イリコとブキ
「楽しそうやね」
アオが自分の近くまでやってきたのを見て、マサバが言った。
「イリコのこと?」
「アオちゃんのこと」
マサバは若葉色の瞳でイリコの背中を眺めながら、続ける。
「アオちゃんがあんな風に楽しそうなとこ、初めて見た」
「……イリコのお陰よ」
アオはマサバの隣に並ぶようにして、壁に背を預ける。
「……わたしなんかが、誰かと一緒にいてもいいものだと思えたのは、初めてだから……」
「……それって」
マサバは驚いたように、アオを見た。
「今までもそうやったってこと?」
「…………」
アオは答えないまま、イリコの背中を見つめていた。
また、的が一つ割れる。
「……なぁ、アオちゃん」
「?」
アオが顔を上げると、マサバは壁に預けていた体を起こし、アオに向き直った。
「わたしなんかがーって、言わないでさ。たまにはもうちょっと、わがままになってもええんとちゃう?」
「……わがまま?」
きょとんとするアオに、マサバは肩をすくめてみせる。
「アオちゃんがイリコちゃんといたいなら、それでええやん。イリコちゃんだって、それで喜んでくれとるんやし。それに……」
マサバは言葉を区切ると、ちょっと照れたように視線をそらしながら
「……おれもアオちゃんといれて、嬉しいですし……」
「……わたしがいるとあなたが喜ぶのは、いつものことでしょう」
「いやそうなんだけどね!?」
「冗談よ」
アオは悪戯っぽく笑ってから、イリコの方に視線を向け直した。
「……わたしも……」
小さな声で、呟くように、アオは続ける。
「……あなたといるのは、楽しいわ」
「え」
イリコは、チャージャーの扱いに悪戦苦闘しているようだった。
それでもアオに言われた通り、射線を少し低めにしながら、射程の距離を測ろうとしている。
(……もっと上手い教え方があったかしら)
ナワバリバトルのインクは、体のどこにでも当てさえすれば相手にダメージが与えられる。つまり、一番効率よくダメージが与えられるのは、体の一番広い面積――胴体ということになる。
イリコの狙い方だと、胴には少し当たりにくい。もう少し下げれば足を狙えるが、彼女にはまだ難易度が高いだろう。
敵のインクで足を取られれば、それだけキルを取りやすくなる。そういった意味で、戦術として足を狙うのは常套手段だが、できればすぐにエイムを胴に切り替えた方がいい。それにはテクニックもいるし、ブキによる向き不向きもある。
(……わたしの教え方で、イリコは強くなれるかしら)
教えたいことは沢山あるけれど、アオのやり方が、イリコに合っているとは限らない。
アオはほんの少し、うつむいた。
「……アオちゃんが」
マサバは壁に背中を預け直しながら、ちらっとアオの方を見る。
「その……おれのこと避けがちなのって、……ピーニアのせいだと、思ってたんやけど」
「……彼女のことばかりでは、ないわ」
アオは視線と思考を、マサバの方に向ける。
――けれど。
視線のほうは、すぐに逸らしてしまった。
「……あなたの周りには、いつも、たくさんひとがいるから……」
マサバは人気者だ。いつも大抵、アオの知らない誰かか、アオも知っている誰かと一緒にいる。
今日のように、彼が一人でいるのは珍しかった。
「……そっか」
イリコがまた的を割った。ダミー相手とはいえ、少しずつ上達しているようだ。
「……でも、そうね」
アオはそれを眺めながら、言った。
「……たまにはわがままを、言おうかしら」
アオの呟きに、マサバが視線を向ける。
アオもまた、マサバの方を向いた。
「あ、あのね、マサバ……」
おずおずと申し出るアオに、マサバは優しい表情で、軽く顎を引いてみせた。彼がアオの話を聞いてくれる時は、大抵いつもそうやって、待っていてくれる。
「買い物が終わって、もし、まだ、もう少し、時間があったら……」
アオは、ゆっくりと話しながら、小さく首を傾げた。
「一緒に、ナワバリへ行かない?」
「……アオちゃんと?」
聞き返すマサバに、アオはうなずく。
「イリコに、ソーダの扱いを見せてあげてほしいの」
「…………」
