イリコと『もみじ』
もみじシューターは、塗り性能に定評のあるシューターブキの一種だ。
火力や対面性能といった派手さはないものの、堅実にじわじわとナワバリを奪うことに長けており、バトルでは縁の下の力持ちといった役割を担うことが多い。
塗りを意識して立ち回りたいイリコには、正にぴったりのブキと言えるわけだが―――今日は今ひとつ、チョーシが悪い。
「きゃあ!」
頭上から降り注ぐマルチミサイルが直撃し、イリコはインクの中に沈み込んでしまう。かわしきったつもりが、読みを間違えたらしい。
(いけない、アオさんに叱られちゃう)
そう思ったが、いつもの叱咤激励は飛んでこない―――今日は、アオがいないのだった。
イリコはそれを思い出して、ちょっと寂しくなってしまった。
マサバと知り合ってから、イリコとアオは彼を交えて、三人でバトルに参加する機会が多くなった。
あの日の宣言通り、アオの指導は確かに厳しくなったけれど、イリコのウデマエも徐々に上達し、アオが褒めてくれる回数も増えてきている。
反省会にはマサバも加わるようになって、彼の視点からのアドバイスも受けられるようになり、最近では三人でバトルについて振り返って話し合うのが、イリコにとって密かな楽しみともなっていた。
けれど、今日のイリコは、一人でレギュラーマッチに参加していた。
アオは何か用事があると言っていたし、マサバは例によってバイトがあるらしい。
久しぶりに一人で参加するナワバリバトルは、何だか妙な新鮮味があったけれど、やっぱりちょっと寂しかった。ここ最近ずっと付けていたボイスチャット用のインカムがないせいか、何となく落ち着かない。アオやマサバと一緒に参加しているときは、大抵インカムから二人の声が聞こえてきていたのだが。
(……でも、本来のナワバリバトルって、こういうものなんだろうな)
時々「カモン」と「ナイス」が飛び交うフィールドで、イカたちが自分の判断で戦況を把握しながら、一生懸命にインクを塗り合う。
どんなに即席のチームだったとしても、味方のことを思い、敵のことを意識しながら戦うのが、イカしたイカというわけだ。
……つまり。
「きゃ!!」
敵のインクに撃ち抜かれ、イリコはインクの中に沈み込んでしまった。自分に狙いを定めていたのは、青いチャージャーを持ったボーイだった。
(……なんか集中できないなぁ……)
今日のイリコは、全然イカしていないというわけである。
今のはちゃんと見ていれば逃げられたはずだ。ぼーっとし過ぎだ、と、イリコは自分で自分を叱った。
塗りは最低限1000ptをキープするよう心がけてはいるけれど、今日はキルが全然取れないうえに、とにかくデスがかさんでいる。
アオはキルが取れないこと自体を叱ったりはしないが、デスがかさむことについては厳しい。
『デスした分だけ、塗れる時間は8秒減るわ』
アオの教えが、イリコの耳に蘇る。
『7回デスすれば、約1分間塗れないことになる。1/3の時間がイカに大きイカ、言わずとも分かるでしょう』
(はい、アオさん、はい……その通りです……)
思い出しながら内心、へこむ。せっかくアオに期待をかけてもらっているのに、こんなチョーシでは、いつになったら彼女に追いつけるのだろう。
少しずつキルも取れるようになって、上達したつもりだったけれど、やっぱり自分はまだまだでしかない。
その後も何とか気分を切り替えて押し込もうとしたが、結局チョーシは振るわず、そのバトルは負けてしまった。
「…………」
さっきのバトルの反省点を一人で考えながら、イリコはいったんロビーから抜けた。気分転換したかったのだ。
(……ブキとかギアとか、変えてみた方がいいのかなぁ)
またランクは少し上がって、新しいブキが買えるようにはなっていた。少しずつギアも揃えて、アオやマサバのオススメを参考にしながら選んでいる。
