はじまりは箱の中から
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孤島の地下深く、乱雑に積み上げられた木箱の群れが、不気味な青い炎に照らされて微かに揺らめいている。大きなコートを纏った武器商人は、今日仕入れたばかりの「商品」を整理している最中だった。定期的に各地で開催される武器の闇市。そこで己の肥えた目を満たす逸品を競り落とし、自慢のラインナップに並べる。この瞬間こそが、彼の密かな娯楽であり至福の時だった。
あらかたの陳列を終え、残された最後の一箱に手をかける。これには特に気に入った掘り出し物の重火器が入っているはずだ。店の一番目立つ特等席に飾ってやろうと、口元の布の奥で笑みを浮かべながら、蓋に打ち込まれた頑丈な釘を引き抜いた。
「――!?」
蓋を開け、箱の中を覗き込んだ瞬間、武器商人は目を見開いたまま完全に凝固した。そこに収まっていたのは、冷たい鋼鉄の塊ではない。膝を抱えて小さく丸くなり、口を塞がれ、手足を荒縄で厳重に拘束された――剥き出しの肌も眩しい、一人の若い女だった。
「お前さん……一体なんでこんなところに収まっていやがるんだ?」
問いかけたところで答えが返ってくるはずもないが、あまりの衝撃に思わず声が漏れていた。コートの奥から乾いた手を取り出し、男は深くため息をついて頭を抱える。
「まさか、あの喧しい闇市で俺の荷物と取り違えられちまったか……」
数日前の混沌とした取引現場を思い出す。武器の競りが行われていたすぐ近くで、品定めされる奴隷たちのオークションが開催されていた。二度目のため息を吐き捨てながらも、武器商人は箱の中の女を見つめる。怯えたように彼を見上げるその瞳は、暗がりの中でも酷く美しく輝いていた。
「とにかく、そんな狭いところで縮こまってるのも災難だ。お前さん、出るかい?」
その掠れた低い声に、女の瞳に微かな光が宿る。彼女はすがるように、コクコクと小さく首を縦に振った。武器商人は女の華奢な身体をそっと抱き上げ、箱の外へと引き揚げた。足がついた瞬間にへたりと崩れそうになる彼女の身体を大きな片腕で支え、手足の拘束を素早く解いていく。最後に口の詰め物を取り去ってやると、女は小さく咳き込み、乱れた髪を静かに手ぐしで整えた。
「……ご、ご主人様……で、よろしいですか?」
緊張に震える声で紡がれたその言葉に、男は思わず破顔した。
「ご主人様ァ? ヒッヒッヒ! 何を一番に喋るかと思えば……随分と深く仕込まれちまっているらしいな?」
武器商人はあまりにも丁寧で歪な女の対応に、低く笑声を漏らした。もっと化け物を見るような目で怯えられるか、あるいは隙を見て逃げ出されるかと思っていたが、予想は小気味いいほどに外れた。
「お前さん名前は?」
「ティナです」
「ヒヒヒ……ティナ、そうかい。悪いがな、俺はお前さんのご主人様じゃねぇよ。間抜けな連中が箱を取り違えちまっただけさ」
「ご主人様じゃ……ない?」
「あぁ、俺はただの武器商人だ。あいにく、人間を囲うような高尚な趣味は持ち合わせてねぇよ」
「……わ、私は、これからどうすればいいですか?」
「どうすればって言われてもねぇ……?」
この危険な地で、こんな女が一人で店を出ていけば、遅かれ早かれ狂信者どもか化け物の餌食になるのがオチだ。運良く生き延びられたとしても、飢えと渇きで一週間ともたないだろう。よく見れば、ティナは薄い肌着のような布を一枚纏っているだけの痛々しい姿だ。こんな綺麗な女を無慈悲に放り出すのは、流石の彼も寝覚めが悪い。武器商人は「仕方がねぇな」と小さく零し、自身の予備の衣服を彼女に手渡した。
「とりあえずはここに居な。外に出たところで、お前さんにとって良いことなんて何一つありゃしねぇよ。……まぁ、嫌だってなら止めはしないがね」
「いえ、ここに居させてください。ご主人様」
