小林洋菓子店
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気付いたら映画館にいた。
ふかふかのシートに、右手にドリンク、左手はポップコーンのLサイズだろうか深い紙製の容器にバターが香るそれが山形に盛り上がっていた。
一体いつ映画館に来たのだろうか男は頭を傾げてこれまでの記憶を思い出す。
所用で外に出ていた気はした。
初夏への移り変わりの季節らしく陽射しが眩しくて何度か射し込む陽射しを手で避けたり日陰を見つけてはそこへ避難していた事は覚えている。
男は無性に喉が乾いて右手の先にあるホルダーに差し込まれた容器を手に取る。
映画を見に来た記憶もなければこれらを買った記憶も無いが誰かが用意したとも思えない。
念の為ストローの刺さったプラスチックの蓋を取り匂いを嗅ぐ。
「コーラの匂いだ」
男はプラスチックの蓋をはめ直しコーラを買ったであろう自分を褒めて口にした。
ポップコーンは作りたてが当たったらしく仄かに暖かく塩とバターの塩梅は絶妙で、男はもりもりと食べ進めていく。
そうこうしてる内に薄暗い館内はより一層暗くなり、真っ白なスクリーンに映像が映った。
一体、何の映画が始まるのか。
男としてはアメコミ映画の最終章が良いなと思いながらコーラを啜る。
しかしスクリーンに映り出されたのはおそらく日本人であろうカップルと思わしき男女の映像で、男女はありきたりな
「あの、ハンカチを落としましたよ」
「まあ、ありがとうございます」
からの一目惚れから始まり順調に交際の末、特に妨害もトラブルもなく結婚。
友人達からの祝福に幸せそうな笑顔で応える男女の映像を半目で見ながら男はストローを噛んだ。
その体勢はだらしなく左右に人がいないのを良いことに大股を開き下半身はほぼ椅子から離れていた。
「誰だよ恋愛映画のチケットを買ったのは」
完全に男の趣味から離れた映画に小さく文句を零すがチケットを買ったのはおそらく自分である為男は数時間前の自分の正気を疑う。
映画はその間も進んでいく。
新婚ほやほやの仲睦まじい男女の様子に込み上げてくる何かを男はポップコーンとコーラで流し込む。
恋愛映画等生まれてこの方彼女の一人もいない男にとって鬼門であるが映画を一度見始めたらどんなに面白くなくても最後迄見る事を信条とする男は何とか食べ物で気を紛らわせ椅子にしがみついていた。
たまに起こる新婚さんの行って来ますのちゅーイベントには無性に叫びながら逃げ出したくもなったが今の所は歯を食いしばる事で耐えている。
スクリーンでは新婚夫婦が夕食を取りながら楽しげに今日あった事を話していた。
そんな何気無い、サスペンスもホラーな展開も起きなさそうなシーンを見ながら男は視線を左右と前方の座席を見る。
男の座る席はかなり後方らしく室内の座席がよく見えた。
眼下に見下ろした座席には頭一つ見当たらない。
スクリーンからも光が当たり難い端の席迄は分からないが男が見てる範囲には自分以外の客の姿は捉える事ができない。
振り向いては他の客の迷惑だと確認していないが背後の席も物音一つして来ない。
実は今この映画を見ているのは自分だけなのではと男は思えてきた。
それもそうかと男は自分の疑問に自分で応える。
今もスクリーンに映し出されている映画は映画と呼ぶには陳腐な物で映画というより新婚夫婦の様子を録画しただけのホームビデオを見ている様な感じであった。
体感30分、そろそろスクリーンの映像に飽きを感じてきた男はハリウッドばりの爆発でも起きないかと思う。
爆発のどさくさに紛れ誘拐される妻。
実は大人しい公務員に見せかけてFBIの潜入捜査官である夫は愛する妻を助ける為に単身妻を攫った犯人の元へと走る。
その犯人の陰には夫が捜査していた大きな国際犯罪組織の影があり、と勝手に映画を自分好みに補完していた男は映画の視点が夫でも妻でも無い第三者に変わっているのに気が付いた。