アオの言葉に、マサバはちょっと意外そうな顔をしてから、何かを考え始めた。
彼は少し黙ってから、やがて真面目な顔をして、
「……それが、アオちゃんのわがまま?」
「そうよ」
アオはそう言ってから、少し不安そうな顔で、マサバの顔をのぞき込む。
「……だめ?」
「――そっ」
マサバは思わず壁に背を押しつけ、慌ててアオを押し留めるようなポーズを取る。
「……っの顔と台詞はずるい……」
「え?」
動揺するマサバに、アオは急いで身を引いた。
「ご、ごめんなさい……」
「だ、大丈夫……ちょっとびっくりしただけ……」
アオが離れたのを確かめて、マサバはほっとしたように息を吐いた。
「ありがとうございます……じゃない、気にせんといてね……」
「?ええ……」
何故お礼を言われたのか、アオにはさっぱりわからない。それでも、一応うなずいておいた。
「えっと、ダメじゃないんやけどね」
マサバはそう言って、また何か考えていたようだったが……やがて、彼はふと微笑んだ。
「……今のアオちゃんはあれやね。先生モードなんやね」
「?先生モード……?」
「イリコちゃんにバトル教えることで、頭いっぱいなんやなーと思って」
マサバはそう言って笑うと、
「いいよ。おれでいいなら、喜んで付き合う」
「……ありがとう、マサバ」
アオは心の底からほっとした。自分の『わがまま』が、彼の迷惑にならなくて良かったと、本当にそう思った。
「それから……」
「ん?」
アオはふと真剣な表情をして、マサバに言った。
「……もしイリコがローラーを持ちたがったら、そのときもお手本を頼むわ……」
「アオちゃん、相変わらずローラーだけは苦手やねんね……」
マサバは軽く苦笑いして、「いいよ」とうなずいた。
「おれから見たら、十分扱えてると思うけどなぁ」
「ダメよ。全然ダメ」
アオは険しい顔で首を横に振る。
「ローラーの、あの……振りがどうしても合わなくて……」
「エイムがってこと?」
「いいえ、性に合わないの」
なるほどね、と、マサバはうなずいてみせた。
「チャージ系ブキはええんやね。チャージャーとか、スピナーとか……」
「インクが出るタイミングがわかるもの……」
話している最中に、イリコがハイパープレッサーを発動させた。
初めて扱うせいか、彼女は驚いたような顔をしながら、巨大なビームをなんとか方向転換させようと、四苦八苦している。
「……ブラスターも悪くはないわね」
それを眺めながら、アオは呟いた。
「最近持っていないけれど……」
「……そっか」
ハイパープレッサーの発動時間が終わると、アオは壁から背を離した。
「イリコ」
アオに名前を呼ばれ、イリコははっとしたように振り返る。
「そろそろ次のブキを持ってみない?」
「あっ、は、はい!」
彼女は何故か慌てた様子で、スプラチャージャーを持って走ってくる。
それから、何だかとても言いづらそうな顔をしながら、
「あの……」
と、アオとマサバの方を見た。
「……私、お邪魔じゃないです?」
「……何が?」
意味がわからず、アオはきょとんとした。
けれどマサバには通じたようで、彼は申し訳なさそうに曖昧な笑い方をしながら、
「……ごめんねイリコちゃん、気ぃ使わんでいいからね……」
「わ、わかりました!」
「……何のこと?」
アオがもう一度訊ねても、イリコとマサバは、結局教えてくれなかった。
イリコが次に選んだのは、ホクサイだった。
それを見たアオの第一声は、
「……パブロじゃなくて?」
「えっ」
ホクサイの柄を握りながら、イリコは慌てる。
「ぱ、パブロの方がいいですか!?」
「いえ……あなたがホクサイを選ぶと思わなかったから」
「ええんとちゃう?ホクサイ」
マサバがアオの後ろから、そう言ってフォローしてくれた。
「楽しいと思うよ。ちょっと疲れるけど」
「あ、ありがとうございます!えっと、ただ、そもそもフデブキの違いがまだよくわかっていなくて……」
「そうね、ざっくり言うと……」
アオはちょっと考えてから、言った。
「パブロの方が塗れるわ」
「なるほど!?」
「あ、その説明でええんや……」
