PSYCHO-PASS【その他CP、無CP】
廊下から槙島の私室を覗き見たグソンはありえない光景を見た。温和な笑顔を浮べた少年が手を一閃させた瞬間、槙島が目を見開いたまま倒れこんだのを。素手格闘で誰にも負けたことのない槙島が。陸軍学校を主席で卒業したと言われる狡噛慎也でさえ互角の槙島が。
少年は両腕を広げてそんな槙島を抱き止めると、「ごめんね、でもお話を聞いてくれない聖護くんが悪いんだよ」そんな寂しそうな笑顔でささやきながら腕に抱き上げた。
童話のお姫様のように抱かれた槙島の白い軍服の胸に血のしみは無い。しかし軍靴に覆われた膝下は少年の腕からだらりと垂れ下がり、完全に意識を失っているのが見て取れる。
槙島を抱き上げている少年の胸にあるはずの金絹の飾緒は、不自然に切れて肩章の端から垂れ下がっていた。そうして少年の手の内には、緻密な彫刻が施された石筆があった。それは本来、緊急の作戦のときに用いる筆記具として飾緒の先に結われているものだ。信じられないことだが、とっさにあの石筆の柄で鳩尾を突いて昏倒させたらしい。そうとしか考えられなかった。
短く品良く切り整えられたやわらかな栗色の髪、悪戯っぽい光を宿す大きな瞳、あどけない顔に一抹の色気を添える片目尻の泣きぼくろ。上品な白の軍服の内側には糊の効いた白い襟ときっちりと締められた臙脂のネクタイが覗いている。槙島の長身を難なく抱き上げていることといい、たかがペンの一撃で大人の男の意識を奪ったことといい、可憐で小柄な見た目に似合わぬ戦闘力だった。俊敏さだけではなく腕力もあり、何より場数を踏んでいるのが知れる。そういえば纏っている軍服は槙島と同じ形から、ボタンや階級章などの幾つかの装飾を変えただけのものだ。「少年」とグソンはずっと思っていたがすでに槙島と似た年齢なのかもしれない。
「どこに行く!?」
そのまま槙島を連れてどこかに立ち去ろうとする少年の動きを察し、グソンは槙島の部屋の扉に飛び出していた。そのまま瞬時に少年だか男だか判らない不審者の眉間に銃を構える。と、男は軽く荷物の持ち手を変える程度の気安さで槙島を肩に放り上げて担いだ。そして空いた右手は――……グソンが把握できたのはそこまでだった。
「……っ、ぐ、ァ……」
何が起こったのかも解らぬまま、グソンの鍛え上げられた身体が床に叩きつけられる。
次いで耳の数ミリ隣に、ダン!と何かが降ってきた。突き刺さった。いや、めり込んだ?
すぐ傍で人の呼気が聞こえて、見開いた瞼のすぐ前に、グソンを冷たく値踏みする男の目があった。グソンの腹に片膝をついて顔を覗き込んでいる彼の肩にはまだ槙島が担がれたままだ。二人の白い軍服に微かな汚れも見当たらない。冷や汗が額を伝った。
「ふうん、相変わらず聖護くんは噛み癖のついたわるいおおかみが好きなんだなあ」
男は床に刺したペンを引き抜くと、しばらくグソンを警戒するように眼前に構えながら眺めていたが、グソンの黒い詰襟と階級章を確かめると、つまらなさそうに舌打ちしてペンを引いた。立ち上がりざま、邪魔な荷物でも除けるようにブーツの先で蹴り飛ばされて、グソンは廊下に這いずったまま男の背中を睨み上げた。
悠々と、靴音が高く響く。させるか。グソンはぜえぜえと身を起こしながら声を振り絞った。
「誰だあんた」
叫びにようやく振り向いた男の目は、完全にグソンへの興味を失っていた。
「そっか、誰も僕の顔は知らないもんね。でも、名前を聞いたら結構有名だと思うよ。藤間幸三郎って言うんだけど」
その名前にどれほどの価値があるのか知らないが、自信たっぷりに微笑む男にグソンは舌打ちした。
「知らねェよ」
白の軍服、恵まれた容姿――改めて考えれば親衛隊のお偉いさんには違いないだろうが、こんな男が軍にいたことさえ知らなかった。名簿だってすでに拝借した後だが、そこに藤間幸三郎なんて名前はなかった。
「そうか。そういえば」
反応の薄いグソンを見下ろすと、藤間は茶色の髪をさらりと揺らして首を傾げた。
