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イリコとブキ

「今日はいいもん見せてくれてありがとうね……」
「……なんのこと?」
アオが怪訝そうに訊ねても、イリコは曖昧に笑うことしかしない。マサバも「なんでもないです」と首を振るばかりだったので、アオは不満でしかなかった。
大体、つい今日知り合ったばかりだというのに、イリコとマサバは、何だかやけに仲良しな気がする。
別にそれがどうこういうわけではなかったけれど、何となくアオは面白くないような、複雑な気分だった。
「そういえばマサバさん、バイトの時間、大丈夫ですか?」
「おっといけね!セイゴ待たせとるんやった、ありがとねイリコちゃん」
「いえいえ」
「そんじゃあ、アオちゃん、イリコちゃん」
マサバは楽しそうに笑って、ぶんぶんと手を振る。
「また明日!」
「……気をつけてね」
アオも小さく手を振った。イリコは笑顔で大きく手を振る。
「頑張ってください!」
アオとイリコに見送られ、マサバは軽い足取りでデカ・タワーの横道へと走って行った。
(……今日、彼に会えて良かった)
少なくとも、胸のしこりはひとつ、取れた気がする。
彼と、明日もまた一緒にバトルできるのは――正直、嬉しかった。
アオのわがままの意味は、通じていなかったようだけれど。
「そういえば、マサバさんのバイトってなんですか?」
イリコにそう訊ねられて、アオは少し返事に迷った。
「あなたは、行ったことがなかったのね」
デカ・タワーの横にある、クマサン商会。
そこで行われているバイトの内容は――
「……オカネに困っているわけじゃないのなら、知らなくてもいいと思うわ」
「というと?」
「いえ……健全かつホワイトで、ナイスが絶えない職場ではあるのよ」
アオの言葉に、イリコは何とも言えない顔をした。
「……それだけ聞くと、すごい不安になりますね」
「……本当なのよ」
アオにはそれしか言えなかった。
自分も何度か付き合いで行ったことがあるが、少なくとも、あれには向き不向きがある。
イリコが『向いている』かどうかは、実際に行ってみないと何とも言えないところではあるが……。
「……どうしても行くときは、わたしかマサバに声をかけて」
アオはとりあえず、それだけ伝えることにした。
「知らないひとと行くよりも、いくらか気が楽でしょう」
「あ、ありがとうございます……?」
イリコは引き続き不思議そうな顔をしていたけれど、それ以上は何も聞かなかった。
「わたしはそろそろ帰るけれど、イリコははどうするの?」
「私も、今日は帰ろうと思ってて」
イリコはもみじシューターのブキケースを抱えながら、言った。
「今日はお姉ちゃんと通話の約束してるので……遅くならないうちに帰ろうと思って」
「そう……なら、」
アオは少し迷ったが、恐る恐る提案してみることにした。
「……途中まで、一緒に帰らない?」
「はい!」
イリコが笑顔で快諾してくれたので、アオはほっとする。
……誰かと帰路を共にするなんて、一体何年ぶりだろう。
小学生くらいの頃まで思い出を遡り、アオは切なくなって、止めることにした。
ハイカラスクエアから少し離れると、途端に周囲の灯りは少なくなり、わずかな街灯が点々と並ぶだけになる。
数年前までエスカベースの辺りは軽犯罪に溢れ、治安が悪かったというが、この辺りはまだ変わっていないような気がする。
街灯の下に敷かれた歩道を、二人で並んで歩きながら、イリコとアオの話題は、自然と先ほどまでのバトルの話になっていた。
「午後はもみじシューターしか使わなかったけれど、良かったの?」
「あ、はい。ちょっと迷ったんですけど……」
イリコはブキケースに視線をやってから、
「やっぱり、この子が一番使いやすいなって」
「そう」
もみじシューターは塗りブキとしてはバランスが良く、イリコの感想にも納得がいく。アオも色々勧めてはいたものの、イリコの持つべきブキは、ひょっとしたらもう決まっているかもしれないと、内心思った。
