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週明けの月曜日、出勤への気の重さは電車に乗る誰もが同じなのだろう。けれど、今この車両に乗っている誰よりも私の気が一番重たい、そんな自負がある。
この週末は何もする気が起きなかった。ホテルから帰宅してからは倉持さんとの約束を破ってしまった罪悪感、お酒での勢いとはいえ彼と踏み込んだ関係になってしまったこと、そして自分の大胆さ、すべてが私の頭を悩ませたし、泣き腫らした週末だった。
「でも」
満員電車の中、思わず呟いてしまう。乗客は皆、窮屈な車内に眉間に皺を寄せていて、きっと周囲への関心なんてないのだろう。
「仕事は仕事」
自分におまじないでもかけるようにそう言い聞かせる。週末もずっとそう口に出して、ようやく家を出ることができた。
電車が速度を落として、駅のホームに停車する。なだれるように降車していく乗客に交ざって、私もホームに降り立った。
*
職場に持参しているマグカップを手に、オフィスに備え付けられた給湯室でお湯を沸かす。朝は早めに出勤して、ゆっくりとコーヒーを淹れて仕事の準備をするのが日課だ。
「・・・はあ」
コーヒーバッグをカップに乗せて、沸いたお湯を注ぐ。芳醇な香りが立ちほっと胸をなで下ろすけれど、香りというのは記憶までも呼び覚ましてしまうもので。ホテルでの別れ際に飲んでいたコーヒーの香りと重なって、あの日の気まずさがフラッシュバックしてくる。
「もう、どうしよう・・・」
朝の給湯室には滅多に人が来ないことを良いことに、さっきから独り言三昧だ。
マグカップを手に持ちオフィスへ戻ると、ノートパソコンを開いて今日のスケジュールのチェックを始める。
まだ始業には早い時間だから倉持さんは出勤していない。何度も「仕事は仕事」と言い聞かせてみても、いざオフィスに来ると意識してしまう。
押し倒されたときのベッドの感触、ベルトのバックルを外す音、太い指に翻弄されて自分のすべてをさらけ出した記憶は未だ鮮明だ。あんなにも快楽に溺れたのは初めてだった。倉持さんもそうだったらいいなと考えるのは、私の中に自惚れがあるからだと思う。
「・・・あ」
部内の共有スケジュールを開くと、私の脈は早くなる。自分の予定を表す黄色の帯に重なるように倉持さんの緑色の帯が表示されていて、どちらの帯にも『10時半 倉持、大森プレゼン資料作成』と書かれている。
そうだ、すっかり忘れていた!金曜日の残業は確かに早く終わったけれど、それは仕事を月曜日に先延ばしにしたからだ。
そういえば、田中くんの資料の見直しは今日、倉持さんから彼に伝えることになっていたんだっけ。どうしよう。初日から倉持さんとの関わりが多すぎる。
「大森、おはよ」
「おはようございます!」
朝の少し不機嫌そうな声に、私は後輩らしい景気の良い声で振り向く。これは
「朝から元気だな」
くあ、と眠そうに欠伸をする倉持さんがそこにはいた。彼は柔らかく笑んだかと思うと私のデスクに置かれたコーヒーに目をやる。
「お前、またコーヒー飲んでんのか」
倉持さんから「また」という言葉が出るのは、きっとあの日の記憶があるからだ。私の中では気まずい記憶として残っているけれど、彼の中ではどうなのだろう。
そう考えているうちに倉持さんは「よくそんな苦いの飲めるよな」と笑って、自分のデスクへ向かってしまう。
ああ、よかった。いつも通りだ。避けられるわけでもなければ、馴れ馴れしくされるわけでもない。至って普通。あの夜を過ごす以前と何も変わらない。
「もしかして」
安堵したのもつかの間、私の胸中に良からぬ考えが浮かんできてしまう。いや、そんなわけない。誠実な倉持さんがそんなわけない。でも――
倉持さんは“こういう関係”に慣れているのかもしれない。
*
