、」
イリコは慌てて顔を袖でこすった。急にびっくりしたせいか、涙はいつの間にか止まっていた。
「あ、あはは!気にしないでください、大丈夫です……」
「……あいにく、女性の涙には弱くてね」
青年はそう言いながら、イリコにハンカチを差し出す。
「良かったらどうぞ。遠慮無く使って」
「……すみません……」
イリコはハンカチを受け取って、ありがたく顔を拭かせてもらうことにした。
……それにしても。
「あ、あの……」
「ん?」
青年は穏やかな表情で目を細めてみせる。イカにも優しそうな青年だが、何となく警戒してしまう。
「も、もみじシューターの、妖精さん……なんですか?」
まさかそんなわけはないと思いながらも聞いてみると、青年は楽しそうに笑った。
「そうだね。そういうことにしておいてくれた方が、色々と助かるかな」
「……?」
どういう意味なのだろう。
イリコが不思議そうな顔をしていると、彼は笑みを曖昧なものにして、
「とはいえ、その呼び方じゃあ、ちょっと長すぎるね。そうだな……僕のことは、モミジとでも呼んでほしい」
「も、モミジさん……」
イリコが繰り返すと、彼は嬉しそうにうなずいた。
「そうそう、君は素直だね。大体こういう名乗りをすると、本名を教えろっていう子がいたりするんだけど」
あ、やっぱり本名じゃないのか。
イリコはそう思ったが、深く聞く気はなかった。誰にだって、触れられたくないものはあるのだ。
「それで、君はどうして泣いていたのかな?」
モミジはちょっとおどけたように笑ってみせた。
「良かったら、僕に話してみないかい。全然知らないひとにこそ話せることって、意外とあったりするだろう?」
「…………」
イリコは答えずに、じっとモミジのことを見つめた。
彼の口調はとても柔らかだったが、その柔らかさには何かを包み込んでいるような感じがあった。
その『何か』が本音なのか、裏表なのか、イリコにはわからない。
けれど―――少なくとも、悪いイカではなさそうだ。
イリコが一人でそう結論づけると、モミジは悪戯っぽく笑った。
「……観察は終わった?」
「えっ」
「ふふふ」
はっとしたイリコに対して、モミジはくすくすと笑う。
「君は、随分と真っ直ぐひとの目を見るんだね」
彼はそう言ってから、少し窘めるように目を細めた。
「悪いことだとは言わないが、少し気をつけた方がいい」
モミジの言葉に、イリコは何故かどきっとする。
「君のその真っ直ぐな視線は、」
彼はイリコの眉間を指さしてから、自分の胸にその指先を当ててみせた。
「届くひとには、奥まで届く」
指さしてごめんね、と笑ってから、モミジは続けた。
「相手によっては、君に見透かされているような気がして、怯えさせてしまうかもしれないよ」
「…………」
「僕みたいな年長者ならいいけれど、君と同じぐらいの……そうだな。男の子なんかは特に、そういうのに敏感だからね」
「!」
思わず驚くイリコに、モミジは穏やかに微笑んだ。
「君みたいなお嬢さんに見つめられたら、照れ隠しで何をするかわからないよ。だから観察するなら、もう少し上手いやり方を考えた方がいい」
「は、はい……」
イリコは思わず素直にうなずいてしまった。
このひと―――ひょっとして、あの時のことを見ていたんじゃないだろうか?