「だから、俺はご主人様じゃ……フッ、まあ好きに呼びな」
「はい」
ティナは武器商人をそう呼び、ニッコリと嬉しそうに微笑んだ。その純粋な笑顔はあまりにも美しく、そして酷く哀れだった。武器商人はその姿を見て、彼女が過去にどれほど苛烈な洗脳と調教を植え付けられてきたのかを容易に察した。
「俺の根城は広くはねぇが、もう一人くらい寝泊まりする隙間はあるぜ。ここで寝られるかい?」
「ご主人様は、どちらで寝られるのですか?」
「俺はそこらで適当に転がるさ」
「……ご主人様と一緒に眠っては、いけませんか?」
「ヒッヒッヒ、やめときな? 俺は寝相が悪くてね。お前さんみたいな華奢な身体、簡単にすり潰しちまうぜ」
「それは……ダメ、ということですか?」
冗談めかして笑う武器商人の言葉に、ティナは小さな肩を竦め、今にも泣きそうな声で呟いた。人肌が恋しいのか、それとも『主人の傍らで眠れ』と教え込まれてきたのか。どちらにせよ、武器商人は優しく首を横に振った。
「とにかく今日は疲れてるだろ。まだ初日だ、ゆっくり行こうじゃねぇか」
安心させるように笑いながらティナの頭をごつごつとした大きな手でゆっくりと撫で、店の隅にある簡易ベッドへと座らせた。ティナは不安そうに、けれど彼の温もりにすがるように見上げる。
「明日は店を開けなきゃならねぇんでね。その準備がある。少し騒がしくしちまうかもしれないが、我慢して寝てくれや」
「ありがとうございます。おやすみなさい、ご主人様」
素直にベッドへ潜り込んだティナは、張り詰めていた糸が切れたように瞬く間に深い眠りへと落ちていった。武器商人はこれからどうしたものかと思案しながらも、手際よく明日の開店準備を進めていく。
しばらくして作業が一段落した頃、男は静かな寝息を立てるティナの顔をまじまじと見つめた。整った顔立ち、毛布の上からでも分かるしなやかな身体のライン。闇市の表舞台で取引されている安価な奴隷たちとは、明らかに格が違った。彼女は、奴隷にしてはあまりにも美しすぎた。
「どっかの貴族のお嬢様でも攫って売られた口か……?」
これほどの極上品だ、本来なら目も眩むような高値で取引されていたはずだ。そんな女が武器の箱とすり替わったと知れば、買い取った人間は今頃血相を変えて探し回っているに違いない。
「それにしても、俺の仕入れた銃は一体どこのどいつの元へ転がっていっちまったんだか」
武器商人は口元の布を引き下げ、乾いた喉に強烈な酒を流し込んだ。吐息を漏らし寝返りを打つティナのはだけた背中。その布の隙間から覗く白い素肌を極上の肴にしながら、男はゆっくりとグラスを傾ける。女の居る生活というのも、そう悪くはないかもしれない。男はそんなことを考えながら、静かに目を閉じた。
二人が奇妙な同居生活を始めてから、数日が瞬く間に過ぎていった。ティナは、風変わりな客が訪れるたびに素早く店の奥へと姿を隠し、それ以外の時間は、甲斐甲斐しく店の掃除や炊事をして過ごした。しかし、それでも時間は有り余る隅々まで磨き上げられた店内やその周辺は、彼女が来る前とは見違えるほどに清潔で、整然としていた。
「あの……ご主人様。なにか、他に私にできる御用はありますか?」
「いや、特には無いねぇ」
武器商人はランプの光の下で、銃のパーツを器用に改造しながらポツリと答える。
「今日は、もうお客様は来られないのでしょうか?」
「この様子じゃ、今日はもう店じまいだな」
「では、ご主人様も少しお休みになられたらどうですか? 私、マッサージも出来ますので」
「ヒヒヒッ、俺のことは気にしなくていいぜ。お前さんは好きなことでもしてな」
「好きなこと、ですか……」
武器商人の言葉に、ティナは困ったような、寂しげな笑みを浮かべた。暇潰しにと与えられた古い書籍は全て読み終え、今日の夕食の仕込みも終わっている。彼女の手には、もう何も残されていなかった。
「では……温かいお茶でも淹れますね」
