寒いから
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12月も終わりに近づくころ、放課後の校門前で寒さに身を縮めながら彼を待つ。付近には下校する生徒たちの姿もまばらにあって、人目のある場所で待ち合わせをするのは少し照れくさい。
冷たい風がコートを揺らして、スカートから出る足はタイツ越しとはいえかなり冷える。マフラーに顔を埋めて、寒さに目を細める。
「わりぃ、待たせた」
声の方に目をやると、寒さで鼻を赤くした倉持がこちらに走ってやってくるところだった。帰りのホームルームのあと荷物を寮に置いてくるからと、校門前で合流することになっていた。
「寒いから温かいところで待ってろ」と言われていたけれど、このあとの予定が楽しみで早めに校門前で待機していた。
「わたしも今来たところ」
「嘘つけ」
受験勉強も大詰めの時期、根詰めていたのがはじけそうになってしまって、今日は息抜きに電車に乗ってパンケーキを食べに行こうと倉持と約束していた。彼はといえばセレクション経由で無事に大学が決まり、高校生活のうちで初めて肩の荷が下りたところだ。
「寒いな、大丈夫か?」
倉持は私の足下を見ると、寒そうに肩をすくめる。どんなに寒いときでも制服のスカートは膝丈より短くしたい。薄いタイツ一枚で寒さを凌げるわけはないのだけれど、卒業までの残り3か月間しかできない、これは女子高生のプライドだ。
「うん、慣れっこだから大丈夫」
「ならいいけど、あんま冷やすもんじゃねぇぞ」
そうやって心配をしてくれる倉持の優しさに胸がときめく。野球部の選手とマネージャーとして共に歩んだ2年半。掲げた目標を達成し、気が付けば私の視線はいつも倉持を追っていた。
「ありがとう。倉持の優しさが嬉しい」
「なんだよそれ」
倉持は照れたように目を逸らして「ほら行くぞ」と駅に向かって歩き出す。私もそれに続いて歩き出し、彼の左側を進む。
駅に向かうまでの道は下校途中の青道高校の生徒がいて、時折、倉持をチラリと見ては「あれ倉持くんじゃない?」「彼女いたの?」と囁く声が聞こえてくる。
「ちょっと、道変えよう」
「おい、どうした」
周囲の声が堪らなく恥ずかしくて、駅までの大通りを外れて脇道へ入ろうと倉持の腕を引っ張る。
「倉持、校内でも有名人だから、周りからすごく見られてた」
「それがどうしたよ」
倉持は私の言葉に目を丸くする。甲子園に出場したレギュラーメンバーの彼は校内では知らない人がいないほどの有名人だ。同じクラスの御幸に次いで女子人気があるほどで、甲子園以降は“呼び出し”の回数が相当増えたと言っていた。
そんな倉持と並んで歩いて「あれ彼女?」と指をさされるのは、どうもいたたまれないのだ。そう彼に伝えると、倉持は柔らかく鼻で笑った。
「大森が俺の彼女なのはほんとのことだろ?」
倉持の真っ直ぐな言葉に胸が熱くなる。自分から倉持に告白をしておいて周りからの視線が痛いだなんて、今さらすぎる。それでも私たちの心の距離が縮まったのはここ3か月のことで、選手とマネージャーという立場で長い時間を過ごしてきた自分たちは未だ「大森」と「倉持」のままだ。
「そうだけど、なんか」
「わかったよ。脇道から行こうぜ」
そう言って前を歩き出す倉持に置いて行かれまいと彼に駆け寄る。駅までの道のりを脇道に変更した私たちは、また並んで歩き始める。車通りはほとんどないものの、さりげなく車道側を歩いてくれる倉持の気遣いが嬉しい。
「ほんと、寒ぃな」
倉持はコートの襟を立てて肩をすくめる。
「パンケーキ食べたら温まるよ」
「俺、ココア飲みてぇ」
「倉持、ココア似合いそう」
ふふ、と私が笑うと倉持は照れたように「今、子ども扱いしただろ!」と私の頭をぐしゃぐしゃと掻き回してくる。
「もう!静電気でぐしゃぐしゃだよ」