「おい田中、こっち来い」
「は、はい!」
遠くで倉持さんが田中くんを呼ぶ声が聞こえた。きっと金曜日に私がやっていた資料チェックについてだ。週明けに倉持さんから田中くんへ「あいつ月曜に締める」予定になっていたことをそういえばさっき思い出していた。ああ、イベントが多すぎて頭が付いていかない。
私は慌てて席を立って、恐縮しながら倉持さんの席へ向かう田中くんへ駆け寄る。
「ごめんね田中くん、あの資料なんだけど倉持さんも見てくれていてね」
「あっ、大森さん。僕、何かしてしまったんでしょうか・・・」
田中くんは入社2年目の同じ営業部だ。倉持さんの下で仕事を教えてもらっているようだけれど、如何せん覚えがよくない。
資料作成をしては事務方にチェックを依頼しているけど、彼のミスの多さに事務方の女性陣からは「顔はいいけどへたれだよね」といった評判だ。
スーツのジャケットを椅子の背に掛けて、ベスト姿の倉持さんは腕まくりをする。やっぱりたくましい腕だな、って私はまたなんてことを考えているの。
デスクに肘を付いて田中くんを見る倉持さんの目は今日も豹のように鋭い。まるで二人揃ってお説教を食らうような図で、倉持さんのデスク脇に立つ。
「なんで大森まで来てんだよ」
「もともと彼から資料を受けていたのはわたしなので・・・」
「大森さん、なんか、ごめんなさい」
田中くんは今にも泣き出しそうな表情だ。こんなことで泣くな!男でしょう!なんて思ってしまうのは時代錯誤だろうか。
「大森はいいから、席に戻れ」
「でも」
「お前は今日やる資料作成の準備でもしてろ。10時半からだろ」
倉持さんの言葉に心臓が跳ねてしまう。きっと倉持さんは意識して口にした言葉ではないのに、不純な気持ちを抱える私にとっては効き目のある言葉だった。
「・・・はい。じゃ、田中くんファイト!」
私は田中くんに親指を立てて手を振る。あくまで明るく、いつもの私のように。
自分のデスクに戻って、倉持さんの席を覗き見る。叱責の声は一つも聞こえなくて、田中くんが自分の椅子を倉持さんの席に持っていくと、座りながら何やら丁寧に説明してもらう姿が目に入った。
呆れ顔の倉持さんだけど、田中くんに教える表情は真剣で倉持さんの後輩思いな面を見られた気がした。
*
出来るだけ倉持さんに迷惑をかけないようにと、プレゼン資料の作成準備を進める。倉持さんは営業部の会議で席を外していて、10時半までの予定だ。
「会議室、空いてるかな」
オフィス内で会話をしながらの資料作成は周囲に迷惑が掛かるだろうと、会議室の空き状況を確認する。二人きりの空間になるのは避けたかったけど、「仕事は仕事」だ。
会議室はタイミング良く一室空いていて、予約ボードに「10時半~倉持、大森使用」と書く。書いている途中で私の手は少し止まってしまって、二人きりの空間を想像したら息が詰まりそうだった。
「・・・はあ」
何度目かの溜息。営業部の会議が終わるまであと10分ほど。私は少し息抜きにとオフィス内の自動販売機へ向かった。
オフィス内の自販機のラインナップはイマイチだ。複数台設置されていればいいのに、廊下のスペースの関係のせいか一台しか設置されていない自販機はよく品切れを起こしている。週明けともなれば補充が間に合っていないことも少なくない。
赤い文字で『売り切れ』と光る飲み物を候補から外しながら、「どれにしよう」と唸る。あ、ココアは売れ切れか。右手に握った500円玉を手の中でくるくると回す。
「大森、俺、コーラ」
「えっ!あ、倉持、さんっ」
背後から降ってくる声に驚いて声を上げてしまう。声の方へ振り向くと、ノートパソコンを小脇に抱えた倉持さんが立っていた。
「会議お疲れ様です」
「おう。少し早めに終わったぜ」
「このあと会議室取っておきました」
「サンキュ、気が利くな」