様子から爆弾物処理班であろうかそれにしてはラフな格好の男は爆弾を前に携帯電話で軽口を叩いているので爆弾は止まっているらしい。
まるで自分の妄想が反映されたかの様な展開に胸を踊らせながら男はその爆弾が仕掛けられたマンションに既視感を覚えた。
「おや?おやおやおや??まさか、いやいやいや」
あの新婚夫婦の住むマンションに似ているが気の所為だろうと男は被りを振るう。
沸々と湧き上がる不安を拭おうと手のひらいっぱいに掴んだポップコーンを口いっぱいに詰め込む。
そうこうしている内に未だ携帯電話で喋っている男の後方にあった玄関の扉が開いた。
出てきたのは今まで昼寝でもしていたのか少し髪が乱れた新妻で、手には財布と鍵が握られている。
ちょっとすぐ側のコンビニ迄、といった風の新妻の登場に男はコーラの容器の結露で濡れた右手で額を覆い天井を見上げ、スクリーン内の男達はぎょっと驚き慌てていた。
それもそうだ、爆発物があるからとマンションの住人を避難させた筈なのにまだ避難していない住人が奇しくも爆発物から近い部屋から出てきたのだ。
住人の避難の様子を見ていた男は如何して新妻が部屋に残っていたのか不思議に思っていたがよくよく視点は変わる前を思い返してみれば夫婦が朝の玄関でのやり取りで新妻が頭が痛いと漏らしていた事を思い出した。
心配する夫に薬を飲んだらすぐ治るからと出勤をするのを渋る夫を宥めていた妻。
しかしこの妻、それより前のシーンで何度か触れていたが頭痛薬を飲むと副作用が効き過ぎて暫く眠ってしまうのだ。
そして眠っている間に爆弾騒ぎで彼女以外の住人達は避難させられ、外がそんな事になっているとも知らない彼女は目を覚まして買い物に行こうと扉を開けて、と新妻の此処までの行動を理解した男は映画とはいえ彼女の間の悪さに眉間を抑える。
スクリーン内でも男達が突然現れた避難漏れの彼女に状況の説明をしていた。
しかしそうこうしている間に今まで大人しくしていた爆弾が動き出す。
爆発迄の時間は僅か退避する男達、急展開に付いて行けず呆然としている妻。
そんな彼女を抱えたのは唯一、防護服を着ていない身軽な格好のあの携帯電話男で
携帯電話の男はもう間に合わないと思ったのだろうマンションの柵を乗り越え、彼女を抱えて飛び降りた。
結果で言えば携帯電話の男も新妻も無事であった。
落ちた先が生垣であった為それがささやかながらもクッションの役割を果たし二人して生死を彷徨う様な怪我は無かった。
特に妻の方は生垣に加えて携帯電話の男もクッションの役割になったので生垣に落ちた際の擦り傷程度で済んだ。
携帯電話の男の方は何箇所か骨折をしている様だが救急隊員の問いかけにはしっかり答えている。
何はともあれ二人が無事であって良かったといつの間にか前のめりになっていた体を男は息を吐きながら再度椅子へと体を沈めた。
視点はいつの間にか夫婦に戻っていた。
爆弾騒ぎの後色々あったが普段の新婚夫婦に戻ったと思ったら今度は妻が爆弾を落としてくれた。
どうやら擦り傷とは言え念の為にと行った先の病院で自身の妊娠が発覚したらしい。
それから夫の行動と言えば凄かった。
妻が新婚早々に爆発騒ぎに巻き込まれたので住まいをセキュリティの高いマンションに変える迄は分かるが妻に極力外出を控える様に言うのはちょっとやり過ぎだと男は思った。
妻は人であってペットではない。
自分の好きな時に出掛けたいのだ。
しかし心配症の夫はそれを嫌がり外出は自分のいる時だけにしてくれと懇願する。
平行線を辿る言い争いに溜息をついたのは妊娠してから少し気が強くなった妻であった。
要約するならこの軟禁の様な生活が気に入らない。
この生活をこの先も強いるなら義理の妹の部屋に暫くお世話になると言う。
義理の妹と言うのは文字通り妻からして義理の妹、つまり夫の実の妹である。
