このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

イリコとブキ

昼食を食べ終えたあとは、腹ごなしついでに、イリコの新しいブキを見に行こうという話になった。
ヒッセンの話はさておき、アオと買い物に行くのは楽しみだ。イリコは内心、ちょっぴりはしゃいでいた。
「いいブキがあるといいですね!」
「そうね……」
二人はそう話しながら、カンブリアームズのドアを開ける。
「それじゃあ、いったん預かるでし」
「はーい、よろしゅうな~」
店内では、先客らしいイカボーイ――メガネのギアを着けた今風のイケメンが、奥に引っ込むブキチに向かって、ひらひらと手を振っていた。
……のだが。
「あ!!!アオちゃん!!!」
イカボーイは店内に入ってきたイリコとアオを見るなり、ぱあっと顔を輝かせた。
「……アオちゃん?」
イリコは思わずきょとんとして、自分の横を見る……が、アオの姿は、そこにはなかった。
アオはイリコの後ろに隠れ、警戒するように、イカボーイの様子を伺っていた。
「あ、アオさん?」
イリコに名前を呼ばれ、アオははっとしたように、
「……ご、ごめんなさい。イリコを盾にしてしまって……」
「いえ、それは構わないんですが……」
「アオちゃ~ん♡」
イカボーイはというと、構わず満面の笑みで手を振ってくる。
「……イリコ」
アオは大真面目な顔で、イリコに向かって言った。
「今日は日を改めましょう」
「待って!?なんで!?」
アオの提案に慌てた様子で叫んだのは、見知らぬイカボーイの方だった。
イリコはアオとイカボーイの両方を交互に見てから、真剣な表情でうなずき返す。
「わかりました。アオさんがそう言うなら」
「待ってー!!そこのイカワイイガールちゃんもちょっと待って!?」
イカボーイは更に慌て始め、両腕をぶんぶんと振ってみせる。
「おれってば何もせんから!!ほら見てめっちゃ無害よ!?まるでベンチ前で寝てるジャッジくんのごとし!!」
……このひと、ちょっと面白いな。
イリコが思わず感心していると、
「店の中で騒がないでほしいでしー!!」
店の奥から、ブキチの怒ったような声が聞こえてくる。
既にドアを半分開けていたアオは、仕方ないと言いたげに溜め息を吐いてから、しぶしぶドアを閉めた。
「まさかあなたがいるなんて……」
そう言いながらも、アオは決してメガネのイカボーイと視線を合わせようとはしなかった。
イカボーイは困惑した様子で、
「えっえっ、ま、待って?アオちゃんにこないに嫌がられたん、さすがに初めてなんやけど……??」
「あ、あの」
アオを庇うように立ちながら、イリコは恐る恐る訊ねた。
「失礼ですが、アオさんのお知り合いですか……?」
短い付き合いとはいえ、アオのこんな様子は初めて見る。
イリコが若干警戒していると、イカボーイは
「あっそうよ、おれアオちゃんの知り合い」
と、全くもってほがらかに、自分を指さしてみせた。
「マサバって言うねん。よろしゅうな」
にっかり笑う彼の笑顔は、どう見ても悪いイカには見えない。
イリコが思わず警戒を解きかけると、アオが軽くイリコのフクを引っ張った。
「イリコ、相手にしなくていいわ」
「いやだからアオちゃんなんで!?」
「……あの、お知り合いなんですよね?」
イリコは再び警戒し始める。
「ストーカーとかじゃなくて……」
「ちゃうちゃうちゃうちゃう!!ちゃうからね!!?」
マサバが大慌てで否定すると、アオが何故か顔を背けた――アオさん、笑ってる?
イリコが一瞬そう思ったのもつかの間、アオは真面目な顔をして、イリコに言った。
「大丈夫よ、イリコ……知り合いなのは本当」
そう言って、彼女はつんとした表情をマサバに向ける。
「それから、まだ罪は犯していないはずよ……たぶんね」
「アオちゃ~ん!?」
「……冗談よ、ごめんなさい」
アオがようやく、ちょっとだけ笑った――が、すぐに真顔に戻ってしまう。
アオさんがジョークを言うなんて珍しいなと思いながら、イリコは取り急ぎマサバに向き直った。
「す、すみません。失礼なこと言っちゃいました……」
「ん?ああ、いいよ気にせんで」
マサバはそう言って、ひとの良さそうな笑顔で笑う。
「この手の弄りは慣れてるさかいに」
「な、慣れてるんですか……」
お笑い芸人じゃあるまいし、という言葉をイリコが飲み込んでいると、マサバは「アオちゃんの貴重なからかいシーンも見れたし~♡」と、またアオに向かって愛想を振りまいていた。アオはそっぽを向いている。
……物凄くわかりやすいひとだなぁ、と、イリコは内心感心してしまう。ここまでわかりやすいのも珍しい。
そして、頭痛がすると言いたげにこめかみを抑えているアオの様子もまた、珍しかった。
「えっと、きみはイリコちゃんていうの?」
マサバに訊ねられ、イリコはうなずく。
「あ、はい。初めまして、イリコといいます」
「うんうん、挨拶できる子は良い子の証拠やね」
マサバはにこにことうなずいてから、今度はそっぽを向いているアオの方を見やった。
「アオちゃん、こんな可愛い子とどこで知り合ったん?まさかまたどっかから拾ってきたとかやないやろ?」
アオは眉をしかめて、マサバを睨む。
