雨とぬくもり
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窓の外から、絶え間なく世界を濡らす雨の音が響いている。ティナはソファーに倒れ込むようにして横たわり、部屋を優しく包むその雨音に耳を傾けていた。サイドテーブルに置かれた携帯の画面を、もう何度目になるか分からない手つきで確認する。しかし、待ち受け画面には何の通知も表示されない。胸の奥がチリチリと痛むような感覚に襲われ、今日何度目かの溜め息が唇から零れ落ちた。
「メール、来てない……。電話もなし……」
恋人であるルーカスとの連絡は、付き合い始めたあの日から一日だって欠かさず続いていた。互いに距離があってなかなか会えない夜には、声を聴くだけで安心できる電話をくれた。
そんな彼からの音沙汰が途絶えて、今夜で二日目の夜。ただ連絡が来ないというそれだけのことが、これほどまでに胸を酷く不安にさせるなんて思いもしなかった。しつこい女だと思われて嫌われたくはなくて、きっと何かの研究や作業で忙しいのだと自分に言い聞せる。明日の朝には画面に彼の名前が浮かんでいることを願いつつ、そろそろ寝室へ向かおうとしたその時、玄関のドアを重く叩くような、鈍い音が聞こえた。
「……こんな時間に、誰?」
警戒しながら足音を消して玄関へ向かい、そっとドアスコープを覗き込む。
「ルーカス……!?」
息を呑み、慌てて鍵を開けてドアを押し開けた。そこには、フードを深く被ったまま、幽霊のように俯いて立ち尽くすルーカスの姿があった。傘も差さずにここまで来たのか、彼の身体からは水滴が激しく滴り落ちて床を濡らしている。
「どうしたのっ!? 大丈夫!? とにかく中に入って!」
冷え切った彼の大きな手を引き、強引に部屋へと招き入れた。雨に打たれ続けた彼の身体は氷のように冷え切っている。
「ティナ……」
いつもなら皮肉や冗談を叩きつけてくるはずの唇から、掠れたひどく弱々しい声が漏れた。フードを外してやっと露わになったルーカスの顔は無精髭がうっすらと伸び、視線もどこか虚ろで酷く熱に浮かされている。ティナはルーカスをバスルームへと連れて行き、水分を吸って重くなったトレーナーを何とか剥ぎ取るようにして脱がせ下着だけの姿にした。
「ルーカス、顔色がすごく悪い……。もしかして」
ティナはそっとルーカスの額に手のひらを当てる。
「やっぱり、すごい熱……。シャワー、浴びられそう?」
ルーカスは苦しそうに眉根を寄せたまま、小さくゆっくりと頷いた。
「気をつけてね。替えの服は脱衣所に用意しておくから」
浴室へと消えていくルーカスの背中を見送り、シャワーの音が響き始めたのを確認すると、ティナは急いで部屋へと走った。彼でもゆったりと着られる大きめのTシャツとスウェットを選んで脱衣所に置き、そのままキッチンへ駆け込む。鍋に湯を沸かし、冷蔵庫にある食材を引っ張り出して一口大に素早く刻んで投入していく。彼のために優しい味付けのチキンスープを作り終えた頃、湯気とともにルーカスがシャワールームから力なく出てきた。
足元の覚束ない彼の身体を支え、リビングのソファーへと連れて行って横にする。ルーカスは、室内に満ちできたスープの香りを愛おしそうに深く吸い込み、ふわりと微かに口角を上げた。
「あぁ……すげぇいい匂い……」
「有り合わせだけど、温まるようにチキンスープを作ったの。風邪を引いた時はこれが一番でしょ?」
「だよなぁ……」
スープを深皿に盛り、彼のもとへ運ぶ。背中の下にクッションを優しく滑り込ませ、上体を軽く起こしてあげた。
「食べさせてあげるから、じっとしててね?」
「マジかよ……」
「当たり前でしょ、こんなに熱があるんだから。これくらいしか、してあげられないし……」
「……それ、最高だな」
火傷をしないように、スプーンで掬ったスープに何度も息を吹きかけて冷ますティナを、ルーカスは熱を帯びた瞳でじっと見つめていた。そして、子供のように素直に口を開ける。こぼさないように慎重にスプーンを唇へと運ぶと、ルーカスはそれを優しく口に含んだ。身体の芯に染み渡るような温かいスープと自分のために甲斐甲斐しく動く彼女の姿に、彼のひねくれた表情が自然と緩んでいく。
