フェンリルは夢の中【スピンオフ、短編等】
【咆哮ビースト】
真夜中の街を駆け抜ける四足の獣。その目にはヒールが折れても足を怪我しても懸命に走る女性の姿が捉えられていた。
「嫌…やめて!!誰か!誰か助けて!!」
遂に彼女は追いつかれ、住宅街に絶叫が木霊する。住民達は穹を劈く悲鳴を掻き消すようにカーテンを閉めた。彼女を助けようとする者は終ぞ誰も居なかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《ーー 学園長室 ーー》
主人公視点
学園長室には各寮の寮長と学園の教員が揃っていた。学園長は神妙な面持ちで重々しく口を開いた。
「最近学園の近くの街で獣による殺傷事件が相次いで発生しています。事件は大体夜遅くに起きていて、鋭い爪や牙で被害者を襲ったものと見られます。事件はまだ解決していません」
獣による殺傷事件。被害者は10人。死者9名、重傷者1名。目撃者によると大きな獣に襲われたらしい。事件はいずれも夜に起きていた。
「各寮の寮長は生徒達に外出禁止の旨を伝えて下さい。特に夜間の外出は絶対に禁止です。先生方は学園の戸締りを厳重にするようお願いしますよ」
事件が学園近くで起きている事もあり、厳重な警戒が必要と思われる。その後いくつかの議論がなされ、学園長の指示で会議はお開きとなった。今はまだ土曜日の昼過ぎ。日が沈むまで時間がある。
「クルーウェル先生、ちょっと調べ物して来ても良いですか?」
「…あんな事件があったばかりだ。単独行動は感心しないぞ、仔犬」
「夕方までには帰って来ますから大丈夫ですよ」
「ダメだな。どうしても行くなら俺も連れて行け」
クルーウェル先生が中々引かなかったので、仕方なく一緒に街に出た。いつもなら賑わっている商店街は客足が減り、静かになっている。
「で、どこへ行くんだ?」
「殺傷事件が起きた現場です」
「ほぅ。いつから警察に転職したんだ?仔犬。まさか犯人がノコノコと現場に戻って来ると思っているのか?」
「思ってませんよ!別に警察を当てにしていない訳じゃないですけど、一応確認だけしようと思ったんです」
「確認?何の確認だ?」
「《被害者に共通点があるのか》、《犯人は同一人物か》、《殺傷以外に何か目的があるのか》といった所でしょうか。犯人に繋がる何かが分かれば対策もし易いでしょうし、あわよくば逮捕出来るかも知れませんよ」
そうこうしている内に、最初の犯行現場に着いた。黄色と黒の立入禁止テープで囲われた現場には、被害者が倒れていた場所に目印の白いテープが貼られていた。現場は人通りの少ない路地裏。昼でも薄暗く、不気味な場所。ここで被害者の女性が何者かに背中を引き裂かれ重傷を負った。幸い生きてはいるものの、ショックで事件については何も話せないらしい。
現場には僅かな血の跡と引っ掻き傷が壁やレンガの地面に残されていた。引っ掻き傷は小さく、猫が爪研ぎをしたような跡だった。
「特に何もないな。次の場所へ行くか」
「そうですね」
2番目の被害者は子ども。小学生の男の子だった。最初の被害者の数時間後に別の場所で襲われ、亡くなっている。被害者が幼い子どもということもあり、現場には花束とお菓子が供えられていた。
「可哀想に。まだ子どもだというのにな」
「……」
活発な少年は親と喧嘩し、夕方から家出をしていた所、運悪く犯人と遭遇してしまったようだ。連日の報道番組には彼の両親が涙ながらに「あの日些細なことで喧嘩しなければ」と後悔していた。後悔した所で息子は帰って来ない。ここにあるのは大量の血の跡とやはり引っ掻き傷。引っ掻き傷の方は先程よりも大きなものだった。
三番目の被害者は老人。初老の男性だった。日課だった夜の散歩中に襲われたものと思われる。二番目の現場から数キロ先にある公園で襲われ、亡くなっている。1、2番目の被害者は共に同日に襲われたが、3番目以降は1日置きに襲われている。現場には血の跡と引っ掻き傷、白髪が数本落ちていた。
「白髪?老人の物か?」
「分かりません。おそらく、そうかと…」
四番目の被害者は若い男性。居酒屋からの帰宅途中に襲われた。かなり酔っていたらしく、警察の調べでは遺体にアルコールの匂いが残っていたとのこと。ここにも血痕と引っ掻き傷、それから歯が1本落ちていた。
「これ、犬の歯?」
「牙だな。犬というよりは狼の様だが…」
小さいけれど、先端が尖った狼のものらしき牙が落ちていた。そういえば、4番目の被害者は引っ掻き傷の他にも噛み跡があったと報道されていた。狼によるものなのだろうか…?
