雨女な審神者
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夜半、厠を後にした御手杵は月明かりを頼りに廊下を歩いていた。
お腹の虫が鳴る。
小腹が空いた御手杵は折角起きた事だし何か夜食でも食べるか悩んだ。
しかし自分で作るのは面倒であるし料理の腕に自信もない。
けれどもしかしたら厨に何かあるかもしれないと、歩く御手杵の鼻を美味しそうな匂いが掠めた。
一体そのにおいはどこからか、厨ではない。
ならばどこかと匂いの出所を鼻で追っているといつの間にかななしの執務室までたどり着いた。
御手杵は思わず、といった調子でななしの執務室のに声をかけた。
中から小さな悲鳴が聞こえた。
そして暫くしてそっと扉が開かれる。
「御手杵さんでしたか」
扉から顔だけを出したななしは御手杵の顔を見るなりあからさまに安堵して見せた。
何をそんなにびびっているのかと御手杵は思ったが時は既に丑の刻を回っている。
そんな深夜の来訪にななしは何か良からぬ者でも来たのかと怖がっていたのだ。
「えっと、何か御用でしょうか?」
時間が時間である。
ななしは何かあったのかと御手杵の言葉を待った。
対して御手杵は視線を彷徨わせながら口を開いた。
「何かここから美味そうな匂いがしてさ」
そこで御手杵の腹の虫が鳴いた。
その鳴き声に慎ましさはなく、それどころか盛大に空腹を主張している。
その音に暫く虚をつかれ固まっていたななし。
漸く動き出すと、困った様に笑いながら「食べますか?」と御手杵を夜食に誘った。
先程まで仕事をしていたのか執務室には書類やファイルなどが散乱していた。
それを見てななしが仕事で忙しいというのは本当なのだと御手杵は何となく思った。
やはり書類の束が置かれたななしの机には香ばしい匂いがする焼きおにぎりが置かれていた。
ああ、この匂いだと再びお腹の虫は鳴る。
「よかったらそちらを召し上がって下さい」
温めたばかりでまだ手をつけていないからと言われて御手杵は遠慮なく手を合わせると焼きおにぎりに手を伸ばした。
その間にななしは執務室の奥、自室へと消える。
黙々と焼きおにぎりを食べながら御手杵はこんな時間まで仕事とは大変だと思った。
思い返して見ればななしの目の下には隈があったようにも思える。
そんな事を考えながら食べていると焼きおにぎりはあっと言う間になくなった。
そこにななしがお茶と追加の焼きおにぎりを持って戻って来た。
「足りないかと思って追加で温めたのですがまだ食べれますか?」
尋ねられて御手杵は喜んで追加の焼きおにぎりに手を伸ばした。
その日から御手杵は度々、深夜、ななしのいる執務室に夜食を食べにくる様になった。
始めこそ見るからに困っていたななしであったが御手杵は食べたらすぐに部屋へと戻ってしまうので通っている内にななしは困った顔で出迎える事はなくなった。
夜食を出されたらしっかり完食する御手杵に対してななしは食べたり食べなかったりだが、大抵はぼんやりと御手杵の食べっぷりを眺めていた。
今の本丸は酷いものである。
戦場にも行くし、遠征も順繰りに周り、怪我をすれば手入れもされる。
だがそれを行うのは見習いだった。
見習いは本丸に入って大体の流れを掴む為そう言った事をするのはさして問題はない。
だがななしは仕事だと言って引きこもってからはまるで見習いがこの本丸の主の様に振る舞っていた。
別に横柄になった、という事はなく彼女はこの本丸に来た時と変わらぬ態度なのだが、時たま見習いがさも刀剣男士達の主の様な顔をするのだ。
するとそれを良く思わないと思う者も現れる。
しかしななしは執務室から滅多な事では出てこず、体の小さな短刀などは明らかに不安がった。
このまま、主がななしではなく見習いに、自分達は捨てられてしまうのではと。
そんな不安が短刀から脇差へ、脇差から打刀へと伝播していく。
はっきりいって本丸の雰囲気は最悪であった。
