大好きなその顔は。(いずあん)
「おい凛月、あれって凛月のとこの先輩とあんずじゃないか？」
凛月の幼馴染みである衣更真緒が学院の正門の方を指さす。
真緒の肩により掛かって歩いていた凛月が面倒臭そうに頭を上げると、そこには銀髪の学生と女生徒がいた。凛月の所属しているユニット、Knightsのメンバーでもある瀬名泉だ。
「んー……？ほんとだ。セッちゃんとあんずじゃん」
「なぁ、俺の見間違えじゃなければ、2人手を繋いでないか？え？2人ってそういう関係なのか？」
「あぁ、そういえばセッちゃんが最近になってあんずと付き合うことになったとか言ってたっけ……。ユニット練習のときにそんなこと言ってた気がする」
朝無理やり真緒に起こされたので欠伸を噛み殺しながら思い出す。ちょうど3日前くらいだろうか。ユニット練習が終わって話がある、と皆を集めて何を話すのかと思えば、あんずを呼んで「俺たち付き合うことにしたから」と言っていた。
少し前から泉とあんずが一緒に居る姿をよく見かけていたので、凛月自体は「ふーん」と言う程度だったが、彼女をお姉さま、と呼ぶまでに慕っている後輩の司は信じられない、と言わんばかりに驚いていた。「脅されてるのではないですか？」と散々あんずに聞いては泉を怒らせていた。凛月としては、2人が付き合うことよりもそちらのやり取りの方が面白く、今思い出しても笑えるくらいだ。ふふっと、つい笑ってしまうと、隣にいる真緒に大丈夫か？と聞かれてしまった。
あんずを妹として慕っている嵐も驚いてはいたが、「あらあら」というくらいでそんなに酷く驚いた様子はなかった。Knightsのリーダーであるレオは「なんだそれ、面白いな！いつの間にそんなことになったんだ？あ、待って待って言わないで！」といつものやり取り。そのままインスピレーションが湧いたとかで作曲に没頭し始めた。
「いつの間にそんなことになったんだ？……というか、これ、スバルとか知らないんじゃないか？真とかも卒倒しそうだな。待てよ、先輩と付き合い始めたなら誕生日会とか開いてる場合じゃないのか？当日は2人で過ごしたかったりすんのかな、やっぱり」
「今週末大丈夫なのか？」と、隣にいる幼馴染みは付き合っていること自体は特に気にした様子でもなく、周りを心配する様子にらしいな、と感じてしまう。
「ん？誕生日会……？誰の誕生日会開くの？」
「凛月ぅー！？俺散々言っただろー！？あんずのだよ！そのおかげでスバルや北斗や真は2ヶ月も前からコソコソと準備してんだぞ！？折角だから盛大にしたい、とかで。あんずにいつバレるんじゃないか、ってヒヤヒヤしてんだから。凛月にも当日は美味しいケーキ作ってくれ、て俺言っただろ。広がりに広がってほぼ全ユニットの人が集まるんじゃないか？」
「そうだったっけぇ……？んー、たしかに言われたような……」
過去の記憶を遡ってみるが、確かな記憶はない。記憶の片隅に真緒にそんなことを言われたような気がするな、というくらいだ。
「……ねぇ。その誕生日会って2ヶ月前くらいから準備してんの？」
「あ？ああ、そうだけど。どうかしたか？」
「んーん、別に……？なんか、面倒なことになってなければ良いけど、と思って」
凛月の意味深な発言に真緒は首をかしげ不思議そうにしていたが、それ以上凛月が何も言わないだろうことを悟ると、そんなことより早く教室行こう、とゆっくりと歩く凛月を引っ張った。
確か泉とあんすが近づき始めたのも2ヶ月くらい前だ。誕生日会を彼女に内緒にしている、ということは彼女に隠れて準備をしている、ということだ。Trickstarとあんずの距離間がどういうものになったかは想像に難くない。
「ま、俺には関係ないけどねぇ……」
ついには抑えきれなくなった欠伸をしながら、凛月は真緒に引きづられ教室へと向かった。
◇
「ほぉら、あんず。ボケッとしてないでさっさと行くよー」
3日前から付き合うことになった、アイドル科に唯一女子生徒として所属している後輩の手をしっかりと握りながら泉は学び舎まで歩いていた。
時間が時間なだけに多くの生徒からの視線が刺さるが気にしていなかった。気にしているのはあんずのようで、「瀬名先輩、恥ずかしいです……」と顔を俯かせながら手を引っ込めようとするので「はぁ？」と一言。
「なぁにー？俺と一緒に手を繋ぐのが恥ずかしいって言うのぉ？」
「そ、そういうわけではないんですけど……」
「だったら、あんたは黙って俺に引かれてれば良いの。それとあんず、瀬名先輩じゃないでしょー？」
ほら、何て言うんだっけ？と耳元で囁くと、顔を真っ赤にさせながら、「泉先輩……です」と囁いた。良く出来ました、と頭を撫でてやるとより一層顔を真っ赤にさせているが、それ以上に周りからの視線が突き刺さった。
こういうのは周りにしっかりとアピールしておかなきゃねぇ。
泉とあんずがこういう関係になったのは、2ヶ月くらい前のある出来事がきっかけだった。その日はどうやら、あんずはTrickstarのユニット練に参加していたらしいが、練習も終わると早々と解散となった。いつもならばスバルや真のお喋りが始まり、30分くらいはその場に留まるのが最早日課となっていたらしい。そのままファストフードに行くことも多々あるし、その場で解散、というのはその時が初めてではないか、と思い返すくらいだったようだ。少しの違和感を感じるも、そういうこともあるだろう、とその時は特に何も思わなかったのだが、そういったことが3〜4日続いた。ちょうどTrickstarの仕事を取ってきたときだったので、必然的に1週間程度はユニット練に付き合っていた時だった。ユニット練だけでなく、休憩時間に話し掛けてもどこか上の空のような感じで、さすがに違和感を拭い切れなかったあんずは、何かあったのか、と聞いたが、とくに何もない、の一点張り。挙げ句の果てにはTrickstarのリーダーである氷鷹北斗に「転校生には関係ない」の言葉までもらっていた。
その現場をちょうど泉が通りすがった。「そっか、分かった」と言っているあんずの声は無理して笑っていると誰が聞いても分かる酷い声だった。まるで細い針の上に頑張って片足で立っている状態のあんずの心をトン、と一押しして落としてやりたい気持ちになったのも確かだし、その一押しでどうなるのか見てみたい、という気持ちも確かにあった。
「喧嘩でもしたわけぇ？」
Trickstarのリーダーが立ち去ってからもそこに呆然と立っているあんずにそっと近づき、泉が後ろから声を掛けるとビクッと肩をふるわせて泉の方を向いた。ぐっと堪えていた涙が泉の一言で耐えきれなくなったようで、彼女の頬を伝う。
「ちょっと、いきなり泣き出さないでよねぇ。俺が泣かせたみたいになってるじゃん。チョ〜うざいんだけどぉ」
はぁあ、と盛大なため息交じりにそう告げると「ごめ……なさ……」と最早声にならない謝罪が聞こえ、その場でボロボロと泣き出した。
その顔のゾクゾクすること。
昔から泉が愛して止まない遊木真を弄ったり、後輩いびりは良くやっていたのだが、あんずの泣き顔はたまらなく泉を興奮させた。その顔をもっと見てみたい、と思ったらもう止まらなかった。彼女の腕を引っ張り、そこら辺の空き教室へと連れて行く。泉の突然の行動にキョトンとするも、泉が「それで？」と聞くと、今までのことを思い出したのか、止まっていた涙をまた流しながらそれまでの経緯を話してくれた。
その時点では、泉自身にも何故そのようなことになっているかは分からなかったが、上手くやればあんずを独り占めできると思った。別にその時は彼女が好きな訳ではなかったのだが。ただ、泉を興奮させたその泣き顔を、更に言うならばもっとぐちゃぐちゃになった顔を見てみたいと純粋に思った。
「ふぅん。まぁ俺には分かんないけど、あんたが何かやって怒らせたんじゃないのー？ほら、あんた鈍いし、気付かない間に何かやっちゃったんでしょ。そんなことでいちいち泣かないでよねぇ」
「ごめんなさ……」
「まぁでも？仕方ないから俺が、お兄ちゃんが相談に乗ってあげるよぉ？……良い、あんず、この話は他言無用にしなよ。どこで誰が聞いてるか分かんないし、Trickstarのほうに万が一あんずがそんな話をしてたことが伝わったら余計拗れちゃうだろうしねぇ」
にっこりとあんずにそう告げると「分かりました」と歪んだ顔で頷いた。
その次の日に、何故Trickstarとあんずがそのようなことになったのかは嵐の口から判明した。
「ちょっと、泉ちゃん聞いたァ？今度、あんずちゃんのお誕生日会するみたいよォ！」
「はぁ？なに、あいつ誕生日なの？」
