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イリコとブキ

アオは―――その目を大きく見開いて、しばらくの間、イリコを見詰めていた。
アオから静かな、けれど確かなプレッシャーを感じて、イリコは思わず、ごくりと息を呑む。
「……なぜ?」
やがてアオはイリコに向かって、わずかに険しい声でそう訊ねた。
「え、えと」
きっと、ちゃんと理由を言わなければ、アオは納得してくれない。
「い、イリコちゃ」
「マサバは黙っていて」
アオにぴしゃりと遮られ、マサバが「……はい」と、首を引っ込める。
イリコはなんだかマサバに申し訳なく思いながら、必死に話そうとした。
「わ、私……アオさんが、ヒッセンに思い入れあるのは、知ってます。でも、私……私は……」
自分が今、一番伝えたいこと。
自分が今、一番したいこと。
イリコが今、アオに伝えたいことは――
「……私、」
イリコは大真面目な顔をして、アオに言った。
「私――アオさんの、ヒッセンの話が聞きたいんです!」
「……え?」
唐突に思えるイリコの言葉に、アオが呆気にとられる。
「私、アオさんのヒッセンの話が聞きたいんです!!」
イリコは勢い良く繰り返した。
「さっき、スプラチャージャーとか、ホクサイとかパブロとかの話してくれたときみたいに、あんな、あんな感じで、アオさんのヒッセンの話が聞きたいんです!」
「……な」
アオは呆気にとられたまま、戸惑ったように、
「なぜ……?」
「えっ」
なぜ、とまた理由を訊かれて、今度はイリコが戸惑ってしまう。
「え、ええと、なぜっていうか……えっと、あの……わ、私、……」
「イリコちゃん」
マサバが、今度ははっきりイリコに呼びかけた。
「ゆっくりでいいよ」
落ち着いた、優しい声でそう言われ、イリコは思わず、何度かまばたきする。
「ゆっくりでいい」
マサバは、もう一度そう言ってくれた。
――励ましてくれているのだ。
イリコは、ありがたさにぎゅっと胸がいっぱいになった。
「……あの、私」
マサバの優しさに励まされながら、イリコは何とか言いたいことを言葉にする。
「アオさんのこと、全然知らないなって思って……」
「……わたしのこと?」
イリコはアオに向かって、こくこくとうなずいた。
「私、マサバさんからお話を聞くまで、アオさんが……その、フレンド作ってこなかったこととか、全然知らなくて……ヒッセンのことも、今日初めて聞いて」
「……」
「わ、私、アオさんと、もっとお話ししたいし……アオさんのお話、もっと聞きたいなって思ってて……あ、ブキの話は、すごくタメになりました!だから、アオさんからヒッセンの話も聞きたいなって……思っ、たん、です、けど……」
言いながら、だんだんとイリコの語尾が弱くなる。
「……どうしたの?」
心配そうに訊ねるアオに、
「いや、あの……」
イリコは物凄く申し訳ない顔をしながら、恐る恐る言った。
「……アオさんに、そういえば、あんまりヒッセンについては触れないでって……言われてたなって……」
「…………」
「今、思い出しまして……」
「…………」
「……す、すみません……」
空気を悪くするかなとは、確かに思っていた。
確かに思ってはいたけれど、そういえばそう言われていたことを、イリコはたった今、思い出したのである。
―――穴があったら入りたい。
そんな気持ちでいっぱいになりながら、イリコは真剣な顔をして、
「……ど、土下座とかした方が」
「しないで」
アオがすかさず、きっぱりと言った。
「いえ、しなくていいわ。……そもそも、わたしが悪いのだから」
「えっ」
「だって、そうでしょう?」
アオはイリコに向かって、眉をしかめてみせる。
「わたしがヒッセンに強くこだわりを持っていなければ、イリコにも……マサバにも気を遣わせず、不愉快な思いもさせなかったわ」
