イリコとブキ
店の奥。入り口から少し離れた、バケットスロッシャーが並ぶブキの棚。
「アオちゃんてさ」
色とりどりのバケツを眺めながら、マサバが口を開く。
「フレンドいたことないねんて」
「えっ」
突然の意外な事実に、イリコは思わず驚いてしまった。
「ふ、フレンドいたことない?アオさんが?」
「びっくりやろ?」
マサバにそう言われ、イリコはこくこく頷いた。
「だ、だってアオさん、あんなに強くて可愛くて美人でイカしてるのに……」
「……今度一回、ゆっくり話さへん?きみとならアオちゃんの話、めっちゃしたいわ」
マサバは一瞬だけ真面目な顔をしてから、すぐにへらっと笑ってみせた。
「ま、それはさておき。おれも、二年くらいかなー。知り合ってから、ずーっとフレンド断られててん」
それでさっきびっくりしちゃった、と、マサバは言った。
「ど、どうしてですか……?」
「いやまあ、理由は色々、思い当たる節がないわけやないねんけど……」
ぽりぽりと頭をかいてから、マサバはブキの棚から、ひょいとひとつのバケツを取り出した――ヒッセンだ。
「そうやね、二年前や。……イリコちゃん、レギュレーション変更って知ってる?」
イリコは首を左右に振った。そっか、と、マサバは緑色のバケツを眺めながら、話を続ける。
「ナワバトって、何回かルール変更やブキのサブスペの調整が入っとるんやけど……二年前に、でっかいレギュレーション変更があってさ。それまで使われてたサブやスペシャルの一部が廃止んなったり、新しいサブスペが追加んなったりして、ブキもすっかり新しくなったんよ」
マサバは懐かしむように目を細めながら、くるくるとヒッセンを回した
「……アオちゃんがハイカラスクエアに来たのは、レギュ変からちょっとした辺りくらいやったかなぁ。あの頃からどえらい可愛かったし、どえらい強かった。あんな子がいったいどっから来たんやって、みーんなびっくりしてな……最初はみんなフレンドなりたがって、アオちゃんのこと取り囲んでたんやけど」
マサバの手元でくるくる回っていたヒッセンが、突然、ぴたっと止まる。
「でも、それぜーんぶ突っぱねて、結局アオちゃんは一人っきりでいた。誰とも関わりたくないって言ってるみたいに、ずーっとな」
「…………」
「そしたら、……まあ、アオちゃんの実力やらなんやら、やっかむやつらがおってな」
はふ、と、マサバが小さく溜め息を吐く。
「そいつらがチョーシ乗って、アオちゃんが何も言わんのいいことに、『青い悪魔』なんて呼び始めて……ますます周りに、ひとが寄りつかなくなった」
「……でも、マサバさんは一緒にいたんですよね?」
イリコにそう訊ねられて、マサバはバツが悪そうな表情をしてみせる。
「いやあ……そもそもおれは、そばにはいさせてもらえんかったし……なによりおれは、……」
マサバは一瞬、言葉を途切れさせてから、
「……アオちゃんに、認めて欲しかっただけやから」
イリコはきょとんとして、小さく首を傾げた。
「おれ、初対面のときに、アオちゃんにバトル申し込んだことあってさ」
マサバは話を続けながら、持っているヒッセンに視線を下ろした。
「そんときのおれは、これ――ヒッセンつこてたんやけどね。まあ、どえらいボロ負けしてな」
「………」
「『そんな生半可なウデマエでヒッセンを持たないで』って、めちゃめちゃきっついこと言われたなぁ……」
そう言って、マサバは苦笑いしながら、ヒッセンを棚に戻す。
「そっからブキ持ち替えて、ヒッセンは裏で特訓して……アオちゃんに追いつきたくてーってしてたら、いつの間にか二年経ってたわ」
「二年……」
「未だにぜーんぜん、追いつけてないけどな~」
そう言ってマサバは、明るく笑ってみせる。
けれど、イリコは笑わなかった。
――このひとは、アオの強さを知っている。
知っていてなお、追いつこうとしてきたひとだ。
アオのあのウデマエに、たどり着こうとしてきたひとだ。
それなら――イリコにとっては、尊敬すべき先輩に違いない。
だから、イリコは笑わなかった。