「それに、このタイミングでスプラチャージャーを持ってみる勇気は、まだなかったので……」
「……わたしが実戦で使ってみせれば良かったわね」
イリコにそう言われて、アオは少し考えた。
今日は終日、シャープマーカーネオしか持っていなかったが、明日は他のブキの手本を見せるのもいいかもしれない。
そう思って言った言葉だったのだが、イリコは何故か慌てたように、
「でもでも、アオさんはやっぱり、シャープマーカーネオって感じがします!」
「……そう?」
「はい!」
イリコはにこにこしながらうなずいた。
「アオさんが颯爽と駆けつけてくれるの、すっごくかっこよかったです!」
「……あまり褒めないで」
イリコのストレートな褒め言葉に、アオは思わず照れてしまう。彼女の真っ直ぐな素直さは、時々やたらとまぶしく感じる。あのマサバだって、褒めるときはもうちょっと……いや、彼も似たようなところはあるけれど。
自分が惹かれる存在の共通点を見つけたような気がして、アオは思わずちょっと考えた。
「あ、アオさん?どうかしました?」
「……なんでもないわ」
アオは小さく首を振った。それから、
「勘違いしないで。不愉快になったわけじゃないの」
そう付け足すと、イリコは安心したように笑った。
「アオさん、他にはどんなブキ持ったりするんですか?」
「たまに気分を変えて、スピナーを持ったりもするわ」
「スピナーかぁ」
イリコはちょっと考えながら言った。
「私も、今度試してみようかな」
「良いと思うわ。あとは……」
アオは一瞬言葉を途切れさせると、少し迷いながら、イリコに視線を向けた。
「……ヒッセン、わたしのいないところで使ってもいいのよ」
アオの言葉に、イリコはきょとんとしていたが、やがて考えこむように腕組みした。
「……うーん」
「……使いたいから買ったんでしょう?」
「それは、確かにそうなんですが……」
イリコが、ぴっと人差し指を立てる。
「アオさんには、誤解されたくないなぁと思ったことがひとつ」
「……何?」
イリコがこういう物言いをするのは珍しい。アオは軽く首を傾げて、話の続きを待った。
「ヒッセン、お約束したように、アオさんの前では使いません」
そう言ってから、イリコは自分を指さす。
「でも、それはアオさんのためではなく、私のためでもあるんです」
「……どういうこと?」
イリコが何を言いたいかわからず、アオは思わず怪訝そうに聞き返してしまった。
するとイリコはにこっと微笑んで、
「アオさんに、全部自分で抱え込んでほしくないなーと思って」
イリコの言っていることが、やっぱりアオにはわからない。
戸惑うアオに対して、イリコはさらに言った。
「私がアオさんのいないところでヒッセンを使っていても、それはアオさんのせいではないんですよ」
「…………」
それは――おかしいと、アオは思った。
だって、アオが悪いはずなのだ。
アオがヒッセンにこだわりを持っていなければ、イリコはそんなことを言わなくても済むはずなのだ。
なのにイリコは、アオのせいではないという。
「……どうして?」
思わず溢れた言葉に、イリコはちょっと小首を傾げてみせた。
「アオさんがヒッセンにこだわりを持ってるの、私は悪いことだとは思いません」
まるでアオの心を見透かしているかのように、イリコは言った。
「だって、思い入れだけであんなにイカした立ち回りができて、なおかつブキのことも詳しいなんて、なかなか出来ることじゃないと思うんです。アオさんのこだわり、私はすごくかっこいいと思いますし、それを尊重したいと思うのは、あくまでも私の意思です。だからそこに、アオさんの責任はないんですよ」
「で、でも」
アオは思わず反論した。
「それは……そもそも、わたしがヒッセンにこだわりを持っていなければ、よかった話で……」
「……言おうかどうしようか、迷ってたんですが」
イリコは、彼女にしては珍しく眉をしかめて、アオを見つめた。