倉持さんからは仕事中の真面目な雰囲気が漂っている。
「えっと、コーラですね」
「冗談だよ。出してやるから好きなの選べ」
手のひらの500円玉を自販機へ投入する直前、倉持さんに制止されてしまう。彼はポケットからスマホを取り出して「どれにする?」と私を見る。
気さくな倉持さんに胸が締め付けられる。ここがオフィスでなければ、少しでもあなたに触れたいのに。
「でも、わたしがご馳走するって約束しましたし」
倉持さんの動きが一瞬止まって、彼の瞳が少し揺らいだ気がした。ああ、私って性格が悪い。「仕事は仕事」と割り切っておきながら、こうやって彼の動揺を誘ってしまうのだから。
倉持さんは「じゃ、コーラ頼むわ」と声のトーンを上げる。自動販売機からコーラの缶が落ちてきて、冷たい缶を手に持って倉持さんへ手渡す。
「ご馳走さん。じゃ、時間になったら会議室な」
「はい、会議室Cです。先に行って準備しておきますね」
倉持さんの背中を見送って、自分も彼と同じコーラのボタンを押す。その場でプルタブを押し上げて、気持ちを切り替えるように中身を喉に流し込む。パチパチと口の中で弾ける炭酸は喉に沁みて少し痛かった。
*
誰もいない会議室Cはガランと静かだ。長机にコーラの缶を置くと、音の響きやすい会議室にコツンと固い音が響く。
「はあ・・・」
今日何度目かわからない溜息。心臓はいつもより早い。自覚しないようにしていたけれど、緊張してる。
倉持さんは女性と“ああいう関係”になるのは慣れているのだろうかと、至極くだらなくて、検討する余地もない考えがまた頭をよぎる。検討の余地がないのではない、したくないのだ。
ラグジュアリーホテルのバーを知っていたこと自体は、まあ、倉持さんもいい歳だし知っていてもおかしくない――気はする。でも、ホテルの部屋を予約する足取りはスマートだったし、今思い返せば「慣れていた」。ああ、あのとき飲んだカクテル美味しかったな、なんて現実逃避をしてみる。
「わりぃ、待たせた」
会議室のドアが開いて、倉持さんが入ってくる。時刻は10時40分、私を待たせまいと急いで来てくれたようだ。突然の倉持さんの登場に、記憶を反芻していた私は「ひゃあ!」と驚いて情けない声を出してしまう。
「お前、なんて声出してんだよっ」
倉持さんは私の声に驚いて吹き出す。ノートパソコンとさっき買ったコーラの缶を持った彼は、私のパソコンの隣にそれらを置いた。
「ごめんなさい、びっくりしちゃって」
「ヒャハハ、おかしなやつ」
みんなのいるオフィスでは「ヒャハハ」だなんて笑わないのに。キッチリと着こなされたスーツ姿に反して、幼く見える笑顔が愛おしい。
倉持さんは回転椅子に腰掛けると「よし、始めるか」とノートパソコンを開く。私は戸惑いながらも彼の隣に座って、ほんの少しの距離を保ったままパソコンを開いた。
「倉持さんが会議の間に大まかにプロットは作ってみました。プロジェクター繋いだので、写して見ますか?」
「いや、このままでいい。パソコン貸して」
倉持さんはそう言うと、回転椅子に座ったまま床を蹴ってこちらへ近付いてくる。思わず逃げそうになってしまうのを「仕事は仕事」のおまじないで踏みとどまる。
机に肘を付いて資料を眺める倉持さん、その横顔を見ながらやっぱり格好いいなとぼんやりする私。まったくもって重症である。
「悪くないな、これで進めるか。お前のプロットを基にして俺が肉付けしてくから、補足資料の情報集めしてくれるか」
「よかった、わかりました。よろしくお願いします」
倉持さんは缶のプルタブを引き上げると、コーラを一口、コクンと喉の鳴る音が私には聞こえた気がした。
お互いに言葉を交わすことなく、順調に資料作成が進む。自分たちだけの会議室にはキーボードを叩く音とマウスのクリック音が響く。
「大森、これ確認してもらえるか」