「……おれのこと、馬鹿やなぁって笑わないんやね」
自分を真っ直ぐ見つめてくるイリコを、マサバは優しい目で見つめ返した。
「……わたしも、アオさんと初対面のときに、バトルしたんです」
イリコが話し始めると、マサバは黙ってうなずいて、続きをうながしてくれた。
「でも私、バトルは始めたばっかりで……一度もアオさんからキルとれなくって。それで今、アオさんにバトルの基礎教わってるんですけど」
「アオちゃんから?」
「はい」
イリコはマサバに向かってうなずいてみせた。
「『わたしからキルを取りたかったら、まずは基礎を覚えなさい』って……なので今日も、午前中は一緒にバトルしてきました」
「ええ……何それ羨ましい……」
マサバから出てきた素直な感想に、イリコは思わず苦笑いしてしまう。
「あはは……でも、全然まだまだです。アオさんには敵いません」
「強いもんな、アオちゃん」
マサバはそう言って、優しく笑った。
「ちなみにイリコちゃん、今ランクいくつ?」
「えっと……15です」
「あ、じゃあほんまに初心者なんやね」
「はい。ナワバリデビュー、ほんとについこの間なんですよ」
そっかあ、と、マサバは一人でうなずいていた。
「……アオさんは、私ともっと戦いたいからって、フレンド申請してくれたんですけど」
イリコは棚に並ぶブキを眺めながら、独り言のように呟いた。
「……どうして、私だったんだろう……」
強くてイカしているイカは、きっといっぱいいたはずだ。
マサバだって、イリコには到底及ばないような経験の持ち主に違いない。
でも、アオはそのひとたちからのフレンド申請を、ずっとずっと断ってきたなかで、自分には声をかけてくれた。
……どうしてなのだろう。
イリコがうつむいていると、
「……正直、アオちゃんが何考えてるのかは、おれも未だによくわからんのやけど」
マサバが穏やかな声で、イリコに向かって言った。
「でも少なくともおれは、君みたいな子がアオちゃんのフレンドになってくれて、良かったなぁとは思うよ」
どういう意味だろう。
思わずイリコがマサバの顔を見直すと、マサバは自分を指さしてみせた。
「だってきみ、おれからアオちゃん庇おうとしたやろ?」
おれはストーカーちゃうけどね、と、マサバはお茶目っぽく笑う。
「それって、アオちゃんのこと大事に思ってくれとる証拠やん?それに何より、アオちゃんのこと、ちゃんと見てくれとるみたいやし」
「そ、そうですか?」
「だからアオちゃんのこと、これからもよろしくな」
そう言って、マサバはにっかり笑ってみせる。
「アオちゃんがきみを選んだことには、ちゃんと意味があると思うよ。だから、そないな顔せんと」
励ましてくれているのだと気づいて、イリコは思わず微笑んだ。内心、イリコにはマサバに対して後ろめたさがあったのだが、なんとなく、それが和らいだような気がした。
「ありがとうございます、マサバさん」
イリコが素直に礼を言うと、マサバは「いいってことよ」とウィンクしてみせた。
本当にいい方なんだなぁ、と、イリコはしみじみ思った。
それだけに、アオの態度が気にかかる。
さっきの様子では、どうも苦手とか、そういうわけではなさそうだったが。
「……あの、マサバさん」
ひとつ思いついて、イリコはマサバの顔をのぞき込んだ。
「ん。どしたの?イリコちゃん」
「あの……アオさんのことで、一個お願いしてもいいですか?」
「んん?」
「実は……」
イリコの提案に、マサバは目を丸くしてみせた。
***
「アーオちゃん」
「!」
急に呼びかけられて、アオははっと顔を上げる。
「……マサバ」
「落ち着いた?」
マサバはへらっと笑いながら、空色のバケツを小脇に抱え、アオの隣にやってくる。
彼が抱えているのは、バケットスロッシャーソーダ。今のマサバの相棒だ。
それを見て、アオはそっと目をそらした。
「……ごめんなさい」
「えっ」
小さな声で謝るアオに、マサバは思わず慌ててしまう。
「な、何が?」
「……あなたに謝らなければいけないことは、色々あるけれど……」
