twst短編
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がたごとと揺れる馬車の窓から見える景色をユウはぼんやりと眺める。
叙々に谷の底へと下っていく景色はユウの見慣れぬものばかり。
在学中は長期休暇を利用して友人達の家やマレウスと大きな街へ出掛けた事はあったが窓から見える景色はそのどれとも似つかぬものであった。
今日、ユウは茨の谷へと嫁ぐ。
「若お「若奥様って呼ぶのはやめてって言ったよね?」」
護衛という事で馬車の向かいの席に座るセベクはユウの言葉に苦虫を噛み潰したような顔をした。
同級生でもあるセベクは頑なにユウの名前を呼びたがらない。
一昨日、学園長と知人、友人達の計らいで学園内で披露宴を行ってからセベクのユウに対する呼び方が人間から若奥様に変わった。
本人曰くマレウスの妻となったユウの名を気安く呼ぶなどいくら人間相手でも恐れ多いという事であるが、ならばその妻を人間と呼ぶのは良いのかとユウは思ったりしている。
そもそもユウにとってのセベクは夫となったマレウスの臣下である前に四年余りの学園生活を共にした友達なのである。
そんな訳でそんな他人行儀な呼び方はあんまりではないかとマレウスもいる前で嘘泣きをしながら訴えた事によりマレウスからもユウの事を名前で呼ぶようにと言われた。
だがこのセベクという男、頭がかなり硬いのかそれから何度もユウを若奥様と言いかけてはユウに言い直しを要求されているのである。
その頻度というと会話の内の一回や二回では済まず、あまりに酷いのでマレウスに託けて単に自分のユウを呼びたくないのではとユウは疑う程であった。
「・・・ユウ」
「どうしたのセベク」
「もうすぐ茨の谷に着く。姿勢を正し、窓からも離れろ」
ユウに次いで敬語も使わない様にと厳命されているセベクは在学中と変わらぬ口調でユウに告げた。
ユウはセベクの口調に満足して微笑む。
「うんうん、やっぱりその方が良いね。こっちにはセベク達しか知り合いがいないからそのぐらいフランクな方が嬉しい」
そう言ったユウは真剣な眼差しで窓の外の景色を見つめた。
マレウスから公開プロポーズをされてユウが受けた数日後の事である。
プロポーズの際に差し出された指輪がユウの左手薬指で輝いているのを見てそういえばと誰かが言った。
茨の谷にある物の殆どが魔導式、つまり住民皆に魔力がある事が前提である。
そんな谷で魔力が無く、魔法の使えないユウが普通に暮していけるのだろうかという話になった。
ユウは魔法が必要な場面となるとグリムに頼っていたが卒業後のグリムは世にも珍しい魔獣の魔法士として就職する為、卒業後は離れ離れとなる。
ユウは単身で茨の谷に嫁ぐ訳であるが、物が魔導式というのについてはマレウスがいるのでどうにかなるだろうという事になった。
しかし人はどうなのだろうかという話になる。
谷の殆どの者が魔力がある中で魔力のない、ましてや妖精でもハーフでもない生粋の人間であるユウは谷の住人達に受け入れられるのだろうかと皆は内心、心配した。
その場ではユウに余計な心配は与えまいと皆は口々に根拠もなく大丈夫だろうと言っていたがユウ自身厳しいだろうな、と思う。
ましてやセベク達にもあれほど敬わられているマレウスなのだからきっと谷の住人達の人気も絶大なのはそんなマレウスが連れて来たとはいえ魔力無しの只の人間何て疎ましいだけではないのか。
あれ、これはもしかして嫁いびりコースまっしぐらなのでは、とユウは戦慄した。
しかしユウも伊達に魔力無しで名門の魔法士育成学校に四年もの間通っていない。
マレウスとお付き合いを始めてからはめっきり嫌がらせは減ったがそれまでは三日に一度の中々なハイペースで校舎裏に呼ばれていたのである。
嫌味や多少の嫌がらせならば耐えられる自信がユウには大いにあった。
あまりに酷い様であれば互いの拳で語り合えば良いのだと鼻息を荒くして徐に拳を握ったユウ。
そんなユウの頭にははなからマレウスに頼るという思考はなかった。
さて、ユウが茨の谷に着いてまず行われたのは結婚式であった。
