魚の目に水見えず、人の目に空見えず
自分の前を歩く子供の小さな背中に島田は将棋道場に通う子供だろうと適当に検討を付けた。
小学生だろうか、どうせ流行りの携帯ゲームでもしているのだろう背中を丸め歩く後ろ姿に声には出さないが「ながら」歩行は危ないぞと島田はその小さな背中に思う。
と、していると子供の歩く先に交差点が差し迫っていた。
車の通りが多いだけに酷く賑やかな道路に流石のながら歩行の子供も気付くだろうと相変わらず静観を続けていた島田であるが子供は顔を上げて前方を目視する様子もない。
一歩、また一歩と子供の足なので進む距離は知れているが着実に子供は交差点に近付いている。
このままでは危ないと舌打ちした島田はその長い足をフルに使って子供の後を追った。
「おい!危ないぞ」
頭から降ってきた声と共に強い力で腕を後方に引かれた零の体は引かれるがままに後ろへと傾く。
右腕は何者かに引かれ、左手はコピーしたばかりの棋譜が握られている為、零は受け身を取る術が無かった。
棋譜から意識が離れると同時に体の傾きを感じた零はこの後体に走るであろう衝撃に思わず目を閉じるのだが目を閉じて暫く、終ぞその衝撃を感じる事は無かった。
代わりにというのか零の頭には柔らかいけれど確りした何かがある。
その何かの正体を探ろうとゆっくり目を開けた零は逆さになって自分を睨む男の顔を見た。
誰だろうこの人はと思ったと同時に男の口から「き〜り〜や〜ま〜」と自身の名字が発せられたので知り合いかと頭を傾げるが頭を揺さぶって出てくるのは先程迄見ていた棋譜や解くのを途中で止めた詰め将棋の問題ばかりで目の前の男に零は覚えが無かった。
後ろに傾いたままだった姿勢を直し辺りを見渡せば自分が進んでいた先には車が激しく行き交う交差点があり成る程と自分の状況を分析する。
「助けて頂いてありがとうございました」
どうやら目の前の人物が棋譜に夢中になりそのまま車が走る交差点へ突入しようとしていた自分を助けてくれのだと理解した零は深々と頭を下げた。
それに対して、相手は何とも言えない顔をして頭を掻いている。
「桐山もしかしてお前、」
困惑の色を浮かべ話かけるがそれは零の手から滑り落ちた棋譜の束によって遮られた。
二人の足元に散らばる棋譜の数に慌ててしゃがみ込み広い集める。
「すみません!すみません!」
重ね重ねと一緒になって棋譜を集めてくれる恩人に零は頭を下げた。
そんな零に相手も苦笑いを浮かべながら気にしないようにと声をかけてくれる。
それがまた零を申し訳ない様な気持ちにさせて
「あれ、僕達って今日初めて会いましたか?」
何故か相手の笑みを見て零は思った。
零の言葉に相手の浮かべていた笑みに苦味が増していく。
そうしている間に集め終わった棋譜を差し出され
「島田開、A級八段だ。よろしくな」
自己紹介を聞いて同じ棋士の人か、だったらきっと会館で何度かすれ違ったんだろうと感じた筈の既視感を忘れて零も名乗った。
「桐山零です。よろしくお願いします」
世間で話題の史上5人目になる中学生プロ棋士は会館でも話題だった。
記者会見の翌日には件の中学生が何処の門派で師匠は誰かだなんて皆周知していたし何処の中学、下車する駅は、住所はと個人情報もかなり出回っていて島田は内心恐ろしいと思った。
それから暫くすると対局した者達から間近で見た子供の詳細が伝えられその話が耳に入る様になる。
ある棋士は小さかったと言った。
小学校に通う自分の娘とそう変わらないと
ある棋士は女の子みたいだったと言った。
自分の前にちょこんと座る姿は小さく幼くて似た年の瀬の少年達の様な粗暴さはなく物静か。
うっかり自分は対局室でなく将棋道場に入ってしまったのか錯覚してしまったと
ある棋士はとても悔しがっていた。
小さい、幼い、女の子みたいだと周りから伝え聞き、嘗めて掛かったら見事に完敗したらしい。
けれどその後の感想戦はとても楽しかったし勉強になった。
あの子とは一度研究会をしたいと言っていた。
そんな話を聞いて島田は一人の人物を思い出す。
自分と同じ年で中学生デビュー以来容姿が変わらないと言われる現名人宗谷冬司。
同じ中学プロ棋士で、島田がこれまでに聞いた子供の評判は宗谷がデビューした時と似た内容だったからだろう。
きっとその内、かの子供も「将棋の神様の子供」等と言われるのだろう。
なんて思っていた時期が島田にもありました。
現実、子供は「将棋の神様の子供」と称される事は無く「将棋の星から来た宇宙人」と呼ばれていた。
主な理由としては言葉が通じない。
これを聞いた時、島田は「え、あの子日本生まれの日本在住だよな?」と頭を傾げた。
知りたく無かったが子供の現住所だって通う中学校も名前だって知っている。
通り名の原因は言語の問題ではないのだと誰かが言った。