アオは小さな声で続けた。
「フレンドのこと……あなたに、会わせる顔がなくて」
「……えーっと」
マサバはぽりぽりと頬をかき、首を傾げてみせる。
「イリコちゃんのこと?」
「……あなた、ずっと前からわたしに、フレンド申請の話をし続けてきたでしょう」
アオはうつむいたまま、話を続ける。
「それなのに、わたし……あなたのことは放っておいたまま、先にイリコとフレンドになってしまったから……」
「…………」
「……怒ってるでしょう?」
マサバがずっと、フレンドになりたいと言ってくれていたことを、アオは忘れていたわけではなかった。
ただ――アオには勇気が出なかった。
今更どんな顔をして頼めばいいのかもわからないし、そもそも、お互いの連絡先だって交換していない。
偶然会って顔を合わせても、アオはいつもマサバの前から、逃げるように去ってしまっていた。
けれど……そんななかで、アオは初対面のイリコに、フレンドを申し込んだのだ。
そのこと自体が間違っていたとは思わない。でも、やっぱりマサバに対しては、内心とてつもなく後ろめたくて、申し訳なかった。
だから実のところ、先ほど偶然出会ったとき、アオは内心、とても狼狽していた。
正直なところ、あのタイミングで、マサバには会いたくなかった。
「……アオちゃんてさ」
うついているアオに向かって、マサバは静かに訊ねた。
「おれとはバトルしたくなかったから、フレンドにならんかったん?」
「ちっ、違うわ!!」
アオは思わず、とっさに大きな声を出してしまった。
滅多にないことにマサバも驚いたのか、目を丸くしている。
アオはマサバの言葉にも、自分がこんな大声を出せたことにも動揺して、「ちが、ちがうのよ、」と、必死で繰り返した。
「ち、違うのよ、マサバ。わたし……そうじゃなくって……」
「……そんなら良かった」
「え?」
「意地悪言うてごめんね」
マサバはアオを安心させるように笑ってみせた。
「俺は怒ってないよ。俺がアオちゃんに怒るわけないやろ」
「……で、でも」
アオはまたうつむいて、自分の両手の指を絡めた。
「わたし……ずっとあなたに迷惑ばかりかけてきたし……」
「えっ……と、どれのことかマジでわからんのやけど」
マサバは困惑した表情を浮かべながら、首を傾げる。
「ハチコーのことならノーカンやからね?」
アオは恐る恐る、マサバを上目遣いで見上げた。
「……ピーニアのことは?」
「いや、あいつは……」
マサバは困ったように片眉を上げ、小さく息を吐いた。
「……あいつのことは、どっちかというと、おれとあいつが謝るべきやん?アオちゃんは悪ないよ」
「……でも……」
アオはまだ納得していない様子で、首を小さく振る。
「……ヒッセンのことだってあったわ」
そう言われて、マサバは思わず目を丸くする。
「……アオちゃん、もしかしてずっと気にしてたん?」
「…………」
「ん、んーと」
黙り込んでしまうアオに、マサバはちょっと考えるようにしながら、言った。
「……おれがぜーんぶ気にしてないよ言うたら、フレンドになってくれたりする?」
「え?」
アオにとっては、思わぬ返しだったらしい。彼女は戸惑ったように視線を泳がせてから、
「あ、あなたとフレンドにならなかったのは……それだけじゃないけど……」
と、またうつむいてしまう。
「……わたし……わたし……」
マサバは黙っていた。
恐る恐る、アオが視線を上げると、マサバは穏やかな表情でうなずいた。
急がなくていいと言いたげな彼の目を見て、アオはゆっくりと話し始めた。
「……わたし……あのね、マサバ……、……わたし、あなたと話そうとすると、いつも……何から話したらいいか、わからなくなるのよ」
アオの唇から、小さく溜め息が漏れる。
「それは、あなたが嫌いだからとかじゃなくて……その……」
アオは言葉を探す。けれど――見つからない。
自分の話し下手に、もどかしさしか覚えない。アオは泣きそうになりながら、唇を震わせた。
「……ごめんなさい。わたし……やっぱり、うまく、言えなくて……」