夫婦共に両親は他界しており、親族には恵まれず、夫婦が唯一親戚付き合いしているのは件の妹だけであった。
普段はこの妹、菓子職人として世界各国に修行と称し飛び回っているのだが丁度今は仕事で都内に居を構えているらしい。
夫はそれが初耳だったらしく聞いていないと見るからに狼狽えた。
妻に対して過保護なこの夫は実の妹に対しても過保護である。
映像としてその様子は映される事は今のところないが言葉の端々にその妹に対しのシスコンぷりは現れていた。
しかし、とコーラを啜っていた男は思う。
この男の親しい者に対する過保護振りは仕方ないものの様に思えた。
始終、お人好しで演じられる男の短い時間で流された半生は壮絶である。
高校生になったばかりの頃に両親が他界。
多額の保険金と慰謝料が未成年の兄妹に入った為に親戚は皆、飢えた獣の様になった。
兄妹の養育をそれまで押し付け合い、終いには施設に入れようとしたのに大金の匂いを嗅ぎつけるとあの手この手、中には幼い妹を半ば脅す様な形で養育権を手にしようという者まで現れた。
このままでは危ないと男は財産の管理を任されていた女弁護士に助けを求めどうしようもない親戚とは絶縁をし、幼い妹を一人で養育してきた。
親戚と絶縁し、引っ越しをしても大金の噂は何処かとなく誰かの耳に入り、集られたり羨ましがられたり、金に関した人間関係のトラブルは多く、それでも人が良く取り繕っていたので友人は多いが夫が心の底から信頼と親愛を抱けるのは妹と妻、それに産まれてくる子供なのだろう。
だからこそ大切に大切にしていたいのだろう。
妻の方も夫の心情は理解しているのか何とか話はついた。
夫婦喧嘩は犬も食わないというが正にその通りで、先程迄の険悪とも言える雰囲気は何処へやらいちゃいちゃしだした夫婦に男は無心でポップコーンを口いっぱいに頬張った。
夫婦の子供が産まれた。
なかなか難産だったのか陣痛が始まり病院に入ってから夫は長い間、分娩室前の廊下をうろうろしていた。
廊下の窓から射し込む明かりが紅に染まり、暗くなり、再び明るくなった頃に赤ん坊は産まれた。
赤くて皺くちゃで猿みたいなのに夫は瞳を潤ませて可愛い可愛いと言葉を漏らしていた。
疲れた顔の妻が夫に赤ん坊の名前をどうするか尋ねると夫はしたり顔で笑う。
確り考えていたという夫に妻は喜ぶが、実は暫くの間四六時中子供の名前を考えていて仕事が手につかないでいた等と知ったらこの妻はどんな反応をするのだろうか。
きっと真面目な性格の妻なのでかんかんに怒るだろうなと男は氷が溶けて随分薄くなったコーラを啜る。
そして夫が高らかと発表した赤ん坊の名前に男は口に含んでいたコーラを思わず吹き出しそうになった。
夫の考えた名前が気に入ったのかまだ目も開けきらぬ赤ん坊の頬を撫でて妻は「芳雄」と読んだ。
その名前は奇しくもその様子をスクリーン越しに見る男と同じ名前であった。
芳雄と名前を付けられた赤ん坊は両親から「よーちゃん」と呼ばれては笑顔で返す愛嬌のある子供に成長していた。
特に大病も怪我も無く、たまに両親がトラブル吸引体質なのかまたも爆弾騒ぎや交通事故の現場に出会すなどそろそろご両親はお祓いに行った方が良いんじゃないの?と思える事はあったが芳雄少年はすくすく育った。
両親のトラブル吸引体質の縁で若い警察官のお兄さん達と知り合いその人達にも偶に遊びに連れってもらう程度に可愛いがられている。
このまま芳雄少年は両親に愛され、周りからも愛されて成長していくのだろうと男は思った。
なんだかんだ男も芳雄少年が産まれた時から見ているので始めて掴まり立ちをした時はクララが立ったばりに感動してスタンディングオベーション仕掛けたし、初めて喋った言葉が自身に頬擦りする父親に対して「やっ!」と明確な拒否の言葉だったのには笑いたくて笑えなくてどうにかなると思った。