「仔犬、直に日が暮れる。学園に戻るぞ」
「了解です」
1~4番目の現場を見た後、特に何の収穫もないまま私達は学園へと戻った。
翌日、私はこっそり学園を抜け出して5~10番目の現場を見に来ていた。5~9番目の現場も他と変わらず、血痕と引っ掻き傷があった。最後に襲われた女性の現場も特に変わらなかった。他に目につくものといえば、ハイヒールのヒール部分が石畳の隙間に挟まって現場近くに落ちていたくらいか。
「……となると、あの人に話を聞きに行く必要がありそうね」
商店街の電気屋のディスプレイには最新モデルのテレビが並んでいる。どれも報道番組が流れていて、キャスターが獣による殺傷事件について注意喚起をしている。この所、獣人に対して警戒する人間が増えたように思う。事件が獣によるものと見られているせいなのだが、一方的に彼らが犯人だと決めつけ、迫害する輩もいる。
「サバナクロー寮も大変だな」
獣人が多く在籍するサバナクローの生徒は学園内でも肩身の狭い思いを強いられていた。アズール君の契約書を砂にした奴らとはいえ、一教員として少し同情する。
商店街を通り過ぎ、人通りの少ない住宅街の方へ向かう。私の仮説が正しければ、今日辺り犯人が動く。あとは日が沈むのを待つだけだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《ーー オクタヴィネル寮 ーー》
アズール視点
おかしい。いつもなら部屋にいるはずのアキラさんがいない。ジェイドに聞けば、数時間前に図書館に行くと言って寮を出たらしいが図書館にも探し人はいなかった。途中で会ったクルーウェル先生も今日は見ていないそうで、実験室にも籠っていなかった。妙な胸騒ぎがする。外れてくれていれば良い。そんな気持ちで学園長室に足を踏み入れた。
「海老原先生ですか?いえ、今日は会っていませんね。外出届けも受け取っていません」
「そうですか…」
「案外すれ違いで寮に戻っているかも知れませんよ」
学園長はなんの気なしに言うが、物騒な事件が起きている最中だ。流石に楽観視は出来なかった。
学園長室を後にし、ジェイドとフロイドに連絡を入れる。寮に戻っていれば彼らと遭遇するはずだ。
『お部屋にはまだ戻られていませんね』
『談話室もラウンジにもいないよ〜?』
「ハハッ…全く手のかかる番犬ですね」
日が傾いて来ている。何としてでも日没までに見つけ出さなければならない。おそらく、彼女は学園内にはいない。だとすれば、行く所は殺傷事件の起きた場所。警察は既にお手上げの様だが、彼女は犯人に繋がる何かを見つけたに違いない。
ジェイドとフロイドを連れて夕暮れの街に出た。もちろん、学園長の許可はない。
「当てはあるのですか?アズール」
「ありませんよ。ただ、クルーウェル先生に拠れば昨日探したのは1~4番目までの現場のみ。5~10番目の現場を彼女が調べに行っているかも知れません」
「え〜じゃあ、手当り次第ってこと?」
「そうでもありません。おそらくこの時間なら10番目の現場に行っている可能性が高い。新しい現場から見る方が良さそうです」
「なるほど、逆側から回るのですね」
「じゃあ、さっさと行こ〜?」
10番目の現場から逆さ順に見る事にしたが、一向に彼女と遭遇することはなかった。時刻は午後9時。日はとっくに沈み、事件の影響か商店街どころか歓楽街まで灯りを落としている。