学園で行われた披露宴はあくまで茨の谷で行われる式に大半の者は参加が難しかった為企画されたもので、此方が本番であった。
異世界人であるユウは両親を呼ぶ事が出来ない為、マレウスの婚約を機にユウの身元保証人となったクロウリーが親族の席に、友人枠には同級生に加えて何故か何処かの第二王子や世界的な富豪の子息がいる。
何処かの第二王子に関しては同級生であったマレウス側の席に着くべきなのではとも思ったユウであるが彼等の普段の仲を考えるとこれで正しい気もした。
しかし彼等がこの式に駆け付けてくれてもマレウス側の招待客の数に比べると少ないもので、ユウはこれをネタに嫌味の一つや二つは飛んでくると覚悟していた。
「この老いぼれ、まさか死ぬ迄にマレウス様の結婚式が見られるとは」
見るからに何処かの村の長老風の老人がおいおいとユウとマレウスを前に涙していた。
悲しく、悔しくての涙ではなく嬉し涙で、である。
ユウはそんな老人に手を握られており呆然としていた。
マレウスが側にいる為嫌味はないにしても嬉し涙は想定外で、これが演技ならばこの老人は主演男優賞ものだと言える程に本気で涙している。
「しかもこんなに愛らしい女性とは」
嬉し涙に続いて褒め出した老人にユウは内心驚いていると横でマレウスはそうだろうと言わんばかりの顔で頷くのでユウは恥ずかしかった。
「お世辞なんてよしてください。ツ、マレウスも真に受けて頷かないで」
恥ずかしいからとユウは必死に訴えるとマレウスは瞳を瞬かせ不思議そうに首を傾げた。
「お世辞も何も本当の事だろう?」
「な、な、な!」
顔を真っ赤にして固まったユウを見て老人は「仲がよろしい事で」と二人の仲を茶化す様に笑った。
その後も沢山の人達に祝いの言葉を貰った。
それは結婚式なので分かるのだが特に年配の者ほど長老風の老人と同様に結婚式が見れた事を喜んでいた。
ユウはそんな彼等の反応が思っていたのと違う事に頭を傾げた。
そもそも今回はたまたまユウがいた為マレウスの卒業から二年後、ユウの卒業に合わせての結婚であったが別にユウとの結婚がなくてもマレウスであればその内に結婚していただろうに何を彼等はそんなに喜ぶのか分からないとユウはリリアに話した。
ユウとテーブルを挟んで座っていたリリアは腹を抱えて大声で笑う。
突然笑い出したリリアにユウはそれ程迄におかしな事を言ったのだろうかと頬を掻いた。
「お主以外でマレウスが結婚となるとそれこそ100年経って行えるかも怪しいの」
「ひゃ、100年。でもマレウスもいずれはこの谷の王様になる訳だし良い人に出会えなくても政略結婚とか」
「政略結婚なぞ人間じゃあるまいしこの谷ではありえんよ。結婚とはつまり互いに愛し合う者同士が行う神聖なもの、マレウスに良い人がおらぬならあやつの結婚等一生行えん」
リリアはユウには話さなかったが学園に入学する以前に何かいい出会いは無いかと谷に住まう良家子女達を呼び集め、マレウスの顔合わせが何度か行われた。
しかしやる気であった子女達はいざマレウスを前にすると畏れをなしてかしづくばかり、マレウスもそんな彼女達の気持ちを察してあまり近づかず、とあまりに酷い散々な結果であった。
そんな事もありマレウスが恋をするのも大切であるがマレウスを畏れたりしない相手が必要で、そんな無理難題に谷の者達はマレウスの結婚に対し諦めに入っていた。
谷の者達と同様にマレウスの結婚を諦めていたリリアであるがまさかマレウスが人間に恋を、しかも一目惚れをしたと知った時はそれはお祭りであった。
すぐに谷へと連絡すると谷の住人達からは絶対にその女性を逃すなというお達しが届き、勿論リリアもそのつもりでいた。
その後はシルバーとセベクを巻き込んで二人の愛を見守り、時に手を貸し、応援した事によりユウは無事、めでたく茨の谷に嫁いできた。
あまり派手に歓迎してはお嫁様が畏縮してしまうかもしれないからと、騒がしくならないよう迎えた訳であるが谷の住人達は結婚式から幾日経ってもそわついている。
それは城を警護する兵士や家臣達も同じで少しでもマレウスとユウが共にいる姿が見たいからと城中に挙動不審な者、果ては隠し撮りを目論む者まで出て来た始末。