あくまで芳雄少年の成長はスクリーンの中の出来事で、男はそれを見る観客なので直接の触れ合いは無いが彼の成長を楽しんでいたしこれからも楽しみにしていた。
きっと未だ新婚夫婦みたいな両親の事だからその内「よーちゃんに妹か弟を作ろう」みたいな話になるだろう。
芳雄少年は心優しい少年なので産まれた兄弟には優しくするのだろうしきっと母親の手伝いも今より率先してやる。
これから小学校に入って中学校、高校生になって少しの反抗期と将来の進路に悩んでそのうち両親の様に暖かい家庭を作るのだ。
男の体感では既に1時間半は過ぎたであろうと感じていた。
この映画が何処までこの家族を写して終わるのか分からないがもうそろそろ終わりだろうと考えていたら視点が変わった。
芳雄少年の視点らしく目線が低く彼の頭を撫でる母親の顔が見えない。
外は酷い土砂降りで彼女は今から出張より帰って来る夫を駅まで車で迎えに行くらしい。
彼女は何度も芳雄少年に一緒に行こうと誘ったがなまじ独立心の強い少年はその誘いに頷きはしなかった。
丁度この後子供向けの特撮番組がして来るのも大きいのかもしれない。
普段から良い子である芳雄少年であるが一度決めると梃子でも動かない性格は彼女も良く知っているので無理強いはせずあれこれしてはいけない事を言い聞かせ土砂降りの中出て行った。
玄関で母親を見送った芳雄少年は時刻を伝える時計の音に慌ててテレビがある居間へと走る。
テレビの電源を付けると芳雄少年が大好きな特撮番組が始まった。
そこでシーンが切れ変わった。
白い煙が薄っすら漂う静かな部屋。
部屋には黒と白の段幕が張られ、人々は皆黒い服装をしていた。
芳雄少年もそれは同じで白い花が沢山飾られた祭壇に近い席に座っており、黒い靴に黒い上下の子供用のスーツを着ていた。
何度か少年と面識のある人々が祭壇に手を合わせていたがここに来る前から俯いたままの芳雄少年には見えていない。
芳雄少年の両親が死んだ。
夫を駅へ迎えに行った帰り、妻の運転する軽自動車はパトカーから逃げる強盗犯の車と接触し大破。
事故を目撃した人々の中でも力に覚えのある人々が大破した車から二人を助け様としたがその甲斐虚しくその後すぐに漏れ出したガソリンに火が着き二人は帰らぬ人となった。
泣きもしない芳雄少年に親族達は離れた場所から心無い言葉を放つ。
「親族クソ過ぎだろ」
いくら映画の話とはいえ両親を亡くしたばかりの子供に対して陰口を叩く親族に男は苛つきを覚えた。
そもそも芳雄少年は泣かないのではなく泣けないのだ。
既に警察から両親が死んだ事を伝えられ、理解出来なかった芳雄少年はそれでも会いたいと駄々を捏ね、母親と似た年の婦警に何度も説明されてやっと理解した少年は泣きに泣いた。
体中の水分を出し切る程に、一晩中泣いて過ごしたのだろういつもより淀んで見える瞳の下には年不相応な隈が出来ており唇は乾いてカサついていた。
父親の叔父だという家族が葬式を仕切る傍ら芳雄少年の世話をしていたが彼には感心が無いのか彼が昨晩から食べ物どころか水を一滴も摂っていない事には気付いていない。
それどころか芳雄少年に対して冷血だと他の親族同様に悪態をついていた。
そんな親族の話題は一人遺された芳雄少年のこれからになる。
よくある展開である。
誰もが芳雄少年を引き取る事を嫌がり何かに付けて誰かに押し付け様としていた。
そういう演出なのか親族の声は存外大きく、芳雄少年の耳にも確りと入っている。
唇を固く結び先程より背中を丸めた芳雄少年の姿に見ていられなくなってきた男は両手で顔を押さえて誰か芳雄少年を助けてあげてと大声で叫びたくなった。
「叔父様、叔母様。それにその他親族の皆様方お気遣いなく。よーちゃんは、芳雄君は私が引き取りますので」
それまでのスピーカー越しの声よりはっきりとクリアにその声は聞こえた。
それに線香の匂いに混じって甘い香りが男の鼻を掠めた。
男はいつの間に俯いていたのか顔を上げると見知らぬ女性が男の手を握り微笑んでいた。