静寂の中で倉持さんに呼ばれて、思わず肩が跳ねる。「ざっと作ったから誤字とかないか見てくれ」と作業をしていたパソコンとマウスごとこちらに寄越される。
「はい、わかりました」
ドキドキとする胸をなんとか落ち着かせて、冷静を装って返事をする。倉持さんのパソコンを見ようと足を踏み込んで回転椅子ごと身を乗り出すと、パンプスの先が何かを踏んでしまう感覚。私の爪先が倉持さんの革靴を踏んでしまっていた。
「あっ、ごめんなさい」
慌てて足を引っ込める。
「ああ、別に。お前ほんとそういうとこあるよな」
「なんですか、そういうところって」
倉持さんは足を踏まれたことは気にしていないようで、慌てた私の表情を見てはやや楽しんでいるようだ。
「間抜けっつーか、抜けてるっつーか」
「それどっちもほぼ同じ意味じゃないですか」
「ヒャハ、そうかもな」
また倉持さんは可愛らしく笑った。私は小さく「もう」とだけ呟いて、倉持さんが作った資料を確認する。彼が使っていたマウスに触れると、さっきまで倉持さんが触れていた手の温度を感じる。あの日繋がれた熱い手の温度を思い出して、また「仕事は仕事」のおまじないをかけた。
「誤字なかったです。さすがですね、資料すごくわかりやすいです」
「そうだろ、もっと褒めろ」
「きゃーさすが営業部のエース」
「それ前も言ってなかったか」
お互い残っていた最後のコーラを一口、ぬるくなった炭酸はもう美味しくなかったけれど、楽しい軽口のおかげかあまり気にならなかった。
「そういえば大森さ、金曜日だけど」
金曜日、その言葉に私の笑顔が途切れる。金曜日って、あの金曜日? 倉持さんから“金曜日の話”が出るなんて。
倉持さんは私の明らかな動揺に気が付いたのか、慌てて「今週末の金曜な」と言葉を続ける。ああ、先週じゃなくて今週の話か。
意識をしすぎるせいで変な反応をしてしまった。でも、倉持さんも慌てた様子だった。あの夜を意識しているのは私だけではないのかもしれない。
「さっきの会議で決まったんだけどよ、部の歓迎会になったんだよ」
「なかなか急な日程ですね」
倉持さんは億劫そうに机に肘を付く。
「そうなんだよ。今月、中途で西川って入社しただろ」
「西川さんの歓迎会ですか」
「そ、本人は都合いいみたいなんだけどよ、急だから人が集まんのかっつー話でさ。事務方の女性たちは大森から声掛けてもらえるか」
「そういうことならお任せください。全員参加させますから」
我ながら茶目っ気たっぷりに胸を叩いてみる。その様子を見て倉持さんは安堵の表情を見せて「あともう一つ頼みがある」と続ける。
「歓迎会の幹事、大森に頼んでもいいか?」
「えっ、まあ、構いませんけど」
「助かる。場所はいつもの焼鳥屋でいいらしい」
いつもの焼鳥屋というのは、金曜日に倉持さんと行った焼鳥屋だ。営業部でよく使う店だから、あの日も何の気なしにそこに行ったんだっけ。
「わたしの方で人数の確認して予約しておきます。男性陣の声掛けは倉持さんにお願いしてもいいですか?」
「おう、明日までに人数まとめとくわ」
倉持さんも任せとけと言わんばかりに親指を立てて笑ったところで、オフィスに昼休みを告げるチャイムが鳴る。
「よし、じゃ資料もできたしこのへんで終わりだな」
「はい。助かりました、ありがとうございました」
私は立ち上がって深々と頭を下げる。「そんな頭下げんな」と倉持さんは肩をすくめて「あんま一人で仕事抱え過ぎんなよ」と続けた。
*
ランチタイム、同僚と会社近くのイタリアンへ食事に出る。混雑する店内で着席した途端、同僚の中村真由は「やっと話せる!」とばかりに景気よく口を開いた。
「ねえ凪、午前中さ、倉持さんと二人でなにしてたの?」
「なにって、仕事だけど」
彼女の目はスクープでも見つけたようにキラキラと輝いている。私と同じ営業部の事務方だけれど、彼女の人懐こさは渉外に配置転換した方が力を発揮できるんじゃないかと思う。