「美味しい?」
「ふん……まぁまぁだな」
気恥ずかしさを隠すためにわざと意地悪な言い方をしてくるのも分かっていた。次のスプーンを差し出すと、また大人しく口を開けるルーカス。そんな彼の不器用な性格を愛おしく思いながら、ティナは何度もスープを運んだ。
「ねぇ、ルーカス。そんなに高い熱があるのに、どうして連絡もなしにうちに来たの?」
「お袋がウザすぎ。限界だったから逃げてきた」
吐き捨てるように、けれどどこか甘えるようにルーカスが呟く。
「俺が熱を出したって分かった瞬間、あのババア、俺の携帯もパソコンも全部取り上げやがってさ。休め休めってうるせー癖に何回も部屋に押し入ってきて不味い飯を大量に持ってきやがるんだぜ?食欲がねぇって言っても、無理やり口に突っ込もうとしてくるし……あんな監獄、逃げ出したくもなるだろ」
「マーガレットさんも、きっと心配で仕方なかったのよ。ちょっと過保護すぎる気はするけど」
「だから、家出してやった」
「一応、家に無事だって連絡だけでもしておこうか?」
「おいおい、ティナまで過保護になるなよ。あんなバカどもに連絡したら、めんどくせぇことになって、ここにも乗り込んでくるぞ。ったく、俺はガキじゃねぇんだからな」
「ふふ、冗談だよ。連絡しないから安心して」
からかうように微笑みながら、最後の一口を優しく食べさせ終えると、私は冷たい水で絞ったタオルを彼の額にそっと乗せてあげた。ルーカスは、ヒヤリとした心地よい冷たさに、満足そうに長い睫毛を伏せて目を閉じる。熱がじわじわと奪われていく感覚が気持ちいいのか、彼の荒かった呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「早く熱、下がるといいね……」
そう呟きながら、彼の乱れた髪を優しく撫でた。その柔らかな手の感触に驚いたのか、ルーカスは一瞬だけ目を見開いたが、私の愛おしげな眼差しと視線が交差すると、観念したように大人しくその手を受け入れた。身体の奥に広がるスープの温かさと、私の手のひらから伝わってくる圧倒的な包容力、長年焦がれていたぬくもり。それらが心地よく混ざり合い、彼はまるで幼い子供に戻ったかのように、すぅっと深い眠りへと落ちていった。
「……寝顔は、本当に可愛いんだから」
熱のせいで赤く火照った頬。無防備に微かに開いた唇。普段の、人を小馬鹿にしたような天才肌の彼とはまるで違う、ひどく純粋で幼い表情がそこにはあった。しばらくして、ふとルーカスが目を覚ますと、ソファーの下でティナがクッションを枕にして丸くなって眠っていた。
ルーカスはふと目を覚ました。額の上のタオルは、まだ心地よく冷たい。自分が眠っている間にも、彼女が何度も起きてタオルを冷やし直してくれていたのだと気づき、胸の奥が温かい何かで満たされていく。身体の倦怠感もスープと看病のおかげで随分と軽くなっていた。
「おい、ティナ、起きろ。そんなところで寝てたら、次はお前が風邪をひくぞ」
「……んっ……ルーカス? 起きたの……? 体調はどう?」
「あぁ、お前のおかげで少しはマシになったかもな」
ルーカスの声色に少しだけいつもの張りが戻ったのを感じティナはホッと胸を撫で下ろした。それでもまだ彼の頬はほんのりと赤く、熱の余韻が残っている。ティナはルーカスの手を引き、寝室へと移動させた。一人暮らしのシンプルな部屋には、シングルベッドと小さなサイドテーブルがあるだけ。リビングよりも微かに濃くなったティナの残り香が、ルーカスの鼻腔を、そして男としての理性を静かにくすぐった。
「やっぱりソファーよりもベッドでしっかり眠った方がいいよ。ほら、遠慮しないで横になって」
背中を押されるままルーカスはドサリとベッドに腰掛け、そのまま引きずり込まれるようにして寝かされた。
「……ティナはどこで寝るんだよ」