「……アオちゃん」
マサバはごそごそとポケットを探ると、何かをアオに差し出した。
「はいこれ」
「……?」
目の前に差し出されたのは――ハンカチだった。
「おれはね、アオちゃんのしたいようにしてくれたらええねん」
アオにそれを渡して、マサバはへらっと笑ってみせる。
「アオちゃんが誰とフレンドになってもいいと思うし、アオちゃんが誰かと仲良くしてるのは、俺としても嬉しいし。それに……アオちゃんが悪いやつと戦うなら、それを応援するよ」
「…………」
「でも、アオちゃんが嫌がることを誰かがするなら、俺は絶対許さない」
マサバは脇に抱えたバケットスロッシャーソーダに、ぐっと力を込めた。
「たとえ、それがアオちゃんが選んだイカでもな」
「い、イリコはそんなことしないわ……!」
「大丈夫、わかってるよ」
慌てて反論するアオに、マサバは優しく笑った。
「さっき、イリコちゃんとも話したんやけどさ、あの子、めっちゃいい子やね」
「……そうなの」
マサバがイリコを褒めると、アオは少し顔を輝かせた。
「イリコは、すごく良い子なのよ……バトルにも真剣で、絶対に敵を煽ったりしないし、負けても味方やブキのせいにしないし……それに、わたしに立ち向かってくる勇気もあって……だから……」
アオは不意に、イリコと初めて向かい合った時のことを思い出した。
そういえば――あの感覚を、以前にも味わった覚えがある。
あれは、確か二年前。
ヒッセンを小脇に抱えた、イカボーイとバトルしたときだった。
「……戦っていて、とても、……とても、楽しかったわ」
記憶の片隅に浮かんだ思い出を、そっと伏せておくことにして、アオはそう言った。
マサバはそれを聞いて、悪戯っぽく目を輝かせる。
「おれと違って?」
「何を言って……」
「ごめんごめん、また意地悪言うたったね」
マサバは明るく笑うと、優しくアオの肩を叩いた。
「そろそろ戻ろっか。イリコちゃん待たせとるしね」
「そうだわ、イリコ……」
アオはそれを聞いて、慌ててカンブリアームズの店内へと小走りで向かった。マサバはゆっくりと、その後を追いかける。
「……というわけででしね、昔はパブロのサブが、今のパーマネント・パブロのサブだったわけでしね」
「へえ~!」
店内では、ブキチがイリコを相手に、ブキに関する演説をかましていた。
常連からは嫌がられる長話だが、イリコにとっては興味深い内容らしく、彼女は目を輝かせて聞いていた。
「なんやイリコちゃん、ブキっちゃんの長話に付き合わされとったんか?」
「あ、マサバさん……アオさん!」
イリコはぱっと顔を輝かせ、駆け寄ってくるアオの手をとった。
「ごめんなさい。あなたを放っておいたままにしてしまったわね……」
イリコの手を握りながら、そう謝るアオに、イリコはにっこり笑ってみせる。
「いえいえ!気にしなくて大丈夫です」
イリコはそう言うと、男性陣からちょっとだけ距離を置いて、アオにだけ聞こえるくらいの、小さな声で訊ねた。
「……仲直りできました?」
「……喧嘩していたように見えた?」
聞き返すアオに、イリコはちょっとだけ微笑んだ。
「喧嘩してたっていうか……アオさんが、なんだかすごく辛そうだったので」
「…………」
「……あの」
イリコは控えめな声と表情で、アオに向かって囁いた。
「私、アオさんとは、まだ知り合ったばっかりですけど……何か助けになれることがあれば、言ってくださいね。バトルではまだ、役に立てないとは思うんですけど」
少しはにかみながら、イリコはアオに微笑む。
「友達としてなら、何か役に立てるかもしれないので」
「………」
アオは、思わずイリコの顔を見つめ返した。
彼女の表情は、優しくはあったが、真剣そのものだった。
――彼女は、自分のことを真剣に想ってくれている。
さっきのマサバと、同じように。
「……そう」
(あなたはわたしなんかを、友達と言ってくれるのね……)
心の中でそう呟いてから、アオはイリコに向かって微笑んだ。
「……ありがとう、イリコ」