曰く対局以外の場面で声を掛けても無視をされ素通りされるか、されなくてもおかしな事を言われるらしい。
「俺なんか桐山君には何度も声をかけてるのに昨日なんか『初めまして』ですよ?!」
そう言って悲しむのはデビュー以来自分の甥とそう変わらない彼を気にかけて可愛がっていた棋士であった。
始めは無視素通りされた棋士達が「ガキが偉そうにしやがって」等と溢していたらしいが最早彼の行動は自尊心からくるものにしては説明出来ないレベルに達しているらしい。
そんな話を聞いていた島田は流石に宇宙人ってなと内心笑っていたが今なら心の底から同意出来た。
これが未知との遭遇ってやつなのか。
今、島田の目の前には桐山零がいる。
彼は言った「助けて頂いてありがとうございます。お礼がしたいのでお名前を伺っても良いですか?」と
その小さな後ろ姿を見つけたのは偶々だった。
相変わらずながら歩行をしているのか姿勢が悪い。
そのながら歩行であわや車と接触寸前の場面に何度か遭遇していた島田は一言注意をしてやろうと前方を歩く彼の背中を追った。
先を歩く零が曲がり角で見えなくなる。
後ろから零を追いかける島田もその角を曲がり漸く追いつけるという所でその場面に直面した。
零の進行を妨げる様に道の真ん中に止まったハイエース。
後部座席の扉が開かれており、そこから伸びる男の陽に焼けた黒く太い腕が零の白く細い腕を掴み今にも車内に連れ込もうとしていた。
零が抵抗していない様子から一瞬知り合いか何かと思うがそもそも知り合いなら力ずくで車内に引き込まなくても零自身が車内に入るだろうという事に気付き、これは誘拐だと島田は判断した。
そう判断した島田に行動は早く、抵抗はないが車内に連れ込むのに苦戦する誘拐犯目掛けて飛び掛ると学生時代に山菜取りで鍛えた足で犯人の腹に一発蹴り。
相手が怯んだ所で零を強奪してそのまま来た道を慌てて引き返す。
小脇に抱えた零は無事かと走りながら横目に確認すると零は何もない顔で棋譜を見続けていた。
あれだよな?誘拐されかけたのが恐くて現実逃避してるんだよな?と零の行動に何とか理由付けしようと島田は考える。
が、もう一度零の顔色を伺い見るととてもそうではない様な気がしてならない。
そうこうしてる内に見慣れた会館の色が見えて来て島田は少し安心した。
ばたばたと小脇に零を抱えて会館内に飛び込んで来た島田は入り口にいた記者や対局上がりの棋士達から注目される。
「どうしたんです島田八段。そんなに息を切らして」
記者の一人が声をかけてきた。
小さいとはいえ中学生を一人抱えて走った島田は床に手と膝をつき四つん這いで、息も絶え絶え、何か返答しようにも呼吸をするのが精一杯。
ちらりと肩で息をする島田は背後を伺いあの誘拐犯が追いかけて来てはいないか確かめた。
会館前の道路にはそれらしき人物も車もいない。
「おいおい、これは何の騒ぎだ?」
島田の只ならぬ様子に誰かが呼んだのだろう現れた神宮寺は未だ息を整えきれない島田と床に転ばされてなお棋譜から目を離さない零を見て察したらしく二人は会長室に来る様にと声をかけた。
周りには解散と告げて手を叩くと棋士達は蜘蛛の子を散らす様にいなくなり、記者は何か聞きたそうであったが島田達から離れていく。
「立てるか島田」
息がやっと整えられた島田は差し出された神宮寺の手を掴み立ち上がった。
続いて神宮寺は床に転がったままの零に声をかけるが反応がない。
何度声をかけても応答のない零に埒があかないとその細腰に腕を回し抱えると三人は漸く会長室へと移動した。
「で、何があったんだお前ら」
部屋に入るなり席に座るよう勧められた島田がソファに腰を下ろすとその隣に零が下された。
相変わらず棋譜に集中している零は偶に口元を動かすがそれ以外に派手な動作を行わない。
そんな零を目にした島田の頭に「宇宙人」という言葉が頭を過ぎる。
階下での騒ぎを聞いた事務員が冷たいお茶を用意してくれて、島田はそれを早々に飲み干した。
「実は会館からの帰りに桐山が怪しい車に連れ込まれ様としてる所に遭遇しまして」
咄嗟にそれが誘拐だと判断し、犯人を蹴りつけ零を抱えて会館迄走って来た事を島田は向かいの席に座った神宮寺に話した。
「お前、相手を蹴り飛ばしたのか」
他の棋士に比べて落ち着いた印象を持っていただけに咄嗟とはいえ犯人に手を(実際出したのは足であるが)出したという島田の行動に神宮寺は思わず口笛を吹く。
「しっかし突然そんな面倒事に巻き込まれて大変だっただろ」
「ええ。ですけど桐山も無傷みたいですし良かったですよ」
神宮寺に犯人の特徴や車種、車のナンバー等を伝え、気が抜けたのか島田は痛み始めた胃を宥めるようにゆっくりと撫でた。
そんな島田から神宮寺は桐山へと視線を移す。
「おい桐山。桐山零!」
神宮寺の大きな声が部屋いっぱいに響いた。
島田も今の今まで棋譜から目を離さなかった零もその大きな声に肩を震わす。