ふかふかのシートに、右手にドリンク、左手はポップコーンのLサイズだろうか深い紙製の容器にバターが香るそれが山形に盛り上がっていた。
一体いつ映画館に来たのだろうか男は頭を傾げてこれまでの記憶を思い出す。
所用で外に出ていた気はした。
初夏への移り変わりの季節らしく陽射しが眩しくて何度か射し込む陽射しを手で避けたり日陰を見つけてはそこへ避難していた事は覚えている。
男は無性に喉が乾いて右手の先にあるホルダーに差し込まれた容器を手に取る。
映画を見に来た記憶もなければこれらを買った記憶も無いが誰かが用意したとも思えない。
念の為ストローの刺さったプラスチックの蓋を取り匂いを嗅ぐ。
「コーラの匂いだ」
男はプラスチックの蓋をはめ直しコーラを買ったであろう自分を褒めて口にした。
ポップコーンは作りたてが当たったらしく仄かに暖かく塩とバターの塩梅は絶妙で、男はもりもりと食べ進めていく。
そうこうしてる内に薄暗い館内はより一層暗くなり、真っ白なスクリーンに映像が映った。
一体、何の映画が始まるのか。
男としてはアメコミ映画の最終章が良いなと思いながらコーラを啜る。
しかしスクリーンに映り出されたのはおそらく日本人であろうカップルと思わしき男女の映像で、男女はありきたりな
「あの、ハンカチを落としましたよ」
「まあ、ありがとうございます」
からの一目惚れから始まり順調に交際の末、特に妨害もトラブルもなく結婚。
友人達からの祝福に幸せそうな笑顔で応える男女の映像を半目で見ながら男はストローを噛んだ。
その体勢はだらしなく左右に人がいないのを良いことに大股を開き下半身はほぼ椅子から離れていた。
「誰だよ恋愛映画のチケットを買ったのは」
完全に男の趣味から離れた映画に小さく文句を零すがチケットを買ったのはおそらく自分である為男は数時間前の自分の正気を疑う。
映画はその間も進んでいく。
新婚ほやほやの仲睦まじい男女の様子に込み上げてくる何かを男はポップコーンとコーラで流し込む。
恋愛映画等生まれてこの方彼女の一人もいない男にとって鬼門であるが映画を一度見始めたらどんなに面白くなくても最後迄見る事を信条とする男は何とか食べ物で気を紛らわせ椅子にしがみついていた。
たまに起こる新婚さんの行って来ますのちゅーイベントには無性に叫びながら逃げ出したくもなったが今の所は歯を食いしばる事で耐えている。
スクリーンでは新婚夫婦が夕食を取りながら楽しげに今日あった事を話していた。
そんな何気無い、サスペンスもホラーな展開も起きなさそうなシーンを見ながら男は視線を左右と前方の座席を見る。
男の座る席はかなり後方らしく室内の座席がよく見えた。
眼下に見下ろした座席には頭一つ見当たらない。
スクリーンからも光が当たり難い端の席迄は分からないが男が見てる範囲には自分以外の客の姿は捉える事ができない。
振り向いては他の客の迷惑だと確認していないが背後の席も物音一つして来ない。
実は今この映画を見ているのは自分だけなのではと男は思えてきた。
それもそうかと男は自分の疑問に自分で応える。
今もスクリーンに映し出されている映画は映画と呼ぶには陳腐な物で映画というより新婚夫婦の様子を録画しただけのホームビデオを見ている様な感じであった。
体感30分、そろそろスクリーンの映像に飽きを感じてきた男はハリウッドばりの爆発でも起きないかと思う。
爆発のどさくさに紛れ誘拐される妻。
実は大人しい公務員に見せかけてFBIの潜入捜査官である夫は愛する妻を助ける為に単身妻を攫った犯人の元へと走る。
その犯人の陰には夫が捜査していた大きな国際犯罪組織の影があり、と勝手に映画を自分好みに補完していた男は映画の視点が夫でも妻でも無い第三者に変わっているのに気が付いた。
様子から爆弾物処理班であろうかそれにしてはラフな格好の男は爆弾を前に携帯電話で軽口を叩いているので爆弾は止まっているらしい。