ちなみに、今日のイリコのファッションは、サファリハットとホタプラントパーカー、それからクツはデルターストラップスノーだ(一応、デザインも気にしている)。
ギアパワーは……実はまだよくわかっていないので、てんでばらばらである。
イカしたイカはこういうところもこだわるんだろうな、ということは、わかるんだけれど。
(何にこだわったらいいかもわかんないうちは、まだ初心者なんだろうなぁ……)
早く強くなりたい。
もっと強くなりたい。
アオのため、だけではない。
何よりも、自分のために。
「……よしっ!」
もう少し、バトルしていこう。
ぐぅっと伸びをして、イリコはまたバトルに参加するため、ロビーに飛び込む。
今のステージは、モンガラキャンプ場と、フジツボスポーツクラブだ。モンガラキャンプ場はあまり得意ではないが、フジツボスポーツクラブは結構好きだったりする。
もっと周りをよく見て、集中すれば大丈夫。そう自分に言い聞かせて、イリコはステージに転送されるのを待った。
選ばれたステージは―――モンガラキャンプ場だ。
(ブキ構成は……)
こちらがローラー一種とスピナー一種、シューターが二種。向こうはスロッシャー種とマニューバー種、そしてやっぱりシューターが二種。
ブキの姿を見ただけで名前がわかるほど、イリコにはまだ知識がない。けれど見るクセをつけておくことが大事なのだと、何度も何度も言われている。
『イリコちゃんは物覚えいいから、いつか絶対役立つようなるよ』
何かを教えてくれるとき、マサバはいつも必ず、そうやって励ましてくれた。
(……ふたりがいなくても、頑張らなくちゃ!)
試合開始の合図が鳴り響く。
「ナイス!」
直後、イリコの隣にいたボーイがシグナルを飛ばしてくれた。周囲が笑いながらナイスを返し、イリコも慌てて返事をする。
開幕ナイスはフレンド同士の挨拶みたいなものだと、確かマサバが言っていたような気がする。
(味方にフレンドさんがいたのかな)
それでも何だかちょっと楽しくなって、イリコはインクを塗り広げながら左に進んだ。自陣塗りをしながらインクレールを伸ばし、相手の陣地を塗りにいくコースだ。
インクレールの向こう側には敵がいたりいなかったりするけれど、いた時は出来るだけ迎撃するようにしている……複数いると、やられてしまうことの方が多いが。
今回インクレールから跳んだ向こう側は、まだ塗られてもおらず、誰もいなかった……が、油断はできない。もみじの塗り性能をイカして、出来るだけ塗り広げていると―――マニューバーだ!
(対面じゃっ、無理!)
すぐに退くことを選択して、イリコは味方が塗ってくれていたインクを泳いで逃げた。しかしマニューバーの方はそう簡単に逃がしてくれる気はないらしく、後から後からインクが迫ってくる。
追いつかれる―――と思った瞬間、イリコの前方から、味方のインクが飛んできた。
さっきのローラーボーイだ。彼はイリコとすれ違うかのようにして勢いよく塗り進んだかと思うと、思いっきりローラーを振りかぶり、インクを飛ばした。
その瞬間、ばしゃっ!と勢い良く相手が破裂する。
「ナイス!」
助けてもらった、そのお礼も兼ねてイリコがシグナルを飛ばすと、ボーイも「ナイス!」とシグナルを返してくれた。
イリコが内心嬉しくなっていると、今度は彼は「カモン」と合図して、着いてくるように促した。
(一緒に来てってことかな?)
イリコは、素直に彼に着いて行くことにした。
マニューバーに塗られてしまった場を取り返すように塗っていると、今度はスロッシャーを抱えたイカが現れた。
すかさずボーイがローラーを振るも、向こうが素早く網の下に移動してしまい、インクが当たらない。
イリコはとっさにロボットボムを投げ、姿をイカに変えて相手に迫る。
(この距離なら!)
てこてこと歩くロボットボムから、スロッシャーが逃げるように進む。
イリコはすかさずヒトの姿に変わると、逃げる相手に向かってもみじシューターを構え、相手を狙い撃ちした―――倒せた!!