隠し撮りに関してはその写真が何処かへ流出し、果てにユウに害なす原因となってはいけないのでマレウスが直々に見つけ次第カメラを破壊している。
けれどそれもいたちごっこである為、辛抱が切れたマレウスにより糸車の様に谷中のカメラが壊される日も近い。
「そうだ。だから僕はお前と会えて幸運だった」
突然隣に現れたマレウスにユウも慣れたものである。
特に驚く様子もなくユウはマレウスを見上げた。
「お前に出会えなければ僕は生涯、誰とも結婚する事もなかっただろう」
「マレウス」
リリアの記憶する限り在学中もマレウスはユウに対して散々睦言を吐いていた筈であるが未だに免疫が出来ないらしいユウは顔を赤く染めていた。
このまま二人はキスでもしそうな雰囲気なのでせっかくだから見ていこうかと思ったリリアであるがマレウス曰くユウは奥ゆかしい娘、確かにリリアから見ても結婚したというのに色恋に顔を赤くさせるおぼこい娘である。
そんなユウは人前でキスを含んだ過剰なスキンシップを嫌がる為、マレウスはユウを見つめながらもちらり、ちらりとリリアにさっさと出て行く様合図を送っていた。
マレウスが日中にユウとの時間を少しでも得られるよう激務をこなしている事をよく知っているリリアは望む様に静かに退席しようとしたがついでとばかりにマレウスが背に隠して持っていた壊れたカメラを投げ付ける。
懲りもせずまた誰かが隠し撮りを行おうとカメラを隠し持っていたらしい。
握り潰されたカメラを手に誰に向けてかやれやれと肩を竦めたリリアは消えた。
「はあ」
吐き出される溜息、ユウは憂鬱であった。
茨の谷へ嫁いでひと月、魔力のない身でマレウスの妻となったユウは意外にも谷の住人達から歓迎を受けて楽しく過ごしていた。
魔力のない身では肩身の狭い思いをするかと思いきや全くそんな事もなく、何なら学生時代より肩身は広い。
けれども近頃のユウは憂鬱であった。
結婚してすぐは周りから結婚の祝いを言われるばかりであったが最近の話題といえば子供の話題である。
結婚したのだから次は子供という思考に至るのはユウにも分かるのだがまだ結婚したばかりのいわば新婚ホヤホヤなのである。
もう少し新婚を楽しみたい。
しかし会う人、会う妖精が口にするのは子供の話題ばかりでユウは参っていた。
それに子供に関してユウは一つの懸念もあった。
「何を悩んでいるんだ」
「シルバー先輩」
窓際で項垂れていたユウは顔を上げた。
「悩みというか何というか」
話す程の事ではないと言ったユウであったが結局シルバーに促されるがままに話した。
「確かに近頃、その様な話を耳にする」
以前はマレウスが結婚しない事に気を揉んでいた者達だったが結婚した事で次の話題、後継ぎについて熱心に話す姿に思い当たったシルバーは頷いた。
「あまり煩わしい様であるなら俺からも言っておくが?」
因みに後継ぎについて熱心に話す者達の中にはシルバーの父親であるリリアも含まれている。
リリアはとにかく男子でも女子でもいいらしく早く二人の赤子を抱きたいと周りに話していた。
そして大きくなったらマレウスやシルバー達の時の様に自身の手料理をご馳走するのだとも言っており周りにそれだけは、と止められてもいた。
「そんな!大丈夫です!」
ユウは大きく手を振りシルバーの申し出を断わる。
「だが辛いのだろう?」
遠慮するなと今にも城中の者達に言って周りそうなシルバーをユウは懸命に止める。
しかし何故かシルバーはそれを聞こうとしなかった。
「お前は学園で辛い事があってもそれをあまり顔には出さなかった」
それこそ学園裏に呼び出されようが故意に頭から水を被せられようがあまり怒ったり悲しんだりせず、寧ろいつも怒り狂う仲間に笑いかけ宥めていた。
そんなユウだというのに今は苦しみ悩んでいるのかそれが表情に出ている。
それが酷く心配だと言うシルバーにユウは思い当たる事でもあったのか視線を落とした。
「私、マレウスと結婚したじゃないですか」
「そうだな」
とても今更な事であるがシルバーは静かに頷く。
