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「今日の試合って神宮だよね?」
「ああ、13時から神宮。御幸いるかもな」
日曜日の朝、朝食を作るためにキッチンに立つと、リビングでストレッチをする洋一に声を掛ける。
今話題のイケメン捕手もとい、元チームメイトの御幸は高卒でプロ野球界入りし現在7年目。彼の所属球団は洋一とは違うリーグだから、交流戦期間中の今日、試合でお互いが出場すればプロ初対面となる。
「御幸に連絡したの?」
「連絡?しねーよそんなの」
「あら、そう」
男の友情ってそんなものなのねと思いながら、熱したフライパンに油をひいた。
「凪こそ連絡してねーのかよ。御幸、お前の会社とスポンサー契約してんだろ」
「そうだけど、だからって連絡するのもちょっと」
高校時代からの話題性と端整な顔立ち、野球の実力は
「たぶん今日会うし、そのとき話せばいいかなって」
「休日出勤も大変だな」
「洋一ほどじゃないよ」
「ほら、ご飯できたよ」
洋一のプロ2年目オフシーズンに入籍し、一緒に住み始めてから半年が過ぎた。洋一が仕事に集中できるようにと私が一人暮らししていたマンションは引き払い、球団本拠地の近くに引っ越したのである。都内から郊外へ引っ越したことで私の職場へは遠くなったものの、今の生活にも慣れてきた。
洋一はストレッチを中断してダイニングテーブルへ。今朝は山盛りの白米にタンパク質を意識した特別メニューだ。朝からよくこんな量を食べられるなと毎日関心してしまう。
「いつも朝飯ありがとな」
「うん、どういたしまして。いただきます」
二人向き合って座り、一緒に手を合わせる。
「今日の仕事は何するんだ?」
「用具のチェックと選手たちからの御用聞きかな」
「ふーん」
興味があるのかないのか、洋一はお味噌汁を啜る。
「今日、試合見てく時間あんの?」
「うん、あるよ。仕事は試合開始前には終わるから、そのあとは観戦するつもりだよ」
「お、じゃあ俺の活躍も見られるわけだな」
洋一はニヤと自信ありげに笑う。そういうことを自分で言うかと思う反面、これが彼なりの自分へのプレッシャーの掛け方なのを知っているから、「今日も洋一の活躍を見せてね」とガッツポーズを向けた。
「洋一はチームバスで行くの?」
「おう。車でもいいけどバスの方が楽だからな」
「そっか、私先に出ちゃうから戸締まりお願いね」
球場までは電車で1時間弱、そろそろ身支度を済ませて家を出ないといけない。私は仕事用に支給されたパーカーを羽織った。
「スーツじゃねぇの?」
「今日は現場だから、ロゴ入りのパーカーなんだ」
パーカーの胸元に印字された会社ロゴを指さして洋一に見せる。私は腕時計をちらりと確認、まずい、急がないと。鞄を手に持ち、早足で玄関に向かう。
「じゃあ、先に出るね」
「凪、ちょっと待て」
もう急いでいるのに!靴を履いて、洋一の声の方へ向き直る。
「わすれもの」
洋一に抱きしめられ、唇が触れる。
「あ・・・行って、きます」
「おう、行ってらっしゃい。あとでな」
耳が熱くなるのを感じながら、洋一に手を振って玄関のドアを開けた。
*
電車を乗り継いで1時間ちょっと、うたた寝しそうになるのを何とか堪えて千駄ヶ谷駅に到着する。今日仕事を共にする会社の後輩と改札口で待ち合わせ、神宮球場へと歩を進める。
「この辺りもマンションが増えていますよね」
「そうだね。高層マンションばっかり」
ぐるりと辺りを見渡しながら後輩が羨ましげに口を開く。
「あそこの高いマンション、渡辺選手が住んでいるって噂ですよ!」
後輩は目をキラキラさせながら、この辺りでは一際背の高いマンションを指さした。スポーツ紙を連日賑わせている選手の名前を口にする彼女は、「いいなあ、あんな高級マンション住んでみたいです」と口を尖らせた。続けて「プロ野球選手と結婚だなんて、羨ましいなぁ」。
その言葉にドキリとしてしまう。彼女は自分の言葉を反芻したようで、私の顔を見ると指さしながら「あ!」と口を開く。ちょっと、人を指さすなんて失礼でしょ。
「そうですよ!大森さんの旦那さんプロ野球選手じゃないですか!!」
「あんまり言わないでよ、恥ずかしい」
「照れないでくださいよ!いいなあ、どうやって知り合ったんですか?」
ぐいぐいと強引に聞いてくる後輩に「高校のときから」とだけ答えると、「うわー!そんなの勝ち目ないです!!」とオーバーリアクション。若いテンションに
「入籍後も会社で旧姓なのは、こういう仕事柄だからですか?」
そう言いながら後輩は自分が着ている――私も同じものを着ている――会社のロゴ入りパーカーを指さした。
「会社にはちゃんと説明したけど、堂々と苗字を名乗るのもね」