「倉持さん女性人気あるじゃん、凪と二人で会議室行ってたのみんな噂してたよ」
真由はランチタイムのメニュー表を見ながら、ニヤニヤと口角を上げている。
「あたしカルボナーラ、凪は決まった?」
「ほんと決めるの早いね。・・・えっと、わたしも同じのでいいや」
真由とよく来るイタリアンだし、悩んでも仕方ないからと彼女と同じものを選ぶ。近くを通りかかった店員に注文をすると、真由はコップの水を飲みながら会話を元に戻す。
「ね、倉持さんと二人でどんな話してたのよ?」
「どんなも何も、水曜のプレゼン資料作るの手伝ってもらってただけだよ」
私の色気のない返事に真由はつまらなそうに口を尖らせる。
確かに倉持さんに女性人気があるのは知っていたけれど、仕事をするために二人で席を外したくらいで「噂」にまでなるなんて。ただ、真由は大袈裟な言い方をするクセがあるから、言葉の通り信じてしまうのはよくない。
「へ~、倉持さんって優しいんだね」
真由の感想はごもっともである。端整な顔立ちだけれど目付きの悪い倉持さんは、正直、遠目で見るだけだとかなり話しかけにくい。私も同じように思っていたし、可愛らしく笑う表情なんて知らなかった、この間までは。
「後輩の面倒見が良いんだよ、倉持さん。今朝も田中くんにいろいろ教えてあげてたみたいだし」
「ふーん」
真由はまたコップの水を一口、「でもさ」と続ける。
「倉持さんあんなに格好いいのに浮いた話聞かないよね」
その言葉にドキリとしてしまう。今は自分がそれに関わっている、ううん、関わって“いた”わけで。現在進行形で考えてしまうだなんて、本当に私は自惚れている。
「きっと引く手数多なんだろうなぁ。私もお世話になりたいな~」
「もう、そういうのやめなよ」
真由に苦笑いを向けたところで、パスタ皿を持った店員が注文の品を持ってやってくる。テーブルに置かれたカトラリーケースからシルバーを取り出して真由へ手渡す。「ありがと」と受け取った彼女は、私が自分のシルバーを手に持つのを確認するとパスタを口に運び始めた。
「でもさ、女性の影がなさすぎて、恋愛対象が女性じゃないって話もあるよ」
「ええ、なにそれ」
パスタの中央に乗せられた半熟卵を崩しながら、突拍子もない彼女の言葉に目をぱちくりさせてしまう。
「半年前かな、経理部の後輩が倉持さんに告白したんだって」
「う、うん」
半年前、倉持さんを意識すらしていなかった時期の話なのに胸がざわざわする。この話の結末はすでに予想ができているけれど、心中穏やかではいられない。パスタを食べ進める気がなくなってくる。
「今はそういうのは、って感じで振られたらしいよ」
「・・・そうなんだ」
「でもさ、年齢的には結婚しててもいいじゃんね。だから、もしかしたら彼女じゃなくて彼氏がいるんじゃないかーって、一部では言われてるのよ」
この手の話が好きな真由は楽しそうに話し続ける。ただ、その点についてはあり得ないんじゃないかと思う、自分としては、さすがに。
「まあまあ、他人の色恋に口出すものじゃないよ」
「そりゃそうだけどさー」
真由はフォークをクルクルと回して、巻き取ったパスタを口へ入れる。
「そういえば、中途で入ってきた西川さんイケメンだよねー」
移り気のある彼女はさらりと話題を変えて「今日の本題はこっちなの」と人差し指を口元に当てた。
彼女の恋愛好きも大概だ。可愛らしい顔立ちもあって、これまで男性が絶えたことはほとんどないんだとか。
倉持さんと会議室にいたときも西川さんの話題が出たが、私はまだ直接的な関わりがない。同じ営業部だから倉持さんと西川さんが話す姿は目にしているけど、まだ渉外のお付きをしている状況だし、事務方と関わるような仕事まで進んでいないんだろう。
