幸福論
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「カリム様、またお屋敷を抜け出して来たのですか」
気配を感じてバルコニーに出たユウは魔法の絨毯に乗ったカリムが庭の木の影に隠れているのを見つけた。
笑って口元に人差し指を立てたカリム。
肯定である。
きっとジャミルから逃げて来たのであろうカリムは絨毯からバルコニーへと飛び降りるとユウの手を掴み、共に室内へと駆け込んだ。
「そうなんだよ。ちょっと空を見上げたら珍しい色の鸚鵡を見つけてな。ほら、ジャミルが好きだから捕まえて見せてやろうと思ったらつい、こんな所迄来ちまった」
「まあまあ」
きっと今頃、血眼になってカリムを探すジャミルに心の内で手を合わせながらユウはカリムに出すお茶の準備をした。
家族は皆、アジームの屋敷へ勤めに出ていて家はユウだけである。
ユウは慣れた手付きでお茶に菓子にと準備を進めて、そこで手を止めた。
カリムがジャミルの用意した物以外を口にしないのは有名な話で、父親はそれが名誉な事だとよく話していた。
これはどうした物かとユウは思い悩む。
これまではお茶の準備を始める前にカリムが話を始めて身動きが取れない事等が多々あり、お茶を出す機会は無かった。
出しても飲まれないのでは迷惑かもしれないし、かといって客人、ましてや一族で仕える人にお茶を出さないのも大変失礼である。
ユウがちらりと既にカーペットの上で座り寛ぐカリムと目が合う。
「俺はユウが淹れてくれた物なら何でも喜んで飲むぞ」
まるでユウの心の内を読んだか様なカリムの言葉に胸を撫で下ろしたユウは手を止めていたお茶の準備を進めた。
ユウの用意したお茶をそれは美味しそうに飲むカリムにユウはついつい頬を緩めてしまう。
一息ついてごろりとカーペットに転がったカリムはそのままユウの膝に顎を乗せた。
きらきらと輝く瞳は言葉にせずともユウに強請っている。
「また、お話ですか?」
「ああ、聞かせてくれるか?」
己の膝に頭を乗せて首を傾げるカリムにユウは失礼だと思いながら猫を連想した。
無意識にカリムの頭を撫でていたユウ。
目を細めてそれを受けたカリムはますます猫の様であった。
「そうですね。何の話が良いでしょうか」
「俺はやっぱり冒険活劇が良いな」
そのチョイスにカリムは優しい人だけれどやはり男の子なのだとユウは思った。
頭の中の引き出しからカリムの好みそうな話を取り出したユウはゆったりとした口調で語り出した。
「カリム様」
「何だ」
「ジャミルが到着した様ですよ」
丁度、話も終わっておかわりの甘いお茶が出来た頃にジャミルはカリム同様にバルコニーから現れた。
「カリム!」
「見つかっちまったな!」
近頃見慣れた光景にそっと立ったユウは炎天下の中、カリムを探し回ったであろうジャミルに冷たい飲み物を用意する。
それをお盆に乗せて二人の所へ戻れば
「ユウも何故、カリムを見つけたら連絡をよこさない!」
思わぬ被弾にユウは困り果てた。
ユウとてカリムを探し回っているであろうジャミルに隙を見て連絡をと思ったがカリムに話を強請られてしまい今である。
「そんな怒るなよジャミル。ユウは俺の為に一生懸命もてなしてくれてたんだぞ」
そう言ってカリムはお茶を飲む。
ジャミルはその姿にとても驚き目を見開いていた。
「うん、美味い!」
カリムは本当に美味しそうにお茶を飲みながら、ジャミルにもユウが淹れた飲み物を勧めていた。
それからカリムは暫く屋敷に帰ろうと言うジャミルの話を流しつつユウとの会話を楽しんだ。
始めこそは小言を漏らしていたジャミルであるが暫く経つとカリムを連れて帰る事を諦めたのか途中から二人の会話に参加した。