「うーん……、誕生日自体は2ヶ月後らしいんだけど、Trickstarのメンバーを中心にあんずちゃんには内緒でもうすでに準備しちゃってるみたいなのよォ。真緒ちゃんに良かったら参加してくれ、て言われちゃった。うふふ」
Knightsのユニット練習の日、まだ嵐と泉しか揃っていない時だった。誘われたことが嬉しかったのか、嵐は嬉々として泉にそう告げた。
「……いつから準備始めてるのぉ？」
「確か、1週間くらい前、て言ってたと思うわよォ？ねーえ、泉ちゃんも参加しましょうよォ！」
「ふーん……。気が向いたらねぇ」
その後も嵐は何かを言っていたが、ハイハイ、と聞いているふりをしながら、昨日のあんずの様子とTrickstarとの話の糸を繋げていた。恐らく、準備の絡みで彼女を意図的に避けているのだろう。
「もうちょっと上手くやれば良いのにねぇ……」
思わず出ていた言葉に嵐が「何か言った？」と聞いてきたが、「何でも無い」と答えると、「何か悪いこと考えてる顔してるわよォ」と呆れ顔。どうやら顔にも出ていたようだ。
思いの外、人をしっかり見ている後輩だよねぇ。気を付けないと。
『昼休み、ガーデンテラス集合』
休憩時間にそんなメールをあんずに送る。
昼休みになると、「どうかしましたか？」とメール文通り、ガーデンテラスへと彼女はやってきた。
「どぉせ、お昼休みも一人で食べてるんでしょー？お兄ちゃんが一緒に食べてあげる」
にっこりと笑顔を作りながら言い放つと本当にその通りだったようで、うつむき加減に「お願いします」と言ってきた。
「いつもだったら、スバルくんとかと食べるんですけど……」
どうやら本気で避けられてるみたいで、とその声は最早涙声だった。
顔を下に向けられると見えないんだよねぇ。
顎をクイッと持ち上げ、泉のほうへ向けると泣きそうな顔をしていたのが真っ赤に染まった。
「な、なんですか？」
「んーん？あんたがいまどんな顔してるんだろう、て思って」
見たい顔はその顔ではないのだけれども。
「せ、瀬名先輩そういうことさらりとやっちゃ駄目ですよ……」
「へぇ？どうして」
「わたしの身が持ちません……」
「じゃあ、こんなことさせないように、どんな表情も俺に見せてくれないかなぁ」
「そ、それも身が持ちません……」
「ふふっ、チョ〜わがまま」
顔を真っ赤にさせながら恥ずかしそうにするあんずの顔もたまには良いものだねぇ。あの時の泣き顔には代えられないけれど。
お昼ご飯を食べながら、明日からも一緒に食べる約束を取り付けた。どうやら、最近はTrickstarのメンツだけではなく、クラスの人からも少しよそよそしい態度を取られているようで、すぐに承諾された。
以前、嵐がパーティーに誘われた、と言っていた。嵐にパーティーの参加を聞くと言うことは、当然、クラスの人間にも参加を促しているのだろう。
本当、下手くそだねぇ。まあ、こっちとしては好都合なのだけれど。
それから数日間、毎日あんずとお昼を食べていた。
「まだ喧嘩してるわけ？」
「まだみんなわたしのこと許してくれないみたいで……。最近は話しかけるのも少し怖くなっちゃいました。何を話しても悪い方向に行く気がしちゃって」
Trickstarとの近況を聞くと、眉間にしわを寄せながら困ったような表情で笑顔を作る彼女の顔が泉はどうにもたまらなく好きになっていた。泣き笑いというのだろうか。
「ふぅん。まぁ、俺にはあんたとTrickstarがどうなろうと関係ないけど」
泉の関係ない、という言葉に反応し、あんずの顔が陰る。ゾクゾクする気持ちを抑えながら、「泣かれても困るんだけどぉ」と言うと彼女の頬に涙が伝う。
本当、冷たくするとすぐ泣くんだもんねぇ。もっと見せて欲しいけれど、我慢我慢。
「だから何で泣くかなぁ」
「ごめん……なさ……。……瀬名先輩、関係ないとか言いながらなんで構って下さるんですか」
涙を拭ってやると、少し落ち着いたのか、それとも別のことを考えようとしたのか、泉に問う。
「そりゃあ、俺はお兄ちゃんだからねぇ」
勿論、そんな理由ではないけれど。
回答として納得したのか、「ありがとうございます」と言う顔は完璧に泉を信じきっている顔だった。
『ごめん、今日は行けそうにない』
3日連続でお昼前に送ると、『分かりました』の返事。
そんなこんなであんずとのお昼は土日をはさんで5日ぶりとなった。その間も何通かメールは来たが、連絡事項など、最低限のやり取りしかしていない。
「久しぶり」
あんずのほうもここのところはTrickstarとの仕事があったため、放課後に会うこともなく、再会自体も久しぶりとなった。
泉と会った瞬間にその顔は綺麗に歪み、この5日間もなんら状況は変わっていないことを匂わせる。
「出会って早々泣くとかなぁにー？俺に会えなくてそんなに寂しかったのぉ？」
泣き顔を見せつつ、素早く頷きながらその場に立ち尽くす姿に顔がニヤけないよう必死だった。
「ふぅん。……おいで、あんず」
突然呼ばれたことにビックリしつつも、素直に泉へと近づいてきた彼女を優しく抱きしめると腕の中でバタバタと暴れ出した。
「ちょっとぉ、暴れないでよねぇー」
「だって、瀬名先輩がいきなりそんなことするから……！」
「あんたが泣くからでしょ。ねぇあんず、そんなに寂しいなら俺と付き合おっか」
あんずを軽く解放しつつも腕の中に収めながら顔を見つめる。
「え？えっと……」
突然の展開についていけないのか、驚きを隠せない様子を泉に見せた。
「なぁにー？嫌なの？」
「嫌だなんて……。この3日間、瀬名先輩に会えなくて本当に辛くて……。でも、瀬名先輩に迷惑かけたくないですし……」
顔を真っ赤にしながら、あんずはうつむき加減に話していたので、顎を持ち上げ、泉のほうを向かせる。
「迷惑とか今更なんだけど。あんた的にはどうなの」
「……本当にわたしで良いんですか？」
「しつこいんだけどぉ？」
「えっと……、せ、瀬名先輩さえ良ければ、お願い……します」
恥ずかしそうに目を伏せ、「私には瀬名先輩しかいないので……」と呟くあんずの口元へそっと口を運び、「ふふ、覚悟しておきなよねぇ」とだけ泉は耳元で囁いた。
3日間会わなかったこともメールに対して反応をあまりしなかったことも、あんずがTrickstarとの仕事のときに会わないようにしたのも全て計算なのだけれど。泉を見つめるその目はそんなことを微塵も疑っていなかった。
人は会わない間に相手のことを考える、て言うしねぇ。
それは時として人を狂わせてしまうほどに。
こうして、あんずと付き合うことになったのだけれど、登校のときに手を繋いで歩いた効果は絶大だったようだ。
「ちょっとちょっとちょっとぉ！！？人が珍しく朝から登校したと思ったら信じられない光景見たんだけど！せなっち！あんずちゃんと手を繋いでたのってどういうこと！？」
本当に珍しく朝から登校をしてきた羽風薫は教室に入ってきた早々、足早に泉のほうへと駆けてきた。
「朝から騒がしいんだけどぉー？そんな騒がないでよねぇ。どういうことって、見たまんまの通りなんだけど」
「へぇ……。いつの間に2人はそんな関係になっていたのかな？」
薫だけでなく、英智や千秋までどういうこと、と泉の机までやってくるくらいにはあんずはみんなから慕われているようだ。
それなのにみんなから嫌われていると泣くあんずがおかしくてたまらない。
「あんたには関係ないでしょ。言っておくけど、あんずに手を出したらただじゃ済ませないからねぇ」
「俺のあんずちゃんが……」
「ちょっとかおくん、いつからあんたのあんずになってんの」
この様子だと、あんずのほうも教室で問い詰められているのではないだろうか。あんずがどんな風に躱すのかそれはそれで見てみたい気もしたが、それで困るあんずを想像するだけで泉の心は満たされた。
「セッちゃんセッちゃん、今週末あんずの誕生日だって知ってたぁ……？」
Knightsのユニット練習も終わりクールダウン中、汗を拭きながらのことだった。
「当たり前でしょ」
「ふぅん。じゃあ、なんかまーくんたちがあんずのために誕生日パーティー用意してるのは？」
「あぁ、なんかなるくんが言ってたやつでしょ」
「まーくん、誕生日パーティーやっても良いのか不安がってたけど、セッちゃん的にはどうなの？」
ちらり、と部屋を見やるとどうやらレオがまた作曲を始めたようで、壁や床にはお得意の五線譜と音符。嵐と司が必死に止めているのが目に入った。
「あんずが参加したいなら参加すれば良いんじゃないの。前々から準備してたみたいだし。まぁ、本人が参加したければ、だけどねぇ」
「……セッちゃんが何したか知らないけど、あんまりやり過ぎて痛い目見ないようにねぇ……」
言いながらつい笑みを浮かべていたようで、目の前の自称吸血鬼の同い年でもある後輩は諭すように泉に告げた。
