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フェンリルは夢の中

【異世界ファンタジー】1話
※アズール視点

モストロラウンジが開店前の忙しい時間帯だというのに、学園長から緊急招集が掛かったのは金曜日の夕方だった。いつもの寮長だけではなく、珍しく副寮長やそれに近い寮生、先生方も招集されていた。それも学園長室ではなく、《鏡の間》にである。学園長は全員が揃ったことを確認すると口を開いた。

「揃いましたね。急に呼び出して申し訳ありません。何せこちらでも対処しにくい問題なので…」

“対処しにくい問題”が何を示すのかは大半のメンバーが理解していたと思う。鏡の間に鎮座する黒い棺。入学式に使われる黒い馬車によって運ばれる棺。それが入学式の数ヶ月前の今何故か置かれていて、その中にいるのはどうみても女性。ナイトレイヴンカレッジは全寮制の男子校だ。転校生だとしても、不自然過ぎる。
しかも彼女は左足ふくらはぎに包帯が巻かれており、白衣の裾には乾いた血痕が付着していた。負傷しているのか微かに血の匂いがする。

「彼女は左足を酷く怪我した状態で運ばれて来ました。私の方で応急処置を施しましたが未だ目覚めないのです」

学園長は更に続ける。

「彼女の記憶を闇の鏡で確認しましたが、どうやら彼女はツイステッドワンダーランド以外の世界から来たようです」

ツイステッドワンダーランド以外、つまり異世界から来た?異世界人ということか。

「彼女が異世界人だとして、その人はどうして目覚めないのですか?怪我をしたのは左足だけなのでは?」

ハーツラビュルの寮長、リドル・ローズハートが学園長に質問する。学園長は困ったように首を振って答える。

「……詳しくは彼女の記憶を観て貰った方が早そうですね。君たちには少し酷かも知れませんが」

そう言うと、闇の鏡に彼女の記憶を映し出させた。

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女性が走っている。左足を弾丸に撃ち抜かれても懸命に機械を抱えて走る。おそらく、これが棺の彼女なのだろう。次々と殺されていく彼女と同じ白衣を着た人間たち。一方武装した人間たちは彼女を追いかけている。彼女は肩で息をしながら、広い場所に出た。夜空が見えるから外に出たのだろう。

彼女は柵の方へ足を引き摺りながら歩くと、大事そうに抱えていた機械を宙へ放り投げた。数秒後、下の方でガチャンという音が響いた。彼女はその様子を寂しそうな顔で見つめていた。

少しの間の後、彼女を追いかけていた武装した人間らが追いつく。
武装した人間の中には白衣を着た男が1人いた。彼女はその男に鋭い視線を向けると口論を始めた。武装した奴らは彼女に銃口を向けたままだが、彼女は怯むことなく勝ち誇ったようにニヤリと笑うと柵を乗り越え自ら飛び降りた。

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寮長、副寮長クラスと言えどまだ若い魔法士の卵。短く悲鳴をあげる者、動揺する者、彼女に同情し涙ぐむ者…反応は様々だった。
先程の映像を分析するなら、彼女は異世界人で自殺した事になる。ならば、ここにいる彼女は既に亡くなっている所謂屍。ご遺体となるのではないか?【目が覚めない】のは当然ではないのか、とアズールは考察した。
……だが、それだと自分たちが招集された理由にはならない。ご遺体なら先生方で供養するなり、異世界に返す方法なり考えれば良い話だ。大体左足の応急処置が必要なのか。何か別に理由があるはずだと考えていると、彼女に同情したのだろう号泣したカリムが彼女の棺に近づいた。

「こんな若いのに!自殺なんて…!!」

まるで自分の友人が亡くなったかの如く彼女の上半身を抱きしめて泣いている。慌ててカリムの従者のジャミルが止めようと駆け出す。カリムの涙が彼女の頬にポタポタと落ちる。
すると彼女の瞼が徐に開き、数度瞬きを繰り返した。鏡の間にいる一同は驚愕に目を見開く。一番近くで彼女を見ていたカリムは嬉しそうに「生き返った!!良かったな〜!!」と叫び、彼女にまた抱きついた。

状況を理解出来ないのだろう彼女は警戒しながら辺りを見回した後、自分に危害を加えないと判断したのかカリムの涙を白衣の袖で拭ってあげている。カリムがお礼を言って「優しいな!」と評すると彼女は困ったような顔で微笑んだ。カリムと彼女の行動を傍で注意深く見守っていたジャミルが溜め息を吐きながら自分の主人を回収する。

「貴方は一体何者ですか」

わざとらしく咳払いをした学園長が彼女に尋ねた。未だ棺の中に座っていた彼女は問いかけに応えるため立ち上がって学園長に向き直る。立ち上がる際に傷が痛んだのだろう僅かに眉を寄せた。

「……海老原アキラと申します。研究者をしていました」

過去形なのは自分が死んだことを認識しているから。出自や怪我の事を口にしないのは、ここにいる人間が敵である可能性を考慮してのことだろう。頭のキレるタイプな様だ。
彼女が自己紹介をしたので学園長や先生方、寮長たち学生も順番に自己紹介をしていく。こちらは人数が多いので、確実に覚えられたかは謎だ。自己紹介が終わり、全員から敵意を感じなかった為か海老原の表情が少し和らいだ。
しかし、学園長の手にある機械ーーパソコンと呼ぶのだったか?ーーを見てすぐに表情は険しくなった。
「これは貴方の物ですね?棺の中に一緒に入っていましたよ」と学園長が彼女に手渡す。彼女はか細い声でお礼を言うとパソコンを両手で抱えた。
学園長は海老原にこの世界がツイステッドワンダーランドであること、ナイトレイヴンカレッジのこと、おそらく彼女が異世界から来たであろうこと、元いた世界に帰ることが困難であること……そして、彼女自身が既に亡くなっていることを告げた。
彼女は動じることなく、「そうですか」と納得したように呟いた。
学園長曰く、『異世界から来た時に彼女の魂が自身の姿を象って肉体を形成をしているため物に触れることが出来る』らしい。つまり、限りなくゴーストに近いが肉体を持っている存在。“異例中の異例な存在”

「そのパソコンが何故ここにあるのかは私たちにも分かりません。他に何か質問はありますか?」

海老原は数秒手元のパソコンを見つめてから答えた。「元いた世界が今どうなっているか知りたい」と。彼女の質問に応えるべく、学園長は闇の鏡に彼女の世界の様子を映した。

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黒煙に包まれる崩壊したビル群、逃げ惑う人々、空から降ってくる爆弾やミサイル。焼け爛れて黒くなり地面に転がるのはヒトだったもの。ラジオから流れる『戦争』というワード。人が人を殺す残酷な世界がそこには映し出されていた。これが彼女にとっての現実。

彼女は泣きわめくことも怒りを顕にすることもなく、ただじっと目を逸らさずに鏡の中の現実を見ている。

「…………止められなかった」

ポツリと呟いた後しばらく映像を見つめて、やがて考えるように目を閉じた。

「もう良いでしょう。お辛いでしょうが、今後のことをお話しまーー『学園長』

学園長の話を遮った彼女の声。再び開かれた彼女の目に迷いなどなかった。

「私と取引して下さい」

彼女は堂々と宣言したのだった。

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