「ナイス!」
ボーイが嬉しそうにシグナルを飛ばしてくれた。イリコも嬉しくなって、「ナイス!」と返す。
―――バトルって、やっぱり楽しい。
相手を倒した勢いに乗って、イリコはローラーのボーイと一緒に、敵の陣地へと乗り込んだ。
……とはいえ、勢いに乗るだけでは勝てないのが、ナワバリバトルである。
あれから味方たちと奮闘したイリコは、最初はリードを取っていたものの、終盤であえなく逆転されてしまった。敵のシューター……ではなくブラスター(弾を見て気付いた)に上手いイカがいて、あっという間にこちらを全滅させてしまったのだ。
あそこで全滅していなければ、恐らく相手を押し込んで勝てていたに違いない。けれど、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。
何よりイリコにとっては、とても楽しいバトルだった。
(……そういえば、さっきの子の名前、見てなかったな)
スケジュール変更の時間を迎えたのを機に、イリコはロビーから飛び出した。
あのローラーを担いだ少年に、一言お礼が言いたくて、イリコはきょろきょろと辺りを見回す。
最近流行りの……なんて言ったっけ?ゲソを前に垂らすスタイルの、イカした髪型のボーイだったはず。
イリコがその姿を探していると、
「あの、すみマセン」
片言で声をかけられ、イリコは振り返る。
「あ!」
「さっきはドウモ」
そこには、先ほどローラーを担いでいたあのボーイが、控えめな笑顔で立っていた。
「さっきのローラーさんですよね!こちらこそありがとうございました!」
「ドウいたしマシテ」
特徴的な片言でそう言いながら、彼は軽く会釈してくれた。
「ロボムのフォロー、助かりマシタ。バトルは負けてしまいマシタが、とても楽しかッタデス」
「私もすっごく楽しかったです!ナワバリバトルしてるな~って感じで!」
イリコがはしゃぎながらそう言うと、彼はにっこりと微笑んだ。
「それは良かっタデス。普段から、もみじシューターを使ってるんデスカ?」
「はい!あれが一番好きで……」
「良いデスネ。好きなブキで戦うのが一番デス」
にこにこと笑う彼の表情は、とても可愛らしかった。イリコよりも年下に見えるが、あの立ち回りからして、きっとウデマエは自分よりも上だろう。
イリコはちょっと迷ってから、
「あの、良かったら、フレンド申請してもいいですか……?」
と、おずおず申し出てみた。
「ハイ、構いマセン」
彼はあっさりOKしてくれた。彼に貰ったフレコカードを見て(イリコはまだ作っていない)、イリコはさっそく申請させてもらうことにした。
「ハチさん、て言うんですね」
相手の名前を確かめてから、ふとイリコは首を傾げた。以前に、どこかで、聞いたことがあるような。
「……イリコサン」
ハチはハチで、イリコの名前を確かめて、真面目な顔をした。
「……あの、間違えてタラ失礼デスが」
「は、はい」
ハチはイリコの様子を伺うように、上目遣いで言った。
「アオサン……という方を、ご存じではないデショウカ?」
「……ああ!」
アオの名前を出されて、イリコははっと思い出す。確か、あれは、アオとマサバが話していた時……。
「し、知ってます!私、アオさんのフレンドです!」
イリコが慌ててそう答えると、ハチはほっとしたように笑った。
「やっぱり、そうデシタカ。初めマシテ、ハチと言いマス」
ハチはそう言って、嬉しそうに片手を差し出した。
「イリコサンの噂は、たびたび耳にしてマシタ。会えテ嬉しいデス」
「あ、ありがとうございます!」
イリコはハチと、いそいそと握手をかわした。
ハチのことは、今まで何度かアオとマサバから聞いていた。二人にとっては後輩のような存在で、素直で良い子だという話だったはずだ。
けれど、まさか自分も噂されていたとは思わなくて、イリコは何となく、ちょっとどきまぎしてしまった。
「ボクのことは、ハチって呼んデくだサイ。敬語も要らないデス」
「あ、じゃあ、ハチくんって呼ぶね」