「あ゙あ゙〜もうアキちゃんせんせーどこいんの?全然会わないじゃん!」
「おかしいですね。寮に帰っているのでしょうか?」
双子が不信感を抱き始めた時だ。
数km離れた住宅街から何かが崩壊する音と共に狼の咆哮が聞こえた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《数分前 主人公視点》
日もとっくに沈んだ頃、近くの民家の扉が開く。中から出て来たのは最初の被害者の女性。背中に深い傷を負い、事件のショックで口を閉ざした重傷者にして唯一の生存者。
「こんばんは、お姉さん。今お話しても良いかしら?」
「!……事件の事なら私は何も知らない。背後から襲われたんだから話すことなんてないわ」
「へぇ、知らないの?本当に?」
「さっきそう言ったじゃない!」
「ふぅん。知らないなんて変ね。
事件の犯人は貴方なのに」
「!?」
私が指摘すると女は露骨に狼狽えた。
「な、何言ってるの?私は被害者よ!犯人なわけないじゃない!」
「あら、じゃあ何故夜に外出を?夜に出歩いた人間ばかり襲われているのに…貴方だって夜に襲われたはずよ。それとも貴方には学習能力がないのかしら」
「そ、それは…」
「貴方の背中にある傷、それもう治っているのでしょう?」
「なっ何を根拠にそんな事を!?」
「現場に残された血痕が他の現場に比べて少ない事、それから引っ掻き傷が小さかった事。それらの点から考えて、貴方は少なくとも重傷ではなかったはず。貴方自身の治癒能力が高いか、もしくは相手の殺傷能力が低かったか。その両方か。いずれにせよ、貴方は《軽傷》だった」
女は視線を彷徨わせ、動揺している。
「おそらく2番目の被害者の子どもを獣化させ、自分を襲わせた。被害者のフリをするためにね。以降同じように被害者を獣化させ、別の人間を襲わせる。それで環状の構図が出来上がっていた。違う?」
「……っ!!」
「でも、一つだけ分からなかった。
ねぇ、貴方の動機は何?」
これだけはどうしても分からなかった。獣化させて相手を襲わせる連鎖が何を意味するのか。果たして、意味なんてあるのか。
女は大きな声で答えた。
「人狼様を探すためよ!」
「人狼、サマ?」
人の姿をしているが、本来は狼で人間を襲うあの人狼の事だろうか?女は目の色を変えて、訳の分からない説明を始める。
「銀色に輝く美しい毛並み、雄々しい咆哮、力強い脚!!それが人狼様よ!!でもね、どいつもこいつも期待はずれの雑魚ばっかり。美しくもなければ雄々しさもない貧弱な狼だったわ!」
女の瞳には狂気が宿っていた。
「貴方はどんな狼になるかしらね!?」
「『狂信者の願望(The wish of religious fanatic)』!!」
まずい…と思った時にはもう遅く、ユニーク魔法をかけられていた。
「クソっ!!」
バキバキと骨が音を立てて、骨格が組み変わっていく。
気がついた時には巨大な狼の姿になっていた。
「素晴らしい!!人狼様じゃないけれど、フェンリルのような美しくも獰猛な姿!!」
女が狂ったように称賛の言葉を叫んでいる。
対する私は自我を保つので精一杯だ。気を抜いたら暴れ出しそうな巨躯を何とか押さえつける。尚も叫ぶ女の声がうるさい。
私の口から出る言葉は咆哮となり、周囲に響き渡る。
「アキラ…さん?」
「アキちゃんせんせー?」
「アキラ先生なのですか?」
『何で、何で貴方達がここにいるの?
外出禁止…って学園長の命令、でしょ?
