幸福論
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その日、バイパー家では一つの命が大きな産声を上げた。
待望の子供、男児である。
母親は産婆から祝いの言葉と共に生まれたばかりの我が子を受け取った。
するとその赤ん坊は自分を抱き抱えているのが己の母親と分かるのか、母親の手に渡った途端にぴたりと泣き声が止んだ。
生まれたばかりの赤ん坊だというのに聡い子だと、母親は思った。
そんな母親の視線はふと彷徨う。
赤ん坊は一人だけでは無い。
出産前の診断で双子である事が知らされていたのだ。
もう一人の我が子を探す母親に産婆は視線を落として首を力なく横へと振るう。
残念ですが、と産婆はもう一人の子供は死産であった事を告げた。
母親はそれまでの喜びから一転、見るからに狼狽た。
産婆にもう一人の子供に会わしてくれと訴えるが産婆は首を横に振るうばかり。
そんな二人の横を何か抱えた助産師が小走りに駆けて行く。
勘ではあるが母親は助産師の抱える何かがもう一人の我が子であると考え、手を伸ばした。
その時である。
母親の腕に抱えられてお行儀良く眠っていた赤ん坊が大きな声で泣いた。
突然の事に母親も産婆も驚いて固まる。
その大きな声に紛れて小さくか弱い、子猫の鳴き声の様なものが赤ん坊の泣き声の合間に聞こえた。
部屋を出て行こうとしていた助産師は突然、踵を返して産婆の所迄戻って来ると死産した筈の赤ん坊が息を吹き返した興奮気味に報告する。
その報告に産婆も母親も驚く。
助産師の腕には柔らかなタオルに包まれた小さな小さな赤ん坊がこれまた耳を澄まさねば聞こえぬ程小さな声で泣いていた。
あんなにも大きな声で泣いていた赤ん坊はいつの間にか静かになっている。
「きっと、彼が兄妹を起こしてくれたのね」
そっと渡されたもう一人の赤ん坊を助産師から受け取れば二人は母親の腕の中で大きさが違う互いの手をしっかりと握りあった。
この死にかけながらもぎりぎりの所で息を吹き返した赤ん坊はユウと名付けられた。
ユウは片割れであるジャミルに比べて小柄で、同世代の子供に比べて身体が丈夫ではなかった。
夜に薄着でいれば翌日は必ず熱を出したし、昼間の炎天下では人並みに長い時間を立っていられない。
そんな病に罹りやすく弱い子供を父親は酷く厭んだ。
昔からアジーム家に仕えて来た誇り故か、従者としてまともに働けない子供は要らないとまで言った。
それを庇ったのはユウの片割れであるジャミルと母親である。
母親は一度死にかけたユウに対して些か過保護になっており、父親がユウを叱る度に母親であり妻である彼女が庇う物だから益々父親のユウに対する嫌悪は増した。
このままでは親子の仲も夫婦の仲も破綻すると考えた母親は幼いジャミルにユウを託す他なかった。
幼いジャミルはあまり仲立ち出来ない母親の代わりに兄妹を助けてやってほしいと請われてそれに頷く。
父親の意識がユウに向くからいけないのだと考えたジャミルは父親の意識をユウから逸らすべくそれはそれは努力した。
父親も意外に単純で、ジャミルが優秀であればあるほどユウからジャミルへと意識を逸らす。
従者として優秀に育つジャミルに父親はいつか我が子がアジーム家の有力な誰かに仕える日は近いと喜んでいたがジャミルの目標は両親の様にアジームの主人に仕える事ではなくあくまでもユウを守る事。
それは母親に頼まれたからではなく、ジャミル自身の意思からである。
ジャミルの片割れ、半身、相棒である双子の彼女はジャミルにとって唯一無二の大切な存在で、彼女が平穏に笑って暮らせるなら血反吐を吐くほどの努力など苦では無かった。
その努力が身を結び、ジャミルは不本意ながらアジーム家当主の長子、カリムの従者になった。
父親はこの大抜擢に喜んだ。
いつになく声を上げて喜んでいた父親の傍らで母親は複雑な顔をしていた。
それはジャミル本人も同じであった。
「凄いね、ジャミル!おめでとう」
「ありがとうユウ」
ジャミルの心の内も知らず、ユウは己の事の様に喜んでいた。
あまり家では見ないユウの表情にやっとジャミルは表情を解かす事が出来たが、やはり手放しに喜べなかった。
やはりな、とジャミルは懸念していた事が現実となり頭を抱えた。
父親の機嫌は何時迄も続かなかった。
ジャミルがカリム付きの従者となってから父親は双子であるユウにもジャミルと同じだけの事を求めた。
カリムには弟や妹が沢山いて、父親はその大勢いる妹の従者にユウを据えようと考えたのだ。
しかしいくら成長してもユウの虚弱体質は抜けない。
加えてユウはジャミル程器用では無かった。
普通一般の女子としてであれば十分出来た娘であるが従者には不向きで、ユウが何か上手く出来ない度に父親は小さなユウに向かって吠えた。
「私、駄目だね。いくら頑張ってもジャミルみたいに出来ないや」
「そんな事ない。お前はよくやっている」
父親に叱られる度に物置の隅で泣いているユウを慰めるのは最早ジャミルの日課だった。
努力で言えばユウの方が努力をしていた。
それこそ寝る間を惜しみ、何か分からない事があればユウにとっては畏怖の対象である筈の父親に尋ねたりもしている。
けれどどうしても持って生まれた器用不器用で二人の間には大きな差が出来てしまう。
ユウの周りの人間は父親も含めて結果を重視するばかりでその過程である努力を誰も評価していない。
ジャミルはこの様な生活が続けばいつかユウが如何にかなってしまうとさえ思った。
「(ユウは決して不出来な娘じゃない)」
ジャミルは先程、父親がユウに向かって投げつけた言葉を思い出し、唇を噛む。身内の欲目というわけではなくジャミルから見れば十分ユウは出来た娘である。
家事の暇を見つけては他の従者や近所の子供達に物語を聴かせて面倒を見たり、他人の仕事の手伝いをよくしたりと、従者としては向いていなくても普通の娘としては大変出来た娘だと近所や従者達の間でも評判は大変良い。
今は幼いけれどもう少し大きくなったら是非家の息子、孫の嫁に等と言う者もいるぐらいである。
ジャミルははた、と閃いた。
ユウが従者に向かないなら従者になどならなければ良いのだと考えた。
従者にならず早々に結婚してこの家から出れば少なからず今の様に埃っぽい物置の隅で泣いて暮らす事は無い。
そう考えたジャミルは早速母親に相談した。
母親はジャミルの案に賛成だった。
夫の手前、昔程ユウを庇えない母親はそれが良いと大きく頷いた。
それからジャミルはカリムの従者をこなしながらアジームの屋敷で、街で、ユウの夫に足りえる人物を探した。
目指すは大切な片割れの幸せの為に