「イリコを落とし物みたいに言わないで」
「はい。すいません。はい……」
マサバはたじたじになりながらも、イリコに向かってぺろっと舌を出してみせる。
……お茶目というか、なんというか。
悪いひとどころか、いいひとにしか見えないのだが……どうしてアオは、さっきから彼に冷たい態度を取り続けているのだろう。
イリコが不思議がっていると、
「買い物に来たん?邪魔してごめんな」
と、マサバが言った。
「アオちゃんが誰かとおるの珍しい思てな。ついつい声かけちゃった」
「マサバ」
「ごめんて……」
余計なことを言うなと言わんばかりのアオの視線に、マサバがまた小さく謝る。
そういえば、アオが他の誰かと一緒にいるところを、イリコはこれまで見たことがなかった。あまり気にしていなかったけれど、アオは周囲とそんなに交流を持たないのだろうか?
イリコがそんなことを考えていると、アオがまた、小さく溜め息を吐いた。
「マサバ。彼女は……イリコは」
アオは少し言い淀んでから、マサバに向かって言った。
「……わたしのフレンドよ」
「……へっ?」
アオの言葉に、マサバが素っ頓狂な声を上げる。
「ふ、フレンド?アオちゃんの?」
「……?」
何をそんなに驚いているのだろう、と、イリコはきょとんとしてしまう。
けれど、アオはマサバから目をそらすなり、それ以降、何も言わなくなってしまった。
「え、えと、イリコちゃん?」
マサバが明らかに動揺した様子で、今度はイリコに話しかけてくる。
「は、はい」
「アオちゃんとフレンドって、マジ?」
「え、えーと……」
なんでマサバがそんなに驚いているのか、イリコには全くわからない。けれど否定する理由もなく、イリコはうなずいてみせた。
「は、はい。アオさんとは、この間フレンドになりました……」
「…………」
今度は、マサバが黙り込んでしまった。
「……」
「……」
「……えーっと」
なんだろう、この空気。
イリコがひたすらに戸惑っていると、
「……ごめんね」
と、マサバが神妙な面持ちで言った。
「いや、ほんと、ごめん。びっくりしちゃってな……」
「え、えと」
イリコはひたすらに困惑しながら、訊ねてみることにする。
「何か、おかしなことありました……?」
「イリコ」
と。
アオが割り込むように、イリコの名前を呼んだ。
「……ごめんなさい」
アオは、静かな声で言った。
「わたし、ちょっと、外の空気を吸ってくるわ……」
「え。あ、はい……大丈夫ですか?」
「……大丈夫よ」
おおよそ大丈夫ではなさそうな声色で答えてから、アオは店の外へと出て行ってしまった。
(……アオさん、どうしたんだろう?)
フレンドの話になった途端、明らかにアオの様子がおかしくなった。
見たことのない彼女の姿に、イリコはただ、心配することしかできなかった。
「……うーん。マジでごめんね」
マサバがバツの悪そうな顔をしながら、イリコの方に歩み寄ってくる。
「おれが変な反応してもうたから……」
「あ、いえいえ」
イリコは慌てて手を振ってみせた。
「私のことは気にしないでください。でも、アオさんが……」
「んーと」
マサバはちらっと、店の外の様子をうかがう。
窓の向こう側に、アオの姿が見える。彼女はぼんやりと、大通りを眺めているようだった。
「……ちょっとだけそっとしておいてあげてもろていい?」
マサバはイリコに向き直って、そう言った。
「今行っても多分、いっぱいいっぱいやと思うから……」
「……」
イリコは思わず、まじまじとマサバの顔を見つめてしまう。
「え、なに?どしたん?」
「……あの、マサバさんってもしかして」
まさかなぁと思いながらも、イリコはマサバに向かって訊ねた。
「アオさんとお付き合いされてたりとかって……」
「え?そう見える?」
マサバは照れ笑いを浮かべた。
「いや~そうやったら良かったんやけどね~」
「あ、やっぱり違うんですね」
「やっぱりてなに!?」
イリコがなんとなくほっとしていると、マサバは急に真面目な顔に戻って、何とも言えなさそうに肩をすくめてみせた。
「まあ、おれはあくまでもあれよ……『知り合い』よ、『知り合い』」
そう言って、マサバは自嘲気味に溜め息を吐く。
「アオちゃんにとっては、所詮そこ止まりの男よ」
「……その割に」
イリコはちょっぴり、唇を尖らせる。
「アオさん、マサバさんと話してる時、ちょっと楽しそうでしたけど……」
「へ」
マサバは間抜けな声を出して、イリコの顔を見やった。
「え、君にはそう見えたん?」
「いやなんかアオさんすっごい頑張って素っ気ない態度してるけど、ほんとはマサバさんと話したかったのかなって思って……」
「ええ……どこらへんで……?」
「全体的にですけど……」
「…………」
今度はマサバが、イリコの顔をまじまじと見つめた。
「……え。な、なんです?」
「…………うーん」
マサバは一人で唸ってから、ずれたメガネの位置を指で直した。
「イリコちゃんさ、時間ある?」
「え?」
「お兄さんと、ちょいとおしゃべりせえへん?」
マサバはにこにこと笑って、自分を指さした。
「きみとアオちゃんのこと、おれも聞きたいし」
「……望むところです」
イリコは、思わずちょっと身構えた。