零の頭が緩々と神宮寺に向けられて一回、二回と瞬きをする。
「えっと、此処は何処ですか?」
辺りを見渡す零は島田から見てもかなり困惑していた。
暫く会長室を見渡し、それから神宮寺を、そして島田を見て視線を戻すと居心地悪そうに体をもじもじとさせる。
「此処は会館にある会長室。俺の仕事部屋な。お前は会館から出て暫くの所で誘拐されそうになってた所を隣に座ってる島田八段に助けて貰ったんだ」
神宮寺に覚えているかと尋ねられ、亀の様に首を引っ込めていた零は首を横に振るう。
「覚えてないです」
「お前棋譜を読みながら一人で歩いてたんだって?前の時も俺言ったよな。行き帰りが一人の時は少しでも誘拐されやすい様隙は作るなって」
再度覚えているか尋ねられた零は首を横に振るう事は無かったが縦にも振らない。
それを覚えていないという返事としてとった神宮寺は手で顔を覆い深々と溜息を吐く。
「あのなあ桐山、誘拐未遂これで何回目か分かってる?」
島田は大変な事を聞いてしまった気がした。
神宮寺は今「誘拐未遂これで何回目」と言わなかったであろうか。
驚愕する島田に気付いているのかいないのか神宮寺は零に尋ねるが首をこてんと傾けるだけで「言っている意味がわからない」とでも言いたげだった。
そんな零の反応に大方予想は付けていたのだろう神宮寺は怒るでもなく只呻き声を上げる。
「あーくそっ!だよな!ぜってー覚えて無いって分かってた!!」
誰に対してでも無く悪態を吐いた神宮寺は痛む頭を少しでも和らげようと眉間の皺を摘み解していた。
時折神宮寺に無茶を言われて振り回されている島田も流石に今、目の前神宮寺には同情せざる負えない。
零は神宮寺の様子に只只管に萎縮していた。
「すみません。でも本当に僕、何も、覚えて無いんです・・・」
本当に本当に申し訳なさそうに告白した零は顔を俯かせ、発した言葉は尻すぼみになって最後は何とか聞き取れる程に小さな声だった。
「覚えて無いんだったら仕方ないよな?ですよね会長」
神宮寺の問いに分からないと返した零であるが見るからに疲れている原因は自分だと察しているのだろう零はその小さな体躯をより小さくする零に隣に座る島田は思わず擁護してしまう。
神宮寺もこれ以上追求する気は無いのか無駄だと諦めたのか暫く頭をおさえた後、零にこれから一層気を付ける様にと注意を促した。
それに対して零が返事をした所で部屋に備え付けられた電話が鳴り神宮寺はそれを取る。
電話は神宮寺の口調から内線の様で、何度か返事をした神宮寺は受話器を下ろすと零に幸田が迎えに来た事を告げた。
「さっき、幸田にも連絡を入れておいたんだ」
さっきと言われても覚えの無い零はいつの間に、と驚いていたが島田には覚えがある。
会長室に入る前に神宮寺が零を片手で抱えながら器用に携帯で電話を掛けていた。
あれがそうだったのだろうと納得する。
「下に車を停めて待ってるらしいからさっさと行って無事な顔を見せてやれ」
癖のある黒髪をかき混ぜる様に神宮寺は零の小さな頭を撫でた。
「お騒がせしてすみませんでした」
机に置いていた棋譜を抱えて立ち上がった零は神宮寺に頭を下げると今度は島田の方を向いて深々と頭を下げる。
「島田八段にもご迷惑をかけしてすみませんでした」
現役の中学生とは思えない綺麗なお辞儀に島田は思わず恐縮し、はたから見てこの中学生に頭を下げさせる自分という構図は大丈夫なのだろうかと不安になる。
余り良い絵面とは思え島田は零に頭をあげる様言うと気にするなとも声をかけた。
「何はともあれ桐山が無事で本当に良かったよ」
もう一度頭を下げて島田に礼を言った零は会長室を出て行った。
扉が閉まるまで見送った島田は痛む胃をおさえてソファーに深く座り直す。
「大丈夫か島田」
これを飲めと手をつけていない神宮寺の分のお茶を差し出された島田はそれを受け取ると携帯していた胃薬を取り出してその苦い顆粒をお茶で流し込む。
すると気の所為だと分かっていても胸の下のちりちりとした痛みが和らいだ気がする。
「島田って桐山と話すの何回目?」
「何回目って・・・えーっと」
神宮寺の問いに島田はこれまで零と会った回数を指折り数える。
初めて会ったのは今日の様に棋譜に夢中になって今にも交差点に飛び出しそうになった時で、それから・・・ふう、みい、と数えてみれば意外な程遭遇していて数えていた島田自身が驚いた。
「結構会ってんだな。まあ、島田なら大丈夫か」
聞かれたので答えれば神宮寺はこんな反応で島田は只々困惑する。
一体何が「大丈夫」なのだろうか言葉の意味を聞こうにも取り合ってもらう前に手いっぱいに貰い物だと言うお菓子を沢山持たされてこの後来客があるからと島田は神宮寺に自分の疑問を尋ねる間もなくさっさと会長室から追い出された。
それから数ヶ月が経ち、島田の感じた疑問が彼の頭から薄れさった頃。