ハチにそう言われて、イリコはあっさり敬語を止める。
「私も敬語じゃなくていいよ。ハチくんとは年、近そうだし」
「いえ。ボクは言葉に、ナマリがあるノデ……」
ハチがそう言って、遠慮がちに笑うので、イリコは「そっか」と納得した。それ以上言うのは、きっとよしたほうがいいだろう。
「イリコサンとお会いできタラ、一緒にバトルしてミタイと思ってマシタ。夢が叶っテ良かっタデス」
「ゆ、夢だなんてそんな……」
ハチの言葉に、イリコは何だか照れてしまう。
「アオサンがバトルを教えテルと聞いテ、どんな方なんダロウ、会ってみタイナと思っテタんデス」
ハチはそう言って、目を細めてみせる。
「ナノデ、ボクはとても嬉しカッタ。さっきのバトルで、イリコサンが味方で良かったデス」
「…………」
ハチはにこにことそう言ってくれたが、イリコはなんとなく、心配になってしまう。
「あの、ハチくん……」
「ハイ」
「……がっかりしなかった?」
イリコにそう訊かれて、ハチは驚いたような顔をする。
「……エ?」
「私、まだあんまり強くないから……」
イリコは言いながら、下を向いてしまう。
「アオさんの顔に、泥塗っちゃわなかったかな、って思って……」
まだまだ自分はイカしているとは言えないと、イリコは強くそう思っていた。
アオがバトルを教えているから、という理由で期待してくれていたのなら、ハチは言わないでいてくれるだけで、期待外れだったんじゃないだろうか。
そう思って、つい訊いてしまったのだが、ハチは真面目な顔をして、
「イリコサン、ボクは……」
「あれぇ?!ハチコーとイリコちゃんやん!」
……聞き慣れた明るい声がハチの言葉を遮り、イリコは思わず振り返る。
「……あれ!?マサバさん!」
「よっすよっすー!何してんの?」
のんきに笑いながらぶんぶんと手を振ってくるマサバに、ハチはとてつもなくしょっぱい顔をした。
「ヨ……マサバサン」
先ほどまでにこにこしていたのが嘘かのように、ハチはマサバを睨みつける。
「今、大事な話をシヨウとしてタところナンデスが」
「え?何?大事な話?」
マサバはきょとんとしてから、二人を交互に見て、はっとしたような顔をする。
「まさか……赤飯炊く?」
「マサバサン」
「ごめんてハチコー……邪魔するつもりやなかったんやって……」
「すみマセン、イリコサン」
ハチは今度は申し訳なさそうな顔をして、イリコに言った。
「話の途中ナノニ、あのヒトが邪魔をシテしマッテ……」
「あ、いえいえ……」
なんでマサバさんのことをハチくんが謝っているんだろうと思いつつ、イリコは慌てて首を振った。
「ご、ごめんね、私も変なこと言っちゃって……ちょっと心配になっちゃってさ」
イリコは笑って誤魔化そうとしたが、ハチは大真面目な顔で、
「イエ、アオさんのご友人を不快にさせタなどとあっテハ申し訳が立ちマセン。早急にお詫びを……」
「あ、謝らなくていいよぉ……!」
深々と頭を下げようとするハチを、イリコは急いで押し留めた。その様子を見ていたマサバは、怪訝そうな顔をして、
「え?何?ごめん、マジで大事な話だった?」
「だ、大丈夫です!多分!」
「……マサバ」
―――と。
マサバの後ろから、一人のイカガールがひょっこりと顔を出した。はっきりした顔立ちに、ちょっと派手めなメイクがよく似合う、ロングヘアーの美少女だ。
アオとは違うタイプの美人だな、と、イリコは思った。
「その子誰?お前の新しいフレンド?」
その美少女は、ガールにしては低音な声で、マサバに向かってそう言った。
「んあ、お前いるの忘れとったわ」
マサバはちょっと横にどけると、美少女に向かって、雑に親指を向けてみせる。
「イリコちゃん、紹介するね。こいつは……」
マサバがガールを紹介しようとした瞬間―――彼女はマサバの腕に、ぎゅっと抱きついた。
「はじめまして、セイコです♡」
彼女はさっきとは違う甲高い声でそう言いながら、ぐりぐりとマサバに胸を押しつける。
「マサバの彼女、やってまーす♡」
「……は?」
「待って!!!違うから!!!」
