Special Human
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ナックルシティのメインストリート。
歴史を感じさせる街の建築造形を眺めながら大きな道を6番道路方面へ歩くと、テナントが立ち並ぶ区画を発見できる。
立ち並ぶといっても、シュートシティのような都会と比べると店舗数は多くない。
しかし人気店であるヘアサロンとブティックへ足を運ぶ人間が多いおかげで、区画は常に一定の賑わいを見せている。
そんな高需要のブティックとヘアサロンに挟まれながら、しかし両サイドに負けず地元の人間に愛され続けているバトルカフェが私の職場だ。
「なまえちゃん。ピークも終わったし、そろそろ休憩してきな」
恰幅の良い店長がエスプレッソマシンにパウダーを詰めながら、柔和な笑みをこちらに向けてくる。
私が汚れたカップを一通り洗い終えるタイミングを見計らって声を掛けたのだろう。
濡れた手をタオルで拭きつつ、視線だけで店内を見渡す。
お昼のピークを越えた店内は、お客さんもまばらだ。
作業台から見て右側のソファ席では温厚そうな老紳士がワンパチと一緒にスコーンを楽しみ、左側のカウンター席では勉強熱心な少女が2杯目のエネココアに時折口を付けながら参考書と睨めっこしている。
この時間に人が多く来店することは滅多にないし、もうすぐお昼からのシフトの人もやって来るだろう。
「そうですね。ではお先に休憩いただきます」
ここは店長の厚意に甘えてしまおう。
控えめに頭を下げれば、相変わらず固いなぁ、と困ったような笑顔でカフェラテを手渡された。
淹れたばかりなのだろう。カップから立ち上るエスプレッソとミルクの深い香りが、ふわりと鼻腔を刺激する。
あまりに自然な動作だったので思わず反射的に受け取ってしまったが、これは本来お金を払って淹れてもらうものだ。
事前にお金を渡していないのに、いただいていいのかな。
そんな私の考えが顔に出てしまっていたのか、店長はまた眉根を下げて小さく笑った。
「いつも頑張ってくれてるから、サービスだ。あぁそれと、ショーケースの端にマラサダがあるから、良かったら食べてくれ」
「あ、ありがとうございます」
「いいってことよ」
他の子には内緒だぞ、と悪戯をしたあとの子どもみたいなことを言って作業に戻る店長。
私は心の中で店長に再度感謝の言葉を述べ、ショーケースの隅っこに置かれていたマラサダをひとついただく。
トレーの上にカフェラテとマラサダを乗せ、店長にもう一度休憩を取る旨を伝えてから店内奥の休憩室への扉を開けた。
休憩室の中央に設置されていた大きめのテーブルにトレーを置いて椅子に座ると、今まで張っていた緊張を一気に解放させるように大きく息を吐く。
バトルカフェでの仕事は楽しい。店長も、他の従業員もみんないい人だ。
コーヒーの香りも甘いスイーツも好きだし、人とポケモンがゆったりとカフェでくつろいでいる姿を見るのも好きだ。
(恵まれた環境で働けてる、なんていうのは分かってるの)
だけど、それでも無性に不安を覚えることがある。
例えば、見知らぬお客さんと目があって笑いかけられた時。
小さな子どもが泣いてしまいお母さんが慌てている時や、店長とトレーナーがスイーツを掛けてバトルをしている時。
なんでもない日常の一コマだというのに、そんな『当たり前』が、怖いと感じてしまう。
この『当たり前』は、いつまでも続いてくれるのだろうか。
『前の私』の時みたいに、いつかあっけなく壊れてしまうんじゃないか――そんな身も蓋もないことを考えてしまうのだ。
(ダメだなぁ、私……しっかりしないと)
自然と閉じていた瞼を開け、視線をカップへ落とす。
淹れたてだったカフェオレは湯気が立ち上っておらず、カップに触れてみればほんのりとしか熱さを感じられなくなっていた。
せっかく店長に淹れてもらったのに、と申し訳なさを覚え、ぬるくなったカフェオレに口を付ける。
(……ん?)