確かにかなりざっくりした説明だったが、イリコにはアオの言っている意味がわかった。
イリコは普段、塗りを意識したスタイルでバトルをしている。だから、塗れるパブロじゃなくていいのか、と、アオは聞いたのだろう。
「まずは持ってみた方が、違いは体感できると思うよ」
マサバがそう言った。
「見た目以上に感覚ちゃうからね。イリコちゃん、パブロ持ったことは?」
「あります!楽しかったです!」
その代わり、物凄く疲れたけれど。
フデ系のブキは、振らなければインクを飛ばせない。塗り進みという手段もあるが、それではあまり塗れないし、攻撃手段にもなりにくい。
つまり塗りたければ、振って振って振って、振りまくらなければいけないのだが……当然、物凄くウデやら肩やらが疲れることになる。
体力にはそれなりに自信があったイリコも、パブロを数戦使ってから、その日はギブアップしてしまった。
アオ曰く「塗らない時間を作るのも大事よ」とのことだが、イリコには何となく、それが勿体なく感じられてしまうのだった。
「ホクサイはねー」
と、マサバが言いかけてから、「あっ」と、アオの方を向く。
「アオちゃん、おれが先生役しちゃっていい?イリコちゃんも」
「私は大丈夫です!」
「むしろお願いしたいわ」
アオは重々しくうなずいた。
「フデは……ローラーの亜種だから……」
「そ、そういえばそうやったね……」
「あしゅ?」
「仲間ってことやね」
「そうなんですか!?」
驚くイリコに、マサバは笑いながらうなずいてみせる。
「塗り進みとか、振ってインク飛ばしたりとか、基本動作が一緒やろ?」
「あ、そういえばそうですね……!」
イリコは思わず感心してしまう。言われるまで、全く気がつかなかった。
「パブロは細かく振って塗り進めるのが得意やけど、ホクサイは……イリコちゃん、ちょっととりあえず振ってみ?」
「えっ、と」
イリコは言われた通り、ホクサイを持って、的に向かって振ろうとする――が。
「お、っもいですねこれ?!」
思っていたペースで振ることができず、イリコは困惑した。
なんとか一体の的を壊すが、上手く感覚がつかめない。
「パブロのイメージで持つと、大抵そうなるな」
マサバはからからと笑ってから、
「んーとね、パブロみたいにびびびって素早く振るっていうより、インクを横に広く飛ばすイメージなんやけど……見せた方が早いか」
ちょっと貸して、とマサバに言われ、イリコは素直にマサバへホクサイを渡した。
「射程は短いようで、思ったよりあるから……」
そう言いながら、マサバは立ち位置を調整し、勢いよくホクサイを振った。
インクが大きく弧を描いて振り撒かれ、一度に二つの的が割れる。
「わあ!」
「エイムが多少大雑把でも当たるからいいよね、ホクサイ」
マサバはイリコにホクサイを返しながら、言った。
「攻撃力のホクサイ、機動力のパブロてとこかな。おれはホクサイ派~」
「……フデ系ブキとして、何かと並べられがちな二種類だけれど」
アオが横から口を挟んだ。
「扱い方や仕様は全然違うわ。たとえばパブロの塗り進みは相手のインクの影響を受けないけれど、ホクサイは影響を受けるのよ」
「そういう細かい違いもあるんですね……」
「だから、どのブキの運用も理解しておいた方がいいの」
アオはそう言って、軽く顎を引いてみせる。
「ブキの強みをイカし、弱みを隠して戦えるのが強いイカ。逆に、相手の強みを殺して、弱みを突いて戦えるのも強いイカね」
「アオちゃんはどっちも出来るイカやね」
マサバは小声でイリコにそう言った。確かに、と、イリコは小さくうなずく。
「ホクサイは真正面から向かい合ってキルを取るというより、奇襲に向いたブキよ」
アオは説明を続けた。
「振りの遅さもあって、攻撃力が高くはないわ。だから真正面から撃ち合うのは、不利に追い込まれやすい。だからメインでキルを取る場合は、センプクから奇襲するか、ロボットボムとの絡め手をとるかね」
そう聞いて、イリコはちょっと親近感が沸いた。自分が普段使っているもみじシューターも、そんなブキだ。