「あたしだったら、すぐ旦那さんの名前にしたいですけどねー」
それは私も同じ気持ちだよ、と口には出さずに笑い声だけで返事をした。
*
「大森さん、用具チェック終わりました」
次の予定を確認しているところで後輩から声を掛けられる。球場までの道すがらの茶目っ気のある雰囲気はそこにはなく、仕事モードの彼女は眉をキリリと上げて私に駆け寄る。
「ありがとう。さすが早いね」
「へへ、大森さんに褒められると嬉しいです」
「次は選手たちからの調査業務」
「御用聞きですね、あたし初めてです」
「選手と仲良くなるチャンスかもよ?」と冗談交じりにそっと囁く。「頑張ります!!」と彼女も冗談ぽく返してきて、二人揃って笑った。
「あれ、大森じゃん!」
突然に背後から自分の名前を呼ばれ、肩をびくつかせながらも振り向く。そこには球団のユニフォームに身を包んだ御幸の姿があって、こちらに手を振りながら歩いてくるところだった。アップを終えたのか額には汗が浮いている。
「あ、御幸!久しぶりだね」
私も御幸に手を振り返す。その様子を見た後輩は、驚いた表情で私と御幸双方を交互に指さす。だから、人を指さすものじゃないでしょ。
「大森さん、あのイケメン捕手の御幸選手と知り合いなんですか!?」
本人を前に“イケメン捕手”だなんてよく言えるなと、呆れと関心が入り交じる。御幸は私の後輩を見ると「はっはっは」と懐かしい笑い方をした。彼女が羽織るパーカーのロゴマークへちらりと目をやる。
「大森の後輩?」
「うん、こう見えてもすごく仕事ができるんだよ」
「へー。スポンサー様いつもありがとうございます」
ユーモアたっぷりに御幸が頭を下げるのに合わせて、彼女も深々と頭を下げた。
「大森、時間ある?久しぶりだし少し話そうぜ」
「仕事中だけど・・・うん、御幸選手の邪魔にならない範囲でね」
まだ仕事中だけど、確かに久しぶりに御幸に会えたことが嬉しかった。高校時代と変わらないスポーツサングラスが懐かしい。私は後輩に目を向けて、ちょいちょいと手招きする。近寄ってきた彼女に「ごめんね、ちょっと休憩にしようか」とお茶代を手渡した。
*
控え室の端にあるベンチに腰掛け、彼からもらった乳酸菌飲料を口にしながら「結婚おめでとう」「倉持は元気?」など、久しぶりに会った者同士の定型文を一通り交わす。
「御幸も調子よさそうだね」
「ああ、正捕手までもうちょい」
御幸は溜息をつきながら「あとは打率なんだよなぁ」と両手を頭の後ろにやる。プロ7年目の今シーズンが開始してからフル出場中の御幸だが、高校卒業後の野球部の同窓会で「なかなか苦労している」と漏らしていたのを思い出す。
高校の時から身長は高い方だったけれど、プロにはさらに大きな選手が山ほどいるのだと。体づくりを意識した数年を過ごしたという御幸は、今や見違えるほど体格の良い野球選手になっている。
「倉持も頑張ってそうだな」
「うん、出場機会も増えてきて忙しいみたい」
「そっちの球団はショートが固まってねぇもんな」
他リーグのことをよく知っているなと驚きつつも、交流戦の時期だからリサーチをしているのだろうとすぐに合点がいく。
「中島選手が引退したからね」
「ああ、今年は倉持にとって結構チャンスかもな」
「うん、洋一なら絶対に大丈夫」
自分の言葉にハッとする。人前で洋一のことを名前で呼んだことはなかったし、特に野球部時代のチームメイトの前でなんて。
私は「あ、いや、倉持ね。頑張ってるからさ」と慌ててごまかすけど、御幸はそんな私を見てニヤニヤとやらしい笑みを浮かべる。
「今日は俺がスタメンだからな、倉持の活躍はないかもよ?」
こんなにわかりやすい挑発なのに、私は簡単に乗せられてしまう。でも、御幸がプロとして頑張っていることもわかっているつもりだから、咄嗟に出そうになった言葉を一度飲み込んで、言葉を再選択する。
「今日の試合、二人とも応援してるよ。青道野球部のマネージャーとしてね」
*
「そういえば、御幸はこの近くに住んでるの?」
「まぁな。近い方が楽だからな」
周辺の高級マンションの名前を挙げる御幸に「さすが、今話題のイケメン捕手さんだね」と肘で突いてみると、「このへん人の目が多いからさ、セキュリティちゃんとしたとこがいいんだよ」と御幸は肩をすくめた。
「そっか、追っかけのファンもいるもんね」
「最近は球団のSNSがあるだろ?」
今やプロ野球球団のSNS運営は当たり前になってる。球団公式のYouTubeチャンネルをはじめ各種プラットフォームでは練習風景が公開されたり、選手の誕生日が祝われてて、まるでアイドルのような扱いだ。
「うちの球団さ、特にアイドル路線が強ぇんだよ」
「・・・あぁ~」
洋一の所属球団もSNS運用は盛んだし、私は仕事柄もあって球団ごとのSNSはチェックしているから、御幸の言わんとしていることはわかる気がする。