そういえば、と今週末の歓迎会を思い出す。
「真由、今週の金曜日、営業部で西川さんの歓迎会するよ」
「えっ、マジ! 楽しみ行くいく」
「わたし幹事になっちゃって、手伝ってくれない?」
「え? 嫌よ、あたし好きに飲みたいもん」
けろりと笑う真由は、まあこういうところも一部の男性を惹き付ける可愛さなのかもしれない。
「じゃあさ、人集め手伝ってよ。西川さんの歓迎会、急だから人集まらないと可哀想じゃん」
「それもそうね。いいよ、人集めは手伝ってあげる」
「ありがとう、助かる!」
倉持さんの前で「全員参加させますから」と言ってしまった以上、女性陣の出席が少ないわけにはいかない。彼に強がりを見せてしまったことを少し後悔していたから、真由に協力をしてもらえるのなら心強い。
「凪、あたしデザート食べたいなあ」
「もう、ご馳走するよ!」
真由はわざとらしく私にウインクを飛ばしてきて、もっとわざとらしく「ありがと~」と可愛らしく首をかしげてみせた。ここまで振り切れる彼女が羨ましくて、私も彼女みたいに可愛らしくなれたらいいのにと思った。
*
「ねえ、真由、高級ホテルのバーって行ったことある?」
食後に運ばれてきたティラミスをスプーンでつつきながら、少し声を小さくして聞いてみる。本当は人に相談するつもりはなかったけれど、一人で抱えるには荷が重たかった。
「うん、まあ、あるけど?」
真由はにやっと笑って「昔ね、ちょっとモテてた時期に連れてかれたのよね」と鼻を鳴らす。同性の私が言うのも失礼だけれど、彼女はいわゆる穴モテするタイプだ。本人もそれを自覚しているようで、恋愛経験は私の比じゃない。
「バーから部屋の予約できるって知ってた?」
「まあ、知ってはいるけど、さすがにしたことはないかな」
真由は含みのある表情で私を見る。ああ、何か勘付いたかな。
「それに、バーから部屋予約ってたぶん一見さんじゃできないよ。会員だったりしないと難しいんじゃないかな?」
「そうなんだ。いや、友達の話でね。そういうの知ってる人って遊んでるのかなって相談されたんだけど」
自分のことを友達のことに切り替えて話を進めるけど、勘の良い真由のことだから、きっと何かを察しているのだと思う。声が少し震えるけど、できるだけ不安を払拭したくて言葉を続ける。
「わたし、あんまりそういうのわかんなくてさ。友達の相談に乗ってあげられなくて」
「これはあたしの個人的な意見だけど」
真由には珍しい、引き締まった声。
「遊んでるかどうかはわかんないよ。けどさ、そういう場所で良い雰囲気になるってことは、前から特別な気持ちがあったとか、良いとこ見せたいとか、何かしら思いがあったんじゃない?」
真由が顔を近付けてくる。ひそひそと周りに聞こえない声で「バーで飲んだ後ってことは、その子、お相手とエッチしてるんでしょ?」。私は顔が熱くなってしまって「そう、みたいだよ」とやっとの思いで答えた。
「なんで凪が照れてんのよ~」
「あ、いや、別にっ」
「その子に伝えといてよ、不安ならお相手に直接聞くのが早いよって」
真由のウインクは頼もしいお姉さんみたいだった。彼女の言葉に私の胸はまたキュッと苦しくなって、頭の中で彼女への相談を反芻した。
――前から特別な気持ちがあったとか、良いとこ見せたいとか、何かしら思いがあったんじゃない?
もしかしたら、倉持さんは“そういう関係”に慣れているのかも。そんな不安が薄れたような気もして、ティラミスの最後の一口を口に入れる。
「そろそろお昼休み終わるね。面倒だけど、仕事に戻りましょ~」
コーヒーを飲み干して、席から立ち上がる。それぞれ会計を済ませる――真由のデザート代は私持ちだ――と二人並んでオフィスへ戻った。
幕間 終わり
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