Special Human
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雨が降っていることと、それにより夢見がすこぶる悪かったこと以外は何も変わりない朝。
げんなりした気持ちのまま朝食を済ませて仕事に行く支度をしていると、スマホロトムが「メールを受信したロト!」と私の元へふわふわと飛んできてくれた。
「ありがとう、ロトム」
シャツに袖を通しながらスマホロトムに声をかければ、感謝の言葉が嬉しかったのかキシシと笑顔を返された。
上機嫌で私の周りを漂うスマホロトムを見ていると、どんよりしていた気分が段々と上向きになっていく。
……あまり暗い顔をしていると、この子達に心配させてしまうかもしれない。
ちらりと視線を自分の隣に向け、はぐはぐと朝ごはんを食べているキュウコンを見やった。
「おいしい? キュウコン」
何の気なしに声をかけてみれば、丁度食べ終わったキュウコンが顔を上げ、肯定の意を示すように甘えた声で一鳴きした。
(そうだ、メール確認しなきゃ)
私の身体にすり寄ってくるキュウコンの頭を撫でながら鞄の中身をチェックしていると、はたと先ほどのスマホロトムの言葉を思い出す。
スマホロトムを近くに呼び、慣れた手つきでメールボックスを開く。
送り主の欄には、父と共にリーグスタッフとして働いている母の名前が記載されていた。
しっかり者だがどこか子離れができていない母は、一人暮らしを始めた私を心配する連絡を度々送ってくるのだが。
さて、今日はどんな内容なのだろうか。
『 なまえにお願いしたいことがあるの。時間がある時に電話ちょうだい!』
おっと、これはちょっと珍しいパターンかもしれない。
母は子離れができていないが、私を頼ったりお願いをすることはあまりない。
どちらかと言うと、所謂『親バカ』というやつで――それは父にも言えることだが――周囲に対して私のことを過大に褒めるような言動を取るのだ。
愛情を持ってくれているのは嬉しいけど、正直恥ずかしいというか……母や父の言葉を聞いて、私に対するイメージを変に良いように持って欲しくない。
少なくとも、今の私には人より優れたものなんて何ひとつ持ち合わせていないのだから。
(……仕事が終わったら、電話してみよう)
良くない方向に思考が傾きそうになり、気分を落ち着かせようと小さく息を吐く。
キュウコンをボールに戻し、雨が止んでいないかを確認するためにリビングの窓を見やった。
大きな雨音は聞こえてこないが、ぽつぽつと雨粒が落ちている様子が窓の外から窺える。
この様子だと、お昼頃には止んでくれるだろう。
遠くで鎮座している無機質な竜も、はやく晴れた空の下でその大きな羽を乾かしたいはずだ。
「……行ってきます」
ナックルシティの守り神に挨拶をして、私は折り畳み傘を片手にリビングを出た。
***
私の頭の中には、「今の私」と「前世の私」が共存している。
陳腐な言葉で説明するのなら、私には前世の記憶があるということだ。
私がまだ小さかった時は二つの記憶があることにかなり動揺したが、今はすっかり慣れてしまった。
前世の私は裕福な家系に産まれ、優しい両親のもとで育てられていた。
当時の記憶を辿ってみるに、今のガラルより文明は遅れている様子だったから、それなりに昔の人だったのだろう。
幼少期は快活で、周りの住民より少し立派なお屋敷の中を、よく使用人の子ども達と駆け回っていた。
中でもとりわけ仲が良かったのは、褐色の肌とアイスブルーの瞳が印象的な、私よりいくつか年上の男の子だった。
彼がゲットしたポケモン達とも一緒になって外で遊んだり、お屋敷の屋根裏部屋を『秘密基地』にして、ふたりきりで朝が来るまで語り明かしたり。
毎日がとても幸せだった。ずっとこの幸せが続くものだと、当時の私は疑いすらしなかった。
ささやかな幸せが変化を見せたのは、私が14回目の誕生日を迎えた頃だっただろうか。
その頃の私は、普通の人にはない特別な力を自分が持っているということを感じ取っていた。
特別な力と言っても人間に影響するものではなく、ポケモンの感情の機微を感じ取ったり、少し意識すればポケモンの心の声が聞こえるというものだ。
父にこのことを話してみれば、どうやら父方の血筋が元来持っている能力だということが分かった。
ただ、父や祖父はポケモンの心の声まで聞くことはできず、感情の動きに人一倍聡い程度らしい。
だから、私の力が特別に強いものだと父に褒められたのは、素直に嬉しかった。
「ポケモンの声が聞こえるなんて、羨ましいな」
仲が良かった男の子に私の力のことを話してみれば、疑うでもなく、純粋な羨望の言葉をかけられた。
