恋する人魚
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週末に合わせて課題が多く出されるナイトレイブンカレッジ。
その為週末前の図書室は異様な混み合いを見せていた。
ユウもその中に混じり課題の参考に、と書架から持ち出した本と睨めっこをしている。
異世界から来たユウにとって学園で教えられる授業はどれも複雑怪奇だ。
箒で空を飛んだり、聞いた事の無い薬草を混ぜて薬を作ったり、授業を受ける度にユウは自分が異世界に来たのだと実感させられる。
ユウはふと、思った。
この児童文学の様なこの世界、まるで昔に聞いた事が
「ここ、よろしいですか?」
思考に深けっていたユウは横から声をかけられて驚いた。
顔を上げれば何処か見覚えのある顔、と迄考えて先日、自分がぶつかり、その後鼻血を流していた人物だと思い出す。
思わずその事を口に出しそうになったユウであるが既の所で堪えた。
他人に鼻血の人などと認識されていると思われては向こうも気分が悪いだろうと思った為である。
取り敢えず相手からの問いかけに対し「どうぞ」と答えたユウはこの後何か話すべきか否かで悩んでいるとまさかの向こうから話しかけて来た。
「先日はお見苦しい所を見せまして申し訳ございませんでした」
至極丁寧に謝られユウは首を横に振った。
「あの後は大丈夫でしたか?」
彼に促されるがままその場から立ち去ったユウであるが昔から男性の鼻血は恐ろしいと聞かされていたので暫く気にしていた。
「おかげさまであの後、あなた様からお借りしたハンカチで血の方は何とかなりました」
「よかったです」
「それで、」
男が出して来たのは紫のリボンが巻かれた淡い水色の箱であった。
差し出され思わず受け取ってしまったユウは箱を見て、首を傾げる。
「先日のハンカチは私が駄目にしてしまったので新しい物を用意しました」
「そんな!」
ユウは慌てて箱を返そうとした。
が、彼は受け取ってはくれない。
男はかけていた眼鏡のブリッジ部分を押し上げるとちらりとユウの左腕のリボンを見る。
「聞いた所によりますとあなた様は魔力が無いにも関わらず遠い場所からこの学園来たとか。加えて無一文で来た為、学費、生活費、その他経費は全て学園長が賄っていると聞きます」
全て男の言う通りであった。
加えて言えばユウにそれほど自由に使えるお金は無く、ハンカチ一枚買うのも日々の食費を工面して何とかという程である。
学園長の名誉の為、ここで付け加えると、ユウが生活するに当たっての経費は決して少ない額ではない。
のだが学園長の計算はあくまで一般的な女子一人に対しての計算であってその後現れたグリムの分の追加をすっかり忘れていた。
そして、不運な事にグリムは小柄な身体に似合わず大変よく食べるのである。
もしユウが学園長に対し、経費について相談していればその事実に気付いたかも知れないが、ユウもユウで訴えるでもなくここまで面倒見てもらっているのだからと我慢してしまったのである。
そういう訳で元々設定されていなかったグリム分の食費が他の支出に使う予算へと圧迫し、ユウはハンカチ一枚すぐには買い足せない程の困窮具合になっていた。
決して憐みや同情では無いのだと言った男であるが、けれどやはりだからこそハンカチを貰ったままではいられないのだとも言った。
「返されても私の趣味に合ったものではないのでこのまま捨てるだけですし出来ればそのまま貴方が受け取って頂けるとありがたいのですが」
「じゃあ、お言葉に甘えて、ありがとうございます」
これがウィンウィンという事なのだろうかと少しばかり混乱したユウは男に頭を下げた。
「そうだ。私は2年、オクタヴィネル寮のアズール・アーシェングロットと申します」
これまたご丁寧に、それこそ名刺でも差し出されそうな程丁寧な口調で自己紹介を受けたユウも慌てて自身の名を名乗った。
「何あれ」
部屋の真ん中に置かれた壺を指差しフロイドはジェイドに尋ねた。
壺の正体は知っている。
アズールの蛸壺である。
のだがフロイドが尋ねたのはその中身である。
フロイドはアズールに用事があり蛸壺を覗いたのだが、中にいたのは茹で蛸であった。
それも湯掻き過ぎて原型がとどめていないのでは?と思う程に赤く緩くなった蛸が壺の中にいた。
「実はアズール、件の彼女と念願叶って今日話をしたらしいのですが」
「え?まじ?タコちゃんすげぇじゃん」
何時迄も直接話し掛ける勇気が持てず行動が空回りをして彼女の周辺からストーカーと呼ばれていたアズールにフロイドは素直に賞賛した。
「ですが」
そう言って続けたジェイド。
眉を下げ、頬に手を当てて悲しげな声を出す彼であるが何故か全く憐んでいる様には感じられない。
「どうやら彼女の方はアズールの事を覚えてなかったようなんです」
フロイドは納得した。
フロイドが覗いた際は興奮か照れてなのか湯掻いた蛸であったアズールであるがその後は嘆き声が聞こえたり、はたまた急に何を思い出しているのか嬉しげな声が聞こえたりと感情浮き沈みが激しい。
その理由をやっと知ったフロイドであるが同情はしなかった。
フロイドにしても異世界の話を眉唾物と思っていたジェイドもアズールが異世界に行った年齢や、その期間を考えて相手側はアズールの事を覚えていないだろうと考えていたのである。
なので二人からすると分かりきっていた結果だけに何を今更嘆く事があるのかと冷めた心情であるのだが、アズール本人はそうはいかない。
これ迄彼女を思い、恋い焦がれ、彼女との再開を励みにずっと努力し続けてきたのである。
再び聞こえたアズールの嘆きの声にフロイドはめんどくさそうな顔をしながら蛸壺の縁にもたれて昔のタコちゃんよろしく泣き噦るアズールに話掛けた。
「それで好きな子に忘れられてるタコちゃんはこのまま諦めるの?」
返答はなかった。
しかし静かになったので、一旦良いかと思ったフロイドである。
「諦められるものですか」
遅れながらも返ってきた返事にフロイドも、聞いていたジェイドも笑みを浮かべた。
「僕は絶対に諦めませんよ。だって、彼女は僕の光だ。僕のものだ」
「だったら何時迄も蛸壺に泣いて引き篭もっている訳にはいきませんね」
ジェイドの言葉に泣いていないと言わんばかりのむっすりとした顔のアズールが出てきた。
顔は魔法で綺麗にしたのか、あんなに泣いていた筈なのに涙の痕一つ残っていない。
けれど顔以外に気が回らなかったのか後ろ髪が少しばかり乱れていた。
「彼女が僕の事を覚えていないのならそれはそれで結構。これから新しい思い出を作っていけば良いのですから」
寧ろ過去の自分の姿を覚えていないのだからアズールとしては大いにありがたかった。
アズール・アーシェングロットはちびでもデブでも無くかっこいい人物だと印象付けれるチャンスなのである。
そう思うと何だか気分が晴れてきたアズールはユウと親しく、それこそ彼女の唯一になるよう明日からも頑張ると誰に向かってでも無く一人宣言して盛り上がっている。
そんなアズールを愉しげに眺めるフロイドとジェイド。
二人はアズールの恋の行方などどうでも良かった。
上手くいく様なら娯楽として盛り上がるよう応援するし、そこで終わるならまあ、一回ぐらい慰めてもやらなくはないと思う程度である。
しかしこの様子ならまだ暫くは楽しめそうだと二人はひっそりと笑った。