「あぁ、ありがとさん」
武器商人は視線を銃に向けたまま生返事を返し、再び金属の擦れ合う静かな作業へと没頭し始めた。乾いた空間に、カップに注がれた茶を啜る音だけが小さく響く。ティナは自分の持つカップの揺れる水面に映る自身の影をじっと見つめていた。そして、指先が白くなるほどにぐっと力を込め、決意したように静かに口を開いた。
「ご主人様……少し、お話してもよろしいですか?」
「なんだい」
「ご主人様は……私をお使いにならないのですか?」
「使う? そりゃ、どういう意味だ」
息を潜めるような沈黙の後、彼女は掠れた声で核心を口にした。
「それは……その、性的な意味で、です」
武器商人はその言葉を聞いた瞬間、動かしていた手をぴたりと止め、ゆっくりとティナの方へと向き直った。その双眸から放たれる鋭い視線は、これまで彼女に一度も見せたことのない、冷徹で男烈なものだった。
「お前さんは……それを望んでいるのかい?」
「私は、ご主人様にそうやって奉仕するようにと教えられて育ちましたから……」
「そりゃ前の場所での話だろ。俺は今のアンタを奴隷だなんて思っちゃいねぇよ。お前さんが勝手にご主人様と呼んでるだけさ。どんだけ深く脳ミソに植え付けられたかは知らねぇが、そろそろその安っぽい考えは捨てちまいな」
「…………」
武器商人は手に持っていた工具を置き、深く俯いてしまった彼女の傍らへと歩み寄って腰を下ろした。
「私は……もう、戻れないんです」
ティナは瞳に涙を溜めながら、遮るようにそう言い切った。その声は酷く強く、見上げてくる瞳は武器商人を真っ直ぐに射抜いていた。
「この印がある限り、私は奴隷のまま……いくら頭で考え方を変えようとしても、身体が、ご主人様を求めてしまうんです」
ティナは着ている衣服の裾を躊躇いなく捲り上げ、自身の柔らかな腹部に刻まれた悍ましい焼印を男の目に晒した。白い肌に赤黒く焼き付けられたその肉の紋様は、蚯蚓脹れのようにぷっくりと浮き出ており、彼女の過去の呪縛を無残に証明していた。
「その証拠に……毎晩眠ろうとするたびに、身体の奥が熱く疼いてしまうんです。頭では分かっていても、もう、そういう身体にされてしまったから……」
ティナの目から溢れた涙が、堰を切ったようにポトリポトリと彼女の膝を濡らしていく。男が項垂れる彼女の肩を引き寄せると、ティナは耐えかねたようにその胸へと激しくしがみついた。
「ご主人様……どうか、今晩私を抱いてくださいませんか……っ」
「ティナ……」
武器商人は静かに泣きじゃくる彼女の名を愛おしげな声で呟いた。頭を大きな手で包み込むようにして撫で、そして――震えるティナの唇を、自身の唇で静かに塞いだ。小さく驚き目を見開いたティナだったが、すぐにその熱を受け入れるようにしてそっと瞼を閉じる。彼女が男の背中にギュッと腕を回し自ら小さく舌を覗かせると、武器商人はその甘い舌を絡め取り、貪るように愛撫した。
「んっ……ふ、ん……っ……」
「はぁっ……ん……」
重なり合う唇の隙間から、互いの熱い吐息が漏れ出す。ティナの身体が彼の接触によって歓喜に震えていた。
「……寝床に行くか?」
「はい……」
潤んだ瞳で強く頷いたティナの顔には、この世の何よりも幸福そうな笑みが浮かんでいた。武器商人は彼女の体を引き寄せ、重ねられた厚手の毛布の上へと優しく、それでいて抗えない力で押し倒した。その上に覆いかぶさるようにして、男の大きな影が重なる。青いランタンの炎が、互いを求め合う二人の輪郭を、妖しく、そして温かく照らし出していた。
武器商人はティナを包んでいた衣類を静かに解き去り、自身を覆っていた重いコートや重ね着た服も乱雑に脱ぎ捨てた。バサリと床に落ちた布の音だけが、静寂に包まれた洞窟の中に響く。青いランプの光に照らし出された、生まれて初めて目にする彼女の生身の肌。その白く繊細な肢体を前に、男の胸の鼓動が激しく跳ね上がった。
