フェンリルは夢の中
【狡猾マーメイド】7話
主人公視点
監督生たちと形だけの和解をしてから約1週間後、現在私はアトランティカ記念博物館前にいる。博物館の写真を奪った事が学園長にバレて、戻してくる様に言われたせいだ。正直奪って来たのは監督生達なのだから彼らに戻して貰えばいいのだが、契約内容を決めたのはこちらなので仕方なく。そう。仕方なく今監督生達と一緒に博物館に来ている。それだけでも苛立っているのに、口の中に広がる苦味に更に機嫌は悪化する一方だ。
「海老原先生、具合悪いんですか?」
最初女性の姿に戻った私を見て困惑していた一年生達は、今は私の機嫌の悪さに萎縮している。私だって別に怖がらせるつもりはない。ただ、口に残る苦味に耐え切れないだけだ。甘いものが好きな私にはしんどい。出来ればもう二度と飲みたくない。自然と眉間に皺が寄る。
「どうやら人魚化薬が相当苦かった様でご機嫌斜めなんですよ」
私の目の前にある背中に恨めしい視線を投げかける。
私が飲んだ薬は水中呼吸薬ではなく、人間が人魚に姿を変える薬だ。
アズール君特製の薬はかなり苦くて、水中呼吸薬の苦味なんて比ではない。見た目ドブ、味は全ての語彙力総動員しても表現不可能なものだ。何でこんな物を飲まされなきゃいけないんだと言うと、自分達を抜きにして楽しい事を独り占めしたからだと言われた。理不尽である。まあ、そんな訳で今私は人魚の姿をしている。
「黒くて長い尾鰭に白いお腹…シャチですか?」
人魚化した私の種族はシャチだった。
学術的には「Orcinus orca(オルキヌス・オルカ)」
ラテン語で「冥界からの魔物」という意味がある。英語では「Killer Whale(鯨殺し)」と呼び、自分の体格以上ある鯨さえ食べることから名付けられている。水族館にいるシャチからは想像できないが、海の中にいるシャチは最強の捕食者だ。捕食者の中でも強い部類に入る鮫を食べる事もある。そんな恐ろしい存在だからか、先程から警備の人魚たちの顔が青ざめている。別に食べたりしないのに。
「ええ、オルカですね。高い知能と身体能力を誇る食物連鎖の頂点。群れで行動し、帰属意識が強くて仲間が傷つけられたら人間相手でも襲いかかる。報復心も持っている海の殺し屋」
どこか誇らし気にアズール君は自身の肩に頭を乗せている私の髪を撫でる。
5~6mはある長ったらしい尾鰭をアズール君に巻きつく様に背後から回す。長すぎて動きにくいったらない。この姿だと不用意に怖がらせてしまうので、目立たない様にアズール君の背後に隠れているのだが、如何せん尾鰭が長いせいで全然隠れられていない。
自然界なら被捕食者の立場なはずのアズール君は私の姿を見ても怯えることなくいつも通りに接してくれた。伊達に普段から捕食者のウツボを侍らせていない。
アズール君の説明に監督生達が「ヒェッ」と短い悲鳴を上げる。襲わないってば!!人間骨っぽいから美味しくなさそうだし…私にカニバリズムの習慣なんてない。
「ま、基本的には大人しいですよ。危害を加えない限り、無闇に人を襲ったりしません」
その言葉に安心したのか、彼らはようやく胸を撫で下ろした。
「ああ、別に脅すつもりはないんですけど、此処にくる前に僕の元同級生が三人、彼女の手によって海の藻屑になりました」
「え!?」
「彼女の泳ぎの練習のために僕達は先に来ていたんですが、道中で元同級生の人魚に遭いまして僕のことを悪く言ったんです。それでアキラさんがキレてしまって…一人は尾鰭で蹴り飛ばされて渦潮に飲み込まれ、一人は岩場に叩きつけられて頭から血を流し、一人は超音波で三半規管をやられていましたね」
何でもないことの様にさらりと告げられる先程の出来事。
一応我慢はしたのだ。それでも彼らの言動はあまりにも目に余るものだったのだ。半分くらいは八つ当たりも含まれていたけど…
「人聞きが悪いな。ちゃんと半殺しに留めたじゃない。これでも手加減したんだけど?慣れない姿で手加減するの大変なんだよ」
そう。殺してはいない。慣れない体を動かすのは難しく、うっかり殺しかけたことは認めるが死んではいない。もしかしたら、鮫に喰われているかもしれないけれど。自然界は弱肉強食だから仕方ないよね?先に喧嘩売って来たのは向こうだし、私は喧嘩を売られたら買う主義だ。むしろ、オルカ相手に命があるだけありがたいと思え。