「はぁあ？言ってる意味が分かんないんだけど、チョ〜うざい」
「まぁ、俺には関係ないけどぉ……。セッちゃん、魔王みたいな顔してるよ」
「勝手に人のこと魔王にしないでよねぇ」
「あ、あと、まーくん困らせたりしないでよね。俺としてはそっちの方が許せないかもぉ……」
「困らせるとしたら、俺じゃなくてあんずでしょぉ？俺は何もしてないんだから」
クールダウンが終わったのか、泉との会話に飽きたのか、その場を離れながら凛月が「何もしてない、ねぇ……」と呟くのが聞こえた。
「泉先輩、今日、スバルくんたちに今週末空けておいてくれ、て言われました。行って来ても良いですか？」
泉としては当然、誘われても最早話しかけられることすら萎縮しまくっているあんずが誕生日会に参加するとは微塵も思っていなかった。だからこそ、その提案は泉を酷く驚かせた。
「……あんずは大丈夫なの？」
平常心を装いながらあんずに問うが、今までの恐怖と戦っているのだろう。少しの間沈黙が訪れた。
「……正直、怖いか怖くないか、で言ったら凄く怖いです。でも、それ以上に何がどうしてこうなったのか、もう一度戻れるチャンスがあるなら、縋れるなら縋ってみたいんです」
「あんたは……」
「え？」
「あんたは、もう俺しかいない、て言ってたよねぇ？それは嘘だったんだ」
Trickstarのことを思い浮かべながら話すその顔は泉の好きなその顔ではなく、つい攻撃的に言ってしまう。
そんな希望に満ちた顔を見せつけないで欲しい。行ってしまえば、全てが終わってしまうだろう。この2ヶ月間、みんなが何故あんずを避けていたか、その理由も分かるだろうし、そしてこれからは元通りになる。
そこに泉の好きなあんずはいない。
「それは……」
泉の苛立ちを感じ取ったのか、否定も肯定もしないあんずを見据えると、泉の中でガラガラと何かが壊れる音がした。
「ふ……。まぁ良いよ。行っておいでよ。でもきっと、行ってしまったら俺はあんずとは付き合えなくなるだろうから」
「え？泉先輩、どういう、」
「だからさ、明日の放課後付き合ってよ」
泉に対する疑問を押さえ込むように明日の約束を取り付けると、納得しないままのあんずとその日は別れた。
「今日は最後になるだろうし、俺の部屋、来てくれない？」
次の日の放課後、校門で待っていた泉はあんずの姿を見つけると、バイクのヘルメットを投げつけた。慌ててヘルメットをキャッチするあんずの姿からは昨日の話が納得できていないからか、戸惑いだとか、不安だとかが感じ取れた。
「泉先輩、説明してくださ、」
「部屋に着いてからで良いでしょぉ？そんなに焦んなくてもさ」
そう言ってバイクに跨がると、あんずも渋々といった様子で後を追うようにバイクに跨がった。
◇
「珈琲で良いでしょ？まぁ、珈琲しかないんだけど」
ほぼ独り言のように呟いて泉は部屋から出て行ってしまう。
男の部屋に入るのなんて弟以外では初めてなので少しソワソワしながら泉の部屋を見渡す。人柄が現れているその部屋は必要最低限のインテリアで整然とされていた。ほこりやゴミ1つ許さない完璧な部屋、そんな印象を受ける。だが、どこか落ち着くのは泉の匂いに包まれているからだろうか、とあんずはぼんやりと考える。昨日から泉の言動に振り回されあんずの頭はまとまらないままだった。
スバル達にとまともに話したのはいつだっただろうか。もうずいぶんと前な気がする。その日は突然やってきて、あんずの日常を狂わせた。
練習時間終わりになってもまだ練習し足りないのかダンスであったり、パフォーマンスであったりを真と話をしながら確認し合って、時にはあんずに向かって「今のどう？」と聞いたりして、それに応えると「さすがプロデューサー」なんて言ってくれたりして、そして「いい加減終わるぞー」なんて真緒が締めてくれる。北斗もああ見えて意外とスバル達と確認しあったりするので、最終的な注意係はいつも真緒の役目。それで「ごめんごめんサリー」なんて言って戯けるTrickstarのみんなが大好きだった。
でもその日は違った。練習時間終わりになると「それじゃ帰ろっか」とすぐに身支度を整え帰って行った。たまにはそんな日もあるか、と珍しい気持ちもあったが、あんず側としても他のユニットの企画もあったりしてやることはあったのであまり気にしていなかった。だが、そんな日が1週間も続いた。
「最近帰るのみんな早いね」
何気なく聞いただけだった。
「そ、そうかな？いつもこんな感じじゃないかな、僕たち」
あははは、と誤魔化すように笑う真の姿に、何かを隠していることは一目瞭然だった。
嘘がつけないんだなぁ。
いつでも一生懸命で真っ直ぐな真を見て心がざわついた。
そして、「何かあったの？何か助けられるなら助けたい」そう言ったあんずに対して発した北斗の一言はあんずの心に傷をつけるには充分だった。
「転校生には関係ない。あっちに行っておいてくれ」
思ったことを飾りっ気なく言うのは北斗の良いところで好きなところであったが、この時だけはその性格を呪った。
「そっか、分かった。ごめんね」
ちゃんと笑えているだろうか。変な顔をして更に北斗に変に思われたらどうしよう。泣くならせめて居なくなってから泣かなくちゃ。
そう思っていた時だった。
「喧嘩でもしたわけぇ？」
あんずの後ろから突然聞こえたその声は、普段はツンケンしていて厳しくされることもあるが、その奥には秘めた優しさを持っているそして自分自身にはとても厳しい先輩の声だった。
あんずが振り向くといつものようにあんずを攻めるわけでもなく、だからといって心配をされているわけでもなく、ただそこにいたから聞いてみた、という泉がいた。喧嘩、なんだろうか。あんずには身に覚えが全くないので最早喧嘩と言っていいか分からないものだった。むしろ喧嘩のほうが、身に覚えがあるほうがよっぽどか良かった。そう思うともう涙が止まらなかった。
「ちょっと、いきなり泣き出さないでよねぇ」
いつものようにため息をつかれながら「チョ〜うざぁい」と言われるが、その場から立ち去ろうとせず、あんずを心配するあたりが泉の優しさだ。その優しさに甘えるまま、あんずは今までのことを全て泉に話した。
その後も、お昼ご飯に誘ってくれたりと、泉は何かと気にかけてくれた。普段だったら教室であったり、食堂であったりでTrickstarのみんなと食べているのだが、北斗に何でも無い、と言われて以来、誘うことにも臆するようになり、お昼ご飯だけでなく、休憩時間も一人で過ごすようになっていた。スバル達も休憩時間になると真や北斗と集まって何かを話してることが多く、かと言って体育の時などになると何事もないかのように話しかけてくる。球技などだと「一緒に投げあっこしよう！」とまで誘ってくるのに、休憩時間にはやはりあまり近づいてこないのであんずも訳が分からなくなっていた。そしてそれはまるでインフルエンザのように徐々にあんずの周りで拡大していった。
「あんず殿、とりっくすたぁの奴らと喧嘩でもしたのか？」
「喧嘩は良くない」
同じクラスである颯馬やアドニス達にも一人でいることが多くなったからだろう、初めのうちは心配をされたが、徐々に徐々に颯馬たちからも余所余所しくされ始めた。
そしてそれは同じクラスだけではなく、隣のクラスにも感染をしていった。晃牙やみかなど、同じ学年故に廊下などですれ違う機会も多く、その度に声を掛けられていたのだが、それも徐々に無くなっていった。みかに至っては声を掛けると「話しかけんといてやぁ〜！俺こういうのダメやねん」とまで言われる始末。
そうなるともう全てが負の連鎖だった。誰に声を掛けても、もう前のように仲良くしてくれないのではないか、このままではプロデューサー失格だし、自分の存在価値が分からなくなってくる。だからこそ何事もないかのように話してくれる泉に縋るしかなかった。
同じ学年でも嵐や凛月も普段通りに話しかけてくれたが、いつみんなと同じようになるかが分からなかったので、何を話せば良いかも分からず、会話の記憶がなかった。もうまともにみんなの顔を見ていない。
『ごめん、今日は行けそうにない』
泉から3日連続で昼に会えないという連絡が来るだけで心臓がバクバクした。まさか泉にも来てしまったのだろうか。もう一緒にご飯を食べてくれることも、相談に乗ってくれることも出来なくなってしまうのだろうか。これ以上離れていかれたら誰に縋れば良いのだろうか。気が付けばあんずの中で泉の存在がかなり大きいものになっていたことにそこで気付いた。そして泉が好きなのだと自覚した。しかし、そのことに気付いたときには泉はもうあんずのもとから離れてしまったのだと思うと心が張り裂ける思いだった。連絡も最低限しか無いそんな長く感じられる日々の中、久しぶりに会った泉は今まで通りの泉だった。