必死に否定するマサバに向けて、イリコは冷たい視線を投げかける。
「……彼女持ちなのにアオさんに必死でアピールしてたんですか?」
「だから違うんやってーーー!!!!!」
……マサバの否定する声は、ハイカラスクエア中に、大きく響き渡ったのだった。
火力や対面性能といった派手さはないものの、堅実にじわじわとナワバリを奪うことに長けており、バトルでは縁の下の力持ちといった役割を担うことが多い。
塗りを意識して立ち回りたいイリコには、正にぴったりのブキと言えるわけだが―――今日は今ひとつ、チョーシが悪い。
「きゃあ!」
頭上から降り注ぐマルチミサイルが直撃し、イリコはインクの中に沈み込んでしまう。かわしきったつもりが、読みを間違えたらしい。
(いけない、アオさんに叱られちゃう)
そう思ったが、いつもの叱咤激励は飛んでこない―――今日は、アオがいないのだった。
イリコはそれを思い出して、ちょっと寂しくなってしまった。
マサバと知り合ってから、イリコとアオは彼を交えて、三人でバトルに参加する機会が多くなった。
あの日の宣言通り、アオの指導は確かに厳しくなったけれど、イリコのウデマエも徐々に上達し、アオが褒めてくれる回数も増えてきている。
反省会にはマサバも加わるようになって、彼の視点からのアドバイスも受けられるようになり、最近では三人でバトルについて振り返って話し合うのが、イリコにとって密かな楽しみともなっていた。
けれど、今日のイリコは、一人でレギュラーマッチに参加していた。
アオは何か用事があると言っていたし、マサバは例によってバイトがあるらしい。
久しぶりに一人で参加するナワバリバトルは、何だか妙な新鮮味があったけれど、やっぱりちょっと寂しかった。ここ最近ずっと付けていたボイスチャット用のインカムがないせいか、何となく落ち着かない。アオやマサバと一緒に参加しているときは、大抵インカムから二人の声が聞こえてきていたのだが。
(……でも、本来のナワバリバトルって、こういうものなんだろうな)
時々「カモン」と「ナイス」が飛び交うフィールドで、イカたちが自分の判断で戦況を把握しながら、一生懸命にインクを塗り合う。
どんなに即席のチームだったとしても、味方のことを思い、敵のことを意識しながら戦うのが、イカしたイカというわけだ。
……つまり。
「きゃ!!」
敵のインクに撃ち抜かれ、イリコはインクの中に沈み込んでしまった。自分に狙いを定めていたのは、青いチャージャーを持ったボーイだった。
(……なんか集中できないなぁ……)
今日のイリコは、全然イカしていないというわけである。
今のはちゃんと見ていれば逃げられたはずだ。ぼーっとし過ぎだ、と、イリコは自分で自分を叱った。
塗りは最低限1000ptをキープするよう心がけてはいるけれど、今日はキルが全然取れないうえに、とにかくデスがかさんでいる。
アオはキルが取れないこと自体を叱ったりはしないが、デスがかさむことについては厳しい。
『デスした分だけ、塗れる時間は8秒減るわ』
アオの教えが、イリコの耳に蘇る。
『7回デスすれば、約1分間塗れないことになる。1/3の時間がイカに大きイカ、言わずとも分かるでしょう』
(はい、アオさん、はい……その通りです……)
思い出しながら内心、へこむ。せっかくアオに期待をかけてもらっているのに、こんなチョーシでは、いつになったら彼女に追いつけるのだろう。
少しずつキルも取れるようになって、上達したつもりだったけれど、やっぱり自分はまだまだでしかない。
その後も何とか気分を切り替えて押し込もうとしたが、結局チョーシは振るわず、そのバトルは負けてしまった。
「…………」
さっきのバトルの反省点を一人で考えながら、イリコはいったんロビーから抜けた。気分転換したかったのだ。
(……ブキとかギアとか、変えてみた方がいいのかなぁ)
またランクは少し上がって、新しいブキが買えるようにはなっていた。少しずつギアも揃えて、アオやマサバのオススメを参考にしながら選んでいる。