「えぇ〜!見たかった〜アズールだけ狡い」
「本当ですよ。僕らがいない間にそんな愉快なことになっているなんて!仲間外れは悲しいです。シクシク」
そんな物騒な状況を見たいと思うのはリーチ兄弟くらいだ。
他の連中を見ろ。完全に怯えているじゃないか。
あと、水中だと涙見えないからって嘘泣きやめろ。
「ふふっ格好良かったですよ」
アズール君が幼子にするみたいに私の頭を撫でる。
そろそろ博物館に入ろうかと思っていた時だ。
前方から凄まじい勢いでこちらに突っ込んでくる影を捉えた。
本能的に目の前のアズール君を抱きしめて、海面の方へ泳いで回避した。ジェイド君とフロイド君、監督生たちも回避した様で怪我人はいない。
博物館の入り口に突っ込んで来たのは影ではなく、真っ黒な体を持つオルカ。成体と比べると小さい。2〜3mといった所か。おそらく子どものオルカだ。背鰭の部分を怪我している。
腕の中にいるアズール君が私にお礼を言う。それに「どういたしまして」と返して、状況を把握するため周りを見渡してみる。
警備の人魚達は本物のオルカに怯んで動けなくなってしまっていた。監督生たちに怪我はないが、彼らもまた突然現れたオルカに驚いている。
「アキラさん、エコロケーション使えますか?」
「やってみる」
エコロケーション。オルカが持つ特徴の一つ。イルカと同じ様にオルカも超音波を使うことが出来る。仲間とコミュニケーションを取ったり、障害物を感知したりするために使われる。この超音波を濃縮して敵に喰らわすことで三半規管を麻痺させて気絶させることも出来る。エコロケーションは人間で言う所の言語に似ている。
『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!』
オルカから話を聞き出した私はアズール君を地面に下ろし、首に付けていたトパーズのネックレスを外してアズール君の手に渡す。
「その子、群れからはぐれた所を襲われたみたい。敵意はないよ。怪我した所に回復魔法をかけられる?」
「ええ、出来ますが…」
「ジェイド君とフロイド君はアズール君の護衛お願いね」
「え、ちょっと待ってください!どちらへ行くつもりですか?」
ちょっとその子の親探してくる!とだけ伝えて、先程子どものオルカが泳いで来た方向へ向かう。後ろから制止の声がかかるが、事態は急を要するので止まるつもりはなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
距離にして大体500m~700mくらい先にソイツはいた。
「こんにちは、鮫さん。私と遊びませんか?」
お腹を空かせた巨大なホオジロザメ。
子どものオルカは群れとはぐれ、運悪くホオジロザメと出くわしてしまった。普段なら仲間のオルカが返り討ちにするので鮫は寄って来られない。でも、今回は仲間とはぐれた子どものオルカ1匹だけだった。必死で逃げた子どものオルカの後を血の臭いを頼りに泳いで来たのだろう。
「仮の姿とはいえ、同族に手を出されたら黙っていられないわね。覚悟はよろしいかしら?」
言ったでしょう?私売られた喧嘩は買う主義なの。
人間の状態で出食わしたら確実に死を覚悟するけれど、今の状態だと恐怖はない。ホオジロザメの最大時速はおよそ25km。対してオルカの最大時速は約60~70kmだ。体格はあまり変わらないのに、泳ぐスピードは雲泥の差。
人魚化に伴い伸びた爪で鮫のお腹を切り裂き、超音波を駆使して相手を翻弄する。十数分後には気絶した鮫の姿がそこにあった。
「意外に呆気なく終わったな」
一人呟いていると、自分の後方から声が聞こえた。
“声”というか超音波によるものだ。エコロケーションには方言みたいなものがあって、群れによって使う言語が多少異なっている。遠くから聞こえるこの声は先程の子どもオルカと同じイントネーションなので、あの子の親たちなのだろう。
取り敢えず、目の前で伸びている鮫をオルカの群れの方に蹴り上げ、「君たちの仲間はこっちにいるよ」と伝える。程なくして姿を現したオルカ達は鮫を美味しそうに食べていた。
1匹のオルカがこちらに泳いでくる。多分あのオルカの親だろう。私はそのオルカを道案内するかの様に先を泳ぎ、アトランティカ記念博物館まで連れて行った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