ちゃんと扱えるようになりたくて、イリコはホクサイの柄を握り直した。
「も、もう一回やってみてもいいですか?」
「もちろん!やってみな~」
マサバに温かく見守られ、イリコはさっき教わったように、ホクサイを振ってみる。
穂先を直接当てるのではなく、振ったインクを当てればいいんだと分かれば、そこまで難しくはなかった。
なんとか的を壊すコツを掴み、イリコは「できました!」と、アオとマサバに向かって笑顔で報告した。
「ええやん!イリコちゃんは筋がいいなぁ」
マサバはそう言って、拍手しながら褒めてくれる。
アオもうなずきながら「悪くないわ」と言ってくれた。
「ジェットパックも使い方にコツがいるけれど、あれはどちらかというと実戦で使ったほうがいいわね……弱みも説明しやすいし」
「アオちゃんジェッパ上手いよね」
「あ、あの空飛ぶやつですか」
「そうそう」
マサバに褒められたのを、アオはちょっと眉をしかめてスルーしてから、「パブロとの比較に戻るけれど」と、強引に話を逸らしてしまう。
「より攻撃的なのはホクサイと言われているけれど、高速で振られたパブロは厄介よ……というか、」
そこまで言って、アオは眉をしかめた。
「イカセンプク中のローラーとフデは全部厄介ね。主に奇襲が……」
「あ、ああー……」
イリコにも心当たりがある。突然敵インクの中から現れ、ブキを振り下ろしてくるローラーに、何度キルを取られたことか。
「たまに塗り残しだと思って塗ったら、相手のローラーが潜んでたとかありますよね……」
「わかるわかる」
マサバがからからと笑った。
「あれちょっとおもろいけど、味方があのやられかたして欲しくはないよな」
「キルとれないままセンプク中に倒されるの、勿体ないですもんね……」
「イリコがそういう細かいところも塗ってくれるから、センプク中の敵を倒せるとも言えるわね」
アオにそう言われて、イリコはまたちょっと嬉しくなった。悪いところを指摘もしてくれるが、アオは基本的に、良いところをちゃんと見て褒めてくれる。イリコは、アオのそういうところが好きだった。
「それで、ホクサイの使い心地はどう?」
「……難しいです!」
イリコは素直な感想を述べた。
スプラチャージャーほど扱いにくさは感じなかったけれど、これを実戦で扱いこなすのは、やはり練習が要るだろう。
「なんか、今のところシューター以外持てる気がしないです……」
イリコがそう弱音を呟くと、
「まあまあ、イリコちゃんはまだ持ったことないブキもいっぱいあるやろし」
マサバがイリコの肩を叩きながら、明るく言った。
「今すぐ自分に合ったブキ見つけなきゃって、焦らんでもええやん。まずはバトルを楽しまなな~」
「は、はい!」
マサバに励まされ、イリコはこくこくとうなずく。
その様子を見て、アオが小さく微笑んだ。
「もしかしたら、結局はシューターを極めることになるかもしれないわね。……わたしみたいに」
小さな声でそう付け足すアオに、イリコはちょっとどきっとした。
自分がアオのようになれるとは思っていなかったけれど、アオと同じ系統のブキを持って並び立てたらいいな、と、イリコは密かに思っていたのだ。
(もしかしたら、私に合うブキは、シューターじゃないかもしれないけど……)
できれば、アオと同じシューターで戦いたい。イリコはこっそり、そう思っていた。
「他にも試す?」
アオに聞かれ、イリコはふと、あのブキのことが頭をよぎった。
「えっと……」
この空気を、悪くしてしまうだろうか。
でも、きっとお願いするなら、今しかない。
イリコは腹を括り、覚悟を決めた。
「じ、実は、あの……」
イリコが真剣な顔をすると、アオもそれに応えるように、真面目な顔をした。
「アオさんに、使ってみてほしいブキがあるんです」
「いいわ」
ブキの名前も聞かずに、アオはうなずいた。
「どれを使えばいいの?」
イリコはひとつ、息を吸い込んで、
「――ヒッセン」
その名前を出した瞬間――アオの空気が、変わった。
マサバは、思わず息を呑む。
けれど、イリコはひるまず、繰り返した。