「人は僕らを、親しみ深い別の名前で呼んでいるね――”シビュラシステム”と」
少年は両腕を広げてそんな槙島を抱き止めると、「ごめんね、でもお話を聞いてくれない聖護くんが悪いんだよ」そんな寂しそうな笑顔でささやきながら腕に抱き上げた。
童話のお姫様のように抱かれた槙島の白い軍服の胸に血のしみは無い。しかし軍靴に覆われた膝下は少年の腕からだらりと垂れ下がり、完全に意識を失っているのが見て取れる。
槙島を抱き上げている少年の胸にあるはずの金絹の飾緒は、不自然に切れて肩章の端から垂れ下がっていた。そうして少年の手の内には、緻密な彫刻が施された石筆があった。それは本来、緊急の作戦のときに用いる筆記具として飾緒の先に結われているものだ。信じられないことだが、とっさにあの石筆の柄で鳩尾を突いて昏倒させたらしい。そうとしか考えられなかった。
短く品良く切り整えられたやわらかな栗色の髪、悪戯っぽい光を宿す大きな瞳、あどけない顔に一抹の色気を添える片目尻の泣きぼくろ。上品な白の軍服の内側には糊の効いた白い襟ときっちりと締められた臙脂のネクタイが覗いている。槙島の長身を難なく抱き上げていることといい、たかがペンの一撃で大人の男の意識を奪ったことといい、可憐で小柄な見た目に似合わぬ戦闘力だった。俊敏さだけではなく腕力もあり、何より場数を踏んでいるのが知れる。そういえば纏っている軍服は槙島と同じ形から、ボタンや階級章などの幾つかの装飾を変えただけのものだ。「少年」とグソンはずっと思っていたがすでに槙島と似た年齢なのかもしれない。
「どこに行く!?」
そのまま槙島を連れてどこかに立ち去ろうとする少年の動きを察し、グソンは槙島の部屋の扉に飛び出していた。そのまま瞬時に少年だか男だか判らない不審者の眉間に銃を構える。と、男は軽く荷物の持ち手を変える程度の気安さで槙島を肩に放り上げて担いだ。そして空いた右手は――……グソンが把握できたのはそこまでだった。
「……っ、ぐ、ァ……」
何が起こったのかも解らぬまま、グソンの鍛え上げられた身体が床に叩きつけられる。
次いで耳の数ミリ隣に、ダン!と何かが降ってきた。突き刺さった。いや、めり込んだ?
すぐ傍で人の呼気が聞こえて、見開いた瞼のすぐ前に、グソンを冷たく値踏みする男の目があった。グソンの腹に片膝をついて顔を覗き込んでいる彼の肩にはまだ槙島が担がれたままだ。二人の白い軍服に微かな汚れも見当たらない。冷や汗が額を伝った。
「ふうん、相変わらず聖護くんは噛み癖のついたわるいおおかみが好きなんだなあ」
男は床に刺したペンを引き抜くと、しばらくグソンを警戒するように眼前に構えながら眺めていたが、グソンの黒い詰襟と階級章を確かめると、つまらなさそうに舌打ちしてペンを引いた。立ち上がりざま、邪魔な荷物でも除けるようにブーツの先で蹴り飛ばされて、グソンは廊下に這いずったまま男の背中を睨み上げた。
悠々と、靴音が高く響く。させるか。グソンはぜえぜえと身を起こしながら声を振り絞った。
「誰だあんた」
叫びにようやく振り向いた男の目は、完全にグソンへの興味を失っていた。
「そっか、誰も僕の顔は知らないもんね。でも、名前を聞いたら結構有名だと思うよ。藤間幸三郎って言うんだけど」
その名前にどれほどの価値があるのか知らないが、自信たっぷりに微笑む男にグソンは舌打ちした。
「知らねェよ」
白の軍服、恵まれた容姿――改めて考えれば親衛隊のお偉いさんには違いないだろうが、こんな男が軍にいたことさえ知らなかった。名簿だってすでに拝借した後だが、そこに藤間幸三郎なんて名前はなかった。
「そうか。そういえば」
反応の薄いグソンを見下ろすと、藤間は茶色の髪をさらりと揺らして首を傾げた。
「人は僕らを、親しみ深い別の名前で呼んでいるね――”シビュラシステム”と」
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