《ーー アトランティカ記念博物館 ーー》
大人のオルカと一緒に戻ると警備の人魚達から悲鳴が上がった。距離があったとはいえ、巨大な鮫を殺した人魚とそれを食べたオルカが来たらそりゃあ怖いだろうなと他人事の様に考える。
親オルカの方に敵対意識はなく、子どものオルカはアズール君のお腹に頭を擦り寄せお礼を言っている。しばらくしてこちらに泳いで来た子どものオルカは私にもお礼を言うと母親と共に群れの方に泳いで行った。
博物館近くの塀の上辺りでオルカの親子が泳いで行くのを見守る。
このまま戻っても周りを怖がらせるだけだし、私が近くにいることでアズール君達が悪く言われるのは嫌だな。薬が切れるまで後1時間くらいか。効果が切れるまでどこか適当に泳いで来ようと思い、尾鰭に力を入れようとした。
「はぁ!?」
尾鰭に何かが絡まり、絞め付けられる。
突然の痛みに驚いて尾鰭を見ると見覚えのある翡翠色の尾鰭が絡まっているのが見えた。
「アキちゃんせんせーどこ行くの?」
「おやおや、そんなに慌ててどちらに行かれるのですか?」
「……ちょっとそこら辺泳いで来ようかなって。離してくれない?」
「ん〜?やだ」/「嫌ですね」
どうやら逃してはくれないらしい。
そのまま強制的にアズール君の所まで連れて行かれる。
骨格の関係で正座はできないので、私は地面にうつ伏せ状態で背中にリーチ兄弟がのしかかっている。重い。
「お帰りなさい、アキラさん」
笑顔なのに目が笑っていないアズール君が目の前に立つ。
完全に怒っている。あーまずい。お説教モードだ。
頭上でガミガミと怒っているアズール君を見上げる。
双子は早々に飽きたらしく、私の背中で寛ぎ始めた。いや、どいて?
「聞いているんですか!?」
「はい。聞いてます。すみません」
額に手を当て、盛大なため息を吐かれた。
アズール君が蹲み込んで、私と目線を合わせる。
首にブルートパーズのネックレスを着けてくれた。
「貴方の帰る場所は僕らの所なんですからね!勝手にどこかに行くなんて許しませんよ。分かりましたか?」
「はい」
まるで犬に首輪を着けて命令するかの様に言ってのける。
北欧神話の化物フェンリルも食物連鎖の頂点のオルカさえも番犬扱いとは恐れ入る。
アズール君は怪我の有無を確認すると私の手を引いて博物館へと足を踏み入れる。
「ふふふ、怒られてしまいましたね。アキラ先生」
「鮫と戦ってる時、アズールちょー心配してたもんね〜」
「えーそうなの?見たかったな」
自分的には十分勝算がある勝負だったのだが、彼にはかなり心配をかけた様だ。先程から照れ隠しなのか眼鏡のブリッジをカチャカチャと押し上げている。
「それにしてもアズールは捕食者に好かれますね。ウツボの次はオルカですか。海のギャング揃い踏みですね」
オルカは冥府の魔物、海のギャング・ハンター・殺し屋、鯨殺しなど様々なあだ名を持つ。総じて言えるのは、どれも物騒ということだ。全然嬉しくない。字面だけならフェンリルの方が可愛い。
「あはっアズールその内ペロッと食われちゃうんじゃない?」
「なっ!そんな訳ないでしょう!返り討ちにしてやりますよ!!」
ギャーギャー騒ぎながら館内を見て回る。
写真を戻すのが目的なのだが、完全に遠足気分になっている様だ。リーチ兄弟はトラッポラとスペードたちと一緒に先に行ってしまった。
「昔の写真を全て消去すれば、僕がグズでノロマなタコ野郎と馬鹿にされていた過去も消えるような気がしていたんです」
アズール君は静かに語り出した。
海の魔女のようになりたいと言いながら、結局過去の自分を認められず、否定し続けていただけだったと。
「他人から能力を奪わなくても貴方は充分凄いです。努力は魔法より習得が難しい」
監督生はそう言った。
契約書を砂にする計画を立てた奴に言われると何だか複雑な気持ちになる。私の動きを察してか、アズール君が掴んだままの私の手に力を込めた。今はその時ではないと言いたいのだろう。
『ふふ、今は大人しくしておくわ。でも、もし報復を望むならその時は鮫の餌にしてあげるわね』
『期待していますよ、アキラさん』
人魚の言葉を理解出来ていない監督生はキョトンと不思議そうな顔で首を傾げていた。
