Wi-Fi
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
金曜日、時刻は23時を過ぎたところ。一週間の仕事を終えて、入浴を済ませたところで洋一から着信が入る。彼も“仕事”を終えたところなのだろう。私は部屋の明かりを少し落とし、ビデオ通話を始める。二人掛けのソファに腰を下ろして、手近にあった飲みかけのカップにスマホを立てかける。
「洋一、今日もお疲れ様。9回のファインプレーすごかったね」
『サンキュ。ヒットはなかったけど出塁できたし・・・盗塁したとこ、見てたか?』
スマホの画面越しの洋一は、照れくさそうに視線を外しながら「自分の活躍を見てくれていたか」と問うてくる。
「うん、もちろん。完璧なスタートだったね」
『おう。初めてのエスコンだったけど、すっげー良い球場だったぜ』
「そうなんだ。温泉もあるんでしょ。行ってみたいな」
今週はすべてビジター試合で、火曜から日曜日のデイゲームが終わるまで洋一は遠征に出ている。昨日までは福岡で3試合、さらに飛行機で北海道へ移動して3試合。慣れないホテル宿泊をしつつ、全力プレーをするのは身体に堪えるのだろう。『ビジター側は温泉じゃねーんだよ。ま、風呂は広くて良いけどさ』洋一は大欠伸をする。
「洋一、ちゃんと寝られてる?」
『ん、まあまあ』
曖昧に笑う洋一に、きっと普段通りには眠れていないのだろうと察する。
洋一は5月の一軍登録以降、交流戦、そして現在の7月に至るまで出場機会に恵まれていた。日中に試合があった二軍での生活に対し、一軍では連日の遠征に加えて平日のナイター、週末のデイゲームと生活リズムが大きく異なる。
「ホテルのベッド、どんな感じ?」
『まあ、悪くはねーよ。でもいつもの枕の方がよく眠れる』
二回目の大欠伸。『相部屋じゃないだけマシだな』瞼を擦りながら洋一はニヘ、と笑う。お風呂上がりの無造作な髪型は、普段のヘアセットされた洋一に比べて幼く見える。
「ふふ、枕を持ち歩くのもありじゃないかな」
『それいいな。嵩張るけどよく眠れた方がいいや』
洋一はスマホを手に持ったままベッドに横になる。背後の白いシーツが洋一の頭に合わせて皺を寄せる。
「なんか、この目線って変な感じ」
私のスマホに映る洋一はベッドに横になっていて、私がそれを上から覗いているようで、なんだか――
『俺のこと、押し倒してるみたいって?』
「ちょ、そんなんじゃ」
私の言いたいことを先回りされる。洋一はしたり顔だ。
『凪も大胆なこと言うんだな』
「もう、言ってはいないじゃん」
『でもそう思っただろ?』
「・・・そうだけど」
私は少し拗ねて、わざとらしく頬を膨らませてみる。洋一は吹き出すように笑うと、また大きな欠伸をする。三回目の大欠伸だ。
「洋一、今日はもう寝よう。明日はデイゲームで早いでしょ」
『おう、そうするわ。凪も仕事お疲れさん』
「ありがとう。明日も応援してるね。試合見てるから」
『凪が見てると思うと頑張れるぜ。おやすみ』
「うん、おやすみ」
*
翌日の土曜日、私は仕事用のパソコンを携えて近所のカフェを訪れていた。試合開始の13時、注文したコーヒーを飲みながらスマホにイヤホンを繋げ、いつものサブスクアプリを開く。開始したばかりの野球中継は両チームのスタメン発表が済んだところだ。
1回の表、最初のバッターは洋一だ。今日の試合も1番バッター、守備位置はショートでの出場だ。まさかプロになってからも「1番ショート倉持」が見られるだなんて。
左打席に立つ洋一と、自分の薬指にはまる指輪を交互に見る。このカフェにいる誰も、洋一と私が婚約者だなんて思ってもみないんだろうなと僅かばかりの優越感。
一軍初出場の試合でお立ち台へ登壇、ヒーローインタビュー中のプロポーズはネットニュースにはなったものの、プロ野球選手としての知名度がそこまで高くなかったことから世間を賑わすほどの話題にはなっていない。一部のプロ野球ファンの間ではそこそこ沸いたみたいだけれど。
カウント2-2、追い込まれた洋一は外の球を引っ掛けて内野ゴロ。私は洋一の打席を見終えると、持ってきた仕事用パソコンを開いた。
試合が中盤に差し掛かるころ、自分の仕事の目途もついてくる。コーヒー一つで長居するのも気まずいからと追加注文したケーキを口に運ぶ。集中力も切れてきた。続きは家でやろうと私はパソコンを閉じた。
*
「今日は負けちゃったか」
試合結果0-2。両チーム無得点の緊張感ある試合だったものの、8回まで好調な投球を見せていた先発投手が2ランホームランを浴び、結局これが決勝点となった。洋一は打席ではヒットはなかったものの堅実な守備を見せていた。
「洋一、今ごろ何してるかな」