ちなみに、今日のイリコのファッションは、サファリハットとホタプラントパーカー、それからクツはデルターストラップスノーだ(一応、デザインも気にしている)。
ギアパワーは……実はまだよくわかっていないので、てんでばらばらである。
イカしたイカはこういうところもこだわるんだろうな、ということは、わかるんだけれど。
(何にこだわったらいいかもわかんないうちは、まだ初心者なんだろうなぁ……)
早く強くなりたい。
もっと強くなりたい。
アオのため、だけではない。
何よりも、自分のために。
「……よしっ!」
もう少し、バトルしていこう。
ぐぅっと伸びをして、イリコはまたバトルに参加するため、ロビーに飛び込む。
今のステージは、モンガラキャンプ場と、フジツボスポーツクラブだ。モンガラキャンプ場はあまり得意ではないが、フジツボスポーツクラブは結構好きだったりする。
もっと周りをよく見て、集中すれば大丈夫。そう自分に言い聞かせて、イリコはステージに転送されるのを待った。
選ばれたステージは―――モンガラキャンプ場だ。
(ブキ構成は……)
こちらがローラー一種とスピナー一種、シューターが二種。向こうはスロッシャー種とマニューバー種、そしてやっぱりシューターが二種。
ブキの姿を見ただけで名前がわかるほど、イリコにはまだ知識がない。けれど見るクセをつけておくことが大事なのだと、何度も何度も言われている。
『イリコちゃんは物覚えいいから、いつか絶対役立つようなるよ』
何かを教えてくれるとき、マサバはいつも必ず、そうやって励ましてくれた。
(……ふたりがいなくても、頑張らなくちゃ!)
試合開始の合図が鳴り響く。
「ナイス!」
直後、イリコの隣にいたボーイがシグナルを飛ばしてくれた。周囲が笑いながらナイスを返し、イリコも慌てて返事をする。
開幕ナイスはフレンド同士の挨拶みたいなものだと、確かマサバが言っていたような気がする。
(味方にフレンドさんがいたのかな)
それでも何だかちょっと楽しくなって、イリコはインクを塗り広げながら左に進んだ。自陣塗りをしながらインクレールを伸ばし、相手の陣地を塗りにいくコースだ。
インクレールの向こう側には敵がいたりいなかったりするけれど、いた時は出来るだけ迎撃するようにしている……複数いると、やられてしまうことの方が多いが。
今回インクレールから跳んだ向こう側は、まだ塗られてもおらず、誰もいなかった……が、油断はできない。もみじの塗り性能をイカして、出来るだけ塗り広げていると―――マニューバーだ!
(対面じゃっ、無理!)
すぐに退くことを選択して、イリコは味方が塗ってくれていたインクを泳いで逃げた。しかしマニューバーの方はそう簡単に逃がしてくれる気はないらしく、後から後からインクが迫ってくる。
追いつかれる―――と思った瞬間、イリコの前方から、味方のインクが飛んできた。
さっきのローラーボーイだ。彼はイリコとすれ違うかのようにして勢いよく塗り進んだかと思うと、思いっきりローラーを振りかぶり、インクを飛ばした。
その瞬間、ばしゃっ!と勢い良く相手が破裂する。
「ナイス!」
助けてもらった、そのお礼も兼ねてイリコがシグナルを飛ばすと、ボーイも「ナイス!」とシグナルを返してくれた。
イリコが内心嬉しくなっていると、今度は彼は「カモン」と合図して、着いてくるように促した。
(一緒に来てってことかな?)
イリコは、素直に彼に着いて行くことにした。
マニューバーに塗られてしまった場を取り返すように塗っていると、今度はスロッシャーを抱えたイカが現れた。
すかさずボーイがローラーを振るも、向こうが素早く網の下に移動してしまい、インクが当たらない。
イリコはとっさにロボットボムを投げ、姿をイカに変えて相手に迫る。
(この距離なら!)
てこてこと歩くロボットボムから、スロッシャーが逃げるように進む。
イリコはすかさずヒトの姿に変わると、逃げる相手に向かってもみじシューターを構え、相手を狙い撃ちした―――倒せた!!