主人公視点
監督生たちと形だけの和解をしてから約1週間後、現在私はアトランティカ記念博物館前にいる。博物館の写真を奪った事が学園長にバレて、戻してくる様に言われたせいだ。正直奪って来たのは監督生達なのだから彼らに戻して貰えばいいのだが、契約内容を決めたのはこちらなので仕方なく。そう。仕方なく今監督生達と一緒に博物館に来ている。それだけでも苛立っているのに、口の中に広がる苦味に更に機嫌は悪化する一方だ。
「海老原先生、具合悪いんですか?」
最初女性の姿に戻った私を見て困惑していた一年生達は、今は私の機嫌の悪さに萎縮している。私だって別に怖がらせるつもりはない。ただ、口に残る苦味に耐え切れないだけだ。甘いものが好きな私にはしんどい。出来ればもう二度と飲みたくない。自然と眉間に皺が寄る。
「どうやら人魚化薬が相当苦かった様でご機嫌斜めなんですよ」
私の目の前にある背中に恨めしい視線を投げかける。
私が飲んだ薬は水中呼吸薬ではなく、人間が人魚に姿を変える薬だ。
アズール君特製の薬はかなり苦くて、水中呼吸薬の苦味なんて比ではない。見た目ドブ、味は全ての語彙力総動員しても表現不可能なものだ。何でこんな物を飲まされなきゃいけないんだと言うと、自分達を抜きにして楽しい事を独り占めしたからだと言われた。理不尽である。まあ、そんな訳で今私は人魚の姿をしている。
「黒くて長い尾鰭に白いお腹…シャチですか?」
人魚化した私の種族はシャチだった。
学術的には「Orcinus orca(オルキヌス・オルカ)」
ラテン語で「冥界からの魔物」という意味がある。英語では「Killer Whale(鯨殺し)」と呼び、自分の体格以上ある鯨さえ食べることから名付けられている。水族館にいるシャチからは想像できないが、海の中にいるシャチは最強の捕食者だ。捕食者の中でも強い部類に入る鮫を食べる事もある。そんな恐ろしい存在だからか、先程から警備の人魚たちの顔が青ざめている。別に食べたりしないのに。
「ええ、オルカですね。高い知能と身体能力を誇る食物連鎖の頂点。群れで行動し、帰属意識が強くて仲間が傷つけられたら人間相手でも襲いかかる。報復心も持っている海の殺し屋」
どこか誇らし気にアズール君は自身の肩に頭を乗せている私の髪を撫でる。
5~6mはある長ったらしい尾鰭をアズール君に巻きつく様に背後から回す。長すぎて動きにくいったらない。この姿だと不用意に怖がらせてしまうので、目立たない様にアズール君の背後に隠れているのだが、如何せん尾鰭が長いせいで全然隠れられていない。
自然界なら被捕食者の立場なはずのアズール君は私の姿を見ても怯えることなくいつも通りに接してくれた。伊達に普段から捕食者のウツボを侍らせていない。
アズール君の説明に監督生達が「ヒェッ」と短い悲鳴を上げる。襲わないってば!!人間骨っぽいから美味しくなさそうだし…私にカニバリズムの習慣なんてない。
「ま、基本的には大人しいですよ。危害を加えない限り、無闇に人を襲ったりしません」
その言葉に安心したのか、彼らはようやく胸を撫で下ろした。
「ああ、別に脅すつもりはないんですけど、此処にくる前に僕の元同級生が三人、彼女の手によって海の藻屑になりました」
「え!?」
「彼女の泳ぎの練習のために僕達は先に来ていたんですが、道中で元同級生の人魚に遭いまして僕のことを悪く言ったんです。それでアキラさんがキレてしまって…一人は尾鰭で蹴り飛ばされて渦潮に飲み込まれ、一人は岩場に叩きつけられて頭から血を流し、一人は超音波で三半規管をやられていましたね」
何でもないことの様にさらりと告げられる先程の出来事。
一応我慢はしたのだ。それでも彼らの言動はあまりにも目に余るものだったのだ。半分くらいは八つ当たりも含まれていたけど…
「人聞きが悪いな。ちゃんと半殺しに留めたじゃない。これでも手加減したんだけど?慣れない姿で手加減するの大変なんだよ」
そう。殺してはいない。慣れない体を動かすのは難しく、うっかり殺しかけたことは認めるが死んではいない。もしかしたら、鮫に喰われているかもしれないけれど。自然界は弱肉強食だから仕方ないよね?先に喧嘩売って来たのは向こうだし、私は喧嘩を売られたら買う主義だ。むしろ、オルカ相手に命があるだけありがたいと思え。