イリコはぱちぱちとまばたきすると、にっこり笑ってうなずいた。
「アオちゃんてさ」
色とりどりのバケツを眺めながら、マサバが口を開く。
「フレンドいたことないねんて」
「えっ」
突然の意外な事実に、イリコは思わず驚いてしまった。
「ふ、フレンドいたことない?アオさんが?」
「びっくりやろ?」
マサバにそう言われ、イリコはこくこく頷いた。
「だ、だってアオさん、あんなに強くて可愛くて美人でイカしてるのに……」
「……今度一回、ゆっくり話さへん?きみとならアオちゃんの話、めっちゃしたいわ」
マサバは一瞬だけ真面目な顔をしてから、すぐにへらっと笑ってみせた。
「ま、それはさておき。おれも、二年くらいかなー。知り合ってから、ずーっとフレンド断られててん」
それでさっきびっくりしちゃった、と、マサバは言った。
「ど、どうしてですか……?」
「いやまあ、理由は色々、思い当たる節がないわけやないねんけど……」
ぽりぽりと頭をかいてから、マサバはブキの棚から、ひょいとひとつのバケツを取り出した――ヒッセンだ。
「そうやね、二年前や。……イリコちゃん、レギュレーション変更って知ってる?」
イリコは首を左右に振った。そっか、と、マサバは緑色のバケツを眺めながら、話を続ける。
「ナワバトって、何回かルール変更やブキのサブスペの調整が入っとるんやけど……二年前に、でっかいレギュレーション変更があってさ。それまで使われてたサブやスペシャルの一部が廃止んなったり、新しいサブスペが追加んなったりして、ブキもすっかり新しくなったんよ」
マサバは懐かしむように目を細めながら、くるくるとヒッセンを回した
「……アオちゃんがハイカラスクエアに来たのは、レギュ変からちょっとした辺りくらいやったかなぁ。あの頃からどえらい可愛かったし、どえらい強かった。あんな子がいったいどっから来たんやって、みーんなびっくりしてな……最初はみんなフレンドなりたがって、アオちゃんのこと取り囲んでたんやけど」
マサバの手元でくるくる回っていたヒッセンが、突然、ぴたっと止まる。
「でも、それぜーんぶ突っぱねて、結局アオちゃんは一人っきりでいた。誰とも関わりたくないって言ってるみたいに、ずーっとな」
「…………」
「そしたら、……まあ、アオちゃんの実力やらなんやら、やっかむやつらがおってな」
はふ、と、マサバが小さく溜め息を吐く。
「そいつらがチョーシ乗って、アオちゃんが何も言わんのいいことに、『青い悪魔』なんて呼び始めて……ますます周りに、ひとが寄りつかなくなった」
「……でも、マサバさんは一緒にいたんですよね?」
イリコにそう訊ねられて、マサバはバツが悪そうな表情をしてみせる。
「いやあ……そもそもおれは、そばにはいさせてもらえんかったし……なによりおれは、……」
マサバは一瞬、言葉を途切れさせてから、
「……アオちゃんに、認めて欲しかっただけやから」
イリコはきょとんとして、小さく首を傾げた。
「おれ、初対面のときに、アオちゃんにバトル申し込んだことあってさ」
マサバは話を続けながら、持っているヒッセンに視線を下ろした。
「そんときのおれは、これ――ヒッセンつこてたんやけどね。まあ、どえらいボロ負けしてな」
「………」
「『そんな生半可なウデマエでヒッセンを持たないで』って、めちゃめちゃきっついこと言われたなぁ……」
そう言って、マサバは苦笑いしながら、ヒッセンを棚に戻す。
「そっからブキ持ち替えて、ヒッセンは裏で特訓して……アオちゃんに追いつきたくてーってしてたら、いつの間にか二年経ってたわ」
「二年……」
「未だにぜーんぜん、追いつけてないけどな~」
そう言ってマサバは、明るく笑ってみせる。
けれど、イリコは笑わなかった。
――このひとは、アオの強さを知っている。
知っていてなお、追いつこうとしてきたひとだ。
アオのあのウデマエに、たどり着こうとしてきたひとだ。
それなら――イリコにとっては、尊敬すべき先輩に違いない。
だから、イリコは笑わなかった。
「……おれのこと、馬鹿やなぁって笑わないんやね」