『ただの遊び友達』だった男の子はすっかり身長が伸び、それに伴って『使用人と雇い主の娘』という関係を私に意識させるように接してきていた。
私の父や母、周囲の目がある時は私に対して敬語を使うようになり、昔のように遊ぶこともなくなった。
それでも私とふたりでいる時は「内緒だからな」と先ほどのように砕けた態度を取ってくれて、それが私にとっては彼との絆を感じられて嬉しく感じていてたと記憶している。
「まだあまり長い時間聞くことはできないけどね。これで、私もすこしは役に立てるかな」
「なまえはもうみんなを助けてるだろ。この前だって、街で道を塞いでいたカビゴンを説得したしな」
そう言って彼は笑い、くしゃりと私の頭を撫ぜる。
頭上から伝わる彼の手のひらの熱に、嬉しさとは違う胸の高鳴りを感じたのは、一体いつからだったか。
だけどこの感情を彼に伝えるには私はまだ幼いし、何より使用人に好意を持つなんて父が許さないであろうことも知っていた。
だから私は、彼が笑ってくれるなら、彼がずっと傍にいてくれるならと、この気持ちに蓋をすることにした。
「最近、街の近くに粗暴な集団が出没しているらしい」
そんな話を街の人から聞いたのは、私が街で三度ほど困っているポケモンと話し合いを行い、困りごとを解消した後だったか。
聞くところによると、その集団はポケモンを使って旅人や商人を襲い、金品の強奪をしているらしい。
ここも治安が悪くなったわねぇ、と心配そうに話す女性の言葉に、しかしこの時の私は他人事のようにしか感じていなかった。
きっとこの街まではやってこない。もし悪い人がやってきても、きっと強い人がやっつけてくれる。
私の幸せを壊すようなことは何も起きないだろう。
そんな漠然とした根拠のない気持ちが何故かあったのだ。
あの、雷雨の夜までは。
私の幸せが終わりを迎えたのは、私がもうすぐ15回目の誕生日を迎えるという時だった。
街の外れに出没していた集団は、どこからか私の家系――特に私の『ポケモンの声が聞こえる』という力を聞きつけ、金儲けのために私が住む屋敷に襲撃してきたのだ。
あの男達は真夜中にポケモンの力で正面玄関を破り、反抗する使用人も、私を守ろうとしてくれた父も母も、『金にならない』という理由だけで躊躇なくその手にかけた。
私が密かに想いを寄せていた彼が私を守るために繰り出したポケモンも、その集団が持つポケモンに複数同時で飛びかかられ、成す術もなく倒されてしまった。
抵抗の意志をなくすためにと、彼の目の前で倒れた相棒のポケモンを殺してみせた時の彼の表情は、言葉では言い表せないほど悲痛に満ちていた。
私は怖くて、悲しくて、どうしてそんな人達と一緒にいるのと、その集団が持つポケモン達に向かって叫んだ。
虚ろな目をしたその子達は、あいつらにボールへ戻される前、動かなくなったポケモンを見て悲しそうに目を伏せて。
『 つかまったから 』
『 いうこときかないと ごはん もらえない 』
『 きにいられないと あのこと おなじにされる 』
私にしか聞こえない抑揚を失った声に、その意味に、私は身体の芯から体温が抜けるような錯覚を覚えた。
なんで、あの人達はひどいことを平気でできるのだろう。
そもそも、あの人達は本当に私や彼と同じ人間なのだろうか。
きっと、『悪魔』が人の形を取れるとしたら、あの人達がそうなのだろう。
私は泣きそうな顔をした彼に腕を引っ張られて一緒に屋敷内を走りながらも、身体の震えを止めることができなかった。
「あいつら、なまえが目的みてぇだな」
何とか逃げ込んだ屋根裏部屋で、あの悪魔達に見つからないよう息を潜める。
彼がふいに呟いた言葉は、それだけで私の恐怖の許容範囲を超えるのには充分だった。
「…………いやだ、私、そんな……」
人やポケモンを平気で殺すような人に捕まったりすれば、私はもうまともに生きてはいけないだろう。
その先の未来を想像するのが怖くて、強く自分の身体を抱きしめてその場にうずくまる。
「……私、が」
私がこんな力を持っているから、悪い人達に襲われたんだ。
優しい両親も、頼りになる使用人達も、想いを寄せていた彼が大事にしていたポケモンも、みんな私が持つ力のせいで死んでしまったんだ。
あの悪魔を呼び寄せたのは、紛れもなく私のせいなんだ。
「……ねぇ、お願いがあるの」
「なんだよ、こんな時に。まぁ、なまえを守るためなら、なんだって聞いてやるぜ」
彼は私の前にしゃがみ込み、俯いた私の顔を覗き込むように首をかしげながら力なく笑う。
こんな悪夢のような状況下でも、まだ私のことを考えてくれる彼に、胸がぎゅっと締め付けられる。
これから私が言う言葉は、彼が私を守りたいと思ってくれる気持ちを踏みにじるものだ。
それでも、この悪夢から逃げるために私が考えられるのは、これくらいしかないから。