順位戦の対局で勝ち抜き、惜しくも名人挑戦権は得られなかったがA級残留が確定して悔しいながらも肩の荷が一つ降りていた麗らかな日の午後である。
島田は自分が歩く先、前方から聞こえる喧騒に気が付いた。
初めは男女のそれかと思ったが片方は勿論、もう片方も気持ち声が低い。
他人の事情に巻き込まれたく無い島田であるが好奇心に負けてついつい言い争う声の方へ顔を向けてしまう。
「って、おいおい」
島田は己の好奇心を恨んだ。
いや、この場合褒めるべきなのだろうか。
島田が顔を向けた方向で零と何時ぞやの誘拐(未遂)犯が争っていた。
「桐山君自ら僕の腕に飛び込んでくれる何てすっごく嬉しいよ」
「あの、本当に何方様か存じませんが棋譜を踏み付けるその足を退けて下さい」
あの時と同じ黒い腕で零を抱きしめる犯人と抱きしめられながら踠き犯人の足の下敷きになった棋譜に手を伸ばそうとしている零の姿に島田は思わず「棋譜より気にする所があるだろう」と思った。
我が身より棋譜を優先する零の抵抗は弱く、それが犯人をいい気にさせているのか男の武骨で大きな手が零の小さな体をいやらしい手つきで弄る。
このままでは零の貞操が危ないと察した島田の体は本人が気付いた頃には駆け出していた。
「助けて頂いてありがとうございます」
何時ぞやと同じく深々と頭を下げた零に島田は頬を掻いた。
零に不埒な事を働いた色黒の男は今、パトロール中だった警官に連行されようとしている。
「お前またどうせ棋譜を見ながら歩いてたんだろう」
辺りに散らばった棋譜を一枚一枚拾い上げれば島田は零を交差点で助けた時を思い出す。
あの時と変わらない零とそんな彼を助けてしまう己のお人好し加減に島田はほとほと呆れながらも笑みを溢した。
最後に零が犯人への抵抗も忘れて拾おうとした皺くちゃの棋譜を拾い上げる。
そんなに大事な棋譜なのかと対局者の名前を見れば島田の名前が合った。
自分の名前が合った事に動揺しながらも零に他の棋譜と一緒に渡せば零は一番上にある皺くちゃの棋譜をとても大切そうに抱き締める。
「破れて無くて良かった」
会館に戻ってコピーし直せば済むそれを、ましてや自分の対局の棋譜をそれはもう大切そうに零が抱き締めているので島田は自分の体が羞恥の余り火照って来るのを感じた。
額にも汗が溜まり前髪が貼りつく。
「そんな大袈裟な」
「たかがコピー紙何て思うかも知れないですが、この棋譜には棋士と棋士の熱い思いが籠ってるんですよ」
零は誘拐未遂の時に比べて饒舌だった。
棋譜を「そんな」と称した島田を見上げて順位戦の内の1局、辻井と島田の対局の何処が良かったかを事細かに語った。
序盤から中盤、中盤から始った辻井の猛攻。
その猛攻を受け止めつつ反撃の機会を伺う島田。
結果としては「良い」辻井に及ばず負けてしまった島田であるが投了の迄の諦める事なく何度も辻井を窮地に立たせた島田の攻撃が気に入っているらしい。
そこまでを真正面切って言われた島田は勘弁してくれと思う。
そもそもこの桐山零は本人に向かってまっすぐ対局の感想を言える様な人物だっただろうかと疑問が浮かんだ。
恥ずかし気もなく「流石です兄者!」「カッコ良かったです兄者!」と言う弟弟子がいるが、あの弟弟子と目の前に立つ桐山零が同じもしくは似た性格とは島田には到底思えない。
「す、すみません初対面の人にこんなに語ってしまって」
暫く島田の中で放置していた疑問が大きく存在感を増した。
「お礼がしたいのでお名前を伺っても良いですか?」
その時、島田は確信した。
桐山零は「宇宙人」だと
研究会があったその日、二階堂はふっくらとした頬を赤く染めて島田宅の居間へと駆け込んで来た。
普段は激しい運動も禁じられている身の為、この様にはしゃがない二階堂の珍しい姿に島田は目を丸くする。
余り興奮しては体調崩すと窘めながらも何事か問えば見慣れた白封筒が取り出され目の前で開かれる。
そこには7月の日付と共に見慣れた名前が書かれていた。
「この7月の公式戦で桐山との対局が決まりました!」
それはもう嬉しそうに報告する弟弟子に良かったなと島田は声をかける。
そこへ重田が遅れて現れて一言、二言交わす内に険悪なけれどそれでも二階堂の機嫌は変わらない。
余程、桐山との対局が楽しみなのだろう。
二階堂の横顔を見ながら島田小さく呟いた。
「ファーストコンタクト頑張れよ、坊」
今日の犯人
零君を性的に如何にかしたかった。
誘拐未遂以外にも余罪はあった為、暫く塀の中。
将棋の星から来た宇宙人
共通言語:将棋
将棋を介してで無いと会話が成立しないし、よっぽどのインパクトとか粘り強く反復学習をさせないと記憶に残らない。
遭遇する胃痛の人
これからも遭遇していくし会長から積極的に巻き込まれる。
会長
未だ零君に名前と顔(と役職)を覚えてもらえてない。