「私はソファーに戻るから大丈夫。じゃあ、ゆっくり休んでね」
そう言うとティナはルーカスの額にそっとお返しのキスを贈り、部屋を出ようとしたその時――ドアノブに手をかけたティナの手首をルーカスの大きな手が素早い動きで掴み取った。
「……一緒に寝てくんねぇのかよ」
驚いて振り向くと、ルーカスの大きな身体とドアの間に挟まれるような形になったティナ。まだ熱の残る、少し荒い彼の吐息が至近距離で肌をかすめる。その切なげに歪められた彼の表情に、不覚にも胸が激しく押し潰されるようにときめいた。
「……今日のルーカスは、本当に甘えん坊だね」
クスッと悪戯っぽく笑い、拘束していた彼の大きな手を握り返す。ルーカスはそのままティナをベッドへと引き込み、二人は狭いシングルベッドの上で向かい合うようにして身体を寄せ合った。普段なら一人で寝るのにちょうどいいスペースしか持たないベッドが今は酷く狭く感じられる。けれど、その息が詰まるほどの密着感に不快感なんて微塵もなかった。ルーカスはティナがベッドからずり落ちないように、大きな腕を背中に回し、壊れ物を扱うように力強く抱き寄せた。
「暑っつ……」
「暑い? やっぱり、別々に寝た方が……」
「嫌だ」
体調を気遣うティナの言葉を彼はムッとした表情で即座に拒絶した。その子供じみた我が儘な甘え方も実に彼らしい。拒絶の言葉とは裏腹に、背中に回された手の力がさらに強くなり、二人の身体の隙間が完全に消失する。ティナはルーカスの広い胸元に顔を埋め、彼の少し汗ばんだ体温の匂いと、ボディーソープの香りが混ざり合った独特の匂いをひっそりと肺いっぱいに吸い込んだ。彼がここにいるという実感が、不安だった二日間の空白を一瞬で埋めていく。しばらくそうして、お互いの鼓動を感じ合うように抱き合っていると、ルーカスが静かにいつもより低い声で甘く囁く。
「ティナ……キスしてぇ」
「私も……」
言いかけた唇は、それ以上の言葉を紡ぐことを許されなかった。ルーカスは、ティナの唇に飢えた獣のように食らいつき、深く、激しく口付けを交わしてきた。熱のせいなのか、それとも男としての興奮のせいなのか、彼の口内は驚くほど熱く普段のどんなキスよりも情熱的にティナを侵食していく。ティナの背中にあったルーカスの手は、いつの間にか腰の辺りへと滑り落ち、容赦なく自分の方へと強く引き寄せ、二つの身体をさらに淫らに密着させた。
「……風邪、うつるかもな」
短く息を整えた彼が、至近距離で意地悪くニヤリと笑う。
「ルーカスの風邪なら……いくらでも貰ってもいいよ」
その言葉が、彼の頭の中の最後の信管を完全に弾けさせた。
「じゃあ、遠慮はいらねぇな」
ルーカスはティナの細い足を自身の長い足で絡め取り、逃げられないように身体を完全にロックすると、さらに深く激しいキスを仕掛けてきた。唇を甘噛みし、熱い舌を容赦なく絡め合わせ、空いた手でティナの耳元や首筋を愛撫するように刺激する。あまりの快感に、ティナの唇からは切ない甘い吐息が何度も漏れた。
「んんっ……ルーカス、だめ……そんな、ぁ……っ」
もう、ただの看病やキスだけで終わるわけがない。そう確信した瞬間、ルーカスは横たわっていた大きな身体を起こし、ティナの真上へと覆いかぶさってきた。熱気と興奮でさらに跳ね上がった体温を逃がすように、彼は自分が着ていたTシャツを乱暴に脱ぎ捨てる。露わになった彼の上半身が、部屋の微かな光を浴びて妖しく光った。期待と熱情で視界を潤ませるティナを見下ろし、ルーカスはまた、いつものように悪戯な表情で笑う。
「もし、ティナが本当に風邪をひいちまったら……今度は俺が看病してやるよ」
「ルーカスが普通に看病してくれるなんて、私、信じられないけど?」
「嘘じゃねぇって。絶対に優しく、めちゃくちゃに可愛がってやるからよ」
その言葉の裏にある狂おしいほどの独占欲を感じたティナは小さく頷き、ルーカスの首の後ろに両手を回した。それがすべてを受け入れる合図だと捉えた彼は嬉しそうに目を細めると、夜が明けるまで何度も何度もティナのすべてを求め続けた。
end.