自分を真っ直ぐ見つめてくるイリコを、マサバは優しい目で見つめ返した。
「……わたしも、アオさんと初対面のときに、バトルしたんです」
イリコが話し始めると、マサバは黙ってうなずいて、続きをうながしてくれた。
「でも私、バトルは始めたばっかりで……一度もアオさんからキルとれなくって。それで今、アオさんにバトルの基礎教わってるんですけど」
「アオちゃんから?」
「はい」
イリコはマサバに向かってうなずいてみせた。
「『わたしからキルを取りたかったら、まずは基礎を覚えなさい』って……なので今日も、午前中は一緒にバトルしてきました」
「ええ……何それ羨ましい……」
マサバから出てきた素直な感想に、イリコは思わず苦笑いしてしまう。
「あはは……でも、全然まだまだです。アオさんには敵いません」
「強いもんな、アオちゃん」
マサバはそう言って、優しく笑った。
「ちなみにイリコちゃん、今ランクいくつ?」
「えっと……15です」
「あ、じゃあほんまに初心者なんやね」
「はい。ナワバリデビュー、ほんとについこの間なんですよ」
そっかあ、と、マサバは一人でうなずいていた。
「……アオさんは、私ともっと戦いたいからって、フレンド申請してくれたんですけど」
イリコは棚に並ぶブキを眺めながら、独り言のように呟いた。
「……どうして、私だったんだろう……」
強くてイカしているイカは、きっといっぱいいたはずだ。
マサバだって、イリコには到底及ばないような経験の持ち主に違いない。
でも、アオはそのひとたちからのフレンド申請を、ずっとずっと断ってきたなかで、自分には声をかけてくれた。
……どうしてなのだろう。
イリコがうつむいていると、
「……正直、アオちゃんが何考えてるのかは、おれも未だによくわからんのやけど」
マサバが穏やかな声で、イリコに向かって言った。
「でも少なくともおれは、君みたいな子がアオちゃんのフレンドになってくれて、良かったなぁとは思うよ」
どういう意味だろう。
思わずイリコがマサバの顔を見直すと、マサバは自分を指さしてみせた。
「だってきみ、おれからアオちゃん庇おうとしたやろ?」
おれはストーカーちゃうけどね、と、マサバはお茶目っぽく笑う。
「それって、アオちゃんのこと大事に思ってくれとる証拠やん?それに何より、アオちゃんのこと、ちゃんと見てくれとるみたいやし」
「そ、そうですか?」
「だからアオちゃんのこと、これからもよろしくな」
そう言って、マサバはにっかり笑ってみせる。
「アオちゃんがきみを選んだことには、ちゃんと意味があると思うよ。だから、そないな顔せんと」
励ましてくれているのだと気づいて、イリコは思わず微笑んだ。内心、イリコにはマサバに対して後ろめたさがあったのだが、なんとなく、それが和らいだような気がした。
「ありがとうございます、マサバさん」
イリコが素直に礼を言うと、マサバは「いいってことよ」とウィンクしてみせた。
本当にいい方なんだなぁ、と、イリコはしみじみ思った。
それだけに、アオの態度が気にかかる。
さっきの様子では、どうも苦手とか、そういうわけではなさそうだったが。
「……あの、マサバさん」
ひとつ思いついて、イリコはマサバの顔をのぞき込んだ。
「ん。どしたの?イリコちゃん」
「あの……アオさんのことで、一個お願いしてもいいですか?」
「んん?」
「実は……」
イリコの提案に、マサバは目を丸くしてみせた。
***
「アーオちゃん」
「!」
急に呼びかけられて、アオははっと顔を上げる。
「……マサバ」
「落ち着いた?」
マサバはへらっと笑いながら、空色のバケツを小脇に抱え、アオの隣にやってくる。
彼が抱えているのは、バケットスロッシャーソーダ。今のマサバの相棒だ。
それを見て、アオはそっと目をそらした。
「……ごめんなさい」
「えっ」
小さな声で謝るアオに、マサバは思わず慌ててしまう。
「な、何が?」
「……あなたに謝らなければいけないことは、色々あるけれど……」
アオは小さな声で続けた。