「久しぶり。次のライブの打合せとかまぁ将来のこととかちょっとバタついてた、ごめん」
ため息交じりに「王さま何でもかんでも俺に任せすぎ」と言う泉に安堵し、泉の顔を見た瞬間、涙が自然と流れ出た。
「出会って早々泣くとかなぁにー？俺に会えなくてそんなに寂しかったのぉ？」
ふふっと笑いながら優しい顔でそう言われるが最後、涙を止めることが出来ず、会話もままならないくらいにしゃくり上げた。
早く泣き止まないと。また泉に呆れられてしまう。それどころか、嫌われるかも知れない。
そう思うが止まることない涙顔のあんずにやった泉の行動はあんずの涙を止めるには充分の行為だった。「おいで」と言われるままに近付くと抱きしめられる。
突然のことに頭が理解できず、身体ばかりが勝手に暴れると、「ちょっと、暴れないでよねぇー」と抱きしめられる力も強くなる。
だって、だってこんなの。期待してはいけないと思っていても期待してしまう。
そんな不安を打ち砕くかのように泉はあんずに対して付き合おう、と言った。「No」と言えるわけもなく、寧ろ迷惑を掛けてしまうのではないか、泉があんずを好きになる要素が全く思いつかないあんずを泉は受け入れてくれた。
それはあんずが泉に依存するには充分すぎる戦略だった。
「あああああんずちゃん！？今日の朝、泉さんと手を繋いでたの見ちゃったんだけど、どういうこと！！？」
泉と付き合い始めてすぐ、泉と手を繋ぎながら登校していた姿は多くの人から突っ込まれた。あんずの目の前で慌てふためく真もその一人で、特に真は泉のことを苦手としているので余計複雑なようだ。
「あの、えっと……。そ、そういうこと、です……」
「う、うそでしょー！？」
見られていた恥ずかしさよりも昔のように話しかけてくれることがあんずとしては嬉しかった。
「あのワカメ先輩にいじめられてるとかじゃないんだよね？」
いじめ。いじめで言うならこの2ヶ月間のほうがあんずにとってはつらい日々で、それを助けてくれた泉に対してそんなことを言うスバルに少し苛立ちを覚える。だが、その顔はあんずのことを本気で心配してくれている顔で、もう訳が分からない。
「泉先輩は凄く優しいよ？」
この様子だと泉のほうも教室で色んな人から言われているのではないだろうか。どんな顔で躱しているのか想像するだけであんずの心は満たされた。
それから数日はあんずと泉が付き合っていると公言されているからか、物珍しい目で見られることもあったが、心穏やかな日々が続いた。そんなある日だった。
「ねぇ、あんず。今週末は瀬名先輩と予定とかあるの？あんずに来て欲しいところがあるんだけど」
目を輝かせながら言うスバルのその顔はあんずの好きな好奇心旺盛な顔だった。
「俺たちこの日のためにすっごくすっごく頑張ったからさ！だめかな」
今までのことがまるで無かったかのような物言いに、『終わった』んだな、と感じてしまう。きっとTrickstarのみんなに纏わりついていたモヤモヤとしたものはなくなったのだ、そう感じてしまった。だからこそ、素直に「行かせて」と答えてしまった。
これまで何があったのか、それを聞かなければ。今まで静かに見守ってくれていた泉のためにも。
そう思ったからこそ、泉も喜んでくれると思いきっていた。
「ふぅん。良かったじゃん。あんずが頑張ったからこそだね」
決して笑顔ではないだろう、きっと何事もないかのように言ってくれるだろう、でもそれが泉だから、その裏側の優しさこそが泉だから、と思っていた。
しかし、現実は違った。行くことは許可してくれたが、その代わりの代償が大きすぎた。
「ふ……。まぁ良いよ。行っておいでよ。でもきっと、行ってしまったら俺はあんずとは付き合えなくなるだろうから」
どういうことだろうか。行ったとしても、あんずの泉に対する気持ちは変わらない自信があった。スバル達に何があったかは分からないがあんずにとってつらい2ヶ月をともにしてくれたのは泉なのだから。
理由を問いただそうとするも、明日まで待てとの一点張り。そして訳が分からないまま、あんずは泉の部屋へと至る。
「お待たせ。俺が人に珈琲淹れるなんて滅多にないんだから、しっかり味わってよねぇ」
シンプルな白いマグカップと黒いマグカップに淹れられた珈琲からは湯気とともに美味しそうな匂いを纏わせていた。
「砂糖は好きにいれなよぉ。ミルクはいる？」
自分で淹れた珈琲を飲みながら「いるなら持ってくるけど」と見つめてくる泉に「大丈夫です」と首を振る。
そうして暫くは無言の時間が広がった。どちらから何かを発する訳でも無く、その静寂な空間に「飲まないの？」と泉の声が響く。暫くしても机に置かれた珈琲をじっと見るだけで身動き1つしないあんずに痺れを切らしたのだろう。
「あんず、緊張しすぎ」
ふふっと笑ういつも通りの泉を見て、あんずは自分が緊張していたことに気付いた。
「いただきます」
そう言って泉の淹れた珈琲を飲むと、珈琲独特の苦味とともにしっかりとしたまろやかさとコクを感じられる。
「美味しい」
ついポロッと出た感想に「俺が淹れたんだから当然でしょぉ」と優しく笑う泉の顔。その顔からは本当に今日で最後とは思えない。その後も2人で珈琲を静かに飲む音が部屋を包む。
「泉先ぱ、」
「俺さぁ、実はさ、この2ヶ月間、あんずの身に何が起きてたか知ってたんだよねぇ」
珈琲を半分飲んだくらいだろうか、昨日のことを聞こうとしたあんずに声を被らせてきた泉から出た発言は思いもよらないもので、つい「え？」と聞き返してしまう。
「だからさ、俺、あんずがなんでみんなから避けられてるのか、とかTrickstarのやつらが何しようとしているのか、とか全部知ってるんだよねぇ」
いつものようににっこりと笑う泉に少し恐怖を感じる。
「あんたさ、今週末何の日か知ってる？」
「今週末……？スバルくんたちに誘われ、」
「ほぉんと、あんずっておバカだよねぇ」
あんずが答え終わる前にふふっと笑う顔は真に向けて笑う、悪いことを考えているときの顔だった。
「今週末、あんた誕生日なの」
誕生日。そんなことを考える余裕なんて全くなかったあんずはそこで自分の誕生日が今週末であったことに気付いた。
「あいつら、今週末の誕生日のために、2ヶ月も前から計画立ててさ、そのせいであんずに余所余所しくしちゃって。まぁ、あいつらの性格だったら一緒にいたらボロが出るだろうし、だったら近づかない、ていう選択肢にしたんだろうけど。それで当の本人悲しませるんだからほぉんと、おバカだよねぇ。……まぁでも。そのおかげで俺はこうしていい顔をして泣くあんずを手に入れた訳だし、そこはありがとうって感じかなぁ」
ふふっと笑う泉に言い表せない不安を感じ、背中がゾクリとする。泉先輩、と口を開こうとするが、次第に頭も回らなくなり、その声が外に出ることは無かった。頭がボーッとしてきて泉が何かを話しているが、その声も次第に遠くなってくる。聞こえてくるのは単語単語で、「あんず」と呼ぶ声と「泣き顔」、「予定外」という言葉だけだった。
そして、あんずが意識を手放す前に見た泉の顔は、いつも泣いてしまったときにあんずに向けてくれる大好きな顔だった。愛しそうに優しいその顔から「おやすみ」と聞こえるとそこであんずの意識は途切れた。
◇
泉の目の前で眠るあんずの顔は泉をゾクゾクとさせる歪んだ顔だった。
ふふっ、しっかり薬が効いてるみたいだねぇ。そんな顔で寝るなんて、あんずも良いことしてくれるんだから。
泣き顔を見せたまま眠るあんずを愛しい目で見つめながら泉はそっと頬にキスを落とす。
それにしても。事情を全て知ってる、て言ったときのあんずの顔はたまらなかった。
信じていた泉からの裏切りは最高のスパイスとなってあんずの顔に現れたようだ。
まぁ、後半くらいの言葉はもう聞こえていなかったようだけどねぇ。目が覚めたらベッドの上で裸になってる自分を見たらあんずはどんな顔をしてくれるかな。あぁ、そうだ。証拠もしっかりと残しておかないと。……あんずが悪いんだからねぇ。せっかく、あんずに悟られないように調教していたのに。あんな希望に満ちた顔をまださせるなんて、俺も詰めが甘かったかな。まぁ良いよ。こうしてあんずを好きに出来るんだから。というか、最初っからこうしておけば良かったんだよねぇ。俺もまだまだだったってことかな。
あんずを愛しそうに抱きかかえ、泉はベッドの上へとあんずを移動させ、そのシャツをはだかせた。
ふふっ、まだまだ俺を楽しませてよねぇ、あんず。そしてこれからはずーっと俺に対して歪んだ顔を俺に見せてよねぇ。大好きだよ、あんず。
そうして泉はあらわになったあんずの胸元にそっとキスを落とした。