まるで自分の妄想が反映されたかの様な展開に胸を踊らせながら男はその爆弾が仕掛けられたマンションに既視感を覚えた。
「おや?おやおやおや??まさか、いやいやいや」
あの新婚夫婦の住むマンションに似ているが気の所為だろうと男は被りを振るう。
沸々と湧き上がる不安を拭おうと手のひらいっぱいに掴んだポップコーンを口いっぱいに詰め込む。
そうこうしている内に未だ携帯電話で喋っている男の後方にあった玄関の扉が開いた。
出てきたのは今まで昼寝でもしていたのか少し髪が乱れた新妻で、手には財布と鍵が握られている。
ちょっとすぐ側のコンビニ迄、といった風の新妻の登場に男はコーラの容器の結露で濡れた右手で額を覆い天井を見上げ、スクリーン内の男達はぎょっと驚き慌てていた。
それもそうだ、爆発物があるからとマンションの住人を避難させた筈なのにまだ避難していない住人が奇しくも爆発物から近い部屋から出てきたのだ。
住人の避難の様子を見ていた男は如何して新妻が部屋に残っていたのか不思議に思っていたがよくよく視点は変わる前を思い返してみれば夫婦が朝の玄関でのやり取りで新妻が頭が痛いと漏らしていた事を思い出した。
心配する夫に薬を飲んだらすぐ治るからと出勤をするのを渋る夫を宥めていた妻。
しかしこの妻、それより前のシーンで何度か触れていたが頭痛薬を飲むと副作用が効き過ぎて暫く眠ってしまうのだ。
そして眠っている間に爆弾騒ぎで彼女以外の住人達は避難させられ、外がそんな事になっているとも知らない彼女は目を覚まして買い物に行こうと扉を開けて、と新妻の此処までの行動を理解した男は映画とはいえ彼女の間の悪さに眉間を抑える。
スクリーン内でも男達が突然現れた避難漏れの彼女に状況の説明をしていた。
しかしそうこうしている間に今まで大人しくしていた爆弾が動き出す。
爆発迄の時間は僅か退避する男達、急展開に付いて行けず呆然としている妻。
そんな彼女を抱えたのは唯一、防護服を着ていない身軽な格好のあの携帯電話男で
携帯電話の男はもう間に合わないと思ったのだろうマンションの柵を乗り越え、彼女を抱えて飛び降りた。
結果で言えば携帯電話の男も新妻も無事であった。
落ちた先が生垣であった為それがささやかながらもクッションの役割を果たし二人して生死を彷徨う様な怪我は無かった。
特に妻の方は生垣に加えて携帯電話の男もクッションの役割になったので生垣に落ちた際の擦り傷程度で済んだ。
携帯電話の男の方は何箇所か骨折をしている様だが救急隊員の問いかけにはしっかり答えている。
何はともあれ二人が無事であって良かったといつの間にか前のめりになっていた体を男は息を吐きながら再度椅子へと体を沈めた。
視点はいつの間にか夫婦に戻っていた。
爆弾騒ぎの後色々あったが普段の新婚夫婦に戻ったと思ったら今度は妻が爆弾を落としてくれた。
どうやら擦り傷とは言え念の為にと行った先の病院で自身の妊娠が発覚したらしい。
それから夫の行動と言えば凄かった。
妻が新婚早々に爆発騒ぎに巻き込まれたので住まいをセキュリティの高いマンションに変える迄は分かるが妻に極力外出を控える様に言うのはちょっとやり過ぎだと男は思った。
妻は人であってペットではない。
自分の好きな時に出掛けたいのだ。
しかし心配症の夫はそれを嫌がり外出は自分のいる時だけにしてくれと懇願する。
平行線を辿る言い争いに溜息をついたのは妊娠してから少し気が強くなった妻であった。
要約するならこの軟禁の様な生活が気に入らない。
この生活をこの先も強いるなら義理の妹の部屋に暫くお世話になると言う。
義理の妹と言うのは文字通り妻からして義理の妹、つまり夫の実の妹である。
夫婦共に両親は他界しており、親族には恵まれず、夫婦が唯一親戚付き合いしているのは件の妹だけであった。