はやく、寮に帰りなさい』
「……ちょうど良いわ!獲物が来たみたいよ。フェンリルさん」
女は獣化させた相手を自由に操れる様で、私の前足が勝手に動く。
『嫌だ。ヤダやだ!殺したくない!』
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《アズール視点》
アキラさんの前足を躱し、犯人の女を睨みつける。
「貴方が一連の事件の犯人ですね」
「…ということは、アキラ先生をそんな姿にしたのも貴方ですね?《獣化させて操るユニーク魔法》の類か。厄介ですね」
「ふぅん…でもさぁ〜あのメスを絞めればアキちゃんせんせーは元に戻るってことでしょ?じゃあ、サッサと絞めちゃおうよ!」
攻撃魔法を放つが女は避けるか、アキラさんを操って盾にした。
一向にこちらの攻撃は女に当たらない。
「あ゙?うっぜェー!アキちゃんせんせーを盾にすんなし!!」
「ダメですね。アキラ先生に当たってしまいます」
このままでは埒が明かない。どうしたらいい?攻撃の方法を考えている時だった。
突然アキラさんが唸り声を上げたかと思うと、術者である女の背中を前足で潰しにかかった。ボキボキという背骨が砕ける音と共に女の悲鳴が響き渡る。
しばらくして警察が駆けつけて来た。アキラさんは警察を見て大人しく前足を退け、女を解放した。僕達が警察に事情を説明し、犯人に魔法封じの手錠が掛けられると、アキラさんは徐々に狼の姿から人間の姿へ変わった。先程攻撃を受けた腕や足には痣や火傷痕があり、色白の肌が一部赤黒く変色していた。
手錠を着けられて尚、「私は犯人じゃない!被害者よ!犯人だと言うならば証拠を見せろ!」と叫ぶ女。警察も確たる証拠がある訳ではなかったようで、女の剣幕に狼狽えている。そんな状況下で凛とした声が響いた。
「証拠ならあるわ」
そう言うと、アキラさんは遠くに投げ出された自分の鞄からボイスレコーダーを取り出して再生した。ボイスレコーダーには犯行前の会話と先程までの内容が録音されていた。犯人の顔が真っ青に変わる。更にアキラさんは別の証拠も提出する。
「これは街にある防犯カメラの映像です。事件が起きた日、必ずその女は夜中に外出をしています。偶然にしては出来すぎていますよね?」
夜中に外出していただけでは事件との因果関係が成立しない。そのため、それだけでは証拠にはならない。そこで彼女は鞄から道端に備え付けられた小型カメラも警察に提出した。
「今日の映像はこちらのカメラに入っています。私が彼女に話しかけた時から今に至るまでの出来事はこちらを確認して頂ければ立証出来るかと」
にっこりと微笑むアキラさんとは対照的に、悪事を暴かれた犯人の女は顔面蒼白で俯いている。もはや言い逃れは出来ない状況に女は大人しく警察に連行されて行った。
こうして事件は人知れず解決され、街は徐々にいつもの賑やかさを取り戻した。
《ーー 余談 ーー》
警察により犯人が逮捕された後、事件の知らせを聞いた学園長と教員達が現場にやって来た。アズール、ジェイド、フロイドの三人は学園長の命令を破ったので厳重注意。海老原は単独で行動して生徒も巻き込んだ上、怪我を負ったので厳重注意と1日療養が言い渡された。
「海老原先生、私は散々言いましたよね?夜間の外出は絶対禁止だと。あと、貴方外出届け出していませんよね?」
「Bad girl!!単独行動は感心しないと言ったはずだぞ、仔犬」
「海老原先生、学園の生徒まで巻き込むのは教育者の立場として感心しませんな」
「ハハハ!!犯人に遅れをとるなんて筋肉が足りていない証拠だぞ!もっと筋肉を付けなければならんな!」
海老原は歩道の真ん中で正座し、四人の教育者からお叱りを受けている。教員側に俯き、しゅんとして見える彼女の態度……
しかし、その瞳は反省の色を全く宿していなかったのをアズール達は見逃さなかった。ああ、彼女はいずれまた無茶をするなとアズールは思った。
真夜中の街を駆け抜ける四足の獣。その目にはヒールが折れても足を怪我しても懸命に走る女性の姿が捉えられていた。
「嫌…やめて!!誰か!誰か助けて!!」
遂に彼女は追いつかれ、住宅街に絶叫が木霊する。住民達は穹を劈く悲鳴を掻き消すようにカーテンを閉めた。彼女を助けようとする者は終ぞ誰も居なかった。