「えっ、おれ?」
「だから、あなたが謝る必要はないのよ。イリコ」
アオは自分の方を見ているマサバを全く気にせずに、そう言い切った。
「いえ、あの、私は少なくとも、不愉快な思いはしてませんが……」
「じゃあマサバにだけね」
「おれも別にしてへんけど……」
「ともかく」
マサバのことを完全に受け流して、アオはイリコに向かって言った。
「あなたの言いたいことは、わかったわ。いえ、全部理解できたわけじゃないけれど……」
アオはそう言って、考えこむように腕組みをする。
「……わたしの話を聞きたいなんて言われたのは、初めてで……何から話せばいいのか、全然わからないけれど」
独り言のように呟いてから、アオは一人でうなずく。
「努力するわ。ええ、今後は努力する。でも、まずは……ヒッセンの話ね」
アオがそう言ったのを聞いて、イリコは思わず顔を輝かせる。
「い、いいんですか!アオさん!」
「仕方ないもの、そうまで言われたら……」
でも、と、アオはイリコに向かって、困ったような顔をしてみせた。
「……先に言っておくけれど、ヒッセンについては、他のブキのように加減ができないわ……だからあまり、わかりやすい説明は期待しないで。これまではできるだけ噛み砕いていたつもりだけど、ヒッセンに関しては、あくまでも私ができる説明だけをするわ」
「わ、わかりました」
イリコがうなずいたのを確かめてから、アオはマサバの方を振り向く。
「それから、マサバ」
アオに名前を呼ばれ、マサバはきょとんとしながら自分を指差す。
「え?おれ?」
「……さっきはごめんなさい」
アオは申し訳なさそうに言った。
「わたし、またきつい言い方をしたわよね」
「気にせんでいいのに……」
マサバはそう言ってから、にっこり笑ってみせる。
「おれは気にしてないよ。だから、そんな顔しないで」
「……ありがとう」
アオはほっとしたようにうなずいた。
「それじゃあ……わたしは、ヒッセンを借りてくるわ。少し、待っていて」
アオは二人にそう伝えると、試射場から出て行った。
「…………はあ……」
アオの姿が見えなくなってから、イリコは思わず、大きく溜め息を吐いた。
正直、物凄く緊張した。アオとプライベートマッチでバトルしたときより緊張したかもしれない。
「大丈夫?」
マサバに顔をのぞき込まれ、イリコは慌てて背筋を伸ばす。
「だ、大丈夫です!……あの、なんだか物凄くすみません……」
「ええよええよ、アオちゃんにヒッセンの話持ち出したときはびっくりしたけど」
マサバはそう言って明るく笑ってから、ふと、イリコに対して、真面目な顔をした。
「……君は凄いな」
「え?」
「いや……」
マサバはふるふると首を左右に振って、独り言のように呟く。
「おれも、見習わなあかんなぁと思ってさ」
「……?」
マサバの言葉の意味は、イリコにはよくわからなかった。
少し経ってから、アオは緑色のバケツを抱えて戻ってきた。
「すぐに始めるわ。下がっていて」
言われた通り、イリコとマサバは少し後ろの方に下がる。
アオはいつになく真剣な表情で、インクタンクを背負った。
「まずは……実演するわ」
アオは、一つ呼吸を整え、的を見据えた。
「……アオちゃんがヒッセン持ってるとこ、久しぶりに見るな」
隣にいるマサバが、そう呟くのが聞こえた。
と――アオが勢いよく、的に向かってインクを振り撒く。
ばしゃ!とインクがかけられた的が震えた瞬間、今度はすかさずクイックボムが破裂し、的が割れる。
「?!」
イリコが何が起きたのか把握する前に、アオは次の的めがけてインクを振りまいた。
今度はアオの動きが見えた――彼女はインクを振りまいた直後、後ろに跳び退ってクイックボムを投げている。
メインでは倒し切れない相手を、クイックボムで仕留めているのだ。
「あれがね、クイックボム・コンボ」
