ちょっとした手心
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電話越しの彼女は弱々しくすすり泣く。会いたい、今すぐ俺に会いたいのだと。
消灯時間も差し迫る夜、チームメイトに見つからないように寮の隅で電話をし始めて、もう40分が経過する。スマホを持つ右腕がそろそろ根を上げてきて、イヤホンを繋げてから通話をし始めればよかったと後悔する。すすり泣く彼女にもう何度目かの慰めを口にする。
「ごめんな、俺も会いたいのは同じだから」
こんなクサイ台詞を誰かに聞かれでもしたら、しばらく笑いのネタにされそうだ。
キツい練習のあと、やっとの思いでどんぶりメシを腹に押し込み、風呂を上がったところ。彼女は今すぐにでも会いたいと言うが、正直、俺は今すぐにでも布団に入りたい。
それでも、俺を思ってすすり泣く彼女は健気で堪らないし、こうやって求められて男として嬉しくないわけがない。
「洋くんもあたしと同じ気持ち?」
「ああ、同じ気持ちだよ」
「それなら、今から会いに来てくれる?」
――あたしのことが好きなら、それを証明してほしい。彼女は震える声でそう言った。
**
「つーわけなんだよ」
昼休み、コンビニおにぎりに囓りつく私に「聞いてくれよ」と始まった倉持の惚気。中庭にあるベンチ、左側に私、人一人分の間を開けて右側に倉持が座る。
聞くところによると、地元においてきた彼女が弱音を吐いてきたのだという。「俺は野球に集中したいのに、あんまわかってくれてねーんだよな」そうやって愚痴を吐く倉持は、半分はやっぱり惚気のような口ぶりだ。
「で、結局どうしたいの」
私がいい女だったら、「そうなの、大変ね」と共感してあげられたのかもしれない。でも今の私は嫉妬の業火に燃えていて、聞きたくもない話を聞かされて辟易としている。「彼女に理解してもらえるように、しっかり話し合ったらどうかしら」そんな言葉は1ミリたりとも出てきやしない。
「どうしたいも何もねーよ」
「ふーん」
もう一度おにぎりに齧り付くと、ようやく主役が出てくる。やっぱりコンビニおにぎりはシーチキンマヨ一択だ。
「ふーんって、お前冷たいのな」
胸が痛む。女は共感の生き物とはいうが、それは自分に心の余裕があるときに限ってできることだ。言ってしまえば、自分が幸せなときに相手の不幸話を聞くから「そうなの、大変ね」と言ってやれるのだ。
自分の好きな男の惚気話なんか聞かされて、改善策を提案できるほど私はできた人間じゃない。自分を傷つけてまで共感なんかしてやるもんか。
「それで、会いに行ってあげたの?」
これが私の精一杯の返答。倉持はまさかといった顔で鼻を鳴らした。
「行けるわけねーだろ。俺のこと試そうとしてんだよ」
そこまでわかっているのなら、どうして未だにそのカノジョを選び続けているんだ。私だったら倉持を試すようなことは言わないし、練習で疲れているときに長電話なんかしない。野球をするために青道に入学した倉持の邪魔になるようなことなんて――、
「私だったら・・・」
思わず口から付いて出てくる言葉を飲み込む。倉持はそれには気がつかなかったようで、溜息混じりに続けた。
「なあ、大森だったらどうする?」
結局のところ、倉持にとって私という存在が"どんな話を聞かせても無害な相手"だから、くだらない痴話喧嘩の報告をしてくるのだ。こうやって意見を求めてくるのだって、私がいつも当たり障りない返答をして慰めてしまうからだ。でも本当は、私は倉持にとって“無害な相手”なんかじゃない。この痴話喧嘩における立派なステークホルダーなのだ。
「倉持はさ、野球をするために青道に来たんだよ」
普段の私には珍しく、ぴしゃりと言いつけるように口を開く。倉持の肩が小さく跳ねた。
「そのために、何が必要なのか考えた方がいいと思う」
これは諸刃の剣だ。何が必要なのか、それは今のカノジョのことなのか、それとも “彼女”という存在自体のことなのか。後者で捉えられてしまったら、もう私の出る幕もなくなってしまう。
ただ、腹が立つのだ。倉持の近くにいるのは私なのに、無害な相談役に徹するなんて。私だってあなたに大好きですと伝えたいのに。私の方がカノジョよりも倉持にとってのいい女になれるはずなのに。
「・・・ごめん、言い過ぎた」
私は堪らずベンチから立ち上がる。コンビニのレジ袋にはこれから食べるおにぎりがもう一個あるけれど、嫉妬にまみれたこの感情のまま倉持の隣に座り続けるのは我ながらいたたまれない。
「いや、大森の言うとおりだ・・・」
思い詰めた、そんな表情をしないで欲しい。責めたかったわけではないのに。自分の苛立ちに任せて、歯に衣着せぬ言葉を吐いたのは倉持の優しさに甘えているからだ。
「次の授業の準備あるから、先に行くね」