「ヒッセンを、お願いします」
アオが自分の近くまでやってきたのを見て、マサバが言った。
「イリコのこと?」
「アオちゃんのこと」
マサバは若葉色の瞳でイリコの背中を眺めながら、続ける。
「アオちゃんがあんな風に楽しそうなとこ、初めて見た」
「……イリコのお陰よ」
アオはマサバの隣に並ぶようにして、壁に背を預ける。
「……わたしなんかが、誰かと一緒にいてもいいものだと思えたのは、初めてだから……」
「……それって」
マサバは驚いたように、アオを見た。
「今までもそうやったってこと?」
「…………」
アオは答えないまま、イリコの背中を見つめていた。
また、的が一つ割れる。
「……なぁ、アオちゃん」
「?」
アオが顔を上げると、マサバは壁に預けていた体を起こし、アオに向き直った。
「わたしなんかがーって、言わないでさ。たまにはもうちょっと、わがままになってもええんとちゃう?」
「……わがまま?」
きょとんとするアオに、マサバは肩をすくめてみせる。
「アオちゃんがイリコちゃんといたいなら、それでええやん。イリコちゃんだって、それで喜んでくれとるんやし。それに……」
マサバは言葉を区切ると、ちょっと照れたように視線をそらしながら
「……おれもアオちゃんといれて、嬉しいですし……」
「……わたしがいるとあなたが喜ぶのは、いつものことでしょう」
「いやそうなんだけどね!?」
「冗談よ」
アオは悪戯っぽく笑ってから、イリコの方に視線を向け直した。
「……わたしも……」
小さな声で、呟くように、アオは続ける。
「……あなたといるのは、楽しいわ」
「え」
イリコは、チャージャーの扱いに悪戦苦闘しているようだった。
それでもアオに言われた通り、射線を少し低めにしながら、射程の距離を測ろうとしている。
(……もっと上手い教え方があったかしら)
ナワバリバトルのインクは、体のどこにでも当てさえすれば相手にダメージが与えられる。つまり、一番効率よくダメージが与えられるのは、体の一番広い面積――胴体ということになる。
イリコの狙い方だと、胴には少し当たりにくい。もう少し下げれば足を狙えるが、彼女にはまだ難易度が高いだろう。
敵のインクで足を取られれば、それだけキルを取りやすくなる。そういった意味で、戦術として足を狙うのは常套手段だが、できればすぐにエイムを胴に切り替えた方がいい。それにはテクニックもいるし、ブキによる向き不向きもある。
(……わたしの教え方で、イリコは強くなれるかしら)
教えたいことは沢山あるけれど、アオのやり方が、イリコに合っているとは限らない。
アオはほんの少し、うつむいた。
「……アオちゃんが」
マサバは壁に背中を預け直しながら、ちらっとアオの方を見る。
「その……おれのこと避けがちなのって、……ピーニアのせいだと、思ってたんやけど」
「……彼女のことばかりでは、ないわ」
アオは視線と思考を、マサバの方に向ける。
――けれど。
視線のほうは、すぐに逸らしてしまった。
「……あなたの周りには、いつも、たくさんひとがいるから……」
マサバは人気者だ。いつも大抵、アオの知らない誰かか、アオも知っている誰かと一緒にいる。
今日のように、彼が一人でいるのは珍しかった。
「……そっか」
イリコがまた的を割った。ダミー相手とはいえ、少しずつ上達しているようだ。
「……でも、そうね」
アオはそれを眺めながら、言った。
「……たまにはわがままを、言おうかしら」
アオの呟きに、マサバが視線を向ける。
アオもまた、マサバの方を向いた。
「あ、あのね、マサバ……」
おずおずと申し出るアオに、マサバは優しい表情で、軽く顎を引いてみせた。彼がアオの話を聞いてくれる時は、大抵いつもそうやって、待っていてくれる。
「買い物が終わって、もし、まだ、もう少し、時間があったら……」
アオは、ゆっくりと話しながら、小さく首を傾げた。
「一緒に、ナワバリへ行かない?」
「……アオちゃんと?」
聞き返すマサバに、アオはうなずく。
「イリコに、ソーダの扱いを見せてあげてほしいの」
「…………」