「えぇ〜!見たかった〜アズールだけ狡い」
「本当ですよ。僕らがいない間にそんな愉快なことになっているなんて!仲間外れは悲しいです。シクシク」
そんな物騒な状況を見たいと思うのはリーチ兄弟くらいだ。
他の連中を見ろ。完全に怯えているじゃないか。
あと、水中だと涙見えないからって嘘泣きやめろ。
「ふふっ格好良かったですよ」
アズール君が幼子にするみたいに私の頭を撫でる。
そろそろ博物館に入ろうかと思っていた時だ。
前方から凄まじい勢いでこちらに突っ込んでくる影を捉えた。
本能的に目の前のアズール君を抱きしめて、海面の方へ泳いで回避した。ジェイド君とフロイド君、監督生たちも回避した様で怪我人はいない。
博物館の入り口に突っ込んで来たのは影ではなく、真っ黒な体を持つオルカ。成体と比べると小さい。2〜3mといった所か。おそらく子どものオルカだ。背鰭の部分を怪我している。
腕の中にいるアズール君が私にお礼を言う。それに「どういたしまして」と返して、状況を把握するため周りを見渡してみる。
警備の人魚達は本物のオルカに怯んで動けなくなってしまっていた。監督生たちに怪我はないが、彼らもまた突然現れたオルカに驚いている。
「アキラさん、エコロケーション使えますか?」
「やってみる」
エコロケーション。オルカが持つ特徴の一つ。イルカと同じ様にオルカも超音波を使うことが出来る。仲間とコミュニケーションを取ったり、障害物を感知したりするために使われる。この超音波を濃縮して敵に喰らわすことで三半規管を麻痺させて気絶させることも出来る。エコロケーションは人間で言う所の言語に似ている。
『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!』
オルカから話を聞き出した私はアズール君を地面に下ろし、首に付けていたトパーズのネックレスを外してアズール君の手に渡す。
「その子、群れからはぐれた所を襲われたみたい。敵意はないよ。怪我した所に回復魔法をかけられる?」
「ええ、出来ますが…」
「ジェイド君とフロイド君はアズール君の護衛お願いね」
「え、ちょっと待ってください!どちらへ行くつもりですか?」
ちょっとその子の親探してくる!とだけ伝えて、先程子どものオルカが泳いで来た方向へ向かう。後ろから制止の声がかかるが、事態は急を要するので止まるつもりはなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
距離にして大体500m~700mくらい先にソイツはいた。
「こんにちは、鮫さん。私と遊びませんか?」
お腹を空かせた巨大なホオジロザメ。
子どものオルカは群れとはぐれ、運悪くホオジロザメと出くわしてしまった。普段なら仲間のオルカが返り討ちにするので鮫は寄って来られない。でも、今回は仲間とはぐれた子どものオルカ1匹だけだった。必死で逃げた子どものオルカの後を血の臭いを頼りに泳いで来たのだろう。
「仮の姿とはいえ、同族に手を出されたら黙っていられないわね。覚悟はよろしいかしら?」
言ったでしょう?私売られた喧嘩は買う主義なの。
人間の状態で出食わしたら確実に死を覚悟するけれど、今の状態だと恐怖はない。ホオジロザメの最大時速はおよそ25km。対してオルカの最大時速は約60~70kmだ。体格はあまり変わらないのに、泳ぐスピードは雲泥の差。
人魚化に伴い伸びた爪で鮫のお腹を切り裂き、超音波を駆使して相手を翻弄する。十数分後には気絶した鮫の姿がそこにあった。
「意外に呆気なく終わったな」
一人呟いていると、自分の後方から声が聞こえた。
“声”というか超音波によるものだ。エコロケーションには方言みたいなものがあって、群れによって使う言語が多少異なっている。遠くから聞こえるこの声は先程の子どもオルカと同じイントネーションなので、あの子の親たちなのだろう。
取り敢えず、目の前で伸びている鮫をオルカの群れの方に蹴り上げ、「君たちの仲間はこっちにいるよ」と伝える。程なくして姿を現したオルカ達は鮫を美味しそうに食べていた。
1匹のオルカがこちらに泳いでくる。多分あのオルカの親だろう。私はそのオルカを道案内するかの様に先を泳ぎ、アトランティカ記念博物館まで連れて行った。