***



まさかこのタイミングで、マサバに会うとは思わなかった。
カンブリアームズの壁を背にして、アオは一人、溜め息を吐く。
「…………」
アオには、友人がいなかった。
ナワバリバトルを通じて知り合ったイカは、少なくない。少なくはなかったけれど、深い交流を持つ者はほとんどいない。
交流を持とうとしてきた者が、いなかったわけではなかった。けれどそれらのほとんどを、アオは拒絶してきたのだった。
……それなのに。
『アオちゃーん!』
明るい声と、若葉色の瞳。いつも日替わりでオシャレなギアを着ているけれど、黒縁のメガネのギアだけは、欠かしているのを見たことがない。
そう――マサバだけは、アオがどんな態度をとっても、めげずにやってくる。
「……………」
アオはまた一つ、溜め息を吐いた。



――お前といても楽しくない。
そう言われたのは、いつのことだっただろう?
最初は、自分のコミュニケーションが下手なせいで、そう言われるのだと思っていた。
笑わないから「何を考えているかわからない」と言われるし、話をすれば「まわりくどくて長い」と言われるし、話さないようにすれば「無口で怖い」と言われる。
必死で改善しようとしても、どうすればいいかわからないまま、どんどん周りからひとは離れていった。
せめてバトルで貢献しようと、アオは得意だったシューターでウデマエを磨いて、バトルスタイルを突き詰めた。
通常は遠距離で活躍する『復活ペナルティアップ』を、デメリット覚悟で――いや、デメリットを帳消しにし、メリットを最大限にイカす覚悟で身につけ、相手にキルされず、相手をキルする立ち回りを極めた。
その立ち回りに最も適したブキとして、シャープマーカーネオを選び、その他のギアやギアパワーもこだわり抜いた。
そうして、アオは最前線で、ありとあらゆる敵をキルし続け、必死で味方たちを守り続けた。
敵を倒せば、結果的に味方は動きやすくなり、バトルにも勝ちやすくなる。
ナワバリバトルでは当たり前とされていることではあったけれど、アオはただ味方のために、同じチームになった味方のためだけに、それをやり続けた。
けれどその結果、アオに向けられたのは――畏怖と嫉妬、それらがないまぜになった結果の、拒絶だった。
周囲からの視線は、冷たかった。
強すぎるイカガールは、ただただ、その存在を疎まれるばかりだった。
(……わたしが悪いんだわ)
ひとりぼっちになってから、アオはそう思った。
自分が周りに合わせられないから、誰も自分の傍にいてくれないのだと思った。
周りが自分を置いていくのは、自分が周りと同じようにできないからだと思った。
それなら――自分は、一人でいた方がいい。
誰かを不愉快にさせてしまうのなら、一緒にいて、楽しいと思ってもらえないのなら……最初から、一人でいた方がいい。
そう思って以来、アオは、ずっと一人で過ごしていた。
2/9ページ