「メール、来てない……。電話もなし……」
恋人であるルーカスとの連絡は、付き合い始めたあの日から一日だって欠かさず続いていた。互いに距離があってなかなか会えない夜には、声を聴くだけで安心できる電話をくれた。
そんな彼からの音沙汰が途絶えて、今夜で二日目の夜。ただ連絡が来ないというそれだけのことが、これほどまでに胸を酷く不安にさせるなんて思いもしなかった。しつこい女だと思われて嫌われたくはなくて、きっと何かの研究や作業で忙しいのだと自分に言い聞せる。明日の朝には画面に彼の名前が浮かんでいることを願いつつ、そろそろ寝室へ向かおうとしたその時、玄関のドアを重く叩くような、鈍い音が聞こえた。
「……こんな時間に、誰?」
警戒しながら足音を消して玄関へ向かい、そっとドアスコープを覗き込む。
「ルーカス……!?」
息を呑み、慌てて鍵を開けてドアを押し開けた。そこには、フードを深く被ったまま、幽霊のように俯いて立ち尽くすルーカスの姿があった。傘も差さずにここまで来たのか、彼の身体からは水滴が激しく滴り落ちて床を濡らしている。
「どうしたのっ!? 大丈夫!? とにかく中に入って!」
冷え切った彼の大きな手を引き、強引に部屋へと招き入れた。雨に打たれ続けた彼の身体は氷のように冷え切っている。
「ティナ……」
いつもなら皮肉や冗談を叩きつけてくるはずの唇から、掠れたひどく弱々しい声が漏れた。フードを外してやっと露わになったルーカスの顔は無精髭がうっすらと伸び、視線もどこか虚ろで酷く熱に浮かされている。ティナはルーカスをバスルームへと連れて行き、水分を吸って重くなったトレーナーを何とか剥ぎ取るようにして脱がせ下着だけの姿にした。
「ルーカス、顔色がすごく悪い……。もしかして」
ティナはそっとルーカスの額に手のひらを当てる。
「やっぱり、すごい熱……。シャワー、浴びられそう?」
ルーカスは苦しそうに眉根を寄せたまま、小さくゆっくりと頷いた。
「気をつけてね。替えの服は脱衣所に用意しておくから」
浴室へと消えていくルーカスの背中を見送り、シャワーの音が響き始めたのを確認すると、ティナは急いで部屋へと走った。彼でもゆったりと着られる大きめのTシャツとスウェットを選んで脱衣所に置き、そのままキッチンへ駆け込む。鍋に湯を沸かし、冷蔵庫にある食材を引っ張り出して一口大に素早く刻んで投入していく。彼のために優しい味付けのチキンスープを作り終えた頃、湯気とともにルーカスがシャワールームから力なく出てきた。
足元の覚束ない彼の身体を支え、リビングのソファーへと連れて行って横にする。ルーカスは、室内に満ちできたスープの香りを愛おしそうに深く吸い込み、ふわりと微かに口角を上げた。
「あぁ……すげぇいい匂い……」
「有り合わせだけど、温まるようにチキンスープを作ったの。風邪を引いた時はこれが一番でしょ?」
「だよなぁ……」
スープを深皿に盛り、彼のもとへ運ぶ。背中の下にクッションを優しく滑り込ませ、上体を軽く起こしてあげた。
「食べさせてあげるから、じっとしててね?」
「マジかよ……」
「当たり前でしょ、こんなに熱があるんだから。これくらいしか、してあげられないし……」
「……それ、最高だな」
火傷をしないように、スプーンで掬ったスープに何度も息を吹きかけて冷ますティナを、ルーカスは熱を帯びた瞳でじっと見つめていた。そして、子供のように素直に口を開ける。こぼさないように慎重にスプーンを唇へと運ぶと、ルーカスはそれを優しく口に含んだ。身体の芯に染み渡るような温かいスープと自分のために甲斐甲斐しく動く彼女の姿に、彼のひねくれた表情が自然と緩んでいく。
「美味しい?」
「ふん……まぁまぁだな」
気恥ずかしさを隠すためにわざと意地悪な言い方をしてくるのも分かっていた。次のスプーンを差し出すと、また大人しく口を開けるルーカス。そんな彼の不器用な性格を愛おしく思いながら、ティナは何度もスープを運んだ。
