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イリコとアオ

待ち合わせの約束は、翌日の午前10時。ロビー前の、ジャッジくんがいるベンチの辺りとなった。
「楽しみにしているわ」
そう言って、アオは飲みかけのジュースが入った紙コップを片手に、去って行った。
「……ふぅーっ」
すっかり冷めてしまったポテトを片付けながら、イリコは軽く溜め息をつく。
なんだか、凄いことになってしまったような気がする。
アオに誘われたのは、1対1のプライベートマッチだった。てっきりレギュラーマッチで一緒に参加するものだと思っていたが、「それだと敵になれないかもしれないから」とのことらしい。
ワンチャン、味方として戦えたりしないかなぁと思っていたのだが、アオはあくまでも、イリコと対面して戦いたいとのことだった。
アオには「やっぱり断る?」と確かめられたが、イリコはすぐに首を横に振った。イカしたガールに、二言はないのだ。
……それにしても。
「……ランク89って、私の9倍だよぉ……」
勝てる気がしない。いや、最初から勝てる自信はなかったけれど。

別れる前に、イリコとアオはちょっとだけ雑談をしていた。といっても、お互いのバトルのランクとか、アオがいつからナワバリバトルをしているかとか、そんな話だ。
アオの話によると、14歳でヒト化を果たしてから5年間、ずっとナワバリバトルを続けているらしい。
自分より年上なんだろうとは思っていたが、バトル歴は想像以上の大先輩だった。
「あなたは、今日始めたばかりだと言っていたけれど……わたしとは、年が近いように見えるわ」
アオにそう言われたことを、イリコはふと思い出す。
「あ、私は今年で17歳になります」
だからアオさんとは2歳差ですね、と、イリコは答えたのだった。
「ちょっと家庭の事情で、ナワバリデビュー遅くなっちゃって……」
「……そう。失礼な質問だったわね……ごめんなさい」
そう言って、アオは謝ってくれたけれど、イリコは特に気にしていなかったし、当然の疑問だろうとも思った。
右側に長くゲソを垂らしたアシンメトリーの髪型に、他の子よりもちょっとだけ長い手足。ヒト化できるようになってからは、周りより年上に見えると、ちょくちょくからかわれたものだ。
明るいオレンジ・アイだけが、少しだけ印象を幼くしてくれているので、イリコは自分の顔のパーツのなかでは、目が一番好きだった。
(……そういえば、アオさんの目……綺麗だったな)
黙っていると美少女だが、笑うと可愛いひとだったな、と思い返す。
初めはひたすらにクールな印象だったが、打ち解けてみるとそうでもない。
「話が下手だから、不快な思いをさせたらごめんなさい」と、何度か言われたけれど、全くそんなことはなかったし。
(……明日バトルが終わったら、もうちょっとお話してみたいな)
そう思いながら、イリコは何気なくイカフォンの画面を見た。
時刻はもう9時になっている。
あまり夜更かしすると、明日の待ち合わせに遅れてしまうかもしれない。
イリコは食べ終えたトレーを片付けて、家に帰ることにした。



***



イリコがナワバリバトルに初めて出会ったのは、もう何年も前の話だ。
姉と一緒にネットに上がっていたナワバリバトルの動画を見たとき、若いインクリングであれば誰でもそうなるように、そのイカしたスポーツに夢中になってしまったのである。
そのなかでもイリコの印象に強く残ったのは、一人の若いイカボーイだった。
そのイカボーイは、イリコが見ていた動画の中でも、特にダントツでイカしていた―――というわけでは、実はない。
どちらかといえば、その周りのイカたちの方がもっと活躍してイカしているように見えたし、その選手はあんまり有名ではないようで、他に出ている動画は見つけられなかった。
でも。
彼はただ、真剣に、真摯に、ナワバリバトルに取り組んでいた。堅実に、必死に味方を守り、敵を倒し、チームを勝利に導こうと頑張っていた。
真面目な性格なのかもしれない。仲間思いなのかもしれない。動画からは、それ以上のことは、詳しく分からなかったけれど……イリコにとってその選手は、きらきらと輝いて見えていて、いつしか『憧れ』そのものとなっていた―――。