「私を、殺して欲しいの」
勇気を振り絞ってお願いをした時、その時の彼の表情だけは怖くて見ることができなかった。
怒られるだろうか。何言ってるんだって、諦めるなって言われるかもしれない。
息を飲んで何も言わなくなった彼が何を考えているかを思うだけで、呼吸がしにくくなる。
「――いいぜ」
だから、彼が不意に放った一言に、私は思わず顔を上げて彼のことを正面から視界に映した。
自分で言っておいてなんだが、まさかこんなにあっさりと承諾されるとは思わなかったからだ。
呆然とする私を前に、彼は頭を軽くかきながら私から目を逸らす。
「正直、もう逃げきれねぇとは思ってたし。あいつらに捕まるくらいなら、な」
「……」
「……その代わり、っていうのもなんだけどよ」
伏し目がちになっていた彼がちらりと私と視線をぶつけてきて、驚きと恥ずかしさで肩が小さく跳ねる。
一体、なにを言われるんだろう。私に叶えられることだろうか。
彼からの言葉をどきどきしながら待っていると、彼の両手が頬へ滑り込み、その先にある両耳に触れて、そのまま少し強い力で塞がれた。
かろうじて雨と雷の音だけが鈍く聞こえる状態にされ、訳が分からず彼に怪訝を表情を向ける。
「 」
彼の唇が小さく動くが、耳を塞がれた状態では彼の声を聞くことは叶わなかった。
言葉を紡いでいるだろう彼の口が閉じるのと同時に、私の耳から彼の両手が離れる。
解放された耳が涼しく感じたのは、触れられていた彼の手が少しだけ熱かったからか。
「ねぇ、なんて言ったの?」
「ばか。ここで教えたら耳塞いだ意味なくなんだろーが」
「けち」
「なんとでも言え」
どうやら彼は、本当に私に何を言ったのかを教える気はないらしい。
こんな状態で、いじわるなんてして欲しくないのに。
心残りを持たせるようなこと、してほしくないのに。
「何も気にすんな。ちゃんと、オレさまがなまえを殺してやるから」
私の頭を撫でながらはっきりと告げてくれた彼に、安心感と罪悪感と後悔がごちゃ混ぜになって。
結局何も言えないまま、その時の私は小さく頷くことしかできなかった。
***
(――結局、あの時の彼はなんて言ったんだろう)
歩いて仕事に行く途中、小降りの雨から身を守るために差した傘の中で、ふと『前世の記憶』を思い返してしまった。
雨の日はどうしてもあの日のことに囚われがちになってしまうのは、悪いクセかもしれない。
前世の罪を忘れることはできないけれど、それにばかり意識を向けていたら、今の私がなくなってしまうような気がして。
でも、だったら私は、どうすればいいのだろう。
どうやって、罪滅ぼしをしたらいいのだろう。
(せめて、彼に謝ることができたら……)
優しい彼の手を、私のせいで汚してしまったこと。
あの悪魔達がしてきたことと同じことを、私は彼にしてくれとお願いしたのだ。
そんな前世のことを謝ったところで身も蓋もないし、何にもならない事は分かっている。
そもそも、前世の彼が今の私と同じ時代で生まれ変わって、かつ私と同じように前世の記憶を有している確率なんて、天文学的数値で表すのもばからしいことだろう。
ましてや、そんな彼と私が会うなんて、ファンタジーの世界でもありえない話だ。
(……そうであって、欲しかったんだけどな)
内心ため息を吐いて、ある場所で立ち止まる。
立ち位置を少しずらして横を向けば、そこには一軒の電気屋がたたずんでいた。
客引きのためだろう、ガラス越しに店の外側へ向けられている大画面のテレビでは、ナックルシティのジムで昨日行われた試合のハイライトが流れていた。
激しい砂嵐の中、獰猛に、それでいて楽しそうに笑いながらチャレンジャーとポケモンバトルをしているのは、宝物庫の番人であり、ナックルシティのジムリーダーその人で。
今をときめく有名人が、私を夢の中で殺してくれた彼と瓜二つなのは、はたして偶然か、必然か。
(こんなの、忘れろっていう方が無理な話じゃない)
彼と姿かたちが酷似しているその人をテレビやSNSで見かける度に、前世から引きずっている罪悪感と、伝えられなかった恋心が疼いて仕方がない。
ぎゅ、と傘の持ち手を握り、視線をテレビから無理やり引っぺがす。
(……会ってみたい、けど、会いたくない)
もし仮にこの人が彼だったとして、前世の記憶を持っていなかったら?
私と会ったところで、この人にとってはどこにでもいる普通の人の内の一人でしかない。
それに、今生を生きているこの人に前世のことを持ち出したところで、頭のおかしい人だと一蹴されるのがオチだ。
(本当に、どうすればいいんだろう……)
優柔不断、荒唐無稽。自分の考えにまとまりがなさ過ぎて、嫌になる。
陰鬱な気持ちを抱えたまま、私は仕事場までの道を重い足取りで再度進み始めた。