アオの言葉に、マサバはちょっと意外そうな顔をしてから、何かを考え始めた。
彼は少し黙ってから、やがて真面目な顔をして、
「……それが、アオちゃんのわがまま?」
「そうよ」
アオはそう言ってから、少し不安そうな顔で、マサバの顔をのぞき込む。
「……だめ?」
「――そっ」
マサバは思わず壁に背を押しつけ、慌ててアオを押し留めるようなポーズを取る。
「……っの顔と台詞はずるい……」
「え?」
動揺するマサバに、アオは急いで身を引いた。
「ご、ごめんなさい……」
「だ、大丈夫……ちょっとびっくりしただけ……」
アオが離れたのを確かめて、マサバはほっとしたように息を吐いた。
「ありがとうございます……じゃない、気にせんといてね……」
「?ええ……」
何故お礼を言われたのか、アオにはさっぱりわからない。それでも、一応うなずいておいた。
「えっと、ダメじゃないんやけどね」
マサバはそう言って、また何か考えていたようだったが……やがて、彼はふと微笑んだ。
「……今のアオちゃんはあれやね。先生モードなんやね」
「?先生モード……?」
「イリコちゃんにバトル教えることで、頭いっぱいなんやなーと思って」
マサバはそう言って笑うと、
「いいよ。おれでいいなら、喜んで付き合う」
「……ありがとう、マサバ」
アオは心の底からほっとした。自分の『わがまま』が、彼の迷惑にならなくて良かったと、本当にそう思った。
「それから……」
「ん?」
アオはふと真剣な表情をして、マサバに言った。
「……もしイリコがローラーを持ちたがったら、そのときもお手本を頼むわ……」
「アオちゃん、相変わらずローラーだけは苦手やねんね……」
マサバは軽く苦笑いして、「いいよ」とうなずいた。
「おれから見たら、十分扱えてると思うけどなぁ」
「ダメよ。全然ダメ」
アオは険しい顔で首を横に振る。
「ローラーの、あの……振りがどうしても合わなくて……」
「エイムがってこと?」
「いいえ、性に合わないの」
なるほどね、と、マサバはうなずいてみせた。
「チャージ系ブキはええんやね。チャージャーとか、スピナーとか……」
「インクが出るタイミングがわかるもの……」
話している最中に、イリコがハイパープレッサーを発動させた。
初めて扱うせいか、彼女は驚いたような顔をしながら、巨大なビームをなんとか方向転換させようと、四苦八苦している。
「……ブラスターも悪くはないわね」
それを眺めながら、アオは呟いた。
「最近持っていないけれど……」
「……そっか」
ハイパープレッサーの発動時間が終わると、アオは壁から背を離した。
「イリコ」
アオに名前を呼ばれ、イリコははっとしたように振り返る。
「そろそろ次のブキを持ってみない?」
「あっ、は、はい!」
彼女は何故か慌てた様子で、スプラチャージャーを持って走ってくる。
それから、何だかとても言いづらそうな顔をしながら、
「あの……」
と、アオとマサバの方を見た。
「……私、お邪魔じゃないです?」
「……何が?」
意味がわからず、アオはきょとんとした。
けれどマサバには通じたようで、彼は申し訳なさそうに曖昧な笑い方をしながら、
「……ごめんねイリコちゃん、気ぃ使わんでいいからね……」
「わ、わかりました!」
「……何のこと?」
アオがもう一度訊ねても、イリコとマサバは、結局教えてくれなかった。
イリコが次に選んだのは、ホクサイだった。
それを見たアオの第一声は、
「……パブロじゃなくて?」
「えっ」
ホクサイの柄を握りながら、イリコは慌てる。
「ぱ、パブロの方がいいですか!?」
「いえ……あなたがホクサイを選ぶと思わなかったから」
「ええんとちゃう?ホクサイ」
マサバがアオの後ろから、そう言ってフォローしてくれた。
「楽しいと思うよ。ちょっと疲れるけど」
「あ、ありがとうございます!えっと、ただ、そもそもフデブキの違いがまだよくわかっていなくて……」
「そうね、ざっくり言うと……」
アオはちょっと考えてから、言った。
「パブロの方が塗れるわ」
「なるほど!?」
「あ、その説明でええんや……」