凛月の幼馴染みである衣更真緒が学院の正門の方を指さす。
真緒の肩により掛かって歩いていた凛月が面倒臭そうに頭を上げると、そこには銀髪の学生と女生徒がいた。凛月の所属しているユニット、Knightsのメンバーでもある瀬名泉だ。
「んー……？ほんとだ。セッちゃんとあんずじゃん」
「なぁ、俺の見間違えじゃなければ、2人手を繋いでないか？え？2人ってそういう関係なのか？」
「あぁ、そういえばセッちゃんが最近になってあんずと付き合うことになったとか言ってたっけ……。ユニット練習のときにそんなこと言ってた気がする」
朝無理やり真緒に起こされたので欠伸を噛み殺しながら思い出す。ちょうど3日前くらいだろうか。ユニット練習が終わって話がある、と皆を集めて何を話すのかと思えば、あんずを呼んで「俺たち付き合うことにしたから」と言っていた。
少し前から泉とあんずが一緒に居る姿をよく見かけていたので、凛月自体は「ふーん」と言う程度だったが、彼女をお姉さま、と呼ぶまでに慕っている後輩の司は信じられない、と言わんばかりに驚いていた。「脅されてるのではないですか？」と散々あんずに聞いては泉を怒らせていた。凛月としては、2人が付き合うことよりもそちらのやり取りの方が面白く、今思い出しても笑えるくらいだ。ふふっと、つい笑ってしまうと、隣にいる真緒に大丈夫か？と聞かれてしまった。
あんずを妹として慕っている嵐も驚いてはいたが、「あらあら」というくらいでそんなに酷く驚いた様子はなかった。Knightsのリーダーであるレオは「なんだそれ、面白いな！いつの間にそんなことになったんだ？あ、待って待って言わないで！」といつものやり取り。そのままインスピレーションが湧いたとかで作曲に没頭し始めた。
「いつの間にそんなことになったんだ？……というか、これ、スバルとか知らないんじゃないか？真とかも卒倒しそうだな。待てよ、先輩と付き合い始めたなら誕生日会とか開いてる場合じゃないのか？当日は2人で過ごしたかったりすんのかな、やっぱり」
「今週末大丈夫なのか？」と、隣にいる幼馴染みは付き合っていること自体は特に気にした様子でもなく、周りを心配する様子にらしいな、と感じてしまう。
「ん？誕生日会……？誰の誕生日会開くの？」
「凛月ぅー！？俺散々言っただろー！？あんずのだよ！そのおかげでスバルや北斗や真は2ヶ月も前からコソコソと準備してんだぞ！？折角だから盛大にしたい、とかで。あんずにいつバレるんじゃないか、ってヒヤヒヤしてんだから。凛月にも当日は美味しいケーキ作ってくれ、て俺言っただろ。広がりに広がってほぼ全ユニットの人が集まるんじゃないか？」
「そうだったっけぇ……？んー、たしかに言われたような……」
過去の記憶を遡ってみるが、確かな記憶はない。記憶の片隅に真緒にそんなことを言われたような気がするな、というくらいだ。
「……ねぇ。その誕生日会って2ヶ月前くらいから準備してんの？」
「あ？ああ、そうだけど。どうかしたか？」
「んーん、別に……？なんか、面倒なことになってなければ良いけど、と思って」
凛月の意味深な発言に真緒は首をかしげ不思議そうにしていたが、それ以上凛月が何も言わないだろうことを悟ると、そんなことより早く教室行こう、とゆっくりと歩く凛月を引っ張った。
確か泉とあんすが近づき始めたのも2ヶ月くらい前だ。誕生日会を彼女に内緒にしている、ということは彼女に隠れて準備をしている、ということだ。Trickstarとあんずの距離間がどういうものになったかは想像に難くない。
「ま、俺には関係ないけどねぇ……」
ついには抑えきれなくなった欠伸をしながら、凛月は真緒に引きづられ教室へと向かった。
◇
「ほぉら、あんず。ボケッとしてないでさっさと行くよー」
3日前から付き合うことになった、アイドル科に唯一女子生徒として所属している後輩の手をしっかりと握りながら泉は学び舎まで歩いていた。
時間が時間なだけに多くの生徒からの視線が刺さるが気にしていなかった。気にしているのはあんずのようで、「瀬名先輩、恥ずかしいです……」と顔を俯かせながら手を引っ込めようとするので「はぁ？」と一言。
「なぁにー？俺と一緒に手を繋ぐのが恥ずかしいって言うのぉ？」
「そ、そういうわけではないんですけど……」
「だったら、あんたは黙って俺に引かれてれば良いの。それとあんず、瀬名先輩じゃないでしょー？」
ほら、何て言うんだっけ？と耳元で囁くと、顔を真っ赤にさせながら、「泉先輩……です」と囁いた。良く出来ました、と頭を撫でてやるとより一層顔を真っ赤にさせているが、それ以上に周りからの視線が突き刺さった。
こういうのは周りにしっかりとアピールしておかなきゃねぇ。
泉とあんずがこういう関係になったのは、2ヶ月くらい前のある出来事がきっかけだった。その日はどうやら、あんずはTrickstarのユニット練に参加していたらしいが、練習も終わると早々と解散となった。いつもならばスバルや真のお喋りが始まり、30分くらいはその場に留まるのが最早日課となっていたらしい。そのままファストフードに行くことも多々あるし、その場で解散、というのはその時が初めてではないか、と思い返すくらいだったようだ。少しの違和感を感じるも、そういうこともあるだろう、とその時は特に何も思わなかったのだが、そういったことが3〜4日続いた。ちょうどTrickstarの仕事を取ってきたときだったので、必然的に1週間程度はユニット練に付き合っていた時だった。ユニット練だけでなく、休憩時間に話し掛けてもどこか上の空のような感じで、さすがに違和感を拭い切れなかったあんずは、何かあったのか、と聞いたが、とくに何もない、の一点張り。挙げ句の果てにはTrickstarのリーダーである氷鷹北斗に「転校生には関係ない」の言葉までもらっていた。
その現場をちょうど泉が通りすがった。「そっか、分かった」と言っているあんずの声は無理して笑っていると誰が聞いても分かる酷い声だった。まるで細い針の上に頑張って片足で立っている状態のあんずの心をトン、と一押しして落としてやりたい気持ちになったのも確かだし、その一押しでどうなるのか見てみたい、という気持ちも確かにあった。
「喧嘩でもしたわけぇ？」
Trickstarのリーダーが立ち去ってからもそこに呆然と立っているあんずにそっと近づき、泉が後ろから声を掛けるとビクッと肩をふるわせて泉の方を向いた。ぐっと堪えていた涙が泉の一言で耐えきれなくなったようで、彼女の頬を伝う。
「ちょっと、いきなり泣き出さないでよねぇ。俺が泣かせたみたいになってるじゃん。チョ〜うざいんだけどぉ」
はぁあ、と盛大なため息交じりにそう告げると「ごめ……なさ……」と最早声にならない謝罪が聞こえ、その場でボロボロと泣き出した。
その顔のゾクゾクすること。
昔から泉が愛して止まない遊木真を弄ったり、後輩いびりは良くやっていたのだが、あんずの泣き顔はたまらなく泉を興奮させた。その顔をもっと見てみたい、と思ったらもう止まらなかった。彼女の腕を引っ張り、そこら辺の空き教室へと連れて行く。泉の突然の行動にキョトンとするも、泉が「それで？」と聞くと、今までのことを思い出したのか、止まっていた涙をまた流しながらそれまでの経緯を話してくれた。
その時点では、泉自身にも何故そのようなことになっているかは分からなかったが、上手くやればあんずを独り占めできると思った。別にその時は彼女が好きな訳ではなかったのだが。ただ、泉を興奮させたその泣き顔を、更に言うならばもっとぐちゃぐちゃになった顔を見てみたいと純粋に思った。
「ふぅん。まぁ俺には分かんないけど、あんたが何かやって怒らせたんじゃないのー？ほら、あんた鈍いし、気付かない間に何かやっちゃったんでしょ。そんなことでいちいち泣かないでよねぇ」
「ごめんなさ……」
「まぁでも？仕方ないから俺が、お兄ちゃんが相談に乗ってあげるよぉ？……良い、あんず、この話は他言無用にしなよ。どこで誰が聞いてるか分かんないし、Trickstarのほうに万が一あんずがそんな話をしてたことが伝わったら余計拗れちゃうだろうしねぇ」
にっこりとあんずにそう告げると「分かりました」と歪んだ顔で頷いた。
その次の日に、何故Trickstarとあんずがそのようなことになったのかは嵐の口から判明した。
「ちょっと、泉ちゃん聞いたァ？今度、あんずちゃんのお誕生日会するみたいよォ！」
「はぁ？なに、あいつ誕生日なの？」
「うーん……、誕生日自体は2ヶ月後らしいんだけど、Trickstarのメンバーを中心にあんずちゃんには内緒でもうすでに準備しちゃってるみたいなのよォ。真緒ちゃんに良かったら参加してくれ、て言われちゃった。うふふ」