夜にはきっと彼からまた電話がかかってくるだろうから、それまでに夕食と風呂を済ませておこう。今週は仕事漬けで疲れたせいか、洋一がいつもよりさらに恋しく感じる。今夜のテレビ電話では、彼に「会いたい」と伝えようと決めて、夕飯の買い物に出掛けた。
*
『凪、お疲れ。電話いけるか?』
「うん、大丈夫だよ」
早めの入浴を終えて一息ついていたところ、洋一から着信がある。いつも通りテレビ電話に切り替えると、今日もまた飲みかけのカップにスマホを立てかける。
『今日はいいところなかった。ダセー』
「そんなことないよ、しっかり守れてたじゃん」
はあと大袈裟に溜息をつく洋一を慰める。『野手は打てなきゃ意味ねーんだよ』と悔しそうな表情。あれ、なんだか今日は声がやけにエコーするな。
「洋一、今って部屋?」
『あ?なにもっかい言って』
外から電話を掛けてきているのかと洋一の背景を見るが、昨日と同じホテルの部屋である。
「ううん、何でもない」
『凪は今日なにしてた?』
「今日はね、やり残しの仕事をしていたよ」
『ん?よく、聞こえね・・・』
画面の中の洋一がフリーズする。声にかかる不自然なエコーに通信環境が悪いのだと察する。
「大丈夫?聞こえてる?」
『・・・凪、聞こえて、か』
洋一からの音声は途切れ途切れだ。きっと私からの音声も同じ状況だろう。
『くそ、凪・・・半目だ』
ちょっと、洋一の画面に映る私が半目でフリーズしているってこと?勘弁してよ。
その後も通信環境の改善を待って粘ったが、音声は途切れがちなままだし、映像はカクカクして、このままでは会話は要領を得ない。
『・・・見えねえ・・・聞こえづらい・・・』
不安定な音声からでも洋一の苛立ちが伝わってくる。
「洋一、また今度でいいから、今日は休んで」
本当は、休日にまで作業を要するほど仕事が山積していることを少しでも話したかった。「凪も頑張ってるよな」と慰めてもらいたかったけれど、このまま不安定な通話を続けていても仕方がない。慣れない環境で頑張っている洋一には休んでもらった方が適当だろう。
『でも、さっき、しごと、て・・』
それでも私の言葉を引き出そうとしてくれる洋一だったが、不安定な通話にさすがに嫌気がさしたようだ。途切れがちな音声で私が聞き取れたのは『悪ぃ。明日早いからまた今度な』。私が返事をする間もなく通話は切られてしまった。
寂しさを抑え込んで下唇を噛む。今日はタイミングが悪かったのだから仕方がない。
「洋一、早く会いたいよ」
通話中に伝えたかった言葉は、私一人の部屋に虚しく響いた。ベッドに置かれた洋一の枕を抱きしめる。私が誰よりも洋一を応援しているのだから、今は我慢しよう。
**
「はい、すみません・・・」
仕事でのミスは今週で3つ目。私が作成した契約書に間違いがあった。相手方へ渡る前に上長のチェックでミスが発覚し、大事に至ることはなかった。
「ダブルチェックが基本だからよかったけど、今週はミスが多いぞ」
「すみません」
主任からの叱責に私は平謝りしかできない。
「大森、最近休めてるか?」
「実は、土日も仕事をしておりまして」
嘘をついても仕方がないと、信頼のおける主任には素直に話すことにしている。主任は呆れたように溜息をついて「家で仕事するときも、ちゃんと出勤申請するように」。
「あ、もしかして大森」
「はい?」
主任は思い出したように手を叩くと、私にしか聞こえない声で冗談交じりに口を開く。
「倉持選手、最近は遠征続きだったな」
「・・・えっと」
「なるほどな。気持ちはわかるが、仕事中は集中しろよ」
立ち上がった主任は「何か飲むか、ご馳走してやるから好きなの選べ」とオフィスから出て、廊下にある自動販売機へと向かった。私はそれに続いて廊下に出る。
「ありがとう、ございます。ココアをお願いします」
「お、珍しいな」
ガコン、ココアの缶が取り出し口へ落下してくる。続いて主任はミルクコーヒーのボタンを押して、私のココアの缶と一緒に取り出す。
「すみません、仕事、頑張りますので」
主任に頭を下げると、私は自分のデスクへ戻る。洋一にしばらく会えていないからと、連絡が少し疎遠になっているからと、それを仕事に影響させるべきではない。頭でわかってはいたができていなかった。主任はそれを見透かしていたようだった。
缶のプルタブを押し上げて、ココアを口に含む。甘い。普段はあまり甘いものは飲まないのだが、きっと洋一だったら選ぶのは
今日の試合、洋一は出場するだろうか。私はスマホを手に取り、「私も仕事頑張っているよ。怪我しないようにね」と短いメッセージを洋一に送った。ここ最近は洋一からの返信がないことも増えた。でも、洋一がプロで夢を叶えているのだから、連絡がないくらいでわがままなんて言えない。
もう一口、ココアを口に流す。やっぱり甘い。彼がココアを美味しそうに飲んで一息つく姿を想像しながら、私は仕事に向かった。
1/2ページ