今からうきうきわくわくな弟弟子
ファーストコンタクトに見事失敗しました。
小学生だろうか、どうせ流行りの携帯ゲームでもしているのだろう背中を丸め歩く後ろ姿に声には出さないが「ながら」歩行は危ないぞと島田はその小さな背中に思う。
と、していると子供の歩く先に交差点が差し迫っていた。
車の通りが多いだけに酷く賑やかな道路に流石のながら歩行の子供も気付くだろうと相変わらず静観を続けていた島田であるが子供は顔を上げて前方を目視する様子もない。
一歩、また一歩と子供の足なので進む距離は知れているが着実に子供は交差点に近付いている。
このままでは危ないと舌打ちした島田はその長い足をフルに使って子供の後を追った。
「おい!危ないぞ」
頭から降ってきた声と共に強い力で腕を後方に引かれた零の体は引かれるがままに後ろへと傾く。
右腕は何者かに引かれ、左手はコピーしたばかりの棋譜が握られている為、零は受け身を取る術が無かった。
棋譜から意識が離れると同時に体の傾きを感じた零はこの後体に走るであろう衝撃に思わず目を閉じるのだが目を閉じて暫く、終ぞその衝撃を感じる事は無かった。
代わりにというのか零の頭には柔らかいけれど確りした何かがある。
その何かの正体を探ろうとゆっくり目を開けた零は逆さになって自分を睨む男の顔を見た。
誰だろうこの人はと思ったと同時に男の口から「き〜り〜や〜ま〜」と自身の名字が発せられたので知り合いかと頭を傾げるが頭を揺さぶって出てくるのは先程迄見ていた棋譜や解くのを途中で止めた詰め将棋の問題ばかりで目の前の男に零は覚えが無かった。
後ろに傾いたままだった姿勢を直し辺りを見渡せば自分が進んでいた先には車が激しく行き交う交差点があり成る程と自分の状況を分析する。
「助けて頂いてありがとうございました」
どうやら目の前の人物が棋譜に夢中になりそのまま車が走る交差点へ突入しようとしていた自分を助けてくれのだと理解した零は深々と頭を下げた。
それに対して、相手は何とも言えない顔をして頭を掻いている。
「桐山もしかしてお前、」
困惑の色を浮かべ話かけるがそれは零の手から滑り落ちた棋譜の束によって遮られた。
二人の足元に散らばる棋譜の数に慌ててしゃがみ込み広い集める。
「すみません!すみません!」
重ね重ねと一緒になって棋譜を集めてくれる恩人に零は頭を下げた。
そんな零に相手も苦笑いを浮かべながら気にしないようにと声をかけてくれる。
それがまた零を申し訳ない様な気持ちにさせて
「あれ、僕達って今日初めて会いましたか?」
何故か相手の笑みを見て零は思った。
零の言葉に相手の浮かべていた笑みに苦味が増していく。
そうしている間に集め終わった棋譜を差し出され
「島田開、A級八段だ。よろしくな」
自己紹介を聞いて同じ棋士の人か、だったらきっと会館で何度かすれ違ったんだろうと感じた筈の既視感を忘れて零も名乗った。
「桐山零です。よろしくお願いします」
世間で話題の史上5人目になる中学生プロ棋士は会館でも話題だった。
記者会見の翌日には件の中学生が何処の門派で師匠は誰かだなんて皆周知していたし何処の中学、下車する駅は、住所はと個人情報もかなり出回っていて島田は内心恐ろしいと思った。
それから暫くすると対局した者達から間近で見た子供の詳細が伝えられその話が耳に入る様になる。
ある棋士は小さかったと言った。
小学校に通う自分の娘とそう変わらないと
ある棋士は女の子みたいだったと言った。
自分の前にちょこんと座る姿は小さく幼くて似た年の瀬の少年達の様な粗暴さはなく物静か。
うっかり自分は対局室でなく将棋道場に入ってしまったのか錯覚してしまったと
ある棋士はとても悔しがっていた。
小さい、幼い、女の子みたいだと周りから伝え聞き、嘗めて掛かったら見事に完敗したらしい。
けれどその後の感想戦はとても楽しかったし勉強になった。
あの子とは一度研究会をしたいと言っていた。
そんな話を聞いて島田は一人の人物を思い出す。
自分と同じ年で中学生デビュー以来容姿が変わらないと言われる現名人宗谷冬司。
同じ中学プロ棋士で、島田がこれまでに聞いた子供の評判は宗谷がデビューした時と似た内容だったからだろう。
きっとその内、かの子供も「将棋の神様の子供」等と言われるのだろう。
なんて思っていた時期が島田にもありました。
現実、子供は「将棋の神様の子供」と称される事は無く「将棋の星から来た宇宙人」と呼ばれていた。
主な理由としては言葉が通じない。
これを聞いた時、島田は「え、あの子日本生まれの日本在住だよな?」と頭を傾げた。
知りたく無かったが子供の現住所だって通う中学校も名前だって知っている。
通り名の原因は言語の問題ではないのだと誰かが言った。
曰く対局以外の場面で声を掛けても無視をされ素通りされるか、されなくてもおかしな事を言われるらしい。