「いらっしゃいでしー」
ブキ屋、『カンブリアームズ』。
翌朝、思ったより早起きしてしまったイリコは、待ち合わせの時間までの間、ブキを見て時間を潰すことにした。
「おはようございます」
店主のブキチに挨拶すると、彼はとことことイリコに近づいてきて、「何か欲しいブキはあるでしか?」と訊ねてきた。
「ええと……」
イリコはきょろきょろと店内を見渡す。
『カンブリアームズ』では、そのイカのランクに合わせてブキを売ってくれる。逆に言えば、ランクが低くてイカしていないイカには、ブキを売ってくれないのだ。
昨日イリコもこの店を訪れて、気になるブキについて訊ねたら、「キミにはまだ扱えないでし」と、断られてしまった。
その代わりに買い求めたのが、今持っている『もみじシューター』である。
サブがロボットボム、スペシャルはアメフラシ。塗りに特化した性能の、イカしたシューターだ。まだまだ使いこなせているわけではないが、イリコはとても気に入っている。
「そういえば」
と、ブキチがふと思い出したように言った。
「キミは昨日、もみじシューター買っていった子でしね」
「え。あ、は、はい!そうです」
まさか覚えていて貰えるとは思わなかった。
イリコが驚きながらもうなずくと、ブキチはにっと笑ってみせた。
「あれからランクは上がったでし?リッター4Kはランク20で買えるでしよ」
「いえ、まだまだです……」
ちょっと照れ臭くなりながら、イリコはふるふると首を振った。
「あ、でも、昨日ちょっとランクは上がったので……新しいブキを見せていただいてもいいですか?」
そう言って、今のランクをブキチに伝えると、彼は新しく扱えるようになったブキについて紹介してくれた。
「キミのランクなら、そろそろN-ZAP85を扱ってもいい頃でし」
「えぬざっぷはちごー」
ブキチが見せてくれたのは、シンプルながらもイカしたフォルムのシューターだった。
ブキチの説明を真剣に聞いてから、イリコはそのブキで試し塗りをしてみることにした。
『塗りの姿勢を大事にしたい人に』。
その売り文句は、イリコの求めるバトルスタイルに、ぴったり合っていた。
『イリコ、これだけは覚えておいてね』
ハイカラスクエアに向かう前、大好きな姉は、イリコにわかばTとわかばシューターを渡しながら、言った。
『ナワバリバトルは、塗らなきゃ勝てないの』
もちろん塗るだけでも勝てないけどね、と、笑顔で付け足されたのを思い出す。
姉は以前、ナワバリバトルの選手だった。病気で引退してしまってからは、ナワバリバトルの話はほとんどしなくなってしまったけれど、イリコがバトルに強い憧れを抱いているを、彼女は知ってくれていた。
(……お姉ちゃんも、ここでブキを買ったのかな)
姉が病気になっていなければ、もしかしたら一緒に、バトルや買い物ができたかもしれない。ブキだけじゃなく、フクやクツ、アタマギアだって。
「…………」
わがままだな、と、イリコは軽く頭を振り、頭にぼんやり浮かんだ考えを振り払った。
姉に対して困らせるようなことは言いたくないし、したくない。そして、教えてもらったことはしっかりと抱え、大事にしていきたかった。

その後、試し塗りの感触を気に入って、イリコはN-ZAP85を買い求めることにした。
「そうびしていくでし?」
「いえ、大丈夫です。このままで」
今日のプライベートマッチは、使い慣れたもみじシューターで行きたかった。確かアオと戦ったホッケふ頭でも、それを使っていたはずだし。
時間もちょうどいいことを確かめてから、イリコはブキチに礼を言い、店を出る。
カンブリアームズの目の前には、すぐにデカタワーのロビーがある。
アオがロビーの前で先に待ってくれているのを見て、イリコは慌てて駆け寄った。
「お、お待たせしました!」
「……時間ちょうどね」
アオはそう言ってイカフォンで時間を確かめ、ポケットにしまった。
「大して待っていないわ。わたしも今来たところだから」
昨夜と全く変わらない淡泊さで、アオはそう答えてから、「プライベートマッチは初めてと言っていたわね」と、イリコに確かめた。
「は、はい」
「なら、わたしが手続きをするわ」
そう言って、アオはてきぱきと準備を済ませてくれた。用意されたステージに向かう前に、アオはイリコに、今日行うバトルの説明をした。
「ルールは通常のナワバリバトルと同じ。といっても、わたしとあなたでは経験の差があり過ぎるから、ハンデをつけましょう」
「よ、よろしくお願いします!」
イリコはほっとしたような、何となく申し訳ないような気持ちになる。ランク89のアオに対し、イリコのランクは9だ。十倍近い経験差がハンデだけで埋められるかというと怪しいところだが、それでもないよりかはマシに思える。
「わたしは1分間、初期地点から動かないわ」
人差し指を立てて、アオは言った。
「1分経ったらわたしも動き始める。その後は、普通にバトルよ」
「……わかりました!」
ナワバリバトルの制限時間は、3分。そのなかでの1分は、とても大きい数字だ。
けれど――前半どんなに塗り勝っていても、後半で巻き返されることがあるのが、ナワバリバトル。
「いい返事ね」
アオはシャープマーカーネオを抱えながら、微笑んだ。
「それじゃあお互い、全力で戦いましょう。手加減なしでね」
イリコはきゅっと唇を引き結んでから、もみじシューターを抱えて、大きく頷いた。
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