とある悪食娘の話
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「困ったな」
山茶は青い空を仰ぎ見て呟いた。
壬氏からとある妃に会ってほしいと言われ、彼に付き添う高順と共に後宮へと入った迄は良かったが、そこらかしこから漂う化粧と香の匂いに気分が悪くなり、二人の歩みに遅れていた。
そうでなくても性別の差から歩幅にかなりの差があり置いてかれ気味であったのにますます二人との距離が出来、そこに壬氏を視界に捉えるなり集まって来た女官達の波に流された結果山茶はいつの間にか知らない場所一人立っていた。
別に女官達が悪い訳ではない。
確かに彼女達の人波に流されてはしまったが歩いて戻れば壬氏へ辿り着ける距離だったのだがふと庭に生えた草に気を取られあっちにもこっちにもと、薬草を見れば喜び駆け出す姉程では無いが食用が可能な草花の多さに食いつき歩いている内に壬氏も高順の姿も、建物すら見えない場所だったのだ。
完全に山茶の自業自得である。
どうしたものかと山茶はたわわに実る南天の木の下で溜息を零す。
建物のある場所から離れたおかげか後宮に入ってからの気持ちの悪さは少しましになったが全快ではない。
山茶は懐から小さな巾着を取り出すとその中から無色透明の塊を取り出し口に放り込んだ。
薄荷を蒸留して油を作り、砂糖や水飴を煮詰めた物に混ぜて練り上げた手作りの薄荷飴はその爽やかな香りが気持ちの悪さを和らげてくれた。
小さく形が整えられた飴が溶けて無くなるのはすぐで、壬氏達がいないのを良い事にもう一粒、と山茶が巾着に手を伸ばした所で物が勢いよく地面に落ちる音に思わず肩を竦めた。
山茶が視線を向けた先には久し振りに見るそばかす顔があり、足元に洗濯物が入った籠を落としているのに気にもせず此方に向かって指を指して口を金魚のようにはくはくと動かしていた。
「姉さん!」
「如何してあんたが此処にいるの」
まるで幽霊でも見たかの様に顔面を蒼白にさせた猫猫に再会の抱擁をしようと両腕を広げて歩み寄っていた山茶は足を止め、困った様に頬に手を当てて見せると頭を傾けた。
「それが長い様な短い様な経緯がありまして」
山茶は勝手に話をしようとしたがそれを猫猫に止められた。
頭でも痛むのか眉間に皺を寄せた猫猫は暫く眉間を揉み込むと苦々しい顔を上げて短い時間で纏め上げた彼女なりの推理を語った。
どうやら猫猫は以前、山茶が務め先について話していた時に雇い主が城で働いていると言っていた事を覚えていてくれたらしくその雇い主を持ち出し、まるで後宮に来た山茶の行動を見ていたかの様に山茶がこんな場所にいる訳を見事言い当てた。
「流石姉さんだわ」
猫猫の推理の正確さに山茶は拍手をして感嘆の声を上げる。
そして山茶は今度こそ猫猫を抱き締めた。
久し振りに会った姉は何時も纏っていた薬草の香りが少し薄まっていたがそれでも何時もの姉と感じれ、やっと此処で猫猫が無事だった事が感じられた。
突然自分を抱き締めてきた山茶に猫猫は始め、鬱陶しそうに抵抗していたが何としても離れない山茶に諦めてされるがままである。
「姉さん、私もみんなも心配したんですからね」
「・・・悪い」
「そもそもどういう事何ですか。姉さんは何時も私に一人でふらふらするなって言うくせに自分は人攫いに会うなんて!」
猫猫は屋台の匂いや放し飼いの家畜を追いかけて山茶がふらふら歩いていく度に彼女の首根っこを掴んでは勝手に歩くな逸れるなと注意していた。
その頻度と言えば山茶が猫猫のいる薬屋を訪ねて帰宅する短い間だけで最低三回は注意している。
山茶としてはその注意の内の何回は別に歩いていくつもりはなくちょっと美味しそうだな、あれはどんな味なんだろうと気が逸れていただけなのだが猫猫からすればその様子が今にも食べ物につられて歩いていきそうに見えたのだ。
今迄は姉さんは心配性だなと素直にされる注意を受けていたが山茶は今回の事を受けて言いたい。
「姉さんだって十分危なっかしいです!」
猫猫が拐かされから暫く、緑青館を訪ねた際何人かの者が「いつかこんな日が来ると思っていた」と言っていた。
つまり猫猫も側から見ればなかなか危なっかしい人間だったという事である。
頰を膨らませ怒って見せる山茶に猫猫は顔を覆って俯いていた。
「何ですか」
「山茶に危なっかしいって言われて傷付いてる」
「姉さん!」
その後、山茶は猫猫に後宮での生活を聞いた。