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《ーー 学園長室 ーー》
主人公視点
学園長室には各寮の寮長と学園の教員が揃っていた。学園長は神妙な面持ちで重々しく口を開いた。
「最近学園の近くの街で獣による殺傷事件が相次いで発生しています。事件は大体夜遅くに起きていて、鋭い爪や牙で被害者を襲ったものと見られます。事件はまだ解決していません」
獣による殺傷事件。被害者は10人。死者9名、重傷者1名。目撃者によると大きな獣に襲われたらしい。事件はいずれも夜に起きていた。
「各寮の寮長は生徒達に外出禁止の旨を伝えて下さい。特に夜間の外出は絶対に禁止です。先生方は学園の戸締りを厳重にするようお願いしますよ」
事件が学園近くで起きている事もあり、厳重な警戒が必要と思われる。その後いくつかの議論がなされ、学園長の指示で会議はお開きとなった。今はまだ土曜日の昼過ぎ。日が沈むまで時間がある。
「クルーウェル先生、ちょっと調べ物して来ても良いですか?」
「…あんな事件があったばかりだ。単独行動は感心しないぞ、仔犬」
「夕方までには帰って来ますから大丈夫ですよ」
「ダメだな。どうしても行くなら俺も連れて行け」
クルーウェル先生が中々引かなかったので、仕方なく一緒に街に出た。いつもなら賑わっている商店街は客足が減り、静かになっている。
「で、どこへ行くんだ?」
「殺傷事件が起きた現場です」
「ほぅ。いつから警察に転職したんだ?仔犬。まさか犯人がノコノコと現場に戻って来ると思っているのか?」
「思ってませんよ!別に警察を当てにしていない訳じゃないですけど、一応確認だけしようと思ったんです」
「確認?何の確認だ?」
「《被害者に共通点があるのか》、《犯人は同一人物か》、《殺傷以外に何か目的があるのか》といった所でしょうか。犯人に繋がる何かが分かれば対策もし易いでしょうし、あわよくば逮捕出来るかも知れませんよ」
そうこうしている内に、最初の犯行現場に着いた。黄色と黒の立入禁止テープで囲われた現場には、被害者が倒れていた場所に目印の白いテープが貼られていた。現場は人通りの少ない路地裏。昼でも薄暗く、不気味な場所。ここで被害者の女性が何者かに背中を引き裂かれ重傷を負った。幸い生きてはいるものの、ショックで事件については何も話せないらしい。
現場には僅かな血の跡と引っ掻き傷が壁やレンガの地面に残されていた。引っ掻き傷は小さく、猫が爪研ぎをしたような跡だった。
「特に何もないな。次の場所へ行くか」
「そうですね」
2番目の被害者は子ども。小学生の男の子だった。最初の被害者の数時間後に別の場所で襲われ、亡くなっている。被害者が幼い子どもということもあり、現場には花束とお菓子が供えられていた。
「可哀想に。まだ子どもだというのにな」
「……」
活発な少年は親と喧嘩し、夕方から家出をしていた所、運悪く犯人と遭遇してしまったようだ。連日の報道番組には彼の両親が涙ながらに「あの日些細なことで喧嘩しなければ」と後悔していた。後悔した所で息子は帰って来ない。ここにあるのは大量の血の跡とやはり引っ掻き傷。引っ掻き傷の方は先程よりも大きなものだった。
三番目の被害者は老人。初老の男性だった。日課だった夜の散歩中に襲われたものと思われる。二番目の現場から数キロ先にある公園で襲われ、亡くなっている。1、2番目の被害者は共に同日に襲われたが、3番目以降は1日置きに襲われている。現場には血の跡と引っ掻き傷、白髪が数本落ちていた。
「白髪?老人の物か?」
「分かりません。おそらく、そうかと…」
四番目の被害者は若い男性。居酒屋からの帰宅途中に襲われた。かなり酔っていたらしく、警察の調べでは遺体にアルコールの匂いが残っていたとのこと。ここにも血痕と引っ掻き傷、それから歯が1本落ちていた。
「これ、犬の歯?」
「牙だな。犬というよりは狼の様だが…」
小さいけれど、先端が尖った狼のものらしき牙が落ちていた。そういえば、4番目の被害者は引っ掻き傷の他にも噛み跡があったと報道されていた。狼によるものなのだろうか…?