「マレウスは茨の谷の次期王様じゃないですか」
「ああ」
「みんなマレウスの子供にすっごく期待してるのに、もしもを考えたら怖くて」
ユウは闇の鏡に見て貰った通り魔力を持たない。
それでも魔法士を育てるあの学園に導かれたのだから途中で多少でも魔力を得る事を期待していたがそれは起こらなかった。
そんなユウでも妻にと望んでくれたマレウスがユウは嬉しかった。
マレウスの人望あってか住人の殆どが魔力を有するこの谷にも受け入れられた。
正直、嫁いで来るまでは不安だった故に嬉しかった。
だから尚更マレウスの子供、彼の後を継ぐであろう子供を期待する彼等の気持ちはユウには重く感じられた。
マレウスに似ればそれで良い。
しかし自分に似て魔力が一切なければ魔力のない自分を快く迎えてくれた谷の人々を落胆させてしまうのでは、と考えていた。
「何だ。そんな事を考えていたのか」
頭上から振って来たその声にユウは俯かせていた顔を上げた。
目の前にはマレウスが立っており、それまでユウの話を聞いていてくれていた筈のシルバーの姿は何処にも無い。
「ツノ、太郎?シルバー先輩は何処に?」
「シルバーは下がらせた」
「いつの間に」
全く気付かなかったとユウも流石に驚いた。
「妻の悩みを聞くのは夫である僕の役目だ。いくら信の置ける臣下であってもそれは譲れない」
一瞬、ユウはマレウスの黄緑色瞳が炎で揺れた様な気がした。
が瞬き再度窺えばそんな事はなく何時もの美しい宝石様な目があるだけであった。
「さて、お前の悩みについてだが」
先程の話に戻されてユウは肩を震わせた。
ユウはあの様な弱音、捉えようによっては谷の住人達に対し失礼に当る先程の話をマレウスだけには聞かれたくなかった。
しかし聞かれてしまった。
いつからシルバーと入れ替わったかは分からないが様子から話の殆どを聞いていたのであろうマレウスからユウは視線を逸らす。
「まず先にお前の悩みは杞憂である事を伝えておこう」
「え?」
「僕の魔力は世界で見ても強大だ。強大な魔力というのはその持ち主に危険を与える」
マレウスは例えに風船を持ち出した。
風船は魔力を貯める身体、中の空気は魔力とし、風船にめいいっぱいの空気を入れるとどうなるのかユウに尋ねる。
「破裂する?」
「そうだ」
突然の風船にユウは戸惑っていたがマレウスは構わず話を続けた。
マレウスは自身の身体はその許容範囲ギリギリまで空気を入れた風船と同じなのだと言った。
それ故に身体が出来上がらぬ内は何度も命の危機に瀕していた。
「正直の所、僕の様に強大な魔力を有する身体では跡継ぎは到底望めないと医者には言われた」
既にマレウスの身体ですらギリギリなのである。
そこに魔力が少しでもある者との子供となると、その子供は死産、無事に生まれても身体が出来上がらぬ幼い内にその身に宿る膨大な魔力に耐え切れず死んでしまうと言われた。
この世界には魔法が使える者使えない者がいるが使えない者も魔法を使うだけの魔力が無いだけで多少は有している。
その為、それこそ奇跡的に全く魔力を有さない者が現れない限りマレウスに子供は望めなかった。
しかし奇跡は起きた。
マレウスの前に魔力を一切持たないユウが現れ、幸運な事にマレウス妻となったのである。
それはマレウスの子供を諦めていた谷の者達には喜ばしい事であった。
「そういう訳もあって谷の者達は浮かれているんだ。まあ、僕はお前に魔力があろうとなかろうと構わず結婚するがな」
不適な笑みと共に突然抱き上げられたユウは驚き、マレウスの首に抱きついた。
何故かご機嫌なマレウスはそのまま隣に設けられた寝室に移動し、ベッドへとユウを下ろすとそのまま覆い被さる様な姿勢を取る。
「あ、あのツノ太郎さん?」
「親しみのあるその名前は好きだがベッドの上ではマレウスと呼んでくれ」
「マレウス、これは一体どういう事でしょうか」
元は空気を読む事に長けた国の民であるユウはこの状況がどういう状況かよく分かっていた。
しかしまだ外の日は高い、昼間である。
窓の向こうからは侍女達の楽し気な声や兵士達の訓練に励む声が聞こえていた。