普段はこの妹、菓子職人として世界各国に修行と称し飛び回っているのだが丁度今は仕事で都内に居を構えているらしい。
夫はそれが初耳だったらしく聞いていないと見るからに狼狽えた。
妻に対して過保護なこの夫は実の妹に対しても過保護である。
映像としてその様子は映される事は今のところないが言葉の端々にその妹に対しのシスコンぷりは現れていた。
しかし、とコーラを啜っていた男は思う。
この男の親しい者に対する過保護振りは仕方ないものの様に思えた。
始終、お人好しで演じられる男の短い時間で流された半生は壮絶である。
高校生になったばかりの頃に両親が他界。
多額の保険金と慰謝料が未成年の兄妹に入った為に親戚は皆、飢えた獣の様になった。
兄妹の養育をそれまで押し付け合い、終いには施設に入れようとしたのに大金の匂いを嗅ぎつけるとあの手この手、中には幼い妹を半ば脅す様な形で養育権を手にしようという者まで現れた。
このままでは危ないと男は財産の管理を任されていた女弁護士に助けを求めどうしようもない親戚とは絶縁をし、幼い妹を一人で養育してきた。
親戚と絶縁し、引っ越しをしても大金の噂は何処かとなく誰かの耳に入り、集られたり羨ましがられたり、金に関した人間関係のトラブルは多く、それでも人が良く取り繕っていたので友人は多いが夫が心の底から信頼と親愛を抱けるのは妹と妻、それに産まれてくる子供なのだろう。
だからこそ大切に大切にしていたいのだろう。
妻の方も夫の心情は理解しているのか何とか話はついた。
夫婦喧嘩は犬も食わないというが正にその通りで、先程迄の険悪とも言える雰囲気は何処へやらいちゃいちゃしだした夫婦に男は無心でポップコーンを口いっぱいに頬張った。
夫婦の子供が産まれた。
なかなか難産だったのか陣痛が始まり病院に入ってから夫は長い間、分娩室前の廊下をうろうろしていた。
廊下の窓から射し込む明かりが紅に染まり、暗くなり、再び明るくなった頃に赤ん坊は産まれた。
赤くて皺くちゃで猿みたいなのに夫は瞳を潤ませて可愛い可愛いと言葉を漏らしていた。
疲れた顔の妻が夫に赤ん坊の名前をどうするか尋ねると夫はしたり顔で笑う。
確り考えていたという夫に妻は喜ぶが、実は暫くの間四六時中子供の名前を考えていて仕事が手につかないでいた等と知ったらこの妻はどんな反応をするのだろうか。
きっと真面目な性格の妻なのでかんかんに怒るだろうなと男は氷が溶けて随分薄くなったコーラを啜る。
そして夫が高らかと発表した赤ん坊の名前に男は口に含んでいたコーラを思わず吹き出しそうになった。
夫の考えた名前が気に入ったのかまだ目も開けきらぬ赤ん坊の頬を撫でて妻は「芳雄」と読んだ。
その名前は奇しくもその様子をスクリーン越しに見る男と同じ名前であった。
芳雄と名前を付けられた赤ん坊は両親から「よーちゃん」と呼ばれては笑顔で返す愛嬌のある子供に成長していた。
特に大病も怪我も無く、たまに両親がトラブル吸引体質なのかまたも爆弾騒ぎや交通事故の現場に出会すなどそろそろご両親はお祓いに行った方が良いんじゃないの?と思える事はあったが芳雄少年はすくすく育った。
両親のトラブル吸引体質の縁で若い警察官のお兄さん達と知り合いその人達にも偶に遊びに連れってもらう程度に可愛いがられている。
このまま芳雄少年は両親に愛され、周りからも愛されて成長していくのだろうと男は思った。
なんだかんだ男も芳雄少年が産まれた時から見ているので始めて掴まり立ちをした時はクララが立ったばりに感動してスタンディングオベーション仕掛けたし、初めて喋った言葉が自身に頬擦りする父親に対して「やっ!」と明確な拒否の言葉だったのには笑いたくて笑えなくてどうにかなると思った。
あくまで芳雄少年の成長はスクリーンの中の出来事で、男はそれを見る観客なので直接の触れ合いは無いが彼の成長を楽しんでいたしこれからも楽しみにしていた。