「消してやれたらいいんだがな……こんな悍ましい印。お前さんには、これっぽっちも似合っちゃいねぇよ」
武器商人は眉をひそめ、悔しさと怒りを滲ませた眼差しで彼女の柔らかな腹部に刻まれた焼印を大きな指先でそっとなぞった。冷たい指先が触れるたび、ティナの身体が微かに甘く震える。
「……本当に、俺でいいのか?」
男としての最後の理性を振り絞るように、彼は低く掠れた声で問いかけた。見上げるティナの瞳には、迷いなど微塵もなかった。
「ご主人様が……いいんです。それに、私にはこんなやり方でしか、あなたに恩返しができませんから……」
「恩返し? ヒッヒッヒ……何言ってんだ。俺はお前さんにゃ、大したことなんて何一つしちゃいねぇぜ?」
「いいえ。行き場のない私を拾ってくれて、ここに置いてくれて、温かいお食事まで与えてくれて……ご主人様に出会えて、私は心から幸せです」
「そうかい……でもな、恩返しだなんて安っぽい言葉で自分を納得させようとするな」
熱のこもった低く優しい声が、熱に浮かされるティナの鼓膜を甘く愛撫する。武器商人は彼女の頬に触れ、その瞳の奥をじっと見つめながら、逃げ場を無くすように深く深く囁いた。
「俺は……恩返しを受けるご主人様としてじゃなく、ただの男として、お前さんを抱くんだからよ」
真摯で、けれどどこか照れくさそうにいつものように低く笑う男の顔。その言葉を聞いた瞬間、ティナの胸の奥で何かが弾けた。
「あぁ……ご主人様……っ、私は、あなたを……愛しています」
ここに来てから一番の、咲き誇るような美しい笑顔。そしてその目からは、溜まりかねた大粒の涙が溢れ出した。ぷるぷると震える雫は彼女の濡れた頬を伝い、光を弾きながら儚く零れ落ちていく。
「さっきから泣いてばかりだな……ヒヒヒッ」
武器商人は愛おしさに胸を締め付けられながら、彼女の涙を指先ですくい取り、再び慈しむような深い口づけを重ねた。頬に添えられた男の手に、ティナの小さな手がそっと重なる。過去の呪縛も、身を刻む焼印の痛みも、彼の温かい体温に溶かされて消えていくようだった。
二人の重なった体温と息遣いが、静かな夜の中に深く溶け込んでいった。
end.
あらかたの陳列を終え、残された最後の一箱に手をかける。これには特に気に入った掘り出し物の重火器が入っているはずだ。店の一番目立つ特等席に飾ってやろうと、口元の布の奥で笑みを浮かべながら、蓋に打ち込まれた頑丈な釘を引き抜いた。
「――!?」
蓋を開け、箱の中を覗き込んだ瞬間、武器商人は目を見開いたまま完全に凝固した。そこに収まっていたのは、冷たい鋼鉄の塊ではない。膝を抱えて小さく丸くなり、口を塞がれ、手足を荒縄で厳重に拘束された――剥き出しの肌も眩しい、一人の若い女だった。
「お前さん……一体なんでこんなところに収まっていやがるんだ?」
問いかけたところで答えが返ってくるはずもないが、あまりの衝撃に思わず声が漏れていた。コートの奥から乾いた手を取り出し、男は深くため息をついて頭を抱える。
「まさか、あの喧しい闇市で俺の荷物と取り違えられちまったか……」
数日前の混沌とした取引現場を思い出す。武器の競りが行われていたすぐ近くで、品定めされる奴隷たちのオークションが開催されていた。二度目のため息を吐き捨てながらも、武器商人は箱の中の女を見つめる。怯えたように彼を見上げるその瞳は、暗がりの中でも酷く美しく輝いていた。
「とにかく、そんな狭いところで縮こまってるのも災難だ。お前さん、出るかい?」
その掠れた低い声に、女の瞳に微かな光が宿る。彼女はすがるように、コクコクと小さく首を縦に振った。武器商人は女の華奢な身体をそっと抱き上げ、箱の外へと引き揚げた。足がついた瞬間にへたりと崩れそうになる彼女の身体を大きな片腕で支え、手足の拘束を素早く解いていく。最後に口の詰め物を取り去ってやると、女は小さく咳き込み、乱れた髪を静かに手ぐしで整えた。