驚いているイリコに、マサバが小声で教えてくれた。
「クイコンていうのがメジャーかな。ヒッセンの得意コンボやね」
「ほぁぁ……」
「やっぱり上手いな、アオちゃんは」
まるで自分のことのように得意げに、マサバはそう呟いていた。
アオはいったんインクを回復してから、また華麗な立ち回りを披露し、的を次々に仕留めていく。
一通り立ち回りを終えたあと、アオはヒッセンを抱え、二人の方に戻ってきた。
「お疲れ、アオちゃん」
ねぎらうマサに対し、、アオは軽くうなずく。
それから彼女はイリコに向かって、
「今のが、ヒッセンの基本的な立ち回りよ」
「は、はい!」
「ヒッセンは、メインは三方向への拡散ショット、サブはクイックボム、スペシャルはインクアーマー」
イリコが聞いているのを確かめるや否や、アオはヒッセンについて話し始めた。
「メインはその広い範囲への攻撃で、エイムが左右にぶれたとしてもカバーできるのが特徴よ。初心者がスロッシャーに慣れるのにもいいと言われているけれど、上級者はこのブレを計算に入れたうえで『かわせない』攻撃でキルを取りにかかることが多いわね。メインで届かない距離であったとしても、サブのクイックボムで十分にカバーが可能。クイックボムの汎用性は非常に高いから、出来ることを説明したらキリがないわ。今は一部だけ抜粋するわね」
「は、」
「ヒッセンにおけるクイックボムの役割は、先ほど見せたメインとクイックボムによるコンボと言った攻撃手段の他にも、自分の足場を作る、相手の足場を奪う、メインで塗り切れない壁を塗る……などがあるかしら。ヒッセンは横への攻撃範囲は広いものの、縦への飛距離はそこまで長くないわ。つまり、相手に近づき攻撃を行うインファイト系のブキということになるわね」
「い……」
「でも、先ほど見せたようにメイン一発では相手は仕留め切れないわ。そのため二発攻撃を当てるか、先ほどのようにクイックボムによるコンボで仕留め切る必要がある。つまり、弱点となるのはインク消費ね。インク消費軽減を付与するギアパワーによる補助でもいいけれど、どちらかといえばインク回復力を補助してこまめに回復しながら立ち回るのが、かわしながら攻撃するヒッセンの基本戦術にも合っているでしょう」
「……」
「そしてスペシャルであるインクアーマー……対面で勝負することや、インク消費量が多いこのブキにとっては、まさに要となる必須といっていいスペシャルね。とはいえ自分のためだけに使用するのではあまりに勿体ないわ。味方へのサポートも行いながら、出来るだけ自分の有利になる場面で使うことが理想ね。このように――」
「…………」
「――メイン、サブ、スペシャル、いずれもすべての性能が噛み合い、バランスの取れた優れたブキがヒッセンよ。ブキのバランス調整が行われた際に性能が向上したこともあって、扱いやすいスロッシャー種として人気を誇っているわ。わたしも、一時期使っていたの」
アオは一息ついてから、懐かしそうに目を細めた。
「……本当に、一時期だけれどね」
「……………………」
――熱の入りようが、他とは全然違う。
イリコだけでなく、マサバも驚いていたようで、二人は揃って目を丸くしていた。
「……ヒッセンは、」
アオがまた口を開き、二人は思わず身構える。
けれど、アオの口から出たのは――
「……わたしの、人生を変えたブキなの」
「?!」
意外な言葉に、イリコもマサバも、また驚いてしまう。
アオはヒッセンを見つめながら、淡々と語った。
「このブキと、このブキを使っているひとに出会わなかったら、わたしは――きっと、数年前にバトルをやめていたでしょう」
アオはそう言って、小さく微笑む。
「きっと……あなたたちにも、出会っていなかったわね」
「…………」
イリコは、何も言えなかった。
そんな大切な思い入れを、今ここで話してもらって、本当に良かったんだろうか?