空気はカラリと乾燥していて、髪の毛を掻き回された私の頭からはパチパチと静電気の音が聞こえてくる。
「だって、ココアとパンケーキって甘いもの同士じゃん」
「それがいいんだろ。大森は大人ぶってコーヒーだろ」
「大人ぶってとか言うから子ども扱いされるんだよ」
「うるせー」
自分で蒔いた種だというのに、倉持は頬を膨らませてそっぽを向く。現役当時では見られなかった彼の可愛らしい表情が愛おしい。お互いの呼び方はそのままだけど、私たちの距離は確かに縮まっている。
道端の木々が風に揺れて、冷たい風が通り抜ける。私たちは同時に肩をすくめると「同じ反応しちゃったね」と顔を見合わせて笑った。
「ね、倉持」
「ん?」
寒くて仕方がないのに、こうやって並んで道を歩いているだけで胸の中は温かい。
倉持のことが大好きでやっとの思いで恋人同士になれて、これ以上を望むのは贅沢かもしれないけれど。倉持の名前を呼びたいし、もっと触れたい。あなたに近づきたいと思ってしまうのはこの寒さのせいだろうか。
「手が、冷たくて」
私はコートのポケットに入れた右手を外に出して、倉持の前に差し出す。
「冷てぇならポケットしまっとけよ」
「そうじゃなくて、」
私は立ち止まって倉持を見上げる。顔がすごく熱くて緊張で汗が滲んできそうだ。「わたしが言いたいのは」と口籠もる私に、倉持はその意味を悟ったのか瞳の奥が揺れた気がした。
差し出された私の右手をじっと見つめる倉持の耳は真っ赤で、きっと私も同じ耳をしているんだと思う。
「倉持、手、つなご」
恥ずかしさで倉持の顔を見ることができなくて、私は視線を下に落とす。
彼からの返事はすぐにはなくて、おそるおそる顔を上げると視線がぴたりと合う。「なんだ、そういうことかよ」と目を細めて優しく微笑む倉持は、左手を伸ばして私の手を取る。倉持に握られた私の手は彼のコートのポケットへと誘導される。
「これでいいか?」
照れくさそうな倉持の笑顔は冬の冷たい風を忘れさせるほど温かい。ポケットの中の倉持の手は感覚を確認するようにキュ、キュと何度も手を握り直している。
「あ、ありがと」
「おう」
お互いにそれ以降の言葉を出せないまま駅への道を歩く。ゆっくりと吐く息は白いけれど、右手から伝わってくる温度が体全体にも伝わってくるようだ。
「そういえば、新しい部屋はどう?」
やっと出てきたのはごく普通の世間話。野球部の引退後も青心寮で生活をする倉持は、5号室を出て引退した3年生用の部屋に移っている。
「沢村がいなくて静かでいいぜ」
「ああ、栄純くんね。でも寂しいんじゃない?」
手を繋いだ照れくささを隠すように普段通りの会話を交わす。青心寮には寮生しか入れないから聞いた話でしか雰囲気は知らないけれど、栄純くんの練習の様子を見ていれば彼が同室でいたら賑やかであることは想像できる。
「倉持、栄純くんのことすごく気に掛けてたもんね」
「あいつも頑張ってたからな」
遠くを眺める倉持。きっと彼の頭の中では野球部での思い出が巡っているのだろう。慈しむような表情からは彼の野球への強い思いが伝わってくる。
「つーか、大森さ」
ポケットの中の倉持の手が私の右手をギュ、と強く握る。視線は前を向いたままで、この先の道を右に曲がればもうすぐ駅だ。
「沢村のことは名前で呼ぶのかよ」
倉持の拗ねたような声に驚いて顔を見上げると、また視線がぴたりと合った。眉をひそめる倉持は私を見つめて「そろそろさ」と言葉を続ける。
「付き合って3か月だろ」
「う、うん」
倉持の瞳が揺れて、空いている右手を額に当てるとスゥと息を吸って吐く。
彼の言葉の続きを想像すると私も繋いだ手に力が入ってしまって、倉持もそれに気が付いたのか手を握り返してくる。
「名前で呼び合ったりしてみねぇ?」
こんなに胸が高鳴るのはきっと人生で初めてだ。「嫌なら、無理にとは言わねぇけど」とバツの悪そうな倉持に「嫌なわけない」と言葉を被せる。