苦し紛れの言い訳をして、逃げるようにこの場をあとにする。当然ながら、倉持は私のあとを追ってはこない。中庭を小走りしながら、涙がこぼれないように歯を食いしばった。
*
「というわけなんだよ、御幸くん」
御幸は大欠伸をしながら、私の話に「ふーん」と一言。
「で、大森は結局どうしたいの」
それは昨日、私が倉持に投げかけた言葉と同じ。「結局どうしたいの」自分がその言葉を掛けられるのは案外にキツい。自分の発した言葉の鋭さを今さら実感する。
「素直に話しても引きませんか」
「とりあえず話してごらんよ」
飄々と私に話を促す御幸は、何でもござれの風体だ。
「早く別れて欲しい」
「おお、直球だな」
「つーか、倉持に地元に残した彼女がいたなんてな」
「正しくは、上京してから告白されたんだって。押しに負けたらしいよ」
「詳しいね」
「うん、ぜんぶ聞かされてるからね」
「うわー残酷」
私の気持ちを承知している御幸は、同情と少しばかりの嘲笑も織り交ぜた表情で口角を上げた。
申し訳ない、せっかくの昼休みにこんな話を聞かせてしまって。倉持に対して、痴話喧嘩なんか聞かせるなと苛立っておいて、彼が日直で職員室へ呼ばれているのをいいことに御幸を捕まえては同じように相談をしているだなんて同じ穴の
「私の方がカノジョよりいい女なはず」
「自分で言うかよ、顔も知らない相手に」
「女は顔じゃないよ」
「だって、私だったら倉持に無理はさせないのに」
自分で言っておいて、たぶんそれは私の中での勝手な理想像なんだと気がつく。むしろ、素直に「会いたい」とすすり泣ける女の方が、異性の庇護欲を掻き立たせられる“イイ女”なんじゃないだろうか。事実、倉持はすすり泣くカノジョに嫌な気はしなかったらしい。あれ、もしかして私、戦う前から敗北している?
「急に考えこむなよ」
「ごめん、なんか泣けてきた」
今日のコンビニおにぎりもシーチキンマヨだ。どんなに悲しくて、泣きたいときでもお腹は空くものだ。御幸は寮母さんお手製のメガ盛り丼を口に運ぶ。
「こんなとこで泣くなよな」
「うん、泣くなら倉持の前で泣いてやる」
「かわいくねえ」
「・・・ごめん」
「そこはうるさいって返せよ」
おにぎりの包装を開けようと、ビニールを引っ張る。心が捻くれているからだろうか、容易に開けられる設計にも関わらず包装の中に海苔が取り残されてしまう。間抜けな姿のおにぎりを惨めな気持ちで頬張る。
「お、御幸に大森ここにいたか」
聞き慣れた声に、私も御幸も驚いて顔を上げる。「こんなときに!」そう思ったのは、きっと私だけではないはず。
職員室での用事を済ませてきた倉持が、御幸と同じメガ盛り丼を手にこちらへやってくる。昨日の今日で倉持と顔を合わせるのは気まずいのだが、当人はそこまで気にしていないようだ。
私と御幸が座るベンチにはちょうど人一人分が座るスペースが空いていて、倉持が座れるようにお互い両端にずれる。「さんきゅ」と言いながら自分たちの真ん中に腰を下ろしてくる倉持。お尻に手が触れてしまいそうになったが、瞬時に
「大森、昨日は変な話聞かせて悪かった」
「いや、別に・・・私こそ余計なこと言ってごめん」
「話し合えたり、した?」
話し合わなくていいから早く別れてしまえ!私の本音は実に醜悪だけれど、先ほど御幸に話を聞いてもらったおかげか“イイ女”の演技は上々だ。
「お互いの気持ちをさ、伝え合ってさ」
「いや、なんつーか、その前に振られた」
――はい?間抜けな声を上げたのは私と御幸二人ともである。
「あ、御幸てめえは余計なこと言うなよ」
「いやいや、こんな面白い話ないでしょ」
「笑ってんじゃねぇ!」
倉持はムキになって御幸に掴みかかる。今の倉持の雰囲気からでは傷心を感じられず、さらりと告げられた「振られた」は私の望みであったのに、理解するのに時間を要する。
「会いに来てくれないなんて、もう信じられないんだと」
「うわあ」
私が言葉を探している間、御幸が倉持との会話を続けてくれる。私の代わりにというより、御幸自身、この状況を純粋に楽しんでいるようにも見える。
倉持は手に持ったメガ盛り丼の蓋を開けると、それを次々に口へと放り込む。
「ショックで食べ物が喉を通らない、とかは?」
「ない」
やっと出てきたのは至極くだらない問いかけで、倉持は表情も変えずにメガ盛り丼を頬張る。
もう少しショックでも受けていてくれたら、傷心を私が癒やして・・・なんて考えるのはやめておこう。昨日まで嫉妬の業火にまみれていた私の感情は呆気なく鎮火し、でも手放しで喜べるような粗悪な人間性も――内心ではボロクソに言っていたけど――持ち合わせてはいない。
「今日の練習に身が入らなそうだな、とかは?」
「ない」
「午前の授業は頭に入らなかったなー、とかは?」
「ない。けど、眠かった」