「アオさん、全部自分が悪いんだって言って、それで色んなことを済ませようとしてません?」
「―――」
アオは言葉を失って、思わず立ち止まる。
イリコも立ち止まり、アオを見つめた。
彼女のオレンジ・アイは、いつになく真剣だった。
アオは……何も、言えなかった。
「それって、他人のことを悪く言ったり、思いたくないから、そうしてるのかもしれないけど……めちゃくちゃきつくないですか?めちゃくちゃしんどくないですか?」
イリコはそう言ってから、アオの顔をのぞき込むようにする。
「……辛くないですか?アオさん」
「……あ、」
あなたに。
「あなたに……」
何が。
何がわかるの。
わたしの、何がわかるの。
たった一週間の関係で。
わたしのことを。
「わたしのことが……」
もしも。
もしもイリコに、何も自分のことを話していなかったなら、アオは、怒っていたかもしれない。
けれど――そんなことはないと、自分の中で誰かが言った。
アオはもうとっくにイリコに対して、一番大事な『自分の話』をしている。
アオは肩を落として、震える声で言った。
「……どうして、わかるの……」
たった一週間の付き合いのはずなのに、イリコはあっという間にアオのことを―――いや、アオ自身ですら、ずっと見て見ぬ振りをしていた自分自身を、見抜いてしまった。
「えっと……」
アオのことを心配そうに見つめながら、イリコは言った。
「アオさんが自分の悪口しか言わないの、ずっと気になってたので……」
「……?」
「えっと、自虐って感じならまだわからなくもないんですけど、アオさんのは、そういうのじゃないですよね」
イリコはそう言って、首を傾げる。
「とりあえず自分に責任を持って行っちゃうじゃないですか。バトルで負けても自分のせい。私がヒッセンを使わないのも自分のせい。見てて、しんどくないのかなー、きつくないのかなーと思って」
「……よく見てるのね」
アオが感心したように言うと、イリコはちょっと困ったような顔をした。
「……正直に言いますね」
彼女はそう前置きすると、はっきりと言った。
「別にそれがアオさんじゃないんだったら、しこたまどうでもいいんですよ、私にとっては」
アオは少なからず驚いた。イリコは誰にでも優しいのだと、アオは思っていた。
「でも、アオさんのことは凄く好きなので」
イリコはそう言って続ける。
「必要以上に抱え込まないで欲しいし、しんどい思いはしないで欲しいなぁって思ったんです。だから……確かめておいた方がいいかなって」
「……マサバは」
アオはふと、一番付き合いの長い彼のことを思い出した。
「気付いていたのかしら……」
「気付いてたかもしれませんね」
イリコはあっさりうなずいた。
「でも、マサバさんのことだから……アオさんに、嫌われたくなかったのかもしれません」
そう言うイリコの顔は、少し優しく見えた。
ふと気になって、アオはイリコに向かって訊ねる。
「あなたは、わたしに嫌われてもいいの?」
「え、絶対に嫌ですが……」
「…………」
即答だった。
アオは、自分の方が何と答えたらいいのか、わからなくなってしまう。
「さっきのでめちゃくちゃ怒られてキレられて、もう連絡してこないでって言われたらどうしようかなーとは思ってました」
「……そんなことしないわ……」
「ですよね、アオさんですもん」
イリコはそう言って無邪気に笑う。悪気の一切ない笑顔に、アオはちょっと肩の力を抜いた。
「……大丈夫ですか?」
「……ええ、ありがとう」
イリコはほっとしたように、にっこり笑った。
「私、アオさんとバトルするのもブキの話するのも、こうやってお話するのも大好きですよ」
イリコの言葉は、相変わらず真っ直ぐで、裏がなかった。あくまでもストレートに、アオに言葉を届けようとしている。
「だからこそ、私が抱えるべきことを、アオさんが持っていっちゃうことで、アオさんがしんどい思いをするのは嫌なんですよ」
「…………」
アオは、黙ってうなずいた。