「俺なんか桐山君には何度も声をかけてるのに昨日なんか『初めまして』ですよ?!」
そう言って悲しむのはデビュー以来自分の甥とそう変わらない彼を気にかけて可愛がっていた棋士であった。
始めは無視素通りされた棋士達が「ガキが偉そうにしやがって」等と溢していたらしいが最早彼の行動は自尊心からくるものにしては説明出来ないレベルに達しているらしい。
そんな話を聞いていた島田は流石に宇宙人ってなと内心笑っていたが今なら心の底から同意出来た。
これが未知との遭遇ってやつなのか。
今、島田の目の前には桐山零がいる。
彼は言った「助けて頂いてありがとうございます。お礼がしたいのでお名前を伺っても良いですか?」と
その小さな後ろ姿を見つけたのは偶々だった。
相変わらずながら歩行をしているのか姿勢が悪い。
そのながら歩行であわや車と接触寸前の場面に何度か遭遇していた島田は一言注意をしてやろうと前方を歩く彼の背中を追った。
先を歩く零が曲がり角で見えなくなる。
後ろから零を追いかける島田もその角を曲がり漸く追いつけるという所でその場面に直面した。
零の進行を妨げる様に道の真ん中に止まったハイエース。
後部座席の扉が開かれており、そこから伸びる男の陽に焼けた黒く太い腕が零の白く細い腕を掴み今にも車内に連れ込もうとしていた。
零が抵抗していない様子から一瞬知り合いか何かと思うがそもそも知り合いなら力ずくで車内に引き込まなくても零自身が車内に入るだろうという事に気付き、これは誘拐だと島田は判断した。
そう判断した島田に行動は早く、抵抗はないが車内に連れ込むのに苦戦する誘拐犯目掛けて飛び掛ると学生時代に山菜取りで鍛えた足で犯人の腹に一発蹴り。
相手が怯んだ所で零を強奪してそのまま来た道を慌てて引き返す。
小脇に抱えた零は無事かと走りながら横目に確認すると零は何もない顔で棋譜を見続けていた。
あれだよな?誘拐されかけたのが恐くて現実逃避してるんだよな?と零の行動に何とか理由付けしようと島田は考える。
が、もう一度零の顔色を伺い見るととてもそうではない様な気がしてならない。
そうこうしてる内に見慣れた会館の色が見えて来て島田は少し安心した。
ばたばたと小脇に零を抱えて会館内に飛び込んで来た島田は入り口にいた記者や対局上がりの棋士達から注目される。
「どうしたんです島田八段。そんなに息を切らして」
記者の一人が声をかけてきた。
小さいとはいえ中学生を一人抱えて走った島田は床に手と膝をつき四つん這いで、息も絶え絶え、何か返答しようにも呼吸をするのが精一杯。
ちらりと肩で息をする島田は背後を伺いあの誘拐犯が追いかけて来てはいないか確かめた。
会館前の道路にはそれらしき人物も車もいない。
「おいおい、これは何の騒ぎだ?」
島田の只ならぬ様子に誰かが呼んだのだろう現れた神宮寺は未だ息を整えきれない島田と床に転ばされてなお棋譜から目を離さない零を見て察したらしく二人は会長室に来る様にと声をかけた。
周りには解散と告げて手を叩くと棋士達は蜘蛛の子を散らす様にいなくなり、記者は何か聞きたそうであったが島田達から離れていく。
「立てるか島田」
息がやっと整えられた島田は差し出された神宮寺の手を掴み立ち上がった。
続いて神宮寺は床に転がったままの零に声をかけるが反応がない。
何度声をかけても応答のない零に埒があかないとその細腰に腕を回し抱えると三人は漸く会長室へと移動した。
「で、何があったんだお前ら」
部屋に入るなり席に座るよう勧められた島田がソファに腰を下ろすとその隣に零が下された。
相変わらず棋譜に集中している零は偶に口元を動かすがそれ以外に派手な動作を行わない。
そんな零を目にした島田の頭に「宇宙人」という言葉が頭を過ぎる。
階下での騒ぎを聞いた事務員が冷たいお茶を用意してくれて、島田はそれを早々に飲み干した。
「実は会館からの帰りに桐山が怪しい車に連れ込まれ様としてる所に遭遇しまして」
咄嗟にそれが誘拐だと判断し、犯人を蹴りつけ零を抱えて会館迄走って来た事を島田は向かいの席に座った神宮寺に話した。
「お前、相手を蹴り飛ばしたのか」
他の棋士に比べて落ち着いた印象を持っていただけに咄嗟とはいえ犯人に手を(実際出したのは足であるが)出したという島田の行動に神宮寺は思わず口笛を吹く。
「しっかし突然そんな面倒事に巻き込まれて大変だっただろ」
「ええ。ですけど桐山も無傷みたいですし良かったですよ」
神宮寺に犯人の特徴や車種、車のナンバー等を伝え、気が抜けたのか島田は痛み始めた胃を宥めるようにゆっくりと撫でた。
そんな島田から神宮寺は桐山へと視線を移す。
「おい桐山。桐山零!」
神宮寺の大きな声が部屋いっぱいに響いた。
島田も今の今まで棋譜から目を離さなかった零もその大きな声に肩を震わす。
零の頭が緩々と神宮寺に向けられて一回、二回と瞬きをする。