「お前の悩みは解消された。なればもう閨での誘いを断る理由はないだろう?」
マレウスの言葉にユウは色気のない悲鳴を上げた。
とっくの昔に結婚式を終えたユウ達であるがその晩、初夜にて二人が結ばれる事は無かった。
初夜は谷への移動と結婚式に疲れているから、その後もありとあらゆる理由をもってマレウスの誘いを断り続けていた。
しかしマレウスの言葉通り本当の理由が解消された今、ユウもマレウスお誘いを断る理由もない。
「でも、まだお昼だから!マレウスもお仕事があるし」
「仕事については昼から休みを貰った」
そう言ってマレウスが指を動かすと寝室中のカーテンは勝手に閉まってしまう。
「これだけ暗ければ昼間というのも気にならないだろう」
マレウスのやる気にユウは言葉を失った。
そしてその間にもマレウスはユウの首筋に顔を埋めて薄い皮膚に甘く噛み付いた。
「マレウスよ。少し見ぬ間に男前が増したな」
リリアは頬に真っ赤な手形をつけて執務室に現れたマレウスに笑った。
結局マレウスはユウと致せなかった。
それどころか皆が仕事に励んでいる中こんな事するのは最低だと平手打ちと共に叱られ戻って来た。
大変可笑しそうに笑うリリアにマレウスは唇を尖らす。
「大方お主が急いて手を出してくるからユウが時間を考えろと怒ったのじゃろ?」
「・・・見ていたのか?」
お預けを食らった不機嫌さも相まりマレウスはリリアに厳しい視線を向けた。
しかしマレウスのそんな視線を物ともせず、「戯け」とひと蹴りする。
「見なくてもだいたいの想像はつく。しかしその頬の手形」
リリアはじっと頬を見つめ、そして頬を膨らませ笑った。
瞳に涙を滲ませ、足をばたばたとばたつかせるリリアは笑い過ぎて苦しげである。
「どうかされたのですか?!リリア様」
その苦しげなリリアに何事かと勢いよく扉を開けて入って来たのはセベクで、セベクは振り返ったマレウスの頬に真っ赤な手形が付けられているのを見て息を呑む。
「どうじゃセベクよ。マレウスがより男前になったじゃろう」
「はい、若様は男前に、いや、若様は勿論この世の誰よりも素晴らしい方ですが、え、ん?」
リリアに釣られて同意するセベクであるが手の跡も含めての賛辞は言っていいのかいけないのか分からず混乱した。
兎に角セベクはマレウスの白い頬を彩る赤い手形が衝撃で暫く混乱していた。
「取り乱してしまい申し訳ございません!今すぐ何か冷やすものを用意します」
「気にするなセベク。これぐらい魔法で何とかなる」
マレウスが自身の頬を撫でるとあった筈の頬の赤みは消え失せる。
セベクに持ち場へ戻るよう告げたマレウスは己の席へと腰を下ろした。
「何じゃ仕事をするのか?」
せっかく休みをやったのにとリリアは真面目に執務を始めたマレウスに尋ねた。
「ユウに叱られてしまったからな」
「マレウス・ドラコニアを叱るのはこの世であの嫁御だけじゃろうな。本当に良い嫁を迎えられて良かったわ」
「そうだろうそうだろう」
リリアの言葉にマレウスは深く頷く。
「じゃがこれからはあまり惚気話をせぬようじゃな」
奴等が戻ってきたと告げられたマレウスはあからさまに表情を顰めた。
リリアの言う奴等とはマレウスが学園に入学する前に顔合わせをした令嬢とその家族である。
谷に昔からいる貴族の一人であるのだが彼等は魔力のない人間を酷く嘲る事で有名であった。
加えて令嬢はマレウスに惚れたらしく、マレウスはその気がないというのにしつこく何度も手紙を送り付ける強者でもある。
「顔合わせをした際は悲鳴を上げて喚いたと言うのに」
顔合わせした貴族の令嬢の中で彼女の反応が一番酷いものであった。
殆どの者が息を飲み、硬直する程度の怯えようであったがその娘だけは同じ妖精族だというのにマレウスに対してまるで化け物と遭遇したかの様な酷い悲鳴を上げたのである。
だというのに一体どういう訳か今は互いに思いが通じ合っているなんて信じているのだから彼女の妄想力というものは凄まじいと肩を竦めた。
「リリアよ」
「流石にこれ以上他所へやるのは無理じゃぞ」
マレウスはその令嬢が苦手であった。