確かにかなりざっくりした説明だったが、イリコにはアオの言っている意味がわかった。
イリコは普段、塗りを意識したスタイルでバトルをしている。だから、塗れるパブロじゃなくていいのか、と、アオは聞いたのだろう。
「まずは持ってみた方が、違いは体感できると思うよ」
マサバがそう言った。
「見た目以上に感覚ちゃうからね。イリコちゃん、パブロ持ったことは?」
「あります!楽しかったです!」
その代わり、物凄く疲れたけれど。
フデ系のブキは、振らなければインクを飛ばせない。塗り進みという手段もあるが、それではあまり塗れないし、攻撃手段にもなりにくい。
つまり塗りたければ、振って振って振って、振りまくらなければいけないのだが……当然、物凄くウデやら肩やらが疲れることになる。
体力にはそれなりに自信があったイリコも、パブロを数戦使ってから、その日はギブアップしてしまった。
アオ曰く「塗らない時間を作るのも大事よ」とのことだが、イリコには何となく、それが勿体なく感じられてしまうのだった。
「ホクサイはねー」
と、マサバが言いかけてから、「あっ」と、アオの方を向く。
「アオちゃん、おれが先生役しちゃっていい?イリコちゃんも」
「私は大丈夫です!」
「むしろお願いしたいわ」
アオは重々しくうなずいた。
「フデは……ローラーの亜種だから……」
「そ、そういえばそうやったね……」
「あしゅ?」
「仲間ってことやね」
「そうなんですか!?」
驚くイリコに、マサバは笑いながらうなずいてみせる。
「塗り進みとか、振ってインク飛ばしたりとか、基本動作が一緒やろ?」
「あ、そういえばそうですね……!」
イリコは思わず感心してしまう。言われるまで、全く気がつかなかった。
「パブロは細かく振って塗り進めるのが得意やけど、ホクサイは……イリコちゃん、ちょっととりあえず振ってみ?」
「えっ、と」
イリコは言われた通り、ホクサイを持って、的に向かって振ろうとする――が。
「お、っもいですねこれ?!」
思っていたペースで振ることができず、イリコは困惑した。
なんとか一体の的を壊すが、上手く感覚がつかめない。
「パブロのイメージで持つと、大抵そうなるな」
マサバはからからと笑ってから、
「んーとね、パブロみたいにびびびって素早く振るっていうより、インクを横に広く飛ばすイメージなんやけど……見せた方が早いか」
ちょっと貸して、とマサバに言われ、イリコは素直にマサバへホクサイを渡した。
「射程は短いようで、思ったよりあるから……」
そう言いながら、マサバは立ち位置を調整し、勢いよくホクサイを振った。
インクが大きく弧を描いて振り撒かれ、一度に二つの的が割れる。
「わあ!」
「エイムが多少大雑把でも当たるからいいよね、ホクサイ」
マサバはイリコにホクサイを返しながら、言った。
「攻撃力のホクサイ、機動力のパブロてとこかな。おれはホクサイ派~」
「……フデ系ブキとして、何かと並べられがちな二種類だけれど」
アオが横から口を挟んだ。
「扱い方や仕様は全然違うわ。たとえばパブロの塗り進みは相手のインクの影響を受けないけれど、ホクサイは影響を受けるのよ」
「そういう細かい違いもあるんですね……」
「だから、どのブキの運用も理解しておいた方がいいの」
アオはそう言って、軽く顎を引いてみせる。
「ブキの強みをイカし、弱みを隠して戦えるのが強いイカ。逆に、相手の強みを殺して、弱みを突いて戦えるのも強いイカね」
「アオちゃんはどっちも出来るイカやね」
マサバは小声でイリコにそう言った。確かに、と、イリコは小さくうなずく。
「ホクサイは真正面から向かい合ってキルを取るというより、奇襲に向いたブキよ」
アオは説明を続けた。
「振りの遅さもあって、攻撃力が高くはないわ。だから真正面から撃ち合うのは、不利に追い込まれやすい。だからメインでキルを取る場合は、センプクから奇襲するか、ロボットボムとの絡め手をとるかね」
そう聞いて、イリコはちょっと親近感が沸いた。自分が普段使っているもみじシューターも、そんなブキだ。