Knightsのユニット練習の日、まだ嵐と泉しか揃っていない時だった。誘われたことが嬉しかったのか、嵐は嬉々として泉にそう告げた。
「……いつから準備始めてるのぉ？」
「確か、1週間くらい前、て言ってたと思うわよォ？ねーえ、泉ちゃんも参加しましょうよォ！」
「ふーん……。気が向いたらねぇ」
その後も嵐は何かを言っていたが、ハイハイ、と聞いているふりをしながら、昨日のあんずの様子とTrickstarとの話の糸を繋げていた。恐らく、準備の絡みで彼女を意図的に避けているのだろう。
「もうちょっと上手くやれば良いのにねぇ……」
思わず出ていた言葉に嵐が「何か言った？」と聞いてきたが、「何でも無い」と答えると、「何か悪いこと考えてる顔してるわよォ」と呆れ顔。どうやら顔にも出ていたようだ。
思いの外、人をしっかり見ている後輩だよねぇ。気を付けないと。
『昼休み、ガーデンテラス集合』
休憩時間にそんなメールをあんずに送る。
昼休みになると、「どうかしましたか？」とメール文通り、ガーデンテラスへと彼女はやってきた。
「どぉせ、お昼休みも一人で食べてるんでしょー？お兄ちゃんが一緒に食べてあげる」
にっこりと笑顔を作りながら言い放つと本当にその通りだったようで、うつむき加減に「お願いします」と言ってきた。
「いつもだったら、スバルくんとかと食べるんですけど……」
どうやら本気で避けられてるみたいで、とその声は最早涙声だった。
顔を下に向けられると見えないんだよねぇ。
顎をクイッと持ち上げ、泉のほうへ向けると泣きそうな顔をしていたのが真っ赤に染まった。
「な、なんですか？」
「んーん？あんたがいまどんな顔してるんだろう、て思って」
見たい顔はその顔ではないのだけれども。
「せ、瀬名先輩そういうことさらりとやっちゃ駄目ですよ……」
「へぇ？どうして」
「わたしの身が持ちません……」
「じゃあ、こんなことさせないように、どんな表情も俺に見せてくれないかなぁ」
「そ、それも身が持ちません……」
「ふふっ、チョ〜わがまま」
顔を真っ赤にさせながら恥ずかしそうにするあんずの顔もたまには良いものだねぇ。あの時の泣き顔には代えられないけれど。
お昼ご飯を食べながら、明日からも一緒に食べる約束を取り付けた。どうやら、最近はTrickstarのメンツだけではなく、クラスの人からも少しよそよそしい態度を取られているようで、すぐに承諾された。
以前、嵐がパーティーに誘われた、と言っていた。嵐にパーティーの参加を聞くと言うことは、当然、クラスの人間にも参加を促しているのだろう。
本当、下手くそだねぇ。まあ、こっちとしては好都合なのだけれど。
それから数日間、毎日あんずとお昼を食べていた。
「まだ喧嘩してるわけ？」
「まだみんなわたしのこと許してくれないみたいで……。最近は話しかけるのも少し怖くなっちゃいました。何を話しても悪い方向に行く気がしちゃって」
Trickstarとの近況を聞くと、眉間にしわを寄せながら困ったような表情で笑顔を作る彼女の顔が泉はどうにもたまらなく好きになっていた。泣き笑いというのだろうか。
「ふぅん。まぁ、俺にはあんたとTrickstarがどうなろうと関係ないけど」
泉の関係ない、という言葉に反応し、あんずの顔が陰る。ゾクゾクする気持ちを抑えながら、「泣かれても困るんだけどぉ」と言うと彼女の頬に涙が伝う。
本当、冷たくするとすぐ泣くんだもんねぇ。もっと見せて欲しいけれど、我慢我慢。
「だから何で泣くかなぁ」
「ごめん……なさ……。……瀬名先輩、関係ないとか言いながらなんで構って下さるんですか」
涙を拭ってやると、少し落ち着いたのか、それとも別のことを考えようとしたのか、泉に問う。
「そりゃあ、俺はお兄ちゃんだからねぇ」
勿論、そんな理由ではないけれど。
回答として納得したのか、「ありがとうございます」と言う顔は完璧に泉を信じきっている顔だった。
『ごめん、今日は行けそうにない』
3日連続でお昼前に送ると、『分かりました』の返事。
そんなこんなであんずとのお昼は土日をはさんで5日ぶりとなった。その間も何通かメールは来たが、連絡事項など、最低限のやり取りしかしていない。
「久しぶり」
あんずのほうもここのところはTrickstarとの仕事があったため、放課後に会うこともなく、再会自体も久しぶりとなった。
泉と会った瞬間にその顔は綺麗に歪み、この5日間もなんら状況は変わっていないことを匂わせる。
「出会って早々泣くとかなぁにー？俺に会えなくてそんなに寂しかったのぉ？」
泣き顔を見せつつ、素早く頷きながらその場に立ち尽くす姿に顔がニヤけないよう必死だった。
「ふぅん。……おいで、あんず」
突然呼ばれたことにビックリしつつも、素直に泉へと近づいてきた彼女を優しく抱きしめると腕の中でバタバタと暴れ出した。
「ちょっとぉ、暴れないでよねぇー」
「だって、瀬名先輩がいきなりそんなことするから……！」
「あんたが泣くからでしょ。ねぇあんず、そんなに寂しいなら俺と付き合おっか」
あんずを軽く解放しつつも腕の中に収めながら顔を見つめる。
「え？えっと……」
突然の展開についていけないのか、驚きを隠せない様子を泉に見せた。
「なぁにー？嫌なの？」
「嫌だなんて……。この3日間、瀬名先輩に会えなくて本当に辛くて……。でも、瀬名先輩に迷惑かけたくないですし……」
顔を真っ赤にしながら、あんずはうつむき加減に話していたので、顎を持ち上げ、泉のほうを向かせる。
「迷惑とか今更なんだけど。あんた的にはどうなの」
「……本当にわたしで良いんですか？」
「しつこいんだけどぉ？」
「えっと……、せ、瀬名先輩さえ良ければ、お願い……します」
恥ずかしそうに目を伏せ、「私には瀬名先輩しかいないので……」と呟くあんずの口元へそっと口を運び、「ふふ、覚悟しておきなよねぇ」とだけ泉は耳元で囁いた。
3日間会わなかったこともメールに対して反応をあまりしなかったことも、あんずがTrickstarとの仕事のときに会わないようにしたのも全て計算なのだけれど。泉を見つめるその目はそんなことを微塵も疑っていなかった。
人は会わない間に相手のことを考える、て言うしねぇ。
それは時として人を狂わせてしまうほどに。
こうして、あんずと付き合うことになったのだけれど、登校のときに手を繋いで歩いた効果は絶大だったようだ。
「ちょっとちょっとちょっとぉ！！？人が珍しく朝から登校したと思ったら信じられない光景見たんだけど！せなっち！あんずちゃんと手を繋いでたのってどういうこと！？」
本当に珍しく朝から登校をしてきた羽風薫は教室に入ってきた早々、足早に泉のほうへと駆けてきた。
「朝から騒がしいんだけどぉー？そんな騒がないでよねぇ。どういうことって、見たまんまの通りなんだけど」
「へぇ……。いつの間に2人はそんな関係になっていたのかな？」
薫だけでなく、英智や千秋までどういうこと、と泉の机までやってくるくらいにはあんずはみんなから慕われているようだ。
それなのにみんなから嫌われていると泣くあんずがおかしくてたまらない。
「あんたには関係ないでしょ。言っておくけど、あんずに手を出したらただじゃ済ませないからねぇ」
「俺のあんずちゃんが……」
「ちょっとかおくん、いつからあんたのあんずになってんの」
この様子だと、あんずのほうも教室で問い詰められているのではないだろうか。あんずがどんな風に躱すのかそれはそれで見てみたい気もしたが、それで困るあんずを想像するだけで泉の心は満たされた。
「セッちゃんセッちゃん、今週末あんずの誕生日だって知ってたぁ……？」
Knightsのユニット練習も終わりクールダウン中、汗を拭きながらのことだった。
「当たり前でしょ」
「ふぅん。じゃあ、なんかまーくんたちがあんずのために誕生日パーティー用意してるのは？」
「あぁ、なんかなるくんが言ってたやつでしょ」
「まーくん、誕生日パーティーやっても良いのか不安がってたけど、セッちゃん的にはどうなの？」
ちらり、と部屋を見やるとどうやらレオがまた作曲を始めたようで、壁や床にはお得意の五線譜と音符。嵐と司が必死に止めているのが目に入った。
「あんずが参加したいなら参加すれば良いんじゃないの。前々から準備してたみたいだし。まぁ、本人が参加したければ、だけどねぇ」
「……セッちゃんが何したか知らないけど、あんまりやり過ぎて痛い目見ないようにねぇ……」
言いながらつい笑みを浮かべていたようで、目の前の自称吸血鬼の同い年でもある後輩は諭すように泉に告げた。
「はぁあ？言ってる意味が分かんないんだけど、チョ〜うざい」
「まぁ、俺には関係ないけどぉ……。セッちゃん、魔王みたいな顔してるよ」