きっと未だ新婚夫婦みたいな両親の事だからその内「よーちゃんに妹か弟を作ろう」みたいな話になるだろう。
芳雄少年は心優しい少年なので産まれた兄弟には優しくするのだろうしきっと母親の手伝いも今より率先してやる。
これから小学校に入って中学校、高校生になって少しの反抗期と将来の進路に悩んでそのうち両親の様に暖かい家庭を作るのだ。
男の体感では既に1時間半は過ぎたであろうと感じていた。
この映画が何処までこの家族を写して終わるのか分からないがもうそろそろ終わりだろうと考えていたら視点が変わった。
芳雄少年の視点らしく目線が低く彼の頭を撫でる母親の顔が見えない。
外は酷い土砂降りで彼女は今から出張より帰って来る夫を駅まで車で迎えに行くらしい。
彼女は何度も芳雄少年に一緒に行こうと誘ったがなまじ独立心の強い少年はその誘いに頷きはしなかった。
丁度この後子供向けの特撮番組がして来るのも大きいのかもしれない。
普段から良い子である芳雄少年であるが一度決めると梃子でも動かない性格は彼女も良く知っているので無理強いはせずあれこれしてはいけない事を言い聞かせ土砂降りの中出て行った。
玄関で母親を見送った芳雄少年は時刻を伝える時計の音に慌ててテレビがある居間へと走る。
テレビの電源を付けると芳雄少年が大好きな特撮番組が始まった。
そこでシーンが切れ変わった。
白い煙が薄っすら漂う静かな部屋。
部屋には黒と白の段幕が張られ、人々は皆黒い服装をしていた。
芳雄少年もそれは同じで白い花が沢山飾られた祭壇に近い席に座っており、黒い靴に黒い上下の子供用のスーツを着ていた。
何度か少年と面識のある人々が祭壇に手を合わせていたがここに来る前から俯いたままの芳雄少年には見えていない。
芳雄少年の両親が死んだ。
夫を駅へ迎えに行った帰り、妻の運転する軽自動車はパトカーから逃げる強盗犯の車と接触し大破。
事故を目撃した人々の中でも力に覚えのある人々が大破した車から二人を助け様としたがその甲斐虚しくその後すぐに漏れ出したガソリンに火が着き二人は帰らぬ人となった。
泣きもしない芳雄少年に親族達は離れた場所から心無い言葉を放つ。
「親族クソ過ぎだろ」
いくら映画の話とはいえ両親を亡くしたばかりの子供に対して陰口を叩く親族に男は苛つきを覚えた。
そもそも芳雄少年は泣かないのではなく泣けないのだ。
既に警察から両親が死んだ事を伝えられ、理解出来なかった芳雄少年はそれでも会いたいと駄々を捏ね、母親と似た年の婦警に何度も説明されてやっと理解した少年は泣きに泣いた。
体中の水分を出し切る程に、一晩中泣いて過ごしたのだろういつもより淀んで見える瞳の下には年不相応な隈が出来ており唇は乾いてカサついていた。
父親の叔父だという家族が葬式を仕切る傍ら芳雄少年の世話をしていたが彼には感心が無いのか彼が昨晩から食べ物どころか水を一滴も摂っていない事には気付いていない。
それどころか芳雄少年に対して冷血だと他の親族同様に悪態をついていた。
そんな親族の話題は一人遺された芳雄少年のこれからになる。
よくある展開である。
誰もが芳雄少年を引き取る事を嫌がり何かに付けて誰かに押し付け様としていた。
そういう演出なのか親族の声は存外大きく、芳雄少年の耳にも確りと入っている。
唇を固く結び先程より背中を丸めた芳雄少年の姿に見ていられなくなってきた男は両手で顔を押さえて誰か芳雄少年を助けてあげてと大声で叫びたくなった。
「叔父様、叔母様。それにその他親族の皆様方お気遣いなく。よーちゃんは、芳雄君は私が引き取りますので」
それまでのスピーカー越しの声よりはっきりとクリアにその声は聞こえた。
それに線香の匂いに混じって甘い香りが男の鼻を掠めた。
男はいつの間に俯いていたのか顔を上げると見知らぬ女性が男の手を握り微笑んでいた。
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