イリコの言いたいことは、何となくだが、理解できる。
今までアオは、すべて自分が悪いのだと思い込んでいた……思い込もうとしていた。
それは間違いようのない事実だ。そしていつかきっと、その事実は、アオ自身で克服しなければならないのだろう。
イリコはそれに気がつかせてくれたのだと、アオは思った。
「あなたは……真面目なのね」
「アオさんにだけですよ」
イリコははにかむようにそう言って、笑った。
「アオさんが私に対して真剣に向き合ってくれるから、わたしもアオさんに対しては、真面目でいたいんです」
「……そう」
アオは、思わず微笑んだ。
「……なら、わたしも態度を改めなくてはね」
イリコがそう言ってくれるなら、と、アオは彼女に対して向き合った。
「明日からは、もう少し厳しくするわ」
「……えっ?」
「反省会用のノートを持ってきて。筆記用具もよ」
アオにびしっと言われ、イリコは慌ててスマホを取り出し、メモをし始める。
「一緒に改善点を書き出して、どうすれば改善できるのか、なぜ改善できないのかを考えましょう。それから良い部分はより良く出来るように、目標を設定した方がいいわね」
「は、はい!」
「……わたしには、バトルしかできることがないから」
アオは少し声色を和らげて、イリコに言った。
「あなたがわたしに対して誠実でいてくれるぶん、わたしも、あなたに対して真剣に向き合うわ。……こういう形で、だけれど」
「……はい!ありがとうございます!」
イリコは嬉しそうにうなずいた。
アオは彼女の表情に、心の底からほっとした。
「……もうひとつ、蒸し返すようだけど」
「?」
「ブキのことよ」
アオは表情を真剣なものに切り替えて、言った。
「低ランクのうちに、色々なブキを持った方がいいとは言ったけれど……それはあくまで、わたしの考えに過ぎないわ」
「で、でも、マサバさんもそう言ってましたよね?」
「なら、訂正しましょう。あくまで一般論よ」
アオはあっさりそう言った。
「あなたがもみじシューターでしっくり来ているのなら、他に合うブキを、無理に探さなくてもいいかもしれない」
もうすでに見つけているのなら、それを極めてしまった方が、確かに上達の道は早まるだろう。
けれど――
「でもね、イリコ」
アオはイリコを、真っ直ぐに見据える。
「わたしは、あなたに強くなってほしい」
「……!」
イリコがごくりと息を呑んだ。
アオは真剣な表情で続ける。
「強くなったあなたがどんな戦い方をするのか、わたしは見てみたい。だからわたしは、あなたに『自分にもっとも合ったブキ』を見つけて欲しいと思っている」
それはヒッセンかもしれないし、もみじシューターかもしれない。まだ、イリコの見たことのないブキかもしれない。
でも、と、アオは言った。
「もしも、あなたが『それ』に出会ったとき……あなたはきっと、わたしの想像もつかないような、見たことのないバトルを見せてくれる」
あの出会いに感じたときの予感を、アオは今、はっきりと口にした。
「……わたしは、そう思っているわ」
「………………」
開いた口が塞がらない様子のイリコに、アオは悪戯っぽく笑いかけた。
「……期待し過ぎだと思ってる?」
「い、いえ!」
イリコはぶんぶんと首を左右に振ってから、真剣な表情でうなずいた。
「頑張ります!」
「その意気よ」
―――イリコなら、きっと期待に応えてくれる。
アオは、そう信じていた。
「……あ、あの、アオさん」
ふと、イリコが恐る恐るといった様子で申し出る。
「なぁに?イリコ」
「……それなら、わたしがシャープマーカーネオ持ちたいって言ったとき、」
イリコは、じっとアオを見つめた。
「アオさんは、教えてくれますか?」
「……いいわ」
アオはそう言って、悪戯っぽく笑った。
「あなたが、わたしと同じくらいのウデマエになったらね」



<続く>
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