野球以外の事柄に関心のない御幸のことだから、きっと今の風潮は受け入れがたいのかもしれない。
「御幸、去年のファン感で女装してたね」
「おい、それ思い出させるなよ!」
「みゆきちゃん、だっけ」
おどけるように笑ってみせると、御幸は決まりの悪い顔をして額に手を当てる。
「ごつい男がスカート履いて何が面白ぇのかさっぱりだ」
「大森だって、倉持がセーラー服着てたら笑うだろ?」
御幸の言葉にセーラー服姿の洋一が頭に浮かんでしまう。すぐに振り払うけれど、私の脳内に現れたセーラー服の洋一が笑顔でこちらに手を振ってきて、思わず吹き出してしまった。
「やだ、やめてよっ。っく、ツボに入っちゃうじゃんっ」
「お前、自分の旦那のなにを想像してんだよっ」
二人揃って転げるように笑った。
ひとしきり笑って、御幸は私が乳酸菌飲料を飲み終えたことを確認するとベンチから立ち上がる。楽しかった談笑もこれで終わり。私も仕事に戻るスイッチに切り替える。
「大森たちさ、試合のあと用事あんの?」
大森たちというのは、私と洋一のことだ。自分の名前で洋一とひとくくりに呼ばれることが、彼と結婚したことを実感させる。
「ううん、特にないよ」
「じゃあ、3人でメシでも行こうぜ」
「倉持には俺から声掛けとくわ」
じゃあな、と控え室へ向かう御幸の背中に「楽しみにしてるね。試合頑張れ!」と声を張ると、御幸は後ろ手に手を振った。
*
控え室でアンダーシャツを着替えた御幸はグラウンドへと向かう。
今日の交流戦を心待ちにしていた。同学年でクラスも同じ、野球部のチームメイトとして苦楽を共にした倉持とプロとして球場で相まみえるなんて。俺の方が活躍してやるという負けん気は当然あるが、何よりもお互いの成長を見られることが楽しみで仕方がない。
相手球団が球場入りし、グラウンドからは選手の声が聞こえてくる。自軍ベンチからグランドに出ると、紺色のユニフォームを着た選手が各々アップを始めている。
「お、いたいた」
目的の人物を見つけた御幸はニヤリと口角を上げる。気付かれないように静かに、素振りをする倉持に近づく。
「くーらもち!久しぶり」
「うわっ、なんだ御幸かよ」
素振りに集中していたのか、倉持は驚いて声を上げると少し苛立ったように御幸の顔を見る。
「久しぶりだな。元気かよ?」
倉持はすぐに緊張の解けた表情になると、バットを肩に預けて御幸に向かってニヤリと笑った。悪友のようにニヤニヤと笑い合い、言葉には出さないもののお互いの現在を称え合うように握手を交わす。
「おう、絶好調!」
御幸はそう言いながら右手でピースサインを作ると、倉持の肩に腕を回して抱え込むようにする。
「んだよ重てぇな!」
「大森と結婚したんだって~?」
倉持の頬を人差し指で突く。あからさまに嫌そうな顔をする倉持は、自らの肩に乗せられた御幸の腕を振り払った。
「ああ、去年のオフな。今は一緒に暮らしてるぜ」
「ははっ、惚気かよ」
「そんなんじゃねーよ。つか、今日アイツ来てるだろ」
「ああ、さっき裏で会ったよ。後輩引き連れてさ、良い先輩って感じだったな」
「このあと試合見てくみたいだから、メシ誘っといた」
「・・・は?」
倉持は不機嫌そうに御幸を見る。――コイツ勘違いしてるな?
もう少し倉持をいじってやるのも高校時代を思い出させて楽しいが、試合前に余計な感情を持たせるのも趣味が悪いからと素直に説明してやる。
「俺と大森の二人じゃねーよ?倉持もだからな」
「あ、そう。凪が行くってんなら俺も行ってやるよ」
「なんで上から目線なんだよ!」
「てか、やっぱり名前呼びなんだな」
御幸の言葉に倉持はハッとする。
自分といるときに、倉持が大森を名前で呼んだことは今までなかった。野球部の同窓会のときでも、倉持と大森が付き合っていることはみんなが承知していたけど、お互いを苗字で呼び合っていたし。きっと彼らなりの周囲への気遣いだったんだよな。
自分の言葉にどんな反応をするのかと、御幸は倉持の表情を盗み見る。大森のように慌ててごまかしたら、笑ってやろうと思っていたのだが――
「当たり前だろ、夫婦なんだからよ」
けろっと当然のように言ってのける倉持に、御幸は肩透かしを食らった気分になる。
「大森が惚れるのもわかる気がするわ」
「なんだよそれ」
ふんと鼻を鳴らす倉持は訝しげに笑う。御幸は倉持の問いには答えずに身を翻すと、一塁ベンチへ向かって歩き始める。
「今日の試合頑張ろうぜ。倉持の好きにはさせねーけどな」
「ヒャハハ!言っとけ!」
久しぶりに聞いた倉持の独特な笑い声に、御幸は懐かしい気持ちで口角を上げた。
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