「ねぇ、ルーカス。そんなに高い熱があるのに、どうして連絡もなしにうちに来たの?」
「お袋がウザすぎ。限界だったから逃げてきた」
吐き捨てるように、けれどどこか甘えるようにルーカスが呟く。
「俺が熱を出したって分かった瞬間、あのババア、俺の携帯もパソコンも全部取り上げやがってさ。休め休めってうるせー癖に何回も部屋に押し入ってきて不味い飯を大量に持ってきやがるんだぜ?食欲がねぇって言っても、無理やり口に突っ込もうとしてくるし……あんな監獄、逃げ出したくもなるだろ」
「マーガレットさんも、きっと心配で仕方なかったのよ。ちょっと過保護すぎる気はするけど」
「だから、家出してやった」
「一応、家に無事だって連絡だけでもしておこうか?」
「おいおい、ティナまで過保護になるなよ。あんなバカどもに連絡したら、めんどくせぇことになって、ここにも乗り込んでくるぞ。ったく、俺はガキじゃねぇんだからな」
「ふふ、冗談だよ。連絡しないから安心して」
からかうように微笑みながら、最後の一口を優しく食べさせ終えると、私は冷たい水で絞ったタオルを彼の額にそっと乗せてあげた。ルーカスは、ヒヤリとした心地よい冷たさに、満足そうに長い睫毛を伏せて目を閉じる。熱がじわじわと奪われていく感覚が気持ちいいのか、彼の荒かった呼吸が少しずつ落ち着いていく。
「早く熱、下がるといいね……」
そう呟きながら、彼の乱れた髪を優しく撫でた。その柔らかな手の感触に驚いたのか、ルーカスは一瞬だけ目を見開いたが、私の愛おしげな眼差しと視線が交差すると、観念したように大人しくその手を受け入れた。身体の奥に広がるスープの温かさと、私の手のひらから伝わってくる圧倒的な包容力、長年焦がれていたぬくもり。それらが心地よく混ざり合い、彼はまるで幼い子供に戻ったかのように、すぅっと深い眠りへと落ちていった。
「……寝顔は、本当に可愛いんだから」
熱のせいで赤く火照った頬。無防備に微かに開いた唇。普段の、人を小馬鹿にしたような天才肌の彼とはまるで違う、ひどく純粋で幼い表情がそこにはあった。しばらくして、ふとルーカスが目を覚ますと、ソファーの下でティナがクッションを枕にして丸くなって眠っていた。
ルーカスはふと目を覚ました。額の上のタオルは、まだ心地よく冷たい。自分が眠っている間にも、彼女が何度も起きてタオルを冷やし直してくれていたのだと気づき、胸の奥が温かい何かで満たされていく。身体の倦怠感もスープと看病のおかげで随分と軽くなっていた。
「おい、ティナ、起きろ。そんなところで寝てたら、次はお前が風邪をひくぞ」
「……んっ……ルーカス? 起きたの……? 体調はどう?」
「あぁ、お前のおかげで少しはマシになったかもな」
ルーカスの声色に少しだけいつもの張りが戻ったのを感じティナはホッと胸を撫で下ろした。それでもまだ彼の頬はほんのりと赤く、熱の余韻が残っている。ティナはルーカスの手を引き、寝室へと移動させた。一人暮らしのシンプルな部屋には、シングルベッドと小さなサイドテーブルがあるだけ。リビングよりも微かに濃くなったティナの残り香が、ルーカスの鼻腔を、そして男としての理性を静かにくすぐった。
「やっぱりソファーよりもベッドでしっかり眠った方がいいよ。ほら、遠慮しないで横になって」
背中を押されるままルーカスはドサリとベッドに腰掛け、そのまま引きずり込まれるようにして寝かされた。
「……ティナはどこで寝るんだよ」
「私はソファーに戻るから大丈夫。じゃあ、ゆっくり休んでね」
そう言うとティナはルーカスの額にそっとお返しのキスを贈り、部屋を出ようとしたその時――ドアノブに手をかけたティナの手首をルーカスの大きな手が素早い動きで掴み取った。
「……一緒に寝てくんねぇのかよ」