「……ご、ご主人様……で、よろしいですか?」
緊張に震える声で紡がれたその言葉に、男は思わず破顔した。
「ご主人様ァ? ヒッヒッヒ! 何を一番に喋るかと思えば……随分と深く仕込まれちまっているらしいな?」
武器商人はあまりにも丁寧で歪な女の対応に、低く笑声を漏らした。もっと化け物を見るような目で怯えられるか、あるいは隙を見て逃げ出されるかと思っていたが、予想は小気味いいほどに外れた。
「お前さん名前は?」
「ティナです」
「ヒヒヒ……ティナ、そうかい。悪いがな、俺はお前さんのご主人様じゃねぇよ。間抜けな連中が箱を取り違えちまっただけさ」
「ご主人様じゃ……ない?」
「あぁ、俺はただの武器商人だ。あいにく、人間を囲うような高尚な趣味は持ち合わせてねぇよ」
「……わ、私は、これからどうすればいいですか?」
「どうすればって言われてもねぇ……?」
この危険な地で、こんな女が一人で店を出ていけば、遅かれ早かれ狂信者どもか化け物の餌食になるのがオチだ。運良く生き延びられたとしても、飢えと渇きで一週間ともたないだろう。よく見れば、ティナは薄い肌着のような布を一枚纏っているだけの痛々しい姿だ。こんな綺麗な女を無慈悲に放り出すのは、流石の彼も寝覚めが悪い。武器商人は「仕方がねぇな」と小さく零し、自身の予備の衣服を彼女に手渡した。
「とりあえずはここに居な。外に出たところで、お前さんにとって良いことなんて何一つありゃしねぇよ。……まぁ、嫌だってなら止めはしないがね」
「いえ、ここに居させてください。ご主人様」
「だから、俺はご主人様じゃ……フッ、まあ好きに呼びな」
「はい」
ティナは武器商人をそう呼び、ニッコリと嬉しそうに微笑んだ。その純粋な笑顔はあまりにも美しく、そして酷く哀れだった。武器商人はその姿を見て、彼女が過去にどれほど苛烈な洗脳と調教を植え付けられてきたのかを容易に察した。
「俺の根城は広くはねぇが、もう一人くらい寝泊まりする隙間はあるぜ。ここで寝られるかい?」
「ご主人様は、どちらで寝られるのですか?」
「俺はそこらで適当に転がるさ」
「……ご主人様と一緒に眠っては、いけませんか?」
「ヒッヒッヒ、やめときな? 俺は寝相が悪くてね。お前さんみたいな華奢な身体、簡単にすり潰しちまうぜ」
「それは……ダメ、ということですか?」
冗談めかして笑う武器商人の言葉に、ティナは小さな肩を竦め、今にも泣きそうな声で呟いた。人肌が恋しいのか、それとも『主人の傍らで眠れ』と教え込まれてきたのか。どちらにせよ、武器商人は優しく首を横に振った。
「とにかく今日は疲れてるだろ。まだ初日だ、ゆっくり行こうじゃねぇか」
安心させるように笑いながらティナの頭をごつごつとした大きな手でゆっくりと撫で、店の隅にある簡易ベッドへと座らせた。ティナは不安そうに、けれど彼の温もりにすがるように見上げる。
「明日は店を開けなきゃならねぇんでね。その準備がある。少し騒がしくしちまうかもしれないが、我慢して寝てくれや」
「ありがとうございます。おやすみなさい、ご主人様」
素直にベッドへ潜り込んだティナは、張り詰めていた糸が切れたように瞬く間に深い眠りへと落ちていった。武器商人はこれからどうしたものかと思案しながらも、手際よく明日の開店準備を進めていく。
しばらくして作業が一段落した頃、男は静かな寝息を立てるティナの顔をまじまじと見つめた。整った顔立ち、毛布の上からでも分かるしなやかな身体のライン。闇市の表舞台で取引されている安価な奴隷たちとは、明らかに格が違った。彼女は、奴隷にしてはあまりにも美しすぎた。
「どっかの貴族のお嬢様でも攫って売られた口か……?」
これほどの極上品だ、本来なら目も眩むような高値で取引されていたはずだ。そんな女が武器の箱とすり替わったと知れば、買い取った人間は今頃血相を変えて探し回っているに違いない。