「おっと、どうにも説教臭くなっていけないな」
モミジは肩をすくめて苦笑いしてみせる。
「君の話を聞きたかっただけなんだけどね。で、どうかな?お眼鏡にかなったようなら、話してくれたら嬉しいな」
「え、えと……」
イリコは少し迷ったが、話すことに決めた。
少し変わったひとではあるが、きっと悪いイカではないはずだ。
「な、長くなっちゃいますけど、いいですか……?」
「構わないよ。そこら辺に座ろうか」
二人は試し撃ち場の端に腰を下ろし、イリコはもみじシューターを抱えたまま、今日あったことを、モミジに話すことにした。
今日一日、バトルでチョーシが悪かったこと。
赤い瞳の少年に出会ったこと。
彼に―――撃ち抜かれたこと。
彼とフレンドになってほしいと頼んだこと。
それから、彼と喧嘩のようになってしまったこと。
イリコの話を、モミジは黙って時々うなずきながら、穏やかな表情で聞いてくれた。
「……凄く、綺麗な目をした男の子だったんです」
イリコはぽつりと言った。
「赤くて……レーザーサイトみたいな」
「レーザーサイト、ね」
モミジはくすっと笑みをこぼした。
「これまた凄い表現だね」
「ほ、ほんとに!すごく綺麗な赤だったんです!」
イリコは慌てて言った。
「透き通ってるっていうか……でも、その、ちゃんと芯が通ってそうな……こう……い、意志の強そうな瞳というか!」
「実際、強かったわけだね」
「そ、そう……なんです……」
イリコは膝を抱えるようにして、溜め息を吐いた。
「……仲良くなってみたいな、って思ったんですけど……」
彼に言われたことを思い出して、胸が苦しくなった。
「そういう下心があったから、嫌がられちゃったのかな……」
「別にいいと思うけどな」
ふむ、とモミジは顎をつまんでみせた。
「かっこいい男の子だったんだろう?」
「…………」
イリコはちょっと複雑な顔をしながらも、うなずいた。
「正直ちょっと……好みでした。声もかっこよかったし……」
「あはは!君は素直だなぁ」
モミジは楽しそうに笑ってから、壁に背を預けた。
「うーん。バトルが終わった後で気が立っていたのかもしれないね。彼も案外、後悔しているかもしれないよ?次に会った時、声をかけてみるのもいいんじゃないかな」
「で、でも……」
イリコはもどかしそうに言った。
「私、二度と話しかけるなって言われてて……」
「でも、見返してやりたいんだろう?」
モミジはそう言って、練習用の的を指す。
「だから、練習していたんじゃないのかい?」
「それは……」
イリコは言葉に詰まって、もみじシューターを見下ろした。
「そう、なんですけど……」
彼を見返してやりたいのは本当だ。
でも、もみじシューターでそれが出来るのだろうか。
もみじシューターが悪いわけではない―――自分の、ウデマエの問題だ。
それは、わかっている。
わかっているけれど。
「……私……」
イリコは、フクの裾を、ぎゅっと掴んだ。
「他の子たちより、ずっとデビューが遅いんです」
「……それで?」
「だから、同い年のイカした子たちよりも、ずっとずっとヘタで……」
イリコの口から、ぽろぽろと弱音が溢れ始めた。
モミジは、黙って聞いてくれていた。
「すごく上手いひとが、私のことを、見出してくれて……今、そのひとに教わってるんですけど……なかなか、追いつけなくて、」
アオは凄い。マサバだって凄い。
セイゴも凄く上手かった。年下であろうハチだって。
「どうしたら、もっと上手くなれるんだろう、強くなれるんだろうって、ずっと思ってて、」
初めて一ヶ月足らずの自分が、まだまだ追いつけないのはわかっている。
でも、もどかしくてもどかしくて仕方がない。
「勝てないのが、悔しくて……負けたら自分のせいだって、思っちゃって、」
もっと強くなりたい。
もっと上手くなりたい。
もっと強くなって、上手くなって、それから。
「頑張ってるのに……全然、強くなれてる気がしなくて……」