「勝手に人のこと魔王にしないでよねぇ」
「あ、あと、まーくん困らせたりしないでよね。俺としてはそっちの方が許せないかもぉ……」
「困らせるとしたら、俺じゃなくてあんずでしょぉ？俺は何もしてないんだから」
クールダウンが終わったのか、泉との会話に飽きたのか、その場を離れながら凛月が「何もしてない、ねぇ……」と呟くのが聞こえた。
「泉先輩、今日、スバルくんたちに今週末空けておいてくれ、て言われました。行って来ても良いですか？」
泉としては当然、誘われても最早話しかけられることすら萎縮しまくっているあんずが誕生日会に参加するとは微塵も思っていなかった。だからこそ、その提案は泉を酷く驚かせた。
「……あんずは大丈夫なの？」
平常心を装いながらあんずに問うが、今までの恐怖と戦っているのだろう。少しの間沈黙が訪れた。
「……正直、怖いか怖くないか、で言ったら凄く怖いです。でも、それ以上に何がどうしてこうなったのか、もう一度戻れるチャンスがあるなら、縋れるなら縋ってみたいんです」
「あんたは……」
「え？」
「あんたは、もう俺しかいない、て言ってたよねぇ？それは嘘だったんだ」
Trickstarのことを思い浮かべながら話すその顔は泉の好きなその顔ではなく、つい攻撃的に言ってしまう。
そんな希望に満ちた顔を見せつけないで欲しい。行ってしまえば、全てが終わってしまうだろう。この2ヶ月間、みんなが何故あんずを避けていたか、その理由も分かるだろうし、そしてこれからは元通りになる。
そこに泉の好きなあんずはいない。
「それは……」
泉の苛立ちを感じ取ったのか、否定も肯定もしないあんずを見据えると、泉の中でガラガラと何かが壊れる音がした。
「ふ……。まぁ良いよ。行っておいでよ。でもきっと、行ってしまったら俺はあんずとは付き合えなくなるだろうから」
「え？泉先輩、どういう、」
「だからさ、明日の放課後付き合ってよ」
泉に対する疑問を押さえ込むように明日の約束を取り付けると、納得しないままのあんずとその日は別れた。
「今日は最後になるだろうし、俺の部屋、来てくれない？」
次の日の放課後、校門で待っていた泉はあんずの姿を見つけると、バイクのヘルメットを投げつけた。慌ててヘルメットをキャッチするあんずの姿からは昨日の話が納得できていないからか、戸惑いだとか、不安だとかが感じ取れた。
「泉先輩、説明してくださ、」
「部屋に着いてからで良いでしょぉ？そんなに焦んなくてもさ」
そう言ってバイクに跨がると、あんずも渋々といった様子で後を追うようにバイクに跨がった。
◇
「珈琲で良いでしょ？まぁ、珈琲しかないんだけど」
ほぼ独り言のように呟いて泉は部屋から出て行ってしまう。
男の部屋に入るのなんて弟以外では初めてなので少しソワソワしながら泉の部屋を見渡す。人柄が現れているその部屋は必要最低限のインテリアで整然とされていた。ほこりやゴミ1つ許さない完璧な部屋、そんな印象を受ける。だが、どこか落ち着くのは泉の匂いに包まれているからだろうか、とあんずはぼんやりと考える。昨日から泉の言動に振り回されあんずの頭はまとまらないままだった。
スバル達にとまともに話したのはいつだっただろうか。もうずいぶんと前な気がする。その日は突然やってきて、あんずの日常を狂わせた。
練習時間終わりになってもまだ練習し足りないのかダンスであったり、パフォーマンスであったりを真と話をしながら確認し合って、時にはあんずに向かって「今のどう？」と聞いたりして、それに応えると「さすがプロデューサー」なんて言ってくれたりして、そして「いい加減終わるぞー」なんて真緒が締めてくれる。北斗もああ見えて意外とスバル達と確認しあったりするので、最終的な注意係はいつも真緒の役目。それで「ごめんごめんサリー」なんて言って戯けるTrickstarのみんなが大好きだった。
でもその日は違った。練習時間終わりになると「それじゃ帰ろっか」とすぐに身支度を整え帰って行った。たまにはそんな日もあるか、と珍しい気持ちもあったが、あんず側としても他のユニットの企画もあったりしてやることはあったのであまり気にしていなかった。だが、そんな日が1週間も続いた。
「最近帰るのみんな早いね」
何気なく聞いただけだった。
「そ、そうかな？いつもこんな感じじゃないかな、僕たち」
あははは、と誤魔化すように笑う真の姿に、何かを隠していることは一目瞭然だった。
嘘がつけないんだなぁ。
いつでも一生懸命で真っ直ぐな真を見て心がざわついた。
そして、「何かあったの？何か助けられるなら助けたい」そう言ったあんずに対して発した北斗の一言はあんずの心に傷をつけるには充分だった。
「転校生には関係ない。あっちに行っておいてくれ」
思ったことを飾りっ気なく言うのは北斗の良いところで好きなところであったが、この時だけはその性格を呪った。
「そっか、分かった。ごめんね」
ちゃんと笑えているだろうか。変な顔をして更に北斗に変に思われたらどうしよう。泣くならせめて居なくなってから泣かなくちゃ。
そう思っていた時だった。
「喧嘩でもしたわけぇ？」
あんずの後ろから突然聞こえたその声は、普段はツンケンしていて厳しくされることもあるが、その奥には秘めた優しさを持っているそして自分自身にはとても厳しい先輩の声だった。
あんずが振り向くといつものようにあんずを攻めるわけでもなく、だからといって心配をされているわけでもなく、ただそこにいたから聞いてみた、という泉がいた。喧嘩、なんだろうか。あんずには身に覚えが全くないので最早喧嘩と言っていいか分からないものだった。むしろ喧嘩のほうが、身に覚えがあるほうがよっぽどか良かった。そう思うともう涙が止まらなかった。
「ちょっと、いきなり泣き出さないでよねぇ」
いつものようにため息をつかれながら「チョ〜うざぁい」と言われるが、その場から立ち去ろうとせず、あんずを心配するあたりが泉の優しさだ。その優しさに甘えるまま、あんずは今までのことを全て泉に話した。
その後も、お昼ご飯に誘ってくれたりと、泉は何かと気にかけてくれた。普段だったら教室であったり、食堂であったりでTrickstarのみんなと食べているのだが、北斗に何でも無い、と言われて以来、誘うことにも臆するようになり、お昼ご飯だけでなく、休憩時間も一人で過ごすようになっていた。スバル達も休憩時間になると真や北斗と集まって何かを話してることが多く、かと言って体育の時などになると何事もないかのように話しかけてくる。球技などだと「一緒に投げあっこしよう！」とまで誘ってくるのに、休憩時間にはやはりあまり近づいてこないのであんずも訳が分からなくなっていた。そしてそれはまるでインフルエンザのように徐々にあんずの周りで拡大していった。
「あんず殿、とりっくすたぁの奴らと喧嘩でもしたのか？」
「喧嘩は良くない」
同じクラスである颯馬やアドニス達にも一人でいることが多くなったからだろう、初めのうちは心配をされたが、徐々に徐々に颯馬たちからも余所余所しくされ始めた。
そしてそれは同じクラスだけではなく、隣のクラスにも感染をしていった。晃牙やみかなど、同じ学年故に廊下などですれ違う機会も多く、その度に声を掛けられていたのだが、それも徐々に無くなっていった。みかに至っては声を掛けると「話しかけんといてやぁ〜！俺こういうのダメやねん」とまで言われる始末。
そうなるともう全てが負の連鎖だった。誰に声を掛けても、もう前のように仲良くしてくれないのではないか、このままではプロデューサー失格だし、自分の存在価値が分からなくなってくる。だからこそ何事もないかのように話してくれる泉に縋るしかなかった。
同じ学年でも嵐や凛月も普段通りに話しかけてくれたが、いつみんなと同じようになるかが分からなかったので、何を話せば良いかも分からず、会話の記憶がなかった。もうまともにみんなの顔を見ていない。
『ごめん、今日は行けそうにない』
泉から3日連続で昼に会えないという連絡が来るだけで心臓がバクバクした。まさか泉にも来てしまったのだろうか。もう一緒にご飯を食べてくれることも、相談に乗ってくれることも出来なくなってしまうのだろうか。これ以上離れていかれたら誰に縋れば良いのだろうか。気が付けばあんずの中で泉の存在がかなり大きいものになっていたことにそこで気付いた。そして泉が好きなのだと自覚した。しかし、そのことに気付いたときには泉はもうあんずのもとから離れてしまったのだと思うと心が張り裂ける思いだった。連絡も最低限しか無いそんな長く感じられる日々の中、久しぶりに会った泉は今まで通りの泉だった。
「久しぶり。次のライブの打合せとかまぁ将来のこととかちょっとバタついてた、ごめん」