「えっと、此処は何処ですか?」
辺りを見渡す零は島田から見てもかなり困惑していた。
暫く会長室を見渡し、それから神宮寺を、そして島田を見て視線を戻すと居心地悪そうに体をもじもじとさせる。
「此処は会館にある会長室。俺の仕事部屋な。お前は会館から出て暫くの所で誘拐されそうになってた所を隣に座ってる島田八段に助けて貰ったんだ」
神宮寺に覚えているかと尋ねられ、亀の様に首を引っ込めていた零は首を横に振るう。
「覚えてないです」
「お前棋譜を読みながら一人で歩いてたんだって?前の時も俺言ったよな。行き帰りが一人の時は少しでも誘拐されやすい様隙は作るなって」
再度覚えているか尋ねられた零は首を横に振るう事は無かったが縦にも振らない。
それを覚えていないという返事としてとった神宮寺は手で顔を覆い深々と溜息を吐く。
「あのなあ桐山、誘拐未遂これで何回目か分かってる?」
島田は大変な事を聞いてしまった気がした。
神宮寺は今「誘拐未遂これで何回目」と言わなかったであろうか。
驚愕する島田に気付いているのかいないのか神宮寺は零に尋ねるが首をこてんと傾けるだけで「言っている意味がわからない」とでも言いたげだった。
そんな零の反応に大方予想は付けていたのだろう神宮寺は怒るでもなく只呻き声を上げる。
「あーくそっ!だよな!ぜってー覚えて無いって分かってた!!」
誰に対してでも無く悪態を吐いた神宮寺は痛む頭を少しでも和らげようと眉間の皺を摘み解していた。
時折神宮寺に無茶を言われて振り回されている島田も流石に今、目の前神宮寺には同情せざる負えない。
零は神宮寺の様子に只只管に萎縮していた。
「すみません。でも本当に僕、何も、覚えて無いんです・・・」
本当に本当に申し訳なさそうに告白した零は顔を俯かせ、発した言葉は尻すぼみになって最後は何とか聞き取れる程に小さな声だった。
「覚えて無いんだったら仕方ないよな?ですよね会長」
神宮寺の問いに分からないと返した零であるが見るからに疲れている原因は自分だと察しているのだろう零はその小さな体躯をより小さくする零に隣に座る島田は思わず擁護してしまう。
神宮寺もこれ以上追求する気は無いのか無駄だと諦めたのか暫く頭をおさえた後、零にこれから一層気を付ける様にと注意を促した。
それに対して零が返事をした所で部屋に備え付けられた電話が鳴り神宮寺はそれを取る。
電話は神宮寺の口調から内線の様で、何度か返事をした神宮寺は受話器を下ろすと零に幸田が迎えに来た事を告げた。
「さっき、幸田にも連絡を入れておいたんだ」
さっきと言われても覚えの無い零はいつの間に、と驚いていたが島田には覚えがある。
会長室に入る前に神宮寺が零を片手で抱えながら器用に携帯で電話を掛けていた。
あれがそうだったのだろうと納得する。
「下に車を停めて待ってるらしいからさっさと行って無事な顔を見せてやれ」
癖のある黒髪をかき混ぜる様に神宮寺は零の小さな頭を撫でた。
「お騒がせしてすみませんでした」
机に置いていた棋譜を抱えて立ち上がった零は神宮寺に頭を下げると今度は島田の方を向いて深々と頭を下げる。
「島田八段にもご迷惑をかけしてすみませんでした」
現役の中学生とは思えない綺麗なお辞儀に島田は思わず恐縮し、はたから見てこの中学生に頭を下げさせる自分という構図は大丈夫なのだろうかと不安になる。
余り良い絵面とは思え島田は零に頭をあげる様言うと気にするなとも声をかけた。
「何はともあれ桐山が無事で本当に良かったよ」
もう一度頭を下げて島田に礼を言った零は会長室を出て行った。
扉が閉まるまで見送った島田は痛む胃をおさえてソファーに深く座り直す。
「大丈夫か島田」
これを飲めと手をつけていない神宮寺の分のお茶を差し出された島田はそれを受け取ると携帯していた胃薬を取り出してその苦い顆粒をお茶で流し込む。
すると気の所為だと分かっていても胸の下のちりちりとした痛みが和らいだ気がする。
「島田って桐山と話すの何回目?」
「何回目って・・・えーっと」
神宮寺の問いに島田はこれまで零と会った回数を指折り数える。
初めて会ったのは今日の様に棋譜に夢中になって今にも交差点に飛び出しそうになった時で、それから・・・ふう、みい、と数えてみれば意外な程遭遇していて数えていた島田自身が驚いた。
「結構会ってんだな。まあ、島田なら大丈夫か」
聞かれたので答えれば神宮寺はこんな反応で島田は只々困惑する。
一体何が「大丈夫」なのだろうか言葉の意味を聞こうにも取り合ってもらう前に手いっぱいに貰い物だと言うお菓子を沢山持たされてこの後来客があるからと島田は神宮寺に自分の疑問を尋ねる間もなくさっさと会長室から追い出された。
それから数ヶ月が経ち、島田の感じた疑問が彼の頭から薄れさった頃。