「フレンドのこと……あなたに、会わせる顔がなくて」
「……えーっと」
マサバはぽりぽりと頬をかき、首を傾げてみせる。
「イリコちゃんのこと?」
「……あなた、ずっと前からわたしに、フレンド申請の話をし続けてきたでしょう」
アオはうつむいたまま、話を続ける。
「それなのに、わたし……あなたのことは放っておいたまま、先にイリコとフレンドになってしまったから……」
「…………」
「……怒ってるでしょう?」
マサバがずっと、フレンドになりたいと言ってくれていたことを、アオは忘れていたわけではなかった。
ただ――アオには勇気が出なかった。
今更どんな顔をして頼めばいいのかもわからないし、そもそも、お互いの連絡先だって交換していない。
偶然会って顔を合わせても、アオはいつもマサバの前から、逃げるように去ってしまっていた。
けれど……そんななかで、アオは初対面のイリコに、フレンドを申し込んだのだ。
そのこと自体が間違っていたとは思わない。でも、やっぱりマサバに対しては、内心とてつもなく後ろめたくて、申し訳なかった。
だから実のところ、先ほど偶然出会ったとき、アオは内心、とても狼狽していた。
正直なところ、あのタイミングで、マサバには会いたくなかった。
「……アオちゃんてさ」
うついているアオに向かって、マサバは静かに訊ねた。
「おれとはバトルしたくなかったから、フレンドにならんかったん?」
「ちっ、違うわ!!」
アオは思わず、とっさに大きな声を出してしまった。
滅多にないことにマサバも驚いたのか、目を丸くしている。
アオはマサバの言葉にも、自分がこんな大声を出せたことにも動揺して、「ちが、ちがうのよ、」と、必死で繰り返した。
「ち、違うのよ、マサバ。わたし……そうじゃなくって……」
「……そんなら良かった」
「え?」
「意地悪言うてごめんね」
マサバはアオを安心させるように笑ってみせた。
「俺は怒ってないよ。俺がアオちゃんに怒るわけないやろ」
「……で、でも」
アオはまたうつむいて、自分の両手の指を絡めた。
「わたし……ずっとあなたに迷惑ばかりかけてきたし……」
「えっ……と、どれのことかマジでわからんのやけど」
マサバは困惑した表情を浮かべながら、首を傾げる。
「ハチコーのことならノーカンやからね?」
アオは恐る恐る、マサバを上目遣いで見上げた。
「……ピーニアのことは?」
「いや、あいつは……」
マサバは困ったように片眉を上げ、小さく息を吐いた。
「……あいつのことは、どっちかというと、おれとあいつが謝るべきやん?アオちゃんは悪ないよ」
「……でも……」
アオはまだ納得していない様子で、首を小さく振る。
「……ヒッセンのことだってあったわ」
そう言われて、マサバは思わず目を丸くする。
「……アオちゃん、もしかしてずっと気にしてたん?」
「…………」
「ん、んーと」
黙り込んでしまうアオに、マサバはちょっと考えるようにしながら、言った。
「……おれがぜーんぶ気にしてないよ言うたら、フレンドになってくれたりする?」
「え?」
アオにとっては、思わぬ返しだったらしい。彼女は戸惑ったように視線を泳がせてから、
「あ、あなたとフレンドにならなかったのは……それだけじゃないけど……」
と、またうつむいてしまう。
「……わたし……わたし……」
マサバは黙っていた。
恐る恐る、アオが視線を上げると、マサバは穏やかな表情でうなずいた。
急がなくていいと言いたげな彼の目を見て、アオはゆっくりと話し始めた。
「……わたし……あのね、マサバ……、……わたし、あなたと話そうとすると、いつも……何から話したらいいか、わからなくなるのよ」
アオの唇から、小さく溜め息が漏れる。
「それは、あなたが嫌いだからとかじゃなくて……その……」
アオは言葉を探す。けれど――見つからない。
自分の話し下手に、もどかしさしか覚えない。アオは泣きそうになりながら、唇を震わせた。
「……ごめんなさい。わたし……やっぱり、うまく、言えなくて……」
「……アオちゃん」