下女であるが生活はそこそこ、ただ食事の量が少なく二食しか出ない事に山茶は衝撃を受け、自分にはそんな生活は無理だと呟いた山茶に猫猫もそうだろうなと同意していた。
元々そんなに食べない猫猫は拐かされる前とそんなに様相は変わっていないが食に限り心配した山茶は先程食べていた薄荷飴に加え懐から干し柿や鼈甲飴、味付けした干し肉等を猫猫に渡した。
多少隠し持っていたにしては多過ぎる量と種類に猫猫は呆れた顔をしていたがさっそく薄荷飴を口に含むと笑って礼を言ってくれた。
やはり皆の想像通り猫猫は二年の務めを全うするつもりらしい。
そろそろ仕事戻らないといけない猫猫はせめて山茶を建物のある所迄道案内してくれるらしく落としたままだった籠を抱え直すと行こうと手を差し出してくれた。
その手を掴み返し山茶は猫猫に付いて歩く。
「姉さんがいないと寂しいし私も後宮務めに出ようかしら」
「やめておけ。お前は食事の量と種類少なさに絶望して3日も持たないぞ」
確かにと山茶は笑って返す。
猫猫に付いて歩くと存外早く建物のある場所に着いた。
握っていた手は離され「じゃあな」とまるで薬屋にいた時と変わらぬ様子で手を上げた。
「おやじや皆に私は無事だと伝えておいてくれ」
山茶が頷くと猫猫は洗濯籠を抱え直し、仕事中だからと建物の向こうへと歩いて行った。
そんな猫猫の背中を見送りながら山茶はふと、どうして仕事中の猫猫とあんな建物から離れた人気の無い所で会えたのか疑問に思った。
考えている内に宙を向いていた視線がだんだんと足元へと下がる。
そこには黄色い花を咲かせた分かりやすい答えがあった。
「姉さんは相変わらずですね」
山茶の視線の先にはこの季節によく見られる薬草が点々と咲いていた。
それは先程山茶が猫猫に連れられて歩いた道へと続いている。
きっと猫猫は仕事中に見つけたこの薬草を追って奥へと進み、山茶と再会したのだ。
薬草を見つけるとあっちへふらふらこっちへふらふらする悪癖の直らない猫猫に山茶は思わず笑みを零す。
それでもその悪癖のおかげで久しぶりに会う事が出来たので今日の所は悪癖に感謝するべきか判断に悩んでいた山茶の耳に自身の名を呼ぶ雇い主の声を聞く。
猫猫が歩いて行った方向とは間逆の方からの声へ向かえば雇い主である壬氏と高順が山茶を探して廊下を歩いていた。
二人を見つけてしまえばこのまま隠れている訳にもいかず、何と言い訳しようか考えながら山茶は二人の前に出た。
先に気付いたのは高順の方で、彼は山茶に気づくと目を大きく見開き、慌てず騒がず迅速に壬氏に山茶を気付かせた。
続いて壬氏が驚いた顔をして眉を顰めるとそのまま大股で山茶へと近付いて来た。
美人は怒っても美人だと迫る壬氏の迫力に圧倒されながら山茶は呑気な事を考えている。
自分の真正面に立った壬氏に上手い言い訳が思いつかない山茶は諦めて深々と頭を下げた。
その素直な反応に虚を突かれたのか壬氏は何度か口を閉口させたが最後は諦めて説教の言葉を飲み込んだ。
「急にいなくなるな、と言いたい所だがあの女官の騒ぎは私が招いた物でもある」
その言葉にそんな事もあったなと思い出したが、その後壬氏達から離れたのは完全に山茶の自身の過失である。
表情を曇らせた壬氏にそれは違うと言いかけた山茶は肩を掴まれた。
「だから、今度は勝手にいなくなるな」
笑っている筈なのに山茶は雇い主の美しいその顔が恐ろしく感じた。
額からどっと汗が流れ背筋が薄ら寒く感じる。
分かったな?と己の顔を近付け確認する壬氏であるが副音声で「二度目は無いぞ」と聴こえるのは気の所為だろうか。
気の所為では無いと山茶は小さく悲鳴をもらしながらも何度も首を縦に振る。
分かれば良いと離れた壬氏の表情は何時もの顔に戻っていた。
「では、妃の所へ向かうぞ」
踵を返し先頭を歩く壬氏の背中を見ながら美人を怒らせると恐ろしいと言うのは本当なのだと感想を浮かべつつ山茶は懐から手ぬぐいを取り出すと流れた汗を拭きとる。
側を歩いていた高順がしきりに山茶を見ていたのでどうしたのか尋ねると今度は壬氏の様子を気にしていた。
壬氏の目が此方を見ていないのを確認すると身を屈めた高順は山茶に小声で耳打ちした。
「壬氏様はあんな様子ですが山茶が出て来る迄はそれはもう心配していたのですよ」
「まあ」
「このまま見つからないようなら宦官達を集めて捜索隊を作る迄考えておられました」
建物のある場所に戻ってすぐに壬氏達と合流が出来て本当に良かったと山茶は思った。
そして一介の侍女である自分の身を此処まで案じてくれる壬氏の優しさに山茶は頬を緩めた。