人の子ならまだしも同じ妖精族の者にあれほど怖がらられるのは初めての事で何なら少し傷付いた。
その後学園に入学して、自身に怯えぬユウに心癒されていた所、突然先方からの猛アタックを受けたマレウスは困惑した。
茨の谷から送られて来る手紙に彼女の後ろにいる父親の存在もあって仕方なく社交辞令ばかりを並べた手紙を返していたマレウスであるが突然、自分と彼女の関係が恋人となっているので驚いた。
しかしマレウスは彼女に対しそのような気は無かったし、その時既にユウとのお付き合いも始まっていた。
このまま向こうの勘違いを放置はしておけないとリリアと、谷に住まいながらマレウスの恋を応援してくれる者達の手を借りて何とかなった。
表面上は納得したように見える彼等であるが染み付いた差別的意識はそう簡単になくなる物ではなく万が一に何か起こってはいけないと結婚式より少し前から用事を言付けて谷から離していた。
しかし一家はもうすぐ谷に帰って来てしまう。
「もし、ユウに手を出されたら僕は正気でいられる気がしない」
「分かっておる。だからユウの護衛には常に信の置けるシルバーとセベク、それにわしの交代で行っておるのじゃ」
安心せいと自身の胸を叩くリリアを見てマレウスは何時もなら得られる安心が全く出来ないどころか一波乱起こりそうな予感がした。
「ここまで上手く行きすぎて今度こそ今までの分も含めて何か起こりそうな気がする」
伊達に何度もオーバーブロット現場に立ち会っていない。
異世界の学園で四年間培って来た危険予知能力で何かを察知したユウは引き出しから一冊の本を取り出した。
それは一年時にイデアの結婚騒動で知り合ったお姫様のゴースト、イライザから貰ったものである。
彼女はあの世へ旅立つ前の宣言通り毎年時期が来ると学園へとやって来たのだがそもそも学園は男子高で、特例で学園唯一の女子であるユウがやって来るイライザの相手をするのが通例となっていた。
そして最後の四年時に卒業後はマレウスの所へ嫁ぐのだと伝えると彼女は我ごとの様に喜び、ばあやを呼んで一冊本をくれた。
それは今は失われた彼女の国言葉で書かれた本で、読めなかったユウはその翻訳をトレインに頼った。
トレインは手伝いまでしか翻訳を許してくれずユウは辞書や文献を手に何とか翻訳を進めた訳であるが、そのイライザがくれた本は母親から娘へと送られる、花嫁指南書の様なものであった。
内容は針仕事から始まり、果ては夫婦の営みに嫁と姑問題、番外編では小姑の対処、夫浮気についても書かれていた。
そのあけすけな内容、特に夫婦の営みに関しての翻訳にはユウとトレインを気まずくさせた。
この本の凄い所はまるで辞書の様に巻末で索引ができる事で、ユウは今現在の己の状況を元に逆引きする。
さすがお姫様御用達と言うべきか内容は豊富である。
索引を終えてユウは示されたページを開いた。
「何々、順風満帆な結婚生活と思いきや夫の恋人を名乗る女の登場」
嵐が忘れた頃にくる様に夫の女を名乗る女も遅れてくるらしい。
幾つか書かれていた事例を読み込むとユウは本を閉じて深く息を吐いた。
「よし、心の準備は出来た」
嵐よいつでも来いとユウは拳を握った。
そもそも魔力がない身でありながらマレウスの妻として茨の谷にやって来たユウはそれなりの覚悟と準備をしてやって来た。
しかし実際は谷中から歓待を受ける今の状況にありがたいと思いつつも不完全燃焼であった。
カリムやジャミルからは毒に関する対処を学んだ。
ヴィルからは夫となるマレウスの品位を落とさずに嫌味な相手を言い負かす術を習った。
兎に角ユウは結婚してから起こりうる嫁いびりを想定して準備して来たというのに未だそれらは日の目を見ない。
何度も言うがありがたい事なのだ。
準備に付き合ってくれた者達は誰もが自分達が教えた術が実際は不要となれば良いと言っていた。
ユウもそう思う。
のだがやはり学んだからには一度は使いたい。
「待ってろよ自称婚約者」
ユウは一人、天井に向かって拳を突き上げた。
きっとこの後やってくるであろう自称婚約者に対してめらめらと闘志を燃やす。
やはりユウにはマレウスに頼るという頭がなかった。