「仔犬、直に日が暮れる。学園に戻るぞ」
「了解です」
1~4番目の現場を見た後、特に何の収穫もないまま私達は学園へと戻った。
翌日、私はこっそり学園を抜け出して5~10番目の現場を見に来ていた。5~9番目の現場も他と変わらず、血痕と引っ掻き傷があった。最後に襲われた女性の現場も特に変わらなかった。他に目につくものといえば、ハイヒールのヒール部分が石畳の隙間に挟まって現場近くに落ちていたくらいか。
「……となると、あの人に話を聞きに行く必要がありそうね」
商店街の電気屋のディスプレイには最新モデルのテレビが並んでいる。どれも報道番組が流れていて、キャスターが獣による殺傷事件について注意喚起をしている。この所、獣人に対して警戒する人間が増えたように思う。事件が獣によるものと見られているせいなのだが、一方的に彼らが犯人だと決めつけ、迫害する輩もいる。
「サバナクロー寮も大変だな」
獣人が多く在籍するサバナクローの生徒は学園内でも肩身の狭い思いを強いられていた。アズール君の契約書を砂にした奴らとはいえ、一教員として少し同情する。
商店街を通り過ぎ、人通りの少ない住宅街の方へ向かう。私の仮説が正しければ、今日辺り犯人が動く。あとは日が沈むのを待つだけだった。
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《ーー オクタヴィネル寮 ーー》
アズール視点
おかしい。いつもなら部屋にいるはずのアキラさんがいない。ジェイドに聞けば、数時間前に図書館に行くと言って寮を出たらしいが図書館にも探し人はいなかった。途中で会ったクルーウェル先生も今日は見ていないそうで、実験室にも籠っていなかった。妙な胸騒ぎがする。外れてくれていれば良い。そんな気持ちで学園長室に足を踏み入れた。
「海老原先生ですか?いえ、今日は会っていませんね。外出届けも受け取っていません」
「そうですか…」
「案外すれ違いで寮に戻っているかも知れませんよ」
学園長はなんの気なしに言うが、物騒な事件が起きている最中だ。流石に楽観視は出来なかった。
学園長室を後にし、ジェイドとフロイドに連絡を入れる。寮に戻っていれば彼らと遭遇するはずだ。
『お部屋にはまだ戻られていませんね』
『談話室もラウンジにもいないよ〜?』
「ハハッ…全く手のかかる番犬ですね」
日が傾いて来ている。何としてでも日没までに見つけ出さなければならない。おそらく、彼女は学園内にはいない。だとすれば、行く所は殺傷事件の起きた場所。警察は既にお手上げの様だが、彼女は犯人に繋がる何かを見つけたに違いない。
ジェイドとフロイドを連れて夕暮れの街に出た。もちろん、学園長の許可はない。
「当てはあるのですか?アズール」
「ありませんよ。ただ、クルーウェル先生に拠れば昨日探したのは1~4番目までの現場のみ。5~10番目の現場を彼女が調べに行っているかも知れません」
「え〜じゃあ、手当り次第ってこと?」
「そうでもありません。おそらくこの時間なら10番目の現場に行っている可能性が高い。新しい現場から見る方が良さそうです」
「なるほど、逆側から回るのですね」
「じゃあ、さっさと行こ〜?」
10番目の現場から逆さ順に見る事にしたが、一向に彼女と遭遇することはなかった。時刻は午後9時。日はとっくに沈み、事件の影響か商店街どころか歓楽街まで灯りを落としている。