イリコが後悔しそうになっていると、アオは穏やかな声色で続けた。
「わたしにとって、ヒッセンはそれぐらい大きな存在よ。だから、これからもこのブキが生半可な扱いをされるのは許せないし、許さないわ。でも……」
彼女は言葉を句切ってから、軽く目を伏せる。
「……それは、このブキの使い手だって、同じことよね」
「……あ、アオちゃん」
マサバが動揺したように、小さく呟くと、アオは一瞬、マサバの目を真っ直ぐに見た。
けれど、彼女は何も言わず、イリコの方へと向き直る。
「イリコ」
「は、はい!」
「わたしが今あなたに話せるヒッセンの話は、これぐらいよ」
アオはそう言って、イリコに微笑む。
「わたし自身の話は……また、機会があったらすることにするわ。それまでもう少し、時間をちょうだい」
「……わかりました!」
イリコは素直にうなずいた。
どんな形であれ、アオは自分に大切なものの話をしてくれたのだ。
そのことには、ちゃんと向き合わなきゃいけないと、イリコは思った。
「ありがとうございます、アオさん」
「お礼を言うのは、わたしの方よ」
「え?」
なんでもないわ、と、アオは軽く首を振った。
「イリコ。ヒッセンを、少し預かっていてくれる?」
アオの差し出すヒッセンを、イリコは慌てて受け取った。
――思っていたよりも軽い。でも、きっとインクが入ったら、重たくなるのだろう。
アオはイリコがヒッセンを抱えたのを確かめてから、今度こそマサバの方を向いた。
「マサバ」
「……ん?」
アオの真っ直ぐな視線に、マサバは平静を装って応えてみせる。
「数年前……わたしとあなたが、初めてバトルしたとき」
「………」
「わたしがあなたに、なんて言ったか覚えている?」
「……覚えてるよ」
マサバはうなずいた。
「アオちゃんに言われたことは、そう忘れへんからね」
「そう……あなたなら、そうよね」
アオは一瞬瞳を揺らすが、すぐにマサバの目を見つめ直した。
「……あの時は、本当にごめんなさい」
アオはそう言って、マサバに向かって頭を下げた。
「え」
マサバは一瞬ぽかんとしてから、慌て始める。
「アッ、ア、アオちゃん?!」
「謝るから許してほしいと言っているわけじゃないの」
アオはすぐに顔を上げ、またマサバを見つめた。
「ただ……ずっと、言えなかっただけ」
「…………」
マサバは、何も言えないようだった。
イリコはぎゅっとヒッセンを抱き締め、成り行きを見守った。
「でも……もしも許してくれるなら、」
そう言って、アオはポケットから、一枚の紙を取り出す。
「今ここで、お詫びを受け取ってくれる?」
「……?」
マサバは不思議そうな顔をしながらも、恐る恐るその紙を受け取った。
四つ折りにされたそれを何気なく開いた瞬間――マサバは、大きく息を飲んだ。
「……こ、これ……」
「……わたしのフレンドコードよ」
アオは、少し恥ずかしそうに言った。
「さっきメモしてきたの。それでお詫びになるかは分からないけれど、いい加減、あなたに渡さなきゃって思っていたから……」
「…………」
「……マサバ?」
アオはマサバの顔を見直して……思わず、ぽかんと口を開ける。
マサバは―――彼は、泣いていた。
彼の両目から、ぼろぼろと涙がこぼれるのを見て、アオは慌て始めた。
「ま、マサバ!?」
「だ、大丈夫ですか?」
イリコも慌てて心配するが、マサバは泣きながら首を横に振った。
「ご、ごめ、だいじょうぶ……だから、ちょっと待って……」
マサバは眼鏡を押し上げ目を擦っていたが、それでも涙は止まらないようだった。
「ご、ごめん、イリコちゃん……」
マサバは必死で泣き止もうとしながら、イリコの名前を呼んだ。
「悪い、んやけど、アオちゃんとそっち、行ってて、ほしい……」
鼻をすすりながら、マサバは二人から顔を背けた。
「こんなんかっこ悪過ぎる……」
「わ……わかりました!」
イリコは呆然としているアオを半ば引きずるようにして、また泣き出してしまったマサバから、少し距離をとった。
「ど、どうして……?」
「どうしても何も……」
ショックを受けているらしいアオに向かって、イリコは首をかしげてみせる。
「嬉し泣きだと思いますが……」
「そ、そうなの?」
戸惑うアオに、イリコはうなずく。
イリコにそう言われて、ようやくアオはマサバが泣いてしまった理由を飲み込んだらしかった。
彼女は珍しくしょんぼりした様子で、
「……もっと早く渡せばよかったわ」
と、呟いた。
「わたしが、つまらない意地を張ったりしたから……」
「つまらない意地?」
イリコが聞き返すと、アオはちょっと恥ずかしそうな顔をした。
「……また今度話すわ」
「また今度、ですね」
イリコは思わず微笑んだ。
「楽しみにしてますね。アオさんのお話」
「……ええ」
アオはうなずいてみせてから、またマサバの方を見やった。
マサバはぎゅっと紙を握ったまま、まだ肩を震わせている。
――好きな子から、二年。
たった12桁の番号を貰うのに、マサバはそれだけかかったのだ。
自分がそれをたった一日で貰ってしまったことを、イリコはずっと後ろめたく感じていた。
でも――きっと、これで良かったのだろう。
マサバの後ろ姿を見ながら、イリコは何となく、そう思ったのだった。
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