けれど本丸にはそんな雰囲気を何とも思わない者も一定数いる。
それが主の意思ならば致し方なしとはなから諦め静観する者、戦に出して貰えるならばそれでいい者、御手杵は後者であった。
この本丸の初期刀である歌仙兼定とななしはある時から互いに気まづそうな空気を纏っていたし、不安がる者達はもしもななしに不安となる理由を肯定されたらと恐れて聞き出せない。
執務室に篭るななしの元へ定期的に通う御手杵はそんな彼等から何やら期待をされている様だが、御手杵はその期待に応える気はなかった。
だが、と御手杵は甘く炊かれたお揚げの乗ったうどんを見つめて思う。
ななしと夜食を食べる時間がなくなってしまうのは少しばかり惜しい様に思えた。
「あんたにいつも夜食を作らせててあれだけど、寝なくて良いのか?」
ななしの目の下には通い始めよりもかなり濃くなった隈が刻まれていた。
「凄く、今更ですね」
ななしは苦笑いを浮かべた。
「近頃、夢見が悪くて」
その為眠れず起きているななしには御手杵にこうして夜食を提供している時間はちょうど良いのだと言う。
「夢見なぁ。その手の得意そうな奴等に相談してみたらどうだ」
この本丸には政府が確認している刀剣の殆どが顕現している。
その中には霊験あらたかな刀も幾振りかいた。
そんな彼等に相談をしてみる事を御手杵が勧めるがななしは顔に貼り付けた苦々しい笑みを深めるだけである。
「皆さんにご迷惑をおかけするわけにもいきませんので」
迷惑も何も、ななしに頼られれば本丸にいる誰も彼も、関係のない者まで張り切り事態の打開に励みそうな物であるのだがななしが気乗りしない以上、御手杵も無理に勧める訳にもいかない。
「俺にそういう逸話が有れば良いんだけどな」
あいにく、御手杵の持つ逸話は悪夢を切る物ではなかった。
「雪を降らす逸話じゃあ悪夢をどうにかできないしなぁ」
そう漏らせばななしが興味深げな視線を御手杵に向けた。
「御手杵さんは、雪を降らす事ができるのですか?」
「ああ、俺は鞘を抜くと雪が降るって言われてる。俺は特にその話が強く反映されてるんだろうな」
御手杵はそう言うと立ち上がり、障子を開けた。
ななしを手招きすると御手杵は廊下に出て手を掲げた。
いつの間にかその手に収められた長い槍。
その鋭い刃を守る鞘を抜くと御手杵はななしに暫く空を見ている様促した。
濃紺の夜空を廊下の天井越しに眺めていたななしはそれまで雲一つなかった夜空に雲が翳った事に気がついた。
そうしてはらはらと天から何かが溢れ落ちてくる。
「雨?」
小さな風に吹かれて廊下へと落ちてきたそれは白い雪ではなく透明な雨粒であった。
てっきり話の流れから雪が降るかと思っていたななしが御手杵を見上げればバツの悪そうな顔をしている。
「あー俺は鞘を抜くと雪が降るって言われてるんだけど今みたいに気温が高いとみんな溶けて雨になるんだよ」
お陰で己の出る戦場は常に雨。
身嗜みに拘りのある仲間達からは不評なのだと御手杵は言う。
「けど俺自身、降らしたくて降らしてる訳でもないし文句を言われても困るんだよな」
御手杵はこの日の昼間に出ていた戦場でも仲間達から大ブーイングを受けていた。
「御手杵様はその、嫌ではないのですか」
「雪を降らす事か?」
問いに問いで返せばななしは頷く。
御手杵は剣先を鞘に戻した。
「嫌も何も俺のこれは持って生まれたもんだしな」
嫌がろうにも生まれつき故、仕方がないのだと御手杵は笑う。
「それに別に悪いばっかりじゃないから平気だ」
大抵の戦場では御手杵が鞘を抜くと雪ではなく雨が降る。
雨が降れば視界は悪くなり足元も泥濘む。
しかしそれは相手も同じで、ならば後は熟練度で差が付く。
常に悪天候に慣れている御手杵や仲間達にはいつもの事なので平気だ。
加えて雨が降ると汗も返り血も全て流してくれるので便利なのだと御手杵は言った。
「まあ、俺がそう思ってるだけで周りは迷惑してるかもしれないけどな」
御手杵は深夜にそぐわない大きな声で笑った。