ちゃんと扱えるようになりたくて、イリコはホクサイの柄を握り直した。
「も、もう一回やってみてもいいですか?」
「もちろん!やってみな~」
マサバに温かく見守られ、イリコはさっき教わったように、ホクサイを振ってみる。
穂先を直接当てるのではなく、振ったインクを当てればいいんだと分かれば、そこまで難しくはなかった。
なんとか的を壊すコツを掴み、イリコは「できました!」と、アオとマサバに向かって笑顔で報告した。
「ええやん!イリコちゃんは筋がいいなぁ」
マサバはそう言って、拍手しながら褒めてくれる。
アオもうなずきながら「悪くないわ」と言ってくれた。
「ジェットパックも使い方にコツがいるけれど、あれはどちらかというと実戦で使ったほうがいいわね……弱みも説明しやすいし」
「アオちゃんジェッパ上手いよね」
「あ、あの空飛ぶやつですか」
「そうそう」
マサバに褒められたのを、アオはちょっと眉をしかめてスルーしてから、「パブロとの比較に戻るけれど」と、強引に話を逸らしてしまう。
「より攻撃的なのはホクサイと言われているけれど、高速で振られたパブロは厄介よ……というか、」
そこまで言って、アオは眉をしかめた。
「イカセンプク中のローラーとフデは全部厄介ね。主に奇襲が……」
「あ、ああー……」
イリコにも心当たりがある。突然敵インクの中から現れ、ブキを振り下ろしてくるローラーに、何度キルを取られたことか。
「たまに塗り残しだと思って塗ったら、相手のローラーが潜んでたとかありますよね……」
「わかるわかる」
マサバがからからと笑った。
「あれちょっとおもろいけど、味方があのやられかたして欲しくはないよな」
「キルとれないままセンプク中に倒されるの、勿体ないですもんね……」
「イリコがそういう細かいところも塗ってくれるから、センプク中の敵を倒せるとも言えるわね」
アオにそう言われて、イリコはまたちょっと嬉しくなった。悪いところを指摘もしてくれるが、アオは基本的に、良いところをちゃんと見て褒めてくれる。イリコは、アオのそういうところが好きだった。
「それで、ホクサイの使い心地はどう?」
「……難しいです!」
イリコは素直な感想を述べた。
スプラチャージャーほど扱いにくさは感じなかったけれど、これを実戦で扱いこなすのは、やはり練習が要るだろう。
「なんか、今のところシューター以外持てる気がしないです……」
イリコがそう弱音を呟くと、
「まあまあ、イリコちゃんはまだ持ったことないブキもいっぱいあるやろし」
マサバがイリコの肩を叩きながら、明るく言った。
「今すぐ自分に合ったブキ見つけなきゃって、焦らんでもええやん。まずはバトルを楽しまなな~」
「は、はい!」
マサバに励まされ、イリコはこくこくとうなずく。
その様子を見て、アオが小さく微笑んだ。
「もしかしたら、結局はシューターを極めることになるかもしれないわね。……わたしみたいに」
小さな声でそう付け足すアオに、イリコはちょっとどきっとした。
自分がアオのようになれるとは思っていなかったけれど、アオと同じ系統のブキを持って並び立てたらいいな、と、イリコは密かに思っていたのだ。
(もしかしたら、私に合うブキは、シューターじゃないかもしれないけど……)
できれば、アオと同じシューターで戦いたい。イリコはこっそり、そう思っていた。
「他にも試す?」
アオに聞かれ、イリコはふと、あのブキのことが頭をよぎった。
「えっと……」
この空気を、悪くしてしまうだろうか。
でも、きっとお願いするなら、今しかない。
イリコは腹を括り、覚悟を決めた。
「じ、実は、あの……」
イリコが真剣な顔をすると、アオもそれに応えるように、真面目な顔をした。
「アオさんに、使ってみてほしいブキがあるんです」
「いいわ」
ブキの名前も聞かずに、アオはうなずいた。
「どれを使えばいいの?」
イリコはひとつ、息を吸い込んで、
「――ヒッセン」
その名前を出した瞬間――アオの空気が、変わった。
マサバは、思わず息を呑む。
けれど、イリコはひるまず、繰り返した。
「ヒッセンを、お願いします」