ため息交じりに「王さま何でもかんでも俺に任せすぎ」と言う泉に安堵し、泉の顔を見た瞬間、涙が自然と流れ出た。
「出会って早々泣くとかなぁにー？俺に会えなくてそんなに寂しかったのぉ？」
ふふっと笑いながら優しい顔でそう言われるが最後、涙を止めることが出来ず、会話もままならないくらいにしゃくり上げた。
早く泣き止まないと。また泉に呆れられてしまう。それどころか、嫌われるかも知れない。
そう思うが止まることない涙顔のあんずにやった泉の行動はあんずの涙を止めるには充分の行為だった。「おいで」と言われるままに近付くと抱きしめられる。
突然のことに頭が理解できず、身体ばかりが勝手に暴れると、「ちょっと、暴れないでよねぇー」と抱きしめられる力も強くなる。
だって、だってこんなの。期待してはいけないと思っていても期待してしまう。
そんな不安を打ち砕くかのように泉はあんずに対して付き合おう、と言った。「No」と言えるわけもなく、寧ろ迷惑を掛けてしまうのではないか、泉があんずを好きになる要素が全く思いつかないあんずを泉は受け入れてくれた。
それはあんずが泉に依存するには充分すぎる戦略だった。
「あああああんずちゃん！？今日の朝、泉さんと手を繋いでたの見ちゃったんだけど、どういうこと！！？」
泉と付き合い始めてすぐ、泉と手を繋ぎながら登校していた姿は多くの人から突っ込まれた。あんずの目の前で慌てふためく真もその一人で、特に真は泉のことを苦手としているので余計複雑なようだ。
「あの、えっと……。そ、そういうこと、です……」
「う、うそでしょー！？」
見られていた恥ずかしさよりも昔のように話しかけてくれることがあんずとしては嬉しかった。
「あのワカメ先輩にいじめられてるとかじゃないんだよね？」
いじめ。いじめで言うならこの2ヶ月間のほうがあんずにとってはつらい日々で、それを助けてくれた泉に対してそんなことを言うスバルに少し苛立ちを覚える。だが、その顔はあんずのことを本気で心配してくれている顔で、もう訳が分からない。
「泉先輩は凄く優しいよ？」
この様子だと泉のほうも教室で色んな人から言われているのではないだろうか。どんな顔で躱しているのか想像するだけであんずの心は満たされた。
それから数日はあんずと泉が付き合っていると公言されているからか、物珍しい目で見られることもあったが、心穏やかな日々が続いた。そんなある日だった。
「ねぇ、あんず。今週末は瀬名先輩と予定とかあるの？あんずに来て欲しいところがあるんだけど」
目を輝かせながら言うスバルのその顔はあんずの好きな好奇心旺盛な顔だった。
「俺たちこの日のためにすっごくすっごく頑張ったからさ！だめかな」
今までのことがまるで無かったかのような物言いに、『終わった』んだな、と感じてしまう。きっとTrickstarのみんなに纏わりついていたモヤモヤとしたものはなくなったのだ、そう感じてしまった。だからこそ、素直に「行かせて」と答えてしまった。
これまで何があったのか、それを聞かなければ。今まで静かに見守ってくれていた泉のためにも。
そう思ったからこそ、泉も喜んでくれると思いきっていた。
「ふぅん。良かったじゃん。あんずが頑張ったからこそだね」
決して笑顔ではないだろう、きっと何事もないかのように言ってくれるだろう、でもそれが泉だから、その裏側の優しさこそが泉だから、と思っていた。
しかし、現実は違った。行くことは許可してくれたが、その代わりの代償が大きすぎた。
「ふ……。まぁ良いよ。行っておいでよ。でもきっと、行ってしまったら俺はあんずとは付き合えなくなるだろうから」
どういうことだろうか。行ったとしても、あんずの泉に対する気持ちは変わらない自信があった。スバル達に何があったかは分からないがあんずにとってつらい2ヶ月をともにしてくれたのは泉なのだから。
理由を問いただそうとするも、明日まで待てとの一点張り。そして訳が分からないまま、あんずは泉の部屋へと至る。
「お待たせ。俺が人に珈琲淹れるなんて滅多にないんだから、しっかり味わってよねぇ」
シンプルな白いマグカップと黒いマグカップに淹れられた珈琲からは湯気とともに美味しそうな匂いを纏わせていた。
「砂糖は好きにいれなよぉ。ミルクはいる？」
自分で淹れた珈琲を飲みながら「いるなら持ってくるけど」と見つめてくる泉に「大丈夫です」と首を振る。
そうして暫くは無言の時間が広がった。どちらから何かを発する訳でも無く、その静寂な空間に「飲まないの？」と泉の声が響く。暫くしても机に置かれた珈琲をじっと見るだけで身動き1つしないあんずに痺れを切らしたのだろう。
「あんず、緊張しすぎ」
ふふっと笑ういつも通りの泉を見て、あんずは自分が緊張していたことに気付いた。
「いただきます」
そう言って泉の淹れた珈琲を飲むと、珈琲独特の苦味とともにしっかりとしたまろやかさとコクを感じられる。
「美味しい」
ついポロッと出た感想に「俺が淹れたんだから当然でしょぉ」と優しく笑う泉の顔。その顔からは本当に今日で最後とは思えない。その後も2人で珈琲を静かに飲む音が部屋を包む。
「泉先ぱ、」
「俺さぁ、実はさ、この2ヶ月間、あんずの身に何が起きてたか知ってたんだよねぇ」
珈琲を半分飲んだくらいだろうか、昨日のことを聞こうとしたあんずに声を被らせてきた泉から出た発言は思いもよらないもので、つい「え？」と聞き返してしまう。
「だからさ、俺、あんずがなんでみんなから避けられてるのか、とかTrickstarのやつらが何しようとしているのか、とか全部知ってるんだよねぇ」
いつものようににっこりと笑う泉に少し恐怖を感じる。
「あんたさ、今週末何の日か知ってる？」
「今週末……？スバルくんたちに誘われ、」
「ほぉんと、あんずっておバカだよねぇ」
あんずが答え終わる前にふふっと笑う顔は真に向けて笑う、悪いことを考えているときの顔だった。
「今週末、あんた誕生日なの」
誕生日。そんなことを考える余裕なんて全くなかったあんずはそこで自分の誕生日が今週末であったことに気付いた。
「あいつら、今週末の誕生日のために、2ヶ月も前から計画立ててさ、そのせいであんずに余所余所しくしちゃって。まぁ、あいつらの性格だったら一緒にいたらボロが出るだろうし、だったら近づかない、ていう選択肢にしたんだろうけど。それで当の本人悲しませるんだからほぉんと、おバカだよねぇ。……まぁでも。そのおかげで俺はこうしていい顔をして泣くあんずを手に入れた訳だし、そこはありがとうって感じかなぁ」
ふふっと笑う泉に言い表せない不安を感じ、背中がゾクリとする。泉先輩、と口を開こうとするが、次第に頭も回らなくなり、その声が外に出ることは無かった。頭がボーッとしてきて泉が何かを話しているが、その声も次第に遠くなってくる。聞こえてくるのは単語単語で、「あんず」と呼ぶ声と「泣き顔」、「予定外」という言葉だけだった。
そして、あんずが意識を手放す前に見た泉の顔は、いつも泣いてしまったときにあんずに向けてくれる大好きな顔だった。愛しそうに優しいその顔から「おやすみ」と聞こえるとそこであんずの意識は途切れた。
◇
泉の目の前で眠るあんずの顔は泉をゾクゾクとさせる歪んだ顔だった。
ふふっ、しっかり薬が効いてるみたいだねぇ。そんな顔で寝るなんて、あんずも良いことしてくれるんだから。
泣き顔を見せたまま眠るあんずを愛しい目で見つめながら泉はそっと頬にキスを落とす。
それにしても。事情を全て知ってる、て言ったときのあんずの顔はたまらなかった。
信じていた泉からの裏切りは最高のスパイスとなってあんずの顔に現れたようだ。
まぁ、後半くらいの言葉はもう聞こえていなかったようだけどねぇ。目が覚めたらベッドの上で裸になってる自分を見たらあんずはどんな顔をしてくれるかな。あぁ、そうだ。証拠もしっかりと残しておかないと。……あんずが悪いんだからねぇ。せっかく、あんずに悟られないように調教していたのに。あんな希望に満ちた顔をまださせるなんて、俺も詰めが甘かったかな。まぁ良いよ。こうしてあんずを好きに出来るんだから。というか、最初っからこうしておけば良かったんだよねぇ。俺もまだまだだったってことかな。
あんずを愛しそうに抱きかかえ、泉はベッドの上へとあんずを移動させ、そのシャツをはだかせた。
ふふっ、まだまだ俺を楽しませてよねぇ、あんず。そしてこれからはずーっと俺に対して歪んだ顔を俺に見せてよねぇ。大好きだよ、あんず。
そうして泉はあらわになったあんずの胸元にそっとキスを落とした。
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