強くなりたい。
上手くなりたい。
強くなって、上手くなって、それから―――。
「好きなブキまでバカにされて!私が……っ弱いから……!!」
もっと強くなれば。もっと上手くなれば。
きっともっと楽しいバトルができるのに。
「私が強かったらっ、絶対あんなこと言わせなかったのにって、思うしっ、」
自分が強ければ。もっと上手ければ。
きっとこんな悔しい思いはしなかったのに。
「先輩たちとも、一緒に、戦いたいのに、足、引っ張って、ばっかりでぇ……っ」
涙が後から後から止まらない。
「今日も、私が弱いせいで、いっぱい……いっぱい、迷惑かけちゃった……」
泣き出してしまったイリコに、モミジが黙って手を伸ばす。
「……たくさん頑張ってきたんだね」
頭を優しく撫でられて、イリコはしゃくりあげた。
「いいよ。今はいっぱい泣いていい」
どこまでも優しい声で、モミジは言った。
「今ここには、君ともみじシューターしかいないからね」
「う、……う、ううっ、」
堪えていたものが、一気に吹き出す。
イリコは突っ伏すようにして、泣き始めた。
「うわぁああぁああん!!!!!くやしい……っ、くやしいよぉっ……」
泣き叫ぶイリコの背を、モミジは黙って撫でる。
「つよくなりたいのにっ、ぜんぜんアオさんたちに追いつける気がしないしっ……!!クロトガくんはひどいし、私だって悪かったけどぉ……っ!!」
涙と思いを床に叩きつけながら、イリコは叫んだ。
「なんであんなこと言われなくちゃいけないの!!わたしだって、わたしだってがんばってるのにぃ……ううっ……」
「……よしよし」
イリコが声を上げて泣き続けている間、モミジはずっと背を撫でてくれていた。
たくさんたくさん泣いて、涙が止まり、声も枯れてきた頃……モミジはぽんぽんとあやすようにイリコの背を叩いて、
「……落ち着いたかい?」
と、相変わらずの落ち着いた声で聞いてきてくれた。
「す、すびばせ、」
「よしよし。今度はティッシュをあげよう」
ポケットティッシュを受け取り、イリコは鼻をかんだ。
「……何から何まですみません……」
「すっきりした?」
「か、かなり……」
目も喉も鼻も痛かったけれど、胸の奥底は随分軽くなったような気がする。
自分でも気付いていなかった、溜め込んだ感情を吐き出したせいかもしれない。
モミジは「良かった」と言いながら笑って、いつの間にかイリコの膝から落ちていたもみじシューターを拾い上げてくれた。
「君は本当に頑張り屋さんだね。強くなりたくて、ずっと頑張ってきたんだろう?」
「あ、あの、でも、まだ一ヶ月も経ってなくて……その……」
「経験はブキになるけれど、短いからといって責められるべきことじゃないさ」
モミジはそう言って微笑んだ。
「強くなりたいという思いに、早いも遅いもないだろう?」
そう言われて、イリコの心がまた少し軽くなった。まだまだ始めたばかりなのに「強くなりたい」なんて、おこがましい気がしていたのだ。
「……でも」
と。
モミジの表情から、初めて笑みが消えた。
「……少しだけ、説教臭いことを言わせてほしい」
「……?」
イリコはもみじシューターを抱えながら、モミジの顔を見つめる。
「強くなりたいと思うことは、辛くて苦しい、茨の道だ」
柔らかだった彼の声色が、少し低くなる。
イリコは思わず背筋を伸ばして、聞く姿勢に入った。
「どこまで行っても先は見えない。上にはいくらでも上がいる。頂点が見えたとしても、それを越えられるかわからない。頂点に上り詰めたとしても、下からいつ引きずり下ろされるかわからない」
淡々とそう言いながら、モミジは自分の手のひらを見つめた。
「自分に才能があるかもわからない。その才能がいつ目覚めるかもわからない。どんなに練習したって、その才能は目覚めないかもしれない。そもそも才能なんて、ないかもしれない」
開かれていた手のひらが、ぎゅっと握られる。
