甘い孤独
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ガラルの民が待ち望んだ最大級のイベント、ガラルジムチャレンジが今年も開催された。
今年もまた、期待の新人から何年も挑戦し続けたベテランまで、それぞれが熱い思いを胸に8つのジムバッジを求めて旅をする。
そうして苦難の末に全てのバッジを手に入れた一握りのトレーナーは、ガラル最大の都市・シュートシティに設置されたスタジアムのコートへ足を踏み入れることが許される。
そのコートで最後まで勝ち残った一人だけが、ガラルの頂、絶対王者にしてガラルの英雄的存在、チャンピオン・ダンデに挑戦する権利を与えられるのだ――。
「ガラルの頂、ねぇ……」
仕事でエンジンシティのバトルカフェに寄る途中、街のいたるところに張られてあった広告の一部を流し読む。
そこに書かれた彼に対する表現は、まるで神格化された何かに与えられるもののようで。
なんだかとても、気分が悪くなった。
「…………だから、この時期は嫌いなのよ」
ジムチャレンジの開会式が終わったばかりで浮かれる人々に混じり、誰にも聞こえないほどの声で呟く。
きっと、ガラルに住むほぼ全ての人が、彼のことを格好良いヒーロー、もしくは何にも負けることのない『勝利の象徴』のように思っているのだろう。
確かに、彼にはずば抜けたカリスマ性と、他に類を見ない程のバトルセンスがある。
どんな問題も即座に解決し、チャンピオンとして人々の模範たれと振舞ってきたこともあるのだろう。
そんな彼が10年もガラルチャンピオンの地位を守ってきたのだから、人々は彼のことを尊敬し、傾倒し、崇拝するのだろう。
それこそ、目に見える神にでも出会ったかのように。
「…………」
だけど、私は時々、そんな人々に疑問を覚える。
果たして人々は、本当に『彼』のことを見ているのだろうか――?
「あっ、なまえさん! お久しぶりです!」
ふと、背後から声を掛けられて思考が霧散する。
振り返れば、何度か仕事で顔を合わせたことがある男が昇降機方面から駆け寄ってきていた。
男は興奮冷めやらぬといった様子で、売店で手に入れたのであろう誰だかのリーグカードをバッグにしまいながら、私に笑顔を向ける。
「エンジンシティにいるなんて珍しいですね! お仕事ですか?」
「……そんなところよ。貴方は、開会式を見に来たの?」
「もちろんです! この日のために有給取っちゃいました!」
はは、と照れたように笑う彼。
きっと、開会式は大層盛り上がったのだろう。
男の浮かれ具合が、それを如実に物語っていた。
「そうだ! もし良かったら、なまえさんの仕事が終わったら僕と食事に行きませんか?」
おいしいパスタのお店を見つけたんです、と言いながら、期待の眼差しで見つめられる。
……先に言っておくが、この男とは本当にただ何度か仕事で顔を合わせただけだ。
きっと私より年下なのだろう、人懐っこそうな見た目と顔つきは、しかし私の好みではないからだ。
だから、彼からのこの申し出は断ろうとしたけど……。
ふと、脳裏に紫の長い髪をなびかせた男の姿が浮かび上がる。
(……今日は、きっとあの男も忙しいだろうし)
ジムチャレンジ期間中は、もしかしたら彼が私に会いに来る頻度は減るかもしれない。
そうなると、不本意にも彼以外の男との関係を絶っていた私には、他に寂しさを紛らわせてくれる人がいなくなるわけで。
だから今日は、久しぶりに彼以外の男の傍に行くのも悪くないかもしれない。
「そうね、今日は――」
「あっ、チャンピオンだ!」
近くで道行く人が出した声に、目をわずかに見開く。
騒がしくなった方へ視線を向ければ、昇降機のすぐ手前、人込みの中でもとても目立つオレンジ色の飛竜と。
集まった人々の隙間から辛うじて見える、チャンピオンの姿があった。
「なまえさんっ、あそこにいるの、ダンデさんですよ!」
本物だ、と瞳を輝かせる男の声に、適当な返事を返す。
そうだ、今日はジムチャレンジの開会式なのだから、チャンピオンである彼がこの街にいても不思議じゃない。
むしろ、いないほうが不自然ですらある。
でも、仮にいたとしても、こんな大きな街で彼と出会う訳なんてないと思っていたのに。
遠くで沢山のファンに囲まれる彼を見ながら、相変わらずの人気ぶりだと再度認識していたら。
「…………っ」
人込みの合間、彼がこちらへ視線をやり――その目が私を捉えた。
昇降機からは距離があるというのに。
彼は沢山の人に囲まれていたというのに。
ダンデは私とその隣にいる男の姿を、はっきりと認識したのだ。
流石に表情の機微までは、遠い距離のせいでハッキリとは分からないが、何故だか私は。
射るような彼の視線に、ぞくりと肌が粟立った。
「……ごめん、なさい。今日は仕事が終わったら、用事があるの」
だから食事には行けないわ、と。
そう言った私の言葉はかすかに震えていて。
冷や汗をかきながら昇降機に向けていた視線を逸らせば、隣の男は不思議そうな顔を見せたが、何も聞かずに私から引き下がった。
また機会があったら食事に行きましょう。そう言い残して笑顔で離れる男に、私はちゃんと自然に手を振って見送ることができただろうか。
ちらりと再度昇降機へと視線を向ければ、ダンデはまだ人だかりの中心部にいて、もうその姿を認識することもできなかった。
しかし、何故だかあの人だかりを見るのも、今いる場所に留まるのも居た堪れなくなってしまい、逃げるようにカフェの中へ入り込んだ。
「(……なにが、英雄的存在よ)」
あの男は、そんな風に例えられるほど神聖で善に満ちた人種ではない。
計算高く、嫉妬深く、誰よりも人のためと自分自身を押し殺しながら、殺し続けた自分自身を早く救ってくれと強く願う。
ダンデという男は決して聖人などではなく、そういう誰しも持ち合わせているだろう感情を色濃く持った男なのだと、彼と肌を重ねるようになってからはよりそう思うようになった。
そんな彼だから、私は彼が囁く愛の言葉も、彼から向けられる眼差しも、素直に受け取ることができない。
彼が私へ向ける想いはただの錯覚で、心配を愛情と誤認しているだけだと言い聞かせ、突き放すことしかできない。
そうでもしないと、私は。
「――――ここにいたのか」
カフェの入口を開け、店内で固まる私の背に声をかける男の想いから逃げる意味を、失ってしまいそうで。
私以上に孤独を感じ、誰かに縋りたいと心の中で泣く彼を、放っておけなくなってしまいそうで。
そして彼がただ一人、私にだけ見せてくれる感情に、依存して、離れられなくなってしまいそうで。
「話がある。……少しだけ時間をくれないか、なまえ」
――彼に対する自分の気持ちに、気付いてしまいそうになるから。