「あ゙あ゙〜もうアキちゃんせんせーどこいんの?全然会わないじゃん!」
「おかしいですね。寮に帰っているのでしょうか?」
双子が不信感を抱き始めた時だ。
数km離れた住宅街から何かが崩壊する音と共に狼の咆哮が聞こえた。
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《数分前 主人公視点》
日もとっくに沈んだ頃、近くの民家の扉が開く。中から出て来たのは最初の被害者の女性。背中に深い傷を負い、事件のショックで口を閉ざした重傷者にして唯一の生存者。
「こんばんは、お姉さん。今お話しても良いかしら?」
「!……事件の事なら私は何も知らない。背後から襲われたんだから話すことなんてないわ」
「へぇ、知らないの?本当に?」
「さっきそう言ったじゃない!」
「ふぅん。知らないなんて変ね。
事件の犯人は貴方なのに」
「!?」
私が指摘すると女は露骨に狼狽えた。
「な、何言ってるの?私は被害者よ!犯人なわけないじゃない!」
「あら、じゃあ何故夜に外出を?夜に出歩いた人間ばかり襲われているのに…貴方だって夜に襲われたはずよ。それとも貴方には学習能力がないのかしら」
「そ、それは…」
「貴方の背中にある傷、それもう治っているのでしょう?」
「なっ何を根拠にそんな事を!?」
「現場に残された血痕が他の現場に比べて少ない事、それから引っ掻き傷が小さかった事。それらの点から考えて、貴方は少なくとも重傷ではなかったはず。貴方自身の治癒能力が高いか、もしくは相手の殺傷能力が低かったか。その両方か。いずれにせよ、貴方は《軽傷》だった」
女は視線を彷徨わせ、動揺している。
「おそらく2番目の被害者の子どもを獣化させ、自分を襲わせた。被害者のフリをするためにね。以降同じように被害者を獣化させ、別の人間を襲わせる。それで環状の構図が出来上がっていた。違う?」
「……っ!!」
「でも、一つだけ分からなかった。
ねぇ、貴方の動機は何?」
これだけはどうしても分からなかった。獣化させて相手を襲わせる連鎖が何を意味するのか。果たして、意味なんてあるのか。
女は大きな声で答えた。
「人狼様を探すためよ!」
「人狼、サマ?」
人の姿をしているが、本来は狼で人間を襲うあの人狼の事だろうか?女は目の色を変えて、訳の分からない説明を始める。
「銀色に輝く美しい毛並み、雄々しい咆哮、力強い脚!!それが人狼様よ!!でもね、どいつもこいつも期待はずれの雑魚ばっかり。美しくもなければ雄々しさもない貧弱な狼だったわ!」
女の瞳には狂気が宿っていた。
「貴方はどんな狼になるかしらね!?」
「『狂信者の願望(The wish of religious fanatic)』!!」
まずい…と思った時にはもう遅く、ユニーク魔法をかけられていた。
「クソっ!!」
バキバキと骨が音を立てて、骨格が組み変わっていく。
気がついた時には巨大な狼の姿になっていた。
「素晴らしい!!人狼様じゃないけれど、フェンリルのような美しくも獰猛な姿!!」
女が狂ったように称賛の言葉を叫んでいる。
対する私は自我を保つので精一杯だ。気を抜いたら暴れ出しそうな巨躯を何とか押さえつける。尚も叫ぶ女の声がうるさい。
私の口から出る言葉は咆哮となり、周囲に響き渡る。
「アキラ…さん?」
「アキちゃんせんせー?」
「アキラ先生なのですか?」
『何で、何で貴方達がここにいるの?
外出禁止…って学園長の命令、でしょ?