マサバはごそごそとポケットを探ると、何かをアオに差し出した。
「はいこれ」
「……?」
目の前に差し出されたのは――ハンカチだった。
「おれはね、アオちゃんのしたいようにしてくれたらええねん」
アオにそれを渡して、マサバはへらっと笑ってみせる。
「アオちゃんが誰とフレンドになってもいいと思うし、アオちゃんが誰かと仲良くしてるのは、俺としても嬉しいし。それに……アオちゃんが悪いやつと戦うなら、それを応援するよ」
「…………」
「でも、アオちゃんが嫌がることを誰かがするなら、俺は絶対許さない」
マサバは脇に抱えたバケットスロッシャーソーダに、ぐっと力を込めた。
「たとえ、それがアオちゃんが選んだイカでもな」
「い、イリコはそんなことしないわ……!」
「大丈夫、わかってるよ」
慌てて反論するアオに、マサバは優しく笑った。
「さっき、イリコちゃんとも話したんやけどさ、あの子、めっちゃいい子やね」
「……そうなの」
マサバがイリコを褒めると、アオは少し顔を輝かせた。
「イリコは、すごく良い子なのよ……バトルにも真剣で、絶対に敵を煽ったりしないし、負けても味方やブキのせいにしないし……それに、わたしに立ち向かってくる勇気もあって……だから……」
アオは不意に、イリコと初めて向かい合った時のことを思い出した。
そういえば――あの感覚を、以前にも味わった覚えがある。
あれは、確か二年前。
ヒッセンを小脇に抱えた、イカボーイとバトルしたときだった。
「……戦っていて、とても、……とても、楽しかったわ」
記憶の片隅に浮かんだ思い出を、そっと伏せておくことにして、アオはそう言った。
マサバはそれを聞いて、悪戯っぽく目を輝かせる。
「おれと違って?」
「何を言って……」
「ごめんごめん、また意地悪言うたったね」
マサバは明るく笑うと、優しくアオの肩を叩いた。
「そろそろ戻ろっか。イリコちゃん待たせとるしね」
「そうだわ、イリコ……」
アオはそれを聞いて、慌ててカンブリアームズの店内へと小走りで向かった。マサバはゆっくりと、その後を追いかける。
「……というわけででしね、昔はパブロのサブが、今のパーマネント・パブロのサブだったわけでしね」
「へえ~!」
店内では、ブキチがイリコを相手に、ブキに関する演説をかましていた。
常連からは嫌がられる長話だが、イリコにとっては興味深い内容らしく、彼女は目を輝かせて聞いていた。
「なんやイリコちゃん、ブキっちゃんの長話に付き合わされとったんか?」
「あ、マサバさん……アオさん!」
イリコはぱっと顔を輝かせ、駆け寄ってくるアオの手をとった。
「ごめんなさい。あなたを放っておいたままにしてしまったわね……」
イリコの手を握りながら、そう謝るアオに、イリコはにっこり笑ってみせる。
「いえいえ!気にしなくて大丈夫です」
イリコはそう言うと、男性陣からちょっとだけ距離を置いて、アオにだけ聞こえるくらいの、小さな声で訊ねた。
「……仲直りできました?」
「……喧嘩していたように見えた?」
聞き返すアオに、イリコはちょっとだけ微笑んだ。
「喧嘩してたっていうか……アオさんが、なんだかすごく辛そうだったので」
「…………」
「……あの」
イリコは控えめな声と表情で、アオに向かって囁いた。
「私、アオさんとは、まだ知り合ったばっかりですけど……何か助けになれることがあれば、言ってくださいね。バトルではまだ、役に立てないとは思うんですけど」
少しはにかみながら、イリコはアオに微笑む。
「友達としてなら、何か役に立てるかもしれないので」
「………」
アオは、思わずイリコの顔を見つめ返した。
彼女の表情は、優しくはあったが、真剣そのものだった。
――彼女は、自分のことを真剣に想ってくれている。
さっきのマサバと、同じように。
「……そう」
(あなたはわたしなんかを、友達と言ってくれるのね……)
心の中でそう呟いてから、アオはイリコに向かって微笑んだ。
「……ありがとう、イリコ」
イリコはぱちぱちとまばたきすると、にっこり笑ってうなずいた。