「そもそも、強さってなんだろう。相手からキルを取れることなのか、相手からキルを取られないことなのか。一試合で沢山塗ることなのか、ガチマッチでウデマエの頂点に立つことなのか……」
モミジは淡い色の瞳で、イリコを見た。
「……君は、どんな強さがほしい?いや……」
彼は小さく首を振ってから、言い直す。
「どうして、強くなりたいんだい?」
「……?」
イリコは、思わず首を傾げてしまう。
「強くなりたいことに、理由なんてあるんですか?」
イリコは心の底から不思議に思って、訊ね返した。
「みんなそう思って、バトルしてるんじゃないんですか……?」
「……ナワバリバトルは、僕らにとっては『スポーツ』だ」
なぜか少し面白そうな顔をしながら、モミジは言った。
「楽しめるひとは、楽しむだけでいいんだよ。はっきり言ってしまえば、『強くならなくたっていい』んだ」
「えっ……」
「だって、そうだろう?」
驚くイリコに、モミジは当たり前のように言った。
「スポーツってそういうものさ。『楽しいからやっている』って言ったって、誰も責めやしない」
「…………」
「それなら……強くならなくっても、いいじゃないか」
「……そう。かも、しれないけど、」
でも。
でも、そんなの―――
「……そんなの、楽しくなくないですか?」
真っ直ぐに自分を見据えてくるイリコを、モミジは興味深げに見つめ返した。
「……どうして?」
「だって……」
言葉を探し、気持ちを整えながら、イリコは言った。
「バトルは……勝ちたいって思うから真剣で、真剣にやるから楽しくて……スポーツだからって手を抜いたら、それは、バトルやってる意味が、ないと思うんです」
モミジは微笑んだまま、イリコの言葉の先を促す。
「それで楽しいって思えるひとは、それでいいのかもしれないけど……やっぱり私、バトルには真剣に向き合いたい」
そこまで言って、イリコははっと気が付いた。
自分が強くなりたい理由。
自分がバトルをしている理由。
今モミジに問いかけられた理由は、これだと思った。
「私……ナワバリバトルが好きだから。楽しいって思えるから」
イリコは真っ直ぐにモミジを見つめて、言った。
「強くなったら、きっともっと楽しいバトルができるから……だから私、もっと強くなりたいです!」
モミジはすっと目を細めてみせる。
「……そのために、辛くて苦しい思いをしても?」
「ずっと楽しいことばっかりじゃないのはわかってます!」
ぱっとイリコは顔を輝かせた。
「でも、出来ないことが出来るようになったら楽しいし、バトルに勝てたら嬉しいです!その嬉しいとか楽しいのために、私はやっぱり強くなりたい」
そう言って、イリコはにっこり笑った。
「ナワバリバトルが好きだから。私が強くなりたい理由は、そこにあるんだと思います!」
「……そっか」
モミジは何かを納得したようにうなずいて、微笑んだ。
「それなら……僕がこれ以上、心配する必要はなさそうだね」
そう言って、モミジはまたイリコの頭をぽふぽふと撫でる。イリコは思わず頭をかがめて、されるがままになった。
「君は本当に真っ直ぐだね。きっと、良い選手になるよ」
「……えへへ」
イリコは照れくさそうに笑って、「ありがとうございます」と、モミジに向かってお礼を言った。
***
しばらくして、イリコの目の腫れがすっかり引いてから、二人は試しうち場を後にした。
「あ、そういえば」
もみじシューターをブキケースに仕舞いながら、イリコはふと思い出す。
「モミジさん、練習しにきたんじゃないですか?私のせいで出来なかったんじゃ……」
「僕?ああ、ううん。そういうわけじゃないんだ」
モミジはひらひらっと手を振ってみせる。
「初恋に会いに来たついでの、時間つぶしってところだね」
「は、はつこい?」
突然現れた単語に、イリコはぱちぱちとまばたきした。
「ふふふ。見に来るかい?」
悪戯っぽく笑うモミジに対して、イリコはちょっと迷ってから、うなずいた。