「ナイス!」
ボーイが嬉しそうにシグナルを飛ばしてくれた。イリコも嬉しくなって、「ナイス!」と返す。
―――バトルって、やっぱり楽しい。
相手を倒した勢いに乗って、イリコはローラーのボーイと一緒に、敵の陣地へと乗り込んだ。
……とはいえ、勢いに乗るだけでは勝てないのが、ナワバリバトルである。
あれから味方たちと奮闘したイリコは、最初はリードを取っていたものの、終盤であえなく逆転されてしまった。敵のシューター……ではなくブラスター(弾を見て気付いた)に上手いイカがいて、あっという間にこちらを全滅させてしまったのだ。
あそこで全滅していなければ、恐らく相手を押し込んで勝てていたに違いない。けれど、過ぎたことを悔やんでも仕方ない。
何よりイリコにとっては、とても楽しいバトルだった。
(……そういえば、さっきの子の名前、見てなかったな)
スケジュール変更の時間を迎えたのを機に、イリコはロビーから飛び出した。
あのローラーを担いだ少年に、一言お礼が言いたくて、イリコはきょろきょろと辺りを見回す。
最近流行りの……なんて言ったっけ?ゲソを前に垂らすスタイルの、イカした髪型のボーイだったはず。
イリコがその姿を探していると、
「あの、すみマセン」
片言で声をかけられ、イリコは振り返る。
「あ!」
「さっきはドウモ」
そこには、先ほどローラーを担いでいたあのボーイが、控えめな笑顔で立っていた。
「さっきのローラーさんですよね!こちらこそありがとうございました!」
「ドウいたしマシテ」
特徴的な片言でそう言いながら、彼は軽く会釈してくれた。
「ロボムのフォロー、助かりマシタ。バトルは負けてしまいマシタが、とても楽しかッタデス」
「私もすっごく楽しかったです!ナワバリバトルしてるな~って感じで!」
イリコがはしゃぎながらそう言うと、彼はにっこりと微笑んだ。
「それは良かっタデス。普段から、もみじシューターを使ってるんデスカ?」
「はい!あれが一番好きで……」
「良いデスネ。好きなブキで戦うのが一番デス」
にこにこと笑う彼の表情は、とても可愛らしかった。イリコよりも年下に見えるが、あの立ち回りからして、きっとウデマエは自分よりも上だろう。
イリコはちょっと迷ってから、
「あの、良かったら、フレンド申請してもいいですか……?」
と、おずおず申し出てみた。
「ハイ、構いマセン」
彼はあっさりOKしてくれた。彼に貰ったフレコカードを見て(イリコはまだ作っていない)、イリコはさっそく申請させてもらうことにした。
「ハチさん、て言うんですね」
相手の名前を確かめてから、ふとイリコは首を傾げた。以前に、どこかで、聞いたことがあるような。
「……イリコサン」
ハチはハチで、イリコの名前を確かめて、真面目な顔をした。
「……あの、間違えてタラ失礼デスが」
「は、はい」
ハチはイリコの様子を伺うように、上目遣いで言った。
「アオサン……という方を、ご存じではないデショウカ?」
「……ああ!」
アオの名前を出されて、イリコははっと思い出す。確か、あれは、アオとマサバが話していた時……。
「し、知ってます!私、アオさんのフレンドです!」
イリコが慌ててそう答えると、ハチはほっとしたように笑った。
「やっぱり、そうデシタカ。初めマシテ、ハチと言いマス」
ハチはそう言って、嬉しそうに片手を差し出した。
「イリコサンの噂は、たびたび耳にしてマシタ。会えテ嬉しいデス」
「あ、ありがとうございます!」
イリコはハチと、いそいそと握手をかわした。
ハチのことは、今まで何度かアオとマサバから聞いていた。二人にとっては後輩のような存在で、素直で良い子だという話だったはずだ。
けれど、まさか自分も噂されていたとは思わなくて、イリコは何となく、ちょっとどきまぎしてしまった。
「ボクのことは、ハチって呼んデくだサイ。敬語も要らないデス」
「あ、じゃあ、ハチくんって呼ぶね」
ハチにそう言われて、イリコはあっさり敬語を止める。
「私も敬語じゃなくていいよ。ハチくんとは年、近そうだし」
「いえ。ボクは言葉に、ナマリがあるノデ……」
ハチがそう言って、遠慮がちに笑うので、イリコは「そっか」と納得した。それ以上言うのは、きっとよしたほうがいいだろう。