ここまで話して、御幸は「もう限界だ」と吹き出して笑った。
「お前ら最高っ」
お前
「
ククッと笑いながらお腹を抱える御幸。続けて口を開く御幸に何だか嫌な予感がして、私は慌てて立ち上がると御幸の口を塞ぎにかかる。が、身のこなしは御幸の方が
「もう、お前ら付き合ったら」
ああ、もう辞めてくれ!そういう話は私のいないところでしてもらいたい。だって、私はまんざらでもないのだから。冗談でも「なんで倉持となんか!」なんて言えないのだから。
「なんで大森と俺なんだよ」
倉持の言葉に棘はなく、ただ純粋に疑問に思っている風だ。ああ、その反応も大概に傷つく。
「わたしなんて、可愛らしく会いたいなんて言えないし」
「おい、俺のこといじってんのかよ」
「でも、大森は相手のためを思って言葉を選べるよな」
そう、私の良さはそこなのよ!と顔を引き攣らせながらも笑ってみせる。「まあ確かに」と倉持。意中のあなたに肯定されると、不覚にも嬉しくなってしまうじゃないか。
「たぶん、わがまま言わないと思うよこの子」
御幸は私を指さして、楽しそうに再びニヤリ。さっきから、なんで御幸が私のプレゼンをしているのよ。「たぶん、“野球が好きなあなたが好きなのよタイプ”」と御幸。倉持も「ほう・・・アリだな」と冗談交じりに自分の顎に手をやる。
「そう見せかけておいて、野球と私どっちが好き?とか聞いちゃうかもよ」
「それは言わねーだろ」
「ぐ・・・会いたすぎて寮に突撃しちゃうかもよ」
「それは困るけどよ・・・」
なぜ私は自分のマイナスプレゼンをしているのか。こんな軽口を喜んでしまう単純な自分が恨めしい。
「会いに来てくれる気持ちは嬉しいぜ」
まるで、実際に私が倉持に会いたくて寮に行きたいとせがんだみたいじゃないか。「嬉しいぜ」なんて微笑まれたら、心臓は高鳴るし、ほら、キュンとかいってるんだけど。
御幸はといえば「あ~わかる」と至極楽しそうに倉持に同意している。
「もう、冗談も大概にしてよね」
この場の空気に耐えられなくて――本心は嬉しいのだけれど、空回りに終わるのが怖かった――、私は立ち上がり、あと一口分残っているおにぎりを口に放り込んだ。彼らのメガ盛り丼も残り僅かで、こんな大量のご飯をいつの間に胃に流し込んだのだろう。
「先に教室、戻るから」
彼らの返事も待たずに歩き始める。「おーい大森、怒った?」と背後からの御幸の声に、「怒ってない!」と険のある返事をしてしまう。
私は中庭をあとにする。どうして私は二日も続けて中庭から逃げるように立ち去っているんだろうか。
冗談でもいいから「じゃあ私と付き合う?」と言えていたら、もっと楽しく談笑できていたのかもしれない。もしかしたら「おう、いいぜ」なんて返事があったのかも。でも、そんなのプライドが許さないし、倉持だって容易にそんな軽口はたたかないはずだ。
**
「倉持って見る目ないよな」
「は?何のことだよ」
大森がいなくなった中庭で、倉持と御幸は談笑を続けていた。寮母お手製のメガ盛り丼は綺麗に平らげられ、少し苦しそうに二人は腹をさする。
御幸は怒気を帯びた大森の背中を見送りながら、さすがにやりすぎたかなと反省する。自分の横に座るこの男の鈍感さというか、見る目のなさには正直驚いていた。
「倉持さ、大森と付き合う気ないの」
我ながら大層なお節介だ。恋のキューピッドにでもなったつもりか。御幸の問いかけに、倉持はバツが悪そうに頬を掻く。
「なんつーか、振られたばっかですぐ次に行くってのは、ダメだろ」
「確かに、それは順当なご判断で」
正直なところ、御幸にとっては二人がどうなろうと知ったことではなかった。しかし、少なくとも倉持が前のカノジョと付き合っていては、倉持ひいては野球部にとっての損失になるだろうと御幸は踏んでいた。それならば、大森の愚痴に付き合わされていたお返しに、ちょっとした手心を加えてやろうと画策していたのである。
「しばらくは野球に集中する」
「今まで集中してなかったの」
「んなわけねーけど、もっとって意味」
「ふーん、で、結局どうするの」
これは大森にも問うた投げやりな質問だ。
「・・・検討する」
「偉そうなやつ」
悠長に検討している間に大森の気が変わるかもしれないだろ、御幸はそう口にしようとして辞めた。あの大森の様子では、もし倉持がフリーになっていなくても気持ちが変わることはなさそうだ。
「倉持さ、明日ちゃんと謝っとけよ。昼飯でも奢ってやれば?」
「あー・・・大森っていつもコンビニおにぎりだよな」
「な、色気ないよな」
「シーチキンマヨでも買うか」
「え、なんで」
「いつもそれ食ってるだろ」
「へーよく見てんね」
おわり
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