「それにしても、俺の仕入れた銃は一体どこのどいつの元へ転がっていっちまったんだか」
武器商人は口元の布を引き下げ、乾いた喉に強烈な酒を流し込んだ。吐息を漏らし寝返りを打つティナのはだけた背中。その布の隙間から覗く白い素肌を極上の肴にしながら、男はゆっくりとグラスを傾ける。女の居る生活というのも、そう悪くはないかもしれない。男はそんなことを考えながら、静かに目を閉じた。
二人が奇妙な同居生活を始めてから、数日が瞬く間に過ぎていった。ティナは、風変わりな客が訪れるたびに素早く店の奥へと姿を隠し、それ以外の時間は、甲斐甲斐しく店の掃除や炊事をして過ごした。しかし、それでも時間は有り余る隅々まで磨き上げられた店内やその周辺は、彼女が来る前とは見違えるほどに清潔で、整然としていた。
「あの……ご主人様。なにか、他に私にできる御用はありますか?」
「いや、特には無いねぇ」
武器商人はランプの光の下で、銃のパーツを器用に改造しながらポツリと答える。
「今日は、もうお客様は来られないのでしょうか?」
「この様子じゃ、今日はもう店じまいだな」
「では、ご主人様も少しお休みになられたらどうですか? 私、マッサージも出来ますので」
「ヒヒヒッ、俺のことは気にしなくていいぜ。お前さんは好きなことでもしてな」
「好きなこと、ですか……」
武器商人の言葉に、ティナは困ったような、寂しげな笑みを浮かべた。暇潰しにと与えられた古い書籍は全て読み終え、今日の夕食の仕込みも終わっている。彼女の手には、もう何も残されていなかった。
「では……温かいお茶でも淹れますね」
「あぁ、ありがとさん」
武器商人は視線を銃に向けたまま生返事を返し、再び金属の擦れ合う静かな作業へと没頭し始めた。乾いた空間に、カップに注がれた茶を啜る音だけが小さく響く。ティナは自分の持つカップの揺れる水面に映る自身の影をじっと見つめていた。そして、指先が白くなるほどにぐっと力を込め、決意したように静かに口を開いた。
「ご主人様……少し、お話してもよろしいですか?」
「なんだい」
「ご主人様は……私をお使いにならないのですか?」
「使う? そりゃ、どういう意味だ」
息を潜めるような沈黙の後、彼女は掠れた声で核心を口にした。
「それは……その、性的な意味で、です」
武器商人はその言葉を聞いた瞬間、動かしていた手をぴたりと止め、ゆっくりとティナの方へと向き直った。その双眸から放たれる鋭い視線は、これまで彼女に一度も見せたことのない、冷徹で男烈なものだった。
「お前さんは……それを望んでいるのかい?」
「私は、ご主人様にそうやって奉仕するようにと教えられて育ちましたから……」
「そりゃ前の場所での話だろ。俺は今のアンタを奴隷だなんて思っちゃいねぇよ。お前さんが勝手にご主人様と呼んでるだけさ。どんだけ深く脳ミソに植え付けられたかは知らねぇが、そろそろその安っぽい考えは捨てちまいな」
「…………」
武器商人は手に持っていた工具を置き、深く俯いてしまった彼女の傍らへと歩み寄って腰を下ろした。
「私は……もう、戻れないんです」
ティナは瞳に涙を溜めながら、遮るようにそう言い切った。その声は酷く強く、見上げてくる瞳は武器商人を真っ直ぐに射抜いていた。
「この印がある限り、私は奴隷のまま……いくら頭で考え方を変えようとしても、身体が、ご主人様を求めてしまうんです」
ティナは着ている衣服の裾を躊躇いなく捲り上げ、自身の柔らかな腹部に刻まれた悍ましい焼印を男の目に晒した。白い肌に赤黒く焼き付けられたその肉の紋様は、蚯蚓脹れのようにぷっくりと浮き出ており、彼女の過去の呪縛を無残に証明していた。
「その証拠に……毎晩眠ろうとするたびに、身体の奥が熱く疼いてしまうんです。頭では分かっていても、もう、そういう身体にされてしまったから……」