はやく、寮に帰りなさい』
「……ちょうど良いわ!獲物が来たみたいよ。フェンリルさん」
女は獣化させた相手を自由に操れる様で、私の前足が勝手に動く。
『嫌だ。ヤダやだ!殺したくない!』
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《アズール視点》
アキラさんの前足を躱し、犯人の女を睨みつける。
「貴方が一連の事件の犯人ですね」
「…ということは、アキラ先生をそんな姿にしたのも貴方ですね?《獣化させて操るユニーク魔法》の類か。厄介ですね」
「ふぅん…でもさぁ〜あのメスを絞めればアキちゃんせんせーは元に戻るってことでしょ?じゃあ、サッサと絞めちゃおうよ!」
攻撃魔法を放つが女は避けるか、アキラさんを操って盾にした。
一向にこちらの攻撃は女に当たらない。
「あ゙?うっぜェー!アキちゃんせんせーを盾にすんなし!!」
「ダメですね。アキラ先生に当たってしまいます」
このままでは埒が明かない。どうしたらいい?攻撃の方法を考えている時だった。
突然アキラさんが唸り声を上げたかと思うと、術者である女の背中を前足で潰しにかかった。ボキボキという背骨が砕ける音と共に女の悲鳴が響き渡る。
しばらくして警察が駆けつけて来た。アキラさんは警察を見て大人しく前足を退け、女を解放した。僕達が警察に事情を説明し、犯人に魔法封じの手錠が掛けられると、アキラさんは徐々に狼の姿から人間の姿へ変わった。先程攻撃を受けた腕や足には痣や火傷痕があり、色白の肌が一部赤黒く変色していた。
手錠を着けられて尚、「私は犯人じゃない!被害者よ!犯人だと言うならば証拠を見せろ!」と叫ぶ女。警察も確たる証拠がある訳ではなかったようで、女の剣幕に狼狽えている。そんな状況下で凛とした声が響いた。
「証拠ならあるわ」
そう言うと、アキラさんは遠くに投げ出された自分の鞄からボイスレコーダーを取り出して再生した。ボイスレコーダーには犯行前の会話と先程までの内容が録音されていた。犯人の顔が真っ青に変わる。更にアキラさんは別の証拠も提出する。
「これは街にある防犯カメラの映像です。事件が起きた日、必ずその女は夜中に外出をしています。偶然にしては出来すぎていますよね?」
夜中に外出していただけでは事件との因果関係が成立しない。そのため、それだけでは証拠にはならない。そこで彼女は鞄から道端に備え付けられた小型カメラも警察に提出した。
「今日の映像はこちらのカメラに入っています。私が彼女に話しかけた時から今に至るまでの出来事はこちらを確認して頂ければ立証出来るかと」
にっこりと微笑むアキラさんとは対照的に、悪事を暴かれた犯人の女は顔面蒼白で俯いている。もはや言い逃れは出来ない状況に女は大人しく警察に連行されて行った。
こうして事件は人知れず解決され、街は徐々にいつもの賑やかさを取り戻した。
《ーー 余談 ーー》
警察により犯人が逮捕された後、事件の知らせを聞いた学園長と教員達が現場にやって来た。アズール、ジェイド、フロイドの三人は学園長の命令を破ったので厳重注意。海老原は単独で行動して生徒も巻き込んだ上、怪我を負ったので厳重注意と1日療養が言い渡された。
「海老原先生、私は散々言いましたよね?夜間の外出は絶対禁止だと。あと、貴方外出届け出していませんよね?」
「Bad girl!!単独行動は感心しないと言ったはずだぞ、仔犬」
「海老原先生、学園の生徒まで巻き込むのは教育者の立場として感心しませんな」
「ハハハ!!犯人に遅れをとるなんて筋肉が足りていない証拠だぞ!もっと筋肉を付けなければならんな!」
海老原は歩道の真ん中で正座し、四人の教育者からお叱りを受けている。教員側に俯き、しゅんとして見える彼女の態度……
しかし、その瞳は反省の色を全く宿していなかったのをアズール達は見逃さなかった。ああ、彼女はいずれまた無茶をするなとアズールは思った。