出されたお茶は飲んでもお茶請けとして出されたお菓子には一切手を出さなかったカリムであるがそれがユウの手作りと知るや否や躊躇いなく手を伸ばしたカリムにジャミルもユウも驚いた。
「おいカリム、食べて大丈夫なのか」
もりもりと口いっぱいにひよこ豆のクッキーを詰め込むカリムに今更ながら毒味もだが、ジャミルはカリムの体調を気にしていた。
何時もはジャミル作った物か毒味が済まされた物しか手を付けないカリムが未だ誰も手を付けていない、しかも市販品でなく手作りのお菓子を食べているのである。
実は風邪でもひいていて判断力を失っているのではと考えたが故のジャミルの問いであった。
「ん?凄く美味いぞ!」
「なら良いんだが」
問いの意味が分かっていないカリムに面倒くさくなったジャミルはそれ以上考えるのを止めた。
自分がカリムの信頼を一身に受けている事を理解していたジャミルはその信頼の延長でユウに対して警戒心を抱いていないのだろうと結論付ける。
可哀想なのはユウで、話に聞いていたのとは違う行動をしたカリムに驚いて、視線はカリムとジャミルを行ったり来たりさせていた。
一頻り話して満足したカリムはもてなしたユウにお礼を言いながらジャミルに首根っこを掴まれ、来た時と同じバルコニーから帰った。
バルコニーにわざわざ出てカリム達を見送るユウの姿を見つめながらカリムは何とか言いくるめて空飛ぶ絨毯の後方に座らせたジャミルに尋ねる。
「なあ、ジャミル」
「何だカリム」
「どうしてユウはずっと家に篭っているんだ」
バイパー家の者だと言うのに。
カリムの問いにジャミルは眉を寄せた。
「ユウはあまり身体が丈夫でないから従者の様に長時間立ち続ける仕事は向いていないんだ」
良い従者とは主人の側でどんな状況であろうと涼しげに平静を装っていられる者である。
しかしユウは日常生活はまともにこなせても例えば炎天下、例えば冷え込む夜に主人の側で長時間立っていられる程は身体が強くなかった。
そんなユウを父親は恥だと言い、余程の忙しさがない限りユウをアジームの屋敷に連れ出さない。
バイパー家の事情を垣間見たカリムは小声で「じゃあ、俺がユウを貰っても良いよな」と呟いたがその声は風に呑まれ、ジャミルには届かなかった。
そしてその翌週、カリムとユウの婚約がアジーム家より発表された。
その発表にジャミルもユウ本人も驚いた。
父親もそれはそれは驚いていたが切り替えは早く、その突然の婚約話にとても喜んだ。
出世所の話ではない。
このまま何事もなく二人が結婚すれば従者であるバイパー家が主人であるアジーム家と親族関係になるのである。
「ジャミル、どうして?」
ユウの疑問は尤もだった。ユウにとってカリムは片割れの、ジャミルの主人というだけで、それ以上もそれ以下も無い。
そんな雲の上の人物と自分が突然、婚約となって戸惑っている。
ユウは不安がった。
周りが勝手に喜び、騒いでいる。
ユウはその場から逃げ出した。
父親に叱られる度に逃げ込む物置へと入るユウ、ジャミルはその後を追い掛ける。
怖い怖いといつもは一人で蹲って泣いているユウがジャミルに縋って泣いた。
怖いと小さな子供のようにユウが泣き噦るのでジャミルは抱き締めて、ひたすら背中を撫でるしかなかった。
物置の扉が叩かれた。
この部屋にユウとジャミルがいるのを知るのは母親しかいない。
扉を開けて入ってきた母親は見るからに眉を下げて困っていた。
カリムが訪ねて来たらしい。
「分かった。今行く」
ジャミルが立ち上がりかけたが母親は首を振るう。
カリムが尋ねて来たのはユウにであった。
「ユウ!」
何時もと変わらぬ眩しい笑顔を浮かべたカリムは腕いっぱいの白い花をユウに渡した。