選手とマネージャーという関係が私たちを近づけてくれたのは間違いない。けれど、学生にとっては長すぎる2年半もの期間、友人ともいえない絶妙な距離感で過ごしてきたことが私たちの関係性の前進を遅らせていた。
「嬉しい、よういち、好き」
私は彼の顔を見上げると、口からは素直な気持ちがこぼれ落ちる。冷たい風が頬をかすめて、寒さから逃れるように、これ以上は気持ちがこぼれてしまわないように、マフラーに顔を埋める。
洋一は照れくさそうに目を逸らすけど、白い息を漏らしながら私の目を真っ直ぐに見つめてくる。
「凪、俺も好きだぜ」
洋一の低い声が静かな道に響き、心をぎゅっと掴まれたように苦しくなる。「うん、わたしも」と声を振り絞るけど、マフラーの柔らかさに私の言葉は吸い込まれてしまう。
洋一の空いた右手がそっと私のマフラーに伸びてきて、冷えた指がマフラーを下にずらす。隠していたはずの私の頬が赤いのは、寒さのせいなんかじゃない。
「もう、さむいよ」
「寒いなら、こうすればいいだろ」
洋一はまた低い声で囁くと、彼の整った顔がゆっくりと近づいてくる。私は言葉にならないまま、潤みそうになる目を閉じる。
「まだ、目閉じんなよ」
「凪、キスしていいか?」
目を開けると同時に囁かれる洋一の言葉に、私は小さく頷く。ポケットの中で繋がれた手はすごく熱くて、どちらからともなく指を絡めるように繋ぎ直す。
これ以上ないくらい近い私と洋一の距離はさらに縮まって、洋一の冷たい唇が触れてくる。その柔らかな感触や唇の輪郭をはっきりと感じながら、お互いのぬくもりを分け合った。
*
道の向こうに線路が見えてきて、12両編成の長い車両が高尾方面へと動き出す。今いる脇道から大通りへ戻れば、駅はもう目の前だ。
さっきのキスの感覚がまだ唇に残っていて、恥ずかしさで洋一の顔を見ることができない。ポケットの中の手はしっかりと繋がれたままで、大通りに出るまでにはこの手を離さなければと名残惜しくなる。
「あの、洋一」
「ん?」
不慣れな呼び方に戸惑いながらも、意を決して彼の名前を呼ぶ。
「もう、駅につくから」
名残惜しさに私は口籠もってしまう。この手を離したくない。けれど、通学路には生徒の姿も少なくないからと縋るように洋一の顔を見上げる。
「やだ」
洋一はいたずらな目つきで笑って、ギュ、と手に力を込めた。「離してやんねぇ」と楽しそうに口を開くと、私を引っ張るように駅へ向かってずんずんと歩いて行く。
「ちょ、待って、くらもち」
思わずこれまで通りの苗字で呼んでしまうと、洋一は足を止めてずいと顔を近づけてくる。
「よういち、だろ? 凪」
額を人差し指で小突かれる。「照れるな、この呼び方」と洋一は肩をすくめて口元を緩ませる。
「もう。このままじゃ恥ずかしいよ」
「別に、隠す必要ないだろ」
「凪は俺の彼女なんだからよ」
ニ、と笑う洋一の耳は赤い。また冷たい風が吹いてお互い身を縮めるけれど、きっと私たちの心の奥はじんわりと温かいんだ。
洋一の言葉に私は観念して、胸を張って駅への道を進む。大通りに出るとやっぱり生徒たちからの視線はこちらを向いていて、校門を出たときと同じような囁きが聞こえてくる。
「なにニヤニヤしてんだよ」
「わたしの自慢の彼氏だぞーって思って」
「バーカ。開き直んな」
洋一にこつんと頭を小突かれて、私はお返しにと軽く肩をぶつけると「ったく、お前らしいな」と笑われる。
コートのポケットの中で手を握り直すと、冷たい風が吹いても繋いだ手から伝わる温かさが胸に広がる。
駅のホームに着く頃には、もう誰の視線も気にならなくて、ただ隣にいる洋一が愛おしいだけだった。
終わり
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