ティナの目から溢れた涙が、堰を切ったようにポトリポトリと彼女の膝を濡らしていく。男が項垂れる彼女の肩を引き寄せると、ティナは耐えかねたようにその胸へと激しくしがみついた。
「ご主人様……どうか、今晩私を抱いてくださいませんか……っ」
「ティナ……」
武器商人は静かに泣きじゃくる彼女の名を愛おしげな声で呟いた。頭を大きな手で包み込むようにして撫で、そして――震えるティナの唇を、自身の唇で静かに塞いだ。小さく驚き目を見開いたティナだったが、すぐにその熱を受け入れるようにしてそっと瞼を閉じる。彼女が男の背中にギュッと腕を回し自ら小さく舌を覗かせると、武器商人はその甘い舌を絡め取り、貪るように愛撫した。
「んっ……ふ、ん……っ……」
「はぁっ……ん……」
重なり合う唇の隙間から、互いの熱い吐息が漏れ出す。ティナの身体が彼の接触によって歓喜に震えていた。
「……寝床に行くか?」
「はい……」
潤んだ瞳で強く頷いたティナの顔には、この世の何よりも幸福そうな笑みが浮かんでいた。武器商人は彼女の体を引き寄せ、重ねられた厚手の毛布の上へと優しく、それでいて抗えない力で押し倒した。その上に覆いかぶさるようにして、男の大きな影が重なる。青いランタンの炎が、互いを求め合う二人の輪郭を、妖しく、そして温かく照らし出していた。
武器商人はティナを包んでいた衣類を静かに解き去り、自身を覆っていた重いコートや重ね着た服も乱雑に脱ぎ捨てた。バサリと床に落ちた布の音だけが、静寂に包まれた洞窟の中に響く。青いランプの光に照らし出された、生まれて初めて目にする彼女の生身の肌。その白く繊細な肢体を前に、男の胸の鼓動が激しく跳ね上がった。
「消してやれたらいいんだがな……こんな悍ましい印。お前さんには、これっぽっちも似合っちゃいねぇよ」
武器商人は眉をひそめ、悔しさと怒りを滲ませた眼差しで彼女の柔らかな腹部に刻まれた焼印を大きな指先でそっとなぞった。冷たい指先が触れるたび、ティナの身体が微かに甘く震える。
「……本当に、俺でいいのか?」
男としての最後の理性を振り絞るように、彼は低く掠れた声で問いかけた。見上げるティナの瞳には、迷いなど微塵もなかった。
「ご主人様が……いいんです。それに、私にはこんなやり方でしか、あなたに恩返しができませんから……」
「恩返し? ヒッヒッヒ……何言ってんだ。俺はお前さんにゃ、大したことなんて何一つしちゃいねぇぜ?」
「いいえ。行き場のない私を拾ってくれて、ここに置いてくれて、温かいお食事まで与えてくれて……ご主人様に出会えて、私は心から幸せです」
「そうかい……でもな、恩返しだなんて安っぽい言葉で自分を納得させようとするな」
熱のこもった低く優しい声が、熱に浮かされるティナの鼓膜を甘く愛撫する。武器商人は彼女の頬に触れ、その瞳の奥をじっと見つめながら、逃げ場を無くすように深く深く囁いた。
「俺は……恩返しを受けるご主人様としてじゃなく、ただの男として、お前さんを抱くんだからよ」
真摯で、けれどどこか照れくさそうにいつものように低く笑う男の顔。その言葉を聞いた瞬間、ティナの胸の奥で何かが弾けた。
「あぁ……ご主人様……っ、私は、あなたを……愛しています」
ここに来てから一番の、咲き誇るような美しい笑顔。そしてその目からは、溜まりかねた大粒の涙が溢れ出した。ぷるぷると震える雫は彼女の濡れた頬を伝い、光を弾きながら儚く零れ落ちていく。
「さっきから泣いてばかりだな……ヒヒヒッ」
武器商人は愛おしさに胸を締め付けられながら、彼女の涙を指先ですくい取り、再び慈しむような深い口づけを重ねた。頬に添えられた男の手に、ティナの小さな手がそっと重なる。過去の呪縛も、身を刻む焼印の痛みも、彼の温かい体温に溶かされて消えていくようだった。
二人の重なった体温と息遣いが、静かな夜の中に深く溶け込んでいった。
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