驚いて振り向くと、ルーカスの大きな身体とドアの間に挟まれるような形になったティナ。まだ熱の残る、少し荒い彼の吐息が至近距離で肌をかすめる。その切なげに歪められた彼の表情に、不覚にも胸が激しく押し潰されるようにときめいた。
「……今日のルーカスは、本当に甘えん坊だね」
クスッと悪戯っぽく笑い、拘束していた彼の大きな手を握り返す。ルーカスはそのままティナをベッドへと引き込み、二人は狭いシングルベッドの上で向かい合うようにして身体を寄せ合った。普段なら一人で寝るのにちょうどいいスペースしか持たないベッドが今は酷く狭く感じられる。けれど、その息が詰まるほどの密着感に不快感なんて微塵もなかった。ルーカスはティナがベッドからずり落ちないように、大きな腕を背中に回し、壊れ物を扱うように力強く抱き寄せた。
「暑っつ……」
「暑い? やっぱり、別々に寝た方が……」
「嫌だ」
体調を気遣うティナの言葉を彼はムッとした表情で即座に拒絶した。その子供じみた我が儘な甘え方も実に彼らしい。拒絶の言葉とは裏腹に、背中に回された手の力がさらに強くなり、二人の身体の隙間が完全に消失する。ティナはルーカスの広い胸元に顔を埋め、彼の少し汗ばんだ体温の匂いと、ボディーソープの香りが混ざり合った独特の匂いをひっそりと肺いっぱいに吸い込んだ。彼がここにいるという実感が、不安だった二日間の空白を一瞬で埋めていく。しばらくそうして、お互いの鼓動を感じ合うように抱き合っていると、ルーカスが静かにいつもより低い声で甘く囁く。
「ティナ……キスしてぇ」
「私も……」
言いかけた唇は、それ以上の言葉を紡ぐことを許されなかった。ルーカスは、ティナの唇に飢えた獣のように食らいつき、深く、激しく口付けを交わしてきた。熱のせいなのか、それとも男としての興奮のせいなのか、彼の口内は驚くほど熱く普段のどんなキスよりも情熱的にティナを侵食していく。ティナの背中にあったルーカスの手は、いつの間にか腰の辺りへと滑り落ち、容赦なく自分の方へと強く引き寄せ、二つの身体をさらに淫らに密着させた。
「……風邪、うつるかもな」
短く息を整えた彼が、至近距離で意地悪くニヤリと笑う。
「ルーカスの風邪なら……いくらでも貰ってもいいよ」
その言葉が、彼の頭の中の最後の信管を完全に弾けさせた。
「じゃあ、遠慮はいらねぇな」
ルーカスはティナの細い足を自身の長い足で絡め取り、逃げられないように身体を完全にロックすると、さらに深く激しいキスを仕掛けてきた。唇を甘噛みし、熱い舌を容赦なく絡め合わせ、空いた手でティナの耳元や首筋を愛撫するように刺激する。あまりの快感に、ティナの唇からは切ない甘い吐息が何度も漏れた。
「んんっ……ルーカス、だめ……そんな、ぁ……っ」
もう、ただの看病やキスだけで終わるわけがない。そう確信した瞬間、ルーカスは横たわっていた大きな身体を起こし、ティナの真上へと覆いかぶさってきた。熱気と興奮でさらに跳ね上がった体温を逃がすように、彼は自分が着ていたTシャツを乱暴に脱ぎ捨てる。露わになった彼の上半身が、部屋の微かな光を浴びて妖しく光った。期待と熱情で視界を潤ませるティナを見下ろし、ルーカスはまた、いつものように悪戯な表情で笑う。
「もし、ティナが本当に風邪をひいちまったら……今度は俺が看病してやるよ」
「ルーカスが普通に看病してくれるなんて、私、信じられないけど?」
「嘘じゃねぇって。絶対に優しく、めちゃくちゃに可愛がってやるからよ」
その言葉の裏にある狂おしいほどの独占欲を感じたティナは小さく頷き、ルーカスの首の後ろに両手を回した。それがすべてを受け入れる合図だと捉えた彼は嬉しそうに目を細めると、夜が明けるまで何度も何度もティナのすべてを求め続けた。
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