「イリコサンとお会いできタラ、一緒にバトルしてミタイと思ってマシタ。夢が叶っテ良かっタデス」
「ゆ、夢だなんてそんな……」
ハチの言葉に、イリコは何だか照れてしまう。
「アオサンがバトルを教えテルと聞いテ、どんな方なんダロウ、会ってみタイナと思っテタんデス」
ハチはそう言って、目を細めてみせる。
「ナノデ、ボクはとても嬉しカッタ。さっきのバトルで、イリコサンが味方で良かったデス」
「…………」
ハチはにこにことそう言ってくれたが、イリコはなんとなく、心配になってしまう。
「あの、ハチくん……」
「ハイ」
「……がっかりしなかった?」
イリコにそう訊かれて、ハチは驚いたような顔をする。
「……エ?」
「私、まだあんまり強くないから……」
イリコは言いながら、下を向いてしまう。
「アオさんの顔に、泥塗っちゃわなかったかな、って思って……」
まだまだ自分はイカしているとは言えないと、イリコは強くそう思っていた。
アオがバトルを教えているから、という理由で期待してくれていたのなら、ハチは言わないでいてくれるだけで、期待外れだったんじゃないだろうか。
そう思って、つい訊いてしまったのだが、ハチは真面目な顔をして、
「イリコサン、ボクは……」
「あれぇ?!ハチコーとイリコちゃんやん!」
……聞き慣れた明るい声がハチの言葉を遮り、イリコは思わず振り返る。
「……あれ!?マサバさん!」
「よっすよっすー!何してんの?」
のんきに笑いながらぶんぶんと手を振ってくるマサバに、ハチはとてつもなくしょっぱい顔をした。
「ヨ……マサバサン」
先ほどまでにこにこしていたのが嘘かのように、ハチはマサバを睨みつける。
「今、大事な話をシヨウとしてタところナンデスが」
「え?何?大事な話?」
マサバはきょとんとしてから、二人を交互に見て、はっとしたような顔をする。
「まさか……赤飯炊く?」
「マサバサン」
「ごめんてハチコー……邪魔するつもりやなかったんやって……」
「すみマセン、イリコサン」
ハチは今度は申し訳なさそうな顔をして、イリコに言った。
「話の途中ナノニ、あのヒトが邪魔をシテしマッテ……」
「あ、いえいえ……」
なんでマサバさんのことをハチくんが謝っているんだろうと思いつつ、イリコは慌てて首を振った。
「ご、ごめんね、私も変なこと言っちゃって……ちょっと心配になっちゃってさ」
イリコは笑って誤魔化そうとしたが、ハチは大真面目な顔で、
「イエ、アオさんのご友人を不快にさせタなどとあっテハ申し訳が立ちマセン。早急にお詫びを……」
「あ、謝らなくていいよぉ……!」
深々と頭を下げようとするハチを、イリコは急いで押し留めた。その様子を見ていたマサバは、怪訝そうな顔をして、
「え?何?ごめん、マジで大事な話だった?」
「だ、大丈夫です!多分!」
「……マサバ」
―――と。
マサバの後ろから、一人のイカガールがひょっこりと顔を出した。はっきりした顔立ちに、ちょっと派手めなメイクがよく似合う、ロングヘアーの美少女だ。
アオとは違うタイプの美人だな、と、イリコは思った。
「その子誰?お前の新しいフレンド?」
その美少女は、ガールにしては低音な声で、マサバに向かってそう言った。
「んあ、お前いるの忘れとったわ」
マサバはちょっと横にどけると、美少女に向かって、雑に親指を向けてみせる。
「イリコちゃん、紹介するね。こいつは……」
マサバがガールを紹介しようとした瞬間―――彼女はマサバの腕に、ぎゅっと抱きついた。
「はじめまして、セイコです♡」
彼女はさっきとは違う甲高い声でそう言いながら、ぐりぐりとマサバに胸を押しつける。
「マサバの彼女、やってまーす♡」
「……は?」
「待って!!!違うから!!!」
必死に否定するマサバに向けて、イリコは冷たい視線を投げかける。
「……彼女持ちなのにアオさんに必死でアピールしてたんですか?」
「だから違うんやってーーー!!!!!」
……マサバの否定する声は、ハイカラスクエア中に、大きく響き渡ったのだった。
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