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《ーー アトランティカ記念博物館 ーー》
大人のオルカと一緒に戻ると警備の人魚達から悲鳴が上がった。距離があったとはいえ、巨大な鮫を殺した人魚とそれを食べたオルカが来たらそりゃあ怖いだろうなと他人事の様に考える。
親オルカの方に敵対意識はなく、子どものオルカはアズール君のお腹に頭を擦り寄せお礼を言っている。しばらくしてこちらに泳いで来た子どものオルカは私にもお礼を言うと母親と共に群れの方に泳いで行った。
博物館近くの塀の上辺りでオルカの親子が泳いで行くのを見守る。
このまま戻っても周りを怖がらせるだけだし、私が近くにいることでアズール君達が悪く言われるのは嫌だな。薬が切れるまで後1時間くらいか。効果が切れるまでどこか適当に泳いで来ようと思い、尾鰭に力を入れようとした。
「はぁ!?」
尾鰭に何かが絡まり、絞め付けられる。
突然の痛みに驚いて尾鰭を見ると見覚えのある翡翠色の尾鰭が絡まっているのが見えた。
「アキちゃんせんせーどこ行くの?」
「おやおや、そんなに慌ててどちらに行かれるのですか?」
「……ちょっとそこら辺泳いで来ようかなって。離してくれない?」
「ん〜?やだ」/「嫌ですね」
どうやら逃してはくれないらしい。
そのまま強制的にアズール君の所まで連れて行かれる。
骨格の関係で正座はできないので、私は地面にうつ伏せ状態で背中にリーチ兄弟がのしかかっている。重い。
「お帰りなさい、アキラさん」
笑顔なのに目が笑っていないアズール君が目の前に立つ。
完全に怒っている。あーまずい。お説教モードだ。
頭上でガミガミと怒っているアズール君を見上げる。
双子は早々に飽きたらしく、私の背中で寛ぎ始めた。いや、どいて?
「聞いているんですか!?」
「はい。聞いてます。すみません」
額に手を当て、盛大なため息を吐かれた。
アズール君が蹲み込んで、私と目線を合わせる。
首にブルートパーズのネックレスを着けてくれた。
「貴方の帰る場所は僕らの所なんですからね!勝手にどこかに行くなんて許しませんよ。分かりましたか?」
「はい」
まるで犬に首輪を着けて命令するかの様に言ってのける。
北欧神話の化物フェンリルも食物連鎖の頂点のオルカさえも番犬扱いとは恐れ入る。
アズール君は怪我の有無を確認すると私の手を引いて博物館へと足を踏み入れる。
「ふふふ、怒られてしまいましたね。アキラ先生」
「鮫と戦ってる時、アズールちょー心配してたもんね〜」
「えーそうなの?見たかったな」
自分的には十分勝算がある勝負だったのだが、彼にはかなり心配をかけた様だ。先程から照れ隠しなのか眼鏡のブリッジをカチャカチャと押し上げている。
「それにしてもアズールは捕食者に好かれますね。ウツボの次はオルカですか。海のギャング揃い踏みですね」
オルカは冥府の魔物、海のギャング・ハンター・殺し屋、鯨殺しなど様々なあだ名を持つ。総じて言えるのは、どれも物騒ということだ。全然嬉しくない。字面だけならフェンリルの方が可愛い。
「あはっアズールその内ペロッと食われちゃうんじゃない?」
「なっ!そんな訳ないでしょう!返り討ちにしてやりますよ!!」
ギャーギャー騒ぎながら館内を見て回る。
写真を戻すのが目的なのだが、完全に遠足気分になっている様だ。リーチ兄弟はトラッポラとスペードたちと一緒に先に行ってしまった。
「昔の写真を全て消去すれば、僕がグズでノロマなタコ野郎と馬鹿にされていた過去も消えるような気がしていたんです」
アズール君は静かに語り出した。
海の魔女のようになりたいと言いながら、結局過去の自分を認められず、否定し続けていただけだったと。
「他人から能力を奪わなくても貴方は充分凄いです。努力は魔法より習得が難しい」
監督生はそう言った。
契約書を砂にする計画を立てた奴に言われると何だか複雑な気持ちになる。私の動きを察してか、アズール君が掴んだままの私の手に力を込めた。今はその時ではないと言いたいのだろう。
『ふふ、今は大人しくしておくわ。でも、もし報復を望むならその時は鮫の餌にしてあげるわね』
『期待していますよ、アキラさん』
人魚の言葉を理解出来ていない監督生はキョトンと不思議そうな顔で首を傾げていた。