順位戦の対局で勝ち抜き、惜しくも名人挑戦権は得られなかったがA級残留が確定して悔しいながらも肩の荷が一つ降りていた麗らかな日の午後である。
島田は自分が歩く先、前方から聞こえる喧騒に気が付いた。
初めは男女のそれかと思ったが片方は勿論、もう片方も気持ち声が低い。
他人の事情に巻き込まれたく無い島田であるが好奇心に負けてついつい言い争う声の方へ顔を向けてしまう。
「って、おいおい」
島田は己の好奇心を恨んだ。
いや、この場合褒めるべきなのだろうか。
島田が顔を向けた方向で零と何時ぞやの誘拐(未遂)犯が争っていた。
「桐山君自ら僕の腕に飛び込んでくれる何てすっごく嬉しいよ」
「あの、本当に何方様か存じませんが棋譜を踏み付けるその足を退けて下さい」
あの時と同じ黒い腕で零を抱きしめる犯人と抱きしめられながら踠き犯人の足の下敷きになった棋譜に手を伸ばそうとしている零の姿に島田は思わず「棋譜より気にする所があるだろう」と思った。
我が身より棋譜を優先する零の抵抗は弱く、それが犯人をいい気にさせているのか男の武骨で大きな手が零の小さな体をいやらしい手つきで弄る。
このままでは零の貞操が危ないと察した島田の体は本人が気付いた頃には駆け出していた。
「助けて頂いてありがとうございます」
何時ぞやと同じく深々と頭を下げた零に島田は頬を掻いた。
零に不埒な事を働いた色黒の男は今、パトロール中だった警官に連行されようとしている。
「お前またどうせ棋譜を見ながら歩いてたんだろう」
辺りに散らばった棋譜を一枚一枚拾い上げれば島田は零を交差点で助けた時を思い出す。
あの時と変わらない零とそんな彼を助けてしまう己のお人好し加減に島田はほとほと呆れながらも笑みを溢した。
最後に零が犯人への抵抗も忘れて拾おうとした皺くちゃの棋譜を拾い上げる。
そんなに大事な棋譜なのかと対局者の名前を見れば島田の名前が合った。
自分の名前が合った事に動揺しながらも零に他の棋譜と一緒に渡せば零は一番上にある皺くちゃの棋譜をとても大切そうに抱き締める。
「破れて無くて良かった」
会館に戻ってコピーし直せば済むそれを、ましてや自分の対局の棋譜をそれはもう大切そうに零が抱き締めているので島田は自分の体が羞恥の余り火照って来るのを感じた。
額にも汗が溜まり前髪が貼りつく。
「そんな大袈裟な」
「たかがコピー紙何て思うかも知れないですが、この棋譜には棋士と棋士の熱い思いが籠ってるんですよ」
零は誘拐未遂の時に比べて饒舌だった。
棋譜を「そんな」と称した島田を見上げて順位戦の内の1局、辻井と島田の対局の何処が良かったかを事細かに語った。
序盤から中盤、中盤から始った辻井の猛攻。
その猛攻を受け止めつつ反撃の機会を伺う島田。
結果としては「良い」辻井に及ばず負けてしまった島田であるが投了の迄の諦める事なく何度も辻井を窮地に立たせた島田の攻撃が気に入っているらしい。
そこまでを真正面切って言われた島田は勘弁してくれと思う。
そもそもこの桐山零は本人に向かってまっすぐ対局の感想を言える様な人物だっただろうかと疑問が浮かんだ。
恥ずかし気もなく「流石です兄者!」「カッコ良かったです兄者!」と言う弟弟子がいるが、あの弟弟子と目の前に立つ桐山零が同じもしくは似た性格とは島田には到底思えない。
「す、すみません初対面の人にこんなに語ってしまって」
暫く島田の中で放置していた疑問が大きく存在感を増した。
「お礼がしたいのでお名前を伺っても良いですか?」
その時、島田は確信した。
桐山零は「宇宙人」だと
研究会があったその日、二階堂はふっくらとした頬を赤く染めて島田宅の居間へと駆け込んで来た。
普段は激しい運動も禁じられている身の為、この様にはしゃがない二階堂の珍しい姿に島田は目を丸くする。
余り興奮しては体調崩すと窘めながらも何事か問えば見慣れた白封筒が取り出され目の前で開かれる。
そこには7月の日付と共に見慣れた名前が書かれていた。
「この7月の公式戦で桐山との対局が決まりました!」
それはもう嬉しそうに報告する弟弟子に良かったなと島田は声をかける。
そこへ重田が遅れて現れて一言、二言交わす内に険悪なけれどそれでも二階堂の機嫌は変わらない。
余程、桐山との対局が楽しみなのだろう。
二階堂の横顔を見ながら島田小さく呟いた。
「ファーストコンタクト頑張れよ、坊」
今日の犯人
零君を性的に如何にかしたかった。
誘拐未遂以外にも余罪はあった為、暫く塀の中。
将棋の星から来た宇宙人
共通言語:将棋
将棋を介してで無いと会話が成立しないし、よっぽどのインパクトとか粘り強く反復学習をさせないと記憶に残らない。
遭遇する胃痛の人
これからも遭遇していくし会長から積極的に巻き込まれる。
会長
未だ零君に名前と顔(と役職)を覚えてもらえてない。
今からうきうきわくわくな弟弟子
ファーストコンタクトに見事失敗しました。