ふいに制服のポッケに入れていたスマホロトムが小刻みに震え、マラサダへ伸ばそうとしてた手を止める。
震え方は電話がきた時のもので、誰からだろうと怪訝に思いながらスマホロトムを宙に浮かせた。
『久しぶりね、なまえ! 元気だった?』
ぱっとスマホの画面が明るくなると同時に映ったのは、リーグスタッフの制服を着た母の満面の笑みだった。
帽子は被ったままだがサングラスは掛けておらず、私と同じ翡翠色の瞳に正面から見つめられる。
「な……お母さん、今仕事中じゃ……」
『休憩もらったのよ! なまえ、ちゃんと電話してくれるかなーって心配になっちゃって、ついお母さんからかけちゃった』
いいタイミングだったみたいね! とケラケラ笑う母に、はぁと思わずため息を吐いてしまった。
母には仕事が終わったら電話しようと思っていたが、どうやらそれまで待てなかったらしい。
よほど大事な頼みなのかと思うと、逆に少し興味が湧いてくる。
「それで、私にお願いしたいことって?」
『あら、もう本題いっちゃう? お母さん、もう少しなまえとお話したいのに』
大げさなくらい残念そうな顔をする母。
こうして電話でやり取りをするのは久しぶりだから、色々と話したい気持ちは分かるけど……母の心情を思って、小さく苦笑いする。
『実は、なまえに縁談のお話が来てるんだけど……』
「え?」
もう少し家族との連絡を増やそうとしみじみ思っていた私は、しかし母の言葉に固まってしまった。
今、なんて言った? 縁談?
思考が氷漬けになった私に構わず、母はニコニコと明るい顔で話を続ける。
『ほら、なまえってかわいいのに少し人見知りだから、なかなか良い人に巡り会えないじゃない? それに、お父さんもなまえの男性関係には厳しい人だし……あ、私はなまえさえ幸せになってくれるなら相手は誰でもいいのよ?』
「や、ちょっと、おかあさ……」
『でもね、この縁談はお父さんが持ってきてくれたものなのよ。ふふ、この人なら大丈夫だーって、あのお父さんが言ったのよ? お母さんも面識ある人だったけど……見かけによらず紳士だったわね~』
「は、話を勝手に進めないでよ! 第一、縁談だなんて……私そんなの聞いてない!」
『あら、だって今話したもの~』
母の真っ当な返答に、たしかに、と喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。
そもそも縁談なんて、お金持ちの子にしか舞い込んでこないものかと思っていた。
なんで一般家庭の生まれであるごく普通の女に、縁談なんて大層なものがくるのか。
「とにかく、私は縁談とか興味ないから……」
『そんなこと言わずに、ね? それに断るにしても、一度会ってみるくらいはいいんじゃない?』
「う……」
いつもなら私が嫌がる素振りを見せればすぐに引き下がるはずの母が、ここまで言ってくるのはかなり珍しい。
父が勧めた相手だからか、母が縁談相手を気に入ったか、それともこの縁談が父と母の仕事に関係しているからか……。
理由がなんにせよ、全く気乗りしない話であることに変わりはない。
だけど、嫌だからって全部突っぱねるのも大人気ない気がしてきて。
稀少な母のお願いを聞いてみるのも、アリなんじゃないかって思えてきて。
「……わかった。じゃあ、会ってみる」
『ほんと!? ありがと〜!』
満面の笑みで子どものように喜ぶ母を尻目に、ため息を誤魔化そうと冷えてしまったカフェオレに口をつける。
日程については追って連絡すると言い、休憩時間が残り少なくなっていたらしい母は慌ただしく通話を切っていった。
(縁談、かぁ……)
静かになったスマホロトムをポケットにしまい、まだ一口も食べていなかったマラサダを手に取る。
願わくば、この突然舞い込んできた話が私の日常を壊す種ではありませんように。
そんなことを思いながら食べたせいか、美味しいはずのマラサダの味はよく分からなかった。
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