母親の魔法で目の腫れを落とされたユウはまだカリムに対しての動揺が抜けていなかったが側で睨む父親の視線に急かされて差し出された花を受け取る。
「本当は宝石の一つや二つ持って来てもよかったんだがこの花を見たらユウに渡すしかないと思ってな」
「ありがとうございます。とても、嬉しいです」
カリムは徐に花束から花を一輪取るとユウの髪に挿した。
「思った通りだ。ユウの髪色によく似合う」
「カリム、どうして急に」
此処はジャミル達の家、従者の家である。
度々何かのついでや屋敷を向け出した果てに訪れる事はあってもジャミルやユウ以外の家人がいる時にカリムがこの家にやって来るのは初めての事だった。
「駄目か?婚約者の顔を見たくて来たんだが」
「いや、そう言う事なら良いんだ」
ジャミルは語尾を弱くした。
父親が余計な事を言うなとばかりにジャミルへ鋭い視線を送ったのである。
「せっかく婚約者になったんだ。ユウ、明日からは毎日屋敷にいる俺の所まで会いに来てくれるか?」
「毎日ですか?」
首を傾げてのカリムのお願いにユウの声は困惑していた。
「本当は俺の方から通いたいんだがどうも勉強や何やらで難しい。けど、ユウが来てくれれば毎日顔は見れるし苦手な勉強も捗る気がするんだ」
良い考えだろうと笑うカリムにユウは返答に窮する。
そんなユウの代わりに答えたのは父親であった。
ユウ本人でもないのに喜んで参上いたしますと答えた父親にカリムは満足気だった。
それからユウの生活は一変した。
それまでは一族の日陰者として家で一人、家事をこなしていたユウであるがカリムの婚約者となってからはジャミルと共にカリムの側に付き、彼が就寝する迄側に居続けた。
そしてその後は父親からカリムに相応しい妻になるべく教育を受ける。
それがとても大変だった。
カリムの妻になると言う事は物心ついた頃から学んで来た事と真逆の事をしなければならないのである。
従者になれずともその教育を長く受けてきたユウにはそれがとても難しく、ユウは何度も何度も父親から叱責を受けた。
朝から何をするわけでもないが婚約者としてカリムの隣にいて微笑み、常に緊張状態でいるユウ。
追い討ちをかける花嫁修行に最早何時もの物置で涙を零す気力も無く、連日枕を濡らしながら泥の様に眠っていた。
そして、朝になればまたジャミルと共にカリムの所へと向かって無理して笑うのである。
そんな過酷な日々を過ごす片割れをジャミルは痛々しいと思った。
カリムとの婚約騒動からユウは見るからに痩せた。
熱を出して寝込む事も増えた。
その度にカリムは沢山の花と見舞いの品でユウの部屋を埋める。
「また倒れたんだってな。大丈夫か?」
「もう大分良くなりました。これもカリム様が手配してくれたお医者様のおかげです」
ユウはカリムが見舞いに来るたびに無理して起き上がり、見舞いに対する感謝の言葉を述べた。
ジャミルはユウに人並みの、普通の女の子としての幸せを与えてあげたかった。
ジャミルの知る片割れの笑顔は何処かぎこちない笑顔ではない。
「お前がユウを婚約者になどしなければ」
それが八つ当たりだとジャミルは分かっていた。
結局、自分も父親に、一族に見捨てられるのが恐ろしいのである。
逆らえない。
だからせめて泣いているユウを慰めて彼女の未来の幸せを願った。
これが八つ当たりだとは十分理解している。
けれど、それでも思わずにいられない。
「お前なんか大嫌いだ」
心の底から吐き出されたジャミルの言葉にカリムは呆然としていた。
ジャミルの胸元で輝いていた宝石はいつの間にかその輝きを失せさせ、黒く濁った。
何処からともなく溢れ出した真っ黒な液体はジャミルを包み、そしてその姿を禍々しいものに変貌させた。